ともみ@ピクニック

5月29日(水)

◎昼過ぎの起床。今年初の冷やし中華を食べ、コタツでだらだらとテレビのお供をしたのち、そのまま19時半まで午睡。起きて、母の作った夕飯(つくねハンバーグと、飛び魚の塩焼き、野菜料理いろいろ)を食べる。夜もコタツでテレビをだらだら深夜まで眺め続ける。夜、2~3分の散歩をできたのが救い。
◎四月頃にピークだったノイローゼ状態が落ち着いてきて、「開き直りが少しできるようになってきたな」と安堵の気持ちで自分を見ていたが、今度はウツに転んでしまったようだ。
◎ドリアン助川さんがおっしゃっていた老子の言葉、心にしみた。「春は皆が桜の下で楽しそうに宴会しているのに、ワシはただ独り。皆が財を築いて生きているのに、ワシは何ももっていない。しかし、ワシにはTaoがある」(←わたし訳)。(もっとウロ覚えの、わたし訳→)「社会では失敗者であっても、空や風や緑の集う世界での、失敗者というわけではない」。

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5月28日(火)

◎一日中、お布団と、コタツのなか。14時半、筍ご飯を2膳食べ、19時、また筍ご飯を2膳食べる。おかずも、もりもり。そうそう、おやつも、食べて。食欲低下(収入のない身→お茶一杯飲むのも申し訳ない)のピークが過ぎてくれたと思ったら、これだ。本来の、食いしん坊。
◎「子どもの貧困」という言葉を近年しばしば耳にするが、先ごろ届いたカタログハウスの冊子にもその特集(当事者参加の座談会)があった。……電気が止まり半月も風呂に入れずローソクで過ごす夜、自分の名前で病院にも行けない(保険証がないから)、定時制高校に通う費用と生活費のために複数のバイトを掛け持ち。子どもの貧困のほんの一例。

*上の話のすぐあとに下の話を書くのは、心が分裂しているヒトのようだね。
 わたしはこのブログのなかで、たまにこういう分裂ふうな態度をとってしまう。

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「どうするか(Do)」は重要じゃない、すべては「どうあるか(Be)」にかかっている。



半月ほど前にちょこっとのぞいてみた雲黒斎(うんこくさい)さんのブログにあった言葉。心の深い部分で「そうだー」と思った。ちなみに続きの文章はこれ。



意識の状態に変化がない限り、お前が創造する現実に変化は訪れない。



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5月27日(月)

◎四つ葉のクローバーの芽が出た。とっても、とっても嬉しい。実はこれ、3年前にYさんから(種の埋まったグッズとして)送ってもらった、クローバー。冬にはいったん姿を消して、5月の半ばには芽がでていたの、前の年もその前の年も。だからこのところ毎日、祈るような気持ちでこの鉢を見ていたんだ。ほんと、嬉しい。
◎午前、わたしの寝ている間に、母が「山の管理」に行く友人に付き添って、山へ行ってきたらしい。筍と三つ葉をとってきていた。
◎「そうじの仕事、それもわたしはできない」の夢、を見る。うー。(レジ打ちや清掃の仕事は「誰にでもできる」と思われがちだが、それは違う。仮に誰にでもできるならば、社長業だって、きっと誰にでもできるのだ。本当はね。わたしはそれを忘れがちで、仕事に階級をつけてしまいがちだけど)。はんぱない、追い詰められ感だぜ。



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5月26日(日)
◎午後早めの起床。数時間、息をひそめてじぃっっ。夕になり、畑の苺摘み、庭の水やりと剪定を少し。夜のさんぽ。あー、これができただけで、「生きていることを否定しなくていい」感覚に近づける。
◎食欲が本格的にもどってきた。はて、いいことなのかなー。「収入もないのに生きているだけで金がかかる。の思い。→ 食欲激減 → ますますネガティブ思考」の循環を少しはハズレてきたのだから、いいことなのだろう。そんなわけで、カレーを夜食に食べました。




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5月25日(土)

◎昼の起床。家にこもっているのがつらく、15時半ころ、外出。延々と畑のなかの道を自転車こぐ。ドラッグストアとスーパーで用足し。帰宅後、畑へ。Tさん家の坊や、自分で摘んだ苺を「見て~見て~」とうれしそうに見せてくれる。(味見もさせてくれる)。かわいい。「じいちゃんと、男の孫」って、じんわり、独特の空気に包まれているよね。Tさんと坊や、二人を見ていて嬉しい気分になった。
◎このじいちゃんというのは、目じりをさげて孫のいうことをホイホイきいたり、モノを買い与えて孫のご機嫌をとるようなじいちゃんのことではない。工具を使ったり、土をいじったりして、じいちゃんは孫を気にかけつつも、じいちゃんの日常を生き、孫は孫であたり前のようにじいちゃんの周りにいて、じいちゃんの働く姿を眺めたり、自分の遊びに没頭したり・・・、そういう姿がいいの。
◎ここ半月以上・・・どうしてそれを覚えているかといえば、三日月の頃から、「あれれ」と思っていたから・・・、月が異様にあかるい。ここ数日はそのピークなんじゃないか。夜の空がぼおおっと蒼いんだよね。

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行動メモなど

◎5月20日(月) 夕方、実家に帰る。(高速バス…山のなか、藤の花か桐の花か、さかんに咲いていた)。

◎一週間のごぶさたで、ピンクのツツジがおわり、今は白のツツジが満開。ボタンの花も終わっていた。カモミールじゃんじゃん咲いている、などなど。

◎「畑に植えたの元気がないから、あたらしい苗を買いたい」という母に同行し、田んぼの向こうのホームセンターまで黄色いウリの苗を買いに行く。ついでにゴーヤの苗も買う。

◎ゴーヤの床の準備。(去年ゴーヤを植えていたプランターの土を掘り起こし、の段階)。

◎イチゴの季節が始まった。今年もおいしく実りました。もとは祖父の弟が買った苗というから20年ほど前のものなのか・・・、毎年、子孫を残しております。

◎ツツジの前で「子供のころ、よくこの蜜を吸った。甘かったねえ」という母に、「また吸ってみたら」といったら、すぐにチューチューと吸い始めた。そして「やっぱり甘い」だって。買ったばかりのピンクのサンダルを履いて、グラパラリーフや、サンショの葉なども…、庭を食べ歩く彼女。(畑ではニラの葉をかじったり、な食べ歩きをいつもしている彼女)。

◎上記の母のサンダルだが、売り場にて、まっさきに彼女が手にしたのがこのピンクだった。すぐに「これにしよ」という母に対して、「ほかの色はいいの?」とわたしがたずねたら、「紫?」と返されてしまった。うう~ん、わたしは「こげ茶」色などを検討してはいかが?のつもりだったのだけど。「えっ、紫?」とわたしが躊躇して(実際は薄い紫)、結局、ピンクのサンダルになったのだった。ちなみに彼女のパジャマはピンクだし、お出かけバックもピンクなのである。来年80歳だよ。

◎母の畑の作物の種類は数年前に比べてうんと減ってしまったが、なぜか、いつも外に出るたびに色んな野菜をもらってくる彼女。ここ数日も、カブラ、大根、キャベツ、レタス・・・、感謝。

◎火、木、金、と、祖母の顔を見に行く。きのうはトイレの帰り、立ち止まり、急に九九を口にしたおばあちゃん。(どーしちゃったの。頭の体操か?)。その流れで、エレベータのなかで九九の問題だしたら、すらすら答えてくれた。今日はT子さんのもってきたイチゴとわたしのもってきたイチゴをほうばり、「食べるのがおいしいということはまだまだ死なんいうことやねぇ」といっておった。もうすぐ97歳だよ。

◎夜の散歩はときどきしている。今日は一人で70分ほど歩いた。夜10時前に出発して。どこまで行っても民家と畑ばかりの村の道。明かりのついている家があると、ちょっと気持ちが元気になる。少し海にも寄る。だあれもいない浜辺、だあれもいない村の道。お月さんが丸かった。

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吉本隆明さんの最晩年のしゃべりで成った『フランシス子へ』を読む。

じんわり吉本さんのぬくもり感じる本だった。

いつも半開きにしている玄関、

見ず知らずの人からかかってきた電話に2時間も3時間もつきあうお人。

ライターの方やお子さんのあとがきで

ますます吉本さんのお人柄に触れたくなった。

(ついでに、親鸞についての本も読みたくなった)

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「老後が不安という「病」、治せます」 を特集した、今発売中の『婦人公論』で

〈55歳からの人生について思うこと〉希望は自分で探し、出会うしかない

という話を村上龍さんが寄せているらしい。



ほんまやなぁ。(年は関係なく)
(環境も関係なく)
希望は自分で探しに行くしかない。

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行動メモ(5月12日深夜~5月20日午後、金沢滞在)


まあったく一日じゅう室内にこもっていた日は少なくて
だいたい一日一回は外に出たよ。

昼~早目の午後には起床していたよ。

外に出ると、人を見かけることに感動したよ。
そしてうれしかったよ。

夜の11時頃、窓を開け
「よその家に明かりが灯っている」ことに
これまたじぃんと感動したよ。

(田舎ではありえない!から)


去年度はほとんど人に会わなかったのに
(4月頃、ある昼食会に一度参加したのみ。
それ以外の知人友人の交流はゼロであった)

なんとびっくり、人に会えるようになった!

14日(火) Iさんに会う。(おととし2ケ月ほど一緒に働いた、年上の女性)。
フォーラスの上階で近況報告などし合う。こんな時間をもてたこと、ありがとう。

17日(水) ときどき気になっていたO先生にメールをおくる。
急きょ、会うことに。緑濃くなった道中、急いで自転車走らせる。
O先生のところ、客人もいたが、それを気にしてはおじゃました意味がないので
遠慮せず、ぽつぽつと、話をする。なぜかO先生は今もわたしに多大な評価をして下さり
「これからも縁が切れない程度に連絡を下さい」と遠慮がちにおっしゃった。

さみしい病のなせる業で「人と会えた」のだろう。

「会った」からといって、根本的なさみしさは消えない。

それでも「一人で閉じこもってばかり」とは違う空気を

吸うのは大事なのかな。


日が長く、天気もいい。2時間ほど、犀川をサイクリング&ウオーキングする。


河川敷でバラの世話をする爺さんに声をかけてみた。
98歳だって! ここでお世話をして60年になるって!
(川沿いの桜並木も、彼が植えたんだって)。
しばらくおしゃべりさせてもらったよ。

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下記、記録として書いた。

「文字にできる」だけの気力が戻ったわけで

わたくしとしては落ち込んで書いたのではなく

変化球の自分励まし、のつもりなのである。

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ここ数週間、「首をしめられた」ような精神状態で目覚める日が多い。

原因は「収入のない我が身」にノイローゼ気味になっている…からである。


そして起きている間じゅう、「お金」の不安にさいなまれている。

テイッシュ一枚使うのも、お茶を一杯飲むのも、苦しいって

いったい、わたしゃ、どんだけ気が狂っているのやら。


この春先まで「やろうと思えば働ける」「その気になれば仕事なんてある」と

思っていた自分は、まったくの別人のようである。

(前々から声をかけてもらっていたところに先月末見学に行き
自分の見当違いに気づき、先週はひとつ面接受けたがだめだったようで
…誰でも受かると思っていたのに…、今週初の面接はキャンセルしてしまい
…容姿査定があるらしく、などの理由で、早々にあきらめた…
バイト雑誌を見ては、ハローワークの求人見ては
わたしの働けるところなんてないのではないかと
超々濃厚ダークな吐息をはき、ただでさえ不安定な精神を
ますます危うくさせている毎日)。

どうか、自分よ、お大事に。


これまで
色んな仕事を(ごく短期)してきた分、
「もうやりたくない仕事」を増やしてきた。

「その気になればわたしだって働ける」
あの自信はどこにあったのだろう?

履歴書、空白だらけ。
30代も、空白は少なくなかったが
今ほど真っ白けっけの無職期間ではなかった。

あー、傲慢だった自分よ。

身についた・かつやりたい仕事はないし
履歴書は出すだけマイナス効果?な具合だし

求人を探しては「あれはどうだろ、これはどうだろ」
ずっと考えこんで、結局、働くことがこわくなる。

そして(世間とずれた頭の回転をしていたわたしは
これまで年齢のことをあまり考えていなかったが)
「40半ばで、あたらしい仕事」というのは
そう簡単にはないのかしら。

うーん、
「障がい者年金をもらうに値します」と
プロに太鼓判を押された身である、
ここで人並みに働こうとするのは
無理なのではないか? の思いもある。

(「人並み=フルタイム」という意味じゃない。
一年に100万近くも稼げたら、万々歳であります!!)

だけど
いつまでも無収入ではいられない
ほんま死ぬしかないよ
の気持ちにぐわわあああっと迫られてしまう。

やっぱり、自分よ、お大事に。

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「自殺自体が適応の姿、という一節に、ストンと言語が「現実にはまる」感覚を覚えた」

雑誌『現代思想』2013年5月号69頁の大野更紗さんの言葉に
わたしもストンときた。(←危ない自分)。



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上の続き。

たまたま図書館で手にした雑誌だが、雨宮さんと川口さんの対談も
えいえいえいと読んだ。「情報があれば、人はどんな境遇になろうと
生き延びられる」という話がなされていた。

あと、この対談で
「尊厳死」のとらえかた、わたしは浅いな。と知る。
そうか、これを認めちゃったら、ヒトを尊べないことも増えるのね。

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えっと、下の話、「お金うんぬん」はあくまでたとえである。

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