ともみ@ピクニック

8月24日(火)

●「暑くても、あのひと月ほど前の暑さとは違うねぇ」と感じてはいるが、やっぱ、暑いものは暑い。本日も、居間の温度計は、35.5℃だったぜ。母は「クーラー買い換えようか」と度々云っており、まあ、それもいいのだけれど、……、と、こんにちまできてしまった。午後、ためしに古いクーラーを稼働させたら、「ああ、涼しくなってきたわ」と母が云うので、ほんと?と思いつつ、窓を締め切ったところ、ぐわぁぁぁぁあんっ、温度計は上昇するばかり。年寄りの暑い寒いはアテにならん。わたしがブツブツ文句を云ってると、「クーラーもってきてって、Tに電話しようか」と、またいつものやりとりが。(母が買い換えを云い出すのは、わたしが暑いとボヤくから。彼女自身は窓を開けていれば「涼しい」と感じるらしい。ちなみにTとは何十年も馴染みの電器屋さん。母は電器関係で何かあると、すぐTに電話する)。わたしはここ数年「親の家のリフォーム問題」に答えを出せず悩んでおり、それにも絡んで、とても今、便宜的にクーラーを買う気にならんのだ。母には「今から注文して、いつ届くか分からん!(ちなみにデジタルテレビを3月末に注文したら、届いたのは5月半ばだった)」と云い含め、買い物をとめた。
●バッタの赤ちゃんもだいぶ大きくなった。いつ庭に出ても、どこかで必ずご対面(隠れ個体数は相当だろう)。また毎日のように、ちいさなカエル(指に乗るほどの)ともご対面。赤ちゃんヤモリもうろうろし、生命の謳歌を想う。

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追記

下記、「思いやりに目覚めたよ」話では、もちろんない。

わたしが「しんどさ」を深めるのは、
「思いやり」と遠ざかっているからでもあるんだよな~

との、鬱なる日々の感想なのだ。

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8月23日(月)

●鯛の塩焼き、久々に食べてうまいぞ。ここずっと、おいしい海の幸とはご縁がなくて、(夏はもともと漁獲が少ないのだが…。村の魚屋はさみしい商いで、スーパーには余所の港のものや解凍品が多勢並ぶ)、今宵は、喜んで「お頭」もしゃぶりつくす。お鯛さま、あとに残ったのは僅かな骨と目玉だけであった。合掌。
●もうじき満月か。夕飯後の縁側から、お布団のなかから、太った月の様子を確かめるのが最近の習慣である。
●「思いやり」の表出は絵に書いたようなカタチでなくていい。乱暴にいってしまえば、どんなカタチにすらも表わさなくていいのかも。そしてそれは、まわりまわった魔法の連鎖によって、自分の心を軽く、ラクにする。

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8月22日(日)

ふうっと、数年前のしんどいことを思い出し、「もう、そこで何があったかを執着しないし、許せる」と感じたその晩、当時のままの苦しみ背負った状況が夢に出てきた。そこには「執着」を手放したわたしなどおらず、あの頃と同じように身を焦がし、「このままでは気がすまない。でも、一線を越えてはいけない」と、明かりのない苦悩に閉じこもっていた。おいっ、手放してはいないのか、自分よ。この世は執着との戦いに明け暮れるのぉ。

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8月21日(土)

●夏が遠ざかってゆくねえ。しみじみ。相変わらず暑い毎日であるが、あのギラギラ太陽とはどこか違うぞ。
●そろそろ夏の味覚には飽きてきた。先日より、「サンマの塩焼き」食べたいなあと思っているのだが、まだ叶わず。そういえば、お盆に県内から北海道に向けてサンマ漁船が出港したそうだが、(漁の解禁は15日。今季は来遊量が少ないとの水産庁の情報により、漁場を例年よりも沖の方向に設定したと)、おー、収穫薄いとの情報が伝わってきている。残念。これから12月まで徐々に銚子沖に向けて南下するそうだから、そのうち我が家の食卓でもサンマとご対面の日がやってくるだろう。待ち遠しいなぁ。
●外来の白いユリが村の方々で咲いている。

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8月20日(金)

●きのうの日記、「人の気持ちはみんな繋がっていて」。これはあっさりした書き方で、本当は「人をはじめとした、あらゆる動物、植物、さらには無機物までもの、すべての気持ちはみんな繋がっていて」なのである。
●しかし、最近は「この仕組み自体が夢なのである」という考え方が気になり始めている。なんといおうか、お釈迦さまが仰ったのと、たぶん同じ話なのだと思うけれど、それとは(今のところ)ちょっと違うように見えなくもない入口から。
●上記のように、一見「訳の分らん」ことを綴っていると、「ついに危ないモノに染まったか」と後ろ指さされそうだが、まあ、なんとでも思ってくれー。

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8月19日(木)

●多くの先達が語ってきた「仕組み」のようなこと・・・人の気持ちはみんな繋がっていて、世の中の事象は一見個別に起きているようであっても、実は人々の意識が生んでいるのだ(酷い事件も、楽しいことも、文明や発明だって)・・・を、わたしは心の底では「ほとんど常識」のように思っているのだが、まあ、普段の生活のなかではそれを忘れていることも、ある。(そして身の周りのいちいちに、キィキィとなっている)。ただ、過日の近所の放火など(その家に暮らす孫が犯人だった)、犯人を純粋に「悪い奴」と思うだけではどこか自分の心が済まされず、あー、これも目には見えない人々の心の澱が現れてしまったのかなーと、考えている自分をしばしば発見。そう、例えば日夜、ヘンタイ事件、残虐事件の報道が絶えないけれど、テレビのこちら側で「眉をひそめる」観客が、実は事件を生んだ無意識のひとつ、ということだってあり得るんだ。(もちろん、「人々の心の澱」は「わたしの澱」であり、「無意識のひとつ」は「わたし」なのである)。
●みょうがの美味しい時期となった。お味噌汁でその香りを楽しんだり、酢のもの(「胡瓜と白身魚とみょうが」や、「胡瓜とモズクとみょうが」がお気に入り)も、ぐぐぐー。
●どうなってんの。シクラメンが咲いたり、くちなしが咲いたり、季節狂いの庭々である。

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8月18日(水)

●つくつくぼぉーしと蝉の鳴く午後、「どんな緑でも、ひとつとして同じ緑はないねぇ」と、おばあちゃん、庭を眺めながらしみじみ云う。うん、そうだねぇ。
●過日、ズッキーニをカナッペに見立てたものをごちそうになり、おいしかったのでレシピを聞いたら、「(ズッキーニは)短い時間レンジにかけただけよ。上のは、ピーナツを砕いて、カニカマと和えたの」という。ほぉー。それを参考に、早速、母に「輪切りのズッキーニにチーズをのせて、チンして」とリクエストしたのだが、ううむ、加熱し過ぎたようだ、ズッキーニはくたくたの柔らかさ。わたしの求める食感ではなかった。そして本日、「まるごと一本のズッキーニをチンする」策をとってみたら、これは成功。ほどよい硬さを残しつつ、甘みの引き出された、いい具合。これを、トントントンとサイコロ型に切り、頂き物の「金華のサバ缶詰(味噌味)」と和えたら、なかなかの一品となった。きりりと冷えたワインに合う、夏のおつまみ。

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8月17日(火)

●バジルをいっぱい入れたサラダを食べたら、便がたいへん緑色がかった。
●夏休みにはいり、ほぼ毎日、「駅伝」の練習と「バスケット」の練習に通っていたコウちゃんが、ついにダウン。身長170センチをゆうに超え、すっかり大人の体格になった彼だが、昨夜「熱中症で死んだヒト」のテレビを見ていて、おのれの体調が怖くなったらしい。朝一番に「ママ、病院に連れて行って」と自分から頼んできたのだと。まあ、傍から見ていても「この暑さにその運動量はないだろう。いくら若者であっても」と思っていたので、休みをとるのはいいとして、わたしなら「まずは家で休養をとる」を優先するが、なんにでもすぐ医者に見てもらわねば気のすまない姉たちは早速医者に行ったらしい。(案の定、医者は「疲労ですね」の診断を)。また次の日には、姉の夫も熱があり、薬を飲んで会社に行ったものの、その晩、急患を扱う病院にかけこんだとのこと。みなしゃん、休む勇気を持ちましょうぞ。(わたしが言っても説得力ない?)。いったん乗った波から下りるのは、簡単じゃない。継続よりも「止める」ことが大変なときもある。小さいころから、わたしたちは「やり遂げる」ことを称賛され、「弱音」を吐くことをよしとされない教育をされてきたからね。(コウちゃんも「ボク、体がしんどいから練習を休みます」とは言い出せずにいたのだろう。姉の夫にしても、同じだ)。そして、病院で診てもらったことが(まるで水戸黄門の)印籠のように思え、これでやっと休養をとる許しを、自分で自分に下せるのだ。・・・やや意地悪虫な言い方をしたが、こういうことって、いっぱいあると思う。「小さいころからの教育」だけなじゃく、大人の社会も「逃げ出す」「外れる」ことを、ほとんど褒めないからね。へいっ。「自分で自分に下す評価(そこには他人からの評価を気にする自分も含め)」はもっといい加減になってもいいんじゃないかな~。

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8月16日(月) 追記

●温泉の帰途、お墓に寄る。うちのを始め、どこのお墓も花や線香があり、普段とは違う賑やかな様子。これは我の病的な一面なのだけど、「お墓にも、その家々の繁栄があらわれるのだなー。子孫や親せき付合いの多く残っているお墓は、ちゃんとその雰囲気がお墓まわりにも伝わって。あー、死んでからも(これは生き残っている者しか感じないのだろうが)身分や属性がついてまわるのかー」と思う。
●「箸が転がっても笑う」の逆で、「箸が転がっても愚痴る」、わたしの性格。なんにでも、ねじれて事象を見てしまう。どの話題にしたって、自分の弱点をえぐり、それを愚痴のようなものにすり替えているだけなのに。その点を知らんぷりして、自分の心を優位にしようとする無意識ばかりがフル回転。はぁー。(ちなみに、「墓参りしない」意思だって、「ホントに先祖が帰ってくるん?」という投げかけ風な言い方して、実際はメンドウ臭くって、墓参りに出掛けたくないだけだったりするのだ)。なんにつけ、わたしは自分への言い訳をつくっている。もう一度、はぁー。いかにもっともらしく語ろうと、そこに正当性などないのだろう。あるのは「正当のふり」している自分だけ。

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8月16日(月)

午後の起床。だるい。なんもする気がない。思いきって温泉に行くことに。たらったら~と自転車を5分程こいで、ざぶーんと湯につかる。熱すぎず、ぬるすぎず、いい湯加減。上階の海と空と畑の見える窓つきの湯もいいけれど、狭いながら(しかも垣根のすぐ横を汽車が通る)露天になった湯はもっといいー。盆休みの人がまだ多いのだろう、客がいっぱいで、おまけにアイスクリームが売り切れというのは残念だったが、お肌は(翌日まで)すべすべで、ほどほど満足。(ほどほど?)。

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8月15日(日)

「死んだら浄土に行くといっておるくせに、な~んで、お盆にわざわざ故人が帰ってくるんじゃ。中国の伝説に感化されて、どうする。横並びな祖先信仰かよ。お盆がなんぼのもんじゃ」と、心のなかで文句を言って、午前中は布団人間となる。▼(・・・あたしゃ、わざわざお盆の墓参りはせんよと、心のなかで強がってみたものの、結局翌16日、一人でこっそり墓へ行き手を合わせた。「裸の王様だー。わはは」と他人を指さして、実はおのれが裸だったというわけね)。▼お盆の親族の集いに、ぎりぎりの力をふりしぼって参加した。布団からいざ抜け出てみれば、それなりにシャバも過ごせるのである。「ああ、目に見えない敵を、自分のなかに作っている」、ぼんやり思うお盆でもある。▼さるすべりの白い花が咲いた。わたしが子供の頃には庭木だったものを、その後、家を建て替える際に鉢に植え替えたものである。

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8月14日(土)

「ほらっ、ここに鬱の巣があるよ」と、両手にもって見せたいくらい、調子が悪い。一日中起き上がることができず、「お墓参りに行こうよ。みんな来ていたよ」と母が寝床に誘いに来ても、無視してしまった。▼「疲労」などという目には見えないもののことを、先月ずっと考えていた。もともと健康優良児、肉体という土台に恵まれて育ったわたしには、「疲れた」とか「だるい」とか「鬱的なもの」は、自分の甘えからくるんじゃないのー、律すればなんとかなるんでは?の考えが実はいまだはびこってもいたのだが、んー、そこに甘えの挟まる余地はおおいにあるにしても、やっぱ、「疲れた」とか「だるい」とか「鬱的なもの」は本人の意思だけではどうにもならないのかもなー。の結論を見た。▼朝刊に「29日間連続、真夏日」とあったが、どうも台風4号が過ぎてから、空の色が違ってきたような気もするぞ。酷暑がちょっと和らいで、蝉の声が活発になってきた。

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8月13日(金)

まるで絵に書いたように、ぐったり。しかし、焦らない。おのれの精神周期のようなものからして(小康が続けば必ず凹みが到来)、また今週は普段よりも人と会うことが多く、かくかくしかじか、コレはしかるべき状態であると認識するのみ。ふぃー。先週までは、7月の労働の疲れが暑さとともに居すわっている感じであったが、ここ数日はやっと軽い夏バテに落ち着きつつある。そして、あらためて自覚するのだ、「(7月は)毎日、体はマイナス100%の健康具合だったけれど、精神はかなり健やかだったなー」と。やじろべいのようなもので、肉体が活力を取り戻したら、心がガツンと低空飛行。

きのうの日記の後半のような話は、始まりから終わりまで自分のなかのモンダイなのだろう。それを自覚できず、ひたすら田舎の精神性を軽蔑し、それを捨てたいと切望し(毎日「誰も知った人のいない里山に移住したい」と夢想したり)、逃れられないのに逃れようとし、あるいは追い詰められてもいないのに追い詰められている心境になり、日夜塵のような鬱積をためているわけだ。モンダイのすりかえは、おのれの演出でいくらでも幅広く奥行きをつくれるが、それではいつまでたっても同じこと。

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8月12日(木)

えっ、知らなんだ。いや、知っていたのだけど、「いつもたいていズレちゃうもん」と、台風が来ることをまったく気にかけていなかったのだな。びぃゅーぴぃゅーの風と、ざぁーざぁーの雨。まどろみの寝床のなか、一転した外の様子に驚きました。ああ、昨日、「未払いの給料を取りに来て」と催促の電話があり、「じゃあ、明日の4時に行きます」と返事をしていたのだなぁ。馬鹿、馬鹿、わたし。こんな台風の日に約束しなくても・・・。どうしよう。でも「昼には上陸」とニュースで言っているから、出掛ける頃には台風一過の晴れが待っているだろうと期待を寄せる。そして、そして、結局、晴れたり小雨が降ったりの午後を経たのち、やっと雨雲も落ち着いたと思われるなか出掛けたのだけれど、あれあれまあ、途中から、どしゃぶりに見舞われる。会社に着いた頃には、まるで滝行をしたヒトのような姿・・・。

お給料をもらい、必要な書類(雇用保険に関するもろもろ)にサインしたあと、茶飲み話をすることに。担当の方はわたしをねぎらおうと時間を作ってくれたのかもしれないが、心のひん曲がったわたしは、「(わたしの履歴書を見て)そりゃー、変わった奴だと思うでしょうよ。あーあ、その暇そうな顔で、その好奇心丸出しの質問は止してくれ~」と、声に出さない悲鳴をあげる。安定した収入がなによりだと、まじめに勤労することに長けた人たちの多い、この田舎では、まるでわたしは宇宙人だわな。えー、えー、お金を稼ぐことをありがたいと思える“すこやかさ”が欠如している我の精神など、あんたらにはわからんだろうなー。「都会に疲れて田舎に帰る」より「田舎に疲れて都会に出る」人間のほうがずっとずっと我には身近に思えるよ。あんたらの<常識>を常識と思わない人間がこの世界にいることを、あんたらは想像したこともないんでしょ、だから、不躾な態度とモノ言いができるんだわね。などなどなど、今度こそ本当に台風模様の消えた帰り道、自転車をこぎながら、普段から溜まっている毒を吐く。

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