ともみ@ピクニック

1月26日

古い友人から、ある集まりの読経に参加してきた。(お経自体には)気持ち落ち着く面があったけれど、(集まりには)どこか腑に落ちないものがあった。というメールが届いた。その集まりのことは前にも少しだけ聞いたことがあり、たしか密教のなかの新興宗派だったと記憶している。お経は般若心経だったか。▲「宗教は人を救えるか」という問いがある。それに対しての過去から今に至るまでのわたしの答えは、大方次のようにいえるだろう。▲信じれば、つかの間、もしかしたら半永久的に、救われるだろう。信じなければ、人は宗教に救われようがない。宗教は主にはなりえず、(はたからはそうは見えなくとも)個人の従に過ぎない。また洗脳というのは、無垢の心や依存心のコントロールの結果なのでは。あるいは、話は先頭にもどるが、「救われた」と思うとき、別ち難い位置に宗教があったとしても、はたしてそれは「宗教のおかげ」であるのか。宗教はきっかけに過ぎぬ、という考えもできよう。▲想像とわずかな体験からいうならば、祈りや読経、そして呼吸を整えることなどは、伝統的な宗教のなかで受け継がれてきただけあって、うまくいけば効果がある。「うまく」というのは、自他の境界線を明け渡すなど、いろんなふうに言い換えられ、「効果」とは救いと同じような意味であるが、話がしつこくなるので、このへんで。

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1月25日

吉本隆明のエッセイ集を読んでいたら、ある年の夏のおわり、上野精養軒の屋上のビアガーデンに今夏はまだ行っていなかったと、家人たちがいそいそと出かけてしまい、一人で夕飯を済ましたとあった。そのメニューは、「おじや」と「和製ジャーマンポテト」と「梨」。ほほ~っ。なんでも和製ジャーマンポテトとは、≪母親の家伝のおかずで、子どものときよく喰べた。何のことはない、「じゃが芋」と「玉ねぎ」の輪切りと「揚げ豆腐」とを少量の「植物油」を加えて「ソース」で煮たもの≫らしい(*)。そこまでは「変わったおかずだなぁ」の感想をもったくらいだが、≪これは「天ぷら」や「トンカツ」と「肉じゃが」との中間の味がして、子どものとき好きだった≫というくだりには「???」。え~っと、え~っと、天ぷらとトンカツと肉じゃがの中間の味というのは、一体なんだ?
(* 吉本隆明『日々を味わう贅沢 老いの中で見つけたささやかな愉しみ』43頁)

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1月24日

『誰とでも15分以上会話がとぎれない! 話し方66のルール』という本が去年から売れているらしい。くぅぅん。確かに、「会話がスムーズにいかない」「喋るのは緊張」と悩んでいる人もいるんだろうな。けど、けど。「共感の言葉を繰り返す」「相手を主人公にしてあげる」等々のルールが書かれている本って・・・。わたしが「ひねくれ屋」というのもあるが、やばいんじゃないか、こういう本が出ること自体、と思ってしまう。この社会にはほんとうに会話の上手な人っていうのはいる。それは体験的にわたしも知っている。相手を立てて、さりげなく相手の好むような情報を提供して、聞く耳もあり、えとせとら。だけど、みんながみんな会話上手にならなくてもいいじゃないか。ときどき会話が途切れたって、いいじゃないか。「すらすらと止めどなく会話が続く」ことだけが健全じゃない。沈黙、あってもいいじゃないか。うまく会話できなくてもいいじゃないか。もうひとつ「ひねくれ」目線で書くと、会話の上手な人といると、たまに「その人の心の不在」を感じることがある。この人は誰といても同じトーンで会話できるんだろうな、というのも分かる。会話が上手というのと、会話の相手の心に入っていけるというのは、まったくの別ものだ。ま、本書は「『言葉より気持ち』と力説」のふれこみらしいが。

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1月23日

先日、NHKのテレビ番組で、「結婚式に友人や親きょうだいや同僚などを装ったニセの招待客をレンタルする」産業が成り立っていることを知った。「そんなことしてまで!」と呆れるのがまっとうな感覚だろうけれど、相手側と釣り合いとるために招待客を集めなきゃならない、友人知人が少ないと思われたくない、会社仲間と浅い人間関係であることを知られたくない、身内と上手くいっていないことを相手側の親族に隠したい、などなど、それぞれの事情があるらしい。「親が挨拶に来たら、『おきれいですね』と新婦の大学時代の友人らしい言葉をかけて欲しい」「ケーキカットになったら、前に出て写真を撮るふりでもいいから、カメラを向けて欲しい。できれば『おめでとう』の言葉もかけて」「会社の上司として“これこれ”の挨拶をして欲しい」、要望は具体的で、事前に招待客役の人々が集まっての打ち合わせもある。ふうーぅ。なかには「配偶者となる彼に友達のいないことを知られたくない」とニセの友人をひとテーブル分(だったか)依頼した女性もいるが、その人は「いまだにコノことは誰にも話していない。レンタルの後悔はない。これからは新しい絆を大切に生きていきたい」と語っていた。くぅーん。前に、「孝行な子や孫役のレンタル家族を頼んで、自分を癒そうと試みる」ラジオドラマを聞いたことがあるし、そういう演劇もあったような気がする。根本のところでは、それと繋がるのかなぁ。いや、どうなんだろう。自分へのウソを背負うだけの場合と、まわりにもウソをついたとの負い目を背負う場合。「親に、配偶者となる人に、招待客に、見栄をはる(=見せたくない自分の一面を隠す)」というのは、結局、目には見えない傷を自身につけることなのだろうなぁ…。表面的にはレンタルできないものなんてなく、ますます個人がとらわれの価値観に妄走迷走する環境が充実する世の中なんだな。

*この特集は途中から見たのであるが、最近、21時台のNHKでは<無縁社会なんとか>というシリーズをやっているらしい。前の週には「働きざかりのひきこもり」をやっており、まさに我のことである特集を見逃したのは、残念である。

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1月22日

前に読んだ本のなかに、「昔に比べ、今の世の中が悪いほうに転がっているとはいえない。みなが、おのれとおのれの身内の衣食住を獲得するためにギリギリのところで戦っていた時代と比べ、今、そのギリギリを脱した人のなかには、まわりを気遣い、まわりを助けようとする人も出てきている」という点で、エリザベス女王とダライラマ14世は同意しあったとあった。

また去年読んだ別の本のなかには、「世の中が良くなることを、私は祈ることができない。時代はもう取り返しのつかないところまで落ちてしまい、あと残された道は <とことん落ちて、底まで落ちて、そこから生まれ直す> しかない」と語る、神道系の偉人がいた。

どちらも、同時に起こっているのだと思う。過去の時代よりは今はよき時代であり、その傾向はこれからも進むだろうし、同時に現在進行形で世の中は悪くなっている。

しばらく前の日記(12月24日)に「この世がはちゃめちゃになってしまえばいい」といつも心のなかで思っている・・・と告白したが、(告白だと!大げさな)、もちろん、それを意識の表面に出してみるのはときどきしかない。(手のひら返して「罪人撤回あるいは罪人度軽減」を図っているみたいだな)。けれど意識の奥の奥ではたしかに常に存在するその思い。もしかしたら、<落ちるまで落ちないと真に明るい場所にはたどり着けない> との推測がそこには付随しているのかもしれない。

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1月21日(木)

今年初めての歯医者さん。ブリッジの型どりしてもらう。ついでに仮歯も入る。◆治療のあいま、聞こえてきた会話。先生「これはCTとらなきゃなりませんね」患者「T大学で入れたインプラントなんだけど」「せっかくですけど、このままでは…。手術しなくちゃいけないかも」「はぁ…(しょぼしょぼ)」「T大学は遠いし、ここらでCTある歯科といったらK病院だけど、混んでるからねえ。知り合いの病院を紹介しましょう。そこなら明日にでもCTとれるでしょう。まずはCTとってからの話。場合によっては全身麻酔の手術になるかも。2~3日入院して…」◆インプラント、流行っているとは知っていたが、じかにこんな話を聞くと、こわいなぁ。(幸い、わたしは費用の点からインプラントの検討もしなかった)。◆声の感じでは、患者は高齢の男性だ。インプラントのどこが都合悪いのか、このままではどうなっちゃうのか、全身麻酔のどんな手術をする可能性があるのか、聞こえてくる会話からは分からなかったが、歯科は常に外科手術でもあるのだなー。あなどっちゃ、いかん。

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1月20日(水)

夕方、お笑芸人・春日という人がテレビに映っているのを見て、母は云いました。「あらっ、もう治ったの」。あのね、お母様、あなたが昼のテレビで知ったという「春日、骨折」は昨日の出来事であり、夕のテレビに映る彼は何週間も前に撮影されたものだと思うのですが。

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1月19日

「ばーちゃん、(次の通院まで)2週間もあるんだから、ウチに連れて帰れって、いっていなかったぁ?」

午後遅くにH家にいくと、叔父はベッドのなかからそう尋ねた。

ここに来る前にわたしが祖母のいるRBを訪ねていたのを知っての質問だろう。この日は叔父の通院日であることをわたしは祖母に伝えていなかった。気を揉むのが目に見えたからだ。しかし、祖母を訪ねたとき、「H君はどうしとるかね(*)。ともちゃん、(今ここで)電話してっ」「あとで(Hのいる)H家に寄るから、おばあちゃんに電話するようにいっとくよ」「電話してみよう」「いやっ。もし休んでいたらわるいでしょ」「ねえ、電話しない?」「いやだよう」、こんなやりとりがわたしと祖母のあいだであり、こうなると長期戦に突入しざるを得ないのは経験上確かなことで、結局、わたしは祖母の携帯電話を手にとり、H家の電話番号を押しただけ、呼び出し音も確認せずそのまま祖母に渡したのだが、その電話には珍しく叔父が直接出たらしく、祖母は息子(=叔父)から、今日病院に行ってきたこと、薬が少し変わったこと、次の通院は2週間後などの話を聞いたらしい。ふむ。ここでお祖母ちゃんが現実的なのは、息子の声を聞いて、ホッ、ひとまず満足、もう、ともちゃん帰って大丈夫よ!の態度に切り替わることだ。(電話をしなければ、日が暮れるまで、わたしはRBから解放されなかったかも。ちなみに、お祖母ちゃんは携帯電話の受信はOKだが、発信は自分からできない。しかし、部屋備え付けのRBの一般電話は不自由なく使えるので、普段はその電話を利用して自分から息子や娘の家に電話しているのだ。おばあちゃんにはおばあちゃんなりの遠慮があるからだろう、身内がいると、まるで自分は電話を使えないヒトのような顔をして「Hに電話をかける」ことを頼んでくるのだ)。 (*)おばあちゃんが息子のことを「君づけ」するなんて、初めて耳にした!

話は戻る。「ばーちゃん、ウチに連れて帰れって、いってなかったぁ?」であるが、祖母が今、RBにいるのは「まだときどき(叔父が)通院しなくてはならない」という名目からである。しかし、通院なんて月に2度程度。半日で済む仕事だ。もしもその間の留守番を心配しているのなら、いくらでも喜んでわたしがするのに。T子さんだって、毎日のようにRBに顔を出しに行くことを思えば、どっこいどっこい、もしかしたら祖母が自宅にいるほうが楽かもしれない。だから、「おばあちゃんを家に連れてきたら? 必要あれば、留守番などの手伝いするし」と申し出ようかなと考えたこともあるのだが、最初はT子さんの負担を思い、けれど次第におばあちゃんのある様子を思い出し、やがてその言葉はわたしのなかで封印された。

(前回の通院の日だったと記憶する)おばあちゃんがね、叔父のことを、じぃぃぃ~っと観るの。さみしがり屋(らしい。今回初めて知った)の叔父は、新しいベッドを1階のリビングに起き、そこで一日を過ごしているのだが、おばあちゃんは「大事で大事でたまらない」息子の動きをじぃぃぃ~っと見守っている。正直言って、「穴、開いちゃうんじゃないの?」と思うほど。それは思うように体力を回復させられないでいる叔父にとって、すごく負担だろうなぁと、わたしは思ったのだ。

            *            *            *

この日、印象的だったのは、RBからいったん親の家に戻り、コタツにあたっていたとき、叔母からどよんと暗い声で電話がかかってきたこと。普段はとても明るい人なのに。しかも、なぜか、家の電話でなく、わたしの携帯に。叔母の話はこうだ。「Hから、だるいよぉってメールが入ってたの」。叔父とはきょうだいのなかでも一番仲のよい叔母は、ただそれだけのことで良からぬ妄想をふくらませ、どよんと落ち込んでいたらしい。そこでわたしは「昼前にはわたしの携帯には『今から自宅に戻るよ』ってメールがあったから大丈夫でしょ。それにさっき、おばあちゃんと直接電話で話していたよ」と伝え、「じゃあ、わたしもHに電話してみるわ」と叔母はちょっとだけ立ち直ったヒトの声になった。・・・数分後、弾むような声でまた叔母から電話があった。「Hのメール、待合室で薬を待っているときに打ったんだって。あれは待ち時間がだるいって意味だって!」。なんだか、なんだか。一憂一喜ですなぁ。「Sちゃんはじつに(声の調子から気分が)分かりやす過ぎる!」とわたしがからかったら、「ふふふ~」と叔母(Sちゃん)の明るい返事があった。



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1月18日

午後遅めの起床(のはず。連想記憶によると)。

過日から、母が「ダイコン餅、作ろっか、作ろっか」と
繰り返しいっておったが
とうとう本日、初めてのダイコン餅作りをしたらしい。

「Hのところにも持っていったら」の、わたしの一言で
彼女は叔父の家の分のダイコン餅も作ったようなのだが・・・

運び役のわたしが祖母のところ(今は自宅におらず、施設R・Bに戻っている)から
なかなか帰宅せず

母は「せっかく作ったのに冷めちゃう」と気をもみもみしていたらしい。
(もみもみし過ぎて、家からR・Bに続く道を歩いて来ていた)。

こんなにすぐにダイコン餅が作れるとは思っていなかった
わたしは、まだ温く温くのそれを受け取り、そのまま
自転車でぴゅいっとH家へ。

T子さんは入浴中
(彼女がお風呂からあがってきたとき、わたしはH家のリビングでくつろいでいて
それを知らぬT子さんに軽い悲鳴をあげられてしまった!)

叔父は明日の通院のため、T子さんを待ち
みだしなみを整えようとしているところだった。
ひげをそったりね。水なし洗髪したりね。
(その容貌に似合わず、彼はおしゃれなのである)。

そしてわたしはダイコン餅と交換するように
T子さん手づくりの、米粉入り無塩パンをもらって帰ったのであった。



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1月17日

愛読ブログのなかに、先日、「家族にすっごいダメだしされるの」という話があった。妻の立場、母の立場で、それぞれ家族から批判を受ける日々らしい。ふふふっ。あらゆる家族がそうとはいえないけれど、家族のなかで一番の言われ放題役というのは、それだけ家族の核なんだろうな。愛されているのだと思う。ほんとーにネガティブ全面の不満なら、ヒトはそのことを直接相手にぶつけることはあまりない。「言われる」ということは、それだけ「感情をぶつけやすい」、気をつかわずに向き合える相手ということなのだろう。

ところで、『吉本隆明×吉本ばなな』のなかで吉本隆明が「(子供たちが小さいころ)家族から一気に不満を申し立てられて、家を出て行こうかと悩んだ」というような話をしていたのを思い出す。家族といったって、妻と、幼子である。まじめな人間からあふれる味わい、といったら、抽象的になっちゃうんだけど、わたしはそんな吉本さんが嫌いではない。

余談 『吉本隆明×吉本ばなな』は、ロッキング・オン社から出ているのだが、この本のインタビュアーは渋谷陽一。「この冴え方は、なんだ!」と唸ってしまう、吉本父娘に勝る説得力大の発言をしばしばなさるインタビュアーであった。

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1月16日

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
迷わない 悩まない
落ち込まない
ここにある現状を
できるだけ安らかに受け入れる。

比べっこしたら、かえってドツボ。
(わずかな時間の比べっこ、わずかなお金の比べっこで、わたしはずいぶん無駄を払ってきた)

ケチをする事で、ずいぶん、余計な煩いを抱えこんできたのでは。
時間やお金だけじゃなく、一番の代償は「心」だったのだ。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

「100円バス」に乗ろうなんて普段は思いもしないことを思いついたゆえ
(でも結局乗ったのはいつもの「200円バス」。おまけに道は大渋滞で)
乗りたい電車に乗りいおくれ、途方に暮れたわたしは
(一本電車を逃すと、実家に到着するのが数時間遅れることがあるのです)
反省となぐさめのため、待ち時間にドトールで上記の文字をケイタイに打っていた。

             *

午前に買った、どじょうの蒲焼や、焼き立てパン。
冷たくなったパンの袋からたつ甘い匂いが
わたしの落ち着かない気持ちを増幅させた。
揺れる車窓も暗かった。

メモ 「センター試験」の日であった。



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1月15日(金)

●鬱の王冠が、きのうからちょっと外れた感じ。
●がんばってお風呂屋さんに行きました。雪道なので、歩いてね。入浴後、近くの神社に寄ったら、さぎちょうをしていた。わたしの初詣は、世間様の正月のおわりか。帰りはアパート近くを走るコミィニティバスに初めて乗車。
●帰宅後、お布団にもぐり、ケイタイの小さなテレビで『ドラえもん』を見ていたら、「22世紀から来た子守りロボット」とドラえもんは自らを称していた。あれ、いつの間に「21世紀から来たロボット」じゃなくなったのだろう。もともと22世紀の出身なんだっけ? ドラえもんは。それにしても「ガッテン、承知の助」なんて言葉を聞けるとは、昭和なアニメである。

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一月の雪

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1月14日(木)

いっぱい雪の積もった朝は
窓を開けなくても、わかる。
気配でわかる。

音が雪のなかに
吸い込まれているのだ。
それでいて
ときに柔らかい日が届く。

長靴を履いて、外に出ました。せせらぎ通りでは、おじさんも、お姉さんも、汗をかきながら雪かきしてます。パン屋さんではいつものように店員が働いており、蕎麦屋さんの窓からは白い湯気がたってます。香林坊の交差点では、大きな発泡スチロールをかかえた配達員のお兄さんが信号待ちをし、角の宝石屋さんでは、黒いスーツを着た痩せたお姉さんが涼しい顔して立っています。ああー。緑になった信号を進むお兄さんにつられ歩き出したわたしは、交差点の中ほどで、突然、とんでもないことに気付いてしまった心持ちになりました。「みんな、一生懸命に生きている。退屈な日も、気だるい日も、うきうきの日も、心配事ある日も、そのときなりに懸命に生きていて、そして台風の日やこんな大雪の日も、えいやっと頑張って、笑って、泣いて、働いている。人生の味わいとは、こういう大変な日にもつつがなく日々を送っていこうとする生き方にこそあるのではー」。ううー。文字にすると長いだが、ホント、瞬間的にそんなことを思ってしまったのだ。あたり前といえばあたり前であるが、お布団で伏せていることが人生そのものになっているような我には、すっかり忘れていたことである。その足でわたしはドーナツビルに向かい、ブランチを食べたのでした。

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1月13日

あまりに睡眠世界に長期滞在の日々が続くと、冗談ではなく現実の「時間」の感覚に狂いが生じる。ところで最近、「夢のなか」の世界にこそ、心の安らぎを覚えている・・・ような気がしてならない。たいして楽しい夢など見てはいないのだが(特に悲しい夢の記憶もなければ、嬉しい楽しい夢の記憶もない。ただ淡々と夢のなかの現実と過ごしているのだ。ひとつ不思議なことに、卒業以来連絡を取り合ったこともない、記憶の彼方に消えたはずの中学や高校時代の同級生がふつーに夢のなかに登場することが最近ぽつぽつあるのだ)、覚醒すると、つい今しがた見ていた夢に気持ちが少しひっぱられそうになる。上手くいえないが、夢の時間は安心して、深く患うことなく居ることができた、なぜかそんな確信が残るのだ。アメリカのテレビドラマ『アリーmyラブ』に、「現実なんていらない。夢のなかの世界に生きたい。いつも夢のなかで出会う男性こそが恋人なの」という婦人が登場する回があったけれど、ややそれに近い感じもある。わたしの場合は継続した夢ではないし、胸躍るようなストリーが展開するわけでもなく、ときには現実の心の患いに影響された夢も見ているようなのだけれど、<目覚めて、現実の意識をもつ> → <意識と一体になる現実がツライ>というじゅ縛のような習慣から、夢の余韻は、束の間の救いをもたらしているのかもしれない。 

*追記1 「現実」がなければ「夢」も存在しないという、この世の掟があるのだったなー。
*追記2 眠りは「小さな死」との考え方がある。目覚めは「小さな死」からの再生であるとも。
     生きものに備わった定めとして「眠らなければ、生きられない」というサイクル。
     「小さな死」を体験し続けなければ、生命は成り立たない。

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