ともみ@ピクニック

最も高いレベルでは、私たちは皆守られています。
私たちの宇宙は慈悲深く、どこまでも優しいのです。


『奇跡が起こる前世療法』(ブライアン・L・ワイズ著)92頁

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3月26日(火) 午前の起床。本日の一番大きな仕事は過去の分の年金をおさめたこと。それにしても、やっぱり心の調子がズレている。変。春のせいでもお金のせいでもない。(なんなんだ! この変具合は)。犀川沿い早い桜がもう咲いているのを発見。夕方の帰省。

3月27日(水) 少し庭の空気を吸い、あとは室内で過ごす。「すんごく可能性のある時代。ただ、自分に制限をかける人の多い時代でもある」と、夕のニュースを見て思う。最近の心の変具合はホント常軌を逸しかねないのでは?と、本日より頭の薬を飲むのを休止。

3月28日(木) 居間の東の窓の障子を4枚貼る。去年から何回か障子貼りしていただけあって、要領が分かってきたみたい。今回は初めて障子用の両面テープも使用してみる(便利)。あっ、そうそう、昨日も今日も朝の起床(ただし昼寝付き)。




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変・・・メモ。

「肉体と精神と魂がばらばらに居る」と、はっきり具体的に知覚はしていないけれど、変具合を自分なりに表現すると、そういう感じかな。(*)

無気力や疲れやすさは減っている。また喜怒哀楽に特に尖がったところはないと思うが、不安感のようなものだけが突出している。

(本当に不安な時期はもう過ぎているのに、今は勢いで自分をぐいぐい不安に引っ張っているだけなのだろうか)。


(*)わたし、子どもの頃、ときどき耳が遠くなったような、おかしな感覚に見舞われることがあった。(たぶんその日のうちには回復していた)。今思い出して文字にすると「自分の知覚する世界と現実との4次元的な壁」があったような感じなんだよね。もっと知識のあるわたしなら、あの時間は「宇宙人にさらわれていたのだ」なんて考えてたかもね(しゃれにならん!)。・・・最近の「肉体と精神と魂がばらばらに居る」感じのわたしは、このことをふうっと思い出すのだ。

これを書いてさらに思い出したのだけど、そういうことのあった子どもの頃は、またしばしば、今(当時における現在)に由来するのではない不思議な感覚(色んなものがごちゃまぜになった…でもたしかにどこかで体験したような)にも出会っていたような記憶がある。





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3月25日(月)

◎午前の起床。歩いて年金事務所に行く。(過去分の納付書を発行してもらう。←年度が替わると「遅れて払うよ」加算金がUPするので、もしもさかのぼり納付を考えている方がいれば、ぜひお早めに)。話の流れで、現在の「全額免除」もキャンセルということに・・・。嗚呼。小雨のなか、傘はなく、でもまっすぐ帰る気にならず、いつもの散歩コースへ(近江町付近)。ポンカンとお菓子を買って帰る。
◎ふぁぁ。「命の相談室」みたいな感じのところに電話してみようかしら、と発作的に思う。が、相手との波長が合えばいいけれど、そうじゃない場合はますます精神の具合を悪くしちゃうんじゃないのという思いも同時にやってきて、また一人の夜を耐える。

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何がどうなっちゃているのか考えてみよう。


1.これまで陰をひそめていた不安感やさみしさというもの
  に光があたりだした。

2.だからこのところ、「前代未体験じゃないの!???」
  な妙な感覚に襲われている。
  (苦しい、が、これまでの苦しさとは別種の感じ)

  今までの「うつは、うつの穴にもぐる」「とにかく寝る」
  的な対処に至ろうという、自然回避スイッチが入らない。

3.不安は不安でも、漠然としたものじゃなく
  何か具体的な不安が押し寄せるような・・・

4.それに「さみしい」のだ。(おそらく)

  わーん、人生で自分の「さみしい」シルエットを見るなんて
  初めてかも!

5.今年に入って、自主的に誰かにメールしてみたのって
  たった一回。電話での(実務以外の)会話はゼロ回。
 
  人と顔を合わせるのは、月に数日の、母親のみ。

  あとはずううっっっと一人ぼっち。

  ぶひっ、こうやって書いてみると、
 
  よくぞノイローゼにならずに今日までいられたね

  と、自分を褒めてあげたい。

  (たいがいはさみしくて気が狂っちゃうんじゃない?)
 
6.では、わたしよ。

  このさみしさとサヨナラしたいとき

  人間界ではどうやったらいいのか知っているね?

  はい。

  誰かと、何かとつながる、まず一歩を。

 (「一人は平気、一人がいい」という自分は一度死んだ
  と思いましょ)。

7.長年の、人との断絶方向に向かう習性ゆえ、
  どうやって人とつながったらいいのか
  すぐには見つからないかもしれない。
 (時々はその現実に愕然とするかもしれないが、絶望はしないで、自分よ)

8.こんなこと(さみしい自分)をあっさり認めちゃうなんて
  かなり危ない所まで来ているんじゃないか?
 
  の思いがゼロ%ではない。

9.だいじょーぶ、大丈夫、自分。

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下の補足。

そう、人は当然、不平等に生まれてくる

平等に生まれようがないよね。

そういえば、ワイス博士も「私たちは皆PTSD(心的外傷後ストレス障害)
を持って生まれてきているようなものです」(*)と云っていた。

さいごは平等というのは

「死ぬときは誰でも一人」に近い意味で書いたのだけど

一晩明けてみると、もっと色んな意味があるなぁと思った。

家族の問題、お金の問題、健康の問題・・・えとせとら

普段はそういうことに覆われているけれど

みんな、みんな、

不平等にも見える人生を

たましい抱えてえっちらおっちら生きているのだなー。

(皮をむけば同じ! みんな玉葱?)

そういう意味では平等!


*ブライアン・L・ワイズ博士の『奇跡が起こる前世療法』(91頁)


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no title

寝床のなかで

人は不平等に生まれてくるけれど、さいごは平等だよなー

の思いがやってきて
ちょっとほっとする。

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3月24日(日)

△日曜日。毎日が日曜のようなものだけど、それでもやっぱり日曜日。午前の起床。夜、アイスを買いに近所のミニスーパーへ歩いてゆく。用水路の柳の赤ちゃん葉っぱが街灯に照らされていた。
△ここ数日、急に「老齢年金」が気になりだした。うう、厚生年金と国民年金を合わせても加入月が200月にも満ちていない現状のわたし。たしか300月分以上の納付がないと、年金の支給がなされないんだよね。あーめん。数年前、わたしが年金を払ってないことを知った親が「お金をあげるから払いなさい」としつこく言ってくれたのだけど、その忠告を無視しちゃったんだ。当時は(そして最近までも)「先の分からぬ将来にお金を先払いできない」なんて思っていたけれど、いよいよわたしも45歳になろうとしている今、人並みに“老後”が気になり始めたようだ。

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3月23日(土)

午前の起床。珈琲をいれ、ぐうたらこ。お目ざはカステラ。昼に蕎麦。頑張って顔洗い、歯を磨き、髪をなで、外出。しかしなぁ、行くあてのない、わたし。結局、遠くまで自転車こいで、お酒と食料品を買ってきた。体調すぐれない。むなしい。お菓子を夕飯とする。眠る。さきほど起床。そういえば先日は春分の日だったね。「あと3ケ月で夏至か」と思うと寂しいよ。

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

こんな日も、わたしはわたしを祝福しよう。
えいえいお~  

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いやな日があっても、「ああ間違いをしてしまった。何かがおかしいのです」と言うのではなく、「これってすばらしくないですか? 私にはいやな日を経験する特権があるのです」と言うのです。あなたがそんなふうに経験をすれば、他の人は経験しなくてもいいのです。というのは、あなたが本来の自分であることによって、ネガティブを光に変えるからなのです。

この人生を始めると、あなたは経験すべてを所有することになりますが、経験を解放することを学ぶと、自分とより快適な関係を構築できるのです。


『幸せの芽がどんどん育つ魔法のガーデニング』191頁より抜粋


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***はぁ、はぁ。書くのが長くて疲れたよ。
他人には何でもない話だろうけれど、
なんとなく不思議だったのでメモしておいたよ。



実家の寝室の柱時計は、父が亡くなる数日前に突然止まってしまった。(当時、父の入院にショックを受けていた母が、止まっている時計を「なんとかして」と、朝、病院に行く前のわたしに頼んできたのを覚えている。普段はそんなムリを云うこと(外出前の人に用事を頼むなど)のない人なのに、この時計と父の寿命をつなげて怯えるほど彼女も弱っていたのだろう)。たしか1~2度は、ちょちょっと時計のどこかを触ると、また動き出した記憶がある。しかし、結局、それがいつの時点なのか明確に覚えていないが、ほどなく、「もう、動かぬ」柱時計となっていた。

新しい柱時計を買おうという話も出てはいたのだが、なんとなくそのまま年月が過ぎ、この前の日曜日にようやく新しい時計をインターネットで注文した。(去年から具体的に候補を絞りこんでいた)。支払いも済ませ、あとは送られてくるのを待つだけという段になり、「古い柱時計どうしようかな。捨てるのはしのびない。古道具屋さんで引き取ってもらえないかな」と思いつき、ネットで検索していると、なぜか時光堂(じこうどう)という時計屋のホームページにたどりついた。

その時計屋は、新品の時計を商っているほか、壊れた時計の修理もしているそうだ。過去の修理例を見てみると、我が家のような古い振り子のついた柱時計も載っている。「他店で修理を断られたものも、ご相談下さい」と書かれており、一級の修理人のいることもわかった。うむ、これは。

夕飯時に母にそのことを話し、(上のことを知ったとき、母は入浴中だった)、「今日注文した時計はまだキャンセル可能だよ」と伝えると、食事中にもかかわらず、新しく注文した時計は今すぐキャンセルして頂戴との意向が返ってきた。また偶然にも、あの柱時計は、時光堂さんで昭和39年頃に買ったということも分かった。

さらにこれは「へっ!?」なのだが、てっきりどこかの時計屋に一度修理に出して「直らない」と云われたのだと思っていた古時計だが、母によると、まだどこにも修理に出していないとのこと。(なんだよ~。わたしはテレビで見た瀬戸内の時計職人さんに修理を頼もうとまで考えたことあるんだよ。前に通りがかりの時計屋で聞いた「昔の時計はもう部品がないから修理できないだろうね」という話を告げたとき、あんた、うんうんと頷いていたよねぇ。わたしゃてっきりどこかに修理に出して断られた経験があるんだと思っていたよぉ)。

翌日、時光堂さんの連絡先をメモし、たぶん5年数ケ月ぶりに時計を柱から下ろして、さっとホコリを拭いてあげると、あれれ、動くじゃないの。どういうこと?

なぜだかわからないが、柱にかけると、止まるこの時計。(母はズレる…地面に垂直でない…と動かないという。が、柱には基準となる場所に鉛筆で記がしてあり、それに合わせてみても、止まるのだ)。抱っこしてあげたり、床におくと、また動きだすんだよね。・・・ということが判明。

結局、今は寝室の箪笥の上に置いてある。正時にはちゃんと数打ちをし、半になればボーンと一度打ちする、働きものの時計に戻っている。



*****なお、この柱時計は、振り子の時計。
ご飯(巻いたねじ)が減らずにそのまま残っており
ちゃんと動くの。

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3月22日(金)

と、いうわけで、「退屈っぽい」のがイヤで、今日は昼まで眠ってみた。(久しぶり~)。うん、寝坊もいいな。薬が効きすぎではないのか(専門医は違うというだろうけれど)と思い(もちろん「自己診断はいけません」が一般論だ)、「ちょっと一日薬を休んでみたらいいんじゃない」という心の声に従って、今日は頭の薬は飲まず。(そのせいか、前日よりも調子がいい。逆プラシーボか?)。なんとか、歯を磨き、顔を洗い、化粧水をつけたよ。(起きてからそこに至るまでの時間は長いが)。昼寝をしなかったよ。(朝の起床だと夜までなかなか体がもたないけど、今日は昼起きだからね)。がんばって外に出てみようと、「15時くらい」を目処にしたんだけど、結局出かけたのは16時近かったかな。でも、いいの。外の空気を吸うことが大事なのだから、目標達成。図書館で休んで、市場に行って三日月パンと珈琲で腹ごなしして、予定のきゅうりを買い、エムザの食料品売り場でぶらぶらし、ワゴンの品(駄菓子セットと小魚ナッツなど)を買い、家に帰ったわん。

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3月21日(木)

◎朝8時半頃の起床。きのうの後遺症で心身ぐったり。二度ほど仮眠をとる。「外の空気を吸わなくては」と意を決して午後の外出。行くあてもないので、仕方なく、犀川向こうのスーパーへ。牛乳やトマトジュースや珈琲の粉を買う。川原もすっかり春の空気になっており、帰りにちょっとだけ足をのばしサイクリング。
◎母の押し寿司(さより)にやっと手をつける。(昨日の朝早く作ってもらったのだけど、食べる気力がなかったのだよね)。押し寿司ってたまに食べるととても美味しく感じる。
◎これまでの人生で退屈を知らずにいたけれど、最近、「もしかしてこれが退屈?」と感じることがある。夜、退屈っぽかったので、早く床に入る。(退屈ってツマラナイのね!)。



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今まで「体が動かない」症状と長年付き合ってきたけれど、今の薬を飲むようになって、それがかなり軽減されているように思う。おっと、これは「薬への褒め言葉」であるけれど、同時に新しい苦しみの始まりみたいなんだ(今のところ)。このごろは「なんとか起きられるのに、行動の気力にまで至らない」自分への焦燥感が募っている。(ああ。なんか自分自身が「苦しみ製造機」みたい。一つ問題片付けばおのずと次の問題を生んでいるという)。体がもぞもぞするときあるし、でも何もできないでいるし、精神と体のバランスが崩れているのを実感するし(これまでは「精神も体もロー」でバランスがとれていた?)、なんて書くと「今は体はOKで、精神だけがローなんだな」の論になりそうだけど、そんなことはなくて、(頭は“比較的健康”と認識している自分のいる一方で、体がだるんとしていたり)・・・。自分よ、自分、自分さん、がんばれ~。


*鬱病の回復期に自殺が起こるという話はよく聞くけれど、なんとなく、それ、分かる。いやいや、わたしは自殺に興味がないけれど、そういう仕組み(鬱病のピーク時はその気力もないが、回復期の心身バランスの変調で自殺という行為を実行してしまう仕組み)のようなものが理解できそうな気がするんだ。

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これまで診療内科では色んな薬を試した。ノルアドレナリンを出す系、セロトニンを出す系、えとせとら。どれもはっきりとした効果は感じられずであったが、今年になってまた新しいものを飲み始めた。これドーパミンの放出作用もあるらしい。うーむ、このところ、深い落ち込みがないけれど、その分、体が落ち着かない感じ(←ちょっと足りない表現だが、短くいうとこうなる)。録画してあるドラマを見てもぜんぜん楽しくないし。感情がフラットすぎるみたい。「悲しみがない、代わりに、喜び(低い低いところから這い上がってつかむような快感→例えば惰眠とか、体を動かさずにできるテレビ観賞とかの楽しみ)も失った」のか?

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