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そして、ふたつめ。

「社会規範からはずれ、自らあるいは興味本位で違法ドラッグ等を使用するといった危険性が、このごろ若年層に広まりつつある状況です。身の周りにこのようなことが決して起こらないように地域の絆を強めましょう!」

↑ 田舎のかわら版(原文のまま)


わたしは生涯、この感覚に馴染めないだろう。

地域の絆ですか、はぁー。
(しかも、太字!)

本当に
人は一人で生きられない仕組みってあるのかな。
いちいち些細なことに感情の針を向けては
苦しくなっている、愚かなわたし。

仮に
「ドラッグ」を「いじめ」に置き換えて・・・。
「いじめを止めましょう」と言い合ったって
いじめはなくならないし
「いじめはダメですよ」と真剣に教えたつもりでも
いじめをする人はするのである。
これ、いじめの加害者にも被害者にも届かないだろう
“蚊帳の外”の人が、クソまじめな陶酔良心から綴った
まったく心に響かない、というか、不快な文章。


はあー、久しぶりにブラックな気持ちを吐き出した。 


そういえば、きのう閉館間近の図書館に寄って
ちらっと読んだ週刊文春のなかに

<サブカル男はなぜうつになるのか?>
こんな感じの記事があった。

挙がっていた名前は・・・
リリーフランキー、みうらじゅん、菊池成孔、枡野浩一
ほか2名くらいだったと思うが

うぎょっ、この方々とは

わたくしが過去のweb日記で
頻度高く名前を挙げていた男性著名人の
オンパレードではないか!

(頻度高く名前を挙げとは
 すなわち好意をもっている・いたわけね)

ガテン系よりもサブカル系の人が好き
という自分は自覚できるけれど、

「うつ経験者」として挙がった名前のなかで
これだけの割合の方に好意を抱いていたとは

ちょっと自分でも驚いた。

ま、みうらじゅん以外、誰がサブカル系なんだ?
の疑問は残るが、そのことは置いといて・・・。
(ガテン系と比較するな!という話も置いといて)



ここ最近の出来事。

●きのう、お久しぶりの心療内科。
初めてのお薬を試してみることに。

(予約時間の少し前に着いたのだけど、ドアーが開かず、あせったぞ。
電話をかけたら、引越していたことが判明。
新しい場所はもっと駅に近い大きくて都会的なビルの地下
…吹き抜けのエリアと面した明るいところ…で
「儲かっているんだなー」と素直に思ったのさ。めでたし)

●あっ、そうそう、診察のさいごに
「脳の血流の検査」のことを質問したら
意外にも金沢医科薬科でもOKとのことだった。

ただし、それには入院が必要なんだって。
「症状の重い人が他の検査も兼ねて入院して調べる」そうだ。
おまけに
うつの人でも正常の結果がでたり
健康な人でもうつの結果がでたりで
参考にはなるけれど絶対の結果が期待できるわけではないと。

●ほんじつ、派遣会社の更新手続き。
(2年ごとの更新だけは、ちゃんと出向いている)

エクセルは(もともと知識少ない)惨敗であったが
ワード、思ったよりできたかも。
文章や数字の入力スピードも予想外によかった感じ。

面談をしてくれたのは、同年代の女性であったが
つい長話をしてしまった。

やっぱ、しっかりした派遣会社だなーと改めて思う。

コーヒーが(昔はレギュラーだったのに)
インスタントになっていて
「おやおや、ここでも『ご時世』ですか」と思ったけど。

●韓国ドラマ『ごめん、愛してる』を観終える。

(主役の二人が悲しそうな顔をしている時間が長い!)

感想は微妙だが、のちのち
(わたしの心の中で)大化けしそうな気もする。

それにしても意外なラストであった。


みんな、生の先に死がある。
そう思っていますよね。
でも実際は、死を背負って生がある。
風がふけば、ふっと表と裏が逆になり
死がむき出しになるのですよ。


ラジオでそんな話を、柏木哲夫さんという方が語っていた。

わたし、昔のように死をこわいととらえておらず
むしろある種、好意的でさえあるのだけれど
( ↑ ちょっと語弊のある言い方?)
その感覚はまだまだ表面的なものなんだろうなー。

・・・したり顔で「人の寿命はわからない」と口にしても
おのれの死はきっとまだまだ先にあるに違いない
と心の底では思っている。
・・・もしも自分がガンになったらどうするかな。
「やっぱ抗がん剤なんてやらないほうがいいのかしら」
「食べられなくなったら点滴をせず自然死を選びたい」
などなどの考えが、ちらっとぼけっと
頭のなかに浮かぶことはあるけれど

実はそれは「今ではない、いつの日か」
という無色透明の感覚が土台になってのこと。

ま、この辺は自然でいいと思う。(
「死はこわくない」と思いながら
同時に「こわい」のだ。今はまだ。

もしかしたら80歳になっても90歳になっても
今と似たりよったりの感覚かもしれないけれど

ほんとうに命を終える前までには
「へへっ、いよいよ、まじでこわくない」と
にごりなく思えるようになりたい。

(いくつまで生きるつもりだ!? 




死はほんとうに怖いものではないのだろう。本来は。
ただ「生まれ」てくるにあたって、
「あっちの世界→こっちの世界」に移行する途中の部屋のような所で
「死への恐怖感」がインプットされるんじゃないかなあ。
だって、きっと都合がいいんだよ、そのほうが。
こっちの世に生まれる意味を深めるためにも。

(だから、「死はこわい」の感覚をなかなか手放せない歳月を
 送るのは自然なのだ。自然に逆らわなくていい。
 いつか自然に過ごしているうちに、手放せる日がやって来るさ!)

下の について。


マザーテレサの有名な逸話に
“「戦争反対の運動」に誘われて、それを断った。そして
 「平和のための運動」なら喜んで出席しますと伝えた”
という話がある。

関心をもつことは、そこに力を与える
――マザーテレサはご存知だったのだろう。

(戦争反対⇒戦争に力を与える)。

関心とは、意識のベクトルであり
たとえば「不満を述べる=不満の対象にエネルギーを注ぐ」
そういうわけだ。

よって、違うな、イヤだな、と感じることには
ぐちぐち文句をいわず、さらっと気持ちをかわす
これが大切なのだろう。

朝のテレビの<中国の暴動あれこれ>を見て思ったのさ。

どの局もなぜ同じ内容ばかり繰り返すの
(↑これは毎度のことよね)

中国人のなかにだって
「この有様をイヤな気分で眺めている」
「同じ国民を恥じ、事態を憂いている」
人たちだって当然いるはずで
(むしろ、それが多数なのかも)

どうして、そういった人のインタビューを集めて
日本のメディアで流さないんだろうなー。

かつての暗黒時代ほど
「抗日にyes!yes!を唱えないと自分の身が危ない」
なんて時代ではないだろうし
中国人の皆がみな、歪んだナショナリズムをもっているわけじゃ
ないと思うのだがなー。

(仮に顔出しインタビューが難しければ、ネットで
「暴動にNO」といっている意見を集めることだってできるだろうに)

もちろん、実被害者
(不安をかかえる邦人や物質的な被害を受けた企業など)が
いることはたしかなのだろうけれど、
この手のニュースの伝え方には違和感が残るなー。
・・・重々しい顔をしながら、お腹のなかでは
   この暴動をネタとしてオイシイ
  (スキャンダラスであればあるほどイイ)
と思っている一部メディア人の思惑というか。

んー、こんな想像に至ってしまうわたしが腹黒なのか?



まったく違う話なのだけど、「テレビ業界の人、キモチワルイ」の流れで
先日読んだ、伊集院光さんのこの話
(芥川賞・田中慎弥の会見に見るマスコミの気持ち悪さ)
を思い出してしまったわい。



おっと、いかん、いかん。

この手のぶちこぶちこと物申す的な行動
(政治や社会情勢などへのえとせとら私見)を
慎む人になりたいのだ、わたしは。

なにが起きても、ケセラセラさ~。



多くの人が、毎日、緊張をしてお金を払った分は受け取る、失敗はしない、損をしない、無駄なく効率的にという生き方をしています。リラックスし、あらゆることが経験であるから進んでやってみようと思いません。

どこかに旅をする場合、何かのサービスを受ける場合、支払った分に対して左脳的に考えるよい経験でなくてはならない、得をしなくてはいけないと思っているので行動が起こせません。行動を起こしても、常にそれがよい経験にならなくてはいけない、支払った分の元を取らなくてはいけないと緊張状態で経験をすることになりますので、その経験を本当の意味で経験できません。左脳的に考えるよい経験ではない場合、失敗したと思いがちでもっと慎重に決断をすべきと思う傾向が強まります。どんどん左脳的になるのです。
 以下略

これはウイリアムレーネンさんのブログ9/14からの抜粋
http://williamandkevin.com/?cid=63

彼の教えは、わたしにとって生涯の道しるべといっても過言でないほどなのだけど
だいぶ前から、彼のブログを読む頻度が減った。
理由は分かっている。
ちっとも彼の照らす道に近づいてない自分が情けないんだよね。

教えを受けても実践できなければ、意味がない。

せめて、今日は、どこかの誰かにシェアしたいと、レーネンさんの話を紹介 

夏のおわり、秋のはじまり、どっちも気分次第で
選べる、いい時期だ。

あとひと月もすると、寒いね。そろそろセーター着ようか。
北陸人にはそういう日々になるのを知っているから

この寒さと戦わなくていい
暑さとほどほど共存している
今の時期は貴重。  
        
        moblog_3e97d3b1.jpg


今日は思いがけないエアメールが届き
とっても嬉しい日でありました。


そういえば、躁うつ病だった開口健さんは

(ちなみに 躁 ⇒ ノンフィクションもの
     うつ ⇒ 小説 の執筆スタイルだったらしい)

旅に出ているあいだだけは、一度もうつにならなかった

と何かに書いてあったな。

わたし、それ、解るかも。


48時間くらいお風呂にはいってなかったら

体からお寿司のような匂いがしてきた。

もうちょい正確に書くと、

「米酢とお砂糖の混じった」ような匂い。

う~。

前にテレビで、
若い女性には「熟れたバナナ臭」の人が多い。
と専門医が語っていた。

それは、甘いものを食べすぎの証拠なんだって。
(糖尿病予備軍だとか!)

で、わたし、バナナ臭じゃ、ないんだねー。

たしかにアイスや飲みもの、
甘いものの摂り過ぎには間違いないんだけど。

お寿司臭なの。

ぶひっ。


追記 微かに!の匂いだぞ。 ←自己弁護



しばらく前に、80年代生まれの若者たちの討論番組を見た。

長くなりそうなので、つづきはファイルを分けて書こう。

                      

 。  。  。  。  。  。  。  。  。  。  。 


そこで懐かしい名前とともにある意見が紹介されていた。

ひきこもり当事者の勝山実さんは、こんな話をしているんです。

ひきこもりは本当に怠け者か?
たとえば「半人前公務員」はどうだ。
0.25人分働く、これだったら、できる。
という人もいるだろう。
もちろん給料は0.25人分で。


(たしか、こんなような内容だったと思ったが
さすが、ひきこもり名人、我らが勝ちゃん!である)

昔に比べれば働き方が多様になったといわれているとはいえ
その実情は、特に田舎では、従来の労働体系とさほど変わらない。
たとえば事務系の仕事となると、
朝9時から夕の6時まで(よくて5時台)―これがメインだ。
もちろん月から金の週5日の勤務でね。

なんでやね。なんでこれがメインなの。

これをはずれた働き方をしたい者は
仕事の選択の幅をぐっと変えねばならない。

「できる(この長時間労働を特別苦にしない)」人から見たら
これが「できない」人はただのナマケモノと映るのだろうな。
(かつての自分もそっち派だったから、分かるのさ!
自分が「できる」と、「できない」人のことが信じられない、想像すら及ばないのよね。)

これだけ精神の壊れている人・体の具合のよくない人の蔓延している
世界で、おまけに働きたいけど働き口がないといっている健常者の
あふれている世界で、なぜに、ワーキングシェアーが増えないのだろう。

(「容量」の問題か? みんなが同じ容れ物をもっているわけじゃない。
あまり大きな無理せずに「週40時間勤務(プラス残業できる)」容量の
容れ物をもっている人が大勢いることは確かだもんね。けれど、
その「半分」いや「四分の一」いや「十分の一」の容れ物の人だっているんだー。
もちろん、同じ人でも、状況によって容れ物が変わる可能性もあるし。
上に立つ立場のほとんどの人が大きな容量の持ち主だから
こういう「大きな容量が当たり前!」の世の中のままなのかな~?)

わたしも、0.25人分なら、しっかり働けそうなのになぁ。


 。  。  。  。  。  。  。  。  。  。  。 


ところで、討論番組の「若者たち」とは、単にその年齢層の寄せ集めではなく
くくった言い方をすれば、自由な生き方を達成している人たち
・・・好きな生き方をして、お金もしっかり稼いでいる
   かつ社会的に自分の意見を発信する機会の多い
   ノマド成功者、起業家などなど。の集まりだったのだが

へぇ~、と思う部分があったのでメモしよう。

「ボクたちは、いわゆる勝ち組、成功者というやつですが
いつ自分たちも立ち行かなくなるかわからないでしょ。助け合いというか
社会的セーフティーネットも考えていかなくてはいけないでしょう」。

この意見を言ったのは、先の「勝山さんの話」を紹介した同一人物であり
パネラーの若者たちのなかで一番「降りた」視線を持ち得ている
印象だったのだが、ま、パネラー全体としても彼の意見を真っ向から
否定するような空気はなかったと思う。

それが今の時代なのかなー。

どちらかといえば
ホリエモン時代とは違う成功者像なんだよね。

(ギラギラ系じゃなく、文科系の匂いというか)。

オレたちは自分の才能でここまで成功したんだ!
弱者は、弱者なるべくして弱者になったのさ。
という手合いのような、
自己責任というナイフを持ち出さず

もっと個と集団の融合を、その大切さを、潜在的に知っているというか。

ところで、<お金>を第一主義とはしない方向で豊かさに向かおう
としている若者が増えているような気がするんだな、今の時代。
討論番組の若者は、その一端なのだろう。

 。  。  。  。  。  。  。  。  。  。  。 

余談であるが、先ごろの日経新聞に今年6月の雇用状態の記事があった。

一般事務職(正社員)の求職者 約40万人
これは、求人倍率にすると、0.15倍である
就職の希望はほとんど叶えられていない。


普段、ニュースで聞く失業率は「意味ないよなぁ」と聞き流しているが
せめてこれくらいのつっこんだ内容は話して欲しいものだ。

失業率の算定のマジックはいくつもあるが、これはそのマジックをゆるく解くひとつだろう。

 なお、「求職者」というのは、通常2ケ月の有効期限があり、黙々と
期限を過ぎても仕事を探している人は「求職者」の立場から排除されちゃうのよー。
(ちゃんとアピール行動をとると、「求職者」の立場が更新されるらしい)。
そもそも、ちゃんとハローワークに出向いて「求職」の手続きをしないと
「求職者」としてカウントされないしね~。(つまりネットや求人雑誌を使って仕事を
探している者はお役所のカウントする求職者とならない。よって彼らの存在は
失業率に全く反映されていない)。

 。  。  。  。  。  。  。  。  。  。  。 


勝山さんのブログをちょくちょくのぞいていたのは数年前。
その後パソコンを新しくしたのがきっかけだったのか
あるときから長らくごぶさたしていたな。

これを機にまた名人の『鳴かず飛ばず働かず』をのぞいてみよう。

十代のときからひきこもりになったという勝山さんだが
今や、ひきこもりは、自他共に認める「名人」の域。

本を出したり(あっ、ひきこもりでも本は出せるか)
各地に巡礼にお出かけになったり、講演会をしたり
その活動をみるに「これで、ひきこもり?」な訳であるが
彼は、十分に熟した、ひきこもり人、
ひきこもりのありとあらゆる苦しみを体験したゆえに
ある場所に到達した、精神的な極みを知った、ひきこもり名人
と称されるだろう。

(と、知ったかぶりのことを書いているが、まあこれは
わたしの推測であり・・・。こんど彼の著書を読んでみよう)

「ひきこもりはイケナイことで、それを脱することは素晴らしい」
という浅くてくだらない社会の常識に、勝ちゃんはガツンと
物申してくれるだろう。
(彼は、天才的に、急所を押さえた意見を、ときどき語る)。



背伸びせず、ゆるゆると日常生活などをつづります

はえともみ

Author:はえともみ
 
万の風になって、生きる。

ちちんぷいぷい~。
(HSPの自覚あり)
「うつと仲良く! ひきこもりだっていいじゃない」と
開き直って生きてたら
元気になってきました。

→ 近年は、老母の観察メモの
(&それに伴う自身の変化など)
色合いが濃くなっております。
・・・ま、長い人生の一コマですな。

徒然な日々も、留まることはない。
すべてがいとおしい。だから書く?

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