12月13日(日)

一冊の本だけを集中して読むということはめったになく、また、同時期並読といっても、全部を順々に完読するなんてことはまずなく、「全頁を読み終える」本は、五冊に一冊もないだろう。▼あらあら読み、ぱらぱら読み(←いずれも拾い読みの反復)で済ませ、ちゃんと読み終えそうにもないけれど、「これはメモしておきたい」と思う本が時々ある。以下はそういったメモ。▼移植手術(特に心臓の)とともに、ドナーから被ドナーへ、性質や能力や味覚などが受け継がれるケースがあるらしい。なかには臓器を提供した者の生前の記憶までも。そういった、「手術を機にたまたま変化しただけでしょ」とは割り切れない症例が発表されていることを、『魂の記憶』(喰代栄一・著)で知った。▼ダライラマ十三世がお元気だった時代、師の命を受けて幼少期に「特別の教育」を受けていたという人の回想録、『チベット少年僧の不思議な物語 古代の洞窟』(T.ロブサン・ランパ著、野村安正・訳)には、竹中健二という日本僧が登場する。真理を追い求めるがゆえに、世界中を旅し、ありとあらゆる宗教を学び、ついに狂ってしまった竹中。ロブサン少年と出会った頃、精神の病をかかえた竹中はチベットの寺院にて療養中だったらしい。→①やみくもに宗教的なことを追求すると「危険」がやっぱりあるのだなぁ。必要なのは「待てよ」と自問するブレーキなのだろうが、情熱はブレーキを忘れさせるのだろうなぁ。→②竹中老人は人生のおわりをチベットで迎えるのであるが、彼の生き様は、子ども大人にかかわらず、チベットの僧侶たちになんらかの学びを与えたのではないかと思う。竹中老人が流浪の末にあの地にたどりついたのは大きな意味があったのだと。

12月12日(土)

「孤独死」が(当人にとり)好ましくない最期であるという前提ですすめる報道など・・・孤独死を避けるために行政やマンション組合が仕組みを作ったり、実際におきた孤独死を悲痛なものとして知らせるもの・・・を目にしたとき、いつも、わたしは「孤独死のどこがいけないのだろう?」と思ってしまう。▼もしも身内が逝ってしまうとき、と想定すれば、「そばにいてあげたい」気持ちが生まれそうだし、父を見送ったときには「家族で立ち会うことができ、よかった」と思ったけれど、わたし自身がこの世を旅立つときを想像すると、孤独死もいいんじゃないかと思う。正確にいえば「孤独死こそいい」と思うときさえもある。それがわたしの生き方にふさわしい気もするし、そもそも、立ち会って欲しいと思う人がいないという、そんなわたしの実状が影響しているのかもしれない。いざとなったら、また違った自分があわわれる可能性も十分あるが、孤独死を肯定こそすれ、否定する材料がわたしには見つからない。また、志に向かっての道中であれば、「野垂れ死」も、いいと思う。▼話は変わる。前々から、遺言のようなものを書きたいとぼんやり思いつつ、なんの準備もしていない。遺言といったら大げさだけれども、「ホールなどを借りての葬式はせず、できるだけ直葬に近いかたち、あるいは直葬そのもので、やってほしい。訃報の知らせはいらない、いや、ごくごく少数のリストを作っておいたほうがいいのだろうか。散骨もいいなあと思うけれど、頼まれた者が困るだろうから、家のお墓でいいや、とするか。法事はやめてほしいが、他の故人のついでということならば、拒む理由はない」などなど。

12月11日(金)

塵も積もれば・・・を忘れているのでは? わたしは、人生において。◆みな、小さなことをコツコツ積みあげて生きている。「大きな仕事」をやっているように見える人だって、それは小さなコツコツの積み重ねに過ぎない。そんなことを忘れ、わたしは「できない」「やれない」「苦しい」「動けない」という心の声にばかり目をやって、小さなコツコツに触れようとしていない。◆「人前では無理して明るくふるまう」だと? そんなの皆、やってることじゃないか。体調芳しくなくても、心配事あっても、平気な顔をして、人と会い、仕事して、人間界の用事をすますのは、あたり前なのでは? 「ワタシ ハ ヒト ノ マエ デハ ムリ ヲ スル ノ デス」なんて大事な秘密を漏らすかのように吐露するのは、鬱病者の特権ではないはずで、本当は多くの人がそう叫びたいと思っているだろう。ただ鬱病者は(自己を傷つけている反動で)「自己愛」を無意識に求め過ぎるあまり、そういう吐露を人一倍渇望するのに違いない。◆自分を大事にするのと、甘やかすの、どこで線を引くのだろう。

12月10日(木)

いつからなのか定かでないけれど、「知ってもらいたい」という気持ちが芽生えはじめている。わたしは現状を自分ひとりで抱えることにギブアップしたいのではないか。▼現実の対人関係で「心身の調子の悪さ」を自ら明らかにすることのないまま年月をおくってきたが、そのことがストレスを増幅させているのではと、最近、ふとしたときに思うのだ。普通のことができない。体を起こせない。電話に出られない。先の約束をできない。できないづくしである。一方で「そんな自分を隠したい」という欲があり、人前ではなんでもない、へっちゃらの顔をしている。そういう時間はとても疲れるし、また「できないづくし」の時間には、「できない→うしろめたさ→ますます不調」という負のサイクルが約束のように成り立っている。せめて、「できない」ことへの免罪符を身近な人に与えてもらえたら、負のサイクルを少しは断ち切れるのではないかと思うのだ。▼垣根ってのは、本人が思うよりずっと低いことが多いらしいのだけどね。そもそもわたしの思う垣根なんてまぼろしか。

12月9日(水)

よろけながら実家に戻る。▼午前の早い時間から、おばあちゃんのところに毎年お約束の介護認定の調査の人がくる。去年と同じ市役所のヒト。あの笑顔がわたしはこわい。(目がね笑ってないの。でも顔の筋肉はたえず笑ってる動きなの。まるでそういうロボットみたい)。今年も、ほとんどの質問にすらすら答え、体も動かし、「痴呆テスト」のような問いにもばっちりOKの回答を出していた祖母。ただ、「足が痛いの」と言うのは毎度のことだが、今年はそれに加えて「手がしびれて」と申し出ていた。(そうなのだ。もう何週間も前にツキ指をして、「痛い」「しびれる」と言っていたのが、だんだんと、その範囲が広がってきたみたい。今では両手の都合が悪いという)。ふうっ。愛らしいおばあちゃん、ときたま、とぼけたことも言うが、このままのペースで穏やかに日々を送ってほしい。▼実家にいるときは、二階のお布団にもぐりこむか、コタツ虫になってしまう。お布団もコタツも、どちらも自己嫌悪の保育器である。

12月8日(火)

きのうはちょっとハリキリ過ぎたのか、また寝込んでしまい、歯医者はキャンセル。(なんせ、電車とバスを乗り継いで行く歯医者。根気がいるのである)。よろよろと断りの電話は入れたものの、「次の受診日」を決めるまでの力はなく、「あー、あー、また電話します」と言って、ケイタイの電源をきってしまった)。つくづく、社会不適応者。よーし、このまま朝方まで睡眠界の逃避民となり、あすは早朝、アパートを出発しよう。

12月7日(月)

お風呂に行く。一週間ぶりに体を洗い、髪も洗う。あっちの湯船こっちの湯船を、ときどきクラッと倒れそうになりながら渡り歩く。いったん浴場を出て休憩。横になってごろごろ。新聞めくって社会見学もどき。森永のネクター缶で水分補給。そしてまた浴場へ。再び湯船のはしご。4時間ほど、お風呂屋さんにいたのでは。ふうっ。お風呂に入ったら「何か」が生き返った。

12月6日(日)

毎日なにをしているのか?と不思議がられても、「息をしている」としか、答えようがない。朝と昼と夜の区別はなく、意識があること自体がツライので、とにかく眠れるときは何十時間も寝り続ける。調子がいいと、日に7~8時間は起きていられるだろうか。(起きているといっても、体を起こしているわけではない。基本的には四六時中、横になっている)。その間、鬱を抱きかかえ、お布団に入ったまま、本を斜め読みしたり、お菓子をかじったり。(まあ、本に触れる気力、お菓子を口に入れる気力があるだけでも、マシである)。それ以外はほとんど出来ることがない。ああ、そうだ。このごろ鏡を見るなんてことめったにないが、うっかり見てしまったら、ずいぶんコケた顔のわたしがそこにいた。あっかんべー。

12月5日(土)

北陸の冬は毎日がどんより鉛色の空で
たまに青空が広がれば「ラッキー」と喜ぶくらいだ。

先月のこと―。
「ああ、たまには、海の向こうの北アルプスを望めたらいいのにね」
誰かの発したありがちな言葉を包むように、
東京生まれ育ちのお人はいった。
「この墨絵みたいな毎日も風情があるわよ」

色があるから輝くのではない。生命を喜ぶから色輝くのだ。

12月4日(金)

どんな表現手段・方法であろうと、この世のあらゆることにつき、みじんも誤解なきよう表わすなんてありえっこないのだけれど~。小心者のわたしはブログを書きながら、ときに書きおわったあとから、しっくりこない×うしろめたい×違うんじゃない?などなどなどの気持ちになることがある。それは<あることを書いた>ことで、必然、<あることを肯定できなかったこと>につながるからでもある。たとえば、かつて肉親のガンの闘病中、わたしは日々の日記のなかで「ガンこそが大変な病気」ニュアンスを存分に出していたと思うのだけど、それと同時に「ガンだけが大変な病気ではない」ことをもちろん知っていたし、ま、それはそれでよいのだが、ただ、その他の病で闘病している人やその家族に対して、どこか失礼だとの気持ちがなかったわけではない。ましてや同じガンといっても、わたしの綴る身内の症状よりもはるかに大変な症状抱えた本人やその家族には、これまたご免なさいと見えないところで頭を下げたくなった。あるいは、わたしはweb日記始まって以来たびたび「鬱の苦しさ」のひだひだを表にしてきたけれど、鬱病だけが現代人の苦しみではないことも、もちろん、知ってはいるのだ。なのに、なのに。まるで不幸の雨雲がおおれの頭上だけにいるかのような綴りの数々。最近でいえば、たかが身内の小さな法事を営んだくらいで、「何をぶーぶーいっておる。しかも全く行き届かない&気持ちゼロの法事で」と理性の部分ではつぶやきながらも、そこには触れず、ひたすらおのれのストレスだけで呼吸して、さも大変なことをやり遂げたかのような日記を書いて、我ながら呆れ百万力だ。くーぅ。それでも、「自分のなかの興味関心あること」「消化したい気持ち」を書くのがブログとして、ときにみっともなく、はしたなくはあっても、しかるべき一つの方法であろうからっちゅう言い訳のもと、わたしはこのような日記を続けているのだが、ときどきは自分の書いたことにつき、・・・以下・・・のように、追加文をあらわしたくなるのである。

はぁ~、長い前置きであった。

・・・以下・・・ デス↓

いつぞやの日記に、「現世が来世を作るなら、今のこの苦しみを、わたしは現世のうちに片づけておかにゃならん」的なことを書いたと記憶するが、いやいや、この時、書きながら、「それはもちろんそうだけれど、前提として、こんな自分だけの問題のようにとらえているのは間違いだよな~」と思ってもいた。・・・・・・この鬱状態に甘んじている末娘をもって、母はとても傷ついていることを、わたしは知っている。無言を保つことで(家のなかではむっつりの我)、あるいは時に心ない言葉を向けることで、また家事もせず朝昼晩寝ているだけの態度でもって、えとせとら、わたしは一種の家庭内精神的暴力をふるっている。・・・・・・いつぞやの、自分の苦しみを解くことが唯一の課題であるかのような物言いは、まったくの間違いであり、現世が来世を作るなら、今のわたしが、たとえば母の来世の苦しみを生みだしている可能性もあるのだぞ――ということを直感として知っているのに、おおれのシンドさを隠れみのにして、ついつい忘れたふりをしてしまう。

12月3日(木)

「そう、そもそも私たちのDNAは、ノーベル賞をもらった先生も隣のパッとしないおじさんも、ほとんど差がないんですよ。99.9パーセント同じなんです。万に一個の差が、その人の能力や体力に大きな影響を与えている」(*)そうであるが、では、もともとのDNAの0.1パーセントの違いだけが、<個>の差を生んでいるのかといえば、そうでもないらしい。「我々の全部のDNAのうち、働いているのは実は二、三パーセントで、あとは何をしているのかわからないんです。寝ているのか将来のために休んでいるのか。でも何かの拍子に眠っている遺伝子のスイッチがオンになって、働き出すことがある。(中略)。温度や食べ物や、いろんな要素で遺伝子のオンオフは変わりますが、僕はそこに“心”も入っていると思うんだね。(中略)。どんな場にいるか、どんなことをしているか、どんな人に会うかということで遺伝子のオンオフが変わる、つまり心の働きで遺伝子のオンオフが変わるわけです」。ふう~む。ところで、「僕は心と遺伝子は“互いに影響を及ぼし合っている”と思うんですよ。たとえば好奇心の旺盛な人と、何を見ても感動しない人というのがいるんですが、調べてみると遺伝子のここが違うらしいというのがわかった」とな。


* 『宮本亜門のバタアシ人生』のなかに登場する、遺伝子学研究者・村上和雄さんの語りを引用。以下の「」部分も同じ。

12月2日(水)

またもや病的な自分の内面を見せてしまう話だが・・・

山暮らしという魅力のほとんどを知らずに、先のアルバイト生活をおわったが、それでもわたしは山の魅力にかげりをみてはいない。「どこでもドアー」があるならば、ときどきはあそこへ行って、風景が生活の一部となっていたあの山々と対峙して、深呼吸をしたい。

ただ、人間関係については、どうしようもないシコリを背負って、下界に帰ってきたことは事実である。

山でアルバイトをしていたときのたまの休暇中や、完全に山を下りてからも、頻繁に「叱られる」夢を見ていた。それは現実の山での生活中、しょっちゅう、怒鳴られ、びくびくしていた、ある人との関係が眠りのなかに現れたものであろう、わたしは夢のなかでも、おどおど委縮し、気持ちを圧迫させていた。しばらくこの手の夢がやってこなくなっていたのだけれど(親戚の入院騒動以来、久しくなっていた。それまでは寝ても起きても、山から背負ってきたことを引きずっていたのだ)、先日、また夢を見てしまった。

具合的な山でのハプニングをここに記すのが好ましいのか否なのか、わたしにはわからない。まあ、今はそのことに時間を割く気分ではないので省略するが。ともかく、わかるのは、山生活とさよならしても、わたしは無意識の部分で(*)くよくよしているらしいということだ。

そして、くよくよくよ、くよくよくよ、し続けた結果、どしーんとやってきたのだ。いやいや嘘。くよくよ、くよくよ以上に、わたしは未熟に発酵した腹立ちを、実はずっと抱え続けてきたのだから、訂正しよう、くそくそくそ、くそくそ~っのあげくに、どしーんとやってきたのだ。「こんなにも過ぎた事々に心よじれるなんて、誰のせいでもない、わたしがヘンなんだよな~」。シコリはシコリとして存在して、それは、さ、まぁ、人と人との関係だもの、時にそーゆーこともあるわさ。だけど、そのシコリをここまで引きずるのは、どこにも言い訳できない、わたし自身の人間性のモンダイなのだよなぁ。


* 意識にのぼるところでは、どうとらえていたかというと・・・。「おもしろくない記憶を無理にねじ伏せる必要はない。もちろん無理に美化する必要もない。ただ、じっと時間が過ぎ、何かを許し、何かを素直に受け入れる自分になるのを待てばいい」。わたしに大切なのは、あがくことではなく、じっとそのときを受けとめることなのだろう。

12月1日(火)

眠りからいっとき覚め、枕上の模様ガラスに目をやる。
日の高さから「まだ午前か」と思ったけれど、あぃっ、昼をとうにまわっている。
冬の太陽の動きをすっかり忘れた。

         *       *

吉田篤弘という人の小説を先日はじめて読んだ。
『それからはスープのことばかり考えて暮らした』というタイトルの。
わたしはこの本に出会ってから、サンドイッチが食べたくて、
夜鳴きそばが恋しくて、おいしいスープのことばかり考えそうになった。

なにより、こういう小説と出会い、その幸せを素直に味わえる
おのれが嬉しかった。

11月30日(月)

●今期の引っ越し、断念。その旨を数日前に不動産屋に電話で伝えたら、「どーせ、新しい入居者もすぐに見つからないし、どーぞ、どーぞ、居て頂戴」の返事であった。
●と、いうわけで、家賃を払いに金沢へ戻る。
●きたやまおさむ(北山修)が夜のラジオで、「死によって、マスメディアはその人の生を(生きているときよりも)実にいきいきと描きだす」と言っていた。ふうううむ。
●突然走り出す、幻覚をみる、高いところから飛び降りる、などなどという症状は、タミフルという薬の頓服有無にかかわらず、A型インフルエンザにかかった人のごく稀にみられるらしい。ところで、わたしのまわりでは、あっちもこっちも「インフルエンザにかかった。A型だった」という話が聞かれる。こりゃ、季節性以上の数である。

11月29日(日)

最近見たテレビで印象に残ったもの。▼立花隆が「ガン」の正体をたずね歩く番組――恐竜もガンとともに生きていたことを知り、驚いた。生きている限り、ガンができるのは当たり前のことらしい。(生物の進化の過程でガンは必然のように誕生した?)。いわゆる「ガンでない」状態とは、単に免疫がガンより優位にいるだけのことといっていいのか。番組のしめくくりには、数年前にガンの手術を受けた立花さんが、「いずれ再発を免れないとしても、ボクは<ガンの克服>に頑張らない。それよりは残された時間、生活の質を保って生きたい」と語っていた。▼ゴミ屋敷をめぐる番組――ゴミの埋もれる一軒家、マンションは、増加しているらしい。あらゆる職業、あらゆる年齢の、ゴミ屋敷住民が存在する実態。これは「もったいない病」ならず、ひとことで言えば、身の周りを片づける気力を喪失するほど、生きることに疲れた、孤独を病んだ、現代病であるのだ。わたしにとっても他人事ではないテーマである。
背伸びせず、ゆるゆると日常生活などをつづります

はえともみ

Author:はえともみ
ちちんぷいぷい~。
(HSPの自覚あり)
「うつと仲良く! ひきこもりだっていいじゃない」と
開き直って生きてたら
元気になってきました。

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