ともみ@ピクニック

9月26日(木)

約一週間ぶりに外に出る。
昼に母のおつかい(お芋を母の友人宅に送る)、
午後はカシの木の剪定。

ひゃー。
アオイラガの幼虫が大々発生している。
(毎年夏の終わりにカシを剪定していたが、
今年は時期が遅れたため、大々発生したのか。
もみじの木どころじゃない、たぶん
一本のカシの木に、軽く千疋以上はいたろう)。



わたしが手入れを預かり、5年目、
今年はけっこういい感じに仕上がったと思う。

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9月25日(水)

◎立山の紅葉が始まっていると、テレビが教えてくれる。今は天狗平辺りだそうだ。雲の上の紅葉だね。
◎眠くて眠くて、(睡眠薬は飲んでない)、晩ご飯も食べずに眠ってしまう。夜中、ちょっと起きて、ブルーベリー&ヨーグルトとお菓子を食べ、また眠る。

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9月24日(火)

きのうの朝、ふわりと甘くてやさしい香りが届いた。最初はなんだろと思ったけれど、すぐにわかった。台所の前の銀木犀が開花したのね。だいだいの花をつける金木犀に比べ、この花は白く、香りも控えめだ。

どこにも出かけず、人とも話さず、本も読まず、脳みそ海綿体に一直線のような暮らし。ああ、神様、わたしも生きていていいんでしょーか。(いいんだから生かされているんだろうけれど、とにもかくにも、もったいない生き方ではある)。

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9月23日(月)

 







  
 前にJさんから送られてきた彼岸花


「日本の彼岸花は種ではなく、球根で、つまり手植えで広がりました。いざというとき、そこから澱粉をとりだそうとしたのでしょう。毒性の強い球根ですが、それほどまでに昔は食料が不足していたのですね」という説を、明け方のラジオで聞く。


ところで、「労働=人に使われる、ただ苦しいもの」という発想は、古いんだなあ。と、ちきりんサンの世界をのぞくと尽々教えられる。ぐぅおぉぉー、古い発想を捨てたい!



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9月22日(日)

▲最近、もみじの木が、虫にやられている。ネットで調べたところ、アオイラガの赤ちゃん(葉液を吸う)と幼虫(葉を食す)の被害らしい。おまけに、「蜂熊」や「デンキムシ」などの異名をもつのも頷けるほど、この幼虫にさされると、電気が走ったかのように痛い。何十匹と殺生しても、翌日あたりに見ると、また何十匹といるのだから、はてはて、おそろしい虫だ。
▲「倍返し」は好きじゃない。「じぇ、じぇ、じぇ」もなんか、違うだろ。ここはやっぱり、今や使い古された感ありの「今でしょ」に落ち着くのがよろしいのではないかと思う、今年の流行語大賞。

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9月21日(土)

お、おそろしい自体が発生。「夜、眠れず、朝方、眠る」は体になじんだパターンであるが、「夜、眠れず、朝になっても眠れない」というパターンもあり、これは、つらい。しかも本日は午後になっても眠ることができず、思い切って、医師から処方されている睡眠の薬を使って昼寝をしたの。ここまではいい。その後、夕方起きて、夕飯の支度を少し手伝い、しっかりそれも食べたらしい。そして、食後のヨーグルトをいつものように堪能したあと、まだ早い時間だというのに、お布団に入ったらしい。そして、翌日の夕方に起床。らしい、らしい、というのは、“薬を飲んで昼寝”以降の記憶がほとんどないからだ。よーく、よーく、考えて、ご飯を食べたらしいなぁの、ぼんやり記憶が少しだけ。。。 (どうしても睡眠を整えなきゃいけないとき…翌日用事があるなど…は、ときどき睡眠の薬を使うのだけど、どうも規定量じゃ効かないことがあるのよね。それで本日は規定量に一錠プラスして服用したの。これまで何度も加錠の経験があるけれど、こんなことは初めて!)。ぱぴぷぺぽぽぽぉ~ん。母の反応からして、わたしのぼんやり記憶からして、ま、見た目は「普通の人」らしくご飯を食べたりしていたようだが、実のところ、ラリっていた。。。というやつみたい。

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9月20日(金)

◎こんな日記を書き続けていることに「はぁ」と否定的気分になることが殆どないのは、わたしの強みである。(生きるには鈍さが大事!)。「意味のない日記」ではあるが、「パソコンに向かう・文字を綴るという行為」が、わたしにとっては大きな意味があると思っている。(自分自身の生存確認。そしてボケ防止)。
◎と、いうわけで、「本日はなにをしたか」メモをしたいのだけど、う~、思い出せない。(書いているのは3日後の23日)。さっぱり、思い出せない。何時に起きて、何を食べたのか、何をしたのか、まったく、思い出せない。
◎なので、別の話を。NHKの『猫のしっぽ カエルの手』は大好きな番組だ。(録画したのを少しずつ見ている)。平坦とは決していえない人生を歩んできたベニシアさん(京都大原に住む、ドキュメンタリーの主人公)のエッセイなどを耳で聞いていると、人は「どこに心を向けるか」ひとつで、その人生が開きもするし閉じもするのだなぁと、再認識させられる。

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9月19日(木)

◎早朝起床。朝一の図書館でくつろいだあと、市場のパン屋でキンピラゴボウパンを食べる。午後はフルーツシュークリームを買って、高速バスで親の家に帰る。
◎しずかに中秋の月を愛でる。(Bちゃんはススキとお饅頭をお供えしたそうだ。なるほどー。わたしはそこまでの発想がなかったな)。真夜中の満月は、屋根を銀色に照らし、背の高い樹木をところどころ(まるで発光生物が隠れているかのように)輝かせるほど、あかるかった。ぷるるんっ、わたしは昇り初めまもなくと(たまたまトイレに起きたときに見た)西のかたにだいぶ傾いた、オレンジ色の月が好き。

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 こども図書館の裏

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 帰省途中の車窓
 

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9月18日(水)

21時少し前の起床。(12時間くらい寝たのかな)。外はたぶん、すがすがしい秋晴れで、散歩をするにも気持のよい日であったろうな。なむ~。味噌生ラーメン食べて、24時にはまた自然と眠りの中へ。


夏の終わり~最近読んだ本

ikigokochi.jpg 『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由がある』

こんな田舎町がわが国にあるのかと感動した。他人の顔色をうかがったりしない、誰もが呼吸しやすい町。赤い羽根の共同募金をしなくても、老人クラブに入らなくても後ろ指をさされない、選挙の票集めが野暮なんて、わおっ、我がふるさとを思い出しても、奇跡のような田舎町だ。自己効力感という言葉をはじめて知ったけれど、この町の人々はそれがとてつもなく高いのだな。作者(岡壇さん)の筆の力もあるのだろうけれど、「こんな土地に生まれたら、わたしの性格もずいぶん違ったろう」と思わせる空気がこの町にはある。なお、「絆」や「助け合い」という言葉の功罪に関する考察は現代を生きる者たちのひとつの指針になると思った。


gohannchotto.jpg  『ごはんのことばかり 100話とちょっと』

食と人生がつまった、ばななさんのエッセイ。こんな本を読めるのは幸せだなあ。


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9月17日(火)

●二夜連続で「精神疾患とどうつきあうか」がテーマのテレビ番組を見た。結局は一夜目の最後に石田衣良さんが言った言葉につきるのかなと思う。“何十万人と精神疾患者のいる世の中では、病気、病気とみるよりも、もはやこれは「ひとつの型」なんだととらえたほうがいいのではないか”(←だいたいこんな言葉)。ぱっぴっぷっぺっぽぉ~。おおよそ精神の病を気にせずやっていける型(いわゆる健康人)、うつ型、双極性型、拒食症型、統合失調型など、もちろん、がっちりひとつの型にはまり続けるとは限らず、ゆらゆら複数の型に身をおく人生もあろう。健康人というのはひとつの型に過ぎず、精神疾患は特別視されるものではない、そういえる世の中になるといいなー。
●この番組で初めて知ったのだけれど、統合失調症のヒトにも「無気力」という症状があるのね。今まで、幻覚や幻聴というイメージばかりが統合失調症にあったけれど、へぇぇと勉強になった。
●「働きたいのに働けない」「働いても長続きしない」というのは、やはり当事者じゃないと理解するのはむずかしいみたいね。(はたからは「怠けている」「根性がない」と見られがちで)。その分、当事者同士の共感は深い。
●ほんじつは起きたら18時前。(日の高いうちに活動したいと思い、そのためにはしっかり眠ること、では久々にと睡眠の薬を早朝に服用したのだけれど、まったく効き目がなかったようだ。う~)。

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9月16日(月)

朝のゴミ出しをして、『あまちゃん』(「GHQが来た」で吹き出した!)をみて、台風による大雨の音を子守唄に入眠したのは9時半ごろだったか。そして「お昼かな」と思って起きたら、夕の4時半だった。雨はすっかり止んでいる。アイスを食べて、急いで図書館へ(祝日は閉館時間が5時)。予約図書を受け取る。Tシャツ姿は少し涼しいくらいだな。夜はパスタを食べたら、なぜか眠くなり、9時には就寝。二度覚醒したあと、眠れなくなり、またもぞもぞと起きだしてラジオなどを聞く。

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9月15日(日)

朝寝て、夕方起きる。こんな好き放題の生活をしていては、ボケ老人を待たず、ボケ中年になる危険が……。安売りアイスを買いに近所に出かけたのが唯一の活動。夜、『いねむり先生』(伊集院静さんの自伝的小説をもとにしたドラマ)を見ていたら、「え、これ、デジャブ?」と驚く場面があった。(フランス映画を上映している映画館に先生と一緒に入ったときのこと)。初めてのドラマなんだけどな~。以前、伊集院さんの出たテレビ番組で、同様の下りがあったのかな。ところで、伊集院さんはとてもカッコイイ男性だが、ドラマのなかでは、西田敏行ふんする「先生」がとても魅力的だった。

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なにをしても長続きしないのは、性格の問題ではありません。
心身のコンディションの問題です。


とおっしゃったのは、たしか松本東洋さん。



数年前まで「その自信はいったいどこから?」と他人が思うだろうくらい、わたしは「労働」への不安がなかった。「いざ、となったら」、「自分がその気になったら」、なんとでもなる、仕事はいくらでもある、恐れを知らない自分だったのだ。(就職はバブルのはじける寸前のぎりぎり時代だし、会社員を辞めたら、こんどはバブルがはじけていて時給のいい派遣の仕事がいくらでもあり、自分の望むように働けた。つまり就労に関してほとんど苦労してこなかったのだ)。


それが地方に引越し、日本経済の様子も益々変わり、何年もの無就業期間を経てみると、おどろくほど「仕事がない」状況になっていた。そしてなにをおいてもビックリしたのは、たまに就いた仕事に自分の心や体がついていけなくなっていたことだ。


「ひきこもってつらいのなら、働け」というのは正論だ。

「だけど働くのもつらい」という悪循環。

「働くのは誰でもつらい」という声が聞こえてきそうだが、わたしの場合、それがノイローゼ級というか、まさしく恐怖のレベルのつらさなのだ。

「それは精神の病のせいかもしれないのだから、無理して働く必要はない」

「けれど今のようにひきこもっていては、つらい毎日が続くだけ」


この数年の労働におけるおのれの姿(労働を始めると、正気を保つのもギリギリになり、追い詰められ感がハンパなくやってきて、結局、長く続かない)により、すっかり自分に自信を失くしてしまった。


冒頭に戻るが、「なにをしても長続きしないのは性格の問題ではなく、心身のコンディションの問題」とは、わたしの腑に落ちた。


こんなコンディションでは、また新たな仕事に就いたって、同様の結果が待っている・・・そういう心配がある。


履歴書の空白期間。年齢。……こんなことで就労が不利になる現実もある。ま、しかし、これに関しては「事実なんだから、どうしようもないよね」と、わりとさばさばしている。


わたしがこれまでやってきた労働の大半は、ちきりんサンの「新)4つの労働者階級」でいうところの(4)番「仕組み通りに働く」、である。

このヒエラルキーはわたしのなかで耐えるに値しない。そう思ってしまうのも、労働が続かない一因だろう。(頭が貴族!)。


「仕事のできる」人はどんな小さなつまらない仕事でも前向きにとりくむよね。わたしは自分を見て思うよ、仕事(労働)に対して前向きになれないわたしは「仕事のできない人(向いていない人)」なんだと。

(いやいや、つまらない仕事なんてない。認識の問題なんだ。つまらなく見える仕事も、自分次第でつまらなくない仕事になる)。


ふーう。「労働に関する、おのれの気持ち」を整理してみたいと、前々から思っており、ここに思いつくまま書いてみたのだけれど、あららん、前にもこのブログに書いたことある話ばかり並んだような・・・。なかなか芯の部分がでてこないなぁ。今のわたしは、どうしたいのだ、なにをしたいのだ、これまでの労働でなにを学んだのだ。「束の間でもいいから、心の休息をしたい。(シフトしたい)。手っ取り早いのは、仕事」。それは分かるんだけどなー。


外にでるのは、なにも労働だけじゃない。趣味やライフワークのために外にでるのもよかろう。あるいは障害者支援の団体(デイケアとか作業所とか)に助けを求める手もある。もちろん、旅もね。ただ今の自分が欲しいものを考えると、…お金、引越し、日常にyesといえる心の余裕、それから人と会える自信や実家との距離…、まずは「働く」から始まりそうだ。


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