FC2ブログ

ある本のレビューを拾い読みしていて、おっと、そうだった!と、ここのところずっと目をつぶっていたことを思い出した。

思考がエゴを作る。

エゴのエサは思考。

この大事なパターン。

この頃のわたしはお蒲団とテレビが友達みたいな生活をしている。これまでの人生のモノサシでいうと、過剰睡眠の度合いは「重症の重症」とまではいかないが、ま、健常でないことは確かだし、症状が良くなっているとも思えない。

あ、そうそう、こんな話はおまけだよ。

話を戻そう。

わたしの過剰睡眠は、「現実世界に意識をもつのがツライ」という所から発せられていると、かねてより思っていたのだが、はは~ん、これ、

「起きる→現実→思考してしまう→エゴの大量発生」

(エゴはこの世の苦しみの源らしい)

ということだったのだな。

書いてみると「当たり前なのだけど」ね。「意識をもつのがツライ」というのは実は正確じゃなくって、「思考してエゴが発生するからツライ」というのが、ほんとのところなのだろう。

(ちなみに。わたしは夢でも、覚えている限りの印象でいうと、たいてい苦しい夢をみていることが多い。楽しい夢なんて、滅多にない。寝ても寝てもすっきりしないし、夢のなかでも「いろんな思考発動中」のような気がする)。

人からみれば「なんなのさ」な話であろうが、これ、わたしにはとっても大切なこと。

(知識をいくら得ても、体験しない限り、それはゼロに等しい。わたしの場合、「今を生きれば」苦しみは消える…今を生きるためには過去や未来に軸をもつ思考を止める…、と、頭では知識を受けつけても、その体験がはなはだ伴わず、さらには心身の調子が悪くなると、「あー、そんなこともあったねぇ。それは確かなんだと思うよぉ。でも、今、わたし、そんなこと実践しているヒマないの」という手のつけられない情態になる。くぅ。こんなときこそなのにねー)

ちょっと心身調子が良くなれば、前向きなほうに自分を後押しする自分っていうのも出てきそうな気がするのだよなー。(ほーら、どうせなら、ここはぐっと「ポジティブな言葉を選ぼうよ」と、自分にけしかける自分とか)。小っちゃいのでいいから、前向きなほうに後押しする自分よ、出ておいで~。

(と、↑こんなコト書いてる時点で、すでに出てきている♪)

先週見た『クローズアップ現代』が強烈だったので、ちょっとメモしておこう。(詳細は忘れてしまったので、番組のHPを参考にしながら。HPからの引用文には< >をつけておく)。

テーマは、低年齢の子どもへ向精神薬を投与する今の日本の実態。

番組によると<発達障害の症状がある子どもに対し、小学校低学年までに向精神薬を処方している専門医が全国で7割にのぼる>とな。「低学年までに」だよ。幼稚園児も薬を飲まされているんだよ。薬といっても腹痛の薬じゃない、向精神薬だよ。

背景として、「早期発見、早期治療」が本人のためになる!の考えのもと、学校は親に専門家への受診をすすめ→受診→医師が薬を処方→親は「子どものために」と薬を飲ませる、こんな流れが加速しているそうだ。

たとえば・・・。

小学2年の男の子、授業中に歩き回るなどの行動が見られ、<担任は、市の教育相談を受けるよう指示。市の担当者は、母親に病院に行くよう伝え>、そして、<精神科の医師は、発達障害の疑いがあるとして、衝動的な行動を抑える向精神薬を処方>。そして男の子は落ち着きを得たのだが、副作用も始まった。<生き生きとした表情が消え痩せて><たまに頭痛がきて食欲がなくなったり、いつものように力が出ないっていうか>。<心配になった母親は、薬をやめたいと担任に申し出ました。しかし、学校側は、薬で男の子は落ち着いている。この状態を保ってほしいと譲らなかった>。そして母親は語る。<薬を飲まないと、学校にいられないんじゃないかって。息子は排除されるんじゃないかって。そういう気持ちでいっぱいになって>。

この母親は特別じゃないと思う。今の日本では、「排除される」ことが一番こわい、と胸のうちで思っている人は多いように感じられる。ましてや、わが子が「小学校から拒絶される」ことへの恐怖から、あきらかに副作用ある薬を止められないでいる愚かさは、あまりに平凡な愚かさである。

番組のなかでは、ある方が<学校から医療へのハードルが低くなり過ぎ>と語る場面があるが、まったく同感だ。

ダークな想像だが、教師が自分の手に負えない乱暴だったり落ち着きのない子どもたちを発達障害などと見立て、授業を運営しやすくするために、向精神薬を飲ませるよう仕向ける。そんな教育現場がじわじわと広がっているのでは? (大人の場合もそうであるが、これこれ、こうこう、としかるべき症状を訴えれば、精神にまつわる病の名前を、医師はいくらでも付けようがあるのである。そして一人ひとりの将来までを考えるわけでなく、「今、この症状」を緩和するための向精神薬を、医師はいくらでも処方できる。医師には知識と技術だけでなく、良心も必要な時代だな)。

<興奮を抑える薬を3、4歳で与えていた医師>や<睡眠障害を抑える向精神薬を、1歳から2歳で投与した医師も>いるというではないか! 仮にこれがアメリカの話と聞けば、ショッキングではあるけれど、「奴らのすることは大胆だ」と、海の向こうの話として聞き流せたかもしれない。が、これはこの国ニッポンでの話だぜ。

精神科医の皆がみな、こんな処方をするとは思わないけれど、なにかあれば薬を飲むのが当然との風潮(*)にも後押しされ、子どもへの向精神薬の処方は垣根がどんどん低くなっている。

(ウツという言葉がテレビでよく取り上げられ始めたころ、「ウツは薬を飲めば治る病気なんです」とよく人々は言っていたよね~。いまだこの神話を信じている人は多い。わたしが思うに、「風邪薬は風邪を治すのではなく、あくまで風邪の症状をおさえるに過ぎない」というのと同じで、向精神薬も、その症状を(ラッキーな場合は)おさえられる、くらいのものなんだろう。それを「治った」という人は多いけどね。余談ついでにいうが、「適切な処置をすればウツは治る。薬を飲めばウツは治る」神話のもと、「薬で治した人のウツ再発率の高さ」や「副作用のこと」などはまだまだ周知が低い)

この番組を担当した記者は、<最近は、発達障害やうつ病などの兆候を早く見つけて、必要なら早く医療につなげて専門的なケアをしたほうが症状の悪化も防げて、本人のためにもいいという考え方が学校現場や、それから医療の世界にも浸透してきている><早期の対応をすることで、子どもの周囲の環境が整えられて状況が改善するということも、もちろんあるんですが、中には不必要な投薬を受けて、深刻な副作用に苦しむというケースも出てきている>とその実態を明かす。

ゲストの精神科医は<精神障害っていうのが広がる、発達障害ということばが広がると、親も先生も、医者も見逃してはいけないという意識が強く働く><善意から見逃すことへの恐れと善意とが混ざって、どんどん、ともかく見逃さないようにという傾向が強くなって><先生方も親も地域で子どもの行動を、これは昔だったら、元気がいいって見たとか、個性的と見たり、チャンスだっていうふうに、いろんなおもしろい行動と見たものを、問題行動なんじゃないかっていうふうに、悪い方向に見るようになってしまった><余裕が、しかも先生から奪われて、しかもそれを生かそうという感じが減少してきている。やっぱり医者に任せたほうが楽だっていう、その2つのことが重なっているように思う>と語る。

痛い話だ。

胸が痛い。善意ね。

たとえば大人ならば、症状がよくならないのに副作用がひどくなるばかりという状況のとき、「向精神薬を飲むことに疑問をもつ」、「セカンドオピニオンを求め、薬を見直してもらう」という選択を自分でとることが可能だ。そもそも、よほどの場合でなれけば、無理やりに薬を飲まされるわけじゃなく、医師の勧めのもと自己の判断で薬を飲むのだし。けれど、子どもには、そういった選択は容易じゃないだろう。教育機関の善意、親の善意、のもと、「薬を飲みなさい」といわれたら、(ましてや思春期未満の子どもだぜ)、素直に与えられた薬を飲むしかないだろう。

今、<子どもが向精神薬をのむことには危険がある>と、訴え始めた人たちがいるそうだ。<子どものころに精神科を受診し、多量の向精神薬をのんだ人やその親たちが参加して><副作用の実態を国に伝え、子どもを精神科につなげることに慎重になるよう訴えて>いるという。

ひと月ほど前に書いたまま更新するのを忘れていた話。
(今はこんなテンションとはほど遠いというか、こんな話を書く気力はないな~)
       
          ↓

この前、テレビで「新卒者の三人に一人が3年以内に会社を辞める」の特集を見た。(実際に大手企業を3年以内に辞めた若者の意見を拾っていた)。わたしは、こんな本音を語れるようになった日本人を評価したいじょ~。例えば⇒「楽しくない無理」「辛い無理」をする必要はない。/自分のやっている仕事が本当に社会の役にたっているのか?と自分に問うた。/“しがみつく”価値観は古い。/お金がなくても気持ちいいと感じられる方法はいっぱいあって。/お金や世間的価値を一番とは思わない。自分に素直に生きたいと思う。/お金の安定よりも心の安定が一番。などなど。

あと、「そうだよなあ」と思ったのは、「ゆとり世代は、使いものにならん」との上の世代の嘆きに対して、「ボクたちは好きで『ゆとり教育』を受けたんじゃない。『ゆとり世代』を作ったのは、あなたたちじゃないか」というような反論。そうだよねー。仮にゆとり教育の弊害のようなものがあるとしても、それを作らせたのは上の世代だし、そもそも「ゆとり」に対する羨望が上の世代にあったことを忘れちゃ困る。(こんな料理はおいしそうだね、と、作らせて、実際食べてみたらマズくて文句を言っているようなもの!?)。ちょっと話題はズレるが、若者に増えているという「新型うつ」だって、当事者は被写体に過ぎず、それは社会を投影した病気というふうにも、やや極端ではあるが考えられるんじゃないか。それと同様、ゆとり世代に目立つ特徴として挙げられやすい事々だって(例えば、神経質なまでに友人とのコミュニケーションを大事にするとか)、上の世代の人たちにもみられることがより濃くなっただけ、のようにも、わたしの目には映る。

今の若い人たちには、本当にいい子(点取り虫のいい子じゃなく、表裏のあるいい子じゃなく)が増えているような気もする。心がさわやかというか、ヘンなねじれをもっていないというか。こんないい子たちには、我慢のマジック(我慢をすれば、こんないいことがある、あんないいこともある、という呪いというか脅しというか)など、必要ない!! 「我慢をして辛抱してこそ、未来は拓ける!」という発想は、人間の力を過小評価しているのではないか。人はもっと大らかに生きていい。それに人は本当にしたいことのための我慢なら喜んで引き受けるだろうと、わたしは思うのだ。

「生きているだけでいい」

ときに、安易にこの言葉が使われることがあるけれど、

実はこれ、とってもムズカシイのだなあ、と最近よく思う。

誰かに向けた「生きているだけでいい」も
自分に向けた「生きているだけでいい」も

その言葉を発する瞬間には100%の想いがあったとしても

その想いが持続する時間はそう長くないんだよな。

誰かが誰かに向かって「生きているだけでいいんだよ」と
慰めたり、応援したり、本心から言ったとしても

そのうち、たいていは
「なんで△△しないんだ」とか「なんで▽▽するんだ」
と、相手の人生の過不足をあげつらう心が生まれる。

たとえば死にたくなる自分を押しとどめて
「とにかく生きているだけでもいいんだ。生きていることが仕事」
と、自分を励まし、いっときは前向きな気持ちになっても
やがては、なにもできない自分を責める気持ちが生まれたり。

「生きているだけでいい」これを常に胸にとどめておくのは
たやすくない。

前回ブログを書いてから、ずいぶんと時間が経ったような気もするが
日付を見たら「たったの十日」しか経っていないのだった。
(前回は7日の深夜に書いていた。今は17日の深夜なり)
その間、山あり谷ありだった。などと書いてみたいが
実際は谷あり谷あり谷あり…って感じ。
ぐぐー。
しかし、胸のなかで苦しい苦しいと訴えていたって
それだけでその状況が晴れるなんて奇跡はほぼないのであって
おまけに低血圧のせいもあるのか
体を起しているだけでも「しんどー」だったりするのだが
リハビリ、そう体と心と頭のリハビリのためにも
十日ぶりにキーボードを触ってみることにする。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

前回ブログを書いて夜が明けた日、
大事な約束をキャンセルしてしまった。
それにより、取り返しのつかない心もちとなってしまい
人生の半分が終わったような精神状態となる。
(大げさじゃなく、ほんとーに)。

今思えば、いくらでも(それに関する)フォローの方法はあったのに
(対ヒトやモノへのフォローじゃなくて、自分の感情へのフォロー)
それもすることもなく、ただただメゲメゲしていた。

くうっ。

どうみても、自分の心の動きは病気だじょ~。

しかし、

そんな「病気」の渦中であっても、あんがい、ちゃんとした自分という
ものも存在しているようで、以下のようなことが時々思い浮かんだ。

“ これまで「噂話や世間話など、覗き見趣味的なものとはできるだけ距離を置くようにしたい。だって、それが現実に力を与え、ますます物語を太らせ、三次元の世界(←? てへっ!)への求心力となる」と、クソ真面目に思っていたくせに、

今の自分はなんなんだ! 

仮想の苦しみを生み出して、自分の首を絞めている。

自分で自分のおろかな物語を作っているんじゃないか。

(外でなにかがあったわけでも、誰かに何かを言われたわけでもない。
ただただ自分で自分を責め、人からも責められているような気になり、
正気を失ったような状態になっている)

苦しいことなど本当は何一つ存在しないのに、
「苦しさに、がんじがらめになっている自分」という物語を作り、
更には「そこから這い出せない」という物語をも作り
どっぷり浸かっている。 ”

う~ん、だいたいこんなようなことが思い浮かんでいたのだけれど
だからといって「ほらほら、立ち直れ」と自分を誘導するには至らず
落ち込んだ感情を、明るい思考に明け渡すことはできないでいたのだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

この十日の間、なんとかアパートと実家を一往復。
他人からみたら「交通費のムダ」と見えるかもしれないが
まさにほうほうのてい、顔を洗わず、髪ぼおぼおであっても
寝巻き以外の衣服に着がえ、公共の交通に乗る、少しは歩く、
そんなことごとが、わたしにとってはとても大きな仕事なのだ。
実際、同じところにとどまって臥せっているよりも
(アパートでも実家でもたいてい横になっているのが主な過ごし方)
ときどきは場所を移動させたほうが、同じ臥せるにしても
いいような気がするし。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

そうそう、『A』を読んだこと、
『A3』をぱらぱら読みしたこと、
ちょうどそのあとオウム関連のニュースが続いているが
それを見聞きするのが苦痛だということを、メモしておこう。

(後日、もうちょっと詳しく書こう)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

統合失調症と摂食障害の人の「働く」をテーマにしたテレビを見た。

あらためて思ったのは、わたしたちが
「働く」ということをいかに重要視しているか。
(よって「働けない」自分という意識が、自分をますます追い詰める)
(働けないというだけで、生きる存在価値がないとまで思ってしまう)

ある女性の語ったことが、胸に響いた。

「摂食障害の人たちの特徴なのは、けっこう能力は高くて、短期間だと、すっごく頑張れるし、優秀だと思われるの。でも、その間ずっと緊張しているから、もうダメというときに過食が爆発的に起こったり、行っていたバイトとか、今まで「すごくいい子が入ったね」といわれていたのに、急にいなくなるような、そんなことを繰り返して。問題なのは、結局、わたしはダメなんだというスリコミが、また仕事にのめりこめばなにかできるんじゃないか、その極端な繰り返しになっていくというのがあるの」

わたしは(ときどき過食傾向はあるけれど、ま、病気の範疇ではなかろう)摂食障害ではないけれど、働くということについてイメージする自分が彼女の言葉と重なった。


うぐっ。死んだように生きております。いや、きっと死んじゃったら、うー。とか、ぐー。とか、悶えることもないのだろうから、生きるべきして生きております、と言いなおすべきか。

気がつくと、初夏と呼ばれる時期になっていた。そろそろ「梅雨」という言葉も聞きそうだ。5月は低飛行ながらも、それなりに頑張っていたように省みるのだが、この一週間はほんとうにダメダメダメ、低飛行どころか、機体が地面にずりずりっとこすっている状態。なんとか朝のうちに入眠して、夕方か夜に起きて(今日は23時の起床)、はぁと、ため息ついて、無表情でぼーっとケイタイTV見て、ちょっとお腹に入れて、また横になって、なんとか眠りに逃げ込む・・・の繰り返し。←このゾーンに入ったのは一週間前で、今から思えば、「あっ、スイッチ入った」と思える出来事があったんだよな。もう何十回、何百回繰り返しているのだから、よせよ。といいたいところだし、実際、「その手のスイッチ」を入れないようにと近年はがんばっていたつもりなんだけどなぁ~、まだまだだ。

最近の出来事は、18時半くらいに起床した一昨日、ピンク色の空を眺めたこと。これが一番いい記憶。

このスイッチが入る前のオモイデゴトとしては、森達也さんの『職業欄はエスパー』が面白かったこと(超能力云々もさることながら、登場人物の個性を引き出す森さんの人間力がなによりの魅力だ)、母に冬のあいだからずっと頼まれていた、O先生のところに連れていったこと、くらいかな。あとは、新タマネギ、イチゴの季節になったことなど。

一年前の今頃は、自分でも吃驚するほど「あれ、体と心が元気になっている?」な状態で、その余韻が徐々に薄れながらもあった。それがちょうど一年経って、ぱたっと、なくなったような。ううーむ。

だからといって、なに。だからといって、なに。なのだ。

基準はいつだって、「今」、だろう?

ぐふふ~ん。

基準が今ならば、「パソコンを開いて、ブログを更新しよう」としている今の自分は、なんとも精力的ではないか! もう何日もお風呂に入っていなくても、やっと「眠ること」以外のことをしようとしているのは、すばらしい!!

「やりはじめないと、やる気は出ません」と、脳科学者の池谷先生はおっしゃる。

そして、今日の糸井さんはこんなことを書かれていた。

 欠点を直してないと、なにかがはじまれない
 ‥‥というものじゃない。
 うまく行ったことが、
 欠点を目立たなくさせてくれるだけです。
 その成功みたいなものにしたって、
 だいたいは不格好で不細工なものではあります。
 そうなんですけどね、「やったからできた」んです。

 (中略)欠点を見つめていても、
 なんにもはじまりはしません。
 それは、はじまりの用意にしかならないですし、
 はじまりの用意は、はじまりじゃないですからね。
 はじまりの用意ばかりしていると、
 はじまらないくせがついてしまいます。





背伸びせず、ゆるゆると日常生活などをつづります

はえともみ

Author:はえともみ
 
万の風になって、生きる。

ちちんぷいぷい~。
(HSPの自覚あり)
「うつと仲良く! ひきこもりだっていいじゃない」と
開き直って生きてたら
元気になってきました。

→ 近年は、老母の観察メモの
(&それに伴う自身の変化など)
色合いが濃くなっております。
・・・ま、長い人生の一コマですな。

徒然な日々も、留まることはない。
すべてがいとおしい。だから書く?

最新記事
過去ログ

2020年 05月 【59件】
2020年 04月 【66件】
2020年 03月 【56件】
2020年 02月 【28件】
2020年 01月 【90件】
2019年 12月 【66件】
2019年 11月 【68件】
2019年 10月 【74件】
2019年 09月 【50件】
2019年 08月 【95件】
2019年 07月 【59件】
2019年 06月 【100件】
2019年 05月 【76件】
2019年 04月 【67件】
2019年 03月 【74件】
2019年 02月 【55件】
2019年 01月 【70件】
2018年 12月 【57件】
2018年 11月 【73件】
2018年 10月 【63件】
2018年 09月 【76件】
2018年 08月 【54件】
2018年 07月 【65件】
2018年 06月 【72件】
2018年 05月 【86件】
2018年 04月 【104件】
2018年 03月 【112件】
2018年 02月 【88件】
2018年 01月 【89件】
2017年 12月 【91件】
2017年 11月 【89件】
2017年 10月 【94件】
2017年 09月 【88件】
2017年 08月 【80件】
2017年 07月 【77件】
2017年 06月 【97件】
2017年 05月 【120件】
2017年 04月 【83件】
2017年 03月 【102件】
2017年 02月 【87件】
2017年 01月 【77件】
2016年 12月 【100件】
2016年 11月 【91件】
2016年 10月 【70件】
2016年 09月 【73件】
2016年 08月 【86件】
2016年 07月 【70件】
2016年 06月 【63件】
2016年 05月 【70件】
2016年 04月 【74件】
2016年 03月 【64件】
2016年 02月 【44件】
2016年 01月 【57件】
2015年 12月 【64件】
2015年 11月 【68件】
2015年 10月 【74件】
2015年 09月 【71件】
2015年 08月 【66件】
2015年 07月 【71件】
2015年 06月 【65件】
2015年 05月 【74件】
2015年 04月 【68件】
2015年 03月 【56件】
2015年 02月 【63件】
2015年 01月 【56件】
2014年 12月 【52件】
2014年 11月 【50件】
2014年 10月 【41件】
2014年 09月 【40件】
2014年 08月 【38件】
2014年 07月 【36件】
2014年 06月 【32件】
2014年 05月 【32件】
2014年 04月 【31件】
2014年 03月 【40件】
2014年 02月 【35件】
2014年 01月 【27件】
2013年 12月 【48件】
2013年 11月 【79件】
2013年 10月 【57件】
2013年 09月 【28件】
2013年 08月 【28件】
2013年 07月 【33件】
2013年 06月 【46件】
2013年 05月 【25件】
2013年 04月 【26件】
2013年 03月 【59件】
2013年 02月 【85件】
2013年 01月 【73件】
2012年 12月 【34件】
2012年 11月 【59件】
2012年 10月 【50件】
2012年 09月 【43件】
2012年 08月 【22件】
2012年 07月 【23件】
2012年 06月 【21件】
2012年 05月 【17件】
2012年 04月 【27件】
2012年 03月 【4件】
2012年 02月 【10件】
2012年 01月 【11件】
2011年 12月 【14件】
2011年 11月 【10件】
2011年 10月 【34件】
2011年 09月 【2件】
2011年 08月 【4件】
2011年 07月 【2件】
2011年 02月 【2件】
2011年 01月 【1件】
2010年 11月 【50件】
2010年 10月 【16件】
2010年 09月 【38件】
2010年 08月 【40件】
2010年 07月 【30件】
2010年 05月 【22件】
2010年 04月 【20件】
2010年 03月 【12件】
2010年 02月 【45件】
2010年 01月 【16件】
2009年 12月 【31件】
2009年 11月 【15件】
2009年 10月 【14件】
2009年 09月 【45件】
2009年 08月 【28件】
2009年 07月 【37件】
2009年 06月 【27件】
2009年 05月 【29件】
2009年 04月 【38件】
2009年 03月 【33件】
2009年 02月 【42件】
2009年 01月 【39件】
2008年 12月 【37件】
2008年 11月 【35件】
2008年 10月 【41件】
2008年 09月 【35件】
2008年 08月 【32件】
2008年 07月 【33件】
2008年 06月 【29件】
2008年 05月 【25件】
2008年 04月 【30件】
2008年 03月 【31件】
2008年 02月 【28件】
2008年 01月 【32件】
2007年 12月 【33件】
2007年 11月 【38件】
2007年 10月 【33件】
2007年 09月 【46件】
2007年 08月 【36件】
2007年 07月 【47件】
2007年 06月 【33件】
2007年 05月 【57件】
2007年 04月 【52件】
2007年 03月 【49件】
2007年 02月 【69件】
2007年 01月 【8件】

リンク