ともみ@ピクニック

1月28日(月)

◎朝の9時には起きる。今年ニ番目の早起き。バスに乗ってパートの面接へ。「更新はどうするつもり?」(たしか一年契約)の問いに、「面白い仕事なら続けたいが、そうでなければ更新は希望しません」と申し述べ、「それでは困る」と返された。(ぐぉ~。面接に行く前から「落ちるつもり」であったらしい自分、不用心な答えをしてしまった)。ちなみに時給は850円。交通費なし。先週ハローワークで申し込んだ時点ですでに10倍の倍率であった。
◎午後から実家に戻る。録画してあった『泣くな、はらちゃん』を二回分見る。わたしにとっては斬新なドラマで面白い。




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  きらっきらっとした光の気配。
 

  「生きているのも幸せだな」と思う瞬間が

  こうやってときどき訪れる。

            (日曜の夕の写真)         

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小さなホコリをひとつ拾うだけで
世界は変わる。

という言葉がやってくる。


小さな・ホコリ・ひとつ → 国語としては成立しないのかも。
でもイメージはこうなんだよね。ゴミじゃないの。

世界=自分の見ている世界。

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1月27日(日)

ぐぉぉ~ん、がんばって16時前には起きたよぉ。(まるでレコーディングダイエットのようだ。起きた時間を記録している!)。図書館に行って用事を済ませたあと、お家に戻って、机に向かったよぉ。何時間もかかって履歴書(手書き)と職務経歴書(パソコンに入っているデータの加工)を作ったよぉ。たぶん能率5%くらい。(100分あったら、そのうちの5分しか作業していない)。ほとんどネットラジオ聞いてネットサーフィンしてたんだよぉ。

リシャール・コラスさん(シャネル日本法人・作家)が、「あれだけ“絆”といっていながら、瓦礫処理には多くの自治体がNOと返したことにショックを受けました」とおっしゃっており、そのズバリさに感銘した。

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  図書館への道のり。
  ちょどいい距離の散歩。 


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数年前まではわずかながらも出来ていた人間づきあい。

今はまったく出来なくなってしまった。


こういうイメージなんだな。

(コップはわたし。黄緑の液体は・・・)


いちにさん

  この状態で長年やっていた   いつの間にかこうなって    今ではこんな状態



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「人づきあいが全く出来ない」は正しくないな。調子の悪いときは宅急便屋さんと顔を合わせるのも苦痛だけれども(なので不在票を見ても再配達依頼の連絡すら出来ない)、調子がいいときはたとえば家賃を届けに行った先の不動産屋さんと短い立ち話することできるもんね。(わたしの社会的な交友は不動産屋と歯医者だけで成り立っている!)。ぶうっ。基本的には(よほど調子の悪いときでなければ)道端で見知らぬ人とも心地よく会話出来るタチなのだ。ここが肝心。「掘り下がらない」話ならOKなのね。つまり挨拶やお天気程度の話なら(日ごろ「閉じている」分、余計に人恋しいのだろう)さほど負担ではないのだよ。これがさ、プライベートに踏み込んだ話や、他人の噂話になると「ダメ~」になっちゃうのだ。なお、直に会ったり、電話で話すのはハードルが高くても、手紙やメールなら、自分の体調のよいときにアクションを起せるので(読んだり書いたりできるので)、大丈夫なのだよねー。「平生の人づきあいは文字のみ」令が敷かれたら、どんなに生き易いだろう。ぶう、ぶうっ。

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続々

「人と関わるのがこわい」

そう思ってしまうわたしの背景には何があるのか?

理由はひとつ。

記憶なのである。

あのとき、あんなムリをした。

このとき、こんな思いを閉じ込めていた。

すべてすべて過去の記憶が働いて、人づきあいに怖気づいてしまうのである。

(過去はもう存在しないのにね~。
 ニンゲンって不思議!
 今じゃなく、まるで過去を生きている。
 そして見てもない未来をこわがっている)


ならば、相手を許す
…本当は相手は全く悪くないのだが…
という心の運動をしてみればよいのだろうが、まだそんな心境にはなれない。
…わたしの記憶はことごとく一方的な被害妄想なのに…


あるとき、ひらめいた。

あんなムリをした自分、こんな思いを閉じ込めていた自分

もうそういうのをひっくるめて

過去の記憶のなかにいる自分を許してあげるのは、どう?


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1月26日(土)

「土曜日の午前」というのを久しぶりに味わいたいなーと思い、「夜は眠らない作戦」をたてた昨夜。(朝に起きるのはミラクルだから)。ふふふ、おかげで、ゴンチチの声も聞けました。11時過ぎの就寝。15時半頃に目覚めたあとお布団のなかでうだうだ。がんばるじょー、えいっ、と体を起したら、すでに16時半近い。「今日は何しようかな」と10分ほど悩んだあと、お風呂屋さんに行くことに。せっかくなら明るいうちに湯船に浸かりたいので、ぱきぱき支度してすぐにアパートを出る。道はつるつる。転ばないように3分ほど歩き、お風呂屋さん到着。ぼややんと湯船につかる。わたしは海水浴もプールも興味ないけれど(泳げない!)、お風呂は大好き。水風呂も好き。夜ご飯には、キムチスープをリメイクしてカレー味のおじやをいただく。深夜のロケショーは「劣等感グランプリ」。最近のわたしにどんぴしゃりのテーマであった。今日もまた一日が終わります、ありがとう。


ゴンチチ 世界の快適音楽セレクション http://www.nhk.or.jp/fm/kaiteki/

ロケショー ロケットマンショー http://www.j-wave.co.jp/blog/rocket/


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ド近(お風呂で浮かんだ自画像)

dokinn.png dokin2.png
  
                       ↑こういうエネルギーに取りつかれている


  頭でっかち。

  ものごとにド近で向き合うので

  広い視点で世の中を見られない。

                           

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その数時間に浮かんだ自画像

これまでわたしは

sekai.png
自分のまわりの世界というものをそれなりに見て生きているつもりであった。
(ネガティブでも、狭い視線でも、それなりにね)。



が、ほんとうは


hisekai.png

妄想の世界に住んでいて、まわりの世界をまあったく見ていないのではないか。



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もうすぐ2月

一月

二月

過日送られてきたM画伯の絵より


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Q なぜ人と会うのがイヤなのじゃ?

A 劣等感をごまかすことにエネルギーを費やすのが疲れるから。
  それがすべてではないけれど、かなり大きな要因。

Q 劣等感とは?

A 社会的に説明のできるものをなにひとつもっていない、
  「仕事」「作った家族」「趣味」「夢」な~んにもない
  そういう劣等感。

Q なぜ「社会的に説明できるもの」が必要なのじゃ?

A 本当は必要ではない。と頭では分かっている。

  「あなたはあなたであるだけでいい」と色んな人が語っているとおり
  「わたしはわたしであるだけでいい」のだろうね、ほんとうは。

  だけど・・・。

Q だけど?

A どうしても社会的な通念に犯されてしまうの。

Q はっ、はっ、はっ、自意識過剰じゃな。
  
A うん、わたしの苦しみは、わたしの自意識過剰から来るのだと思う。

  あんなことも、こんなことも、自作自演で苦しんでいるだけ。

Q そりゃ、好きでやっているようなもんじゃな。

A うーん、そう言われるのは本望ではないし
  当然「好きでやっている」の意識は微塵もないけれど
  実際のところはそういうことなのかもしれないなぁ。

Q 人間用語の「さが」じゃの。 続く



*** 社会的な縛りにとらわれているのは、誰のせいでもない、わたし自身の責任。
このことを知りながら、ちっともそこから進歩しないわたしである。




  


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Q 人間用語の「さが」じゃの。 続き

A そうだね。

  わたし、「さが」の背景には因果の法則があると思っているの。

Q ・・・・・・。

A でも「因の探求」に今のわたしは力をいれていないよ。

Q 前世におよぶ話じゃからの。

A ふふっ。

  神様が気まぐれで「さが」を与えたんじゃない、
 (大きな意味では気まぐれなんだけど、話がややこしくなるのでやめておこう)
  理由があるの。
  
  だから「さが」を活かすのは大事。

Q 活かす?

A 一般的には、好ましくない「さが」ならば
  その具現化をひとつひとつ消してゆくのが
  賢い方法とされるんだろうね。
  
  わたしの場合なら、仕事を見つけるとか、家族をもつとか。

  そうやって劣等感を薄めてゆく。

Q そうじゃな。

A でもそれは人間的見地なのよ。

  仕事をすることは立派、家族は大事~
  これらは人間的見地にほかならないもの。

Q ぐははっ、屁理屈じゃの。

A つまりね、人間的見地では
  「さが」をバネにして「さが」を克服するのが
  王道なの。

Q ふ~ん。で、人間的じゃない見地もあるの?

A あるのっ! ただただひたすら、この「さが」を味わいつくすの。

Q それが「さが」を活かす方法?

  そういうのを、人間様々的見地では
  「人生から逃げている」っていうのじゃろ?

A その通り。

  わたしはね、この地球に生まれた限りは
  どちらも体験すべきかなと思っている。

  日ごろは人間的見地にばかり意識がむいちゃうけれどさ。

  「さが」を味わうことも、きっと大事なの。


*** 「さが」を味わうことも大事にしていい、と意識したときに
こんな自分も生きていていいんだ、生きている価値はあると思えるのです(独白)。
  

  

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1月25日(金)

ごぉごぉ風が吹いているのを聞きながら、むにゃむにゃ眠る。お昼頃、「おっ、日が差してきた」と思いながら、またむにゃむにゃ。その後も、「トイレ行きたいなー」「お出かけするんだろ、起きなきゃなー」と葛藤しつつも、やっぱりむにゃむにゃ。しかーし、やるときはやるのだ。わたしだって。16時半頃、ぱきっと体を起し、5分で身支度整えて、ハローワークへ。(あ~、自分でもこの展開に驚いた)。用事を済ませたあとは、地下の休憩所にて好物の「野沢菜おやきパン」と珈琲で腹ごなし。ふ~。それから、生理用品と、トマトの缶詰とミカンを買って、帰宅。夜食には「焼きうどん」を食べる。夜中からまたごぉごぉ風が吹いて雪が舞いだした。








 
  近江町市場の前の交差点、18時前 



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