ともみ@ピクニック

29日(火曜)

ついに夜の8時過ぎまで眠ってしまった。特に落ち込んでいるわけではない。差し迫った不安もない。なのに・・・。ま、そーゆー日も、あるよね~と、軽くとらえておこう。▼たまっていた日記を書いて夜を過ごす。そして、意外や意外、「わたしの記憶力も捨てたものではない」と発見。毎日ぼぉっとしている余り、きのうやおとといの記憶すらあやしいと踏んでいたのだが、いざ、キーボードに指を置くと、記憶ってさかのぼれるものなのね。途中、カレーを煮込み、汁ビーフンを(作ったつもりが結局ほぼ汁なしになったものの)おいしく食べたりしながらも、朝までかかって書き上げる。▼そういうわけでたまった日記をアップするが、誤字脱字などあるかもしれん。あしからず。

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おっと、しばらくブログをお休みしているなぁと思っていたら、3週間も経っていたんかい。

ぬぼ~。

パワフルでなく(この人生でパワフルな期間というのは元々ほとんどないのだが)、ずば抜けて落ち込みもせず(先月今月はその前までに比べて全体にローな気分だったが)、まあ、ぬぼ~とやってました。

えっと、頭の体操のため、この3週間ほどをふりかえってみよう。


8日(火曜)
夕もだいぶ暮れかかった頃、実家に到着。玄関前のテラスに腰かけたTさんが、きこきことのこぎりで竹を切っているのには驚いた。ふむ、数日実家を離れているうちに庭の垣の修復作業が始まったらしい。(Tさんに頼んだのも初めて知ったが、わたしは何ケ月も前から(自分が)やらなきゃと思っていたので、助かった。ここはTさんに甘えることにしよう)。それにしても、うー、この前、銀木犀の花が終わったと思ったら、もう椿や山茶花が咲き始めている。実家に戻るのはたいてい一週間とか十日置きくらいなのに、庭の様子から毎回、季節の移りを感じる。植物の力とはすごいものだ。

9日(水曜)
料理、というか、食べている物にも、その人のなりが出るように思う。わたしは「あっさり」「さっぱり」していない性格であり、味噌汁においては「一回分」のちょうどいい量を作ることができず(必ず多めになる)、鍋ものは必ず使いまわし料理に変化し(簡単にさようならができない。ちょっとずつ材料を足し、手を付け加え、気を抜けば永遠に使いまわしてしまうのではないか)。そんなわけで、昨晩のキムチ鍋が、やっぱりキムチうどんになったり、キムチ豆乳雑炊になったりした本日。

10日(木曜)
朝も8時半からTさんの働く音で目覚める。ああ、今日は坊さんが来る日でもあるのぉ。三人分のコーヒーをいれ、寝巻きのまま庭でコーヒーを飲み、それからさっと掃除。よし、Tさんの手伝いを(といっても、うろうろしてるだけなんだけど)と着替えて外に出て程なく、坊さんご夫妻がやってくる。かつて身近な人が死んでしばらくはわたしも田舎の仏教行事を受け入れていたけれど、今では、日本の仏教は“おどしの宗教”と思えてならなず(これまたひとつのとらわれで、いつかはこんなとらわれも溶けてしまえばいいなとは思っている)、おまけに長々と茶を飲んでいく坊さんたちは、心の大きな負担である。父の月命日の法要はわたしにとって苦しい行事。そんなわけで、今日はTさんの手伝いを隠れ蓑に逃げる。

11日(金曜)
雨の一日。わたし自身のエネルギーがバランスを欠いているのだろう。かつては低いものにひっぱられる一方で、ここ半年近くは高いエネルギーにもたぶんつながっているのだろうがまだまだそれを生かせないというか、低いエネルギーと高いエネルギーの間で揺れている感じ。家のなかでぼおっと一日を終えるのが嫌だなぁの思いから納屋の片付け(母はもともと掃除に関しての能力が著しく欠けているのだと思う。ゴミも腐っているものもなにもかも混在していても不快にならないというか「それに気づく」力がないところがある。おまけに「いつかは使うかも」「何かに役立つかも」と何十年も放置された物々で納屋はあふれている。しかも、本人にはそれなりの区分はあるのだろうが、他人からすれば何でもぽいぽい置きっぱなしにしているようにしか見えない。エトセトラ)に少し手をつけてしまい、案の定、わたしの精神はパンクしてしまった。そして心のなかでこれまで何十回何百回と繰り返してきたことを、本人の前で言ってしまった。「あ~あ、早く死んでくれたらいいのに」。実家の混沌と物にあふれた世界、汚いを汚いと感じない母、おまけに加齢は不潔を増すというのはたぶん世の法則なのだけどそれは我が家でもあらがえない現実だろう。ここ数年、わたしの気持ちが暗くなるトップは、これらのことに太刀打ちできないでいる自分に直面したときなのだ。

12日(土曜)
たぶん今年の5月以来初めて「寝込んで」しまった日。まあ、それでも夜の9時半くらいには起きたのだから、健全な寝込みともいえるのだけど。こういう日の毎度のパターン、母が床についたのを見はからい、そおっと階下に下りて、母の用意した夕飯をもぞもぞ食べ出した頃、必ず気配を感じた母が「○○もあるよ」「○○暖めようか」と顔を出す。こういう日にかぎって、なんだかおかずの品数が多かったりするのよね。はたして、こういう日は(=寝込んだ日は。というか誰にも会いたくないから寝込んだりするのだが)一人にしておいて欲しいというわたしの勝手は母に伝わっているのだろうか。毎度のごとく、母への返事よりも、テレビを見るふりに一生懸命になるわたし。母も母である(と自分を棚にあげて思うのだが)、こんなにもわたしに意地悪されて、それでもとことんわたしに飛び込んでくるのだから。親子の馴れ合いパターンはおそろしい。特に子が中年、親が老年となった関係は、目もあてられぬ。

13日(日曜)
ふてくされてコタツに潜っていたら、Tさんがやってきて、外面のいいわたしは不機嫌モードで出て行くわけにはいかず、顔も洗っていないのにそんなそぶりを出さず、にこにことお手伝い。最初はしんどくても「にこにこ」しているうちに、自然と「ふてくされ」が弱まっていくのは不思議。苦手な状況に「にこにこ」するのはストレスを増すばかりだが、本来自分が喜ぶ仕事のなかでポーズでも「にこにこしている」と、にこにこ心に勢いがつくのだな。きっかけをつかめず、「ふてくされ」をのさばらせていたのが、にこにこに戻るきっかけを貰った感じ。ところで、庭の垣。ちょうど道行く人の目線ほどの高さのマサキの生垣はあるのだが、それだけだとマサキの幹の部分を通して外から丸見えなので、竹の垣でもカバーというわけ。初代の竹垣は祖父と父が作ったもの。この前までのは20年ほど前に父と母が作ったもの。そして今度のはTさん中心に母とわたしがうろちょろお手伝い。いずれも山から竹をとってきた、一からの手作り。今日は竹の屋根をのっけた辺りでタイムアウト。あとちょっとで仕上がりそう。





14日(月曜)
過日、畑で古い竹などを燃やした。竹はびっくりするくらい良く燃える。水分の多い(かつて椎茸栽培していた)木とか、その他色々たまっていた植物も燃やしたが、白い煙をもくもくと出すそれらと違い、竹はぱちぱちと気持ちのいい音を出し、まるでそこで龍が踊っているかのような火をあげるのであった。思わず「護摩焚き」の恩恵が浮かんだ。そうそう、冬の野菜がおいしい季節となった。最近は、春菊の油炒めがマイブーム。

15日(火曜)
がんばって午後から金沢に戻る。実家とアパートの行き来に「がんばる」というは可笑しく聞こえるかもしれないが、わたしにとっては、これも大事な行動。よその人が「がんばって働く」「がんばって勉強する」というのと同じように、わたしは「がんばって動く」なのだ。

16日(水曜)
15時過ぎの起床。ま、ぎりぎりの線だな。夕方からFさんとIさんと会合。有名なおでん屋へ。巨大な梅貝に感動。久々にホッピーを飲む(黒ホッピーというものがあるのね。初めて知った)。ちなみに、お二人はわたしが夏に二ケ月半ほど働いたところで知り合った。これまで北陸に戻って5年、人付き合いを避けてきたけれど、なぜだかその職場では何人か知り合いができてしまった。なかでもFさんとIさんは(どちらも今年東京から転居してきた人妻)わたしが仕事を辞めたあとも、たびたび連絡を下さり、このように時々デートする仲となっている。

17日(木曜)
この前から喉の痛みが続いているので(風邪をひいてるとも思えない)、ふと、喉のチャクラにはどんな意味があるのだろうと思い立ち、あらく調べてみたら、「喉の痛み→言いたいことをこらえている」象徴であることを知った。はて。わたしの場合、言いたいことをこらえているのではなく、先日の「言ってはいけないことを言った」のと関係があるのではないか。そういえば、あの晩以来、喉が痛いのである。

18日(金曜)
思いがけず二日酔い。そんなに飲んだのか? ジンと赤ワインを夕べ一人晩酌したのは覚えてるけど。しかし、O先生の予約があるので、犀川の向こうまでお出かけ。「二日酔いなら、なおのこと、この手で治してみたい」という顔をしたO先生に、(前回も二日酔いでO先生のもとを訪れたわたし。その数日前にはある会場で二日酔いの人をころっと治してしまった経験を得たばかりのO先生の思い叶わず、わたしはちっとも二日酔いが良くならなかった。それどころか、調子のいいときは気功施術後にある「調子の上がった感じ」もまったく、という前回であったので)、「また二日酔いで受けるのはイヤ」と、O先生のもとを訪れながら、その場でキャンセルしてしまった。すみません。お餅とお茶をご馳走になり、一時間ほどお喋りして帰る。

19日(土曜)
いっときは「この人とは哲学的な方向がもしかして違うのかも」と、距離を置こうと思ったこともあるのだが、結局、まだ縁が続いている、O先生。本日はあらかた二日酔いも治ったので、気功施術を受ける。こんなことを書くと、「!?」と思う人もいるだろうが、事実だから書いておく。気功のあと(←すぐあとという意味ではない。数時間後から数日・数十日後という範囲)エネルギーの動きが変わったとぼんやりながらも感じるときは、さかのぼって思い出すと、決まって「癒しのオーラが見えた」と施術直後にO先生が言っているのだ。本日もそういう日であった。なお、わたしはO先生の腕で「もっとも効果が目に見えない人」らしい。たいがいの人は施術中に寝ちゃうのに、わたしは一度も寝たことがない。自発動(体の悪いところが勝手にぶるぶる震える)も起こらない。先生がえんえんえんと気で引っ張るところにもなびかない。ないない、づくしなのである。

20日(日曜)
「生活に慣れると飢餓感が生まれる」とは、画家の堀文子さんの言葉であるが、わたしは大きく頷くなあ。ただ「生活に慣れる」以前の生活すらもつかめないと、ときに、不安にはなる。

21日(月曜)
久しぶりにお肉というものを食べたくなり、金沢駅の二階でカルビを買って、実家へ。しかし、これが曲者。くせ者。くせ~もの。臭せぃもの。本当に臭かった。味付けのカルビ、安売りの外国産のを買ったのが失敗であった。国産肉しか食べたことのない母も面食らっただろう。コタツに卓上コンロを置いて、そこに高さあるフライパンを乗せてジュージューやったのだけど、とても食べられたものではない!と一口でわかり、すぐに鍋に変更。あらかじめ用意してあった野菜や豆腐、酒とか味噌とか豆板醤とか生姜とか入れて、やっと、口に入れることのできる品になった。その昔、わたしは平気で外国産肉を食していたが、ここ数年はごぶさただったな。もぉ~、もぉ~、今後の人生、もぉ~、積極的に買うことはないだろう。

22日(火曜)
今月はとっても「テレビ観る」月間になっている。その一因は、韓国ドラマ『製パン王 キム・タック』を録画してるから。一週間も実家をごぶさたすると、十話分ほど溜まってしまう。他にも、『ゴシップガール』とか『イ・サン』とか、まあ、色々お楽しみがあるのだが。ところで、わたくし、ずっと以前に、「きれいなものを見たい。これが韓国ドラマにひかれる理由かな」と書いたけれど、今回あらたに気づいたことがある。「悪」「汚いもの」をすっくと流せる姿が韓国ドラマにはしばしばあるのよね。主人公は憎んでも憎みきれないほどのことをされた相手を最後は許してしまうし、そして(ここが一番肝心!)その渦中、相手のことを「暴く」チャンスがいくらでもあるのに、決して彼ら彼女らは暴くことで自分の恨みを晴らそうとはしない。本物の韓国人がどうかは知らないが、少なくとも、そういう姿勢を見せてくれるという点で、わたしは韓国ドラマってすごいなぁと思う。(悪事のレベルは日本のドラマの比でないが、その先の「悪事がばれる」お約束を視聴者はあまり期待しないのかもな。ましてや、ご一行様に悪事を明かしてもらうの(水戸黄門)とは大違いである。なお、わたしにとって、『製パン王 キム・タック』の、パルボン先生は心のヒーローである。

23日(水曜)
午前中に実家の柿をもらったという母が、昼には(イチョウの紅葉が有名なお寺に誘われ、お迎えの車の方に)京都の漬物をもらい、夕にまた柿をもらった(九十半ばの義太郎さんの柿。わたしは長寿柿と名づける)。毎度毎度のことであるが、この人(母)、食いっぱぐれることのない人生であるよ。そうそう、お昼はずっと前Iさんにもらった新潟の蕎麦を食べる。ずずず~。本格的な蕎麦は格別だなぁ。久々、蕎麦に目覚めた!

24日(木曜)
縁側に古いテーブルを出す。このテーブル、足の一本がすっかりもげているのだけれど、むりやりくっつけて、四本足になってもらう。そう、まもなくくる真冬に備え、植物の居場所を作らなければなのだ。この日は、ジャスミン、サマードレスなどの熱帯系、アロエ、カネノナルキなどの多肉系を中心に、室内縁側にお引越し。

25日(金曜)
母をインフルエンザの予防接種に連れて行っていた姉からの帰るコールで、眠いからだにエンジンをかけ昼食の用意。といっても、シチューを仕上げ、フルーツの盛り合わせを作る程度なのだけど。そして、帰ってきた二人を前に、絶句。「フランスパンの売っていないパン屋なんてないよ」と、昨晩言っていたわたしなのだけど、母と姉の証言により、「フランスパンを売っていないパン屋がある」ことを知る。ま、代わりに、おいしいライ麦食パンを買ってきてもらったからいいのだけど。びっくりしたな、もう。

26日(土曜)
イワヒバの盆栽(これが案外沢山ある)と、牡丹、芍薬、百合など、すでに冬眠している感じの大型鉢を、生垣の下に運ぶ。これも毎年の冬支度のひとつ。落葉樹の盆栽も生垣の下に運ぶ予定なのだが、もみじ類がまだ紅葉づいているので、今日は手をつけなかった。あと、主に、シンビジュームなどの花ものを車庫に運んだり、松を中心とした盆栽を(腰が痛くなるくらい沢山ある)雪から守る作業が待機しており、まだまだやることはあるな~。

27日(日曜)
昨日おやつに作った、粉焼きがおいしかったので、また作る。(じゃが芋をすり下ろし、卵を投入。少しの水、塩、ほどほどの小麦粉。そして具はニラ。と、昨日はしじみの佃煮、今日はイカの酢醤油漬、いずれも冷蔵庫で眠っていたもの。これらを混ぜてフライパンで薄めに焼く)。う~ん、台所に立つのは、気力のある証拠。わたしの心身のバロメーターでもある。そういえば、ニラ。これ、昨日の午前に母がもらってきたものなのだけど、早速昨日の昼は餃子でいただいた。台所の隣の居間のこたつで横になっていたわたしは、母がニラを刻んでいるとは知らず、その匂いから、てっきりニンニクを(しかも大量に)刻んでいるのかと思ったよ。新鮮なニラは匂いもすごい。ところで、4年前までは気楽に自転車で田んぼの向こうのスーパーまで買い物に行っていた母も、今では一人で買い物に行くことがほとんどなくなった。買い物は、月に数回、姉が車で連れて行っている。なので、その前後、実家の食料事情には大きな変化が。今週は近所の魚屋がふるわなかったためか(ここは母も一人で行ける。地元の港でとれた魚しか仕入れない魚屋、今週は海が荒れて船の出ない日が続いたので、さみしい商いであったらしい。そしてそれでも木曜にはフグが買え、醤油煮にしたのがそのまま残っているというのに)、金曜日の買い物で、母は、いっきに、刺身の盛り合わせ、サンマ、アジを買ってきた。そして日曜の午後、焼サンマ、アジの南蛮漬、フグの醤油煮が残っている。次に姉のやってくる明後日までにせっせと食べておくれ~。

28日(月)
きのう、がんばって金沢へ戻った。「がんばってというのはおかしい」説もあろうが、わたしにとってはがんばってなのだ。白菜(重い!と文句をいうと、母が一枚一枚葉をむいてくれた)、キャベツ(これも文句をいって、半分に)、チンゲン菜、サラダ菜、春菊、なんとなく葉っぱものばかりをたずさえて。そうそう、今回は木曜に戻る予定でいたのだから、一日一日のび、結局たったの三日遅れ、ずいぶんわたしの行動力も前進したものだ!と自分をほめたい。前回戻るとき「駅まで見送りたがる」母に(あまりの荷物の重さに魔が差して)OKしたら、今回も当然のごとく駅まで見送る用意を始める母。(といっても、大きなかばんを載せるために自転車の荷台の紐を解くくらいなのだが)。あわてて「来ないで~」と告げる。実家から最寄の駅までは歩いて3分。近年ようやく母の駅まで見送りたい&お弁当を何日分も作りたい熱がおさまって、というか、そういう欲望があってもそれを出さないようにしてもらうための振る舞いをわたしがとってきた次第なのだが、一度、OKを出すと、いとも簡単に再熱するのだな。う~。いつも、駅までの見送りをあきらめた代わりに、通りまで出てきて「また来てね~」と声を出して手をふる母が恥ずかしく、きのうは「この線から先は出てこないでよ」と架空の線をひき、彼女もうんうんと頷いていたのだが、わたしが家の敷地を数メートル離れると、やっぱり母はその架空の線を超え、「また来てね~」と無邪気に手をふるのであった。わたし、あと数ケ月で44歳。


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no title

 
  要は
  Yesという力をもっと持ちたい
  という話。   


 (はげしくはげしく、肯定力の不足が現実の足かせになっていると思う)

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わたしの弱点のひとつは、何につけ、「これでいいのか?」「こっちのほうがいいのでは?」と思い悩み、軽やかにYesとは言えないこと。小さなことから大きなことまで「でもでも」病が顔を出し、時間ばかり浪費し、とっても疲れる。そう、一番の無駄は時間でなく、心の浪費だ。▼以上は、ごくたまに、頭の隅の隅をちらっとかすめるくらいに反省するのだけれど、ためらい癖のしみつきは、太陽が東からのぼるのと同じくらいわたしの親しみとなっている。▼実在の人物で映画にもなったYesマン…スパムメールにも、高額の買い物も、人からの誘いも、ありとあらゆることにYesと言い続けた…ダニー・ウォレスという方はすべてにYesと答えることを自分に課して、人生を大きく変えたという。▼わたしは、ダニーさんの突拍子もない命をかけたこの実験に、単純で大きなヒントがあるように思えてならない。自分の人生を複雑にしているのは他ならぬ自分で、その「自分」というものを捨ててしまえば、導かれるべき所に導かれるのであろう。


補足 すごいなぁと思う人々は、たいがい「思い煩うより先に、行動している」姿を見せてくれる。「ためらいは、わずらい」なのであるなあ。そういえば、わたしは横尾忠則さんの発言にしばしば魅了されるのだけれど、彼はかつて「相手のもっている信条で付き合いを決めない。だって自分と同じ信条の人を探したら、付き合える相手がいなくなる」というようなことを仰っていた。「選り好みせずに人と付き合う」のは簡単じゃない。偉大なことだと思う。これ、きっと、Yesのヒントに通じるのだろう。

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人間は結局「補いながら生きている」と思う本日。

しばらく前の日記で「出逢う人は自分の鏡と心の底から感じる」と書いたけれど、その後、ふ~むと頷く話を齧ったり、自身でもそれなりに体験をしたので、その後の続きを。

相反する思考の癖aとbが内在するとして、たまたまaが小さくなりかけたとき、出会ったほにゃらこさんの同類a思考が発揮されると、自分の中のaはすっかり引っ込んだように思え、「かつての自分を見る」という感覚に陥る。そして、もはや自分はbで生きている~と感じるの。しかしそれは実はあやふやなのね。ひょんなことで自分のaの側面がまたとびだすこともある。本当はそんな簡単にaが終わりbに移行するわけではないのかも。そして、もしほにゃららさんのような存在がなかったら、自分はいつまでも心の底でaという思考に依存して、bの感覚には光があたらなかった可能性もある。

いろんなパターンがあると思う。aから抜け出したい。でもaから抜け出すきっかけをつかめない。あるいは、しかる状況においてa方向しか見えなくなって(ハマっている渦中は「ほかの在り方」に想像及ばず、自分が自分に張っている限界線が見えない)、思考の縛りが元気はつらつ。そしてタイミング次第では、他者のaに触発され、己のaの同調・増強だってありえる。

なんのこっちゃだな。えっと、たとえば、ある出来事に対して、自分の中に「愚痴を言う」「言い訳を次から次へと見つけ出す」a欲と、「いやいや対象は対象として問題はあるかもしれないが、それはそれ。自分にも問題があることを認める」b欲があるとする。a欲の旺盛な時期は、aの思考を重ねることで自分を守ろうとする。でも、自分以外の人がa欲を懸命に発揮している姿をみると、その愚かさに気づくこともある。あるいは他者のa欲と自分のa欲を掛け合わせ(←サラリーマンが同僚と赤提灯で上司の悪口を言い合うとか)自分の正当性を証明したつもりになることも。そんなような話だ。(やっぱ、なんのこっちゃかしら)。

これからのわたしがどうなるかはわからないけれど、少なくとも、a(仮にaと名付ける)は違うぞ、という意識が生まれたことに感謝したい。(bを意識し始めながら、もやもやとaに取り込まれることもあり、やっぱまだまだ両方を持っているのだなー)。

これは自分への戒めの意味で書くのだが、誰かの「たとえるならばa」の側面をくれぐれもジャッジするなかれ。その人はその人なりの歩みをもっている。これを別の角度からいえば、自分のaのような一面に気づいたからといって悲嘆することもない。

ところで、冒頭の「補いながら」であるが、他者と補いながらの意味もある。そしてそれ以上に実感するのは、過去の自分とも(もしかして未来の自分とも)補いながら生きている、ということ。

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数日ぶりに玉川公園を横断。桜の葉っぱよ、さようなら。




また来年よろしくね。




ラッセル車の試運転など、そろりそろりと冬支度が始まっている。







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近年、TVドラマ熱がよみがえり?つつあるヨ。えっと、今期でいうと、水曜は『家政婦のミタ』、木曜は『蜜の味』でしょ。あと、クドカンさんのも初回すごくよかった(「こんなセリフ言わせるなんて~」と感激)。あと他にもあるかもしれんが、まあこの辺で。(ついでだから書いとくが、前期に終わった『おひさま』はシンボリックなドラマかも。瑛太の『それでも~』もよかったな)。ネットで『ほぼ日』の恒例ドラマチェックを読んでいたら、うむうむ、森下さん(『JIN』などの代表作ある脚本家)が色々とツボになる発言をされていた。プロはさすがだ。そこからの関連話なのだが、『蜜の味』に重要な役として登場する菅野美穂という女優さん、わたし、特に好きでも嫌いでもない感じなんだよねー。しかし思い起こすと、弁護士目指す司法書士の役のとか、冤罪を背負った殺人者の役とかの彼女のドラマを、ここ近年は続けて見ていたんだよねー。うう、自分の知らないところで、菅野美穂に惹きつけられていたのか? 今回のドラマでは、彼女が何かしでかすたびに、ぎょぎょっと緊張するわたし。やっぱり彼女はすごい女優さんなのだろうなあ。(このドラマを見たおかげで、今後しばらく、菅野美穂=ぎょぎょっという反応が続きそう。本当の彼女を知らないくせに)。そして思う。現実の世界でも、人は、ある一面だけで、ぎょぎょっ(怖い)とか、いいなぁ(憧れる)とか、なごむ(暖かい人だ)などなど、と他人を独りよがりに評価しているのであろうなあと。

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200人に1人ほどの割合で、「音を聞くと色が見える」等の共感覚の持ち主がいるらしい。爆笑問題の田中さんは「数字が3次元に現れる」そうな。その他、食べたものが「形」になってあらわれるとか、漢字(固有の漢字であったり、漢字を作る部首であったり、漢字と漢字の組み合わせの単語であったり)に「色」が見えるとか、文字が音になって聞こえるとか、まあいろいろとあるらしい。そういえば、電話番号や年号を色で覚える数字の共感覚の話を聞いたことがあったような気もしなくはないが、200人に1人のデーターがあるとは! 感覚と感覚の相互作用の謎よ。きっと、誰もがその能力(?)をもっているのだろうけれど、(あ、そうそう、「図形を見せて、それを形容する意味不明の言葉を選ばせると、同国人のみならず、世界各国のほぼ全員が同じ言葉を選ぶそうな。不思議~)、なんらかの理由で、それがくっきり現れている人、ほどほど現れている人、わたしのように全く現れていない人がいるのだろうなあ。ちなみに、これ、今夜放送のテレビ『爆問学問』からの情報でありました。再放送があると思うので、ご興味ある方はぜひ!

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先日からうだうだ悩んでいること、それ自体は実はどうでもいいことなのだろう。これまでのわたしなら「いっときのコトなのだから、なんとかやり過ごそう。そうすればヒトから落第点をつけられることもない」としか考えず(でもそれが終わるまでは穏やかでない気分を抱え続け)YESのまま進んだだろう。しかし今のわたしは「たとえいっときだからといって自分を偽っていいのか。そのいっときこそが大切なのでは」というふうにも考える力がある。YESのまま進めば、これまでと変わらない自分がまた続き、ここでNOと言うことができたなら、今話題にしていることに限らず、もっと広い意味でもあたらしい自分になる可能性がでてくるのでは。そして、ULさんのお宅をおいとましたあと、わたしは行動をとった。以上はきのうの話。本日、金沢に戻る。


補足 処々出来事は「きっかけ」や「パーツ」に過ぎない。表だろうが裏だろうが、白だろうが赤だろうが、どーでもいいのだ。要は、それとどう向き合うか、どう対処するか。その点、忘れるな(自分メモ)

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初めてULさんと会う。「変わりたい。でも誰かに変えて貰うのではない。また自分一人で変われるのでもない。誰かや何かに助けて貰いながらなんだろう。出会うことをあきらめない」などとぺらぺら喋り、己の内面を確認したのだった。▲ベージュ色の世界。だえん型の上にそれがある。世界はベージュで、小屋のようなお家のような建物(それもベージュ色)。その近くにわたしが立っている。鍵はかかっていないが、あえて中に入ろうとも思わない。その建物に不快な印象はない。なにか大事なものが(わたしへのヒントが)入っている。世界はベージュ色で、建物とわたしだけが存在している。ベージュ色の世界の外にはまた別の世界があって、人間界の言葉にしてみたら、たぶん社会とか世間とかそういうものなのだろう。わたしはずっとそのベージュ色の世界のなかにいるのではなく、ときどきやってくる。しばらくいて、何となくこれでいいなと思ったら、どこかに帰っていく。そしてまた何かの折にわたしはここにやってくる。この繰り返し。わたしがここに来なくなるのは、わたしの(そもそも存在はしない)問題がなくなったときだろう。そんなイメージを見た。▲そうそう、スピリットと心を足して100の話をULさんにしたら、「心が限りなくスピリットに近づく…ということもある」とのお返しが。「スピリットと心が溶け合う…ような?」とわたし。「そう」と彼女。なるほど!!

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