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悪意のない「善意の意見」

☆ひとつ下のつづき☆

「何事も経験したほうがいい」は、その通りかもしれず
その論にのって「結婚も一度はしたほうがいい」と
言えるのかもしれない。

しかし、この意見を寄せた人の頭の中って

人にどう見られるか? に占有されているようで
(実際に、「自分の場合は・・・と見られている」とか
「未婚者は・・・と見られている」と、自分の価値観でなく
すべてが他人の目というもので判断している)

わたしには彼女の意見がまったく染み込まず

・他者の視線で自分の価値観が形成されていること
・その可笑しさを全く気付いていないこと
・さらに善意の意見を押し付ける自分に疑問をもたないこと

これらのことが気になってしまった。

ふーうっ。

百歩譲って
結婚した経験のない人は「欠陥がある」としよう。

で、それの何を問題にするのだろうか?

結婚をしたら、欠陥がなくなるの?
(配偶者で欠陥を補うという裏技があるのかも!)

そもそも、結婚未婚にかかわらず
欠陥がない人なんて存在するの?

それに、また百歩譲って
恋愛経験ゼロの未婚者がいるとして

「恋愛経験がない」ことは、ちっとも悪いことじゃない
と思うよ。

その人は「恋愛未経験」という、恋愛経験者の知らない
貴重な経験をしているともいえる。

(えっと、結婚経験者でも、恋愛経験ゼロの人がいても
なんの不思議もないことも、言い添えておこう)


ここから先は話がズレるのだけど

わたしはそもそも

「人生相談にのってあげる自分」を誇らしいと思っている人間
というものが、胡散臭くて仕方ないのだ。

人が悩みや相談を寄せるのは、相手に人望があるから
とは限らず、単に自分の愚痴を聞いてくれる相手が欲しいという
場合が大半なのだろうと思う。

(案外、そういう話を気軽にされるということは
「そういう話をすると、この人は喜ぶ」オーラを放っているのかもしれぬ)

そもそも、自分が人さまの悩みの答えをもっている
と思える時点で、すごい驕りだとも思うし。

(ちなみに、わたしは昔から、そう親しいとも思えない相手から
べと~っとした感じで悩みや相談事を聞かされるのが嫌いで、逃げ回っていた。

大昔、派遣で働いていたとき、ある派遣先の年下女子社員に、悩み事をもちかけられそうになったのだけど、わたしは、彼女が「この人に自分の悩みを(下手を装って)しておけば、この人は自分の味方になってくれる」ふうな考えをもっているような気がしてならず、逃げ回っていた。はたして、わたしの思い込みで彼女に悪いことをしてしまったのか、あのとき逃げ回ってよかったのか・・・、今でも分からない

だから、先の意見を寄せた人が、自分は経験豊かな人間で
「恋愛や結婚生活の相談を受けている」ことに満足し
そのことにより自分自身を高評価していることに
わたしとは異質(謎の生物)だなとの視線をもたずにはいられない。
(はい、相手もわたしをそう見るのでしょう)

おそらく何の悪気もなく、「善意の意見」のつもりなのだろうけど
あんなふうに自分の世界を「世界標準にしてしまう」のって
こわいことだな~と思った。



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結婚未経験者への(とある)視線

「一度は結婚しておいたほうがいい」とは

昨晩のロケ兄のラジオ番組で紹介された
離婚経験者(女性)リスナーからの意見。

なんでも、その人は
「結婚離婚の経験があるので、酸いも甘いも噛み分けた人として
よく恋愛や結婚生活の相談を受けており
かつての配偶者とは年に数回連絡をとりあっている」など
ご自身の経験と立場にとても満足されている旨を訴えていた。

まあ、そこまでは
「ふ~ん、そういう人もいるのだなぁ」と聴いていたが
それに続く話には、!!!!???となってしまったぞ。

四十歳になっても未婚だと
「なにか欠陥があるのじゃないか」とか
「恋愛経験がゼロなんじゃないか」とか
周囲の人は腫れものに触るように、その人に接しているんですよ
(だから結婚しましょう)だなんて。

あー、ビックリした。

結婚未経験者(=わたし)が、自身の経験として
腫れものに触られているようで居心地が悪い
と愚痴るのはすごく理解できるが

実際に、結婚未経験者に対して
そう思っている人がいるのだねぇぇ。

「気のし過ぎ?」「自意識過剰?」と、これまでは
おのれを諌めていたけれど
確かに「そういう目」は存在するんだねぇぇ。

納得というべきか、発見というべきか
自分でも「どう理解」すればいいか分からんな。

なお、この意見に対してロケ兄は
「どんな価値観も他人に押し付けるのはよろしくない。
(本人にとってそれが素晴らしいものであっても)
他人に無理強いはね・・・・、これはイエローカードかな」
と感想を述べておったとさ。


以下、つづく・・・


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老親との心の距離

7月18日(土)

昨晩、実家に戻る。

ううーっ、母、意気消沈して
おりまする。

雀がつばむほどの食欲しかないし
声も小さく、元気がない。

実家をたった2~3日離れているだけでも
「まだ帰って来ないのぉ~」と言ってくる
このお方は、極度の「さみしい病」を患っている
のであるが

(一週間がいまのところ、一人でいられる限度かな。
一人といっても、ご近所さんも畑友達も親戚も近くに
いるので、毎日おしゃべりする相手はいても
それでも寝食をともにしてくれる人がいない生活は
彼女にとって、心身が縮むほど寂しいらしい)

本人曰く、「この前、とうもろこしを山ほどもらって
食べ過ぎて、下痢をして、それから食欲がない」との弁。

ふうっ。

食べ過ぎと夏バテだけが原因ならいいのだが。

ここで、わたしは自分に語りかける。

心配するな、とは言わないが、彼女の寂しい病に
わたしまで巻き込まれるな!

ここで「お母さん、心配だわ」と、わたしが過保護になれば
ますます彼女は甘えを出してきて、共依存の共倒れにもなりかねない。

それに、レーネンさんの教えをわたし流に解釈すれば
母は母の人生と格闘しているのであり
むやみに手を差し伸べるのは、彼女が今生学ぶべきことを
邪魔していることにもなる。

さすがに育ててもらった恩もあるし、老親を放ってはおけないのではあるが
うまく距離をとらなきゃなー。

生活のケアをする
(でもやり過ぎは禁物。彼女の自立心を少しでも維持できるように)
心のフォローも少しはする
(先にも書いたが、下手すると、共依存の共倒れになりかねないので
ここは注意が必要だ)

その加減がまだ確立できているとはいえない。

しかし、そんなことを考えられるのは
母が現状を維持してくれることを前提とした話であり
80代の彼女、いつまでこの生活が続くかは誰にも分からず
「新しい生活」にシフトする必要がいつ生まれるか・・・
心の半分では覚悟もしていないとな。

そして、どんなときでも
わたし自身が「母の犠牲になっている」という
思いにとらわれないようにしなければいけない。

好きなことをして、心に自由の風を吹かせていよう。


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「自分探しの旅」を鼻で笑うな

どうしちゃったのか自分でも分からないのだけど
「自分探しの旅」というものが、あまりに世の中で疎まれていることに
むむむむ~っ、と、反抗したくなった。

「自分探しの旅」という言葉そのものを嫌悪している人もいるし
そういう言葉を使う者の人間性を幼稚に見るというか
小バカにする風潮は間違いなくある。

なんで、そこまで小バカにせにゃ、ならんの?

人生なんて、そもそも旅なのであり
実際の旅行に出たくらいで、そう簡単に自分が見つかる訳がない
きゃははは~、甘ちゃんだね~ という「上から目線」の意図が
隠れているとは思うのだけど

大目に見てくれりゃあ、いいじゃんね。

自分探しの旅のなにが悪い?

旅なんかせず、足元見ろよ! という人には
あなたは足元を見続けて、なにかいいものを拾いましたか?
と問いたい。

旅はね、目的なんてもつものではないんだよ、という人には
「目的をもつものではない」という決め付け自体がファックーなのだ
と言いたい。

そんな甘いものではない
(旅したくらいで自分が見つかれば、人生は苦労せん)
と思っている人は、未体験の空論からその結論が導かれているのでは
ないだろうか。

確かに旅したくらいで自分は見つからないのかもしれない。
(ほとんどの場合は見つからないだろう)。
でも、それのなにが悪いのか? わたしには分からない。

「自分を探したくて旅をして、でも見つからなかった」という
経験をしたこと自体が貴重なのだと
わたしは思うよ。

自分探しの旅、今現在のわたしが使うには
「こっ恥ずかしい」ニュアンスを感じないわけではないけれど
自分以外の誰かが「自分探し」を自覚して旅しているのを
鼻で笑うような人間にはなりたくない。

自分探しの旅、いいと思うよ。
20歳でもいいし、40歳でもいいし、70歳でもいい。

若者だから「自分探しの旅」は有りで、中年や老年になったら
「そりゃないよ」はないと思う。

自分を分かっていない人間(つまり人類のほとんど)が
中年や老年の「自分探し」を笑うな!なのだ。

生きることは自分を探す旅なのだから、その方法は
人それぞれだ。日常を離れて、それを
「特に意識する」時間があってもいいじゃないの。


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あちこちの神様

7月17日(金)

ここ数日、睡眠がほんと上手くいかず
体だるだるなのに、今日は午前中

がるるるる~(怒り!)な電話があり
(いつもは寝ているあいだの電話はとらないのに
今日に限ってとってしまった)

ますますの睡眠不足&がるるるる~
(怒りは猜疑心にも進行して・・・ぐわんっ)

で、調子が悪い。

けれど、今日は実家に帰らねばならず
行動、行動っと。

掃除機かけたり、荷物をまとめたり

ああ、図書館に行かなければ。

(内田先生の御本『呪いの時代』を返却。
この本、過日、読み始めたとたん
「あれ、読んだことある?」と思ったのだけど、あれは
たしかに何年か前に読んだことのあった本だった。
但し、あのときは部分的に読めない頁もあったのだな。
うーむ。自分のなかの進歩。
今回は一読ののち、さらに部分的な再読までした。
2011年に出た本だけど、まさに今現在、日本が直面している
問題を書いているとも思わされ、超興味深い内容だった。
『邪悪なものの鎮め方』とともにオススメしたい本である)

図書館のあとは、きのうと別の珈琲屋に行き
アイスコーヒーで休憩。

帰り道にはちょっと元気になっていた。

「自分では寝ていないつもりでも
横になって目をつむって休んでいると
睡眠ホルモン(だっけ?)とやらが出て
うまく眠りは補えているのだ」という説を思い出したり

青い鳥(とても綺麗な青だった)が遊んでいるのを
見かけ、明確な根拠がないけれど
「いいほうにいくよ」と思えたり。

散歩の神様、珈琲の神様、手紙の神様
(アイスコーヒー飲みながら手紙を書いていた)
そのほか色々、みな様、ありがとうございます。


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共生とオープンマインド

わたしは、まったくもって他人に対して許容度の高い人間ではない。
(それは、しばしば、このブログでも漏らしてきた)

すごく人の好き嫌いが激しいほうだと思う。
(実生活でそれを表に出すかどうかは別として)


「他者との共生能力の劣化」ということを問題にしましたが、他者との共生の基礎となるのは、実は「我がうちなる他者たち」との共生の経験なのだと僕は思います。僕自身の中にも、「さもしい私」、「邪悪な私」、「卑劣な私」がいる。それらもまた僕の正規の「ペルソナ」の一つであり、それなしには僕は僕ではない。自分自身の中にある(ろくでもないものを含めて)さまざまな人格特性を許容できる人間は他者を許容できる。僕はそうだと思います。世間で言われる道徳訓とは言葉がずいぶん違いますが、僕は自分を許すことのできる人間だけが他人を許せると考えています。

人格高潔で知性徳性にすぐれた人が「私はすべての他者を受け容れる」と言ったとしても、彼が行っているのは「共生」ではなく、ただの「我慢」です。汚物や悪臭に耐えるように不快な他者の切迫に耐えている。でも、そんな忍耐は長くは続かない。

「他者と共生する」というのは、「他者に耐える」ということではありません。「他者」を構成する複数の人格特性のうちにいくつか「私と同じもの」を見出し、「この他者は部分的には私自身である」と認めることです。

それは「感情移入」ということではありません。もっとずっと断片的なことです。(略)

自分の論理を細かく割っていく。自分の感情を割ってゆく。自分の身体を割ってゆく。分子レベル、元素レベルにまで割れば、どんな人間の特異な人格要素もいくつかの基礎的な要素の順列組み合わせでしかないことがわかります。(略)

(略・・・)

オープンマインドというのはそのことだと思います。のっぺりした「開かれた人格」というものがごろんと単体で存在するわけではない。(略)

(略・・・)

でも、「自分らしく生きたい」と言う人はしばしば自分の中にある複数の「私」に対して抑圧的になります。彼らは社会生活の全場面で同じ言葉づかい、同じ身ぶり、同じ服装、同じ価値観で押し通そうとします。それ以外の「自分らしくない私」は人格に統合されないで排除される。怠惰であっても、吝嗇であっても、貪欲であっても、「自分らしくない」要素は認められない。「そんなものは私ではない」と言って退けられる。

自分のそのような汚れを許せないピュアな「私」がましてや他者の怠惰や吝嗇や貪欲を許せるはずがない。自分について許せないものは他者においても許せない。自分の中にある「理想的に自分らしいところ」以外のすべてを抑圧しようとする人の眼に、他者はほとんどが「おぞましいもの」として映ります。そのような人が他者と共生することはきわめて困難です。


(内田樹著『呪いの時代』135頁~137頁より、抜粋して引用)


んー。

わたしは、まだまだ「自分を割り」足りないのだろう。

もっともっと「色んな顔をもつ自分」を知ってゆけば
この世の中ががさらに生きやすくなるのかなぁ。

そんなことを思わされた内田先生の話であったので
長~い引用だけれど、ここにメモをしたのだ。

なお、この内田先生の考え方は
(こう言ったら失礼な言い方になってしまうかもしれないが)
新しい考え方でもなんでもないのである。

すでに、わたしを含む、誰もが知っている話なのだろう。

ただね、それを忘れがちなの。自覚するのを忘れちゃうの。

それを先生は上手く言葉になさり、わたしたちに思い出させてくれる。

なお
平野啓一郎さんの「分人」というキーワードにも
通じる話なのかなぁ、と
(わたしは、それについて書かれた小説も、新書も読んでいないけど)
思うのだった。

まあ、わたくしよ
人さまの御本を書き写すだけでは、なんの意味もない。
この教えをちょっとずつでいいから血肉にする!


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わたしが日記を書く理由

わたしは、なぜ日記を書き続けているのか?

心の整理だとか、精神をラクにするためだとか・・・・
まあ、その方面のことばかりを自覚していたけれど
もっと他にも理由があるのかもしれない。

能ではこのような魑魅魍魎の類に対しても、その妄執の思いのたけを語らせ、それに耳を傾けることで、やはり「祝福」がほどこされる。山姥の場合などは、どうして彼女がそのような存在になってしまったのか、その起源の記憶さえ失われている。そして、語り終えたときにも何の「ソリューション」ももたらされない。この頭もしっぽもないような物語こそが「祝福」の原型だと僕は思います。なぜ彼女はここにいるのか、どうしてこのような姿になったのか、いったいいかなる社会的機能を担っているのか。誰も知らない。けれども、まさにそのような存在であるからこそ、その人のたたずまいについて、日々の暮らしぶりについて、一枚の「写生」を残しておく。そのことによって災いをなすことを防ぐ。
(内田樹著『呪いの時代』58頁)

絵を描いたり、唄ったり、踊ったり、人と話したり、セックスしたり
泳いだり、山に登ったり、動物を飼ったり、花を育てたり、えとせとら
たぶん人生を祝福する方法は無数ある。
(人の数×いくつも)

わたしが日記を書いているのは、まさに
“頭もしっぽもないような”記録の連続であり
これは「自分で自分を祝福する」行為に他ならないのかもしれない。

お能の話を、日記レベルに当てはめるのは相当な飛躍だとは思うけど
内田先生の文章を読み、わたしは「わたしの書く」という行為に
呪鎮を見つけたのだ。

だから、写生に終わりはない。人間的現実に記述しきったということは起こらない。生は汲み尽くすことができない。それゆえ、僕たちは記述すること、写生すること、列挙することを終わりなく続けるしかない。それが祝福ということの本義だろうと僕は思います。
(同上59頁)

わたしにとって、「書く」ことは
唄ったり、踊ったり、に等しい行為なのだ。


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底辺はない(by又吉)

7月16日(木)

午後遅めの珈琲屋では

ゆるゆるになった人々の
(格好も全体的にゆるゆるだし
体勢も自由度高し)

多いのはいいとして

女子高校生がいつになく
あちこちの席で目立ち

店内の音楽がかき消されるほど
キャハハ~っ、ヒャハハ~っと
黄色い声が飛びまくっているのは

ふんがぁ!(うるさいな)と思うのだった。

ま、夏休みを直前に彼女らもエネルギーをもてあまして
いるのだろう。
           *

又吉直樹さんが芥川賞を受賞されたとの
ニュースがラジオから流れてきて

彼の小説『火花』を読んでいないくせに
「時代は悪いほうばかりにまわっていない」
気分になった。

ところで、又吉さんのツイッターにあった

地球はまるいので底辺はないと思いたい
https://twitter.com/matayoshi0/status/578195347731689473

は、名言だと思う。


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体調のメモ

7月15日(水) 続き

先の日曜の熱中症は、夜になっても
軽い頭痛や、(体の弱いところにくるのだろう)
歯茎が重痛いという症状が続いていたが・・・

翌日からは頭の痛いのは治り
なんとなーく歯茎の不調感が残り
それが今に続くという感じだな。

それと、引越しが本格的に決まり
なんとなく気持ちが重くなっている。

長年の希望だし、好きで決めた部屋だけど
いざ、色んなことが具体的になると
ちょっと気持ちが重いというか。

「マリッジブルーってこんなのかなー」
と思ったりも。
(へへっ・・・、どんな比較や)

ついでに思い出したから書くけど

先週、木に登ったはいいが、腰をねじりまくって
作業していたから、ちょっとだけ腰に負担が来ているかも。
(腰は、大事にせねば、なりません! 用心!!)

このごろの暑さで、半分寝ているような
半分起きているような睡眠が続いているし。

うー、

今日は最高気温が33度くらいで

連日の猛暑にカラダが適応してきたというか
「これくらいじゃ暑さ厳しくないな」と思ってしまったが

やっぱり
この頃の暑さ疲れがカラダに溜まっていると思う。

明日からは(台風来ているの?)
30度くらいまで涼しくなるようなので、心身が休めますように。


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おつとめ品を見逃せない、哀しいさが

7月15日(水)

み月ぶりの美容院のあと

Nちゃんのご祝儀袋を用意せねば、と
近江市場の隣の文房具屋さんに行き
あれやこれやとたのしく迷いつつ、結局は
伝統的なタイプの袋をチョイス。

たいがいのお店は閉っている時間だったけど
せっかくなので市場の中に入り、ふらふら歩いていたら
おなじみのスーパーがまだやっていた。

電灯に引き寄せられる蛾のごとく、店内へ。

入ってすぐの、お惣菜の台に、ぽつりぽつりと
寂しく残された商品を見ていると

「50円でいいよ」と、店のおじさんが近づいてきた。

「卯の花」かー、と思っていると
(嫌いとか、欲しいというわけでなく
単に商品を認知しただけ)

「こっちは30円」と、少量パックの卯の花をさし
おじさんが追い討ちをかけてくるので

なんとなーく、流れにのってしまい
「なら、これ貰うわ」と、小パックを手にした我なのだった。

そのまま店の奥にいくと、冷蔵庫のなかには
「国産味付けカルビ」が、半額シールを貼られ
ひとパックだけ、ぽつんと鎮座。

はい、やはり、手を伸ばしてしまいました。
(今宵は「カルビ焼きそば」にしよ~っと)。

なんかねえ
家に帰れば食料がいっぱいあると分かっていても
「おつとめ価格」になった惣菜に遭遇してしまうと
買いたくなってしまう、わたしの癖なのだった。

はふうっ。

値引きシールを貼られた品々が並んでいても
それを見逃せる、懐の大きなニンゲンになりたい
(いつの日にかは)。


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「罰しよう感情」は、誰も幸福にしない

夜のスーパーを出たところで、幼い子を2人も連れた若い女性
(彼女は自転車の前と後に幼児を乗せようとしていた)と一緒になり
帰りの道もたまたま同じ方向だったため
信号待ちのときなど、たのしげな親子の会話が耳に入るとともに
がんばっているなー、若いママ、と思った。

んで、そのこととは関係のない話なのだけど
「給食費の未納が続いたら、給食は停止、弁当持参してくれ」
と通知した某市の策は、その後どうなったのだろう・・・
と自転車を漕ぎながら思い出した。

                 *

「やり過ぎだ」と、相当な批判が全国から集まったようだけど
あのニュースから約半月、某市はそのまま推し進めているのかな。

わたしはねぇ、もう、給食、税金で運営してもいいのじゃないの?
と考える派だ。

(税金のムダ遣いを止めれば、余裕で出せる予算では?
それに「子供が減る」のなら、基本的には給食費も減っていくのでしょ?
オリンピックの名目で湯水のように使うお金をまわせば
いったいどれだけの給食をまかなえるのか、想像もつかん)

これだけ、少子化が叫ばれ、みなで子供を育てよう
の声が上がっている時代なんだし・・・
という動機もないわけではないが

実は、そういう「子供は宝」的な発想からだけでは、わたしの場合はなく

親の行為のために
子供が後ろ指を指されるの、どうなのよ!? という
単純な発想からだ。

あのさ、世の中には
家計を切り詰めて「給食費を捻出」している親もいると思う。
そういう人が、「お金があるのに、未納」している親を
おもしろく思わないというのは、容易に想像できる。

だけどさあ、だからといって
「未納の家庭の子供には給食出さない」のは
あまりに子供が不憫ではないだろうか。

「お金があって、未納」というバカ親の子供も大変だろうが
なによりも
「本当に払えない親の子」はどんなに肩身の狭い思いをするか・・・。

んー。

給食費を払わない家庭の子に給食を出さないのは
払っている家庭との平等を期すためという大義名分があるが
それだけが理由だろうか?

未納があると全体の給食費が上がるのはもっともで
しかも、一部の親の負担を別の親たちで負担しようという
成熟した社会で現状がないのならば、ここはもう腹を決め
小学中学の給食費は国民みんなで負担するのは、どうよ?

わたしはね、子供手当てとか、なんかそういうのって
ホントに子供のためにまわっている?と疑ってしまうのだ。
(家計に入ってしまえば、結局、生活費の感覚になってしまうのでは?)

かつて話題にあがった「独身税」という訳の分からないものよりも
「税金を給食費にまわす」ほうが、ずっと健全な社会の姿だと思う。

そしてそれは、ささやかながらも(みなで)金銭面での
子育て支援していることにつながるのじゃないかな~。

                 *

わたしが五十年近く生きてきて、はっきり言えるのは
「罰しよう感情」は、誰も幸福にしない、ということ。

給食費を払わない家庭の子に給食を出さないのは
つまり、「罰しよう感情」のたまものではないのか。

給食を食べられる子は、食べられない子に後ろ指を
指すかもしれぬ。

(「しれぬ」なんて書いたが、いや、たぶん、指すだろう。
子供は大人以上に残酷な顔をもっているともいえるもん。

そういう状況に置かれたとき、大人であれ子供であれ
心のなかですら指をささないでいられる人は、いかほどいるだろうか?

念のために書いておくが、わたしだって指をささない自信はない)

指をさしている子は、そのときは気づかないかもしれないが
それは実は自分を悪魔寄りな人間にする行為なんだよね。

そしてなにより、給食を食べられない子自身が
「自分を罰してしまう」ことにはならないか。

ハングリー精神が人を育む、なんて今も通用するのか疑わしいし
そもそも誰にでも通用する方法ではない。

たぶんね、自分を罰することで、いいことなんて
なにひとつないと思うよ。


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睡眠の薬

あー、漢方内科は時期尚早だったかな・・・

と、ぼんやり思う。

あのですな、一年以上前に心療内科でもらった
睡眠の薬を、ちょびちょび使うというか
「ここぞ!」というときに利用していたのだが
このたび、その薬を全部飲み終えてしまったの。

睡眠の薬をもらうためだけに心療内科に通うのは
はっきりいって、気がすすまない。
(カウンセリング料がかかるしね)

普通の内科で処方してもらう手もあるのだが
(おそらく、全国で何百万もの人々がそうしているのだろう)

アパートのすぐ近所に総合病院があり
そこには漢方内科があるので、以前から薄~く
興味をもっていた我は、あまり深く考えずに
まあ、ほぼ思いつきのような感じで、その漢方内科に行ってみたのさ。
(日記にも書いたとおり)

・・・・・だけどねぇ、漢方はケミカルな薬と違い
身体にやさしいという利点と同時に、即効性が低いわけで。

まあ、わたしの処方された
(漢方の先生は、このヒトに薬はいらんのじゃないの? でも
受診している限りはなにか出さないとな、という苦渋の選択で
選んでくれたような気がする)

加味帰脾湯(カミキヒトウ)という漢方薬は
睡眠に効くそうではあるが、それはあくまでも
「睡眠を上手にとれる体質になるため」の体質改善の一助
としての働きだろうから

当然ながら、これを飲んだから、すぐに睡眠上手になる
(つまりはケミカルな薬と同レベルの効果がある)
わけではないのである。

うーん。

うーん。

そんなことを考えてしまった、加味帰脾湯、一日目の夜。

(ちなみに、この日は、0時過ぎにお布団に入って
入眠できたのは朝の6時近かったようである。
んで、2時間ほどの浅い睡眠をとれたところで
月一回のビン回収の日なので、がんばって起床。
そのあと、再びの入眠。
ほぼ南に向いている窓から太陽の熱を浴びながら
・・・カーテンがない・・・汗をかきつつ
昼まで、これまた浅い眠りにつく)

わたしは、前から、このブログに書いているように
あまりケミカルな薬には頼りたくない人間なのだけど

これから忙しくなるのだし、暑い日々は続きそうだし
(わたしが比較的眠りやすいのは日中なので、夏は
太陽光を浴び汗をかきながら睡眠界を漂うハメになる)

うーーーん、ここはケミカルな、即効性の高い
薬に頼ったほうがいいのではないか・・・??


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睡眠と漢方内科

午前中は予約患者で多いのだろうが
午後から行った病院はのんび~りしていた。

体の調子や生活習慣、性格などの事細かな
パーソナルデーターを問診票に書き込み
いよいよ診察室へ。

初めての漢方内科である。

基本は問診で
(一番多い質問は、日頃の生活のあり方だったかな。
先生はその答えをPCに次々に入力。それにしても
「生理はまだあるんですねっ!」にはちょっと驚いた。
一般的に、40代後半はまだ生理があるものと思うのだけど・・・。
わたしの年頃で受診するのは更年期の悩みをもつ人が多いのかしら)

そのあいまに
血圧を測ったり、舌を視たり、お腹の触診したり・・・。

探れば、探るほど、先生は「んーーーーー」という感じ。

そうだろうねぇ。

血圧はいいし
(数年前に低血圧で悩んでいたけど、「悩む」のを止めると
いつのまにか低血圧でなくなっていた)

食欲はあるし、便も調子いい、顔のほてりもないし・・・

気力はあるし、体力はあるし、顔色もいいし・・・

睡眠を上手にとれないということ以外は
特に悩ましいところの(あっ、歯周病を除く)
ないヒトなのである。

そして、先生はおっしゃった。

「ご本人も思っているでしょうが、健康ですねぇ」。

しかし、それは、医師である彼にとっては
どんな対処をしたらいいのか分からない!
困った事態でもあるようだった。

長い時間をかけ、色々とお話をし、結局は
カミキヒトウという漢方薬が選ばれた。

不眠によい薬らしい。

(あとで知るのだが、虚弱体質やウツの人にもよいらしい)

日に3包み飲むのだそう。

(空腹のほうが効きやすいから、「食前」とうたっているだけで
必ずしも食前でなくてもいいそうな。たしか、飲み忘れたら
2回分まとめて飲んでもいいよ、と先生はおっしゃっていた。

けれど、あとで足を運んだ街の薬局では
…先生は「食事は日に何度とる?」と聞いてくれたけど
ここではそんな質問もなしに「3食は当たり前」とばかりに…
「食前に3回です。飲み忘れたからといって、まとめて服用しては
いけませんっ」と一方的に説明されたのだった。はふうっ)

カミキヒトウ、よろしくね。

ところで
わたしは「とりあえずの受診」のつもりだったのだけど
先生の話のペースにのって、次回の予約を入れてしまった。
しかも、そのときは「血液検査しましょ」とのこと。

んー、次回の予約も、血液検査も
病院ゆえのお約束の流れなのだろうけれど
・・・・・・わたし、必要かな?
(医療費の負担になるだけのような気がする)

このカミヒキトウはどこでも買えるのなら
わざわざお医者に行かなくてもよい?


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今日もひとり宴会

7月14日(火)

思いきって、睡眠の相談をするために
漢方内科に行ってみた。
・・・・そのときのメモは別途書こう。

          *

冷蔵庫のなかには色々あるのに
(実家からの野菜とか、昨日買って手をつけなかった惣菜など)
夜の風に吹かれたい気分で、犀川の向こうまで
お夕飯のお買い物。

まあ、バナナを安く買えたからいいか。
(セロトニンを作る助けをするそうで、毎日バナナを食べているのだ)

結局、今宵の晩酌の友は

夏野菜の味噌炒め
(キュウリの緑、ズッキーニの黄、ナスの紫が美しい)
お刺身盛り合わせ
(お酢をたっぷりつけて)
ポテトサラダ
(なんだかコショウが強い味だな)
メンチカツ
(年に数回しか食べない。今日はなぜか惹かれた)
紅ショウガの天麩羅
(味も色もたのしめる)

野菜炒め以外はすべて、おつとめ価格の市販品であり
全部で300円くらいのお夕飯であった。
(もちろんアルコール代は除く)


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ベトナム郷愁

7月13日(月)

だるるるるんっ。

軽い熱中症から一日が経ち、今日も
猛暑の金沢である。

ネットで「今の気温」を見てみると
13時現在、気温36度、湿度55%
14時現在、気温37度、湿度53% なのだった。

がおっ。

かつてベトナムにしばしば滞在していた頃があり
暑いのは「東南アジアの郷愁」を呼び起こしてもくれ
キライではないのだけれど

たとえば、かの地では
部屋には天井をまわるファンがあったり
食堂や屋台には体を冷やしてくれる食事やデザートが豊富で
全体的に、昼間はゆるゆると、夕はみなで涼み・・・
暑さは、どこか楽しさに還元されていたのだなぁ。

(これは、日本人としての記憶の偏向があるのかもしれないが
かの地では、気候にマインドがなじんでいるというか
「暑くてイライラ」とか「暑さを憎む」的な空気はなかったと思う)。

余談だが、わたしがビールやワインに、ごろごろと氷を入れて
飲むようになったのは、ベトナムで覚えた習慣である。

それにしても、あの頃は、日本でも40度近い夏が当たり前になるとは
想像もしなかったっけ。

今、わたしの周りの、ぬおっと漂う暑さ
トタン屋根のアパートの最上階(2階建の2階)の
がんがんと日の当たるこの部屋の気温は
軽く40度いっているんじゃないかしら。

さて、野町での約束、自転車で行くつもりだったけど
(きのうの反省もあり)、今日は日傘をさして
歩いてゆくことにしよう。

帰りは、先日のドリンク回数券を使って
アイスココアを飲むとしよう。


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背伸びせず、ゆるゆると日常生活などをつづります

はえともみ

Author:はえともみ
 
万の風になって、生きる。

ちちんぷいぷい~。
(HSPの自覚あり)
「うつと仲良く! ひきこもりだっていいじゃない」と
開き直って生きてたら
元気になってきました。

→ 近年は、老母の観察メモの
(&それに伴う自身の変化など)
色合いが濃くなっております。
・・・ま、長い人生の一コマですな。

徒然な日々も、留まることはない。
すべてがいとおしい。だから書く?

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