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先日、おもしろくて一気読みした、『すこやかな生き方のすすめ』。前々から「会長(桜井さん)って、どんなお人なのだろう?」と興味があったのだけど、う~ん、なかなか人間離れした素敵な人だった。彼は勝負師としての顔が有名なのだろうけれど、そんなものを脇においといても、十分に面白く、偉大で、人間味のある人だ。(華々しい経歴をちゃらにしても、今現在の等身大の姿だけでもカッコイイのだ!)。わたしが特に「へぇ」と思ったのは次の二点。まず、彼はもともと五感を超える能力に秀でていた。やっぱり、いるのだなぁ、こういう人。それから、奥様との結婚のこと。よく「こいつは俺がいなけりゃ、ダメなんだ」と勝手な自尊心を抱いて満足している男がいるけれど、そういうのとは次元が違う。彼が今の奥さんを選んだのは、慈悲というか、いつくしみを学ぶためだったのでは?と思ったぞ。(ハワイに移住された某氏の再婚を思い出した)。あるんだねぇ、こんな結婚。

banasakura.jpg(桜井章一さんとよしもとばななさんの対談本)

ごっつい深みあるお二人であるけれど、語り口はさらさらと軽いので、読みやすい。




とーとつだけど、中年になった我の悩みのひとつは、「人づきあい」というやつだ。こんなことで困ることになるとは若者だったころのわたしには想像つかないなー。1~2年くらい前かな、「無理はしない」「自分に正直でいいのでは」と心に決めたあたりから、いままで以上に人づきあいをしなくなった。(相手にはちゃんとそういった自分の心の変化を伝えていないから、あっちこっちのお誘いをそのときの知恵を絞って断ったり、逃げ回ったりしていて、「どうもヘンだ」と相手の方たちには思われているようだが)。結果、ラクになったかといえば、「ラク」になった面もあれば、相手にちゃんと理解を得られるような説明をしていない(だって「会うのは疲れるんだもん」なんて本音はなかなか言えない)罪悪感が終始付きまとってもいるので、良かったのかそうでないのか、はてはてはて……両方だ。

ところで「若者だったころのわたしには人づきあいが悩みになるとは想像つかない」という話であるが、なんかね、わたしは人と会うと、「スイッチ」が入ってしまうのだ。お愛想よくスイッチというか。ソツなくスイッチというか。今ではキライな人の前ではそういうスイッチは完全オフであるけれど、キライではない限りは、まあ、だいたいは、スイッチが入る。ま、多かれ少なかれ、誰もがそういうスイッチを身につけているわけだけど。問題なのは“本当にそれがしたくてやっているのか”という点なんだろうな。

『すこやかな生き方のすすめ』のある下りを読んでいて、あー、わたし、ホントは欲していないこのスイッチをむやみに使い過ぎて、疲れちゃったのかな~とも思い至った。

このスイッチは、桜井さんの言葉でいうと「スケベ心」ともいうらしい。なるほど。ぴったんこなネーミングだ。わたしは本来、ひっそりとお篭りして生きていきたいタイプな人間なくせに、「いい人だと思われたい」「最低限の評価は受けたい」「多数派でいたい(変人と思われたくない)」などなどの、スケベ心が大いに発動して、惜しみなく人づきあいのスイッチを押しまくっていたのだなー。


よしもと 小学校でも、中学校でもいわゆる世間話ができない子だったんです。学校で世間話というのも変ですけど、なんでもない、他愛のない会話。(中略)。高校生のときなんか、それがもっとひどくて、「あそこのミルクセーキ、おいしいよね」「え、どこ、どこ?」「ほら、駅前の」「えー、そうなの? 入ったことないわ」「今度、一緒に連れてって」とか、そういうの、まったくダメで、会話についていけなくて、なんで世間話ができないんだろうと落ち込んで、「私は、このまま生きていてもしょうがない」と思ったくらいですよ。

桜井 そういう意味のない会話を平気でできるのは、「そうしたほうが他人とコミュニケーションがうまくとれる」という人間の心の中の損得勘定から生まれているんです。(中略)つまり、一種の「スケベ心」なんですよ。その「スケベ心」を持ち合わせていないから、ばななさんは、しゃべれなかった、というわけ。

よしもと (略)

桜井 たとえば、「今日はいい天気だねえ」と言われた時に、「そんなこと言われなくなって、いい天気だ」と普通に思う人は、「はい」としか言えない。だから、「はい」と返事をすると、「なに、この人、ちょっと変」と思われる。それをずるい人は、「ほんと、今日はいい天気ですねえ」と同じことを言う。同じことを言う人のほうが変なんだけど、それがうまくいくように調整されてるのが、人間の社会なんです。

                  『すこやかな生き方のすすめ』134~135頁



「いい天気ですね」と声をかけられたら、にっこり笑って「そうですね、いい天気ですね」と返すのが“常識”と信じて疑わないでいたわたしだが、もしかしたら「そういった常識にしばられなくてもいい」世界というものを、自分で切り開いていってもいいのでは!と、生まれて初めて感じた。(もちろん、天気の話題というのは、たとえである)。



わたしの場合、心の底から何かを共有しながら人と会う、との経験が乏しいのかもしれない。つまりは人と付き合うことの真の楽しさを知らないというか。相手と会う。会話が弾む。笑いあう。でも、自分が本当にその時間を楽しんでいるかどうかは、また別の話なのだ。

内容がぐちゃぐちゃになっちゃうけれど、わたしは、「人と会いたくない」というよりは、「会うことで、またスイッチを無意識に入れちゃう自分を、容易に推測できて、その推測だけで疲れちゃう」のだ。要は、これ以上、びた一文もエネルギーを使いたくない、やっと保っている貴重なエネルギーを減らしたくないといおうか。要するにエネルギー不足?

でも、世の中には「人は人と会うことでエネルギーをもらえる」という厄介な法則もあって、これは間違いない事実で、たしかにわたしだって「人に会って元気になる」のは何百回も体験している。「疲れる」と「元気になる」は同時に存在して、そして、今は、前者が勝っているというか・・・。

そうか、矛盾があることを認めよう。(わたしだけじゃなく、この矛盾は誰にだってあると思う)。たいていの人は「疲れて」も、それ以上に「元気になれる」から、人づきあいをしているのだろう。

これは、もしや「大人の発達障害?」「高次自閉症?」と自身のことを疑っている源のひとつであるのだけれど、わたしは幼いころから、人とつきあうのが苦痛だったふしがあるんだよね。(普通、小学生は友達と遊ぶのが楽しいらしいけど、わたしはそういう感覚が乏しかったし、中学では友達同志で遠出なんかするんだけど、約束の日が近づくと憂鬱で仕方なかった。でも、わたしは、仲間はずれになるのがこわくて、「本当は一人でいたい」のに、わいわい友達とつるむ少女になり、大人になったわけだ。そしてその自己矛盾に今こうやって向き合っている)。

かといって、完全に人づきあいキライか?といえば、まったくそうではなくて、「人といて楽しい」という感覚はわかるし、十代後半から三十台のある時期までは、頻繁に自宅に友人知人を招き、お泊り会もし、という、人並み、あるいは人並み以上の人づきあいもしてきた。う~ん、やっぱ、ここにも矛盾。

余談だが、わたしには「さみしいから人と一緒にいることで時間をつぶす」という感覚が理解できない。(正確にいえば、理解できない、じゃなく、憎んでいる、となる?)。

そうそう、肝心なことを書き忘れていたが、わたしが人と会いたくない一番の理由は「元気なふり」をしなければいけない!これだ。(「無理する必要ないじゃない、元気ないなら、ないまま会えばいいじゃない」という在り方を、わたしはとても実践できんな。誰もに理解してもらえそうな病名でもつかない限り、わたしは、死のふちであっても「元気なふり」するだろう。そーゆーのが、疲れるのだってば!自分。だから人と会いたくないの!自分。

しかし、元気になるのを待っているだけでは、一生元気になんてならんかも。ほら、脳科学者の先生の「やり始めなければ、やる気にならない」というやつと一緒で、「元気なふり」をしているうちに、元気がでてくるんじゃないか。

と、すれば、無理をしてでも、人と会うということは大事であるなー。



今、悩みらしい悩みもない。

もちろん仕事をせねば、お金を稼がねば、

世間体がどうの・・・という

作り物の悩みはうずたかくあるけれど

本物の悩み、というのではないと

自分がよーく知っている。



しかしその作り物の悩みを原因として、わたしが

生きる力を蝕むほど自分を傷つけているのも確かだ。

(あーあっ。ばっかばかしいね~)。



今のわたしの苦しさというのは、

<自由な時間だらけ>ゆえに生まれてくるのだ

と分かっているし、かといって仕事を始めれば

また今とは違ったかたちの苦しみがやってくるのも

イヤというほど思い描ける。

(それでも前に進むのが人生だろうよ……という説教が聞こえる

(誰だって社会に出れば大変で、また、社会に出なければ出ないで
 よほどの達観に至らない限り精神的自傷にさいなまれる。
 というのが、大半の人の筋書きだろう。
 つまり右にゆれても左にゆれても
 生きているというのは大変なことで。
 その狭間で、こんな甘々コトバをはいているわたしは、
 いつ世間から石を投げられてもおかしくない。
 でも、世間ってなに? 世間って自分の想像物だろ)


と、ここだけ読めば、(アタマの狂った、という見方は置いといて)

あたかも贅沢な人生のように

他人は思うかもしれない。

しかし、ねえ。

贅沢もクソもあったものではない。

誰かと誰かの人生は比べられないのだよぉ。



なんか、別の話題も書いておこう。

と思うのだが

うーん、別の話題ねえー。

浮かばないので、お夕飯をメモ。

(4日の早朝、「眠れない。眠れるようになにかお腹に入れよう」と
 日本蕎麦&納豆を食べて以来、
 起きて5日の午前には、
 ヴェルタースの飴をたんと舐めてお目ざとし、
 お昼には『梅ちゃん先生』を見ながら
 スパゲッティー(椎茸・冷凍あさり・玉葱)をぺろっと食す)

本日のお夕飯は、ホタテとコーン入りの卵焼きと、かつおたたきと、キムチと、クリームチーズを食べたのでした。(ほとんど冷蔵庫のものを並べただけ)。キュウリの即席漬けも作ったのだが、これは夜食にするか。

ちなみに、蕎麦の前後には、ジン。
ヴェルタースの飴には、ドトール製のコーヒー。
スパゲッティーには温かいブレンド茶。
お夕飯には白ワインでありました。

つまらない話でも、うー、うー話ばかり続けて書いているよりは、ましだろう。

数年前のある時期から、ガクンと
低血圧&低体温のカラダになったことを自覚しているが
(血圧=上が高くて90後半。ときに80割りそうなときも。
 体温=小学生から40歳くらいまで、36.5℃を保持してたのに。
 35度台が平熱となってしまった。ときに34度台も)

もしかして、それも今の不調と関係あるのかなー。

人間は「理由がわかると嬉しい」生き物で、
それはわたしにも当てはまる。

単に「カラダがしんどい」では、自分で自分に対する格好がつかず

「ほらっ、血圧が低いからだ」という言い訳が見つかると

わたしも嬉しいのである。

う~ん、何を書きたいのだろう、自分。


(ちなみに。「更年期か」といえば、そうじゃないと思う。
 それに該当する年齢ではあるけれど、一般的な症状はない。
 ・・・「ほてり」はないし、「生理」は逆に順調で・・・。
 どうみても、
 わたしの低血圧・低体温は「自律神経」が狂っているわけで。
 はいはい、お日様をしっかり浴び、体を動かし、あまりくよくよせず
 夜にちゃんと睡眠をとる。これが何よりの薬さぁ。
 ああ、耳ダコ!
 これが出来れば、今ごろ、こんなグチは書いておらん!
 一日36時間、の地球に暮らしてみたいなあ。
 そうすればもっと健康体に近づくんじゃないか?)

過去や未来に視線をあわせるから
生きるのが苦しくなるのだ。

今を生きていれば、
人は運ばれるべきところに運ばれる。

こういう教えは、

先人の貴重なおすそ分けである。



しばらく前のブログで、<思考>という単語を出した。

念のために書いておくが、ここでいう思考は

・社会情勢を憂い、あれこれ思考する・・・
・自分哲学の模索のための思考・・・
・現実的な問題の解決に近づく思考・・・

そーいった類では一切ない。

なんといおうかね、常に

心が過去や未来に飛んでいき、
在りもしない(つまりは今ではないところの)
心配やら不安やら落ち込みやらたまに怒りやら
そういった幻にほんろうされて、思考が始まる・・・

わけなのだ。

(ふふ。最中はこの苦しみはどこにも逃れようがない!
 と自分を追い詰める心境になるけれど
 こうして書いてみると、
 「なんだーい。なんとかなるんじゃない?」という
 気分になってくるな)
 
あのね、最中も、実は「これは自分が作っている。本当は苦しみなんて存在しない。あたかも在るように思い込んでるだけ!」と、頭では分かっていて、そのことをときどき自分に語りかけてみたりするのだけど、それを聞いているのは、どうやら幻の自分らしく、「でっちあげの世界であろうと、ココに存在していると自分は思いこんでいるのっ。その幻のなかの苦しみは確かに存在して、どーにも、ならないのっ」そんな程度の答えしか(幻の自分からは)返ってこない。

色即是空を唱えながら、色の世界で遊んでいるようなものだな。

「ひたすら、抑うつ感に悶える」だけの日々(①)を過ぎ、
近年は
「こんな幻を作って、自分で自分の首を絞めている。
その薄っすらとした仕組みを少しは知っても、この悶えを手放せない」(②)
を演じているのである。
(演じているといっても、本人は本気。これしかない、これが現実と思いこんでいるのだ)

想像するに、わたしはまだ、
 
こういうレベルで遊ぶ自分というのを、やっていたいのだろう。
(繰り返すが、本人は、本気でやっている。よくぞ、この抑うつ感に押しこまれて自殺をしないものだと、自分で感心するくらい!) 

ちなみに。①を過ぎ、②の段階に入っているのだから
少しは悦ばしい方向に進んでいるのだろうと楽観するのは危険なのかな。
(うぬぼれさんへの、人生ひっかけ、のような)。

本当は①も②も、わたしが見ている「わたし以外の人の世界」③も、
①も②も③も突き抜けちゃった、悟った人っぽい世界も
本質は変わらないのだろうなー。
しかしそれを現世で理解することはムズカシイ。


ねえ、ねえ、神様
(神様=自分のなかにいる。もう一人の自分)
そろそろ、こんな遊び、卒業したいのだよぉ~ 




こんな話、辛酸なめ子さんでもないと、理解してくれんだろうなー。


▲どこにフォースするか。で、現実が変わる。
 この大事なことを、普段はまったく忘れ、
 うー、ぐー、くるちぃー。と
 やっている自分はアホだ。

▲数年前までのようにweb日記で
 「苦しさ」の吐露(*)
 をするのも、もう飽きてしまったので
 あまり日記には書いていないけれど
 やっぱりここ最近(何週間?何ケ月?)
 すこぶる調子が悪い。
 (去年度がわりと調子が良かったために
  よけいしんどさ増して感じるのかも)。

(*)他人が読めば「自作自演の悶え」漫画のようであったろう。

▲上記、「飽きて」は半分ホントで、半分ウソ。
 そんなことを書く気力すらない、というのは大のホント。
 書くことで一時的に気分がごまかされるが、
 それはなんの解決にもならない
 というのは確かなことであろうが、だからといって
 そのために「苦しさの吐露」をしないというのはウソ。
 あと、負が負を呼ぶのを避ける意識が少しだけある
 というのはホントかも。


ううー。

およそ30時間ぶりに起床した本日。

じめじめ。どんより雲が所狭しとならぶ空。

よかろう、よかろう、そんな季節を楽しもう。

「パソコンの前に座るのも、おっくう」

あいかわらず、そんな状況であるけれど

ま、一度、キーボードをかたことと触ってしまえば

まるで蜜月が延々と続いていたかのように

(下記のように長い文章を書いてしまったり)

なるかもしれん。

       *       *       *

もうじき七夕。

ここ半月あまりの出来事をメモ。

◎夏至が知らぬまに終わっていた。いや、そろそろだな、20日かな、21日かな、と、前々から心の準備をしてはいたのだ。なのに、なのに、当日はほとんど寝ているうちに終わってしまった。(たしか23時ころに起き、いやあ、もう夏至がやってきてもいいころなのに、どうなっているんだ!? とネットで調べたら、この日が夏至であったことが判明)。ううむ、夏至。わたしにとって「心のイベント、ナンバーワン」な日なのにな。

◎気分転換に、スマナサーラ長老の初期仏教講座に行ってきた。(こういう自主外出、行きたいから行こうの気持ちは、いつぶりだろう。少なくとも今年初めてだよな)。朝から夕までの一日講座であり、昼休みが1時間半もあったので、会場になっているホテルのお風呂(露天やサウナ)で遊んだ。ちなみに、長老は昼休みにTVの「のど自慢」を見ながら、歌い手が登場して2~3秒のうち(つまり歌い始める前)に『これからなる鐘の数』をあてる遊び(?)をして、全問正解だったそう。

◎今年も山形から赤くて大きな宝石のような粒がつまった箱が届いた。ありがとさん。グリーンカーテンのネットをがんばって吊るした。ここ数年で一番がっしりしたネットになった。Yさんに宅急便をおくったが、「このちょっとは体を動かせる日を逃してはならない…」と慌てて用意したので、十分なことができなかった。もう少し元気になったらもっとちゃんとしたものを送りたい。

◎たぶん歯の骨が原因だと思うのだけど、コブトリ爺さんのように顔が腫れてしまった。歯(の骨?)や頭が痛いのはもちろん、ほっぺが腫れ、あごが腫れ、顔が歪むというか、あきらかに人相が変わってしまった。これは数日で治まったのだけど・・・。前回、歯の同じ辺りが痛くって歯医者に行ったら、「かみ合わせが原因」と言われたんだったなー。(で、調整をしてもらったら、その日のうちに痛みがひいた)。

などなど、が主な出来事か。

へへっ、本人は「生きてるの、しんどい」と思っていても

こう書き並べてみれば、まこと平和な日々であるなー。



背伸びせず、ゆるゆると日常生活などをつづります

はえともみ

Author:はえともみ
 
万の風になって、生きる。

ちちんぷいぷい~。
(HSPの自覚あり)
「うつと仲良く! ひきこもりだっていいじゃない」と
開き直って生きてたら
元気になってきました。

→ 近年は、老母の観察メモの
(&それに伴う自身の変化など)
色合いが濃くなっております。
・・・ま、長い人生の一コマですな。

徒然な日々も、留まることはない。
すべてがいとおしい。だから書く?

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