ともみ@ピクニック

10月9日(土)

栓がはずれたかの、疲労感。頭はこりまくり(まさに肩がこるという感覚があたまにやってきたような)
からだがなにかにのっとられたみたいな
歯ぐきの痛みと頭痛。
(錯覚なのだろうが、)疲れのエキスが舌のうえにのってるかんじ。ちょっとびりびり。

首がずしんと

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10月8日(金)

▲20時過ぎまで残業。ふううっ。労働の場では、猫の手が欲しい。猫でもパソコン打って欲しい。猫でも資料をさばいて欲しい。ほどの忙しさであるが、もう、わたしはわたしのペースでいこう。「残業すれば、わずかでもお金になる」の欲はできるだけ排除したい。そして、まわりに振り回されない。何が自分にとって大切なの?
▲もともとは「警察の取り調べ」の可視化なんていらないのだろう。でも、大阪の万引き容疑の取り調べICレコーダーを聞いていると、「時代が要求しているのかも」と思わざるをえない。
▲紀伊半島の向こうの友によるとあちらでは19時ころから雨が降っているらしい。こちらはそれより2時間ほど経ってからしとしと秋雨が活動。

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10月7日(木)

人間界の都合(=職業が人柄らしきものに影響を与えたり、体や頭の能力が行動を左右したり)、そんなものを見て他人を判断してしまう自分をおえてしまいたい。ま、あまりそんなこというと、ほんじゃ、ヒトと接するとき、どこを見ればいいのだ?という難しい話になるのだけれど。

朗らか。そして凛とした。このふたつは余り並行して語られないけれど、同時に備えることは不可能じゃないだろう。ヒトはどうしても、相手によってとか、自分の気分(忙しさなど)によって、態度が変わってしまうことがあるけれど、(むしろ平常心を保つことが難易度100パーセント近い)、そういった波をおさえ、朗らかで凛とした人間になりたい。朗らかで、凛とした、これがわたしの目標。

金木犀の花がはらはらと落ちていく。金沢の街の紅葉もぼちぼち始まっている。

もう一度メモしておくが、朗らかで、凛と。

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10月6日(水)

■冷蔵庫のひき肉とナスがくたびれ顔をしていたので、身体を元気にするためにも、カレーを作る。
■セカンドハンドスモークやサードハンドスモークの問題をいわれると困るし、わたし自身、タバコは吸わず、あかの他人のタバコの煙を好みはしないけれど、もしも「あんた、そこでお酒飲んじゃだめ」、おまけに「缶ビール1本を千円にしますね」なんて言われたら、暴れたくなるだろうなぁ。この度の値上げと、受動喫煙に対する煩わしさ(ご近所に迷惑かけるからマンションのベランダでタバコ吸っちゃだめ!というルールも出始めているらしい)を横で見ていると、愛煙家の方々にお悔やみ申し上げたくなる。

                                

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覚え書き

おごることなく、落ち込むことなく、いつも凛として

これが大切。

という思いが落ちてきた。

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10月5日(火)

水力発電の近くに住む人のなかから、体調不良の声がいくらも上がっているらしい。なかなか因果関係の証明されにくい、でも本人にとっては自覚ある症状として。ふふ~ん。このことを書くのはなんとな~く控えていたけれど、低周波っていうやつは、耳には聞こえなくとも、動物としてのニンゲンはとらえているんじゃないかな。と我は思っている。前々より、稼働中の電化製品のそばにいると、(ほかの人には聞こえないらしい)音が「聞こえる」ことがあるんだよね。たまに、ときどき。テレビとか、血圧計とかが働いていると、はっきりした音じゃなく、うぃぃぃぃんという、(か、きぃきぃきぃという。説明しにくい)、微かな、音域のおかしな音が。我には「聞こえる」と思ってしまうときが、近年、ときどき(いつもじゃないよ)あるのだ。

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10月4日(月)

他人とのかかわりで何が一番うれしいか?というアンケートだったのかな(←質問の内容を聞き流してしまった)、10代は<ありがとうといわれること>、20~40代は<困っている人の役に立つこと>、50代以降は<社会の役に立つこと>が回答のトップらしい。ふふ~む。

まるきり知らない人の(でも一方的にときどき読んでいる)ブログのコメント欄にめったに書き込みしないが、ほおっておけないというか、おこがましくも慰めになればというか励ましたいというか、まあ、そんなような気持ちから、あるブログに初めて書き込みをした。(ある裁判をしている女性のブログ)。でも、直接的なあたたかい言葉を添えなかったからか、わたしの前後にコメントした人の影響もあってか、伝えたいことが伝わらず、かえって相手を傷つけてしまったようだ。(もっと広いことを言いたかったのに、個人への中傷のように受け取られてしまったかも・・・)。ふぅぅぅぅっ。ただでさえ人と人の関係は難しいのに、ブログの世界って誤解の可能性が増すよねえ(と、今更ながら)。「だんまり」虫が一番さ!と精神的にも引きこもってしまうのは、この便利な道具(ネット)社会でもったいない~という考えもあるが、こういうことになるならば、やっぱり「だんまり虫」がいいのかも~という思いに戻ってしまいそう。べとべとじゃなく、さらっと気持ちの核心を伝えられたらいいのに。

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10月3日(日)

ほほ~♪ やっとのお休み。▼「連日、朝から夜まで、トイレとお昼を除き、ずうううっとパソコンに向かっていた労働の疲労がずうっしりとアルよ。よく“機会のような仕事”という言い方がされるけれど、たとえばベルトコンベアーにのっかるお弁当づくりのような、たとえばひたすら炭鉱掘りしているような、とにかく「与えられたことをたんたんとやっていく」毎日だよなあ。▼しかし、はたと、「待てよ」の気持ちもある。▼すんごく自分の弱点があからさまに出てくるんだよね、人間世界に出てゆくと。パソコンの「入力件数」がほどほどの成績でありますように、(昔は「トップ層」でありたいという自分もいたが、今は「ビリ」でなければ、まあいいや。というふうに変化した。あのさ、実はそのどちらもアホらしいのだろうけれど(「ビリでもいいや」と何故思えぬ自分よ)。そういうセコセコした自分が根強いのだよ。そしてそういうセコセコ&チビチビしたことが果てしなく精神的に自分を追い詰めてもいる)とか、細かいところを守ろうと思ったり、あるいは「いいや。いいやってことにしちゃえ」との顔を出したり、あと、これはすごく自分の人生全般にかかわるのだけれど、極めて単純な作業なのにナゼかヘマをする自分とか、そしてそれを処理するときの自分の気持ちなど・・・。▼「待てよ」、の続きだが、愚痴モードにもっていくのではなく、どうしたら「健やかな気持ちを保てるか」、つまり、どうしたら「ヘマを減らせるか&その結果否定的な感情に至るのを減らせるか」探っていくという道が、今、目の前にあるんじゃないのかのぉ。・・・ぶひっ、落ち込む前にこれを思い出せ、自分よ。▼ベルコトンベアーのお弁当づくりだって、炭鉱掘りだって、目には見えにくくとも、実のところ個性は全く消え去らない。この世の中「誰にだってできる仕事」という言われ方をするものだって、「誰ひとり同じようにできる」仕事はないのだなっ。たとえ、街頭のティッシュ配りにしたって。▼昨夜は久しぶりに睡眠導入剤を飲まずに眠りに入った。その結果、わかったのは、「しょっちゅう目を覚まし、しかも眠っているあいだは、ほとんどずっと夢をみていた」そんな感覚におそわれることだ。こいうお薬を常用するのは「こわい」という気持ちもある。けれど、お薬を使わないと、うまく眠れない。(どうなんだろう。どうなんだろう)。

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おまけ

土曜の朝7時に母から電話があった。「わたしにとっては“どうでもいい”」と思える用件で。ふうっ。この短期の仕事をはじめると告げたとき、「また無言の日々かぁ」と母に云われたが(←わたしが金沢のアパートに滞在し、実家には日常的に居られないから)、なんだか、お祖母ちゃんに似ているなぁ。お祖母ちゃんも十分にわたしに心をゆるしているからこそなのだろうけれど、かつて(ここしばらくはあまり顔を出していないからね)「は~ぁ。(朋ちゃんくるまで)無言の行、しとった」といったり、「(朋ちゃん来るまで)、胸が苦し~かった」といったりしたのを思い出す。母も(母は祖母の長女)わたしが帰省すると「ああ、やっと安心する」というしねえ~。

(上記の注)わたしが実家にいたって、寝てるか、むすっとテレビを見ているかが、大半なのである。おまけに母は毎日、畑友達や近所の人たちとぺちゃくちゃお喋りしているから、また頻繁に親族に会い、「わたしの不在=母の無言」は全くもって正しくないのだけれども、母にとれば、ご飯を食べるとき、いつもそばに誰かが、テレビを見ているとき、いつもそばに誰かが、眠るとき、(今では同じ部屋で寝てくれとはいわなくなったが)いつも同じ家に誰かがいて欲しいのである。この歳になった母には(←この冬には78歳)、こちらから気持ちを歩み寄るしかないのだろう。


そうそう、先の日曜の夜の電車のなかで思ったこと↓

冷たいといわれようが、引っ張られない、響かない、他者のコココに(発言に。行動に)飲み込まれないようにするのが、大切なのでは? 


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10月2日(土)

昨夜は「ふむふむ、金曜日だし、35缶を三本までOKね」と金麦(発泡酒)を飲み始めたら、あらあら、六本目をあけていたよ。これまでの大人人生、ビール日和な時期がまれにあったけれど、わたしは『なにがなんでもビール党員』ではなく、むしろ「ビールばかりでは飽きる」体質なのだ。けれど、この機会を利用して、「翌日仕事の日はにわかビール党員になろうかな」と思っている。(経済的な事情で、ビール=発泡酒ね)。▼休日出勤を早上がりし、夕方、歯医者へ。かぶせものの中の根っこが病気になって、それが骨まで忍び寄っていたらしい。そうか、そうだったのかっ。「噛み合わせと、根っこ」の問題で、歯ぐきがぽっこり腫れていたのだね~。そして、歯科医いわく「もし、これで腫れが治らなければ、ほかの原因を探らねば。たとえば骨にヒビが入っているとか~」ですと。ひょえ~。(この歯ぐきの腫れは「歯槽膿漏だ」と思いこんでいたわたしだが、また他の原因があったわけだ。早く歯医者に来れば良かったなあ)。頭痛までも引き起こしていたこやつめ~。

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10月1日(金)

一時間ほど残業して、犀川向こうのスーパーに寄ったあと、近所の武家屋敷街に戻ったら、ほわっと、金木犀の香りがした。もう、そんな季節? (そうか、そうだよね。去年、10月半ばに山から戻ったら、庭の銀木犀の花のあとだった)。▼自分約束の(目標の)ひとつとして、この労働期間、できるだけ「スーパーのお惣菜を買わない」というのがあるのだけれど、今日は「週末だし♪」と、あまあま生活にする。さんまのお刺身、ポテトサラダ、フライチキンを買う。ほほお、今晩は、発泡酒と、お惣菜と、冷蔵庫のもの(豆腐やキムチなど)で、お夕飯を済ませよう。▼目に見える人生は、ツールのようなのだと思う。(よくある?、ある方面?の方々の言葉を借りると、「肉体は(魂の)洋服を着ているような」もの)。毎日、色んなことを思うけれど、それらの99.99999・・・%は、ツールなんだろうなあ。(忘れがちな瞬間瞬間だ!)。▼多少、他者にあれっ?と(ときに不思議に、ときに不快に)思わせても、自分を出せるってヒトが(生き方が)なにより貴重なのではないかと、フジコさんのTVを(携帯電話のちいさな画面で)見ながら思う。▼ツールとは、生い立ちとか、容姿とか、性格とか、金銭もんだいとか、まあ、おのれを取り囲んでいると思ってしまう、環境それぞれのこと。そして、その環境とは「向こうから遅いかかってくるぅ~」ととらえがちだが、そうでは、ないらしいなぁ。

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9月30日(木)

さみしさの少ない我が人生。これまでは、なかばハッタリで(あるいは思い込みで)さみしさを閉じこめていたのだろうけれど、今は、(時空を超えたところで!)、先人たちも歩んできた道なのだ(そして今この隣で誰もが歩んでいる、もしくは時間軸のなかではお休みしている人も?)という気持ちが、しずかに揺るぎなくあり、(ほとんど忘れがち!なのが残念)、ほんとうの意味で、わたしはさみしくない。

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9月29日(水)

●子供の頃から右手の中指の皮膚が弱いと思っていたけれど(すぐペンダコできる。箒を持ってもすぐ、タコ)、このたび「やっぱり」なのだ。この二日ほど、PC業務にともなって、日に数十から数百のハンコを押しただけで、中指にタコ。まったくなあ。とほほ~ぉ。それはそれとして、とにかく疲労。めちゃくちゃ疲労。精神的にも肉体的にも。歯ぐきも素直にぽっこり腫れて。わかりやす~い。
●なんの仕事をするかではなく、どういうふうに(心と、そして態度)仕事をするか、なんだろうなあ。「仕事」は、その他、あらゆることに言い換えられると思う。

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9月28日(火)

なにがそんなに悲しい。死んだとしても、どうせ天国であえる。と、ソンジェ兄ちゃんは言った。よく大事なこととして挙げられる「(話して。伝えて)分かち合う」ことだけじゃなく、物理的にはなんの分かち合いが見られなくとも、(手紙を交わしたり、電話をしたり、直接お喋りしたりしなくとも)、見かけ、一人っきり、一人ぼっちでも、包み込むようなものを知り、なにかと分かち合うこともあるのだなあと、『天国の階段』をみながら思う。

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9月27日(月)

おそろしい(というか、おぞましい)ほど、わたしは「評価の気になる」人間なのだなぁ。むろん、「人生、そう上手くはいかず」というのもいくらかは体験し、歳を重ねるごとにどんどんと他人の評価から逃れる目を育てていると(わたしなりには)思うのだけれど、まだまだ、おぞましいほど存分に「それ」はあるのだなぁ。なお、「評価の気になる」というのは、“他人がこう思っているだろう(推測)”→“自分が自分に与える”評価なのである。ぐひょぉぉんっ。この道すじ、ちがうよなぁ。早くこんな自分から卒業したい。

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