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5月9日(日)

■おばあちゃん、Bに戻る日。付き添いを手伝う。がんばって14時頃には起きれてよかったなあ(わたしが)。
■「紫アスパラ」の苗を初めてみた。
■細川元首相がぼんやり気になっていたが、先日のテレビで彼を見て、「やはり素敵である」と確認。ネクタイは7本残して人にあげてしまい、冠婚葬祭は遠慮、茶碗を焼いたり土を耕したりの晴耕雨読の生き方なのである。


*きのうの続き* 

落ち込んでいるときには「延々と自分を憐れんでみる」とか、怒っているときには「怒りの感情をさらに追及」してみるなど、その時々の自分を日記という形で転がす術を、なぜだかこの数か月、すっかり忘れてしまったのだ。

5月8日(土)

午前中ちょこっと畑の草むしりをしたら、ひじょうにバテてしまい、昼に冷やしうどんを食べたあと、夜の9時まで眠ってしまった。今に始まったことではないけれど、やっとのやっと、ぎりぎりセーフのかけこみで「今日こそ」と思っていたことがまたもやできず、やや気持ちが沈む。(「やや」で良かったな)。連休の寝たきり生活から目を覚まし、小康を保てたのはたった二日であったか。

無気力日記が続いているなあ。ううむ、無気力なのだから「無気力日記」を書いて当然、これはこれで日記(日常の記録)の意味をはたしているのだ。

5月7日(金)

ゆうべは窓を開けたまま、毛布一枚で寝入ってしまった。それほど暑かったのである。いつの間にか大荒れの空模様になっており、雨風の大きな音に守られるように眠り続けた午前中。12時過ぎには起床。お目ざにどら焼きとコーヒー。直後、母と姉が戻り、お昼ご飯。とんかつとすずきのお刺身と野菜いろいろ食べる。午後、ちょっとパソコン。と、庭の草むしり。夕飯は、残りもの(うどと豚の炒めものなど)レンジでチンと、ホタルイカのお刺身と、野菜いろいろ。夕飯のなかでは「かぶらときゅうりの塩もみ」と「玉ねぎスライス」を特筆しておきたい。かぶらは「下ゆで」したかのようにやわらかく、そしてジューシー。玉ねぎはシャキシャキの、じんわりと甘みもあって。(母が夕方「畑見に行く」と出かけ、ニ三十分後には「かぶら」と「玉ねぎ」を自転車のかごに入れもどってきた。誰かから頂いたのである。どこに行っても手ぶらでは帰ってこない人である。ちなみに「かぶら」も「玉ねぎ」も今年の初ものだ)。夜は「なにかをしたいがなにをするにも落ち着きがない」状態で、部屋をうろうろしているうちに夜が更けてしまい、やっとこさ、湯船に浸かって身体をやわらげ、それから録画してあった『IRIS』を見て、缶ビールを半分飲んでいるうちに26時をまわってしまった。そして残りのビールを飲みながら、今、この日記を書いている。

連休さまも終わり、あちらこちらからの頂き物のお菓子(どこかに遊びに行ったお土産など)が親の家にたまりはじめた。小さな銘菓大会でもできそうである。おかげで本日は「ういろう」は「外郎」と、「きんつば」は「金鍔」と書くことを知りましたわい。ついでに書くと、山口のういろうは名古屋のういろうよりももっちり感が小さく食しやすいのであった。

5月6日(木)

ほぉぉ~、数日ぶりに社会復帰してみると(正確にいえば布団人間を脱しただけの「家庭内復帰」なのだけど、気分的には「世の中と久々にまみえた」ほどのものがある)、なんと、シャバは夏になっているではないか。汗ふきだすほどではないけれど、むわっとした空気の動きを感じる、たしかに春を越えた陽気。(夜のニュースでは、本日は「真夏日」だったらしい)。この季節は日一日と、時の刻みを肌で感じられるほど、植物の生命力がまばゆい。数日ぶりに見る庭も、いっそうの新緑が映え、牡丹などの新しい花が咲きはじめていた。

ほとんどうろ覚えの言葉で、たぶん自分解釈が大きいのだろうけれど、「ひとつひとつを生きていくことが、癒しである」と、ラジオで柳田邦夫さんがおっしゃっていた。(ひとつひとつを一生懸命にやっていくことが、人生の癒しにつながる。が、柳田さんの言葉に近いかな)。ふむ、今日のわたしは素直にその言葉を受け入れられる。心の具合の悪いときはこの世のほとんどを拒んでしまいそうになるが、一年の365日とはいかなくても、いくらかでも心の調子のあかるいときは、「自分の癒し」を生きていく、この道を閉ざしたくない。

5月3日(月)

連休だと世間が浮足だっていることについていけない、「取り残された」感じに、今さらひどく落ち込むことはなく、この点は社会不参加への肝がすわったというよりは、単に後ろめたさに慣れ過ぎて鈍化しているだけなのだと思うが、ともかく、ま、睡眠世界に居すわり続けるというのは、あきらかに「ストレス」を感じることを避けようとする意思が働いてのこと。(「ストレス」と書けば、何も知らない人は、わたしのまわりに大変なストレスがあるように思うかもしれないが、そんなもの、実在はしないのである。わたしのまわりにはありふれた日常があるだけである。わたしが病的な眼鏡で見てしまうから、そこにストレスが存在してしまうだけ。あれやこれ、それやこれ、病的人間はちょっとしたことを過度の負担としてしまう*)。加えて、もうすでに「わたしには効かないな」と分かった薬を、でも「もったいないし、ダメもとで」と、半ば人体を実験するかの気持ちで、処方の倍の量を飲んでいたのが、長時間睡眠を手伝ったのかもしれない。

*常識的に考えると「負担」と感じる必要のないことを頭で分かっていても、心が「負担だ」と感じてしまうのである。そこから遠ざかることが難しい。よく「認知のゆがみ」ということがいわれるけれど、これは心のゆがみなのか。いやいややはり認知にゆがみがあって(表面的な認知だけが働き、本当の意味では認知できていない)、病的な感情を招くのか。まるで地雷だらけの土地にいるように、あんなこと、こんなことが、身を蝕むほどのストレスとなってしまう。

5月4日(火)

ほぼ、まるまる5日、眠り続けた――といっても、こっそり夜中に1時間ほど階下へ行って、トイレと食事を済ませ、また布団に戻ってから眠りに入るまでのしばらくの間、意識の覚醒はあったのである。「まるまる」ではなく、「ほぼ、まるまる」なのである。ま、一日20時間以上×5日間は眠ったわけで、短時間睡眠の人間の一ケ月分の睡眠を、この5日間で行ったのである。
                    ▼
肉体の記録として残しておくが、この期間、トイレは日に2回ほど。臓器(膀胱)は状況に応じて、慣れ、変化をもたらす。通常起きているときは何時間もトイレを我慢するなんて無理なのに、このような状況になると、「おしっこしたい」体を半日も抱えられるのである。そしていったんトイレに座ることを許されると、ジャーと勢いよくほとばしるのではなく、シュュゥゥゥゥゥと細く、長く長く、驚くほど長く、茶色い液が放出されるのである。

5月5日(水)

時間なんて、自分のなかのなにか(自己と錯覚するもの、「生きている」感など)を肉付けしやすくするための道具なのではないか。無重力ではふわふわと地に足がつかず動作に(地球人からすれば)支障があると感じてしまうように、もし時間という筋がなければ、ふわふわと生きさまよう連続で、それはたぶん、とても不便だ。わたしたちは時間があることで、自分のなかのなにか(自己と錯覚するもの、「生きている」感、すべてをつなぐ統一性など)を受け入れているのではないだろうか。また時間は、まぼろしのベース(生きているあいだのおのれの陣地)をはかる重力のようにも思える。

金曜の夜から、本日夜まで、ほとんどずっと眠っていた。
まるまる5日。
これだけ睡眠の世界にいることは、わたしでも珍しい。

(冒頭の文は、あとで読み返すと「なんのこっちゃ」だと思う。
 ほぼ、まるまる5日、眠り続けた人間ならではのメモ)
背伸びせず、ゆるゆると日常生活などをつづります

はえともみ

Author:はえともみ
 
万の風になって、生きる。

ちちんぷいぷい~。
(HSPの自覚あり)
「うつと仲良く! ひきこもりだっていいじゃない」と
開き直って生きてたら
元気になってきました。

→ 近年は、老母の観察メモの
(&それに伴う自身の変化など)
色合いが濃くなっております。
・・・ま、長い人生の一コマですな。

徒然な日々も、留まることはない。
すべてがいとおしい。だから書く?

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