ともみ@ピクニック

手探り

わたし自身にもあるけれど、たぶん、少なからずの人が
「×××とはいっても、自分は屋根のあるところで寝起きして
今夜のごはんもたぶん明日のごはんも食べられて、恵まれている」
という感覚を、ところどころで思い出す場面があるだろう。

これは決して、悪いことではないと思う。

けれど、この基準で100%生きられるのか?といえば
たいがいは難しく、小さな不満をごまかしつつ生きることになる。

「不満をごまかし生きる」それのなにがいけない!?と
怒られ口調で問われれば、わたしに答える言葉はないけれど

できることならば、「不満をごまかす」以上の生き方を
したほうがいいとは思う。

その方法を、まだわたしは十分に知らない。

「好きなことをやればいい」「自分のしたいことをすればいい」という
模範解答は知っているけれど、だれもが個々の状況というものを
もっており、その状況を上手く嚙みしめつつ模範解答により近く生きる方法を
・・・環境や状況のせいにせず、かつ、自分を生きる方法を・・・
手探りしているのだ。


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置かれたなかのポジティブ

人はさまざまなものに依存します。ポジティブな方向にものの見方を変えていくより、ネガティブな感情のなかにひたっていることを選ぶのは、「変化するよりは低めのところで現状維持をしていたい」という隠れた欲求のあらわれかもしれません。もっといえば変化することへの恐怖です。

と、しばらく前に、為末大さんが書かれていたが
http://president.jp/articles/-/16541

まさにわたしの人生は
ポジティブを手にしたいと心の表面では思いつつ

実際は、波動の低~いところで
心のグチを吐きながら、ポジティブとはほど遠い生き方をしてきた。
(昔より、その度合いは減ってきたけれど、まだまだネガティブに依存している面はある)

今回の「年越しまで実家にいるべきか」それとも予定どおり
いや、予定よりズレこんでしまったけれど、「一度自宅に戻るべきか」の葛藤は

いつもの自分なら、あれこれ言い訳を用意して、おまけに
「一回分の往復費用削減!」などと経済的な理由で自分を後押しして
「あーあ」と思いつつ、実家に居続けた可能性が高い。

これも為末さんのおっしゃるような「ネガティブな感情のなかにひたっていること」
なのだろうな。

今回の、一度自宅に戻るという選択は
ほかの誰にも理解されなくとも(そもそも理解される云々の話にも満たない)
自分にとって意義ある選択だったと思う。

(このことを「意義ある選択」というあたり、実家との二重生活が
自分にとっての負担となっているあらわれなのだが・・・・・・。
あー、いかん、いかん、また被害者意識のグチになる)

わたしは「母のフォローをしなきゃ。実家の世話をしなきゃ」という
自分の思い込みに依存しているのだと思う。

人は自分のためだけに生きるのはツライもんね。

ある程度の年齢になったら、それはより顕著になる。

わたしは「依存」するものがあって幸せだ。

なのに、最近のわたしは、「依存」の一方で
なにかの被害者のようになった驕りをもって、ふてくされていたなー。

(正確にいうと、「最近特に大変なことがあった」のでは全くなく
この数年のつもり積もった、不消化なネガティブな感覚のせい?)

来年も親や実家に「依存」しつつ、けれどネガティブにひたるのではなく
置かれた状況のなかでポジティブをもっと選べるように練習しよう。

ところで、ところで

なによりも、母が身体面では元気でいてくれて
四六時中お世話をしなくちゃいけない状態ではないという
今の環境、彼女の健康に感謝しよう。


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「~のに」病

12月29日(火)

むー、マンションに帰りたいのに・・・。

「~のに」病が、心の表面にぺたっと貼りついている。

これを、もう少し細かく書くと

「マンションに帰って、ひとり時間が欲しい。
(お正月になる前に一度、ひとりチャージしたい)」

「クリスマスにはいったん自宅に帰る予定だったのになぁ。
(天候や心身調子と実家仕事の兼ね合いで、帰りそびれた)」

「気持ちの問題だけじゃなく、物理的にも金沢で用事があって
(病院。年内に行っておかないと、また初診料がかかってしまう。
あと美容院とか、献血とか・・・)それらはほぼあきらめたんだけど・・・」

「しかしなぁ、実家でもやることは山積みだし・・・」

「交通費だって、それなりにかかる。
( ↑ けれど目先の損得の計算で行動をすると、大きな意味で損をしがち。
交通費など、お金の損得勘定はしないほうがいいのだよ、自分さん)」

こういう感情がぐるぐるうごめいていて、でも結局は
「マンションに帰っても、年の末にはまた実家に戻らねば。
その分の交通費がもったいないよなぁ」という所に落ち着くのだが

本日、夕方、「~のに」病を患っているのはよろしくない!

状況の犠牲になった気分で
「ほんとはAが欲しいのにBを選ばざるを得なかった」と
自分の決断力&行動力のなさをタナに上げて
もやもやとしているのはあかん! と

それに、書くのも恥ずかしいのだけど
「あれこれ実家のことを優先順位の上位においていても
それは結局一人芝居というか、自分がムリをして疲れるだけ・・・
誰も関心を寄せず喜びもしないことをなぜ頑張るのだろう」という
完全に間違った“よがり”思考も少々忍び寄っていて

あーーーー、一度、自分をリセットしなきゃ!!!と発作的に思い
(そして、実家での仕事の最低限の段取りを頭で見積もって)

夜の8時過ぎには、金沢の自宅に到着。



「~のに」病って、おそろしい。

下手すれば、自分が患っていることすら、気づかない。

「~のに」病は、どんどんどんどん自分を傲慢化させ
いいことがぜんぜんないんだよな~。

「~のに」病を退治する方法は、ふたつあると思う。

ひとつは、「~のに」の元を、完全に分解する。
「~」の部分を超客観的に解きほぐし、思いこませるのではなく
これが自分のエゴが作り出している妄想だと心の底から理解させる。

「そこそこ解いて、思い込ませる」のはまあ出来るかもしれないが
完全に分解して、妄想だと心底自分に分からせるのは、簡単じゃない。
(「そこそこ解いて、思い込ませる」レベルでは、自分の内と外の乖離が
さらに大きくなって、ストレス度は上がるだろう)

もうひとつは、「~のに」の元を自分で捨てることだ。

(今回わたしがとったのはこちら。「帰りたいのに帰れない」という
ごちゃごちゃした思考を、その他の雑念ごと手放す。

今回のわたしは「帰る」ことそのものよりも、「~のに」病と
離れたくて、そのために実家を発ったのだと思う)

「~」は、抱えている限りは、絶対で、どうにもならない理由だと錯覚するが
ほんとうは自分自身に対する言い訳でもあるんだよなぁ。

まあ、わたしの「~のに」病は、世間一般のアレコレから見たら
最初から無いに等しい低いハードルであろうけれど。

世の中には捨てることのできないように見える
(代替案が見つからないように見える)ケースも多々あろう。

でも、「代替案が見つからない」というのも一種の幻想かも・・・。


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壁にコロコロ

12月28日(月)

今日は、パワーアップの玄関掃除。
砂壁をコロコロ(粘着テープを転がす)してみたり
傘立て(外套掛けや鏡もついてる)を外に運んで水洗いしたり
五目天井を数箇所傷つけてしまったことは自分だけの秘密にして
掛けっぱなしの絵の掃除をしたり
脚立を使って日頃手を入れぬところを拭いたり・・・。

さらには、掃除後の玄関に、庭においてある
陶器のテーブルとイスをさっと水洗いして運び入れ

庭のシカ2匹を大きな木の陰に入れ
(シカは生きておりません。念のため)

しばし置きっぱなしにしていた盆栽台の残りを
ガレージにえっちらおっちら運び仕舞い・・・

まあ、今日で庭の冬支度は終了!ということにしよう。

(松の古葉、落葉樹の葉っぱ、秋に延びた草・・・と
地が全面的にすごいことになっているけど、それは
冬の晴れ間の遊びがてらの仕事といたしましょ。雪が積もらねば)



話は戻って、玄関掃除。

傘立ての裏とか、絵の裏とか、もしかしたら
この家を建て替えてから一度も掃除したことがなかったのかも。

すごい埃であった。

(傘立ては、「家具を水で洗うなんて」と母に怒られそうで
彼女がテレビに夢中になっているあいだ、雨のなか、こっそり
洗いました)

壁も、前から廊下などの砂壁の埃が気になっていて、しかし
なかなか上手くとれなくて困った折に「コロコロがいい」と
ネット情報で知り、試してみたかったのだ。

(壁に埃? はい、そうです)

コロコロが見つからなくて、今日まで試す機会がなかったのだけど
うん、やってみたら、すっきり感あり。

うちの壁は砂壁なので、粘着テープに、ぱらぱらと「壁の砂」が
一様にくっついてしまうのが難点だけど、それよりも
埃や汚れを取るほうが大事。と、わたしには思えるのだ。

(それにしても、壁に埃がたまる家なんて、恥ずかしい)



ちょっと日の暮れが遅くなったような。
と、17時の鐘の音を聞きながら感じた。

たしか、冬至よりも二週間ほど前が日の暮れるのが一番早くって
冬至よりも二週間ほど後が日の昇るのが一番遅いんだよね

今日は、夜の訪れが一番早かった日から3週間も経っているのだ。


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こんまり流の基本

ひとつ下の続きというか、おまけ・・・。

今や、日本だけじゃなく、世界に広がっている
こんまりメゾットだけれど、おさらい的な意味もこめ
TV 『Face To Face』の「こんまり話」もメモしておこう。

ロバートキャンベルさんに
「ときめきって、何ですか?」と尋ねられ

「自分がもっていて幸せな気持ちになるもの
自分が大切にできるもの」と答えた、こんまりさん。

「ときめくかどうか、どうして分かるんですか?」
との更なる問いには、こう答えていた。

「モノに触ることによって、初めて分かる。

自分の体がキュンと上がる感じがするか、それとも
ズンと下がる感じがするのか、これは実際に
モノに触ってみるとびっくりするくらい違いがあるんです」

そして

「私の片付け法は
ただモノを減らせばいいということでは決してないんです。
たとえ片付けたあとにモノがたくさんある状態であっても
それが全部、自分にとってときめく、というふうに
堂々と言い切れるのであれば、まったくオッケー」とも。

なんとなーくの印象だけど
昨今の「片付け」や「シンプルライフ」ブームは、こんまり流とは違い
「たくさん捨てるほど、よし」の感じがしないでもない。

(たしかに、捨てれば捨てるほど、達成感はあるだろうけど。
実際にこんまりさんも、昔、捨てるノイローゼになったというしね)

こんまりさんは、捨てる発想に突っ走り
捨てるノイローゼにまでなった高校時代に

「片付けで大事なのは捨てるものを選ぶことじゃない、残すものを
選ぶことなんだ。つまり自分にとって大切なもの、自分の好きなもの
自分を幸せにしてくれるものを選べばいいんだ。

今まではモノに対してダメなところを見よう探そうとしていたけれど
モノのいい面を探していこうというふうに発想が切り替わった」そうで

それが、ときめきの発想の元になった。

ふ~む、ふむふむ。

モノの悪い面を探すのじゃなく、いい面を(ときめくものを)
探すのが、こんまり流の基本なのだと、今更だけどメモ。


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こんまりさんの『情熱大陸』

近藤麻理恵さんがTV『情熱大陸』のなかで仰っていた。

「捨てることを、殊更主張しているのじゃなくって
捨てるのじゃなくって
残しているものを大切に出来ていればいいと考えている」

片付けの指導の依頼を受けて出向いたお宅で

こんまりさんは、タオル類について相談されて
「お役目終了かなと思ったら処分していただいて大丈夫」
「新品をためこまない。ストックせずに使う」と教え

妻がゴミ袋一杯分の“ときめかない”タオルを処分したら

「タオルなんていくらでも使い道がある。自分の趣味の野球のボール拭きにも
使える。なのに、なんで捨てちゃうの。そこになんのノウハウモない。
なんの愛情もない」「なんの幸せも、価値も与えない。逆に不満が残った」
「全部新しいのをやりました。ストックなくなるじゃないですか。自分は
ストック欲しいからまた買うじゃないですか。なんも変わらないですよね」
と、こんまり流の片付けへの反発をあらわにした夫。

すっきりさせたい妻と、モノを捨てられない、今回のことで
自分はモノを捨てるのが嫌いだと気づいたという夫のもとに
駆けつけた、こんまりさん。

彼女が夫に語ったのは

「私がお伝えしているのは、ほんと、捨てろってことじゃなくて
『自分がどういう暮らしをしたいのか』というのをご自身で考えていただいて
納得する方法で片付けていただきたい」という言葉。

そして、「自分の心地いい状態」を分かっている夫のことを
褒めたのであった。

さらに(こうやって依頼主の夫が、自分の暮らしの理想をしっかりもって
こんまりさんに伝えたことを)こんまりさんは「私もすごくすっきりしています」と
夫に向かって話したのであった。

「今後の片付けの方法や進め方は奥さんと話し合って、せっかく一緒の家に住んで
すてきなお家を作っていかれると思うので・・・・」と、こんまりさんがお話する頃には
夫の怒りがどこかに消えて表情も和らいだように、テレビの前のわたしには見えた。

その後、夫自身は「片付け」から離脱したようだが、妻はこんまりさんの指導を受け
続け、見違えるような部屋をつくり、夫もその部屋に満足そうであった。

場面が変わって、タクシーのなかで、こんまりさんが言う。

(ご主人は)経験則だと、半年とか一年経って
(奥様に)つられて一緒に(片付けを)やるというケースがすごく多い

(奥様は)毎日モノに対して感謝していく
丁寧に使っていくという生活を続けていく
あとは自分のできる範囲で収納を“ときめく”状態に作っていく
というふうにしていくといいですね。


ちなみに、“ときめき”を、英語で
spark joy と、こんまりさんは訳していた。


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白い鳥

12月27日(日)

ちらちら雪の日。

14時半の目覚め。
ここまでの寝坊は久しぶり。

ゆず湯につかって生き返る。

いざ、年末の買い物へ。

途中で、すぐ目の前を、大きな羽の
白い鳥(白鳥のような迫力だったけど、こんなところに
白鳥いるのかな? しかも一羽だけ。
田んぼを散歩している白鷺は見慣れているけれど・・・)が
雄大な姿で東のほうに飛んで行き、びっくり。

カマボコやお蕎麦などなど、お正月を迎えるための
生鮮品をどっさり買い込み、これで一安心。

夜は、お寿司とコロッケで、元気チャージ。

ひとまず、不調の波を超えたようだ。
年の瀬の神様も、ありがとう。


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自分にだまされ生きている

白熱教室のダン・アリエリー先生が言っていた。

人の言っていることは、それほど信用できない。

人間は自分の行動については語ることができる。だが
自分の意思決定の原因をほんとうに分かっているのか?

わたしたちは自分の意思決定がどうやってなされているかを
正確に知ることができるだろうか?

ムリだ。

人は自分の行動について
都合のいい理由をつけたりするからだ。

普通は、自分の行動について本人が理解していることは
真実からかけ離れている。

だから人に話を聞いたとしても
返ってくるのはその人がアタマで考えた要因であって
本当の要因ではないのだ。


(テレビ「お金と感情と意思決定の白熱教室」
~楽しい行動経済学の世界1~人間は不合理な存在より)


うう~む、耳が痛いけど、そうなのかもね。

わたしは、日々、この日記で
もっともらしく自分の行動およびその理由を綴っているけれど
これは「自分に都合のいい」フィルターにかけた結果なわけか。

人間って、自分にだまされ生きる動物・・・。

わたしは「正直」な話を日記に書いているつもりでいるけれど
実はそこには「自分でも意識しない仕掛け」があるのだな。

正当化、言い訳、自分の非を低く見積もる、被害者ぶる・・・
ううううう~む、あるあるかもね。
(日記はこれらの産物なのですね)

(そして日記というカタチで吐き出したことにより、それらが
より確固なものとして自分のなかで認知されるという・・・)


ヒトがAという行動の理由をA´と説明したからといって
A´が真実なわけじゃなくて、あくまでそのヒトにとってはA´という
物語が必要なんだな・・・・・・と、いちいち解釈しながら
他者と付き合うのは面倒だけど、せめて

自分は自分自身にもだまされているのだということを
ときおりは思い出すようにしたい。


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はぁー。

12月26日(土)

今日も、体調を立て直せなかった。

しかし、まあ、「この状態がずっと続くわけじゃない」と
知っているので、のんきに見守っていくしかない。

それが救いでもある。

「買い物」と、あと少し残った「庭の冬支度」を終えて
いったん金沢にもどって心の休養をとりたいのだけど
雨を理由に、今日はなにもしなかった。

夕飯をつくり食べること&テレビのうるさい居間にいるのが苦痛で
長らくぶりに夕飯の支度もせずにお布団にもぐりこんでしまった。

はぁー。

(この「はぁー」は絶望の息ではなく、しんどいけど
いずれ「また元気になるさ」という自分への信頼があり
その過程の一息「はぁー」なのだ)

「今年もあと少しなのに・・・」と、今の状況をネガティブにとらえると
焦ったり、落ち込む一方なので、ちょっと自分を遠い目線で見るのがいいのかな?


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はふぅ、本漬け

12月25日(金)

体調、改善されず、しんどい。

少々の「しんどい」はほぼ慢性抱えており
いわば友だちのようなもので
つかれ離れずの関係を維持できるように
なっているものの

今回は、少々を越えるレベルのよう。

まず、周期的なもの(誰にでもバイオリズムはあるだろう。
わたしにも自分で把握できないウツ的な大波小波がある)

それから、例年より大幅に庭の冬支度が遅れていることへの気がかり
年内にやっておきたい・やっておかなければと思うことへのプレッシャー
上記と関連して、今月は普段以上に「実家の滞在と、自宅の滞在」の配分を
意識しており、疲れていること

あと、最近の日記にも書いたけれど、わたしは親戚という付き合いに
長年の病的ともいえるブラックホール感情をもっており
過去の記憶の憑依がいまだにあって
来るお正月への憂鬱感があること

ああ、それから、女性特有の月のもののせいもあるのかな

とにかく生きる力が減退しているのが自覚できるほど
調子が悪い。

まあ、それでも、しなくてはいけないことはあり

本日は、「かぶら寿司」の本漬けをしました。

(なかなかカラダを起こすことができず、麹の発酵や、漬け込み作業はほとんど母がやり
わたしは主に「生ハム」みたいな状態になった塩魚を切ったくらいであったが)。


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しゅわしゅわ

12月24日(木)

心身の調子、めちゃ悪い。

しゅわしゅわしゅわーっと、たえず
身体から泡がでているような・・・

「だるい」泡、「やる気のない」泡
「しんどい」泡、「からだ重い」泡たちが
しゅわしゅわしゅわー。

昔なら、こんな日は寝込むに走ったものだけど
年末という、お尻に火のついたなか
がんばって仕事をしました。

16時前からの開始だけど。

主に、松の盆栽の移動の続き。

縁側にそってぎっしり置くのと
玄関ポーチにも盆栽置き場をこしらえて。

(いったん設置した台を、数センチずらすとか
移動したあとの盆栽の向きを変えるとか
なんやかやと、時間がかかるのだ。

なかには、わたしの肩の高さの盆栽もあり
腕力とは別のチカラを発揮して持ち上げ移動させたり)

一時間ちょいの作業。

ここまできたら、庭の冬支度終了も目前だ。


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記憶の憑依

12月23日(水) その2

人間は環境に左右されやすい生き物だと思っているけれど
「過去の記憶」によっても、存分に支配されるのだということを
我が身で感じた本日であった。

親戚の女子会(おばあさんたちの集まりでも女子会なのですね)に
参加している母。

わたしが目覚めたときはすでに出かけており
開催場所を聞いていなかったわたしは

帰りに母が親戚を連れて帰ってくるのではないかと・・・
おびえ過ごしてしまった。

かつて祖母が生きていた頃、毎週のように日曜は
親戚がわが家に寄って祖母のところに行っており

親戚は明るくてやさしくて、なんの非もないのだけれど
わたしの中の「人に会いたくない病」が巣くっていたあの頃

いつも日曜午後は「いないふり」するために
息をひそめる日となっており、しんどかったなー。

そういった「過去の記憶」が時間を越えて憑依して、今日は
もたなくていい恐れをもってしまい、結果、庭仕事を休んでしまった。


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陛下とお言葉

12月23日(水)

天皇陛下のお言葉、ちょっと悲しかった。

「そんなこと仰られなくてもいいのに」と

陛下に対して、申し訳なさというか(ちょっと違うか)
そんなにご自身を叱咤しないで下さいというか
かわいそうというか(これもちょっと違うけど)

まあ、そんなような方向の感情が動いた。

この御歳で、ご公務に精を出されているだけでもすばらしい。
「失敗」とか「物忘れ」とか、けっこうではございませんか。

秋ごろだったかな、ある週刊誌で、陛下の頭の老化を
せきららにとりあげている週刊誌をたまたま読んで
「そっかー。これがホントだとしたら、みな一様に口をつぐんでいるなか
よくこんな記事を書いたもんだなー」と驚きつつ

わたし自身もこのことを他に漏らしてはいけない気分になって
いたのだけれど・・・。

考えてみれば、何がタブーなのだろう?

歳をとれば、誰もが、体も頭も若い頃のようにはいかなくなる。

陛下だって、人間だもの。

実際に、老いによるご苦労はおありなのだろう。


他の人たちが、陛下ご自身による「失敗」とか「老い」の発言を
どう受け止めたのかは知らないが

わたしは、最初聞いたとき、ものすごーーくショックで

でも、今は、「開かれた皇室」をつくってこられた
天皇陛下が自らの老いを国民に語られる・・・・
とても貴重なシェアに触れたのだなぁという思いも。


さいごになってしまったけれど
陛下、お誕生日、おめでとうございます。
これからも、お元気で、その存在感を我々にお与え下さい。
(ちょっと表現がおかしいかな。どう書けばいいんだろ!)


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老母と買い物

12月22日(火)

お正月の買い物に、ちょっと早めと承知しつつ
(天候の都合などで本日がよかろうと)母を連れ行く。

久しぶりにスーパーに来た母、棚のものを床に落としても
気づかないとか、いったん手にしたものを棚に戻すとき
違った場所に返しちゃうとか、「○○が欲しい」というので
売り場に案内すると、○○を通り過ぎちゃうとか・・・・・・
まあ、そういうのは年寄りだから仕方ないよなぁと思うけど

いったんレジを済ませ、わたしが買った品をダンボール詰めして
いると、どこかに消えていた母がひょこっと商品を手にして現れ
「これ、買おうか?」と相談にくるのは

ええええ~、止めて欲しい。

(母にしてみれば、どうせ買うか、もし買わないとしてもちゃんと返すのだから
未清算の品を、精算後のエリアに持ち込むことくらい、べつにかまわない
と思っている)

もともと、わたしは一人でゆっくり買い物したい派であるが

しかし、お正月の食材くらい、母も一緒に選んだほうがよかろうと
(できるだけ彼女の隠居感を減らし、現役感を維持してもらうため)

母と連れ立ったのだけど・・・、はあ、やっぱ、疲れるなぁ。


わたしの都合でいえば
生活のあれこれをわたし一人でやっちゃうほうが
イライラしないし思ったようにできるのだけど

母の「生」ということを考えると、面倒でも
彼女自身が現役生としてやることを、見守るのが大事なんだろうな。
(手助けもあるけど、一番重要なのは見守ること)


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お休みチケット

きのう、寝床でラジオをつけたら
なかむらけんりゅうさんというお人が
膝を打ちたくなるような話を(寝床で膝を打つのは難しい・・・!)
色々とお話されていた(※)。

そのひとつが
年間十日間のお休みチケットを、子供たちに配ったらいい
という話。

(聞き手)たしかに「休んでもいい」と思うだけで随分と
心がラクになりますね。

(なかむらさん)子供に休み方を教えなくては。
そもそも親が休み方を知らないし
学校の先生も(欠席することを)良しと思っていない。
そんななか、どうやって「休み方」「ストレスマネジメント」を
子供たちに教えられるというのでしょう。

わ~ん、大賛成。

わたしはもう子供じゃないけど、これ、大賛成。

大人だって有給休暇というものがあるのだから
子供にも「自分の都合で休みたい」日って、あるよね。

わたしにも子供時代、「どうしても休みたい日」はあった。
結局は休まなかったけれど、死にたいほどの思いをして
学校に行って、それで根性がついたとか、自分のためになった
とか、そういうことって、0.000000000001ミリもなかった。

それに、「学校を休む」ことを消極的な意味あいにとらえる
必要は全くなくて、学校のワクにとらわれない体験をする日と
みればいいのじゃないかな。

「親が大変じゃないか」という問題があるなら
小学校高学年くらいから導入するって、どう?

なかには、「好きな日に休む」手段を子供に与えたら
「逃げ癖がつく」と反対する人もいるだろうけれど
わたしは今の時代、「逃げる」方法を子供に教えるほうが
大事と思う。

聞き手の人もおっしゃっていたように
実際に休むか否かにかかわらず、「休んでもいい」と思えるだけで
気持ちもラクになるだろうし。

そういえば、話は変わるのだけど
15歳~24歳の死亡の割合(2012年)は
自殺46.5%、交通事故13.1%、がん8.8%、心臓病4.4%
その他27.1%・・・というデータを見た。

まあ、実際には、若者の死亡理由の過半数が自殺なわけだ。
(日本では遺書のない自殺は自殺とカウントされていない。
遺書のない自殺は「その他」に振り分けられる、世界的に見て
オリジナルな統計なのだ。という話は、だいぶ前のブログに書いたな)

お休み上手になったら、自殺は減るか? という問いがあるならば
わたしは大いにその可能性があると答えたい。

子供の手にする「お休みチケット」は、自分の心身の調子を
自分で管理する一歩になるだろう。

勉強も大事だろうが、ストレスマネジメントとか
逃げるチカラとか、助けてと声を出す勇気とか・・・・
今の時代、そういう生きるための必殺技を教えるほうが
はるかに必要とされているような気がしてならない。

なお、お休みチケットには、「理由」なんて示す必要はない
というのがイイと思う。

(わたし、かねてから不思議だったのだけど、社会人が
有給休暇の届けを出すときに、なぜ「理由」を書く欄があるの?
「私用のため」とか「通院のため」とか、なぜ表明せねばならん?
・・・「たまにはボーっとしたいんです」とか「遊びに行くんです」とか
そういうのを書けない圧力って、昭和的だと感じてしまうよ)

休むのに、正当も不当もないハズなんだけど
「ただサボる」ために休むというのは、公にしてはいけない
暗黙の了解として、学校にも社会にも浸透している。

ちなみに、義務教育って、「子供側の義務」ではなく
保護者が子供に教育を受けさせるための
「大人側の義務」なのだったよね。


(※)なかむらけんりゅうさんは
東京大学先端科学技術研究センター教授の中邑賢龍さんでした。
この先生の仰っていたことは、そのひとつひとつが時代にマッチしていて
それに「人をちゃんと見ている」学者さんというのが伝わって
とても信頼感がありました。



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