ともみ@ピクニック

3月16日(火)

この冬のお気に入りは、あたためた豆乳にインスタントコーヒーと金時しょうがの粉そしてメープルシロップを混ぜたもの。また豆乳と牛乳のハーフ&ハーフをあたためただけの飲みものも、安心したおいしさがある。ココアに金時しょうがを混ぜると、なぜかしら心強さ誘われるというのも、この冬の発見。

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3月17日(水)

昨夜から喉が腫れ、「花粉症のせい」と思っていたが、どうもそうではないらしい。午前、トイレに起きると、普段の倦怠感とはまた別のぐったり感。お腹のなかには(発熱前特有の)熱の塊があるのも感じる。うう。午後、検温すると38.5℃あったが、最近の平熱が36℃にも満ないことを考えると、決して低い熱ではなかろう。

熱が出て、嬉しい。風邪をひいて、嬉しい。誰の目から見てもわかる「肉体的」病人になれて、気持が軽くなる。普段は明確な理由なく、ただただ、しんどい心身をもてあましているので、本日のように堂々と寝込めるのは、心がとても安らぐ。

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3月18日(木)

熱はひと段落しました。

昨年11月初には、真夜中に「きゅ~んと高熱が出て、きゅ~んと下がる」謎の発熱があった。今回はそこまでのジャットコースター並みではないけれど、ちょっと発作的といおうか、台風一過のような印象は残る。

「先週末からの疲れのせいで熱が出た」と自分では思っているが、ほっ、ほっ、ほっ、見方を変えれば、「日頃、だるい、だるいと臥せがちなのは、自然な欲求でもあったんだなぁ。意味ある休養だったんだ」と、怠け道まい進をかばう考えも浮かぶ。

ちなみに、この発熱の2日後には、体温が34.3℃であった。うー。この低体温で生きているのが不思議。

(もうずっと、平熱34℃台~35℃台が続いている。(もともとの平熱は36.5℃。この数字を小学生の頃から頑固なほどに保っていたのに)。そして血圧は上が80~90台、下が40台~50台。低体温・低血圧だわい。思えば、昨年の秋からずううっと体調がおかしいのだ。ときどき、家のなかを歩いているだけでどきどきするし)

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3月19日(金)

ホタルイカの季節がはじまっております。

夕方のテレビで、浅瀬にやってくるホタルイカ

いわゆる「ホタルイカの身投げ」を捕まえようとする人々が映っていた。

月明かりの少ない、暖かい夜に、なぜかホタルイカは浜に寄ってくるらしい。

母によると、ここらの近くの海でも、昔は

手でホタルイカが捕れることがあったという。

今はどうなのだろう。

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3月20日(土)

「Hあき、(呼びかけて)返事があったら、それはそれで心配だろうね」と、おばあちゃん。

この夏には94歳になるおばあちゃんには、わたしとは比べものにならない年期のはいった「あの世」観をもっていることだろう。

2年と少し前、父が亡くなってからしばらくは、家の廊下を夜歩くのも、ちょっとドキドキしていた。「ゆうれいの父」と会ってしまうのではないか。こわい。だけど、会えるのなら、ゆうれいでもいいから会いたい、と。

「あの世もこの世も、たいした隔たりはないのじゃないか」「肉体の無くなった人も、ここにいるんじゃないか」そんなことをこの2年ほど考え続けていたが、身近な肉親の死をまた経験すると、それらの考えが白紙に戻る。

わたしは、叔父から返事があったら、心配よりも、「こわい」ほうが先に立つだろうけれど、それでもいいから、Hあきの声が聞きたい。そんな思いはある。

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3月21日(日)

●たしか黄砂のすごかった日。(明け方だったか、トイレに起きたら、窓の外が黄色かった。しかし、「ふーん、黄色い世界だな」と思っただけで、またすぐ入眠。異次元を思わせる景色も、眠さにはあっけなく負けてしまう)。
●久しぶりに「気にかけていた」時間をもて、心がすこし楽になったような。
●お彼岸のおはぎを二日連続食べる。

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3月22日(月)

お祖母ちゃんと「魚へんのつく漢字」遊びをしていたら

「魚へんに、はる!」するっと、お祖母ちゃんは答えた。

「魚へんに、はる? それ、どーゆー漢字?」

「魚へんに、はるだよ。ほらっ、ほらっ」

「む~?」

「ほらっ、つばきっ」

うう~む。椿だね。

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3月23日(火)

「美容にまつわるあらゆるテクニックを使い、容姿のどえらい変化を遂げる!」、ま、平たくいえば、整形して、ブスが美人系に生まれ変わる、そのギャップを見せつけるテレビ番組がありますな。(たしかビューティーコロシアムという名の)。たまにやっていると、つい見てしまうこともあるが、先日は2時間の特集で、さすがに途中で嫌気がさした。(なぜに? 内容がどこか不健康なものを含んでいる(整形を肯定否定する以前の話)からだろう)。◆ところで、この番組を見ながら、母が(整形前の登場者を見て)「これくらいの顔の人、田舎にはいくらでもおる!」と言った。ふ~。たしかに。ブス、おバケ、そのほかエトセトラ、暗い過去の再現映像に加え、当事者を傷つけた数々の言葉とともに見ていると、テレビのなかの人がとんでもない顔の持ち主のように思えていたが、よくよく「どこにでもおる!」の心持ちで見なおすと、たしかに、ブスはブスかもしれないが、こういう顔は普段の田舎生活でいくらでもまわりにおりますな。そしてみな、ブスを格別意識しているようには見えず、一市民として堂々と生きているように思えますな。◆番組としては、「容姿がきれい」になるのはあくまでも「心を前向き」にするための手段デス、の趣旨なのだと思う。少なくとも、建前としては。うう~ん。

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3月24日(水)

先日より運行のはじまった、T駅経由金沢行きの高速バスに乗車。
車窓は鉄道のほうがずうっといいけれど、経済的にはこちらがお得。
回数券を購入してしまった。

香林坊のバス停にて下車。
出勤前のOL・サラリーマンあふれる街角のコンビニでチューハイを買い求める。

おお、一ケ月ぶりのアパート。
窓の外には、借景の曲水にカモが二羽。
えっ・・と目を見張るうちに
彼らは波もたてず草木の中に隠れてしまった。

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3月25日(木)

二日酔いである。昨夜はラムをかぱかぱ飲んでしまったようで、頭痛もなければ吐き気もない、だけど内臓がたいへん弱っている・・・のがわかる。うー。キノコたっぷり饂飩を作って食べる。お汁が胃にしみる。

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3月26日(金)

●朝まで「舌に酒酔い」が残っていたが、(はい、わたしの酒の後遺症は「舌」にもくるのです。もちろん、これは一昨日の酒のせいで)、ひと眠りして、(最近は夜が明けないと眠りに入れないリズムになってしまった)、午後、近所の病院へ。
●内科を受診する。が、検温すれば、36.9℃。血圧は上が124、下が80。おやっ、まさか。最近ではありえない、健康体の数値である。低体温・低血圧を訴えたわたしの言葉はどこへ降りてゆけばいいのか。まるで仮病か被害妄想を訴えるヒトのようであり、診察椅子に座っているのも心苦しい。しかし、医師はこういうのに慣れているのだろう。「受けたければ、何か検査受けますか?」とおっしゃったので、血液検査を申し込む。で、結果は「貧血も、肝臓も、コレステロールも、血糖値も大丈夫」であった。
●キャラメルポップコーン(無印の)がおいしい。60グラムを一度に食べてしまった。

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3月27日(土)

最近見た、印象深い夢。

手の肌が、白と黒のまだら。右手は完全に、左手は7割くらいまだら。単に「色がついた」という感じではなく、肉体として「そういう肌」になっていた。くっきりではなく「やや色落ちした」濃さで。夢で質感を自覚した記憶はほかにないが、この白黒まだらの手には「しっかりと、肌」の質感があった。→ 夢のなかの体験なのに、夢から覚めてもしばらくずっとリアリティがあった。目覚めてから何度も、手を、まじまじ眺めてしまった。

ごぶさたの父が登場。彼が「死んでいる」のは夢のなかでも既成事実であった。しかし、彼は普通に横たわり、顔こそ血色を欠いたヒトなのであるが、痩せてもおらず、呑気に明るい感じで、「2週間でこの肉体は消えるのっ」と喋っていた。

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3月28日(日)

萩本の欣ちゃん、風呂には入らないそうだ。朝のシャワーだけでいい、という。理由は「風呂くらいで気持よくなったら、運がつかない」からと。うーむ、上昇志向のために節制をいとわない生き方。わたしは欣ちゃんと友達になれないなーと思った。

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3月29日(月)

●香林坊から朝一番の高速バスに乗る。バスの到着が遅れ、乗り換えのT駅で汽車の切符を買ったのは、まさに発車予定の時刻。あせる、あせる。ホームをダッシュする我の姿を見とめ、発車を待ってくれた車掌さん、サンキュー。汽車の中から見る日本海は、おだやかな春の海であった。無事に9時過ぎ、実家にたどり着く。
●午後、H家にピアノを運び入れるのを立ち会う。プロの大人二人が汗だくの大仕事であった。

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3月30日(火)

昨夜はうっすらと雪が積もり、本日はとても暖かい日だったのに、まだまだ本格的な春には半歩遠いことを知るのであった。話は変わるが、思い出したコトを書いておく。→今年の1月、関東から石川県内の大学の推薦入学試験を受けに来た女子高生の話。乗った夜行電車が途中の新潟で大雪のため止まってしまった。同行の母親が気転を利かせ、数キロ先の国道まで歩くことを提案。そして、長距離トラックをつかまえて、ヒッチハイクで金沢まで出たそうな。その時点ですでに試験当日の朝となっていたが、事情を知ったトラック運転手が生徒と母親をさらに数十キロ先の受験会場まで送ってくれた。生徒はギリギリセーフで試験に間に合い、無事に大学合格。うろ覚えだが、たしかこんな記事が過日の新聞にあった。金銭的な余裕があれば、夜行列車になんて乗らないかもしれないし、たとえ途中で足止め食らってもタクシーでかけつける手はあろう。しかし、みんながみんな、そんなわけにはいかない。もし、わたしだったら、「こんな不運に遭った」ことをなげき、試験を受ける気力をなくしてしまうかも。女子高生はトラックのなかで熟睡していたらしいし、この母親も、いまどきの親にしては大変なガッツだと思う。ときの神さまは「前向きなる者」にほほ笑んだのである。ごほっ。話はまた変わって。北海道の霧笛が廃止されたらしい。上野発の北陸行き夜行列車も今月半ばでさよならした。哀愁の記憶がまた一歩霧のなかへ。

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