ともみ@ピクニック

こっほん。本年の目標を書いておこう。

☆たましいの哲学街道を進む。
(おととしの反省として、知識ばかりかじる面があったので、去年は、体験も怠らないように!の目標を掲げた。そして、それらを踏まえて、今年は「体験ますます! 楽しむことも大切に!!」だな)。

細かいことは色々ありそうだけど、まずは、これ。なにがなくても、これ。というか、色々だって、要するにすべて、この街道に通じる話なのだ。

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25日(水)二度寝から覚めたら、午後2時だった。ありゃありゃ。予定を変更。夕べはどっかーん(文字通りの音ではないが、イメージはまさにそう)と、隕石でも降って来た? いや、地球が割れた? と思うほどの(まじ、ごろごろ、なんて可愛いものじゃなく)すごい雷が落ちた。先月あたりは「鰤起し(←雷の名前)」が少なかった印象だけど、ここにきて、これですかい。(心臓が飛び出るほど驚いた)。本日は、もぞもぞ、もぞもぞ、としているうちに時間が過ぎて、アパートを出る頃には日が落ちていた。実家へ。

26日(木)朝の汽車に乗って、T接骨院へ。オステオパシーも使った手技(頭蓋骨や骨盤を調整し、硬膜のねじれを改善。脳と身体全体のバランスを整える)、レメシーを使った神経伝達調整治療。薬石ベッドに寝て自律神経を活性化。など。そうそう、首がもう十日も痛いのですと訴えて、なんか、その治療もしてもらった。わたしは、前々から「心を整えるには、からだを整えることが大切(逆も然り)」をポリシーにしていて、一度からだの状態を(ゆがみとかね)どこかで診てもらいたいな~と思っていたの。おお、それが、期待以上の体験。心身健康哲学の同志(先輩)となる先生のような予感も。嬉しいな。饂飩を食べて、Sちゃんの家へ。夕方までおじゃま。

27日(金)11時過ぎの起床。チョコパイと緑茶でお目ざ。夕べと一昨日の「炒め物」が残っていたので、それを使ってカレーを作り、雑穀米に寄り添わせ、昼食。あすは叔父の三回忌法要なのだけど、遠慮させてもらうことにしたので(今回は「この数年で息子を3人も失ったおばあちゃんを励ます会」の意味があるのだけど…)、一日早いお参りを。おばあちゃん、T子さんと1時間ほど茶飲み話。お夕飯(かわはぎ鍋)を早めに済ませて、金沢へ。

28日(土)今週の目標は…我にとり仕事始めの土曜が週の頭で、火曜が週末のイメージとなりつつある…残業をせんぞ~である。えっへん、残業を短く押さえ、帰宅。日のあるうちに、来月の家賃を払いに不動産屋へ(おじさん、家族で台湾へ行くんだ~と言っていた。いいな~)、近江町市場へ(おなじみのお菓子屋さん。ドラッグストア。そうそう、果物屋さんではお初の八朔を購入)。毎日、エプロンなど、仕事で使うユニフォームを手洗いしており、本日もエプロンをベランダに干してから外出したのだけど、買い物から戻ってベランダを確認したら、エプロンがバリバリバリと凍った布になっていた。

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補足

写真は昨晩、実家の最寄駅(無人駅)前。

○「車中がたごと」では、通じるのがムズカシイですな。
 (高速バス、積雪の日は、なめらかな乗り心地とは
  いえないときがあるのよね)
  なにか、うまい言葉はないか?

○「冬銀河」は、雪の夜道をバスが走る・・・
 これ、銀河に見立てたのだけれど、
 ムリがあるかな。
 (どこかのパクリなのですが。冬銀河)

ま。いいか。

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帰路につく 車中がたごと 冬銀河


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22日(日)アルバイト。この頃、マスコミに紹介されることが増えたためか、ごっつう忙しい。へとへと帰宅。お薬を飲みましょうと、ジンを、ちびちび。夜は携帯電話の小さな画面で『イ・サン』を見て就寝。

23日(月)旧正月ですな。「大晦日は休みをとって母国版の紅白を見る」と言っていたK君は、愉しいお正月を迎えたかな。朝、マネージャーのKさんから「今月で辞めるの」と教えられ、えええ~の衝撃。(彼女はご祝儀の意味もあり、店のオープンを手伝っていたらしい)。このことに限らず、ここのアルバイト、毎回出勤するごとに変化があって、まさに生まれたばかり、躍動している、エネルギーを実感できる。

24日(火)バイト→帰宅、軽食。シャワー→走って歯医者→Dデパート→帰宅→川向こうのスーパー。夜間はゆうべに引き続き、Bちゃんとメールで交流。「多くの母親は、愛情という概念を隠れ蓑にして、自覚なく子どもを精神的に所有している気がする」とか、「今の環境、見方を変えれば、愛情を注いでくれる家族が、仙台だけじゃなく、関東にも、関西にもいて、○○ちゃんは、ダブル、トリプルの幸せを手にしているね。すばらしいことだと思う」などと話す。

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下記の補足を。

「ネガティブなエネルギーは純粋に体験すればたちまち消える」。

でも、でも。

消し去ってしまいたいのに、とことん体験しても
ネガティブなエネルギーが、まだ消えないよお~
ぐぉぉぉぉぉ(怒り、悲しみ、嘆き)ぐぉぉぉぉ(愚痴)~

という状況はあろう。

たぶん、これ、本人は「とことん体験」しているつもりでも
実はそうじゃないのかもね。

あーだ、こーだ、そーだ、どーだ、と、物語を付け加えている
つまりは
純粋な体験になっていないのだ。

あるいは
ネガティブなエネルギーを追いやっても、いつのまにか
姿かたちを変えてまた似たようなエネルギーに囲まれている
ということもあろう。

これ、結局、目くらましなのだろうね。
(いっときは消えたふりをして、実はまったく消えていない。
 そこからまたわたしたちは物語を作っていくのだ)。

な~んてことを、想像するのだけれど(*)

わたし自身が、まだまだ毎日まいにち、物語のなかにいる。

物語を作り出している。物語を、自分自身に語りかけている。



(*)ほんとうに短い時間ぱらぱらと手にしただけなので
   本の内容を正確に知らないだ。
   せっかくKさんに教えていただいた本なのだし、
   これはわたしにも必要な本という迷いなき予感があるのだから
   そのうち読むだろう。
   

(おまけ)あ~、この頃、本を読んでいない。
   気になった本をちょくちょく買ってはいるのだけれど
   机の上に積み重ねる一方の状態・・・。
   とほほ。

   物語の中に入り過ぎて、自分を省みる時間がほとんどないのだ。

   たとえ読書が「もうひとつの物語の創作」であったとしても、

   わたしにはきっと、本を読んだり、文章を書いたりするなどの
   リラックスする時間が必要。(何よりそれが楽しいから)

   これ、食・睡眠、排便に次ぐ、わたしの
   (人間である限りの)重要な要素。


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大寒も過ぎたらしい。ちゅんちゅん、ちぃちぃ、例年ならば雪のあいまに餌を求める小鳥たちをしばしばぼぉぉぉっと眺めている頃だけれど、今年は樹々を渡り歩く(ん、飛ぶ?)小鳥が少ないのか、それともぼぉぉぉ時間が不足しているのか、ほとんど小鳥を見かけんなぁ。北陸は暖冬なのかしら。すでにフキノトウの便りも届いているし。


19日(木) きのこ豆乳スープ(じゃが芋・にんじん・昆布汁・5種類きのこ)を、あわわわんと作る。(シチュウにする予定があわわわんと慌てたためにスープとなった)。ダッシュでパン屋に寄ったのち、ふう、金沢駅到着。Sちゃんのところ。一緒にお昼ご飯。午後、実家に荷物を置いたのち、お祖母ちゃんのところ。夜は母が前日に作った「ブリかまの醤油煮」と「サバ味噌煮」を食べ比べてみるが、わたし、味の甲乙はつけられない。どちらもおいしいもん。ただ値段を聞く限り「食べるなら、サバ」である。(ブリは氷見産ね)。それにしても、キャベツや白菜、大根、ネギ、この時期の野菜はほんとうに甘い。寒さの恵みである。

20日(金) うん十年前に縫ったという冬の喪服、「太って着られない」というので、母のお下がりを貰ったが、わたしには大きすぎるため、右と左、四センチずつほど詰めてもらう。(←ワンピースタイプ)。まあまあ、いい感じ。夕方、お祖母ちゃんのお風呂のご相伴。(えっと、こういう場合もご相伴?)。いつもT子さんにばかりお願いして申し訳ないという気持ちと、せめてもの祖母孝行のつもりと、そして何よりもわたし自身のためである。ふふふ、95歳の祖母に背中を流してもらうなんて、わたしは幸せ者だ。お風呂からあがると、Tさんがカレーを用意してくれていたので、ごちそうになり、実家に帰ってからもまた何食わぬ顔をして、夕飯を食べる。

21日(土) 朝、金沢へ。今日からバイトDay。うー、忙しかった。それにしても中国人大学生のK君が「からだ、どうしました?」と聞いてくれたのには驚いた。実は先の月曜から、わたし、首がとっても痛~いのだ。(重い物を沢山持ったからか、仮眠をとったときに寝違えたか)。半週間以上経つのに回復の実感がさっぱりなく……。それをK君は一発で言い当てた!(「どうしてわかったの」と尋ねたら、「右の肩が下がってます」だって。へぇぇぇ。そういわれてみれば、からだの左右、ひどくゆがんでいるかも)。夕は、ぐぅ、サービス残業を3時間半ほど。(パソコン仕事を仰せつかり、休みの日に作ったデーターをもちこんで、印刷かければ、スムーズに行くはず。の予定が、とほほ、修正に手間取る)。お夕飯は、実家から貰ってきた煮物などで簡単に済ませる予定。


精神を労働にのっとられない工夫。これ、今の、これからの、わたしの大切なこと。

日々のあれこれは、時にエキサイティングに感じることも、人生の一大事に思えることも、海の向こうの出来事も、ちゅんちゅん、ちぃちぃの鳴き声も、すべてすべて自分自身の作っている物語。

去年、Kさんに教えてもらった、希少本『ポケットの・・・』、まだ読んでいない。ぱらぱらめくっているだけ。それでも、たまたま目に止まったなかにも学ぶことはある。「物語を語るのを、止めよ」。(めくっただけで言うのはなんだが)たぶんコレが一番の、いや唯一のテーマ。「ネガティブなエネルギーは、純粋に体験すれば、たちまち消えてしまう。ポジティブなエネルギー、これは倍増する。よって真のとらえ方をすると、人はポジティブなエネルギーしか味わえない」(←おぼろ記憶の解釈)。こういうことも気になるけどね。

わたしは、わたしの作った物語に、とりこまれない、おどらされない。


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ぽよよ~んとしていたら、あっという間に日が経っておりました。

この前、バスに乗りながら「空が近いなぁ。(低いのでなく、近い)」と、冬の晴れた風景に、しみじみ発見の思い。この冬は豪雪だと聞いていたけれど、どうも今のところ、それはないみたい。もちろん雪の降る日は沢山あるけれど、ここ数年のような寝雪の上にさらなる雪が…という降り方ではない。関東では乾燥がきびしいようだけど、ここ北陸は、ほど良い潤い。

さて、たまった日記を書こう~。


10日(火)アルバイトのち、シャワーのち、仮眠のち、歯医者。左上の借歯をひとつ作ってもらい、右上の歯周ポケット掃除。夜にちらっと聞いたラジオで下川裕冶さんがお話をされていた。「外こもり」「海外に滞在するなら、足湯感覚がいい」など。えっと、話は変わるが、すぐに忘れてしまいそうになること、あらためて書いておこう。「すべてのことに、いいも、悪いもない。あるのは、どう反応するか。ポジティブな心の反応か、ネガティブな心の反応か」。

11日(水)今年度あたらしいノートパソコンを購入したが、あらたにオフィスの入ったモバイル型が欲しくなり、先日からネットで探していた。「これにしようかな」と目星をつけたモノはあるのだが、いざ、となると、電器屋さんでも目を通しておきたくなり、国道沿いの電器屋へ。通常自転車で片道4~50分の道のりよ。アパートを出た頃にちらちら舞い始めた雪は、いつしか吹雪となり、ようよう目的地に着いた頃には、びしょびしょ雪まみれの、よろよろの我。それでも気を建て直し、何食わぬ顔でパソコン売り場をのぞいたところ、「やっぱソニーストアで買おう」と相成った。

12日(木)高速バスとコミュニティバスを乗り継いでM宅へ。Sちゃん(母の妹)どうしているかな。と訪ねたが、Tちゃん(わたしの従兄)もまだ居たので、ほっとした。お焼香を終えたところへ、偶然、Kの叔父(母の上の妹の伴侶)がやってくる。小さなコタツで膝を突き合わせ、萩、久谷、古久谷、(もう1つはナンだったかな)と、銘々味わい深いカップを選び、しみじみ珈琲タイムを始めたところで、K叔父は呼び出しがかかり、あわてて帰り、同時に別の親戚(Mの叔父の従兄弟の奥さんなのかしら)がやってきたり、寒の修行のお坊さんがお布施をもらいに来たり、いくつも電話があったりと、あっという間に時間が経ち、おいとま。本日はきのうと一転、いい天気。海の向こうの立山連峰を眺めながら実家へ帰る。

13日(金)ごろごろ。ひたすらごろごろ。母が連日お節の残りなど、日本食ばかり食べていたというので、またわたしもやや若人っぽいものが食べたくなり、久しぶりにナポリタンを作る。わたしのナポリソースは仕上げにチーズを入れる。これ、学生時代からの習慣。そうすると、コクがでるのよね。 母、一人前、わたし二.五人前くらい食べ、大満足。夜は、わたしのリクエストで「キャベツ、椎茸、長ネギ、油揚げ」の炒め物を作ってもらう。それに煮物とか、お正月に食べられなかったイクラを使った長芋の酢の物とか、あと色々副菜と、ゆうべのロゼワインの残りでご飯を食べました。

14日(土)始発から2本目の列車で金沢へ。およよ。本日はセンター試験なのね。道中「受験生」らしき人たちが沢山いた。今日も元気にアルバイト。夜は朝録音しておいたラジオ番組のテープ起し。かつて(北陸に戻るのを機に辞めた)雑誌のインタビュー内容をテープ起し&記事に仕上げる内職をしていたが、今日のは全くの趣味の作業。わたし、興味のある話なら、テープ起しが好きなのだなぁと、自分を再認識したのであった。

15日(日)本日もアルバイト。毎日まいにち、なにかしら「落ち込むこと」があり、「あー、辞めたいかも!!」と思うのだが、またそれに負けず劣らず、「こんな面白い機会はめったにない」と労働を続ける意欲も生じるのだなぁ。話は全く変わるが、油は、この世の奇跡のひとつだと思う。(この世に存在するものは全て奇跡なのでしょうけれど)。狭い範囲の話でいうと、食用「油」。これで人類はどれだけ恵みを受けていることか。から揚げ、天ぷら、美味しいよね。食用油があれば、精進料理だって豊かになる。我々は「不良油の大量摂取→体の病」「油料理→メンタル面の影響→依存」という課題も抱えているけれど、それは食生活への向き合い方の問題であって、油に責はない。

16日(月)鍵を預かり、初めての出勤。なんとか一日無事に仕事を終えて帰宅(朝9時半~午後3時まで。←最近のシフト)とは、残念ながらならず。シフト終了の少し前に、「え~っ!!」ということを起こしてしまい、4、50分ほど自主的サービス残業。(ちなみに、昨日は所要があり、いったん帰宅後また夕に職場に戻り、17日もシフトの名札を持ち帰ってしまい、帰宅後にまた職場に戻った。これ、アパートと職場が10分ほどの距離だから助かる)。夜、気付いたことがある。社長に、実は「怒られた」ことがないのではないか? よくよく思い返してみれば、わたしが怒られたと一方的に思っていたことは「これはこうしたほうがいい」というアドバイスであったのだ。今日の「なぜ、こんな失敗が起こったのか?」を本人に確かめた上で、「これはしかじかの理由があるから、Aはダメなんだ。これからどうすればいいか」という方向に話がいった過程を振り返り、この事実に気付く。

17日(火)これまでも労働を始めるとどうしても生活(行動や心の置き方)の中心が労働になってしまうのを、とことん自覚していたが、先月から始めた労働でもその現象は起きている。一日5~6時間、週の半分の労働であっても(フルタイムでは働きたくない!)そうなのだから、きっとわたしは「外で働く」ということそのものが、大きなプレッシャーなのだろう。「外に出る」ということが、ひとつの仕事で、それに加え、賃金をいただくための頭と体の駆使、伴う心の疲労。誰もが多かれ少なかれ、それに対峙しているわけだけど、わたしの場合、そのパーセンテージが高いのだろう。これから労働の日々を続けるにあたり、労働を終えたあとのリラックス、休みの日の使い方など、工夫がいるな。

18日(水)最低でも週に一度は思いっきり眠る日が必要だ。身体のためのみならず、心のためにも。と思っていたら、本日は14時前の起床。昨日、歯を抜いた。「もしかしたら残せないかも…」と前回に予告されてはいたが、昨日の診療でかぱっと被せ物をとったあと、先生は最終のお告げを。で、ここの歯医者はいつも治療内容を細かく説明してくれるのだが、どうも「歯を抜く」実践がこの日は行われない様子。先生に「歯は抜かないの?」と尋ねると、「だって、いきなり抜くのはショックだと思って・・・」と。「いや、早くすっきりしたいから、今日抜いちゃって下さい」と、わたしは男前な返事をして、昨日のうちに抜歯となったのだ。わたしの知る限り、わたしの肉体で一番老いが進んでいるのは歯である。


この頃はまっている柚子のマーマレード。トーストにのせたり、あたたかい牛乳に溶かしたり、一番出番の多いのは、お湯割り(「柚子茶」ですな)。さてさて、もうじき旧正月。旧正月が過ぎれば、着々と春が近づくのを、四十数年生きていれば、知ってます。だから、この季節、ほんと寒いけれど、心の片隅で「冬の踏んばり」があと少しだと数えてもいるのよね。今夜も電気ストーブの隣で、柚子茶を飲みながら、日記を書きました。

あなたも、お元気で。

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1月9日(月)

●昨夕は8号線まで遠出してお買い物。(ワインと食料)。帰途まだ薄い日の残るなか、大きくて丸っこいお月さんが突如視界に入り、うわわっ、不意を突かれる。その後、一番星もみーつけた。(ほんの一月前の夕方5時は「もう夜」だったけれど、確実に日が伸びてるね)。そして日付変わった本日未明、西側のすり硝子がぼわわんっと明るいのを、ふと目の覚めた折に発見。こわいほどの明るさ。きっと窓を開けたら、まん丸さんがいらっしゃると思ったのだけど、寒いし、なんたって眠いし、対面を果たせず。そうそう、今夜は満月らしいですの。
●本日も無事アルバイト。なかなか同僚とお喋りするヒマがないのだけれど、本日は同世代の女性と仕事のあれこれやちょっとだけプライベートなことを、心理学を専攻している学生君ともぼちぼち会話を交わし、「うんうん、こういうのもアルバイトの楽しさなんだなー」と思い出した。
●よしもとばななさんのブログ2011年12月20日付を数日前に読み、「しかしそれは毎分毎秒の闘いなので、楽になりたくて人は自分のくせのなかに入り込んでいつものできごとをくりかえし、いつもの苦しみを苦しむことをくりかえすようになる」に、励まされる。


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お元気ですか。日も少しずつ長くなってきましたね。

2012年となり、もう一週間が過ぎました。

お目にかかったことのある方も、まだお目にかかっていない方も、

いつもブログをのぞいて下さり、ありがとうございます。

今年もわたしなりの歩みで日々のあれこれを綴っていこうと思うので

あなた様のペースで見守っていただければうれしいです。

無言のパソコンに向かい、でも誰かと静かにつながっていることを

いつも感じつつ、わたしはこのブログを書いています。




 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・       



1月5日 朝一番の汽車&高速バスで金沢へ。(すぐにぐうぐう眠ってしまい、気付いたら、金沢市内。いくらか遅れるかな?とのんきに思っていたが、あわわ、積雪のためかバスは定刻より30分も遅れて到着)。とことこアパートに戻り、荷物を置いて、すぐにアルバイトに向かう。そして、お久しぶりの仕事を始め、えっ、ええ~。頼りにしていたシェフが本日で辞めることを知る。(会社とシェフ双方のお試し期間だったらしい、これまでは。シェフは本業のイタリアンレストランに戻るのだと)。今後を想像すると、軽い気持ちではいられない。

1月6日 きのうは早く就寝。本日正午ころ起床。うん、寝るのは、ほんとうに大事。(わたしの人生で一番掛け替えのないものは睡眠だと思う。まじで。恋でもなく、仕事でもなく、睡眠。食とお酒は惜しいけれど、それらはやっぱ次点かな)。15時半、歯医者の予約。うぃ~ん、うぃ~ん、左上の歯周ポケットを丁寧にお掃除してもらう。のち、デパートDで母のセーターをちょっと見るが、そちらは早々に引き上げ、デパートMへ。けっこう時間をかけ、いくつか候補が上がったが、結局、買うのは後日にしようと…、なんとなく1つ上のフロアーへ上がり、そのまま帰宅するつもりが…、たまたま通りがかったショップで目に止まった「黒のタートルネック」。形はシンプル。お値段は安くはないがかなり割引率がいい。そして何より本日探したなかで一番暖かそうだ。よしっ。いい買い物ができました。

1月7日 朝からアルバイト。実はおととい、シェフの退職とは別に、気持ちがブルーになることがあった。どうも、(わたしの勘違いだとしたら、わはは、ほんとうの一人相撲だ)、一方的にライバル視をされている?と思われる人から、軽いイジメ(?)にあってしまい、やや気持ちが沈んでいた。ぐ、ぐぐぐ。しかし、そこに同調してはならん。(そもそもこれはわたし自身の作っている物語?)。しかし、本日出勤したら、朝は社長がいて下さって、ブルーな同僚とは顔を合わせないシフトで、まあまあ穏やかに帰宅できました。(おととい、今後の雇用についての話が社長からあり、何事もう~と重くとらえる傾向のあるわたしは、家に帰ってからもう~う~となっていたが、結局、軽やかにお話を受けることにした)。

1月8日 きのうの帰途、「あー、北陸の冬だ、これぞ」の雪が降っていた。そして今朝目覚めると、それなりの積雪あり。車を運転しないわたしは、実は雪、嫌いじゃないのよね。降る様も心のクリーニングになるし、白い道を歩くのも楽しい。本日もアルバイト。静かな武家屋敷街そして飲食街を、「ちょうかんず、ちょうかんず。(鳥観図)」と、呪文のように心のなかで呟きながら出勤。そして、「自分の中心に帰ること」も。たぶん、「鳥観図」と「中心に帰る」、この二つを忘れなければ、たいていのことはやっていけると思う。



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12月29日 昼に金沢を出て、Mさんの叔父ちゃんのお見舞い。フロアーにたどりつき、廊下を歩いていると、なんともいえない悲しみ方面の感情に襲われる。(あれは眠っていた記憶がぐずついたの? あるいは現在ここに居る人たちの思いが無言のシグナルとなりこの身にやってきた?)。けれど感傷に落ちるのを一度ぐっとこらえると、案外、人って平気でいられるらしい。ただ、病室に入り、叔父ちゃんの顔を見ると……、わたしの中で、何かが、どこかが、シャットダウンした。夜になる前に実家へ。

12月30日 朝ご飯を食べ、お祖母ちゃんとT子さんの所へ。お節作りをしていたT子さんの手を止めさせ3人で茶飲みをしていると、近所の餅屋さんが配達にくる。お餅大好きなお祖母ちゃんのそわそわした様子を察して、T子さんが早速、黒砂糖餅を焼いてくれる。ふ~ぅ。おいし~い。(家に帰り母にこの話をすると、「お土産ないの? おばあちゃんったら、気の利かない!」と、思いがけない母のいじけ様。よほどお腹が空いていたのか、黒砂糖餅が懐かしかったのか。くぅ。77歳の娘が95歳の母親をなじるのだから、ほんと、人間っておかしい。頂物の高級レトルトカレーの昼食を食べ、TV『坂の上の雲』を観ながらコタツで横になっていると、「すぐに来て」の電話。パニック。母とあわてて病院に駆けつける。この日、真っ赤な夕日。日が暮れて、いったん家に戻る。夜遅く、息を引き取った電話が入る。

12月31日 昨晩の話。ほんの数時間前まで血の流れていた叔父ちゃん。もう、その表情を変えることはない。亡くなる前、「ありがとう。ありがとう」と、叔父ちゃんは言っていたそうだ。誰もがさいごは、あっちに逝かなくてはならないならば、妻、息子家族、娘家族、皆に囲まれて、まわりに感謝の言葉を表わしながら旅立つなんて、幸せな逝き方だと、わたしは思う。そして本日。病院経由Mさん宅から戻ったのが朝の3時半頃だった(?)ので、ちょっとだけ寝坊しようと思ったが、手伝いの要請があり、午前中からMさん宅へ。田舎ではこれからしばらく精進料理の生活となる。Hちゃん、Hさん、わたしの3人で台所に立つものの、みな、自信が無い。叔母世代は我等の手際の悪さに驚くが、「普段、あらたまって精進料理なんて作らないもの。ましてや、お客様にも出すと思うと・・・」が我等の本音。

1月1日 お雑煮を食べ、汽車とバスを乗り継いで、Mさん宅へ。この寒さのためか、池の鯉が(きのう?おととい?)数匹昇天していたのを、TちゃんとHちゃんが雪積もる庭に生める。わたし、うろうろ。今日は来客が少なそうだし、姉が甥っ子たちを連れてお焼香に来たのに便乗して、昼、実家に戻ることにする。(お手伝いはしたいけれど、Mさん宅も家族だけでいられるときは家族でいたほうがいいと思い)。母の待つ実家へ。簡単なお節料理を食べ、祖母宅へ。山口からやってきたY君、Cちゃん、毎度のかわいさ。甥っ子たちは早い夕飯を食べ、自分家に帰っていった。

1月2日 焼き餅を食べ、Mさん宅へ。こんな機会だからこそ、あらためて感じることも多い。叔父ちゃんの病気が分かり1年弱。以降、TちゃんとHちゃん(=叔父ちゃんの息子と娘。わたしのいとこ)は、それぞれ神奈川と愛知から一週間おきの帰省、ここ数ヶ月は毎週帰省していたようだ。それだけでも(それぞれサラリーマンとして社会の一線で、小さな子供をもつ主婦として活躍し)大変なのに、叔父ちゃんの亡くなったあと、彼らは、悲しみに沈みこまず、こんなときでも周囲への気遣いを忘れない。すごく立派だ。かつて父を見送ったときのわたしは、ただぼーっとするだけで、まわりの人たちを思う気力なんてゼロだった。台所仕事も全部、叔母たちに任せていたっけ。今、Tちゃんは喪主として(そして新しい家長として)田舎のいろんなしきたりにのっとり仕事をし、Hちゃんは、台所仕事、買い出し、子供の世話などなどに加え、わたしを含めた親族たちにもとても気配りをしてくれる。こういうとき「言葉だけ」の人っているけれど、Hちゃんはそうじゃない。常に真心のこもった言葉をかけてくれるのだ。これは身についたもの。もう、脱帽である。

1月3日 今冬は大雪だ。という前ぶりはどこへ。ま、それなりの積雪はあったものの、このお正月、思ったほどの雪ではなかった。おまけに今日は青空が広がっているではないか。今日は叔父ちゃんが自宅を旅立つ日。(31日に一緒にお焼香をしたIさんがのちに語ったという話。「いましたね。足元のほうに」。そ、そうか。そうなのか。やっぱ、そういうもの? この事実と、今まで知らなかったIさんの才能、二重の衝撃だ!!)。たまたま納棺の儀は(わたしが遅く行ったので)真横で見ることになる。まさに映画『おくりびと』である。旅立ちの装いになった叔父ちゃんには、愛用の白衣の上に青い実の金柑、趣味のスケッチブックと筆などが、添えられた。そして夜、お通夜。

1月4日 たぶん、わたしだけじゃなく、いとこたちも皆、思っていること。これまでは近親者の死といえば、たいがい祖父母世代のものだった。(わたしが物心ついて最初に体験した「死」は曽祖父の。次いで曾祖母。その後もいくらか近親者の死はあったけれど、それらは祖父母世代のものであった)。ところが4年前の冬にはわたしの父、2年前の冬にはH(母の弟)、そして今回はMの叔父(母の下の妹の配偶者)と、続き、いよいよ自分たちが「そういうポジション」に入ったのだと、嫌でも気付かされるのである。昨日と一転のお天気、朝の汽車のなかから雪が降り始め、葬儀の終わるころには幾分も積もっていた。初七日の法要を終え、T子さん、母と、汽車で帰宅。着替えを済ませたあと、お祖母ちゃんの顔を見に行く。今年、歳女なんだよねー、お祖母ちゃん。

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