ともみ@ピクニック

きょうは半日、大型お風呂屋さんで過ごす。この前から、うー、このエネルギーを変えるためにも、お風呂屋さんに行きたい!と思っていたの。やっぱ行ってよかったじょ~。しばらくご無沙汰していたお風呂屋さん、まだ会員券を使えて嬉しいじょ~。お湯に浸かるのはもちろん、天然木の長イスに寝転んで空を眺めたり(堂々真っ裸)、庭石に腰掛けたり(まるでサル)、のびのびしたじょ~。お塩をいっぱいつけてサウナに入ったし、わたしの好きな電子風呂も健在だったし、本日の薬草は甘草で、そのお湯も良かったじょ~。水風呂も繰り返し入ったから、代謝がますます上がったろう。おかげさまで、身体が軽くなりました。ふふ~。

 それからスーパーマーケットに寄って
 こよいのお菜三品とジャージャー麺とお酒を買い
 おだやかな夕日の射す犀川でアイスを食べ
 そして、お家に帰りました。


 きょうも無事に一日が終わりそう。
 ありがとうございます。

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うぐぐ~。まるでダメダメ君の日であったけれど、自分で自分にNGを出すのは止めよう。ちょうど一日くらい前、「(あらゆることを)否定しない。」と、自分にしゃべりかけていたのだし。

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日記を書いていたら、すっかりお日様がのぼった。
この季節らしい、過ごしやすい一日になりそうだ。

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ぐるる~。きのう眠る前に森達也さんの『オカルト』を読み始めたら、止まらなくなって、ほぼ一気読み。ひと言でいうと「おもしろい!」としか言いようがない。途中、幽霊の話が怖くてトイレに行けずに困ったけれど。よく「オカルト好き」みたいな言い方があるけれど、わたしはオカルト好きなわけじゃない。宇宙人は当然いると思うけれど、特別の興味はない。スプーン曲げは本来誰でもできると思うけれど、殊更の関心はない。おまけに幽霊話は怖いからイヤだし。という訳であるのだけれど、やっぱ、この本はおもしろかった。(わたしはどちらかというと、非物理的な宇宙論や、幽体離脱で時空を超える話などに興味がある。あと死後の世界とかもね。 ← えへっ、十分にオカルト好きでしょうか)。本書のなかには「この手の話は玉石混淆だが、石を取り除いたなかには、どうとらえても玉としか思えないものが存在する」そんな意味のことが何度も登場するが、わたしも全くの同感である。そうそう、本書のおわりに、最近テレビでもよく見かけるメンタリストが登場し、森さんが彼のトリックを見極めようと迫るのだが、結局は森さん「吐息をつき」「(思考が)ぐるぐる」に尽きる。「これは超能力ではない。メンタリズムです」と、件の人は言うのだけれど、う~ん、どういうことなの、どうやって意識を刷り込むの、わたしにもさっぱり分からん。

「結局はトリックやイカサマだから」式の分かりやすい理論を当然のように主張されると、何となく不安になる。指の隙間から何かがこぼれ落ちているような感覚だ。とても微少だけど、でもとても大切な何かが欠落している。
bk_066_s.jpg 本書48頁にあった言葉 ↑


と、いうわけで、午後遅めの起床になってしまった。カップラーメンの坦々麺と、あったかいブレンド茶と、グレープフルーツで食事をとり、ちょっとパソコンに向かい遊んでいたが、おやつのオレオ・ホワイトチョコレートと揚げ塩落花生でますますお腹は膨れ、友達からの誘いをまたもや断ってしまった精神的凹みもあって、日の暮れる前にお蒲団に戻る。26時台の再びの起床。

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うるる~。本日もまた、初めての派遣会社の登録へ。が。しかし。「この仕事できたらいいな」と思っていたのは、う、う、う、結局は発信トークの仕事であることが、面談をしてすぐにわかり、ご破算に。ある程度はもう動じない経験をつんでいるので、メゲメゲモードにどっぷり浸ることなく、その足で、歩いて5分ほどの近江町市場界隈へ。(←わたしの一番の遊び場)。市場を少し歩いた後、地下道通って無印のリンゴゼリーを買って、また市場に戻り、ゼリー休憩。のち、最上階のハローワーク。(ひと頃は頻繁に通っていたが、本日は久々だった)。のち、またぐるっと市場をまわるものの、この前、果物やらお菓子やら色々買いだめしたので、今日はなにも買わず。もう一度、百万石通りを横断。(さっきは地下から。今度は地上)。先日クラッカーを買って美味しかった特設市のようなものが、まだ名鉄デパでやっていたので、いくつかお菓子を選ぶ。それから無印にまた寄って、海草のシャンプーを購入。そのあとは図書館で用を足し、玉川公園の芝生を横切って、一旦帰宅。「(仕事探しのもろもろに)もう動じない」とはいいつつも、こうも(手っ取り早く見つかる仕事は、テレアポの名前を隠した、その実、魂を売るような仕事ばかり。というのをもう何年も見続けていると、ほんと気がめいる)あたらしい仕事が決まらないのは、おのれにダメージを一ミリも与えないわけじゃない。家に帰って西陽を浴びながらビール(もどき)を飲んで一息ついたあと、夕方の武家屋敷街を通って大和デパへ。(昨日も同じ魚屋さんで、ランチ握りと、助六と、おしんこ巻きを購入し、2回に分けて食べた)。今日は、(夕方なので安くなっている)真鯛の煮付けと、お刺身盛り合わせと、納豆まき、ツナ巻き、梅紫蘇巻きをチョイス。うるる~。本日もよくがんばりました。

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眠れないので、御手洗さんの『ブータン、これでいいのだ』と、内田さんと釈さんの講義録『現代霊性論』をぱらぱら読み。◆ブータンの人たちは手帳とかカレンダーをもたない。だから予定は頭のなかで覚えられる「あした」位までしかはいっていない。と知り、「わたし、ブータンに生まれたかった」と心底思う。日本人からみたら、なぜ頑張らない、なぜ反省しない、というような場面でも、ブータン人は常に「ムリをしない」「そういう運だった」「それは仕方ないね」の姿勢を崩さぬそうな。ふーっ。まわりの目を実はとっても気にし、「ねば」発想にしばられがちなわたしには、同じ地球上の生き物とは思えんなー。それから、欲望一直線(物欲にも男女関係にも)のブータン人。ちょっと意外にも思ったが、「人生は一度っきり。だから余計なことは考えず、真っ直ぐに楽しもう」という血が流れているからと解釈すると、ふふふっ、納得。ぜひとも現世のうちに一度ブータン人になってみたい!!◆内田さんと釈さんのお名前は存じていたものの、これまでご著書を読んだことがなく、どうも、わたしのなかではタイミングが合わない方たちとなっていた。哲学とか、宗教とか、ひと昔前のわたしなら喜んで飛びついた彼らの専門分野、今はあんまり興味がないのよねー。それでも、ま、図書館で借りちゃったのである。(本日返却本の棚に置かれていて、つい手がでてしまった)。ところで、哲学や宗教への関心が薄れたのは、「そんな細かいことはどうでもいい……これはニンゲンの概念遊びなのだから……見方を変えれば、自分で作ったなぞなぞを、さぞ大問題のように仕立て、解いていくようなもの」という辺りで説明がつくかもしれない。

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上の補足をしよう



強がりを言っているくせに本当は周囲の価値観におびえて生きている自分を、ちょっと振り返っておく。

「口に出すこと」も「生きている態度」も、ホントに好き放題のわたしであるが、だからといって「わたしは自由か」「幸せと感じているか」と自問すれば、まったくもってNOなのである。

結局、社会的な価値観を(わたしは同意しない、と心のなかで呟きながらも)(そんなもの「へっ」な態度を示しながらも)、誰よりも気にしているのは、わたし自身なのである。

もしも、まっすぐに自分の心だけを見て、欲するまま生きていれば、この苦しさはたちまち消えるのではないか。そしてそのとき、自信をもって、人生を肯定できるのだろう。

表面的な自由だけでは、幸せは得られない。

今の方法(生き方)のままでは、自由を求めた方向に自由は存在しない。






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補足の補足を


さらにいえば、
「まわりの価値観」という幻想を作って、どっぷり浸りこみ
「いやだいやだ、抜け出したい」と願いながらも
そこから抜け出ていないのは

他ならぬ、わたしである。

ブータンに生まれず、60年代の日本に生まれて
「現代社会の、あんな特徴も、こんな特徴も、味わう」設定で

人間ごっこをする・・・

それを選んでいるのは、わたしである。


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◎暑すぎず寒すぎず、日中はTシャツもしくは八分袖のシャツに木綿のスカートか伸縮性のある膝下ズボンがちょうどいい。窓を開けていても、ほとんど虫も入ってこず、気持ちがいいな。一年のうち、こんなに身体にやさしい時期はとても短い。
◎ときどき、身体のなかから声が聞こえることがある。今日は「すべてはエネルギーのもんだい」というのがやってきた。これ、もともとは本から学んだ知識であり、普段は生活のあれこれに紛れて忘れてしまうこともある。けれど、たしかに、わたしがなんの疑いもなく思考の深い部分で頷いているコト。そしてたぶん、心の底でも頷いているコト。今日は、自転車に乗りながら、お茶を飲みながら、折に触れて「すべてはエネルギーのもんだい」と胸の中で転がした。
◎昼から初めての派遣会社の説明会に行き、その後、初めての美容院で8ケ月ぶりに髪をカット。「ヘナできますか」と聞いてみたら、「ヘナよりもっと質の高い香草染めがありますよ」と意外な答えが返ってきたので、お願いしてみた。頭はぐっと軽くなり、髪にはコシができ、おまけに白髪が分からなくなった。
◎あすは(というか、もう今日か)日食らしい。が、アーユルヴェーダの考えでは「日食や月食のときはできるだけ、太陽や月の光を浴びないほうがいい」とか。ざっくりいうと、宇宙エネルギーが大きく変化するのだから、体にも大きな負担がかかるということらしい。「見てみよう」なんてもってのほか、家でおとなしくしているのがいいのだと。

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◎今シーズンのテレビドラマはいまいちぱっとしない。そんな印象があるものの、生活のメリハリ?というのか、外出することのほとんどないわたしにはテレビドラマを見るのも、立派な仕事なのである。なんたって、「テレビを見よう」という気力があること、それも嬉しい。
◎えっと、日曜の夜は『ATARU』。初回で「なんじゃこれ? 期待以下の以下」と思ったものの、二回目以降も見ていたら、なんとなく面白さがわかってきた。月曜は『鍵のかかった部屋』(全回見ているわけではないが)、ゆるゆると大野君ファンになりつつあるというのが、見始めたきっかけのひとつ。水曜の『リーガル・ハイ』は先週(第5話にして)初めて見た。ほぼ日のテレビドラマ集団の座談会を読んだのがきっかけ。水曜の『クレオパトラな女たち』はたまたま初回から見たものの、面白いとも思わないので止めようかと思ったが、稲森いずみさんと、先の連ドラ『カーネーション』で主人公の恋人役だったヒトが出ているのもあり、なんとなく見ているうちに、やっと面白くなり始めた。木曜の『テンペスト』はごく最近まとめて5話分見た。これも録画しながら最後まで見るだろう。金曜は『もう一度君に、プロポーズ』、こんなドラマを見られる体力が自分にまだあるとは驚きである。竹野内豊さんを初めて「いい」と思ったような。
◎ところで『テンペスト』には谷原章介さんが出ているのだなー。昔はとくに関心もなく、名前と顔が一致する程度だったのだけれど、ご結婚されたあたりから、にわかにわたしのなかの好感度がアップ。多才で多趣味で、温和で、情の厚い男性。この前の『家族に乾杯』にゲスト出演された際の、ご自身のルーツを探す旅を見ていたら、うんうん、わたしの思ったとおり、と、ますます好感度が上がった。
◎『カーネーション』で主人公の恋人役だったヒトは、『開拓者たち』で主人公の弟役をやっていたけれど、あの「出過ぎない」感じが受けているのだろう。ところで、生まれもって人には電気の走りやすいポイントというか、グッと来やすい分野があるとのだと、『開拓者たち』の最終回を見て、つくづく思った。わたしの場合のそのポイントは、開拓とか、植民地とか、生き別れた肉親との再会とか、に現れやすい。中国残留孤児の再会なんて、もう、ダメ。あのドラマのなかでも残留孤児との再会シーンがほんの短くあったけれど、(ほかのことでは鬼のように涙を流さないわたしなのに)うるっと来てしまった。思えば、中国残留孤児の大規模な最初の帰国はわたしが中学生のころで、すでにそのときからこの方面へのおのれの特殊な感情の動きは、あったのである。
◎稲森いずみさんは、これまであまり注目をしてこなかった女優さんなのだけど、「役を狭めない」スゴさをもつ(←過日のブログに書いた杏さんへの尊敬と繋がる話)、そんな意味のことを、ほぼ日の座談会で語られているのを読み、俄然、興味がわいた。今のわたしは、「自分の道をつらぬく」なんて姿勢は一万年も早い!!と、自身のことを思っているので、心を硬くせず、色んなものに飛び込んでいける人がとても魅力的に映るのである。
◎そうそう、書き忘れていたが、上記のドラマたちと別格の楽しみがあるのは、韓国王朝ドラマの『イ・サン』。王さまとソンヨンの行方も気になるし、王妃さまの魅力が、回を重ねるごとに増してきて(命がけでソンヨンを側室にしようとした辺りなんてもう♪ わたしのなかで急上昇の女性だ)、これからも見逃せない。

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◎朝一番の高速バスで実家へ。山のあちこちで藤の花、一般道では田植えの準備をしている人々を、よく見かけた。ぐふふ。最近は4~5日おきくらいに実家とアパートを往復しており(それが今のところの何よりの仕事)、それがまあ唯一に近い「外とのかかわり」なのだけど、毎回なにかしら「世界は生きている~」という変化を楽しめるので、ちょっとした旅気分でもある。
◎なかなか調子が出なくても、基礎的な底力は上がっている。と信じよう。何日も連続で寝込んだり…はないし、生活リズムが整わないとはいえ夜まで寝てしまう日はぐっと少ない。はあどな厭世気分にいたる前に、ゆるやかな風が吹いて、自分が「落ちる」のを止めてくれる。そのコツは、と問われても難しいのだが、自分と繋がることが大切。とはいえるだろう。
◎ばななさんと桜井会長が夢のなかでともに隆明さんに会ったという日記を読んだ。そういうこともあろうと思う。そういえば、この日記を読む数時間前、わたしも久々(だと思う)夢のなかに父がでてきたのだが、「寒い」と言っていたのが、気になるといえば気になるなぁ。うー。話はまったく変わる。一週間ほど前に「夜に見える虹」の話を聞いたのだけど、その数日後、湯川れい子さんの本のなかで「夜の虹を見た」話が書かれているのを見つけ、あらま、あれは伝説じゃなく本当にあるのねと、ちょっと驚いた。

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去年、わたしのなかでブームをおこした、日本そば焼き、久々に食べたら、やっぱり美味美味だった。これ、通常の「やきそば」の麺を、袋入りの「茹でそば」に替えるだけなんだけど、みょうに落ち着く味わいなのだ。具はそのときどき冷蔵庫にあるもの、(去年はたしかゴーヤや厚揚げをよく入れたな)、味付けの基本は醤油の香る和ベースであるが、細かいところはまあそのときの気分によって変わる。本日は「アミを入れた炒り卵」のみの具、味付けは、酒と醤油と煮干節のみ、というシンプルタイプであったが、なかなか自分をほめてあげたい出来だった。そうそう、日本そば焼きの美味さの秘訣は、「日本そば+油(わたしの場合オリーブ油)+醤油」そして何かしらダシになる具を入れるという点にあると思うのだ。そしてこれ、意外と、通常の中華麺を使ったやきそばよりも、具材との幅広い可能性があるようでもある。(ちなみに、そば粉を日本のようなそばにして食べるのは、世界で日本だけらしい)。ぷうっ。本日の夕飯(にして朝食?)は、おそばと、サラダ(折り菜のゆでたの、生食用のほうれん草、わかめ。というアンマッチな三つ組。だって冷蔵庫にあったのだもの)、魚の天ぷら(スーパーの総菜を冷凍してあった)、クリームチーズ、残りもののワイン、デザートに(というか、まだ小腹が空いていたので)チョコチップクッキーと紅茶を堪能したのであった。

*アミ 近年よくアミがとれるようになったと聞いたことがあるが、これも海の生態系の変化のひとつだよなあ。なにが起きているのだ、海よ。金沢でもちょいちょい手軽な値段でアミが売っているので、わたしは食材兼ダシとしてよく愛用している。

*煮干節 過月、市場でこの商品を手にとっていたら、お店の人が「いい品なんよー。安いのは、間違って大量に仕入れちゃったからなの」と説明してきたので、おもわず二袋購入。鰹節とはまったく風味が違い、おもしろい。

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☆さきほど、アマゾンのギフト券を買うために、数日ぶりに外に出た。(最近、夕に起きて、「はぁ」とため息ついて、朝になって眠りにはいって、また夕に起きる・・・の生活だった)。やっぱり外の空気を吸うのはいい。頭で分かっていても、それをするのがとっても難しく感じられるのは、なんでなんだろう。真夜中の、片道ほんの数分の散歩であったが、とても気持ちがよかった。

☆「止(とど)まっているほうが、やるよりも、ラクに思えるかもしれないけれど、本当はそうじゃない。やっちゃったほうが、止まっているよりも、ずっとラクなんですよ」。

☆さきほどの散歩で、いかに引き篭っている自分が「どよんと重いエネルギー」をまとっているか、実感した。

☆エネルギーを変えるもっとも手っ取り早い方法は、「行動をする」。これまた頭では知っている。もっと身軽に実践せい。

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この前から机の上に転がっていたメモ用紙を今日になってひっくり返してみたら、<現象がどうのこうの(人がどう、環境がどう)では、ないのだ。必要なのは自分が「どう」感じるか、だけ>と、オレンジ色のペンで書かれたわたしの字。わたし、よ。いつこんなもの書いたのだ。

あたまのなかは理屈祭りだなー。年がら年中、あたまのお喋りをしている、この労力使って身体を動かしていたら、今頃すごいお金持ちになっていたかもなぁ。

理屈太郎がいくら真実を言い聞かせたって、深いところで受け入れなければ、それは実りをもたらさない。

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「比べることから負が始まる」と、鎌田實さんが書いておられた。



先日、このブログのなかの

現代の貧困は、戦後のような「絶対的貧困」状態ではなく、
憲法25条でいうところの
「健康で文化的な最低限度の生活」を送れないような状態…
つまり、「相対的貧困」です。

という文章を読み、ちょっと思考が止まってしまった。

もちろんドヤ街のような所や、人知れず餓死する方たちなど、今も「絶対的貧困」はあるわけだけど、現代ニッポンで多数を占める貧困はここに書かれているような「相対的貧困」だろう。

わたしだって「相対的貧困」の仲間である。

しかし、はたしてこれは本当の貧困なのか。



ま、そんなことはどうでもいい。



わたしが、わたしに対して大事だと思うのは

いかに周りと比べないで、生きている喜びを追求できるか

という点にある。



おのれの貧困を嘆くヒマがあれば、

何でもいいから、なにか、明るいことに目を向けよう。



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えっと、寒いです。TシャツOKさ~な日が続いたあとのこの気温の低下、うぐぐぐ、身体が戸惑っているようでもあるけれど、気持ち的には「こーゆーのもOK」さ! 寒さにつられて脳みそまで縮まらないよう、只今十日の夜、思いつくまま「この頃日記」を書いてみよう。

               ▼

◎5月上旬の大きな仕事は、運転免許証の書き換え。期限ぎりぎりセーフで間に合った。免許取得以来、運転はしたことないのだけど、それでも五年ごとの更新に行っている……とことん貧乏性なのだ。

◎ゴールデンウイークというやつは、ま、正月のようなもんで、いろいろ精神的にしんどくなりやすい時期であるが、ま、なんとか過ぎた。

◎「春は、気温の変化、気圧の変化が、大きい季節。ゆえに“だるさ”がやってきやすいのだよん」とテレビ番組が教えていた。ふむ、ふむ。この時期、ぼんやりとした身体の不調を感じている方々、落ち込むなかれ、不安がらず、ぽよよんと気持ちをもとう。

◎リメーク版『イルマーレ』を観る。せつない感など、オリジナル韓国版のほうが好きだったような。(韓国版を見たのは十年近く前で、ぼんやりとしか覚えてないのだけど)。またオリジナルを観たくなった。

◎いつもの満月とはどこか違う。こっちに迫ってくるような感じ。と思っていたら、それはスーパームーンというやつだったそうな。

◎あと一歩で鎮痛剤のお世話になる!ほどの歯の骨の痛み。うう~ん。それがちょうど治まった頃の、歯医者予約日であったが、とりあえず噛み合わせの問題はなしとのこと。「高めの枕のほうがいい」という話などを伺って、昨年から続いていた通院は、やっと一旦終了。次回は8月においで、と。

◎竹の子、山菜の季節である。近年、母は年に1~2度しか山に行かなくなったが、幸いにもおすそわけをよく頂くので、山の恵みがたんと口に入る。ありがたや。

◎テレビに映る人のなかで、わたしの好感度上位にいる土井善晴さんが、大阪の出身とは驚いた。「あのテンポ、ほどほどの上品さ」から、京都の人だと、ずっと思い込んでいたのに。

◎「えんどう豆が乾かないよう、ボールの上に、濡れタオルをかけておきます」。えんどう豆へのこの心遣い、(本当は美味しく食べるための配慮に過ぎないとしてもね)、わたしのなかの普段は忘れている箱が開いた。ぽわんと、あったかい心の箱。

◎知らないうちに「立夏」になっていた。どうも、このごろのわたしは、「目の前にある季節にどっぷり浸かると苦しくなる」傾向があるような。今の時期には、心を半分「夏」にして、ほんものの夏が来たら、心を半分「秋」か「冬のはじめ」にシフトするのが、自分をラクにする方法かなんて思っている。一種の人体実験。


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