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先週日曜の朝のラジオで、断捨離のやましたひでこさんがお話されていて、今となっては具体的な話はすっかり忘れてしまったのだけど、(モノを捨てられないのは、外を向いているからで、自分の内面を見ていないのだ~という話だけは頭に残っている)(そもそも半分寝ながら聞いていたのだ、先週は)、おもしろいなー、もっと聞きたいなーと思ったので、今朝は5時からその続編を聞いた。(録音したかったのだけど、ラジオやパソコンのラジコではマイクがきいきい言って、録音できないのだ)。わたしにとって片付けの意欲を燃やすような話は先週のほうが勝っていた印象なのだけど、いくつかメモしたこともあり、下に記しておく。

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断舎離 実践してこそ。
小さなことからでもいい。お財布のなかの整理とか。

「やっていないことをピックアップする癖」のなかで
いかに「できたことをピックアップする癖」をつけるか。

頂上は決めるけれど、完璧を求めない。
(「前より良くなった」ととらえるレッスン。加点法)。

モノとの関係を問い直す。
自分にとって心地よいものを選択し、自分にとって心地よい環境を作る。
断舎利は「自己肯定感」を高めるスパイラルを生み出す。

「もったいなくて捨てられない」、なぜ、そうなるのか。
→ 価値観に縛られているから。
 (高かったから、貴重品だから、思い出の品だから、など)
→ 本来の自分の尺度ではない。
→ そういう選択はエネルギーが漏れる。

不安からの選択でなく、希望からの選択にシフトすると
空間が変わり、自分も変わる。

心の負担になるモノモノと暮らすのは、自己肯定感を育むのと正反対の動き。

「モノを大切にする」ことの勘違い。捨てる後ろめたさへのすり替え。

人間関係の断舎離もあるが、断舎離は
「モノをどうにかする。人をどうにかする」のではない。
(対象を評価・判断するのではない)
あくまでも、判断のなかみは「自分」なのである。
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数年前、断捨離の本が出たとき、(やましたさんは石川県在住なので、本屋では発売時から平積みになっていた)、ぱらぱらと拾い読みをして、「すごい本である」と思った記憶がある。しかし、以降、本を買うこともなく、気付いたら世間では断捨離ブームが起こっており、わたしもなんとなく「断捨離=とにかく不要なものを捨てる」と認識しそうになっていたけれど、真髄はそうじゃないのだよな。というのをラジオを聞いて思い出した。ラジオでは「不安や恐怖からモノを捨てられない」ともさらっと語られていたが、たしか、本のなかで印象に残ったのは「モノを捨てられない一因は孤独感」という下りだったなぁとも思い出した。

わたしは「ときめき」で有名な近藤麻理恵さん(通称・こんまりさん)もテレビで見かけると、その片付け術を拝見する(すぐに忘れちゃうのだが)。つまり、すっきりした生活や「片付け」への憧れがわたしにもあるのである。これはもちろん物理的に快適な暮らしを手に入れたいという理由もあるが、(やましたさん風にいうと)モノが心を蝕んでいることを自覚してもいるからである。(「使わないのにな~、あれがある~、これがある~」と折々感じるのは、相当な心の負担になっているのだろう)。また、モノと心の関係を証明するような話(分かりやすくいえば、「波動の合わないものを置いておくと、運気が下がる」とか、「整理されたスペースには新しい出会い(エネルギー)が入る」など)を、様々な分野の、数多くの方が指摘されており、そういったことも、わたしの「片付け」への切実な憧れを後押しする材料となっている。(切実な憧れがあるのに、どうして片付けられないまま年月が過ぎるのだろう?)。

わたしは、ときどき、「寝ること、起きること、ご飯を食べること」これだけでも、大きな仕事だなーと、心の底から思う。年長者(母や祖母)を見ても、それはより顕著で、睡眠や食事をこなすことが人生の大事だということは、(何かに夢中になっている頃には忘れられがちだけど)、間違いないだろう。そして、それに続く人生の大事は、もしかしたら、生活のあとしまつ、なのかもしれないとも思う。食事をすれば、お皿を洗わねばならず、料理をすれば、台所を片付けねばならぬ。枕を使ったら、たまには枕を洗わねばならず、お風呂を使えば、たいがい湯船を洗わなければならぬ。トイレットペーパーがなくなる前には、買い足しておく。水道のある暮らしをすれば、請求書を開封し、水道代を払わねばならぬ。こういうことを「余分な仕事」ととらえる方法もあるけれど、実はこういった事々が、人生の姿なき大事なのかもしれないなぁ。ただ暮らしているだけで、色んなものが溜まり、(誰かが管理してくれない限り、溜まらない人生なんて有り得ない!)、「片付け」もまた生きている限り必然の大事なのだろう。

しばらく前に、TV『クローズアップ現代』で、ライフログを記録する人々を紹介していた。凝っている人は、自分の生活を分刻みで記録するのだね~。(だから、たとえば、何月何日に足の爪を切った、の記録をもとに、今日は足の爪を切る日だよと、コンピューターがお知らせしてくれるのだ。歯ブラシをいついつ交換したから、次回の交換時はいつだ、ということが分かったり)。

手書きであれ、コンピューター上であれ、人が「記録したくなる」心理は、わたしにも理解できそうだ。かつて旅の月日をおくっていた頃は、「食べたもの。使ったお金。会った人。行った場所」をはじめ、そのときどきに「思ったこと。感じたこと。考えたこと」、それらのほぼ全てを記録したい病にかかっていた時期があるからね。しかし、これ、疲れるんだな。ことあるごとに「書きとめておきたい」精神状態に駆られるからね。ずずずいっと、時は今に近づいて、web日記を始めたころ(もうすぐ日記も満9年だ)から近年までも、正確にいえば今だって完全にゼロになったわけではなく、日々の出来事を書きとめておきたい病は、わたしのなかに巣くっている。

なお、番組では、ライフログを記録する人々をたんたんと紹介していた。(「記録依存症に苦しむ」角度はなくてね。この問題はまだ表面化する時期ではないのか? 相当な数の患っている人がいると思うのだがな。余談ながら、記録依存症の治し方をお教えしておこう。それは「記録することを意識して止める」に尽きる! やがて記録するのが面倒になったら、もう病は治ったも同然。しかし再発の恐れがないとはいえない)。また番組では、日記文化という伝統をくむことを前提にしながらも、ライフログの記録を、あたらしい生活習慣のような感じでとらえられていた。まあ、たしかに一般人が日々の食事を写真で記録することが格別に珍しくない時代というのは、人類史上初のことだろう。(レストランなどで「わーい」と思った食べ物を、まわりの目を気にせずに写真撮影するのも、ナンセンスを飛び越えて、今や、日常風景である)。

わたしは、ライフログの記録に、とくべつ肯定的でも否定的でもない。ただ、若者だけじゃなく、らくらくホンのようなケイタイを使って、「あっ、有名人」とか「あっ、桜の花」とかいってオバチャン達までも撮影にいそしむ昨今、「日常」を写真で切り取る行為は、すっかり国民的な習慣になったんだなーと思う。(昔むかし、海外旅行における日本人の特徴として「カメラを首に提げている」というのがあったけれど、物理的に思い出を残しておきたい欲というのは、日本人の傾向なのだろうか)。

今、その筋(写真で日々を記録する)には傾倒していないけれど、わたしもかつては旅先で(古い話ばかり持ち出して恐縮デス)日に何十枚と写真をとるのが当たり前だった(あ、この塀の色がかわいい、とか、この窓がすてき、とか、この影がいいな、とか。たいがいは、そこにぽつんとあるものが被写体だった)ので、心の底には写真欲が眠っているのだろうなとは思う。

no title

 






              ← あたりを窺う二人組?



 






              ← 街を不動パトロール










             ← 「あんぱんマン」の顔










           実はこんなふうになっていたなんて








           何年も通っていて初めて知った。





おっと、もう四月も後半なのですね。

頭のリハビリかねて、これまでの今月の日々をふりかえってみる・・・

◎概ね、ひきこもりDays。そのなかで実家とアパートを数日おきに行ったり来たりが主たる仕事。
◎特筆すべきは、二回、人様のお誘いにOKし、外出できたこと。しかし、三回目、花見の約束は「あー、誰にも会いたくない」と、キャンセルしてしまった。
◎アパートから150mほど先の、せせらぎ通りにできた新しいカフェ。内装も、雰囲気も、メニューも、よかった。また一人でのんびり訪れたい。
◎3月までバイトしていたところの、わりと話の通じる女性メンバー6人でホテルランチの会食。他店に移った人との再会もあり、いろいろ話を聞けた。・・・とはいえ、食事以外、話の98%ほどは、人の噂、皆の溜まっていた不平不満、で満たされたのであった。
◎あと、接骨院と歯医者にも行ったな。(下に別記)。
◎実家の庭を春仕様に。(冬のあいだは雪対策のために軒下や室内などにしまっていた鉢植えたちを、陽のあたる場所に移動するなど。ここ数年、盆栽をのせる特製板の痛みがはげしく、「次の春こそは」と毎年思っているのだが、結局、今年も「ありあわせ」のものでなんとかし、新しく盆栽用の特製板を作ることをしなかった)。まだ少し仕事は残っているけれど、庭も新しい季節に移った感じ。

ふふふ。こう書いてみると、あまり「ひきこもり」でもなかったような。それどころか、すごく頑張っていたのじゃないか。「全体に調子は低くても、実は頑張って活動・・人様の何百分の一であろうと・・していた」と、自分を褒めてあげよう。そうそう、母の本(ひまつぶし対策)を借りるために数ケ月ぶりに玉川図書館に行ったし、市場のラーメンを食べたし(珈琲屋をのぞき、日常の一人外食なんて何年ぶりだろう)、ハローワークにも数回通った。なんだ、とても頑張っているじゃないか、自分。

「一年ほど前に初めて気功を受けて、それ以来(対・過去の自分比較)心身の調子がよくなった」「そして気付いたのだ。これまでは目には見えない“低い、低~い、力”に、自分がひっぱられていたのを。(ひっぱられるのが慢性化しており、それまでは“その存在”に気付かなかった)」などの話を前に軽く書いたことがある。今現在、初めての気功の効力は相当薄れていると思われるが、まだまだ完全には失っていないのだろうな。かつては、アパートから一歩も出ない日が一週間あっても「ふつう」だったけれど、今ではそういう「ひきこもり」は、せいぜい三、四日ほどか。いや、四日も続けば、長いなー。眠りに逃げることも、最近またちょっと復活しているけれど、昔ほどの「睡眠への逃避力」は、ない。

うん、こうやって生活を添削してみれば、わたしはやっぱり元気になっている!






えっと、上記で書いた日記の補足(体のメンテナンス関係)。

◎接骨院、特に「ここを治して欲しい」という目的で行っているわけではないので、先生が全体をみて必要と判断したところを治してもらう。この日は(も)、骨盤をしめる。(骨盤がしまると、内臓が上がり、各臓器の働きが良くなり、体温も上がる…らしい。前回の2月の治療でも「骨盤」を調整してもらったので、あれから生活習慣のために元に戻ってしまったの?と思ったが、そうではなくて、ますます「しめる」とのことであった。なお、内臓が下がるのは重力の関係で自然なことなのだと)。おわったと、すうっと背筋が伸びたというか、背が伸びたような感じも。

◎右上奥歯が痛く、「うわっ、虫歯?」と暗い気持ちでいたが、ちょうど予約のあった歯医者に行ったら、「かみ合わせの問題です」と、うぃぃ~ん、うぃぃ~ん、下の歯を削られる。そして、不思議なくらい、痛みは治まった。が、その数日後には、また別の歯が痛く・・・。どうも、先月、右下にブリッジの歯を入れて以来、この「痛み」の循環が始まったような。ならば、この痛みをまた「かみあわせ」で治してもらっても、お次、さらに別の歯に負担がくるのか?という心配と、単に、「歯医者に行くのめんどうくさい」の思いから、様子見をしていたら、昨日あたりから痛みはほとんど治まってきた。

この一年を振り返っても、歯医者に通っていない時期は、わずか三ヶ月ほどではないのか。誰しも人には肉体的ウィークポイントがあるのだと思うが、わたしの場合、それは「歯」だな。今後の人生、総入れ歯にでもしない限り、ほとんど年中「歯医者通い」の運命にあるのではないだろうか。(歯周病の治療は「一度おわったら、保険の関係でニケ月後においで」といわれる。で、実際にニケ月余りのちに行くと、歯周病の基本ケアだけで最低七回、プラス、タイミングよく(?)いつも何かしら新たな問題が発生し、何ケ月も通うことになる)。う~、わたしの人生におけるこの肉体的課題、自分が招いているのだとは思うのだけど、いったい何のために・・・?? 

ここ最近、印象に残ったこと。その1

ラジオインタビューのなかの石田衣良さんの言葉。

石 田 なので、あれが大嫌いでしたね。
    たまに法事だったりお正月に会う遠い親戚で
    「衣良、おまえは将来、なにをやるんだ」みたいなことを
    ぬけぬけと聞いてくる人が。
    あれはほんとうにうっとおしくていやだったなぁ。

聞き手 そういうときはなんて応えていたんですか。

石 田 まぁとか、そのぉとか、あのぉとかいう感じでごまかして。
    でも、みんな、覚悟が足りないですよ。
    人に夢を聞くって、ものすごく大変なことなので。
    それを聞く人は、自分の人生を考えてみて下さい。
    「あなたの夢は叶いましたか」。

聞き手 あはは。なるほどね。
    でもつい気軽に若い人に聞いちゃいます。

石 田 聞いちゃいますよね。
    しかも、そのことも、なんでしょう、
    ぜんぜん深い思いとかは、ないんですよね。
    「なにやって食べるの」くらいのことしか考えてないので。
    それで人に夢なんて聞かないほうがいいよなぁ
    と僕は思いますけどね。



参考 ラジオ深夜便 http://www.nhk.or.jp/shinyabin/index.html
   (期間限定、パソコンで上記を含む話が聞けます)。




ここ最近、印象に残ったこと。その2

『自死という生き方』という本が、数年前に話題にのぼった。

その本の作者、哲学者であった、故・須原 一秀さんをめぐるルポを

上原隆さんが書かれているものを読み、おもしろいなーと思った。


特に今もって遺族が須原さんを愛していることが分かる下りは印象的だ。恋人の家に結婚の許しをもらいにいった翌日、自死した父親。そんな父親のことをひょうひょうと話す息子。奥さんは奥さんでもちろん他人の想像もつかないショックがあっただろうけれど、その語り口からは夫への繕いのできない恨みのようなものは感じられない。むしろ愛おしさがあふれる話しぶり。(「自分の愛した男の望む生き方を見届けた」という意味でも、心の折り合いを見つけられる(た)可能性が高いと、わたしは思う)。

息子や奥さんの「亡き家族」を表現する言葉の数々が、とてもとても愛情深く伝わってくる。その愛情とは「べちゃべちゃ」したものではなく、一見すると「悪口」にもとられかねないもの。これはルポを仕上げた上原さんのテクニックでもあるのだろうが、亡き家族を語るときの空気が、実に暖かいのである。家族の愛は、自死だからといって歪むどころか、もしかしたら、その死によって強固に完結されたのかも。

また、友人の語る須原さんとの思い出話も、実にいい。「この時代に、こんな大人の友情が存在するのか」と、羨ましくなる人は多いだろう。(しかもこの友人は、須原さんが五十歳のときに、家が隣同士というかたちで知り合った、育った環境も性格もまるで違う、十歳年下の人)。

この友人は、須原さんの計画を早い段階から聞かされ、自死決行の直前まで一緒に過ごしてもいるのだが、それらにまつわる話は生々しく、信じられないことだらけなのに、なぜか不思議とさわやかな印象なのである。


わたしは『自死という生き方』という本を読んではいないけれど、作者の須原さんが、なにかに追い詰めれれたり、狂人的な思考のもと自死を選んだのではないことは、はっきりとわかった。須原さんの人生は愉しいものだったのだろうなぁと想像される。(幸せでなければ、こんな計画は思いつかないだろう)。

<自死という生き方>、なんて、上手いタイトルなんだろうと思う。

確かに、自死は生き方なんだ。彼は自らの死をもって、まわりの者たちに(読者にも)生きるということを教えたのだろう。

先にわたしは「家族の愛は、自死だからといって歪むどころか、もしかしたら、その死によって強固に完結されたのかも」と書いたけれど、もしも彼の生き方がもっと違うものだったなら、家族は彼の死によって「裏切られた」と感じたかもしれない。彼の生き方と死に方がまこと繋がるものだったから、家族は彼の死を受け入れられたのではないだろうか。

わたしは本を読んでいないので、これは想像なのだけれど、必ずしも須原さんは「無痛の行き先」として「自死」を選んだのではないような気がする。(これから老いを経験するよりも、愉しいうちに死んでしまいたい。そんな快楽主義の立場から自死を選択したのではないのだろう)。

あくまで、これ(自死)は方法のひとつであり、彼は哲学者として「方法」を実験したに過ぎぬのではないか?

それにしても「書いている本が間に合わなくなるから」と、急いで外出し、そのまま帰らぬ人となった作者。はたして「生きることへの未練」とどう向き合ったのか。(実験のため、と思えば、その未練も小さくなったのか)。そんな興味は残る。

上原さんのルポには「彼のいう「哲学的プロジェクト」とは、人生を楽しんだ人は、自分の意志でこの世を去ることができるということを証明することだった。とくに、誰でも自死への心構えを持てることを実証したかったのだ。いい換えると、人は「私」への執着を捨てることができるということの証明でもある。実は、最初の著作からずっと、須原の研究の中心にある問題意識は、「私」から「距離をとった態度」ということなのだ」とあるから、「生への未練」との決着に関する話も、『自死という生き方』には記されているのだろう。

だとすると、これはすごい本だ。

生きる究極の目的は「執着を手放すこと」ではあるまいか?と、わたしは思わなくもないからね。

(これはわたしの推測なのだけど、いわゆる修行のようなことで執着を手放すのは、実は遠回りなのでは? もどき、錯覚で「手放し」を体験したように感じられやすいかもしれないが…。生へのエネルギーは、そんじゃそこらのあがき(修行)では消えんのだな。それよりも、愉しいこと、好きなこと、幸せだな~と感じる瞬間を、とことん体験することが、執着を手放す近道なのではないだろうか。つまり、愉しい、好き、幸せなどは、生への執着というエネルギーを燃焼させる働きがあるのだ。――世界はいくつもの構造からできていて、このわたしの推測も、ある側面から見れば当たっていると思うのだがなぁ。もちろん「今=無の存在」を感じるという修行も、別の側面から見れば執着を手放す一番の近道かもしれない)。

(余談ながら、須原さんが「変性意識」に関心をもち、研究をされていたというのも興味深い)。

なお、自死といえば、「いのちは自分だけのものじゃない。残された者たちがどんなに悲しむか」という見方は当然ある。人ゆえの、まっとうな感情であろう。しかし、その辺のことを、ルポを書いた上原さんは、こう述べている。

「もし、私が患者だとして、「もう、延命治療はやめて下さい」といったときに、「命はあなたひとりのものじゃないから考え直して下さい」と説得されたら、「苦しいのは私だ。私の命は私のもので、死ぬ死なないは私の権利だ、勝手に死なせてくれ」といいたくなると思う。死を目前にして、人は他者に支えられている、というのはどこかきれいごとのような感じがする」

なるほど、残される者たちの立場を考えるのはまっとうなことであるが、同時に、それは自死の尊厳とはまったく別の話なのだ。

誰もが自分の物語を生きている。須原さんの奥さんは「計画を知りながらも、それを教えてくれなかった」夫の友人に「許さない」と言ってしまったことを後悔している。娘さんや息子さんは、父の友人に対し「父がとんでも計画に巻き込んでしまい、申し訳ない」と思っている。当の友人は、性格によっては一生目覚めの悪い経験をしてしまったとノイローゼにもなりかねない出来事を背負ってしまったわけだけど、須原さんが打ち明けただけの人である、しっかりと上原さんのインタビューにも応じているあたりからも分かるように、きっと、途方もないすまなさを遺族に対して抱きながらも、今もって、友人(須原さん)の生き方(自死)を尊重しているのだろう。

結局、逝く者、残される者、それぞれの物語を生きるしかない。

(わたしは、この友人の態度こそが、「相手を尊重する」ということなのではないかと思う。よく言葉では「相手のありのままを受け入れる」とか「自分の価値観で相手を判断しない」などというけれど、これは大変にむずかしーい。相手を受け入れるとは、いかなるかたちであっても、その死に方までも受け入れる、ということなのかもなあ。話は横道にズレるが、愛する人が浮気をしたら、その人をキライになるというのは、愛ではないと思う。愛の顔をしたエゴなのだ。本当の愛するとは、胸が痛むことがあっても、それでも相手を受け入れ愛することなのでは。と、わたしは想像する。つまり、尊重することも、愛することも、容易ではないのだなあ)。


なお、須原さんが最後に残した本『自死という生き方』を読んだ感想を奥さんに尋ねたときの答えの一部が印象深い。

「書かれている内容は、日頃から主人が私にいってたことなので、納得しました。主人が亡くなったあと、ひとりでどうやって生きていったらいいのかという気持ちがあって、本に書いてあったように『金のオニギリ』でしたっけ、あれをパクパク食べられるような機会を増やそうと思って。楽に生きていけばいいんだって」


ふー、ふー、ふー。

すでに『自死という生き方』を読まれた方は、ぜひとも、上原さんのルポも読んでみて欲しい。

NHK出版webマガジンで読めます。
 上原隆さん「こころが折れそうになったとき」
  連載第21回~25回「『自死という生き方』をめぐって」





上の上の記事のおまけ

石田衣良さんはこんなこともおっしゃっていました。
(おもしろいので書いておこう)

(水色のボーダーシャツにジーンズをはいた石田衣良さんの服装を、聞き手であるNHKのひとが「若者のよう」とも紹介したことを受けて)

石 田 僕の仕事って、ぜんぜん責任と立場のない仕事なので
    本当に服装だったり、髪の毛もそうなんですけど
    自由なんですよね。
    みんなも、そうしちゃえばいいのにって、思うんですけど。

聞き手 はははっ。そうですか。

石 田 はい、みなさんね、そんな立場なんてないですからね。
    自分で思い込んでいるだけなんです。

聞き手 今日は本当に四月のスタートということで、駅で沢山の
    新入社員の、若い人たちの、ネクタイ姿を見てきたんです
    けど、ええ、やっぱり、ちょっと、緊張していましたね。

石 田 いやー、本当に気が重いんじゃないですか。

聞き手 はあぁぁ。

石 田 そんな夢をもって入社式に向かうなんてことは
    ほとんどの人、できないですよね。
    ああ、これから長く長く続く自分の牢獄の時代であると。

聞き手 そうですか。はははっ。

石 田 これから刑期をお勤めに行く、という感じだと
    思うんですけどね。みんな。

聞き手 はははっ。そうですかねぇ。
   


わたしは、すっかり、石田衣良さんへの印象が変わってしまった。

働く。についての補足。

ここに書くことを、もしも労働者が読んだなら、その多くが不快感を伴った反論を抱くだろう。いやいや、アホらしくて、相手にすらされないかも。■「皆、嫌なことも我慢して働いているのだ。それが社会人というものであり、人としての責任」「世の中、好きなことだけじゃ、生きていけない」「なにを甘いこと言っておる」などなど。■はい、ある方面から見たら「ごもっとも」であります。(世の中には、「ある方面」からしかモノゴトを見る発想のない人がうじゃうじゃいるのですよね。あるいは、そういう人だらけ)。でも、「ある方面」の対極にも、きっと世界はあって、そこからモノゴトを見るという生き方もアリではないか(どちらが「正しい」とか「良い」ではない。単に「そういうのもアリ」ということ)、などと、もごもご口ごもりつつ、胸に浮かんだことを書いてみます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

やっと分かった。

わたしは、働き始めて一月もすると、
ばけのかわ(化けの皮。バケノカワ)がはがれるのだな。

この「はがれる」というのは、自分で
自分の化けの皮がうっとおしくなり、はがしちゃうらしいのだ。

(それまでは化けの皮を無意識の働きで「見ないように」している
 らしい。・・・だって仕事するモチベーションが下がるもん)

お金のため。世間体のため。そしてなによりも
「働かないのは、罪悪」という
自己に内在する価値観への対応処置として

それらのために働き始めるんだな。

でも、結局、一月ほどもすると(一月も待たずに?)

ソノ仕事をすることの馬鹿馬鹿しさが自分のなかに積もり
(ここでは、特定の仕事にまつわる話をしているのではない。
 「ソノ仕事」は、抽象的な話のなかにおける、仮定の具体表現)

「お金のために、こんなことに時間を切り売りするのは
 自分の望む生き方じゃない」と思ったり

それどころか
(これは自分のいけない癖だと思う)
周りの人をみて
「生活費のために、こんな仕事を続けているとは
 なんて無神経なんだろう!!」と
トンデモ間違った考えまで抱きがち。
(本当にこれは100%、わたしの間違った考えである。
 とてもとても悪い癖)。

そして
「こんな仕事したくない~」という思いがむくむく大きくなって

そうすると、あとは
「ああ、辞めようかなぁ」「いつ辞めよう」などと考え始めるのだ。

その頃にはもう、

働く自分の化けの皮が、はがれちゃっている、のだな。

つまり、化けの皮とは、働く自分の鎧(ヨロイ)なのか。


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ふはーっ。「44歳の大人の発言? 情けない」という思いも並行させて、本音を書いてみました。

もうひとつ、別のかたちで「3月とプラスα」を振り返っておこう。(実はこれは自分のなかにあるパターンだと思うので)。■とにかく疲れ果てたまま迎えた3月。肉体も、気持ちも、へろへろ。「この仕事を手放したら、もう一生、こういう仕事をしないかも」などの惜しい気持ちもあったが、思い切って退職の意思を告げ、それから先は「忙しい。忙しい」のまま、わたしには珍しいスピードで時間が過ぎた。→バイト始めて以来、初めてもらった土日のお休み。ケチくさい判断をしてしまい、大阪には「用事をこなして」きただけ。休みをとった分、ほかの日にもシフトが入り、結果「よく働く人(自分比)」のまま、あいかわらず、週一回の帰省もして。内職の〆切りにも追われ、残り少ない労働生活における休息の醍醐味をかみ締める余裕もなく、頭はつねにふわふわした感じ。バイト先は毎日が絵に描いたようなドタバタで、最終日までそれが続く。20日をもって、退職。う~。■このたびの労働で分かったこと。→週数日の短時間労働であっても、わたしは一旦「外で働く」と、それに心身の注意の多くをもっていかれてしまう。(仕事の前と後、休みの日まで、日常生活のほぼすべてが「労働」中心にまわる。労働以外の時間のほとんどを疲労回復に費やすのはもちろんのこと、気持ちまでも「労働」に占領されて。どうしたら労働とその他(余暇など)を並行させて生活できるのだろう?)。どうも、エネルギーの受け皿が小さいらしい。(だからといって、メゲはせん。「他人の器」と比べなくていいのだ。いかにこの小さい器を大切にするかが大事)。肉体労働は(今回のバイトは飲食店のキッチンの仕事でした)、デスクワークのようなストレスがない。(とはいえ、肉体疲労はあり、当然、人間関係のストレスもある)。「毎日、決まった時間に決まった場所に行く」それだけで、わたしには負担なのだけど、生活リズムが整いやすいという、偉大な利点もあった。(雪道を散歩がてらの通勤は幸せな時間でもあった)。などなど。■「次の仕事が決まっていないのに、辞めるなんて信じられない」「健康な体をもっているのに(肉体的には健康だと思う。エネルギーがすこぶる少ないだけで)どうしてフルタイムで働かないの?」「次々と仕事を変えるのは、よろしくない」、そんな(本当はどこにも存在はしない、でも、他人という幻をとおして我に襲い掛かる)言葉に、相変わらず胸が痛む。顔では平静を装っているけれど、誰にも見られない場所で、自分を責め、傷つけて、それらの言葉(価値観)に反応しているのは事実だ。自分の意識している以上に「働かない自分」「働けない自分」へのプレッシャーがあるのだろう。(社会とか世間体、常識の恐ろしさ。刷り込みの大きさ。いずれも自分がそれらを作っているわけだが)。■人生の舵取り主は自分だし、他人の価値観にまどわされる必要はないし、また他人に自分を理解してもらわなくてもいいんだ。そういった「わたしの新しい道徳」を、どこまでわたし自身のなかに浸透できるか。たぶん一生つきまとう課題だとは思うけれど、少しずつでも獲得していきたい。

気づいたら、すっかり3月は日記をお休みしていた。
そしてすでに4月も中旬に突入。

●アルバイトを辞めたこと。(円満終了)。
●某刑務所の週一回の仕事に応募して面接を受けた。「受刑者をハナから馬鹿にしたような、それでいて、お金のために(時給が高い)この仕事に就きたいんだろう、それ以外はありえんよな」そんな印象を放つ面接官にがっくり。(他者は自分の鏡。わたしのなかに同じ要素がみじんもなければ、こんな面接官と出会うわけはなく…)。一方で、これしきのことでメゲはせん、実際の仕事・・受刑者と向き合い、互いに学ぶことを目的とする・・こそが勝負なのだ、と前向きに思っていたが、がくっ、合格ならずの通知が届く。
●近江町市場のダイヤモンドから「商品券」が送られてきた。
●一泊で大阪に行ったこと。
●去年から話のあった内職をはじめてみた。(疲れた)。
●十数万円の歯がはいった。
●K君を誘って、茶のみ話をした。
●長く愛用のイスを、壊してしまった。不注意の至り。

わたしにとっての、3月の大きな出来事を思いつくまま記してみました。

「誠実である」は、とても大切。

たいがい「誠実」というのは、自分以外の人に向けての

心の表現あるいは態度として使われることが多いけれど・・・。

誠実は、「自分自身に向けての、特に心の表現として
全身でおのれに向けられる」ものでもあるのではないだろうか。

              *

数年前、何かの折に
「わたしは自分を大切にしていないのでは」(*)と、ふと思うことがあり
(*20代のころは「もっと自分を大切に」としばしば年長者から言われたものだが、
  それをわたしはまるで外国語のように聞き流していた)

普段はたいていそのことを忘れているのだけれど
たまに再確認せざるをえないような心境になることがあった。

そして、やがて分かったのは、わたしは
「自分を甘やかしてはいるが、自分を大切にはしていない」
ということ。
(「大切にする」と「甘やかす」は、イコールじゃないんだよね。)

さらに時は流れ、ある日、ひょんなことから
「誠実」という概念が、わたしに降ってきて
そのときは本当に何気ない気持ちでこの言葉を受け止めていたのだけれど

だんだん、じわじわと気付くようになったのだ。

「誠実って、すごい実力もちじゃないの?」

「誠実じゃないから、ものごとが捻れるのでは?」

まだこれらは予感のレベルにすぎず、なんら実証はしていないのだけど
すでに不動の地位にある確信として、わたしのなかに宿ってしまった。


              *

誠実は、自分自身に向けての、特に心の表現であり、

全身でおのれに向けられるべきもの。

(他人への誠実な心の表現あるいは態度も、もちろん大切だけど
 もしかしたらそれらは二次的な位置づけでいいのかもしれない。
 そもそも
 「本当の意味でおのれに誠実ならば、自動的に他人にも誠実になる」
 という仕組みが、この世にあるのではないだろか)

まずは、誠実な心と態度から未来が作られるのだと思う。



以上、忘れっぽく、また「思考」や「概念」があってもなかなか自分の芯にまで浸透しにくいタチのわたしなので、覚え書きにしてみました。





背伸びせず、ゆるゆると日常生活などをつづります

はえともみ

Author:はえともみ
 
万の風になって、生きる。

ちちんぷいぷい~。
(HSPの自覚あり)
「うつと仲良く! ひきこもりだっていいじゃない」と
開き直って生きてたら
元気になってきました。

→ 近年は、老母の観察メモの
(&それに伴う自身の変化など)
色合いが濃くなっております。
・・・ま、長い人生の一コマですな。

徒然な日々も、留まることはない。
すべてがいとおしい。だから書く?

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