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ポタージュと、謎

4月22日(水)

わおっ、13時半の自然起床。
(すばらしーい)

昼食後のひと休みのちに外仕事を始められれば
言うことないのだけれど、なかなかそう簡単には
カラダが動いてくれないのであった。

とはいえ、本格的に横になるほどのしんどさはなく
台所仕事をしたり、ちょっと横になったりで、過ごす午後。

おかげで、普段は食事の時間がせまってから
あわててとりかかる晩ご飯の準備、本日は
早いうちに下ごしらえをしておけたので
グッド ジョブ ! 自分なのである。

そのあと、30分余り、庭のこともできたしね。

アスパラが4本伸びているのは、先日ここにも書いたが
さらに2本、頭を出しているのを発見。

(母に「食べようよ」と言われているものの
葉っぱを観賞用にしたいのと、根を育てるために
まだ1本も収穫していなかったのだけど、そろそろ
新しく出てきたものは食べようかなー)

隅っこのほうで、ひと月近く咲いていたスイセンが
ひっそりと花の終わりを告げていたので
お礼を言おうと近づいたら、そのそばのツツジに
ピンクの蕾がついているのを発見。
人知れず、花の命のリレーが行われているなー。

ボタンの鉢植えからは、(接木なので台木の)
シャクヤクの芽がたくさん出ていたので
鋏でちょきちょき。

いつもなら、ポイッと捨ててしまうのだけど
余りにつやつやと輝いていたので、惜しくなり
黒赤紫の色をしたシャクヤクの芽を
小さな花活けにおさめましたとさ。


☆本日の晩ご飯☆

鶏の唐揚げ
うどの穂の素揚げ
酢の物(うど・わかめ・しめ鯖)
煮物(竹の子・人参・厚揚げ)
蒸し野菜(ブロッコロー・春の菜)
カボチャのポタージュ(かぼちゃ・人参・玉葱)

ポタージュといいつつ、牛乳入れるのを忘れてしまったし
あえて「ひとつまみの塩」すらの調味もしなかったが
予定通り、野菜のうまみ濃厚な、味わい深い一皿となった。

ちなみに、テレビの料理番組で、煮込みやスープに
コンソメやブイヨンが頻繁に使われているのを見て
わたしはいつも不思議な気持ちになる。

肉や魚、そして野菜などをたっぷり入れたら
そこから十分においしいダシがでるのだから
(そうそう、極めつけは鍋だ。なぜ、「鍋の素」なんてものが存在するのだろ?)
わざわざ化学調味料を入れる意味が、わからない。
(無添加のコンソメかもしれないけれど、それでも)

本日のスープ、化学的なものを入れないのは当然のこと
動物性のものも、ダシになる乾物も、塩すらの調味料も加えない
お水と野菜だけなのに、体がとろけるようなやさしい
おいしさがあった。


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愛を装ったものの必要性

ひとつ下の「愛を装う、それも愛?」にコメントをいただき
今更ながら思ったのだけど、愛って、みんな共通語のように
使ってはいるけれど、そのとらえ方って、まちまちだ。
(同じ人間でも、長い人生のなかでまた違ってくるだろうし)。

今のわたしが、「愛」という場合
もちろん恋愛における愛も含んでいるし、家族の愛も含んで
いるし、もっともっと広い人間関係の愛も含んでいる。


ひとつ下の話では、「愛が人生に必要ならば、ときに
愛を装ったものも必要なのかもしれない」とも書いてみたのだが
なんだかダサダサな感じがしたので削除したのだった・・・。

ダサダサよろし。

なぜ「愛を装ったもの」を肯定しようと思ったかというと
「それを必要とする人がいる」からだ。

下世話な例でいうと・・・

ある人がお金の力を借りて、自国よりも経済力の低い国の
好みの(性的魅力を感じる心癒されるなど)人間と結ばれるのは
ある人にとって実りがあるとして、では、お相手の人にとっては
どうなのだろうと考えると、なんらかの(主に金銭の?)
メリットある場合もあるだろう。

愛が一方通行、もしくは、双方愛がゼロなのだとしても
ここには「愛を装ったもの」が流れ、それはそれでいいのかもしれないし
気がつくと、愛が育っていたという可能性もなくはない。

高齢者同士のお見合いなんて、生活のパートナーや
愛を装ったもの、(ときには金銭的な要素も)を求め成り立っている
のかしらと想像するが、これだって、否定する理由はない。

そもそも、愛と、愛を装ったもの、自分のなかにあるのは
どちらだろうと自問をしても、判らないのは自然なのかも。
(「これは愛だ」と言い切れるほうが怖いと思う)


わたしが、特に考えたいと思う方面の例でいうと・・・

介護施設で働く者が、常に、お客に愛をもっているのは
むずかしいと思う。

だけど、そこに愛があれば、仕事の質が高くなりそうだし
働くのも愉しいし、なによりお客が喜んでくれる。

だから、こういうときは「愛を装ったもの」を自分の心のなかに
もっているのがいいのかなー。
(これすらも、むずかしいかもしれないけどね)

お客にとっては、まさに「愛をお金で買う」わけだ。

「お金で恋愛を買う」のは快く思わない人もいるかもしれないが
こういうお金と愛の関係ならば、広く許されるのでは。


ところで、「愛を装う」のは、お金のためとは限らない。

家族だからって愛が必然あるわけじゃない。
(親が全員、子を愛せるわけじゃないだろうし
子が全員、親を愛せるわけじゃないだろし)

たとえば、親に愛は感じられないが、それでも
死期せまった親を少しでも悔いなきよう旅立たせてあげたいとき
子は「愛を装ったもの」を親に与えるという手も、ある。

子にとっての自己満足に過ぎないとしても
それはそれでよいのでは・・・と、わたしは思う。


あー、愛について考えると、はてしなく長くなるので
ここらで書くのをやめておこう。


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愛を装う、それも愛?

ある俳優さんが、「お金で愛は買える」と言っていた。

耳なれた言葉だし、これに反論するのは大人げないし
そもそも、わたしは「愛をお金で買えるか否か」を考えようと
したこともなかったのだけど、この会見を聞いたとき

「愛は、お金で買えっこない。
買えるのは、愛を装ったものであろう」

という言葉が、あたまのなかにやってきた。

うー。

おどろきだ。

いつもは、完全スルーな問答に
なぜ、わたしの頭は反応したのだろう。

ところで

「装ったもの」は承知の上で
それすらも愛と、皆は呼んでいるのだろうか?

だとしたら、わたしのあたまの一人喋りは
まったく的を得ていないとなるのだが

わたしは「わたし以外の人」にはなれないので
答えは不明のままである。


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にんげんだものメモ

4月21日の『今日のダーリン』は
むつかしいことばじゃなく、やさしいことばを使いたい
というような思いが綴られており、最後は

「みつを」を笑うものは「みつを」に笑われる。みつを。

で締めくくられていた。

さすが糸井重里さんだなー。
http://www.1101.com/home.html

わははっ! と笑ったところで
ずううっと前に録画して、そのままになっている
『日曜美術館』の相田みつをさんの回があるのを
思い出した。

ので、観る。

  。   。   。   。   。   。   。   。   。   。

相田みつをさん(1924~1991年。書家で詩人)の、わたしメモ

栃木県足利市生まれ、生涯そこで暮らす。
父は刺繍職人、旧制中学に進学し、短歌や書に夢中になる。
19歳のとき、地元の書家に師事し、本格的に学ぶ。

最高峰とされる書道展で何度も入選するものの
疑問を感じ始める。

「古い封建的な伝統に安易に縛られている窮屈な書の世界に
若い私の魂はたまらない息苦しさを覚える」から始まる
作品『宿命』を残している(27歳、1951年)。

そして、やがて、「私自身の言葉」を表現するのであった。
(わたしの見たところ、それと同時に、伝統的な『書』ではない
彼自身の人となりが現れる書体を使うようになったのでは)

しかし、妻子のある身、それでは生計を立てることができず
なりふりかまわず仕事を求めたという。

ある和菓子屋に飛び込んで、「肩書きのない名刺」を社長に出し
包装紙のデザインをさせて欲しいと頼み、普通なら断られても当然の
ところ、社長は、みつをの迫力に押されて、チャンスを与えたという。
(「目の輝きがスゴかった」と、社長がのちの社長に述べたそう)

書家としての成功にはほど遠く
デザインの仕事をしながら、細々と書を続ける日々。

「師匠をもたなかったから、迷いもあったと思う。
自分独自の世界観を産み出さなければやっていけない。
その苦悩はだいぶ続いたと思う」と、親交のあった書家は語る。

50歳のころになり、ようやく世間でも花開いたようだ。

(一般的に今知られている「書」だけではなく
染めもので「書」を表現した作品もあるのだった)

創作の大きな指針となったのは、仏教の教え。

道元禅師の『正法眼蔵』は擦り切れるほど愛読。

「考えるのではなく、今、ここで何をするか」など
道元禅師の教えに深く傾倒。

そもそもは、18歳のころから仏教を学び始め
足利市の高福寺で、生涯の師・武井哲應老師と出会う。

武井老師の『正法眼蔵』の講義に30年間一度も休まず通う。

相田みつを美術館の館長をしておられる
息子の相田一人さんは

「自分というものを非常にこだわった。
自分を見つめるのが、父の創作の一番の根っこ。
父の言葉がいい悪い上手い下手に関係なく
読む方に強い印象を与えるのは、父が
どれくらい自分を見つめ、悩み苦しんだか
そういうものが書に言葉に表れているからでは」

みつをの書が、読んだ人々の心をひきつけるのは
常に父が自分と向き合っていたからだと語る。


雨の日には 雨の中を
 風の日には 風の中を
 みつを」

40代のときも、50代のときも、最晩年の60代も書にした
作品『雨の日には』

これは、実は、1973年に自作した
41行にもおよぶ長い詩から生まれている。
(推敲の末、これだけの言葉になった)

<「この書はなかなか工夫を凝らして書いているなあ」
なんてことが、見る人に分かってしまうようでは
本物の書とはいえない> byみつを

彼の人生は
書いては捨て、また書いては捨ての
葛藤の繰り返しだったという。

 。   。   。   。   。   。   。   。   。   。

う~、彼は、「人間」研究家であり
「自分」研究家だったのだなぁ。

ただテキトーに書きなぐっているのではない。
真剣勝負の魂の言葉を
真剣勝負の書道で表しているのだ。

もしも、みつをの書に悲劇な要素があるとするなら
あまりにもポピュラーになりすぎたことが挙げられよう。
(「みつを」と呼び捨てにされ、ここまで日本で認知され
ている書家って、みつをのほかにいないのでは?)

これまで、わたしは
(たぶん世間の多くの人と同じように)

みつをを、ちょっと警戒してました。

警戒というか、みつをのすばらしさを認めてしまうと
どこかの誰かに笑われるのではないかという妄想を
もっておりました。

(いつの間にか「ですます」調だ)

どこぞのトイレに、みつをの書が貼ってあろうものなら
そこの主の趣味を恥ずかしいもの、と、勝手に格付けしておりました。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

みつを先生、そして、みつを先生のファンの方々

今、ここで、わたしはお詫びいたします。

にんげんだもの。


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アラ煮と晩酌

4月21日(火)

なぜか朝10時に起きられたものの
すぐに活動を始めるほどの気力はなく
ぐでっとコタツでテレビを観ていたら
(平野レミさんって、ホント、落ち着きがないなぁ)
睡魔に落ちていってしまった。
お口のなかは、お目ざにいただいた
ドラ焼きの甘さが残ったまま
まあ、ざっと、正午前から15時前まで
寝たかしら。

先に「気力はない」と書いたけれど
気力って、都合よくわき起こってくるものじゃなく
たいがいは、自分がエンジンかけて起こすもの。

遅い昼食を食べて、少し休んだあと
そのエンジンをかけようとしたものの、うー、エンジンすらかけられない。

(エンジンは、まず「動く」ことが大事。ほんのささいな
軽い行動でいいから、体を動かしていると、エンジンがかかりやすい)

エンジン、エンジン、と思いつつ
50歳で南米に嫁いだ母親を、応援する息子のTV番組などを
横になって観ながら、エンジンかけるタイミングを見計らい

結局、16時半をまわってから、ブウォン、ブウォンとエンジン始動させ

はるばる田んぼの向こうの
電器屋と、ホームセンターと、スーパーに行けたのだった。


☆本日の晩ご飯☆

サバ塩焼き
うど(今年初!)
きんぴら(加賀れんこん、人参、ピーマン)
ガーリック炒め(菜っぱ、椎茸、豚ロース)
ミルク味噌汁(里芋、長葱、油揚げ)

☆本日の魚☆

サバ5尾、198円。

→2尾を、本日、塩焼きでいただく。
→1尾を、しめ鯖に。
→2尾を、干物に。

5尾分の、頭と内臓等は、もちろんアラ煮に。

はっきりいって、調味料代のほうが、アラよりよほど
お金がかかるのだが、美味なのだから仕方ない。
(本日も、目玉のまわりのコラーゲンなどに悶絶!)

休肝日の予定だったが、食事のおわりかけになって
アラ煮をつまみ始めたら、止まらなくなり
「これは酒なしではおられない!」と、軽く晩酌を始めてしまった。

ま、これも良かろう。


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坂上さんの父上の手紙

4月20日(月)

うー、17時の起床であった。

冬の17時起床は、それなりの「にがい」感情をもたらし
かねないが、この時期の17時はまだまだ明るいので
「遅起きした」という自覚が薄くなるなー。

とはいえ、雨の夕方、さほど外は明るくなく
まくがかかったような光加減だ。

居間からは庭の色んな緑が目に入るのだけど
雨のもわっとした光のなかでもひときわ
生垣のマサキと、コゴミが際立っていた。


☆本日の晩ご飯☆

・鶏つくねバーグ
・葱トースター焼き
・たけのこの味噌煮(母担当)
・ヨモギと菜っぱとエリンギ炒め
・納豆汁

去年、「お肉とヨモギ」を油で炒めたら美味しかったので
今年もヨモギ炒めにチャレンジ。作っている最中は
「あれはお肉も一緒だったから良かったのでは?」
と弱気になったが、(そういえば、沖縄では
ヤギ汁にヨモギをたっぷり入れるよね)
うー、大人の炒め物という感じで、これはこれで
美味でした。


夜、録画したあった 『ファミリーヒストリー』の坂上忍さんの回を観る。

借金で家族に迷惑をかけ、家族を捨てたあと
息子にそれを返済してもらい
それでも後年
何事もなかったかのように振舞う、忍さんのお父上
勝也さん。

父が、息子にあてた手紙の下書きの内容に
わたしは感動してしまった。

「私は君に対して謝罪もしなければ
頭を下げる気持ちもない

父と息子の因果関係なぞ
世間でいうほど強いものでもない

君の人生は君のものであり
私の人生は私のものだ

私を恨む気持ちがあれば
木刀や竹光など半端なものでなく
来るなら真剣で斬りかかって来るがいい」

ええ~っと、一般的には、この言い分は身勝手で
救いようのない、ろくでもない親父となるのだろうし
これに感動するわたしなど「異常者」と見なされるかも
しれない。

坂上忍さん自身も、「悪いことをしたら謝るのですよ、普通は。
頭を下げるんです。それを、ああいう独特のニヒリズムで
逃げることがだめなんです」と仰り

お父上の欠点を指摘しておられたが

忍さんは、父の生き方を、心の底では許しているような
そんな気がわたしはしたのだった。


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苺畑と昼寝の日

4月19日(日)

早起きするつもりはなかったのだけど
朝8時に目が覚めて、そのまま起床。

久しぶりの和食朝ごはんを食べ
まったりしたあと

「苺の藁を敷く」という母の手伝いで畑へ。

(以前、藁を敷いた苺畑の写真をブログに載せたら
「おお~、だから、ストロー(藁)ベリーというのだね」との
感想をいただいて、ほぉ、と思った。・・・その説が正しいかどうかは知りません。

近年、わが田舎では、苺に藁を敷く畑は減っており
黒いビニルシートを敷いている所がほとんどなのだけど
うちでは、頂きものの稲藁をせっせと敷くのだ)

しかし、畑へ着くと、藁敷き作業はかなり進んでおり
同じ作業のお手伝いはパスすることに。

わたしは、草むしりをしたり、竹運び
(風で吹き飛ばないよう、竹で藁を抑える)をしたり。

苺畑には花がいくつも咲いていたので
果実をたのしめる日まで、あと少しだなー。

その後は、少々雨に濡れながら、春の菜っぱ摘み。

蕪や白菜などの冬野菜から、春には芯が伸びて
花が咲くので、蕾の段階の柔らかい菜を食すのだ。

そして、帰ろうとしたころ、隣の畑のおじさんが
長葱を下さるというので
(「うちの畑にもあるから」と我が遠慮をしたら
「あんたん所のはダメ(出来がよくない)」と仰り)
こういうことには全く遠慮をしない母もやってきて
結局、いただくことに。

指3~4本の太さはあろう、立派な長葱を
どっさり両腕で抱えるほどの量、いただいて帰る。

(我が家の食糧事情は、皆々に支えられている部分が
たいへん大きいのである)

いつも、ありがとうございます。


帰宅後は、お昼ご飯も食べず、3時間余り
コタツで眠る。

雨の子守唄は、自律神経にやさしいな。
(雨の日はよく眠れる)

そしてまた夕方も、うとうと寝をするが
午前に(たった一時間ほど)働いたので
いいのである。


☆本日の晩ご飯☆

筍ご飯(母の担当。人参と油揚げ入り。
上にのせる木の芽は、雨の庭に出てとってくる)

おつゆ(豆腐、椎茸、菜っ葉)

春の菜のおひたし

豚ロースと長葱の塩麹炒め

里芋の田楽


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母、街で遊ぶの日

4月18日(土)

母が久しぶりに金沢に遊びに来る。

お天気もよく、暖かく、まさにお出かけ日和。

まずは、市場でお昼ご飯タイム。

寿司屋と麺屋のどちらがいい? と問うたら
予想どおり麺屋と答えた母であった。

まあ、「金沢に来たら魚を」というのはよそ者で
北陸各地の魚が集まっているに過ぎない金沢で魚を食べようとは
普段から地魚を食べている北陸人は思わないのである。
(地元の魚を、わざわざ金沢の店で食べようとは思わない)

わたしは、百万石うどん。母は、ラーメンを。
(昔から、母が外出先で希望する食事はいつもラーメン)

その後は、本日のメイン行事である母の買い物をしたり
・・・下着数点、スラックス2本、体型カバー服1枚、くつ2足。
どさくさに紛れて、わたしの春用のジャケットも買ってもらう。

前々から母を連れて行きたかった大型お風呂屋さんへ。

電子風呂、「高血圧のヒトは気をつけて」の注意書きがあるので
大丈夫かなあと思ったのだけど、あの「びっくり感!」を
母に体験してもらいたく、勧めてみたら、母はへーき、どころか
ぴったり体をくっつけて楽しんでいた。

(ビビビビ・・・と、体に電気が走ったような衝撃があるので
わたしはどう頑張っても20センチ以内には近づけないのに!)

せっかくなので母には千円カットも体験してもらい
(お風呂屋さん内の。これが案外上手であった)
わたしは満足。

母も喜んでくれたと思うので、よかったぞ。

さいごは、お弁当を買い、夜の電車で実家に帰る。

普段のわたしは歩くか自転車で市内を移動しているのだけど
老母と一緒の今日は、バスやタクシーを使い、贅沢な日であった。

ああ、幸せな一日を過ごせて、よかったな。

これまで、母に街に出てくるよう誘っても
なんだかんだと後伸ばしにして
夕べも電話で「(体調を理由に)どうしようかなぁ」という感じであったが
今日の母は「思い切って出て来てよかった」と心から思ったらしい。

なにより気分転換になるし、色んな刺激があるし
(田舎暮らしでは、村に唯一の信号でさえ、渡ることがめったにない)
脳も体もリフレッシュできる。

こういうのは、ひきこもり理論と同じで
長らく外の世界に触れていないと、習慣化されたエリアから出るのが
ものすごく億劫で、こわくなるのだ。

ましてや、母は八十代。
色んなことが面倒になって・・・久しい。

わたし自身がひきこもり理論の渦中にはまりがちで
怠け魂にまかせ、楽しむことを忘れがちな日々だけど

まだまだ母は元気なのだし
もっと一緒に遊ぶ時間を大切にしたい。


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心のなかの独り言

どよんとした気持ちがほぼ薄れた自分を
ようやく意識できるようになってきた。

よかったなー。

この快復に至るまで、このブログ上においても

うつの話、ひきこもりの話、未婚ハラスメント
などなどなどの方向の

自分の未熟な面を棚にあげ、外部への不満を
ひたすら綴る系の文章を書いてしまった。

不快になった方もおられましょう。
(ペコリ ← 頭を下げた)

わたし自身が、ときどきは冷めた気持ちで
偏狭な甘え、贅沢な愚痴など、自分教にこもった思考の数々・・・
を書いているなぁとも思うのだけれど

いじけた気持ちは文章のコントロール力を失わせ
書きたい放題のままに任せるという事態に至っている。

(これは言い訳か!?)

とにかく、ま、色々色々普段から書いているけれど

わたしの愚痴や落ち込みは、実は一発で消えることが
できるものばかりだ。

それは、自分の視点を変えること。

「あんなイヤなことがあった」「こんなことを苦痛に思っている」
など
他者を見て、社会を見て、不満や不快を感じたとしても
それは、いずれ、いかなるときも、相手の問題ではなく

わたし自身に、問題の種があるのだ。

(あのことも、このことも、そのことも、わたし自身のなかに
ものすごい劣等感というか、プレッシャーというか、自信のなさというか
そういうものがうごめいているから、過剰に意識してしまう、とか)

3・11震災のあと、「復元ではなく、復興を」という声をよく耳にしたけれど
わたし自身にも、これを当てはめたいと思う。

落ち込んで、いじけて、メゲメゲ発言をするなどの
悲観的な日々を過ごしたあとは

ただ元の自分に戻るのではなく、少しでも「より健康」になった
自分をつくっていきたい。


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サイコパス脳など

4月17日(金)

早朝の寝床で、ホーホケッキョ、ケキョ、ケキョ・・・
という声を聞きながら、そのうち眠れるさ!と思っていたら
結局、入眠したのは、朝の10時をまわってしまった。

うとうとと、半分寝ているような、半分起きているような状態に
しばしばなりながら、昼の目覚ましを五、六回は止め
それでも頑張って14時半には起床する。

世の労働者からうらまれそうな毎日だ。

いや、それなりに充実した労働者からは
「あわれみ」をかけられそう
と言い直そう。

実家では目覚めの一杯はたいてい緑茶だけれど
アパートにいるときは、たいていコーヒーを淹れる。

ずっと、ドトールさんにいただいたレギュラーコーヒーを
飲んでいたのだけれど、残りもあと少しとなり
買い置きしてあったインスタントを開封することに。

きのう、美容院で手にとった雑誌に
「インスタントコーヒーは、最初、スプーン一杯ほどの水で溶き
そのあとお湯を注ぐと、挽きたてのようなおいしさになります」
とあった情報を早速、実行する。

・・・・・・。

「違いの分かる」女では、わたしはないようだった。
( ↑ ぐわっ。昭和のCM)

パウンドケーキを食べつつ、しばし、ぼけっとしたのち

所用があって、営業時間ぎりぎりの某所にかけこむ。

すぐに用事が済んだので、その足で(自転車で)
マイエリア、金沢の街をくるっと小さく一周し
そのまま図書館へ。

今日も図書館はおじいさんたちであふれておりました。
(どうして、おばあさんは少ないのだろうね)

週刊誌の新潮と文春にざっくり目を通し

(矢作先生の記事にはちょっとショックだったなぁ。
あれはどこまで悪意をのぞいて書かれた記事なのだろう。
まあ、わたしも、矢作先生の御著書を前に数冊読んで
胡散臭いとは思わなかったけど、なんか説教臭いというか
「自分の知識・価値観に驕りっぽいものを抱いている?」の危うさは
感じていていたのだけれど・・・、あの記事がホントなら
とてもとても残念な事態であると思う)

(海外小説の書評を読んでいたら・・・、(わたしは海外小説は
読まないのだが、テーマがおもしろそうだった)
サイコパスの脳をもつヒトのことが書かれていて
思わず考えてしまったぞ。
「事件を起こしても、責任能力がないからと、罪を問われない」
場合があるけれど、もともと生まれもった脳がサイコパス型の人が
事件を起こした場合、その責任能力はどうなるのだろう、と。
小説では、「こんなサイコパス脳をもっているけど、自分はいたって
健全な人間だ」と思っていた主人公が、周囲の者たちから
「ちっとも健全じゃない」と言われる展開があるらしく
こ、こ、これ、こわ~い、と、思ったぞ)

そのあと、たまたま目についた
(本日返却された本というコーナーがある。そこは、なかなか
自分では所定棚から探し出すことがないだろう本の宝庫で、面白い。
そこで見つけたのだ)

歯の本をななめ読みしていたら、ついつい時間が経ってしまった。

(従来の治療法のおろかさや、保険点数を稼ぐための実態や
歯周病は15歳頃から密かに進行しているケースがあるなどなど
歯科医師会を飛び出して、自分の信念にもとずいた
「一日治療」をしている、ゴッドハンドな先生の本。
・・・その先生によれば、歯の治療なんて何回も通わなくても
たったの一回で実は済むそうだ)

本日も、閉館とともに帰途につく。

夜は生ラーメン(味噌味)。絹豆腐、ゆで卵、ちくわ、ピーマン
冷蔵庫で目についたものを温めてトッピングしたのだった。

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ひきこもりを愛す

過日、<大人のひきこもり「→就職すればいい」という答えじゃダメなのだ>
という話を書きました。その続き。


まず、ひきこもりを肯定することから始めたい。

ひきこもりをして「ツライ、苦しい」のなら
ひきこもり界から抜け出すのがイイ。

だが、苦しいホントの原因が「ひきこもっていること」ではなく
「ひきこもりをしている自分」を社会的な価値で評価して
自傷的に苦しんでいるのならば

まずは、その考え方を修正するという道もある。

ひきこもり自体がツライのと
ひきこもりというレッテルがツライのは
全く違うことなのだ。


「ひきこもり=悪」という社会認識が蔓延していると

友人・知人・親戚・近所が自分のことを白い目で見ている
のではないかという被害妄想が働く人もいるだろうし
~ひきこもっていると、そういう視線に病的に過敏になる~

たとえ、新たな人生を求めて、バイトをしようにも
「空白の年月」がネックになりそう・・・という
先回りした心配をしてしまう人もいるかもしれない。

確かに、社会には偏見の目がゼロではないのだろうけど

実際は、自分が自分を追い込んでいるだけというケースが
多いんじゃないかなぁ。

自分を縛っているのは、自分なのだ。
(それは皆わかっているのだろう、心の底で。
なのに、ぐるぐる巻きした呪縛を解けないで
ひきこもり地獄にはまっている)


ひきこもり支援というと
学校に通えるようになるのがゴール
就労できるようになるのがゴール

とする見方が根強いが、そんなのは「屁」なのである!

ひきこもり人間は、理由があってひきこもりに至っているのだ。

たまたま学校に行きなおすようになったり、働くようになったりするのも
もちろんいいだろう。

が、本当に大事なのは、そんなことじゃない。

ひとりひとり「理由」があって、ひきこもっている。

その理由を、脱ひきこもりをもって昇華したほうがいいときは
ひきこもり世界を離れる努力も必要。

でも、「心底、ひきこもりを望む」ひきこもりもあると思うのだ。
(一時であれ、絶対的にひきこもりを必要とする人もいる)

周囲が抱きがちな
「ひきこもりなんて、ほんとはイヤなんでしょ」とか
「外の世界とコミシュケーションしてこそ、生きる意味がある」なんてのは
横暴な思想である。

(支援の名のもとに、言葉の暴力をもって
ひきこもり者を傷つけていることはあるかもしれない)

ひきこもりには支援が必要というのは通説だろう。
(異論はない)

けれど、黙って見守ることも、大切なのだ。

これまた心の支援。

ひきこもりが一番望むのは、「ひきこもる」権利なのかもしれない。

(『安心ひきこもりライフ』なんて本があったな。勝ちゃん、お元気だろうか)



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地方女子の物語

先週、東海北陸向けのテレビを観ていたら

「地元が好き、という女性が90パーセントにのぼる
(中部地方に住む20~39歳の女性。NHK調べ)」

との調査結果があった。

ふう~ん。

わたしにとっては信じがたい高さだな。

まあ、人それぞれではあるが

いまだ(Uターンをして、まもなく10年生になろうとしている)
生まれ故郷という「地元」を好きとはいえなくて
たぶん一生死ぬまでこの感覚なのかなと思わなくもない
(ちなみに高校までは「ここが世界のすべて」のようなものだから
好きも嫌いもなかったような)
わたしには

生涯地元を離れることなく生きていたり
(進学、就職、結婚と、地元で済ませられるなんて信じられない。
もちろん一人ひとりには事情や葛藤があるのだろうけれど
わたしにはその事情や葛藤が見えないから
限られた世界でそこそこ満たされて、当たり前のように
田舎を受け入れている人たちに思えてしまう)

離れた土地に住んでいても「地元が好きだ」と公言する人が

宇宙人のように思えてしまう。

(向こうからしたら、わたしが宇宙人だな)。

なぜに、みな、地元を愛せるのでしょう?

そして、番組内で取り上げられていた、いくつかの「地元問題」・・・

(名古屋は一人勝ちだから、名古屋はそこにいれず
その他の地方都市および市町村が「地元」という概念のよう)

たとえば、地元には、働く選択肢が少ないという話。

(車を運転しない身には、そもそも選択肢自体がないに等しいのだが)

たとえば、地元では、仕事をしていなければ
人とコミュニケーションする場がないという話。

閑話休題・・・・わたしの愚痴デス

(また例の愚痴なので、そろそろ自分でもイヤになってきた
・・・・・・と言いつつ書いてしまう)

テレビでは、「めちゃ孤独」、「うん、社会といったら
ママ友のつながりくらい。ママ友以外のつきあいは家族だけ」
という専業主婦同士の会話が紹介されており
わたしは、どひゃ~と思った。

ママですらない人はどうすればいいのだろう。
ママ友すら作れない。

同居の家族がいても、ママ友までいても
「社会参加していない=孤独」と感じる人がいるのだなぁ。

独身者はどうすればいいのだろ。
(しかし、地方では単身者の一人暮らしは少ない。
県庁所在地のような都市部でもない限り
他所から単身来た企業人や役人でもない限り
土着者は「独身=家族と暮らす」が当たり前だもんね。
わが実家周辺でも、伴侶との死に別れでもない限り
単身暮らしの人なんていないのじゃないかしら)。

家族もいて、ママ友もいて、それで孤独というとは
都会のほんとうに孤立した暮らしをしている人からしたら
目を白黒させる「???」事態だろう。

人って、ほんと、それぞれだ。

(個人的な愚痴が長くなりました・・・)。

それにしても、番組全体を通して思ったのは
これって、地元の問題というよりは、日本中にある
問題ではないの? ということ。

正直、「せっかく地方限定の番組をつくるなら
もっと地方に特化したテーマ
・・・たとえば“保守性の高さ、そこからくる弊害”など・・・
のほうが、わたしは興味をもって観れたなー」
と思ったのだった。

ぐはっ。


話を変えよう。

そういえば、過日、山内マリコさんの小説
『ここは退屈迎えに来て』を読み終えたのであった。

田舎にUターンした女性のせつなさのようなものを綴った
・・・と聞いたことがあり、前々から興味があったのだ。

読み終えてだいぶ日数が経ってしまったが
ちょっとメモを。

これ、短編集だったのね。

わたしは
「俺の魂はいまも高円寺を彷徨っている」と語る須賀さんが登場する
最初の小説が一番身にしみたかな。

ちなみに、文庫の熊代亨さんの解説には
<誰もが“リア充”になれるわけじゃない以上、居場所や役割を実感しきれずに「ここではないどこか」を夢見たくなる人もいるだろうし、そういう気質のある人にとって、本書は刺さる箇所のある本だと思う>
と書かれてあった。

うーむ、これは
退屈の彼岸を切に求める、地方女子の物語
なのだった。


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自殺者は「少なくとも11万」という説

日本人の年間自殺者数が3万人を前後しているという定説を
わたしは「こんなに少ないの?」と前から思っていたのだが

(この数字を挙げて、条件反射のように「多い」と言う人たちの気持ちが
わたしには解らない。なにをもって「多い」と思っているのだろう。
諸外国と比べて? それとも、そう反応するのが定番だから?
今のニッポンで、1億3千万もの人がおり、街には病んだ顔をしている
人がいっぱいで、精神科医は大儲けで、・・・それで3万人とは
少ないのではないからしら? と、かねてから思っていたのだ)

先日、「本当の自殺数は18万人!?」という記事を読み
http://matome.naver.jp/odai/2135018587581844401

こちらのほうが、真相に近いのではないかなぁと思った。


日本の年間自殺者が数字上は3万で押さえられている大きな要因として

「遺書のない場合は、変死とカウントされる」仕組みがあるらしい。

(つまり、誰が見ても自殺と疑いようがなくても、遺書が発見されなければ
それは変死とあつかわれ、自殺とは数えられていないのだ!)

(「この四年間で、いじめ原因の自殺は15件。あとの353件は原因不明」
とする文科省の発表と同じような匂いのする仕組みだな)

記事には「日本には年間15万人ほどの変死者がいて
WHOではその半分を自殺者としてカウントするので、
公表すべき自殺者数は本当は11万人ということで、
これは実に他の先進諸国の10倍です
」とある。

(日本の年間変死者15万→WHO式だと、そのうち7.5万を自殺とみる。
それに従来の「遺書あり自殺3万」を足して、ざっくり、11万の計算だ)

そして書き手の方は、変死者の大半が自殺と考えれば
日本の年間自殺者数は18万人にのぼるのではないかと考える。


はぁ。

自殺は、会ったこともない人に連鎖があるとも限らないから
できるだけ報じないほうがいいのかもしれないし

(極限に苦しいなかを生きている人は、近くの家族や友人よりも
会ったこともない遠くの同士に親和の情を抱きやすいだろう)

統計としての数字も、うんと低く見積もっておくことが
世のためなのかもしれない。

(発表される自殺者数が増えるほど、自殺への垣根が低くなるというか・・・)

ただ、現状が把握されていないことによりもたらされる問題はあるよな。


書き手の方はこんなことも書いておられる。

日本は毎日戦争でもしてるのか?って言うくらい死にすぎではないか。。
現代を生きる我々は、果たして何と戦っているのだろう。。。。


なむなむ。


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わたしの白髪問題

4月16日(木)

ゆうべは、web 『村上さんのところ』 を
http://www.welluneednt.com/
夜の歯磨きしながら読んでいたら
あっというまに二時間以上が経っていた。

本日は14時まわっての起床。

とろとろラジオを聴いて過ごしたあと
夕方になって美容院へ。

昨年暮れぶりに、白髪ぼうぼうのケアや
カットをしてもらう。

そのうち、「白髪のおいら」に自信をもつようになりたい!
とは思っているのだが、まだまだ到達していない。

キリッと、かっこよく白髪姿で生きている女性を見ては
(岩城滉一さんの奥様とかね)、憧れるのだが
そういう方々には共通点があるように思われる。

――お肌がきれい。身だしなみをきちんとしている。
「人にどう思われる」じゃなく、自分を大切に、自分に自信をもって
生きている(ように見える)。

たぶん、お肌はそこそこ、身だしなみが「かなりレッドカード」でも
自分に自信をもっていれば、白髪でも、わたしの場合は
堂々と生きられると思うんだ。

つまり、わたしの白髪問題は、自信のもちようと
深い関係があるのだな。

ひきこもりで、ほとんど家人以外とは会話もしない生活だけど
ごくたまに会う「人の目」が気になるというのは完全に捨てられず
こうやって年に数回、白髪ケアをしている(香草染め)のであった。

(しかし、人づきあいをしていたら、月イチは白髪ケアをしたくなるだろうな。
たしかに、わたしにもそういう時期はあった・・・)

ちなみに、わたし、(目に見える部分でいえば)
ずうぅぅっと、頭のてっぺんばかりに、ぼうぼうと白髪が生えていたけれど
この前、ついに、「生え際」にも白髪がやってきたのを発見したのだった。


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子なしハラスメント

ふ~む、専業主婦の場でも、働く女性の場でも
「子どもがいない」というだけで、大変なんだねぇ。

(もちろん、独身、子なしで、四十台後半になったわたしも
これまでそれなりに、ハラスメントを体験してきました)

ひところは、キャリアウーマンという名札をつけた女性には
「あの人は仕事に生きているから。仕事を頑張っているから」
という免罪符があったけど、今はそういう風潮ではないらしい。

仕事は当然ぱきぱきやって、子どもを産んで、育児がんばって
それでいて綺麗な容姿をキープして・・・・というのが
女性が女性自身に押し付けている「あるべき像」なんだとか。

ま、もちろん、全員が全員ではないのだろうけれど
そういう世界に生きている人たちもいらっしゃるようだ。

ふうっ。

もともと、(二十代で正社員の道を降りてしまった)
「独身で、子どももいない。かといって、キャリアウーマンという免罪符ももたない」
(はたから見たら、としつくしまもない、あ、用語がヘン? 言葉のかけようもない
と言い直そう)道を歩んできた、わたしは

一方的な被害者意識もあろうが、たびたびの差別意識をかみ締めてきたので
「子なしハラスメント」という言葉を聞いても、今さら感がある。

そして、仕事も子どもも美貌も・・・と、手にしようとしている
(手に入れられない人生はみじめだと嘆いたり
手に入れたものをキープするため幾多の努力をしている)
他人さまの話は、遠い世界のように聞こえるなぁ。

と、ぱらぱら拾い読みした『アエラ』の特集から思うのだった。
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=16973


〔余談〕
こういう文章の場(自己閉じこもりの世界)だから、ハラスメント云々といえるのであり、現実的な人とのかかわりの場において、相手が子あり・子なし・独身仲間であろうとも、わたしは「こういう系」の話をできません。しらっと、「ハラスメントなんて気にしてませんよ。感じてませんよ」顔して生きているのです。(そうしないと、みじめだし、かっこわるいもん)。
長年「傷ついていないふり」して生きてきた結果、今、自己閉じこもりの世界において、こんな文章を書いているのでしょう。


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背伸びせず、ゆるゆると日常生活などをつづります

はえともみ

Author:はえともみ
 
万の風になって、生きる。

ちちんぷいぷい~。
(HSPの自覚あり)
「うつと仲良く! ひきこもりだっていいじゃない」と
開き直って生きてたら
元気になってきました。

→ 近年は、老母の観察メモの
(&それに伴う自身の変化など)
色合いが濃くなっております。
・・・ま、長い人生の一コマですな。

徒然な日々も、留まることはない。
すべてがいとおしい。だから書く?

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