ともみ@ピクニック

28日(水)



 いつぶりだろう
 青空の広がった日


●ご褒美のお寝坊。昼に起き、O先生のところへ。そのまま、買い物ツアー。道中まだまだべちゃ雪の残るところが多くって、ふんばって自転車のペダルを漕ぐ。やまや、スーパー、駅ビル、図書館、いったん帰宅後、デパートと。あちこち出かけたけれど、沢山の仕事はしていない。
●ラジオで「アラブの春」のおさらい話をやっていた。ちらっと聞いただけだけど、「市民の革命のように言われているが、あれが起こる前、米国が中東の若者を自国に招き、ファイスブックやツイッターの使い方を教えていたんだ」という話はちょっと印象に残った。わたしはこの事実をひねくれてはとらえない。国境はまぼろしで、いまや20世紀には考えられなかった手法が市民の手に入ったということだ。むしろ、ばんざい。
●一度遠ざかっていた、横尾さん家の英さんのブログを、Yさんも読んでいることを知り、このごろまた愛読復活しているわたし。彼のブログにはしばしば「スーパーで買ってきたお総菜」の写真が登場するのだが、それが結構美味しそうに見えるのよね。わたし、基本的には、スーパーのお総菜がそんなに美味しいものとは思わない。でも、わたしも時々食べたくなるのよね。時期によっては「頻繁に」欲するときもある。今日は「あじ大葉フライ」「ポテトサラダ」「サーモンお刺身」を買ってみた。こういうのって、気分。(同じお総菜を買って実家に持って行っても「あわわ。まずい」と感じるだろう)。幸福感を見いだせば、スーパーのお総菜だって、美味しいのだ。付け合わせとして、冷蔵庫にキャベツが眠っていたので、ざく切りに。そしてソースをかける。(キャベツ&ソースなんて、数年に一度しか食べない。この組み合わせ、わたしのなかではとても大阪人っぽい)。そして白ワインを開けました。

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27日(火)

●粉雪のなか通勤。夏の早朝に匹敵する、真冬の朝の空気の独特感よ。今日もたのしくお仕事。初めてオムライスやスパゲッティを担当。
●「どうしてこんなに評価をして頂けるのだろう」と不思議な気持ちもあるが、これ、「どうして?」じゃない。現実のように見えるこの世界は自分が作り出しているのだと理解すれば、おごった考えや、調子こいた思考は防げるだろう。
●それの関連話なのだけど、他人の心地のよくない行動や言葉に触れても、「あのヒトは×××」じゃなく、これも自分の作っている世界の話なのだと思い出すと、あまり感情に取り込まれなくて済む。ということを体験した最近。(身近な人のことになると、まだまだダメなのだけどね)。ちょっとずつ訓練。一歩進んだと思ったら、また後退する日もあるだろう。それでもたま一歩進めばいいのだ。
●カラダの疲れはあまりなかったのだけど(仕事も少しは慣れたかな)、帰宅後、頭がぼぉぉぉ。煮込みきしめんを作って、ビール飲みながら食べ、早々にお布団へ。あしたから冬休みを頂きます。

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12月26日(月)

イス、左のネジがゆるんでいるのに気づく。そーいえば、数ヶ月前、別のイスも、左のネジがゆるんでいたのだ。これって、偶々じゃなく、カラダの癖が関係している? 座っているとき、知らず知らず左寄りに重心がかかっているとか。◆カラダの癖といえば、過日、歯科の先生がレントゲンを見て「寝ている時に大きなストレスがかかっているようだねぇー」とおっしゃった。実はわたし、以前から、横になっているとき、眠りから覚めたとき、「すごく歯を食いしばっている」とふっと感じるときがあったの。◆先生によれば、人間は咀嚼を覚え始めると同時に「どれくらいの力で噛めばいいか」を学習するらしい。で、ある一定以上の力が歯にかからないよう、脳にインプットされるんだって。だけど就寝中は、そのインプットの作用が外れ、起きているときにやろうと思ってもできない力が入るときがあるんだって。◆わたしより二歳若いBちゃんは歯周病対策にマウスピースを作っていた、という衝撃の事実を知る。へー、へー、へー。今度、わたしも先生に相談してみよう。◆お仕事は休み。昼に歯科で歯根の治療。夜、犀川の向こうのスーパーマーケットまで長靴履いててくてくお買い物。帰り道、重い鞄を下げ、吹雪のなか、またてくてく。ああ、愛する冬よ。

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12月25日(日)

●沢木耕太郎さんの語りで、たまたま耳に入り印象に残ったこと(彼は毎年、クリスマスの日にJ-WAVEで特別番組をやっている)。「去年ぼくは初めてキャリーバックで旅行に出たんだ。意外にも便利。そしてスペインの安宿に泊まったら、安宿だよ、誰もバックパックを背負った人がいなくって、み~んなキャリーバックだったんだ」「時代は変わったね。ぼくの『深夜特急』を読んで、海外旅行に行きたくなって大学を休学したという中国人に会ったんだ。で、その彼、ぼくと違うのは、旅行から帰ってきて、一度大学に復学したあと、また旅行に行くために大学を休学したというんだ」。古い価値観よ、さようなら。
●毎年この時期、ラジオからクリスマスソングが流れるのが好き。一人の部屋でクリスマスの曲を聞いていると、ほんわか幸せ、普段とは違うわたしが顔を出すような。そしてクリスマスを過ぎると、ぱたっとクリスマスソングは消え、今年もあと少しだぁと、さみしくもなる。
●本日も6時間のアルバイト。帰宅後は、長い時間、部屋でぼぉぉぉ。放心のヒト。まだ夕飯は食べていない。只今20時半、白ワインを飲みながら日記を書いている。
●エネルギーが変わると、現実が変わる。エネルギーを変えるには行動すること。この話は本当らしいなあ。

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ふうふう、クリスマスイブの夜、たまった日記を書くとしよう。

13日(火)O先生の所へ。珈琲を飲みながら、これといってとりとめのない話。サービスで気功をして下さるというので横になっていたら、来客。「また今年中に顔を見せに来ますね」と約束をして、いとま。スーパーに寄って帰宅。そうそう、きのう面接を受けたお店から採用の連絡あり。

14日(水)昨晩あたりから、歯が痛い。頭が痛い。夕べは大量の鎮痛剤を飲んでしのぐ。行きつけの歯医者の予約がとれたので、昼前に受診。左下の被せものを2つ、とってもらい、少し楽になったかな。帰宅後、昼寝。夕方、また激痛で目覚める。歯の痛みも大変だけど、わたし、普段、頭痛というもの知らずで生活しているので、頭が痛いと気持ちがびびるのだ。

15日(木)一昨日の午後にフランスパンと赤ワインを食してから、なにも食べていないのであった。朝方目覚め、ゼリーを食べ、また眠る。えん、えん、えん(←ひたすら眠って体力回復中)。夕方、起床。やっと覚醒した感あり。わたし、今週の月曜から、異次元を漂っていたというか、意識が半分いや4分の3なかったような。(「カラダはいるけど、意識が別のところにある」ような)。お蕎麦をちょっと食べ、お腹も心も暖める。

16日(金)昨晩、実家へ。実家はいいなぁ。こたつでテレビ見られるし。ご飯がおいしいし。「すりおろし林檎」などを作ってもらい、すっかり病人気取り。母の愛よ、ありがとう。夜、しんしん冷える。わたしにとっての初雪だ。ごく短時間であっという間に積雪。お布団に入る頃には、どかっ、どかっと、屋根から雪の落ちる音がひっきりなしとなる。

17日(土)毎年恒例の蕪寿司作りの手伝い。ひたすら、蕪の皮をむく。玄関に腰を下ろし、ひたすら、むく、むく。好きである、この作業。皮をむいたら、隣で母が切れ込みを入れるなどの、流れ作業。(今年はハプニングあり。母が畑で作った蕪は、むいてもむいても、中に色がはっていて、使いものにならない。こんなの初めてという母はSさんにHelpの電話を。雪の中から蕪を収穫して届けてくれたSさんに感謝)。今年は例年より少なくなったが、それでも大樽一杯分の蕪を無事に塩漬け。あとは、後日、すでに用意してあるフクラギ(ブリのこと)を挟み、糀で漬け込むのである。

18日(日)体調もだいぶ良くなってきた。歯の痛み&頭痛は、不定期にあるものの、なんとかしのげる。雪は寝雪とならず済んだらしい。わたし、雪も好きなんだけどね。庭の冬支度、本日の夕方をもって、大方終了。父のいた頃に比べたら、ずいぶんと手抜きだが、ま、いいだろう。

19日(月)姉、母を近くの医院へ送迎。(病気ではない。ただ毎月一回通っている)。二人の帰宅を見計らい、お昼は和風パスタを作る。う~ん。ちょっと、いまいちかな。歯医者の予約日を早めてもらったため、午後、金沢へ。電車が遅れ、あわててバスでかけつける。移動中に書いた〈ここ数日の歯の様子〉メモを先生に見せると、「日記だね、これ」と笑われたあと、両手を包むようにメモを返された。ところで今回の歯痛、痛みの始まる前週にぽりぽり噛んだ「柿ぴー」が原因かもと伝えたら、先生は「柿ぴ-」でやる人、多いんですよ、と仰っていた。

20日(火)朝、平和な眠りのなか、番号不明の電話が。アルバイトの決まった先から、「い、今から、こられませんか?」の話に、寝ぼけたまま、はい、と返事をしたのであった。なんか、面接を受けたのも夢のようで、その後の連絡もいまいちフに落ちない面があったのだけど、気がついたら、わたし、現場で仕事をする人となっていた。しかも本日は、お店のオープンの日なのである。まあ、左脳ばかり働かせてしまうわたし、「考えると色々イヤになる」癖があるので、気づいたら「動いていた」というのは、案外、いいかも。

21日(水)アルバイト二日目。そう、考えるよりも、すっかり「動く」人。これ、わたしには珍しいパターン。仕事はまったくの未知の世界で、おもしろい。しかし、普段ごろごろ・だらだらしっぱなしだった身、急な労働の日々に、帰宅後、カラダは悲鳴を。TVのミタさんを観るのは止め、睡眠をとる。

22日(木)お休みの日は、気持ちがぴかぴかだ。(毎日が日曜日だと、こんな感覚はやってこない)。お昼に起きて、カーネーションを観て、シャワーを浴びて、クリスマスソングを聞きながら、年末用のカードを書く。幸せな時間。夕方、歯医者。夜はお誘いがあり、近所のガレット屋さんへ。フランスの食に、久谷焼きや漆の食器を使った、すてきなお店だった。もちろん、ガレットも美味しゅうございました。

23日(金)天皇誕生日なのね。わたしは、バイト。前夜あまり眠れなかったのだけど、ちゃんと出勤できました。あたらしい仕事も(えっ、いいのですか、と、驚いたが、せっかくの機会だもの)教えてもらう。夜は「おでん+うどん+野菜」を煮たものを食べて、早めにお布団に。どうやら雪が降りそうな感じ。

24日(土)初めての9時出勤。世間様は連休なのですね、おまけにクリスマスイブ。仕事は(未知のことを一気に頭と体で学んでいるので)修行という感じである。がんばろうー。仕事のあと、お世話になり始めた社長(わたしより十歳ほど若い)の新聞記事を読む。外国に暮らしていたことは面接の時に聞いていたが、こんな魅力的な生き方をしている人だとは。一緒に仕事をできて、嬉しい。

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こんにちは。

いよいよ冬至です。

なぜか、今年のわたしは

「あ~。日が短くなる。寒くなる。嫌だねぇ」と
まわりの人たちが顔をしかめる秋の終わり頃から

「もうすぐ冬至がやってくるんだなぁ 寒さもどんどん
本格的になって、そして、日のどんどん長くなる日も、もうじきだ

なんて風に思ってました。

 今日は柚湯に入ったり南瓜を食べる予定はありませんが

 暮れゆく今年に感謝し

 生きとし生けるものの幸せを祈ります。

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お久しぶりであります。

ここ一週間で、またぐぐぐ、と、冬が深まったようだけど
お眠り時間が多くって、実はまだ初雪を体験していない。

6日(火曜)
あ~、夕方だ。と目を覚まし、一瞬しょげたけれど、「いやいや、今日やりたいことリストのなかの全部は無理としても、なにかできることはある」と、落ち込みモードを手短に終え、外出を。(ごめんなさい。←誰に謝る。寒くって、顔を洗わずに外出しました)。近江町市場へ急ぎ(市場の閉店は早いんだもん)、いつもの果物屋さんでキンカン二袋を購入。その帰り、また別の果物屋さんでキンカン一袋を購入。ふふ、大仕事を成し遂げた気分だ。夜は、親の年賀状作り。どうして年賀状作りには手間取るのだろう? ちょちょちょいとスムーズにいくはずが、毎年、どこかでひっかかってしまう。今年は某所からダウンロードしたテンプレートを「郵便局の無料ソフト」にはめこみ印刷しようとしたら、どうにもこうにもサイズの調整ができなかった。結局、筆ぐるめを使うことにして、難を解決。はふぅ。

7日(水曜)
おいしいパンを買って、昼に実家へ。「椎と松の剪定をTさんにお願いした」と聞いてはいたが、う、ううむ。正直な第一印象を云いましょう。「このレベルなら、我にもできるかも」。この数年、庭木の剪定をいくらかやってはきたが、なかなか(大きいとか難しいなどの理由で)十分に世話をできない木もあった。まあ、この辺の話には色々と心の葛藤があるのだが、最近は「庭木の手入れを自分でやりたいというのは、エゴ。木にとってみれば、上手な人にやってもらうほうが幸せだろうな」と思うようにはなっていた。それに「そのうち。そのうち」と先延ばしにしている自分よりも、確実にやってくれる誰かのほうが、「確か」だとも、分かるようになっていた。う~ん。そうね。「そのうち」の自分よりも、やっぱりTさんに剪定してもらってよかったんだろうな。(こんな寒くなってから大丈夫?と思わぬではないが)。それにしても、松は松でも、五葉松だけは剪定未着手のよう。やっぱ、これは、プロの庭師に頼まねばならんのか?

8日(木曜)
夕べは早く眠り(一昨日は一睡もせず実家へ)本日はTV『花嫁のれん』の始まる前に起床。お昼を食べて、お風呂に入り、お祖母ちゃんのところへ。彼女はまるでリゾートマンションのような施設に住んでいるのだが(老人専用の施設)、ここでは頻繁に虹が見える。能登半島寄りの海にかかる、虹。「ここのところ毎日見れたんだけど、今日はでないねぇ」と、残念そうなお祖母ちゃん。窓の外では鉛色の海がざっぶんざぶんと波打っていた。毎度のもてなし攻撃(次から次へとおやつを出してくる)を受けたり、けらけらと笑いあったり。そして帰り際、「ともちゃん来たら、やってもらおうと思っていたの」とのリクエストに応え、歩く練習。日の暮れた頃、T子さんのところへ。太陽発電や、熱帯魚の飼育、習い始めたばかりの篆刻など、暮らしの変化や新しい趣味を見せてもらう。

9日(金曜)
この日より、雲行き怪しくなる、我の心身。きのうは元気だったのにな~。ゆうべ「眠れなく」なって、朝の9時頃に眠ったのだったか・・・。お昼、姉も来たので、「鱈鍋をする」と起こされた(たったそれだけのことで不機嫌モードになったのだろうか)あたりから、なんか精神的な落ち込みが始まってしまい、体を起こせなくなってしまう。それでも22時過ぎには一旦起きたのだけど。TV『専業主婦探偵』を見るために。どこで、どう、「落ち込み」のスイッチが入るのか、自分でもわからないので、こわい。

10日(土曜)
終日、お布団のヒト。突然であるが、あらゆる病気の源にはストレスがあり、また食べ過ぎもあらゆる病気の一因になると、わたしは考えている。ごっほん、総じて日本人は食べ過ぎだよね。二つの流れがあって、「食べないと病気になる」と過度に信じて疑わず、つまり恐れから食を進めるタイプと、「胃袋の欲求ではなく、気持ちの欲求から」食欲を作り出す、つまり何かを誤魔化すために食に逃れるタイプ、たいがいの者はこのどちらかあるいは両方に属す傾向があるのでは? わたしは、あきらかに後者。なので「一日なり半日なり寝ているときは、自動的に『食べることを休む』ことができ、それはそれで利点」なのである。過剰な栄養は摂取しないに越したことはないもんね。一方で、わたしの母などは「一食でも抜くと病気になる」と信じ込んでいるような所があり、まる一日ぶりに起きたわたくしめにも、ごちそうが用意されているのであった。

*食と精神がいかに繋がっているかの貴重な体験をした本年。
*心の表面にものぼらない程の不安・欠落感・心配・さみしさ等々を埋めようとする行為、食欲へのすり替えに、実は潜在的な虚しさも覚えているわたし。

11日(日曜)
ちらちらと漏れ書きしてはいたけれど、まだちゃんとブログに書いたことがなかったな。今年、わたしは前半の数ヶ月、まるで魔法にかかったかのように心身が元気!になっていた。躁鬱の「躁」ではない。健やかな自分というのを初めて長期にわたって実感したというか。イメージ的にいうと、これまで何十年とあった、下へ下へと引っ張られていた慢性の負のエネルギーが緩んだ、というか。おかげで「今まで“怠け病”なんじゃないか?と自責もあった苦しさ」が、いやいや、あれは「ああなって当然といえるほどの状態にあったのだ」と、理解もできた。うーん。本当にぴかぴか輝いた月日はそう長くなかったのかもしれないが、あのとき、わたしは次元の違う世界にいたのではなかろうかと、現在もって思う。そして、徐々に魔法は解け、特に最近はガクッと調子の崩れている自分を見つけてしまう。しかしね、右肩上がりは無理でも、総じて底力がちょっとずつでも上がっていればいいと思うの。





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過日の日記に母とのあれこれを書いたけれど、その補足をしておこう。▼これまで母はわたしにとって「重い」存在で、これから先もそれは変わらないだろう。ただこのごろは、「彼女との関係はソウルメイトというものなのかも」と思うようにも変化してきた。(ソウルメイト=ロマンチックな間柄とは限らない。お互いの成長のために、お互いが存在する、そんな関係だ)。▼母をうっとおしがるわたしの感情は、当然、彼女にも伝わり、ずいぶん彼女を傷つけてきたはずだ。長年と。▼母の片付けられない癖は「改善の手立てのない性質なのだから、ありのまま受け止めるべし」と理性ではとらえている。また「母に文句をいう前に、自分のアパートをすっきり片付けろ。自分の巣を整えてから、文句をいえ」と自分にいい聞かせてもいる。なのに混沌とモノにあふれた実家に身を置くと、感情がショートしてしまうこと、しばしばなのだなぁ。(他人が聞いたら「たかが片付けで」と思うだろう。が、これ、語り尽くせぬレベルの話なのだよ。「お前が片付ければいい」、はい、ごもっとも。それができれば、こんなに苦しまずに済むのよね)。▼「ひとを変えようと思っても、変わらない。ひとを変えたければ、自分を変えなくては」と、たまーに思い出すのだけど、たいてい、いつも、わたしは、ひとを見て、自分を見ずに、ぷんぷんしてばかりいる。▼先日も金沢へ戻ったとたん、「おにぎりを忘れていったよ。食べるものあるの?」と母が心配の電話をかけてきた。(わたし43歳)。陸の孤島でもあるまい、仮に冷蔵庫のなかが空っぽであっても、飢え死にはしないよ。と、過去何百回も言い聞かせてきたけれど、毎回そのことを彼女は忘れてしまうらしい。というかね、これ、母性の原点なのでしょう。角田光代さん原作のドラマ『八日目の蝉』のなかで、子供(誘拐をした子供であるが、実の子のように大切に育ててきた)と引き離される際に主人公の女性がこんなような言葉を叫んだ。「(子供の)朝ご飯がまだなんです。(せめて子供にご飯を食べさせてから、逮捕して下さい)」。▼こんなにいい母親なのに、なにが不満なのだ。傲慢にもほどがある。と、世間の標準からすれば、いわれるだろう。異論なし。きっと母は、わたしのためなら犯罪以外(場合によっては犯罪すらも)喜んでするだろう。それほど、愚かしくて、愛情深く、わたしの前にいる。▼常に家族に愛情を注ぐことで、自己を確認してきたのだろう。母は。老齢となり、夫もいなくなり、孫は孫でもちろん可愛いけれど、彼女にとっての分身であるわたしを(姉には自分で作った新しい家族がいるのに対し、わたしは依然「嫁に行っていない」という思いも手伝って)特に大切にしてくれるのをいつも感じる。かつてはそんな母をうっとおしく思うばかりであったが、はてはてはて、母にとってわたしが一番の身内であるように、考えてみればわたしにとって母はある意味唯一の身内なのだなぁ。▼たぶん、母とわたしは、お互いがお互いを(お互いの成長のために)まだまだ必要としている。足して120歳の親子であるが、まだまだ安定期にあらず。これからもっと良き関係に変化するだろう。

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5日(月曜)

●この世で一番いいなあと、今も昔も我が思うのは、素直な人である。目の前にあることを、まっすぐ受け止める。ただ受け止める。そこに「判断」という要素をしのばせない。「でも」とか「だって」とは、程遠いところにいる。素直な力、それは大きな財産だ。
●半月ぶりにスーパーへ食品買い出しに行く。帰宅後、きのこ生姜うどんを食べ、ふぅ。甘い豆乳紅茶を飲んでいたら、あらたな食欲がむくむくと。ぶ厚いハニートーストを一枚、ぺろっ。お腹が膨れ、ちょっと休もうと電気毛布オンにしたお布団で横になっていたら、また寝てしまった・・・・・・。22時前、二度目の起床。


「悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する。成り行きにまかせる人間はみんなふさぎこんでいるものだ」

幸福論(アラン著 白井健三郎訳『幸福論』93誓うべし)

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4日(日曜)

昼起床の好ましい生活はどこかへ消え、どっぷり夜型人間に戻った、ここ最近。う~む。あこがれは、お天道様とともに起きる生活であるが、自分の体質を顧みるに、それは無理!というのもわかる。ならば、と、考えてみたのだけれど、「朝の一時半ころ起きて(修行僧のよう)、机のうえの仕事をして、明けたら軽く庭仕事など、朝食を食べ、(ちなみにお釈迦さんが仰ったことをまとめた医学書のようなお経には「起床後5~6時間は食事をとるべからず」とあるらしい)、その後、その日のメインの仕事をして、お昼をゆっくり摂り、午後はわりと静かに過ごす、そして夜になるころ就寝」というのが、これから老後に向かうわたしの理想かも。

「痛みを追体験することにより、意識にものぼらない傷を癒すことができる」という理由から、前世療法に興味のあるわたし。でも、「前世などに関心があるのは、今を生きていない証拠」という意見には、うなだれるしかない。はい、ごもっとも。現在(いま)に在れば、過去も未来も力をもたないもんね。しかし先ほど、レーネンさんの「前世を知ることは、脳をオープンにすることにつながる」という言葉を読んで、やっぱり、よりよく現在(いま)を生きるために前世を知るというのは悪いことじゃないよなぁと思いなおす。(ちなみに、わたし、去年はその筋の鑑定家に会い、今年はヒプノセラピーを受けた。結果、はかばかしい結果はまだ得られていないけど)。

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3日(土曜)

●毎日まいにち、雨。この一ヶ月、晴れた日は片手の指の数もないのでは。ひょうが降ったり、ごろごろ雷鳴ったりは、この時期、冬の到来を告げる、おなじみのものであるが、最近は静かな雨が突然激しい降りに変わること頻繁で、どうしたのかなぁと気になる。
●お金の立場になってみる。という遊びをしてみる。するとね、「あんたはお金を大切にしてないね。もっと気持ちよくお金を使いなさい。欲しいものに使ってごらん。思ったところに使ってごらん」という声がした。そうか~。わたしは、単にケチケチ使ってるだけ。稼ぎがないから、お金を使うことをとても不安に思っているという背景はまずいね。

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2日(金曜)

きのうの飲み会、主催者でありわたしを誘ってくれた人が「強烈な癖のが一人くるから」と前置きしていたとおり、確かにちょっと知能指数が足りない?+大変失礼+天然毒舌な人がいて、初参加のわたしはその洗礼をいっぱい浴びたのだけど、なぜか、わたしは腹を立てるようなことはなかった。不思議だなぁ。思い返してみるに(以下「おまえ何様」ととられかねないことを書く→)わたしが相手に同調しなかったからなんだと思う。同じレベルに立ったら、不愉快になり、怒りを覚えることの数々も、相手とズレていることにより、な~んもなかったかのように心穏やかでいられたのだな。同じ空間に身を置きながら、相手とまったく違う世界にいたのかも。もしもまた会うことあれば、やさしく頬っぺをつまんで、「そんなことばっかり言ってたら、この可愛い顔が(物理的には全く可愛くないのだが)歪んじゃうよ~」と、にこっと笑って言ってあげたい。

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12月1日(木曜)

●O先生の気功。(また体調悪いときに気功を受けてしまった。「予約を守らねば」の常識から、キャンセルできなかったのだ。体調のいいときこそ施術効果を実感しやすいのだから体調いいときに受けたいという身を張った持論よりも、不調のときこそ目に見える効果を出しやすいと考える相手(O先生)の立場を尊重する力が働いたわけでもある。ああ、日本人的。あかんな、自分。だいぶノーといえる人間になったつもりでいたが、やっぱりまだまだだわい)。昼から、鍋&焼き肉大会。ほとんどが初対面の方たちと、夜までしこたま飲む。ズボンをぬがされ、もみもみされ、「骨盤が左右3センチはずれている」といわれるなど、いろいろあったけれど、ま、久々に愛笑叫乱畜情などの入り混じる時間であった。雨のなか帰宅。睡眠不足で、前夜から風邪をひいていて、おまけに早速の二日酔い、ぼろぼろな体で12月の初日の夜を迎える。
●80年代のバシャールの公開討論の本をぱらぱらめくっていたら、「感情を作っているのは、観念」という下りに目が止まった。つい最近も、あれ~、誰の本だったか忘れたが、「感情は観念から生まれる」という話に頷いたんだよなぁ。好ましくない感情がわいてきたら、そこにどんな観念が隠れているか、探るのである。そしてそれを溶かす。

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30日(水曜)

●窓をあけたら、真っ赤な大木がまず目にとびこむ。寒さびしばし、この種類のもみじはびしばしによって映えるるのよね。あとちょっと、本格的な冬がくるまで、その悠々とした姿を見せておくれ。昼に寝て、夕方にがんばって起きる。待ち合わせのため、ぴぃーぴゅー風のなか外出。りんごを大量にいただいたお礼に、ドーナツセットをおごってあげる。帰宅して、TV『家政婦のミタ』。いよいよ佳境になってきたな。
●先々週からエックハルトトールの本を読み返している。えっ、こんなこと書いてあったの!!???と、まるで初めてお目にかかったような衝撃の連続。ペインボディを溶かす。光をあてる。いまと繫がると何が起こるのか。言葉をなぞるのでない、実践することだけが大切。

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