ともみ@ピクニック

「心は自分ではない」byお釈迦様

しばらく前に読み終えた本だが
名越康文さんの
『どうせ死ぬのになぜ生きるのか』は
仏教を現在(いま)っぽく伝授する
良書であった。

名越さんの、あの柔軟で
スピリチュアルな感性の奥には
仏教があったのかぁ~と膝を打った。

気になったところを、少し引用したい。


例えば精神分析であれ、近年の神経生理学に基づいた心理学であれ、僕らはある安定した心の状態を取り出してそれを「正常」として捉え、そこから外れた状態を「異常」あるいは「病」として理解しています。この考え方は、現在の精神科医療でも基本です。

ところが仏教は「異常」や「正常」といった捉え方をしません。「瞬間ごとに変化し続けている」以上、病んだ人の心も、健やかな人の心も変化し続けているという点では変わらないと考えるからです(逆に言えば、仏教的な観点からいえば、現在に生きるほとんどすべての人の心は病んでいる、ともいえます)。

どれほど平静に振舞っているように見える人であっても、悟りを開いた聖人でもない限り、心の中では片時も収まることのない嵐が吹き荒れています。僕らの心は瞬間ごとに「正常」と「異常」の間を常に、瞬間ごとに行ったり来たりしている。きちんと社会に適応して生きている人であっても、心を病んだ人であっても、その事実そのものはそれほど変わらない。これが仏教の「心」の捉え方なのです。


―― 68頁


それは僕らが「自分の心」と「自分自身」とを同一視している、ということです。僕らが自分の心の揺れを認識できないのは、僕らが「心」というものを「自分自身だ」と強く思い込んでしまっているからなのです。(中略)現代人の多くは「自分の心、あるいは感情の動き」と「自分自身」とを当たり前のように同一視しています。しかし、仏教では、「自分の心」と「自分自身」とは別のものだと明確に定義しています。

(中略)

世の中には「感情的であるほうが人間らしい」という価値観が当たり前として定着しているように見えます。(中略)こうした傾向のなかで、僕らはどんどん「感情に甘く」なり、「感情と切り離された自分」を想像することが難しくなっているのかもしれません。(中略)お釈迦様はそうやって悩む人々に<「あなたの心」は「あなた」ではないよ>ということを説いたのです。「心は自分ではない」。このことは心理学としての仏教が到達した革命的な知見であり、二千五百年前のインドでも、現代の日本でも、変わらず人々の固定観念を覆すインパクトを持っているということだと思います。


―― 70~72頁

(『どうせ死ぬのになぜ生きるのか』より)


ひとつ下に続く


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「心の明るさは自分で作る」という合言葉

(ひとつ上の続きです。青い部分は、名越康文著
『どうせ死ぬのになぜ生きるのか』からの引用です)


「体質改善をめざす行」において大切なことは、嫌なことがあろうとなかろうと、毎日必ず一回、晴れやかで、明るく、穏やかに落ち着いた状態をつくるということ。それによって「心の基準点を上げる」というのが、体質改善を目指す行の目的です。

僕らはしばしば、暗く、気持ちの沈んだ自分を「普通の状態」だと思い込んでしまっています。それを一日一回、行によって気分を明るく、爽やかにして、それを「基準点」にするのです。

「心の基準点」を少しでも<明るい自分>に設定しておくことは、静かな心を手に入れるうえで、長期的な効果を生みます。


―― 86頁


仏教では僕らの人生を大きく決定づける癖や習慣というものは、その人がそれまで生きてきた人生、生活習慣、ひいては遺伝子みたいなものを含めたあらゆる「過去」の影響によって生じた因縁であると捉えます。そして、「行」に取り組むことによって、そうした過去の因縁から脱却することができると考えるのです。(中略)

行というのは、「なぜやるか」を理解せずに「ただやる」ことが大切だ、ということを先に述べました。行に取り組むことは、大抵の場合その人にとって多くの違和感を引き起こします。しかし、そういう「その人の人生からかけ離れた身・口・意」を日常に持ち込むことによって初めて、その人がそれまでの人生の中で無意識のうちに培ってきた癖や習慣をリセットすることができるのです。

このことは実は「未来への不安」を消すことにもつながります。僕らが未来に対して抱く不安というのは、だいたい「過去の因縁」によって規定されています。僕らは自分が過去にやってきたこと、考えたことを繰り返そうとしたり、繰り返すことに不安を覚えていることが多いのです。「行」は過去の因縁を断ち切ることによって、未来にそれが繰り返されることも防いでくれるのです。(中略)何年も、何十年もの間に形づくられてきた人生の大きな流れすら変える力を、「行」は秘めているのです。


―― 126~127頁


正直、名越先生のおっしゃることは
アタマでは理解できるけれど、それを
身をもって実践しているかといえば、現在
一割にも満たないだろうわたしである。

それでも、機会あるごとに
こういうことに心を留めておけば
今後の一助になるのではないか
(知らず知らず自分を洗脳したり
理のカケラが潜在意識に残ったり・・・)
な~んて甘い期待も。

ま、なによりも大事なのは実践だ。

この本は、引越しをする前後の日々
読んでいたものであり、そのとき

一番、身に迫ってきたのは「行」の話。

なにも、お経を唱えたり、滝に打たれたり
仏門に入って修行するだけが行ではない。

日々の生活、名越式なたとえでいうと
眼鏡を黙々と磨いたり、テーブルをきれいに清めたり
床を雑巾がけしたり・・・、そういうことも「行」になるのだ。

うん、わたしも
お掃除という行を精進したい。

(と、思ったのだった。
現在はお掃除もサボリがちだな~)

なお、名越先生は
「心の明るさは自分で作る」という合言葉
を掲げていらっしゃる。

行をするときの励ましの言葉である。


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『情熱のシーラ』など

9月27日(日)

本日は、先祖のお墓のあるちょっと小高い所の道を
草むしりするの大変だからシートを敷かない?と
かねてより提案していたコトを実行。

ふーぅ。

今は、数年前に熟年単身移住してくれた
母の弟のお嫁さんが管理してくれているのだけど
いずれは、(もしわたしが実家に戻るなら)
ここのお世話をわたしがせねばなのだなぁ。

まあ、ここは気持ちのいい場所であり
それ自体はとても幸せなことなのだろう。

それにしても
シートを敷いただけで、わたしはお疲れモードなのに
T子さんは周囲の草刈りに励んでいて
その体力に頭が下がるのであった。

   *      *      *

お夕飯は
過日の鉄板焼きで残ったお肉を冷凍しておいたのを
特製ダレに昼から漬けこんでおいたので
野菜もたっぷり加えて焼いたのと

山でとれたキノコをもらったので
おつゆにしたり、など、わりと簡単に済ませる。

   *      *      *

だんだんと面白くなってきたドラマ
『情熱のシーラ』が来週で最終回だと!

うぇ~ん、さみしいよぉ。

昔のモロッコ、ポルトガル、スペインの町並みも
今ではアンティークと称される重厚な調度品も
女性たちの華やかな衣装も、うっとりだし

主人公のシーラの輝きが回を重ねるごとに
増しているように見えるし

なにより、先々週あたりから
ドキドキ感が急上昇のストーリーで

これからの展開が楽しみだったのに。

(ちなみに、こちらの方のブログに
http://ameblo.jp/dogumogmog/entry-12078007288.html
とても上手くドラマの特徴がまとめられていて
にこにこ読ませていただいた)

それにしても
茶の間で外国ドラマを堪能できるとは
恵まれた時代だよな~。


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たまには歴史の勉強も

肝心の講座であるが
うーん、テーマである古刹自体に触れる時間は
あまりとられず、そのお寺ができる以前の話が
長すぎて、ちょっと期待はずれだったかなー。

以下、学んだことのメモなどを。

そこは臨済宗のお寺であるのだけれど
開祖のお方は、曹洞宗の
徹通義介禅師や瑩山紹瑾禅師とも親交があった
(このお二方は金沢のD寺でお名前を聞いていた)
と知り、ちょっと興味をもった。

あと、お国の境を牛耳っていた人たち
(今でいうヤクザ者のような存在)とのつながりが
あったから、派閥を維持・広めていくことができた
なんて話もあり、ほおっと思った。

歴史好きの人ならば常識かもしれないが
ほかにも勉強になったことはある。

「聖(ひじり)」って、お寺の経済を支える方たちだったのね。
坊さんではなく、坊さんを助ける人々。
全国をまわってお金を集めたそうな。
有名なのは、善光寺聖とか。

時代劇の虚無僧がかかげる「明暗」って
ワシらは明暗寺の所属です、という意味だそう。
(もともと関が原の合戦などで失職した武士たちが
虚無僧になるのを奨励された。
そして虚無僧を束ねていたのが明暗寺というお寺。
明治になり、この身分は禁止された)

そうそう、余談ながら
曹洞宗は、めちゃくちゃゴタゴタした時代があって
「そうどう(=騒動)宗」と言われるのがイヤで
「そうとう宗」と呼ぶようにしたのだ、という
脱線話はおもしろかった。

ふうっ。

というわけで、午後は
慣れない方面の勉強をしたのだった。

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公民館。そして秋刀魚

9月26日(土)

実家からそう遠くないところにある古刹の
歴史を学ぶ、という企画があるのを知って
地元の公民館に初めて行ってみる。

受付で名前と住所を書くよう求められ
姓名を記した段階で、すかさず
「・・・・うちの息子と同級生じゃない?」と
受付帳の向こう側に立つご婦人に声をかけられて
「ううっ、やっぱり狭い世界だな」と思う。

だだっ広い座敷には百ほど座布団が敷かれ
爺さんたちは右、婆さんたちは左と
きっちり座る場所が分かれていたぞ。

(爺さん婆さんと書いたのは、わたし以外は
みな70歳以上くらいの人たちだったから。
ちなみに参加者は5~60名くらい)

もちろん男女別の席割があったのではなく
はじめに座った人に習い、おのずとそういう
座り方になったのであろう。

ほかの人と違うことをするのを極度に恐れ
出るクイは打たれないようにし
「そんなことしたら人が笑う」を繰り返し口にして
何十年と暮らしてきた住民たちには

・・・・わたしはそんな環境で育ってきました。
まあ都会の人には信じられないでしょうが
いまだ住民の暮らしや地域の運営などは
伝統や長いものに巻かれる式で成り立っている・・・・

たとえていうならば「列を乱して座る」ことが
できないのですな。

わたしも当然、婆さん席に座ったのであった。



お夕飯は、今年4回目の秋刀魚。

魚は焼くと、EPAやDHAが2割ほど流れ出るので
スープーにすると良い! とテレビで観たばかりだったので
そのつもりで買ったのだけど

いざ、秋刀魚を前にすると、「塩焼き」にしたくなり
・・・塩焼きが秋刀魚の一番美味しい食べ方だと思う・・・
さっと洗って、薄く塩をして、いつも通りグリルして

スープーは、根菜と冷凍ホタテのトマトジュース味に
したのであった。

いずれも、おいしゅうございました。


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一億総活躍って!?

このたび首相が掲げた
「一億人の活躍する社会」の題目を見ただけで
げっそり、気のめいったヒトは
日本中でけっこうな数いるだろうと、推測する。

んで、わたしは
Gotchさんというお方のツイートに頷くよ。
一億人が活躍する社会よりも、あんまり活躍してないヤツとか、へろへろしてるヤツとか、引きこもってるひととか、困ってるひととか、いろいろな人間がいてもいい社会(それが当たり前なんだけど)、寛容で包容力のある社会のほうが生きやすいんじゃなかろうかと思う。https://twitter.com/gotch_akg/status/647558120231669760

誰かが誰かを輝かせようなんて
発想自体が気持ち悪いし、傲慢だし

(「政府」が「国民」を輝かせようなんて
おそろし過ぎる!)

一億人という数は全体主義の臭いを
ぷんぷんさせているし

(カラダの都合やココロの都合で
思うように身動きできないヒトは、こんな題目で
自分を卑下しないで下さいませ)

それに「活躍」って、社会的評価が主眼で
・・・つまり自己の満足度とか関係ない・・・
見方によっては面白みのない話でもある。

まあ、もちろん
「労働力欲しい」の本音の言いかえが
あのお題目になったのだろうけれど

わたしには気持ち悪くて仕方がない。


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このごろのご飯

9月25日(金)

新居では、まだ台所の環境が整っておらず
引越し以来、スーパーのお弁当やお寿司、惣菜
そしてカップ麺などを食べるという、まことに
身体にもお財布にも優しくない状況が続いている。

(夜はお酒を飲むので、どうしてもツマミ系のものを
選びがちで、塩分や脂質を摂りすぎだろうなー。
そして圧倒的な野菜不足だ)

今日は実家に帰る予定だったのだけど
クヨクヨを深める&心の整理のために日中ブログを書いて
いたら、つい実家に帰る支度をするのが遅くなってしまった。

結局、金沢駅の2階のスーパーで
タイムセールのシールの貼られた
鯖の竜田揚げ弁当と、サラダ3種盛り
(サラダといっても、緑の野菜は少ない)
あと母ちゃんの朝ごはん用に「巻き寿司&押し寿司」
セットを買い

夜の10時頃、実家に到着。

ああ、明日から、ちゃんとしたご飯を食べよう。

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友だち保険

過去からの情だけが、某々と
繋がっている理由なのかといえば

ほかに「我の損得勘定」もあるのだ。

わたしは随分と人付き合いをしない人間に
なってしまったが、某々と繋がっていれば
・・・間接的な世界がもてるというか・・・
共通の友人たちの情報がおのずと入ってくる。

さらには、老後、超おさびし人生となったとき
(現在人付き合いを大切にしていないのだから
その可能性は高い)、某々が数少ない
「茶飲み友だち」になるという計算もある。

友だち保険、なんと貧しい精神なのでしょう、わたしは。



かつて、ずーっと、ずーっと昔

あまりの某々のマイペースぶりに嫌気が爆発し
わたしは裏切り行為というか、大変失礼な態度を
某々にとったことがある。

当時は、わたしが関東、某々が日本海側に住んでいた。

で、某々はわたしの気持ちお構いなしに遊びにきて
・・・わたしのスケジュールが空いていれば、遊びに行くのを
当然受け入れてもらえる、という感覚で・・・

先にも書いたように
昔のわたしは男女関係なく友人を自宅に泊めるのが
平気な人間だったので、某々も当たり前の顔をして
いつも泊まって行ったのだった。

まあ、ときには断ることもあったとは思うが
それ以上に
「友人は大切にしなきゃ」という思い込みと
「いいヒト」の顔をしたい願望が今より強かった
当時のわたしは、某々を拒絶しきれなかったわけだ。

その頃のわたしは、某々が
「仮に、ともみには彼氏がいて、オレの行動が迷惑になって
いないだろうか?」なんて想像は全くしないのだなー
ホント無神経な奴だと、勝手にイラついていた。

(まあ、昔も今も、その点変わりないか)

ちゃんと相手がNOを理解できるまでの意思表示はせず
(相手の感受能力に合わせて、ねばり強く説明はせず
・・・・・ ↑ なんだかエラソーな表現だな、すみません)
自分流の「分かってくれよ」サインをちらちらと出すだけで
まあ、わたしにも落ち度はあったのだけど。

話は戻る。

わたしの失礼な態度は、強烈なショックを某々に与えたようで
以降、ぱたりと、某々から連絡がくることはなくなった。そして
のちに伝え聞くところと、タイミング的に考えて
この一件が某々のその後の人生を大きく変えてしまったようなのだ。

しかし十年以上の歳月が流れ、あることをきっかけに
ぽつりぽつりと旧交を温めなおすことになり、今に至るのであるが

(数年前に某々の味わったある痛ましい出来事は
わたしが十数年前にとった「失礼な態度」に由来しているのだと
ものすごく悩んだこともある。・・・・・これは某々にとって
あまりにプライベートなことなので書けないが)



うーん。

日本人的な態度をとるならば
はっきり相手にNOを突きつけずに離れていくのが
よろしいのだろうけれど

(何度も書いているが、某々はそういうところが極端に鈍感なので
わたしの気持ちを察してもらうのは過去の経験からしても
易しいことではない)

でも、本当は、包み隠さず
(相手を傷つけるのを覚悟で)
本音を伝えたほうがいいのかなぁ。

まあ当分は猶予があるので、これをもって
しばらくは某々のことを考えるのは止めよう。


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反省会

反省すべき点。

わたしは「自分の基準」にハマリ過ぎ。

(某々に頼まれたわけではないのに)
泊まるところの心配をして、懸命に宿を探したり
ネットカフェで泊まるのはかわいそうと思ってしまう
のは、わたしの身勝手なんだ。

昔の感覚をひきずって某々が、わたしの新居に
泊まるのを当たり前と思っていたとしても
それは某々の所望に過ぎず
わたしは罪悪感なく、断ればいいのである。

(某々がわたしに何かを期待しても
それは某々の勝手=思いの暴走、なのであって
わたしがそれにフリまわされる必要はない。
=腹を立てる必要はない)

親しく交友してきた積み重ねの歴史とか
わたし自身が旅先で色々なもてなしを受けてきた経験とか
あるいは単なる性格などから

お世話になったり、親しく交流してきた人には
「おもてなし」しなければと自然と思ってしまうのだけれど
・・・しなければ、ではなく、ホントは「したい」なの。
すっかり忘れていたが、わたしは基本的に人様を
「もてなす」のが大好き人間なのだ。今は薄れてるけど・・・

(かつてのわたしは、某々に限らず気軽に友人を泊め
相手によっては先に出かけるときはカギまで渡す
ということを、何の躊躇もなくやっていた)

~ふうっ。上記を書いていて
あまりの自分の変貌ぶりに、自分で驚いた。
わたしにも社交的な時代があったのだなぁ。
まあ、本質的には「ひとり大好き」で、現在はそれが
やや行き過ぎた感じになっているのかもしれないけれど
わたしは「人をもてなす」のも実は好きなのだなぁ~

話が飛んでしまった。

ええーい、戻す。

「もてなす」は、わたしの身勝手な思いなのだな。

某々が何の計画もなしにやってきて
わたしが放っておいたら
ぽかーんと時間ができて困ってしまう
事態になろうとも

それは某々の責任であって、わたしが気に病むこと
ではないのだ。

こう考えるのは、わたしにとってたやすくはないけれど
今後はこういうふうに考えるようにしたい。


それにしてもなぁ、某々といるときの
快適ではない感覚を

「エネルギーの違い」
と理解すると、しっくりくる。

まとうエネルギーが互いに違うんだよね。

わたしにとって、某々との関係は
「青春の思い出」という情がつなぎとめていて

だけど、エネルギーが違いすぎると
一緒にいても、しんどいんだ。

ふうっ。

某々との関係は顕著だが、ほかの昔の友人との
関係についても同じことがいえるかもしれない。
(今はほとんど会っていないので、実感する機会がないだけで)。

相手ではなく、わたしの変化なのであろう。
(あるいは両者の変化)

某々とは、互いの長所も短所も知っていて
わたしが助けられることもいっぱあった。

でも、もう一緒に空気を吸う時代は
終わったのかもしれない。


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頭がネガティブ方向に暴走

あー、頭のなかの
一人グチ合戦が、止まらない。


やっぱり某々と喋っても、楽しくなかった。

わたしが某々の話に興味をもてるものは乏しいし

こちらの話、たとえば

田舎のスローな生活のあれこれを話しても
向こうは興味がなさそうだし

スピリチュアル哲学の話をすると
向こうは嫌悪感むき出しになるし

こんなすごい人がいるよ、あんな面白そうなこと
している人がいるよ、と話しても

イヤソーな顔して聞いているなと思ったら

翌日には、その話の反応として
「みんながみんな好きなことして生きられるわけじゃないんだ」と
言ってくる。

はぁ。

完全にチグハグだよな。わしらの感性。

某々は「昔の俳優はすごい。今のはダメ」と言うけれど
「今どきのドラマや映画をチェックしているのか?」といえば
そんなことはないらしい。

「学生時代ほどドキドキできる体験はこの先ないだろうなぁ」
と、いつもの懐古主義な会話をふってくるので

(わたしの内心 → 学生時代の体験はたしかに貴重だったけど
いつまでそれをあがめているの? わたしはその後
「一人海外」を何度もしているので、わたしにとってはそっちのほうが
学生時代よりもはるかに大きな体験だよ。貴方の世界は狭いよ。
・・・・でも、そんな内心を話すのは面倒だったので)

はぁぁ~、まただぁぁと思いつつ
「現金もクレジットカードも、ネット器機も持たず
パスポートだけ持って、ニューヨークにでも行ってみればいいんじゃない」
と、厭味には聞えなかったかもしれないが
わたしにとっての厭味を言っておいた。

要するに
二人は気が合わない関係なんだ。

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某々帰る

9月24日(木)

昨日は、温泉から街に戻ったら
それで解散したいと思っていたのだけれど

(某々にはそこまでは話さず、事前にただ
「23時までお付き合いするのはむずかしい」
とだけ伝えてあった)

ここが、わたしの弱点でもあるのだが

「ここで某々を一人にするのはかわいそうだし
申し訳ない」との気持ちが募り

結局、某々が帰りの高速バスに乗る
23時台までお付き合いしてしまった。

(途中で、わたしは自分の気持ち
・・・かわいそうだし申し訳ないから、もう少し
付き合うよ・・・を話したとき、某々は黙って聞いていた)

別れの前、「今度は新居におじゃまさせてね」と言われたけれど
(しかも何度も。よほど新居に興味があったらしい)
わたしはあいまいな顔をしておいた。


そして、某々のいた二日間が過ぎ
日常が戻ったはずの本日

しかし、わたしの頭はいまだ
悪魔にのっとられたような状態のまま。

某々と一緒にいて、いっぱい笑ったし
いっぱい喋って、いっぱい互いの価値観を
ぶつけ合ったけれど・・・

正直、もう二人で会うのは止めたいな、と
(前に会ったときも同じことを思ったな)
思ったのであった。

わたしにとって、某々は
青春時代を濃厚に共有した友人であり

これを詳しく説明するのは控えておくが
「単なる友だち」じゃない、深い因縁をもって
互いにこの世に生まれてきたといわざるをえない
ようなモノを昔から抱えており

たぶん、これまで生きてきて知り合った
大勢の人たちのなかでも、ひときわ
特別な存在なのだけど
(念のために書いておくが、恋愛感情ではない)

もう某々と二人きりでは会いたくない。

だって、楽しくないもん、とやっぱり思うもの。

某々と二人でいて味わえるのは
昔からの付き合いあるゆえの安らぎとか、情とか
・・・それだけだ。

あ、あと、某々の優しさとか、わたしに対する信頼感とか
それは揺らぎなく感じるのだけれど

それらをもって「つまらなさ」が消えるわけじゃない。

どんなような話を某々にしたら喜ぶ、と分かるけど
今のわたしにとっては興味のない話題だし
(昔は多少は相手の興味に合わせて会話もしていたが
某々にそんなことをしても増長するだけだし・・・
今では自分の興味の薄い話には、わりと正直に顔に出す
いたってサービス精神の低い人間になった、わたし)

話せば話すほど、過去の価値観にしがみついて
思い込みが激しく、世界が狭く・・・・と某々が映り
(って、これはお互いさまかな。昔はこれに
若さが補って仲良くやっていたけれど
ごめんね、今では魅力のかけらも探せない)

わたしが色々と某々を受け容れない言動を示しても
(家に招かないとか、昨日も午前は自由行動にして、とか)
某々にとって、それは「ともみ側の都合」の話であり
「オレが嫌がられている」とはみじんも
感じないようなのである。

遠慮をしないとか、鈍感力とか
それは細かく他人を気にしすぎる現代においては
たぐい稀な能力なのだろうけれど

某々のわたしに対する(昔の感覚のままの)
甘えは、イラついて仕方がない。


つづく

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湯涌温泉

9月23日(水)

バスで湯涌温泉へ。

ちょこっと散策ののち
(普段は車生活で、喫煙家で、運動せず
の某々には、それだけでも疲れたらしい。
わたしは高尾山にも登ってみたかったけど
断られたので、今度一人で来ようっと)

金沢駅で買ったお弁当
・・・某々は利家弁当という駅弁。
わたしは大名巻き・・・を食べ

休日の午後をかみしめる。

それにしても、セミ、「ここは8月?」というくらい
盛んに鳴いてたな。

赤とんぼも、びっくりするくらい
いっぱい飛び交っていて。

街からバスで30分ほどなのだけど
里山のなかにある、しずかな温泉街
わたしは湯涌温泉が好きである。

(もちろん、公衆の日帰り温泉にも入った)。

そうそう、温泉街から少し離れたところにある
「江戸村」がとても面白かった。

江戸時代の、商人の家とか、豪農の家とかが
移築されているの。

仏間があって、座敷があって
居間があって、縁側があって・・・・と

日本家屋の基本は江戸時代には
もう出来上がっていたのね。

(平成育ちの都会の子は、この基本を知らない
子も多くいるのだろうなー)

柱や木の戸や床などの
なんともいえない重厚さ・・・

わたしの先祖の家も、わりと近年まで
「築ゆうに百年超え」で現存していたので

この江戸村で見る家屋には
懐かしい要素が満載であった。


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観光一日目

9月22日(火)

太平洋側から、某々やってくる。

今日は「ひがし茶屋」辺りをメインに観光。

といっても、すんごい人出で
のんびりと茶屋街の情緒に浸るわけにはいかず
人とぶつからないように歩くのみ、って感じ。

まあ、100年以上は経つ建物も並ぶ
尾山町も歩いたりして

古さと新しさの混在する金沢のよさに
某々もあたらめて魅了されていたようである。

(なにげに、玉川図書館を一番気に入っていたかも。
タバコ休憩したいというので、玉川公園に連れて行った)

夜は、(お安いドミトリーの宿をとったのに
「ネットカフェのほうがいい」という某々なので、それはキャンセルし
・・・などのモロモロは省略しておく)
ほどほどお酒を飲んだあと、一人で帰宅。


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某々と、わたし

なにより、わたしの心がブルーなのは
某々と一緒にいても楽しくないからである。

昔は、いい仲間であった。
(今も「仲間」としてはすばらしい関係だろう)

以下、わたしの心のなかの暴走・・・

某々は「自分で時間をコーディネート」できない
というか、一人をたのしめず、休暇ができると
昔の友だちに時間を埋め合わせてもらおうとする。

(「フットワークが軽いね」と某々を見る人もいるようだけど
わたしには、某々が新しい人間関係を築いたり新しい世界を拓こうとせず
昔の仲間に依存しているだけに思える)

そして、我々の歴史というか、親密な仲間付き合いの過去があり
またわたし自身の性質も大いに影響しているのだけれど
「もてなしてあげないといけない。寝床も用意してあげなくては
いけない」と、思ってしまうのだ。

某々は、まもなく50になろうという男性だ。

ちゃんと宿を予約して、それで(女性である)わたしの所に来る
というのが一般的な、男女の友人のマナーだろうが

(ちなみに、某々とわたしは一切の肉体関係はないが
卒業後、互いに住む地方が変わってからも
某々は何十回とわたしの部屋に泊まっている)

今回も、そんな気遣いは一切していないようである。

前に某々が金沢に来たときも、当たり前にわたしの部屋に
泊まるつもりだったのだろうけど、それがイヤだったわたしが
「ホテルを予約しようか」と言ったら、返ってきた返事は
「ネットカフェに泊まる」であった。

はい、はい。

わたしも、Uターンしたあと、都会に遊びに行ったとき
何度かネットカフェという所に泊まったけれど

某々がネットカフェに泊まるのを
黙って見ていられるほど心臓強くありませんの。

(かわいそう、とか、自宅に泊めてあげなくちゃと、思ってしまうの)

それで、前回は、しぜんと
夜行バスで早朝到着した某々をアパートに連れて
いって、仮眠をとってもらい、ご飯を用意し
日中は外に出て観光などをしたのだけれど
夜も家でご飯を食べたので「このまま、出て行け」とはいえず
結局、泊めることにしたのだった。

(あっ、しかし、そのあと、北陸の金沢以外の場所で会い
一日一緒に遊んだことがあり、その日
某々は当然のように金沢に来て夜を過ごすつもりだった
ようなので、それにイラついたわたしは
北陸の慣れぬ駅に某々を一人残して帰ってしまった
ということもあったな)

まあ、お泊り問題はおいといて

(関係ないが、金沢に遊びに来てくれた
男友達は数少ないけれどほかにもいて
彼らはちゃんと宿を自分で用意してきてくれたので
それだけで、わたしは「すばらしい」と思った)

一番重要なのは、某々と話していても
楽しくない! という問題だ。

こういっちゃあ、なんだが
30年も前から知っていると、某々の
話すことはおおよそ見当がついてしまうのだ。

そして、それが面白くない。

懐古主義か、夢ロマン物語。
(夢を語るのはいいが、実行をともなう様子のない
夢をいつも語られるのは、聞いていてつらい)

二人で盛り上がる話といえば
「共通の友人のうわさ話」くらいだ。

また、わたしの興味あることを話しても
某々にはピンとこないどころか
彼には好きではない話らしく
まっこうから反対するようなことを言われ
超つまんない。

そう、わたしは某々といても
つまらないのだ。

二人をつないでいるものは
(彼からしたら別の見方があるかもしれないが
わたしの側から見たら)
「過去の友情」だけなのである。

もうちょっと頭の暴走を書いておくと

昔から、そして大人になった今も
食べるお店にしろ、遊びに行く場所にしろ・・・
ぐいぐい男らしく某々が引っ張るということは
ほぼなくて

二人でいると、色々とリードしてあげなきゃ
という気分になるのも、ああ、面倒くさい。

(「してあげなきゃ」では、随分、わたしがエラソーだ。
「リードしなきゃ、ものごとが進まない」と訂正しよう)

そんなわけで
(詳しく書こうと思ったら、まだまだありそうだが
ここら辺でやめておく)

あすの昼にやってくる某々のことを思い
本日は悪魔にとりつかれたような
ひとり勝手に怒ったり、いらついたり、憂鬱になったりの
めずらしく頭痛までして
さんざんな日であった。


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憂鬱マグマ

9月21日(月)

朝、金沢に戻る。

わたしの頭のなかは
怒りのマグマ、いらつきマグマ、憂鬱マグマ・・・
に占領されまくりの一日であった。

先週の木曜日に、約30年来の
腐れ縁的な友人
(イニシャルではまずいこともあるかもしれんので
ここでは「某々」と名前をつけておこう)
から電話がかかり
「来週金沢に来たい」という用件であった。

わたしは、あーでもない。こーでもない。と
普通なら「じゃあ、止めるわ」と相手がなるような返事をして
いたのだけれど
(来週の連休には実家でやりたい仕事があったし。
なにより、某々に会いたいわけじゃなかったので)

「邪魔になるなら、行かないけど」という某々の言葉に
思わず「いいよ」と返事をしてしまったのだ。

この夏も金沢に来たいという某々を断った経緯があり
「自分の気持ち」よりも、「昔の友人は大事にしなければ」という
心のなかにある人付き合いマナーが最優先したのである。

(そして、その場では「チケット取れたら行くね」ということで
電話が終わり、日曜の夜までなんの音沙汰もないので
「来ないのかもね。実家での用事を入れよう」と思い
念のための確認メールを送ったら、「行くよ」の返事があって
ふんぎゃあ!!と、少々腹の立った我なのだった)。

ああ、憂鬱。

(憂鬱のなかみは、別途書く)


しかし、今日は嬉しくなることも
ひとつあったぞ。

新居のすぐ近くを流れる川のわきを歩いたら
秋の花が満開であった。

ピンクやオレンジのコスモスに
ケイトウの花、そして名前の知らぬ花々・・・
さらには彼岸花まで。

お~、彼岸花、近年めっきり少なくなったよな。
(今年初めて見た)

自然にこれだけの花が育っているとは思えず
どなたかが植え、お世話しているのだろう。

近所の人、通勤・通学の人の目を楽しませてくれる
ほっとエリアなのだった。


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