ともみ@ピクニック

2月25日(火)

▲アンダーな気持ちをぐぐぐっと押さえ、14時前の起床。がんばりました。
▲ゆうべ、ビスケット(ココナツサブレ)を食べていたら、右下のブリッジが割れてしまった。げっ。(まだまる2年も経たないんだぜ。20万近くしたんだぜ)。そんなわけで、電話予約をしたのち、夕方、歯医者へ。先生も「こんなの見たことない」(たしかこのブリッジに決める前、「この素材を患者さんに使って、今まで不都合のあったことはありません」と先生は云っていた)と驚いていた。結局、割れた部分を接着し、つなぎ目を隠し…の応急措置をしてもらう。但し、その後の保障はできません、とのことであった。ちょうど患者さんのいない時間帯だったらしく、ついでというか、定期のケアが3月末の開始予定だったので、前倒しでやっちゃいましょうということになり、口腔内の検査、下の歯の歯石除去をやってもらう。あー、あと最低6回はまた歯医者通いだ。
▲市場に寄って、おでんと、ハッサクを買って帰る。


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このテンプレート、リンクを貼っても、貼ってはいないように見えてしまう・・・

のは、自分のパソコンだから(リンクは覗いたことのあるサイトだから)なのか?

と、いつも戸惑ってしまう。

下の記事にも、2つリンクを貼ってあるのだが・・・。

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2月24日(月)

◎夜の9時過ぎの起床。へへへっ。久しぶりに蒲団人間であった。
荻上チキさんのラジオのポッドキャストを聴く。特に菊池成孔さんがゲスト出演したときの回(成ちゃん節、大炸裂)と、堀江貴文さんがゲスト出演したときの回(堀の中のリアルな実態)は、めちゃくちゃ面白ーい。
◎「17年間の結婚生活が、ある日、夫のウソ話により、たった2週間で離婚と相成った」、そんな人生をひきずって突如「山の中のログハウスで一人暮らしを始めた」女性のブログをたまたま発見し、一気読みしてしまった。なんといっても、人間の再生力がすごい!! リアルな生活が書かれているので、彼女がじわじわ再生していく過程が見られる。(同じ状況でも、ネガティブループに嵌る人だっているだろう)。そっと応援したい。

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2月23日(日)

◎昼11時の起床。しばしコタツで休んでから、やっと活動開始。お昼を食べ、シャワーを浴び、荷物を整理して、いざ、金沢へ。実に25日ぶりのアパートである。(家賃を考えると、ときどきこちらにやってきてビジネスホテルに泊まったほうがお得なような・・・)。
◎ゆうべのエキシビション、町田選手、すっごい面白かった。世間ではなんと思われているか知らないが、あのキャラクター、嫌いじゃないよ、わたし。あと、本番も素敵だったけれど、エキシビションの練習風景でテレビに映った日本勢の雰囲気がなんともいえずよかったな。こっちまで幸せな気持ちになったよ。

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下の下の話の補足・・・

「長生き」がいけないことではもちろんない。


期せずして得てしまった超長寿のなか
その人がどんな日々を送ろうと

(たとえば体の自由が比較的利き高齢時代とあまり変わらぬ
     生活ができる人もいれば、
 たとえば地獄のような介護受給生活で、
     体が動かず食事は胃ろうで、尋ねてくる人もおらず
     でも頭だけ冴えている人もいよう)

その人が受け入れなければいけない人生だ。

若いときには若いときの、中年には中年の、高齢者には高齢者の
そして超高齢者には超高齢者の、それぞれの受難がある
わけだけど、

現代は様々な進歩のおかげで
超高齢者の受難が増えているのではないかなぁという・・・。


うーん、

人生は成長期だけがすばらしいわけじゃないし
生産期(仕事をし、子供を育てる)だけが意味あるものじゃない。
老いて、なにも、できなくても、もちろん意味がある。

のだから、どんなに受難をかみ締める超高齢時代であっても
(体はチューブだらけ、他人との意思疎通をはかれなくても)
それはそれで当然ながら「生きてる価値」はあるわけで。

おやおや何を言いたいのかわからなくなってきた。

(ちなみに、65歳以上を高齢者とするならば
・・・もはや60代、70代はかつての中年のような時代である・・・
90歳以上を超高齢者とわたしは名づけたいのだ、
っていうか、そういうつもりで書いてきたのだけど!)

整理してみよう。

△いくつになっても人生は尊い
 (人間の尊さは生産性とは無関係)

△現代人は「長生き」により「苦」が増えた

△しかしそのことを公にyesという人が少ない

▲「苦」も人生。だから
 「苦」だらけだからといってその人生を否定するのはナンセンス
 (どんな人生も肯定するのなら、
 傍から見たら生きる屍で、本人も苦痛のどん底を味わっていようと
 それもまた肯定すべき人生となるのだろう…か?)

▲医療の進歩した現代に生まれたのは、その人の人生。
 その恩恵に(あるいは愚恵に)預からざるを得ないのもまた人生…なのか?


補足のつもりが、書けば書くほど分からなくなってきた。


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2月22日(土) 晴れ

◎お昼の起床。今年はこのまま春になるのかしら。ものたりないなぁ。最近はたまに雪が降ることがあっても、それはまさに春の雪というかんじで、地面に落ちる前に融けちゃうんだな。だからぜんぜん積もらない。それ以上に晴れの日も多くって。
◎昼食後は、室内や庭のあちこちに避難させている植木鉢に水をやる。それから母を誘って散歩。いろんな畑を見てまわる。帰宅後は、野菜を細かく刻んで、ひき肉使ったカレー作り。本日はほどほどに活動したな。

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2月21日(金)

昼の起床。ぼーっとする間もなく、姉と母が迎えにきたので、10分かからず外出支度(洗顔・歯磨き・着替え)。母の同級生がお好み焼き屋をやっていることが最近分かり、姉の車でGo。お好み焼きとやきそば、それなりに美味しくいただきました。ほとんど屋外の空気を吸う時間はなかったが、それでも5日ぶりの外出であった。

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「長生きはいいことだ」の価値観は現代でも大きく揺らいではいないと思う。わたしにも「長生き=おめでたい」的な思考回路がないわけではない。けれど、世の中のひとつひとつを見ていこうとすると、長生きゆえの苦痛というものが、あまりに多すぎることも分かってくる。

先日のラジオで「長生きしたいのは(まだ)長生きをしていない若い人だけ。95、100になって幸せだと思っている人は、まったくいないわけではないが、少ない。体の機能があちこち衰え、下の世話を受け……(それでも生き続けなければならない人間の気持ち)」と久坂部先生もおっしゃっていた。

世の中には「長生きするための健康法」のようなものがいっぱいあるけれど、本当は「ほどほどの年齢でぽっくりいける方法」のほうが、はるかに望まれるのかも。もちろん寿命は与えられるものであり、それに従うしかないのだけれど。「医学の進歩で寿命が延びるのは辛さを助長させる」側面もあるのはもう周知の事実なのに、それを声にする人は少ない。


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2月20日(木)

◎お昼に起きた。今日もまた、コタツむり。
家入さんは今回の都知事選では当選しなかったけれども、はかりしれない未知数があると思う。敗れたあとに、こんなに活動している人って、ほかにいるのだろうか。ニュートラルに様々な立場の人の意見を吸収しようとする姿勢。軽視されがちだけど、「居場所」って、少なくはない現代が人知れず求めている、底深い課題だ。
◎真央ちゃん、夕べの演技も見ていた分、感激が倍増であった。(「感動をありがとう」という言葉があるが、いままでのわたしなら、なんじゃそれ、くらいに聞き流していた。しかしこの二日間の真央ちゃんを見て、メダル以上の感動というものが確かにあるのだと知った)。

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2月19日(水) 今日は雨水

◎雨水だが、今年は冬らしい日が少なくて(北陸に戻り8年目、もっとも雪の少ない年だった)、春の到来感が薄いなぁ。(うすいがうすい、一人つっこみ)。季節感がのっぺりしている。
◎なんとか昼の起床をふんばっているぞ。本日は12時半であった。
◎録画してあったドラマ『紙の月』をまとめ観している。角田光代さん(←原作者)やっぱりすごいわぁ。

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2月18日(火)


お昼の起床。本日もまた、お籠もり。

夕方、よっこらしょと腰をあげ、
ハンバーグとサラダを作る。

パン粉がないので、ロールパンをすり下ろしたり
煮物のゴボウを鍋からとって、タネにいれたり
炒め玉葱の代わりに、生の長葱を使ったり
・・・それなりに美味しいバーグができた。

サラダは、キャベツと人参とセロリ。
寒さに遭ったキャベツはいっそう甘いのだ。

冬の神様よ、
平和な毎日をありがとうございます。



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数日前に寝床のラジオで聞いた
久坂部羊(くさかべよう。医師・小説家)先生の話が
とても興味深かった。再放送しないかなー。

たとえば、
30代で糖尿病になったお父上(お父上も医師)は
ストレスがかかるからと、食事療法をはじめとした治療を一切無視し
それどころか傍から見たら「不健康だろ」という生活をおくり
それでも80半ばまで自分らしく生きられた。

晩年、糖尿病が進んで、足の指が黒ずんで、
普通なら早く指を切断しなきゃいけないのだけど
お父上はそれを観察し続けていたら、ある日、壊死した皮膚がぽろっと
取れて、生まれたてのような指が出てきたという、
「現代医学上はありえない」ことに遭遇したり。

「食事が自分の力でとれなくなるのは、もうそういう時期だということ。
だけど、一般に家族は、ひと口でも何か食べてくれたら、とても喜ぶ。
それは本当は本人にとってはとてもとてもしんどいことなんですけどね」
(だいたいこんな意味のこと)

先生のお父上は、かねてからの望みどおり、自然死を迎えられた。
(ある意味で、家族の協力がないと、自然死が迎えられない時代だ)。

ユーモアあふれるお父上であったと推察されるが
時に現代医療の常識とはまったく真逆の姿勢で生きられた。
(生きる姿勢はそのまま死への姿勢でもあった)。
久坂部先生も、お父上も、ともに「医師」であったという点が
話に大きな深みをもたらしていた。






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2月17日(月)

お昼ちょっと前の起床。
なにもせず一日が終わる。
(昼にやきそば、夜に烏賊焼きや烏賊刺を食べたくらい)。
あ、あと、
母が最近、毛糸のチョッキを編んでくれているので
寸法を測るために背中を貸したくらい。
(冷え性なので、お尻まで丈のあるのをリクエスト)。
平和すぎる。

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エーリッヒ・フロム『愛するということ』の第二回目
        (TV『100分de名著』)メモ


人間は自由を得た結果、孤独になってしまった。
孤独の解消法=究極は愛。

他人から承認されることで「自我」を支える
(自我を守るために他者が必要)
自我というのは自分で支えることができない
孤独でいると自我は支えようがない

孤独から逃れる三つの手段
①祝祭的興奮状態・・・酒や麻薬やセックスで気を紛らわすことなど
②集団への同調・・・サッカーをみなで応援することなど
③創造的活動・・・芸術的もの、職人的もの、農作業など
→しかしいずれも一時的なもの

「完全な答えは、人間どうしの一体化、他者との融合、
すなわち愛にある。(中略)
この世に愛がなければ、人類は一日たりとも
生き延びることはできない。」

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2月16日(日)

▲13時の起床。久々の晴れ。夕方、外の空気を吸いたくて、握り寿司を買いに行く。しかし寒かったな。帰宅後、母のしょうが湯(高級しょうがの粉末をふんだんに使う。めちゃ辛い)で温まる。
▲きのうの日記に書き忘れていたが、おとといの晩は、また生で羽生選手の演技を見た。もうね、演技中に手をついてしまったときは、「あっ」と声を上げてしまったよ。日本人選手の演技を全部見てからお布団に入り、そしてすぐに「金」の速報をラジオで聞いた。ほんと、おめでとう。そしてきのうの会見だけど、心がぴしーっとなるような話だったね。すごいわ~、19歳。(やっぱり世界はどんどん分化されていると思う。羽生選手はもちろん、振動が高い派。←あ、スピ話でした)。

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