ともみ@ピクニック

末井昭さんの『自殺』

おもしろかった、末井昭さんの『自殺』。

末井さん本 アマゾンはこちら 
(表紙の無断転載は著作権に触れるのだろうか?)

タイトルがタイトルだけに「おもしろい」と評するのを「むむ?(不謹慎な)」と
思う人もいるかもしれないが、いやいや、やっぱり、おもしろいのである。

人間って、豊かなんだなー と気付かされるし。

遺族、自殺未遂者、自殺に関する仕事をしている人などの話をはじめ
末井さんご自身の半生もぽつぽつと語られ
どの章もこの世の醍醐味に満ちている。

誰もがその人なりの方法で一生懸命に生きている。
(ホームレスだって、億万長者だって、その人にしか分からない
苦しみや喜びのなかで生きているのだ)。
寿命の長さや、極端なことをいってしまえば、実は
死亡のきっかけ(病気か事故か自殺か老衰か)なんて
たいしたことないのかもしれない。
大事なのは、与えられた生を「生きる」こと。
(たとえ自殺だって、その瞬間までは、その人なりに懸命に生きているわけで。
自殺者は最終的に「自死」という生を生きたともいえよう)。
どんな人生も愛おしい。
この本は、我のそんな思いを、強固にするのだった。

ところで・・・
浮気しまくりで、借金ありまくりで、嘘つきで、ギャンブルに嵌り・・・
って、これだけ文字で読むと「とんでもない男」と映るのだろうけれど
わたしは、末井さんのことを、正直で、優しくて、胆力のある男性だなぁ と
活字の上で惚れてしまったぞ。

ここ数年読んだ本のなかで、指おりの「ひとに薦めたい」本である。


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世間を怖がる人に世間圧がかかる

先週のある晩、ゆりさんのツイッターを
https://twitter.com/yurinomono2
久しぶりに覗いたら・・・

21世紀は資本主義の形式を利用した精神的戦争の時代だから、自分の精神が殺されないように身を守りましょう

という言葉に出会い、妙に納得した。

(10月9日の「健全」に関する話も興味深かったデス)。


その数日後には

自分を縛る「現実」とは何なのか”との福タイトルのついた
http://toyokeizai.net/articles/-/48591
坂口恭平さんの新刊『現実脱出論』の書評記事を読む。


ユリさんと坂口さん、同じことを言っているんじゃないかな
という気がした。


そんな折、今度は
末井昭さんの『自殺』を読んでいたら

『生きづらさの正体 世間という見えない敵』という
ひろさちやさんの本を紹介している箇所があり

世間というものは幽霊のようなもので、幽霊にびくびくしている人に幽霊が出るように、世間を怖がる人に世間圧が掛かってくる。(『自殺』59頁)

という文章に追突してしまった。


あれれ~、なんだか同じことが
違う人の違う言葉によって、くりかえし
我の目の前にやってきているんじゃないか。

こりゃ、きっと、目指すところは同じものを指している。

人生の問題点が、「どうだ、どうだ」と、ネットや活字によって
示唆される、このごろだった。



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深い深い夜のひとり晩酌

10月27日(月)

夜の9時、実家からの電話で目がさめる。

「今日帰ってくるのかと思ったー」
母よ、なにを根拠にそんなことを云う?

(お寂し村の住人になったのだろうなぁ)。

まだ実家を離れて、4日しか経っていないのに。


さすがに今日は「寝坊」というか
「もうちょい早く起きても良かろう」な起床であったが
こういう日は、夜という時間をおもいっきり堪能できるので
これはこれで嬉しい。


それにしても、寒いぞ。

ダウンのベストを着て、下半身は寝袋に入って
・・・・という格好で、節電に励む。

夜中の3時半をまわり

白ワインを空けて
(ああ、これが、K社より貰った最後のワインだ)
お刺身を肴に
(わたしの好きな、各魚の切り落としみたいな部分が
寄せ集められた・・・赤身、白身、イカ、ホタテ、サーモン・・・品。
お上品な「盛り合わせ」よりも、こういう「寄せ集め」が好き)
深夜の晩酌をたしなむのであった。


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補足/妊娠しない・妊娠できない

きのうの日記に
少子化云々、妊娠云々と書いたけれど……
横道に行った話になりすぎたな、と反省。

わたしは、結婚をしたいとも思っていないのに
20、30代、そして40代の初め頃まで
まわりからの「結婚」プレッシャーをヒシヒシ感じて
とても憂鬱だった。

結婚と出産は比べることはできないけれど

子どもを授かりたいと思っているのに
そして身も心も捧げ、努力もしているのに
なかなか妊娠できないのは、
どんなに大変だろう。

ましてや世間では少子化を問題にする嵐が吹いていて
(当然、それプラス、身内などからの有限無言のプレッシャーもあろう)
敏感な女性なら、どんなに心を痛めているだろう。

と、「6組に1組の夫婦が不妊治療」の記事を読んで
感じたのだった。


DNAを自分以外のものに受け継がせることを
考えるだけでもこわい、わたしは
「子どもが欲しい」という感情は極度に希薄だけど

母という立場の女性たちが、母であるがゆえに享受できる
感情(喜び。嬉しさ。ときにせつなさまでも)を見たり聞いたりしていると

ひりひりした痛みに、いまだ、襲われる。

だから、結婚もしていて、子どもを欲しいと切に願い
お金も時間もつぎ込んで、できる努力はなんでもして

それでも子宝に恵まれない人(特に女性)は

わたしが想像もできないくらい
行き場のない辛い気持ちを抱えているのかもなぁ。


・ ・ ・ ・ そんなことを書きたかったのである。



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秋、進行

10月26日(日)

14時半の起床。

夏にはうらめしいほどの西日も
この時期になれば
「あったか~い。」感謝の陽射しなのである。

オレンジとナイフを格闘しつつも
(めちゃ、皮がかたい)
ふかわ君のクラッシック番組を聴きながらのお目ざをとり
西日のなかで、おだやかな時間を過す。

少しは外の空気を吸おうと、早めの夕刻、図書館へ。

隣の玉川公園はまだ工事中だったけど
公園の樹々はぼちぼち紅葉しかけている。

どんぐり拾いしているらしい女の子も。

我が家篭りしているあいだ
季節は着々と進んでいるんだなー。

閉館後は、犀川向こうのスーパーへ。
夕飯は、冷凍ナポリタンであった。


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「セックスしてりゃあ、子供を授かる」は昔話かも

10月25日(土)

むはっ、夜10時半の起床。

このひと月近く、昼の起床を続けるという
わたしとしては、なかなか頑張った生活リズムを保っていたが
どこか無理したところもあったのだろう。

その無理を、久しぶりの十数時間睡眠で癒した感じあり。

常識からすると不健康な過眠となろうが
わたしには大切な「身体の欲求」なのである。

本日お腹に入れたもの・・・
お目ざに、オレンジ、カントリーマアム、コナ珈琲
食事として、トマト、味噌ラーメン(ひじき、ゆで卵)
夜食として、さつま芋 など

実家からもらってきたあれこれとアパートの在庫食糧で
なんとか食いつないでいるが
そろそろ買い物に行かないとな~。



昨日、献血ルームで読んだ『アエラ』の
ブックナンバーに、妊活の記事があった。

「6組に1組の夫婦が、不妊治療をしている」とあったけれど
これは、病院で専門治療を受けている数なのだろうか?
それとも、当事者だけでやっている民間療法的なものを
含めての数なのだろうか?

いずれにしても、その高さに、びっくりした。

少子化問題について、託児所とか、金銭的な補助とか
「産みたい人が産むのを躊躇しない」社会の器づくり
に議論が行きがちだけれども、そもそも
「妊娠させられない」「妊娠できない」という
男女の肉体的なもんだいが大きい現代なのだよなー。

(一方で、子持ち主婦の中絶の数がすごく多いと聞いたことがある。
「妊娠しやすい人」と「妊娠しにくい人」の溝が大きくなっているのかな)。

セックスしてりゃあ、そのうち子供を授かるなんてのは、今や
「特定の(肉体的に恵まれた)人たち」だけに通じる話なのかも。

そうそう、最近は、「女性には妊娠しやすい体のリミットがある」という
啓蒙活動をわざわざしようという動きもあるらしいけれど
なんか必死だねー、世の中は。

高齢で妊娠しようとするからムズカシイのであり、若い女性の懐妊率は
昔と変わらない高水準なのかしら。それとも若い女性であっても
そもそも妊娠しにくい体になっているのか。
そして、男性の場合、年齢により能力にどんな変化があるのだろう。

これは想像でしかないのだけれど
人類は多くなりすぎで、自然の成り行きとして人口減が起きているんじゃないかなー。
(だから、先進国ニッポンで、妊娠能力のある男女の肉体自体が減っている)。

と、のんきな私は思ったりするのだけれど。

ああ、書きたかったことと話がズレているな。

まるで「出産しない女性が、自ら望んで妊娠していない」
かのようにとらえる社会的な風潮があるけれど
そういう(望んで妊娠しない)女性はもしかしたら少数派であり
本当は「出産したいのに、妊娠できない」でいる女性が
今の世の中にはたんといるのかもしれない。

ふうっ。

少子化、少子化と、騒ぎたて
「出産しない女性はわがままだ(自分本位)」的にとらえる声は
言葉の暴力だよな~。

そんなことを書きたかったのである。



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献血日和

10月24日(金)

お昼の起床。

あーでもないが、こーでもない、と葛藤しつつ
(前回から一ヶ月も経っていないので恥ずかしい。
でも、行きたいなー。などなど)
午後4時ころ、献血ルームへ。

(睡眠好し、体調好し、きのうシャワーを浴びている、きのうまで
実家にいたので食べ物も良好…血の状態も好かろう。コレ、重要!
と、わたしなりに考える、献血日和だったのだ)。

お菓子やドリンクがフリーで
雑誌やテレビやDVDが待っていて
職員の人たちとちょっとした会話もでき
簡単な健康チェックにもなり
お土産までもらえる
(今日はボックステッィシュ5個組を)
なにより、血を採ることが嫌いじゃない

そう、わたしは献血が大好きなのだ。

ひきこもりがちな身に社会との接点を与えてくれる
「閉じこもり」時間を拾ってくれる、ありがたい場所。

ビバ、献血。感謝なのである。

献血ルームの入ったビルを出るともう外は暗く
武蔵の交差点の金箔雪吊りがきらきら輝いていた。

店じまいの支度をしている、市場内の果物屋さんで
オレンジを山籠一杯買い、家路に着く。



昨日と今日、アパートで口にしたもの・・・・

ポンジュース、赤ワイン、ごぼう茶、珈琲
お芋(実家から)、炊き込みご飯(実家から)
カントリーマアム、サッポロポテトバーベキュー味
坦々麺(インスタント)、メンチカツ(冷凍してあった)

以上。



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セカンドハウス

10月23日(木)

青空ー。

お昼に起きて、午後、金沢へ。

乗り変えタイミングがよく、2時間ほどの道中であった。


「あー、やっと帰ってきた。(のびのび。嬉しい)」というのが
以前のアパートに帰ってきたときの感想だったが
この頃は、そうでもないなぁ。

東京を離れて数年のころのわたしには
実家に滞在するのは「腰掛け」感覚があったのだけど
この頃は実家暮らしの比重が重くなり
「軸」が変わってきたのだと自覚している。

お金を考えれば、完全に、実家暮らしにシフトして
しまうのが賢い選択というものだろう。

でも、一人暮らしの基盤を失ってしまったら
わたしはどうなってしまうのだろう・・・と不安は大きい。

・生活が「田舎」に埋もれると、精神までも「田舎」に埋もれる
のではないか
・今は「実家←→アパート」の往復で、色んなバランスをとっている
などなど

なによりも
自由の象徴のように、今のわたしは「アパート」をとらえている。
(いや、とらえているのではなく、すがっているのか?)

わははは、笑ちゃうね。

どっぷり田舎に埋もれた状況にすでにあるくせに
「田舎に埋もれる自分」を想像して、大きな恐怖を感じるとは!!

そもそも、どこにいたって人は自由なのである。

田舎で人生を「拓いている」人もたくさんいる。

なぜ、わたしは「田舎」というものに、多大な恐怖を感じるのだろう?

(ちなみに、金沢も十分田舎ではあるけれど、実家の田舎に比べたら
地方都市としての都会的要素はあるのである)。

目に見える「自由」を懸命に数えて、そして目に見えない「不安」に煽られ
ほとんど滞在もしないアパートを借り続けているわたし。
(つまりは、不安を遠ざける対価として、アパート維持費を払っている?)

バカ、なんだろうか?


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死は自分に属していない

10月22日(水)

夕方からは雨も止むそうで
「いざ、実家を発たん」の予定であったが
あ、あ、あしたに延期。

(図書館に借りた本を返さねばいけないのもあるが
   ↑ とうに貸し出し期限切れ。次の予約人待ち
それとは別に
予約本の受け取り期限があしたなのだ)。

あいかわらず、なんとも自分に甘いワシ。


お昼に起きて、ご飯を食べて、「ベニシアさん」などを観つつ
午睡をしていたら、もう日が暮れているのであった。

お夕飯は・・・

・けんちん汁
・鶏つくねバーグ
・チンゲン菜とキノコのソテー
・あとは、トマトや、カブ酢漬などの非加熱野菜

一昨日に解凍した若鶏のひき肉を使わねば
と、久しぶりに「つくね」を作ったのだが、大失敗であった。
卵でユルくなり過ぎたのをなんとかしようと片栗粉を足したら
どばっと、足し過ぎで、なんともカタい種になる。
ジュージューとフライパンで焼いたら、見かけは
こんがりと美味しそうになったのだけど、その食感たるや・・・(涙)。

まあ、けんちん汁で、根菜をたっぷりとれたので
いい夕飯だったとしよう。


・   ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・


アメリカで20代の女性の尊厳死が話題になっているらしいが
(余命を宣告され、病気で苦しんで死ぬよりは、その前に
愛する家族に囲まれながら医師に処方された薬を使って死にたい
と、インターネットを使って発表し、死の期日も決めているそうな)

糸井重里さんのこの文章
http://www.1101.com/darling_column/archive/2005-03-28.html
を読んでいたら、ふうっと、彼女のことを思い出した。

「死は自分に属してないものなのだ」と吉本隆明さんは
おしゃったそうで、それを受け、糸井さんは

死が自分に属してないということは、
生そのものが、自分の所有でないということでもある。
自分以外の誰かのものであるはずもなく、
自分のものでもない。
それが人間のいのちというものなのだと、ぼくは思う。


と、述べられている。

ふーむ。

尊厳死の是非を自分に問えば、絶対的な答えはでてこないのだけど
「死も、生も、そもそも自分に属したものではない」のだと
考えると、
その答えはおのず、決まってくるような気がする。


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居場所が欲しい?

10月21日(火)

図書館から本返却の催促をされており
早く金沢へ戻らなければ・・・なのだけど
暴風雨っぽい天候を理由に、延期にする。

あー。

「起きたら顔を洗いましょう」とか
「寝るときは着替えをして」とか
まるで幼稚園児が学ぶような生活のことごとを
日々の重要ノルマとして遂行している
(いや、遂行できない日もある)我は
「借りたものを、期限までに返す」ことも
難しいのであった。


ところで

アパートにはテレビがないので
(どうしても見たいときはケイタイの小さな画面を観る)
実家を離れるときは、ドラマやバラエティなどの
予約録画をしておくのが常となっているが
HDDの残容量が少なくなっている今
せっせと溜まっている番組を観なくてはならん。

昨夜は、ひきこもりや不登校児を支援する
ワンネスという石川県のNPOのドキュメンタリーを観た。
ご自身が「北大学生→演劇→挫折→故郷でひきこもり」の
経験をもつ森さんという男性が始められた活動なのだが
森さんはじめ、まわりの支援者が生き生きとしているのが
印象的だったな。

「こんなところでわたしも
ボランティアで働かせてもらえたらいいなー」
なんて思ったが、実のところは

勤め先も、趣味も、育児も介護も、ない、
ないないづくしの日々を送っているわたしの
時間を拾って埋めてくれる、あこがれの場所
そんな位置づけなのかもしれない。

ひきこもりや不登校の若者のお世話という仮面をかぶって
実のところは、ひきこもり中高年が居場所をもらい
精神的に助けてもらう・・・・という。

(十年ほど前は、ボランティアという立場を使い
年末年始に山谷の人々とともに過したが、あれも
<浮浪者の人々に救ってもらっている>という自覚があった)。


さて、夕飯は・・・
・豚ロースのステーキ
 (出た脂を使って、玉葱、エリンギ、ピーマンをソテー)
・めかぶサラダ
 (レタス、カイワレ、トマト、このしろ酢漬け、市販の「山芋とオクラ入り」めかぶ)
・おつゆ
 (大根、椎茸、チンゲン菜)
など


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ないものはない

10月20日(月)

雨の一日。

天気が悪いと「お篭もり」を正当化しやすく
なって、心がラクではあるなぁ。

(誰も非難しないのに、お籠もりdaysをダメだと思ってしまうのは
社会的なプレッシャーなのか、それとも自然な感情なのか?)

録画してあった、「ないものはない」をスローガンに
今、地域力を挙げて注目されている、島根県の
海士町という離島のドキュメンタリーを観た。
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/23th/14-403.html

世の中には、「限界集落」だの、「集落自体が消える」
だの、否定的な言葉がいっぱい踊っているが
それに引っぱれた思考に走る人や組織もいれば
海士町のように、むしろ危機を逆手にとって
力をつけている所もあるんだな。

常識外の予算を打ちたて
思い切った産業の育成をし
前代未聞な教育を拓き
おお、こりゃ、I ターン者が増えるわけだ
と納得の島だった。

なお、「ないものはない」というのは
この島には都会にあるようなものはないんだよ
の意味と
ないものは作っちゃえばいい
の2つの意味があるようだ。



夜は

サツマイモご飯(お米はいつも母の担当)
さんまの塩焼き
おすわい(方言かな。大根なますのこと。我が家は人参と油揚げを入れる。母作)
酢の物(玉葱、先日のこのしろ、ピーマン。母作)
ごま和え(間引き菜、カニカマ)
おつゆ(茄子、油揚げ、えのき)

あー、五箇山の茗荷酢漬けも並べてしまい
お酢もの3点となった今宵であった。
(でもそれぞれ、しっかりと味が違う)。

おやつの食べすぎであまりお腹が空いていなかったのと
やっと台所に立とうと思ったころに、母が流しを使っていたので
予定の里芋料理は中止に(挽肉を解凍してしまったが、ま、いいか)。

普段は思いついたものをばばばっと作ることが多いのに
今日は珍しく献立を考えており・・・・、しかし、そんな日に限って
予定が崩れてしまい、やや欲求不満の残る日であった。


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どかんと10人前(夢)

10月19日(日)

安定した静かな生活が続いているなぁ。

今日も、昼に起き、食糧品の買出しや
紫陽花の枯れた花をえいえいえいっと切っていく
作業などをしているうちに、日が暮れた。

(ホントはもっと早い時期に紫陽花の作業を終らせたかったのだが
普段目につきにくい場所に植えてあるのと、けっこう大きな株になって
いるので、一部は塀の上にのぼっての作業になるため
すぐ近くに植わっている人様の畠の無花果を狙う姿に間違われては
かなわんと・・・田舎ではときどき作物ドロボウの話を聞くので・・・
自意識過剰な心配が働いて、無花果の収穫が終るのを待っていたのだ)。

お夕飯は・・・

・大根と鶏の煮物
(昆布で煮た大根に、フライパンで焼いて焦げ目をつけた鶏の手羽元と
ゆで卵をあわせて、酒、みりん、醤油で、ことこと煮込んだ)
・アジフライ
(出来合い品。添えに、レタス、カイワレ、トマトを)
・ゴーヤの佃煮
(ゴーヤはワタも種も丸ごと使う。半加熱したゴーヤに、市販の海鮮佃煮と少々の水を加え
炒め煮詰めただけ。海鮮佃煮は母の朝食用として冷蔵庫に数種常備されているので
ここでは「えび・するめ」佃煮を使用。昆布・ごま・くるみが利いており、調味料は一切加えず)
・汁物
(昨日の豆乳スープにチンゲン菜を足しただけ)

数日前の日記に「姉の帰ったあとは貰いものが多い」と書いたけれど
まあ、普段から、姉に関係なく貰いものは多いわけで・・・、本日も
Nさんから、柿をどっさり(特に手入れをして食す渋柿を山ほど)
T子さんから、フルーツティや菓子のお土産
T田さんから、大根や蕪
Hさんから、柿を、いただいた母であった。

う~、これで大根が3本半になったぞ。
その他、ここのところ毎日、母が
畠から掘ってくるサツマ芋、サト芋
(まあ、これは保存食になるからいいか)
冬野菜の間引き菜、細々と実っている夏野菜が
我が家にやってくるので、食べても食べてもおいつかない。
(まあ、ほぼ年中、こんな感じなのだが)。

どかんと10人前くらいの食事をたまには作ってみたい。


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餃子とチュウハイ

10月18日(土)

お昼の起床。

空は高く、あおく、文字通りの秋晴れの続く
このごろであるが、われは縁側から眺めるだけの
引きこもりの日々が続いていたので
思い切って、食糧の買出しに出かけることに。

午後3時半、自転車に乗った身体ぜんたいで
日の傾きはじめを感じる。秋時間だなぁ。

帰宅して、活力があったので、庭仕事を。

やろうと思ったことがあったのだが、それに辿り着く前に
大きくなり過ぎたサンショウの木が
(一年に一度は切っているが、今年はまだだった)
目についたため、パチンパチンと剪定鋏で
とげとげの枝を切っていく。

元々どこかから飛んできた種が育った木なので
扱うほうも気楽なもんである。

途中、青虫を2匹発見。
先に見つけたのは、草のなかに放り投げ
(生き続けるかな。雑草は食べないので、ムリか)
あとで見つけたのは、地面に落として足で踏んでしまった
(南無南無。殺生お許しを)。


本日の夕飯は・・・

餃子(合挽き肉、ニラ)
サラダ(このしろ酢漬け、玉葱、カイワレ、トマト)
豆乳スープ(若鶏もも、玉葱、人参、蕪、えのき、チンゲン菜)
おひたし(間引き菜)

スープの若鶏は鍋用のを用い、いい出汁がでたし
蕪はとろんとやわらかく、身体温まる一品だった。

いまだ続いているチュウハイブーム
(夏は終ったし、健康に良いとも思えないので、そろそろ
ワインにシフトしたいのだけど・・・)、
たまには休肝日にしようと食卓に着いたものの
餃子を食べたら、しゅわしゅわがムショーに恋しくなって
キリンの本絞り(グレープフルーツ)を、わざわざ食事を中断し
車庫の冷蔵庫まで取りに行って飲んでしまった。
むー。


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お魚日和

10月17日(金)

今日もまた秋晴れの空。

お昼の起床。

『マッサン』の再放送を見て
(12時40分に起きて、朝ドラを見て、それから
昼の支度にかかるのが最近の日課になっている)

わたしが、やっと体に活を入れ
ラーメンの具にする野菜炒めを作っていると
「コノシロ、あるよ」の電話が魚屋さんからかかり
急いで出かける母。

あー。
なにもラーメンの支度しているときに
買いに行かなくてもいいだろう。
食べ終わってからでも間に合うだろうに。

きのう、久々にコノシロを食べたくなって
村の魚屋さんに母に買いに行ってもらったものの
この日はなく、「入ったら電話するよ」と言われたそうで
翌日である本昼、早速、電話があったわけだ。

そして
ざっと見て500グラムはあるだろう、コノシロの身を
200円で買ってきた母であった。

(コノシロは、いつも、一部を刺身で食べて
あとは酢漬けにして、数日かけて食べるのである)。

ちなみに、本日の夕飯は・・・・

・サバの味噌煮(母の作)
・コノシロ刺身
・とろとろスープ
(人参、椎茸、オクラ、豆腐、卵。めずらしくコンソメ味。とろみはオクラと片栗粉)
・おから
(五箇山のおから。おからは足が速いので「もうダメか」と思ったが
見ると大丈夫そうなので、サバの味噌タレで炒ってみた。具なし)
・蕪の浅漬け

魚料理は自然と母の担当になっている。
(なんたって、ブリも捌ける人なので)。

旬だからだろう、最近よくテレビの料理番組で
「サバの味噌煮」をやっているが、本日の母は
『きょうの料理』で見たばかりのレシピを参考に作っていた。
・・・・さっと湯通ししたサバを、煮詰めた味噌タレで煮る・・・
なかなか美味だった。



午後、近所の人にあげたいからと
サツマイモやサトイモをもらいに来た姉。

なぜか、姉が帰ったあとは
「食べ物がうちにやってくる」ジンクスがあるのだが
(そして、もうちょっと長く居たら、これもあげられたのに
と、あとでからかう)、本日も

Hさんから、柿をどっさり
Yさんから、「レーズンケーキ、お茶、ブラックベリージャム」(宅急便)を
Tさんから、大根、蕪、チンゲン菜、冬瓜を

もらった母であった。(感謝、感謝)。


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老年的超越(多幸感)

10月16日(木)

録画してあったクローズアップ現代の「“百寿者” 知られざる世界」を見た。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3565.html

ふ~む、百寿者とは初めて聞く言葉だが
これは「100歳を超えた人」のことなのだそう。

番組によると
百寿者の多くが、多幸感をもっている
という研究結果があるらしい。

「身体機能の低下にもかかわらず、80代を過ぎると
今の暮らしを肯定的に捉える感情や
人生への満足感が高まっていく

70代の頃までは
出来ない自分を認めたくないという感情や
老いや死に対する不安を持ちやすいが

さらに歳を重ねると
そういう否定的な感情や不安は薄れ
おだやかで幸せな気持ちに包まれる」

などなどの報告を挙げていた。

このような高齢者独特の精神世界は
「老年的超越」と呼ばれるそうだ。

登場した百〇五歳の爺さんも
「若い頃に戻りたいとは思わない、今のままがいい」
「今の生活は大満足」と語っておった。

もちろん例外はあるものの
住んでいる場所や家族構成などに関わらず
百寿者の多くが、多幸感を抱く傾向にあるという。

恵まれた環境の人が長生きしやすいと考えると
「百寿者=多幸感を保有しやすい」のは
なるほどなな話ではあるけれど
この番組では、そういうのを飛び越えた話をしていたのだと思う。

人のなかにある可能性のようなもの。

ネガティブなことばかりが増えていくと考えられがちな
高齢者だが、そこには若者には知りようのない
豊かな精神世界が広がっているのだ。

健康の状態、暮らしている環境、これまでの人生への達成感
・・・そういった要素も関係はあるのだろうけれど
それらだけに縛られることのない
もっと大きな力が働いているといおうか
神様が与えてくれたご褒美のようなもの。

そんなふうにわたしはとらえた。

そういえば
百寿者の多くが、見えない人々とのつながりを感じ
必ずしも孤立感を抱いているわけではない
という話も心強かったな。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

お昼に起きて、昼ご飯のあと、また昼寝。

目を覚ましたら、夕方になっていた。

夕飯メモ

・あおりイカの炒めもの(ピーマン、プチトマトも一緒に。塩コショウ味)
・あおりイカの醤油煮(煮汁でニラもさっと加熱した)
・茄子のオーブントースター焼き
・レタスサラダ(もずく酢と釜揚げシラスをのせて)
・アサリの味噌汁(身がぷりっと大きいアサリだった)


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