ともみ@ピクニック

気持ちのいい秋が始まってます

   


「だれと一緒にいるのかでも、どこにいるのかでもない。
 自分が自分自身とどういるかが大切なのだ」

これ、わたしの、道しるべ。

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夏の終わりに 3

たとえば、さっきもトイレで用をたしながら

「ジャッジをしない。それが大切」と、胸のなかでおしゃべりしていたように

おりにふれ、「ジャッジをしない。人にも、自分にも」と

思い出し確認をしている。

その大切な仕組みというは、まだまだちゃんと分からないのだけれど

これまでわたしはありとあらゆることを休みなくジャッジし続けて生きていたことは

間違いなく分かるし、それが自分を苦しめる起因にもなっていたのだろうと推測もできる。

                *

さて、最近は、「朝、朝起きられない」病が

起立性調整障害という、なんだか立派そうな、由緒ありそうな! 名前として

認知されつつあるようだ。

わたし自身、「まっとうな生活」というサイクルに、並々ならぬ苦手を

感じて生きてきた・生きている身なので、こういう

「従来、まわりからは理解されず、単なる怠け者」とされていた身体特徴を

ほかの人にも理解されつつあるという社会現象に触れ、へぇ~という感慨はある。

しばらく前に読んだ本のなかで、

「人間は生まれた時間により、気力のみなぎる時間帯が左右されるらしい。
朝に生まれた人は、朝が元気で、夜に生まれた人はどうにも朝は辛く、でも
夕方になるとだんだん元気になってくる」という説を知り、

やっぱりね~と、自分に照らし合わせて納得した。

話は飛ぶ。

かつてヨーロッパのある町で

マラリア対策として池をつぶしたら、たしかに病の媒介となる蚊はいなくなり

住民たちはマラリアに罹らなくなった。けれど、以降、これまでガンの疾病者のいなかった

その土地で、ガンに罹る者たちが続々でてきたという歴史があるらしい。

つまり、マラリアによる高熱が、ガン細胞の繁殖を抑えていた・・・

「ほほぉ、なるほど」という話なのだが、

何かを退治したつもりになったら、代わりに別の何かが変化しているという

この世のお約束のようなことを、心のなかで反復。

そう、

「起立性調整障害」のような20世紀にはほとんど認知されていなかった病が

これからもどんどん社会に浸透してくるだろうけれど

そしてそれは社会にとって「後退」的な現象では決してないとは思うけれど

わたしには、それが社会の、人類の、「前進」とも、まったく思えない。

                *

今日の夕飯、スープを作るのに、「冷凍の鮭を使うか否か」、ちょっと悩んだ。

鮭を入れれば、ちょっとボリュームが増すけれど、

そうしたら、お弁当ストックの分がなくなっちゃうし、

「これ入れなくても、小魚と野菜でいく分もダシがでているはず」と。

同じ日、同じ晩、「ジャッジをしない」とトイレで一人おしゃべりしているかと思えば

台所で、「鮭が~」と、悩んでいるわたし。

しばらく前に

「そろそろこのブログをおしまいにする時期かなぁ」というようなことを書いたけれど

それは、表現することと、意識のあり方のバランスのとり方に悩んでいたからでありマス。

今も悩んではイル。(のか?)(どうなんだろ?)

たぶん、夕飯のスープも、起立性調整障害も、ブログの継続も

おおきな目でみたら、同じ土俵のコトなんだろう。




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