ともみ@ピクニック

2月14日 続き

名古屋や東京あたりで雪がつもったと
あわあわ報じているが
北陸の冬になじんでしまうと、たった10センチ程度の積雪で
あわあわしている世界とは、なんとも不思議な気もする。



寒いのはほんとうにきついけれど
外が白一色の、「受け入れるしかない」という静かな暮らしも
わるくない…
と、ちょっと思い始めた今冬であった。



冬が粛々とおわりにむかっているのを感じる。

日が長くなったというのもあるし

立春を過ぎてからの天候の変化を
(なんせ12月辺りからずっとモウレツな雪降りだったからな。
 このごろは雪の降り方もやさしい)
肌で感じる。

しかし、

ヒトの気持ちのお約束的な
―― 春の訪れ=嬉しい。うきうき

というのに、今年も(いまのところ)わたしはなれない。

冬が終わり春がやってこようというこの季節
いちだんと「精神的なしんどさ」につながりやすくもなる。

冬は「静」や「暗」が、どこか暗黙でゆるされるのに
春は必然と「動」や「明」を期待されてしまう
と、
妄想的な思考が自分をしばるからだ。

(受験のように冬に格別がんばったことがあるわけじゃないから)開放感もない。
春も夏も秋も冬もひきこもっているんだし。
新しい季節の陽気に浮かれる人々の振動が、ただまぶしい。
――という近年である。

まわりがふわふわと幸せそうなほど
前向きなエネルギーに満たされているほど
それと遠い岸にいる(と思ってしまう)自分を見つめてしまう。



しかし、ま、それはそれ。

えっと「14日の日記」の続きであった。

久々に大野さんの闘病記をまとめ読み、うなってしまった。
●患者と医師の関係が「倦怠期」に陥っていた時期の、「些細なうっかりが、図らずもわたしをどん底へと突き落とした」出来事。
「何でもするよ」「何でも言って」 それは、「その場」「その時」の、そのひとの本心だと思う。優しさだと思う。そんな言葉を言ってもらえること自体が、有り難いことだと思う。でも、ひとは、自分以外の誰かのために、ずっと何でもし続けることは、できない。 ←第11回から転記
●余裕があるから恋をするのではない。必然あってヒトは恋をするのか?

話題は移る。

人類の二極化が始まっている・・・というのはほんとうかもしれないな。経済的な話ではなく、心のありかたのこと。また、「これまでの常識、世界観、しばりにとらわれない若いヒトが増えている」という意見にはわたしも前から(十年近く前から)賛同しているが、若い世代だけでなく、わたしと同年代、それ以上の世代のヒトたちのなかにも、多数ではないかもしれないけれど「とらわれないヒトたち」が確実にいるんだよねえ。

と、わざわざ書くのも、昨日から集中的に、ハワイのちほさんのブログを読んでいるからだ。心のなかで愚痴をためて生きる人間もいれば、ちほさんのように力むでなく、さらっと心の健康に焦点をあわせて人生をつくっているヒトもいる。

いつまでも寝込みながら「あすは少しは元気になっているかも」と願望を託すだけでは、いつまで経っても元気になれない。(ありえないとは言い切れないが、あったとしたらそれは奇跡だろう)。そんなわけで、細々ながら、リハビリ日記を続け始めよう。

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2月14日(月曜)

さきほど外にでたら、雪のような雨のような具合だった。
あいかわらず、めちゃ寒い。
けれど着実に冬の峠をこえたのを感じている。
無言ながら、ずんずん春が近づいている。

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