FC2ブログ

11月12日(木)

しばらく前に、テレビ「ためしてガッテン」で、疲れのメカニズムというのをやっていた。そこでわたしは大変勇気づけられる話を知った。「寝過ぎると、逆に疲れる」という説はウソなのである。ホントウは「沢山寝る→これまでマスクされていた疲れがあらわになる」という仕組み、隠されていた疲れを実感できるようになっただけ!なのだった。はい、どんどん眠ってもいいのですね。「いっぱい眠って、疲れる」ことに罪悪を覚えなくてもいいのですね。それはまだまだ疲労が蓄まっているサインなのですね。休んでばかりの怠け者という特技に、心の底で罪の意識を抱え生きてきたわたしには、まこと朗報なのであった。

11月11日(水)

ある庭を見て、先日、思ったこと。そこは普段人が住んでおらず、手入れも頻繁にされているわけではないのだけれど、とても「生きている」感じのする庭だった。なぜなんだろ。曇った空の下でも、やさしい光を感じられ、生き生きとした息づかいが伝わる。みずみずしくて、ほのあたたかくて、もちろん自然の流れに従って枯れた葉っぱもあれば、伸び放題の草もあるのだけれど、目にする者に、妖精が住んでいる?とさえ思わせるような空間。――。答えを出すのに、時間はかからなかった。同時にわたしは、いまいましくてならない最近の実家の庭に思いが行った。そこは、この2年近く十分な手入れをされておらず、ちょっと荒れ果てても見える場所。――。もちろん、実際の手入れのうまさ、頻度などが、庭の姿を作るわけだけれども、それだけじゃない。そこに愛があるか、ないか。笑っちゃうような話だが、そういうことなのだ。――。わたしは「手に負えない」という思いが先に立ち、実家の庭の、日々生命を紡いでいる木々や盆栽への愛情が薄れ、知らず知らず「お荷物だ」と感じるようになっていた。そして、そんな自分でいればいるほど、実際の庭は荒れていき、それを見るわたしの目もますます愛情から遠ざかる、という悪循環。――。庭は生きもので、「妖精がいるのか」と思わされるほどのあの庭は管理人の愛情がたっぷりと注がれているのである。

11月10日(火)

佐藤愛子さんの『私の遺言』を読む。昭和五十年、北海道に夏の間だけ住む別荘を建てたことから始まる、四半世紀もの「心霊体験および学び」の記録である。(タイトルだけみると、女流作家の余裕あるエッセイのような印象もあるが、いやいや、こりゃもう、命がけの記録なのである)。あっちの世界を信じる人には、とても興味深い一冊であろう。▼メモ これまでわたしはほとんど関心をもってこなかったけれど、日本古来の神道というのは、すごい力をもっているらしい。また、各種の宗教のお題目や決まりごとは「人間界の都合の産物だ」としか、わたしはとらえておらず、はっきりいって「なんの意味もない」と思ってきたのだけれど、いや、もしかして、それらは使い方によっては人知を超える力を発揮するのかも…。▼メモ 前世のカルマのほかに、先祖のカルマ、というものがあるのかぁ。(わたしはちょっとまだ半信半疑だが。いやいや、これこそ、わたしが昔から抱いていたことに通じる可能性も)。▼メモ 「波動」という言葉が心に残った。「一人一人の波動が下がっているから、今、日本国の危機があらわになっているのだ」という考え方が紹介されていたが、なんとなく納得だ。昨今、多くの日本人が大なり小なり、身近な暮らしにあるいは取り囲む社会に「生きにくさ」「異常さ」「避けられぬ不安」などを感じているだろう。そこには「波動」という仕組みがあるらしい。

*先月21日付の日記、あっちの世界をのぞく過程に“窓”の話をもちだしたのは、執筆時すでに読んでいた『私の遺言』三十頁の中川昌蔵氏の言葉の影響がある。

11月9日(月)

お昼近くまでネットサーフィン(前日日記参考)をやり続ける。どういう生活態度だ!という常識的見解は、今のわたしにはなく、逆に、「『眠る』以外にも、ほかの何かをやる気力があるんだぁ」ということに感激である。◆しか~し、永遠にネットサーフィンしてるわけにもいかん。「夕方には祖母の所でさぼれない用事があるのだった。その前に病院にも寄っておきたいし」と、突然、現実モードに切り替わり、ダッシュで金沢を発つ。

11月8日(日)

この日なにをしていたかの記憶がないということは、ずっと眠っていたのだろう。夜中からは、久しぶりにパソコンを開き、インターネット。「こういう覗き見というか、他人の痛みを知って自分を慰める」というのは如何なものか?とも思うのだが、年に何度かわたしは“仲間を探したい”衝動にかられ、検索で探り当てた見ず知らずの鬱病者のブログを開く。うー。狭い世界で思考や感情をこねまわし満足を得ようとしたり、また自己のダメ度をさらすことで安心を得ようとしたり、また不都合な物事や人を敵と位置づけ己の心の安置を図ろうとする、えとせとら。うー。嫌悪する内容だ。(←わたしの書いてる日記も、人さまから同様のまなざしを受けているのだろう)。「ああ、イヤだ」と思いつつ、次々とネットサーフィン。薬漬けになりながら、医師を信じ、通院を心の糧とする様子。鬱病家族同士の共依存の暮らし。自傷願望を止められない人。鬱患者ながらショッピングもお洒落もできる人がいる。不思議でならないが、朝、ちゃんと起きれる人もいるんだなー。鬱病で恋人ができる人もいるから、へぇー。鬱といっても、症状(弱っている部分)は色々だ。できること、できないこと、人によって、違う。だから、その暮らしぶりも色々。わたしは「通院しつつも、基本は自助努力でもって、鬱と向き合っている」そういう人のブログに励まされるし、一方で「もう一週間、顔も洗えない」なんてことを綴っている人には、共感の安堵を得る。(健常者には「顔を洗っていない。なんでわざわざ、こんなことを書く?」と訝しく映り、「甘えんなっ!、顔洗わずとも、飯は食ってるんだろ。怠け野郎!」と毒づかれるかもしれないが、「顔を洗えない」この一言にこめられた辛さがわたしにはわかるから・・・)。ともかく、全体的に読むのもしんどい内容が多いが、一度ハマると、ついつい止まらなくなる、鬱ブログのネットサーフィンなのだった。

11月7日

先週、金沢から親の家に戻った際、(ケイタイをもってきたのに)ケイタイ充電のコンセントを忘れ、(ノートパソコンをもってきたのに)パソコンのコンセントを忘れてきており、あー、ああああ、いたたたたなのだった。パソコンを休眠させるのは構わぬとして、こういうとき、病院などでの連絡用にと、ケイタイは必需である。充電用のコンセントを確保せねば。お財布の中身もちょっと補充しておきたい。そんなわけで、叔父の様態は落ち着いているようだし、夜の電車で金沢へ。バスを降りた香林坊は、年末のイルミネーションに飾られ、すっかり初冬の街であった。

11月6日(金)

この数年で、これまで縁のなかった病院が、相当身近な場所になった気がする。年齢を重ねれば、家族や友人知人が、あるいは自分自身が病院に世話になる機会が生じやすくなるだろうから、ま、自然な流れではあるのか。▼きのうは、T子さんに代わり、病室に泊まる。まったくの赤の他人なら平気なことでも、「身内」となるとムズカシイっ、ということがある。たとえば、おしっこ時。まだ安静の必要があり、し尿瓶を使っている叔父であるが、「はて、どこまで、手伝えばいいものか?」。まるきり手伝うとなると、こっちも恥ずかしいし、向こうも恥ずかしいだろう。・・・・結局は、わたしは瓶を手渡す係、叔父は自分でする人、となったのであった。これが30年後なら、お互いに何の恥ずかしさもない老を備えているのだろうなー。▼さざんかの花、昨シーズンは枝を切り過ぎたようで、今年は咲が少ない。それでも日中は蜜を求める小鳥が枝木にとまり、遊んでおります。

11月5日(木) 

叔父の発病の原因を「アルコール性」と、過日、主治医は見立てたそうだが、その説明に同席していたイトコのK(医者)が、各種状況から「それはおかしいのではないか・・・」と、仲間の専門医にも色々問い合わせた結果、やはり叔父の場合は「アルコールが原因ではなく(そもそもそんなに多量飲酒していないのだから)、肝脂肪による」ものだと結論づけたらしい。ま、万一の肝移植の際の優先順位が変わるくらいで、原因の違いが治療方法にあらわれるわけではないそうなので、そのことを主治医に申し立て、騒ぎ立てたりはしていないのだが。

いかに「セカンドオピニオンが大切か」、そして「医師も人間、一人ひとりの患者を視るよりも、経験という自信のなかで根付いた思い込み(言い方を変えれば偏見)に縛られることがある」と知る機会になった。

11月4日(水)

この度の叔父の緊急入院のことで、わかったことがある。「救急車を呼ぶのをためらうな」である。実はわたしは吐血した叔父のもとかけつけたとき(電話を受けて3分後には叔父のところにいた)、コトの重大さをわかっておらず、でも、ただただあせって、動揺し、色んなことにしどろもどろになったあげく、救急車を呼ぶのもためらっていた。「救急車なんて呼んじゃったら、近所中に何事だと思われてしまう」という世間体が働いたのである。(昔、救急車を呼んだ際、「近くになったらサイレンを止めて来て欲しい」と言った先祖がいたそうだが・・・・)。もう二度とこんな経験はしたくないけれど、大きな教訓ではある。◆過日、救急車が到着する前、「宿直に専門医がいるかどうか」を知るためにK病院にS叔母が電話をしたとき、応対に出たのは、遠縁の事務局長であったらしい。そして病院に着き、血液検査のところにも、遠戚の検査師が宿直していたとな。狭い世間とはいえ、この偶然。田舎を離れ、半世紀になる叔父であるが、一夜にして有名人になってしまった。しょげる材料はいくらでもあるのに、ベッドの上で明るくお喋りしている叔父の姿がなによりだ。

11月3日(火)

夢のなかで横尾忠則さんの絵と出会う。なぜ「横尾さんの絵と分かるのか?」。それは先日、21世紀美術館に客人を案内した際、『未完の横尾忠則―君のものは僕のもの、僕のものは僕のもの』をやっており、そのなかでひときわ我が心をとらえる絵があったからだ。夢のなかの絵が、そっくりそのまま実際に見た絵なのかと問われれば、首を縦に振るのはむずかしいが、わたしにはわかる。横尾さんのあの絵の力が、眠っているわたしのなかに飛んできた、あるいは、わたしのなかに息づいた印象が、夢のなかで横尾さんの絵を再生したのだと。もう一度、横尾さんの絵を見に美術館に行こうと思っていたのに、その思い自体をすっかり忘れていたなあ。なお、横尾忠則対話録『見えるものと観えないもの』(ちくま文庫)を読むと、ぐっと横尾さんの世界に近づける。わたしは横尾展のあと、この本を手にいれたのだが、「横尾展でのあれやこれやの謎」が本書によってぐわっと氷解するところが少なからず、ある。(ここでは字数を割いた感想を書かないが、本書がわたしのなかのヒット本であることは違いない)。

11月2日

昨日の午前に病院に行ったら、H叔父のなかに“生気が戻っている”印象を受けた。お喋りもしている。ほっ、と安心していいのだろうか? Hの息子(Mちゃん)が一昨日の晩に遠方よりかけつけて病院に泊まっていたので、お昼の差し入れを渡したら帰ろうと思っていたのだが、ちょうどタイミングよくHの娘(Mちゃん)がこれまた遠方よりやってきて、(ちなみに後者のMちゃんは前日まで所用のために北海道におり、昨夜東京に戻ったところで、この知らせを受けたらしい。ずいぶん疲れた様子)、結局、T子さんと従弟Mちゃんが用事を済ますため病院を離れるあいだ、従妹Mちゃんとわたしが付き添いすることに。午後は見舞い客が重なって、別室では親戚の集いのようになる。◆その晩は従妹Mちゃんが祖母宅で休むことになり、「でも一人では不安」ということで、わたしと母も一緒にお泊まり。やっと夜中の1時頃から、うつらうつらできたのか。しかしやがて、ものすごい悪寒に襲われる。暖房の温度をあげ、掛け布団をもう一枚出し、上着も着こんで、お布団にもぐり直す。それでも尋常じゃない悪寒が全身を襲う。「はて、インフルエンザにかかってしまったのか?」と思いつつ、一時間ほど耐えていたが、その後、少し眠ったらしい。目覚めたら、悪寒は見事、消えていた。同時に「熱があるな」と分かったのだけど、体温を測るのが面倒で、また他の人を起こしてはいけないと、お布団のなかでときにうつらうつら、静かにしている。だいぶのち、「それにしても何度の熱だろうな?」の興味から、検温。39度であった。「(こんなときに)面倒なことになったなぁ」「叔父に移していたら、どうしよう」心配の種がいくつか湧いたが、しかーし、その熱は朝には37度台まで下がり、午前中小さな用事をいくつか済ませたのち休んでいたら、午後には平熱となったのであった。不思議な熱であった。

11月1日

「2~3週間ほどの入院になるのかなぁ」と、わたしは当初、まったくの素人考えでいた。救急車で運ばれた晩、「これを機会に(Hは)勤めを辞めてしまえばいい」と叔母たち(SちゃんとSちゃん)が病院の廊下で話しているのを、「そんな、なー。男の仕事をなんだと思ってるんだ」とわたしは聞いていたのだが、今から思えば、わたしは、ずいぶんと楽観的な観測をしていたようだ。◆一昨日、お祖母ちゃんには、「Hさん(叔父)が体調悪くて、車を出せないから、T子さんがタクシーで迎えにこようか?って言っているけれど、お祖母ちゃん、もうひと晩、楽しみを先にして、明日、Hさんが元気になってから迎えにきてもらったら?」と話し、納得してもらっていた。そして、その晩の、緊急入院。昨日は病院から戻ったあと、「Hさん、ちょっと調子悪いみたいで、病院に行ったら、入院ってことになったの。これから検査とかするって。だから、残念だけど、お祖母ちゃん、今回の帰宅は我慢してね」とだけ話していた。そして、夕方の、Sちゃんからの電話だ。◆「Hさんがお祖母ちゃんに会いたがっているから」と(Sちゃんの作った話をそのまま)伝え、「もう迎えの車が出ているから、すぐに支度して」と祖母を促すと、祖母は何かを察したのか、これまでの体の重さはどこへやらというスピードで支度する。トイレを済ませ、ハンドバックを持ち、自分から「部屋で待っていると、その分、みんなに迷惑かかる」と、率先して階下へ。Kちゃんの運転で、Sちゃんが迎えに来て、母とお祖母ちゃん、そしてわたしで、日の暮れかかった道を、病院へ。◆結局、お祖母ちゃんは病院に来て良かったのだと思った。「どういうこと? どうしたの? どうなっちゃうの?」と、一人ヤキモキしているよりは、直接、息子の顔を見たほうが。「顔もふっくらしているし(←むくんでいた?)、唇の色もいい(←輸血中)」と、末っ子であり長男であるHの顔を見て、お祖母ちゃんは安心したようである。そして、お互い疲れるだろうからと、お祖母ちゃんは早々に病院を引き上げたのだった。

10月31日

昨夜はSちゃん家の二階に寝床を用意してもらったが、一睡もできず。(Sちゃんは救急車よりも先に病院に到着していたほど、家が近い)。明るくなるのを待ち、そわそわと町屋造りの家の中を歩いたり、外の空気を吸いに行ったり。◆朝ご飯をいただいたあと、病院へ。T子さんによると、未明、我々が病院を引き上げた後、医師からさらなる説明があったそうだが、「おどされちゃって」と、Sちゃんのお弁当を食べながら、T子さんは明るく話す。午前のうちに一緒の汽車で帰ろうか(一度帰って入院用の荷物をもってこなくては)と言っていたのだが、病室に戻ると、叔父、また吐血。朝方もあったというからこれで三度目か。わたし一人で、帰ることにする。◆午後、しばらく病院と家とを行ったり来たりの生活にT子さんはなるだろうからと、食料を調達し、T子さん家(お祖母ちゃん家=普段は無人)に寄ると、いとこのKちゃん夫妻がいる。なんか、顔が厳しい。「T子さん、荷物をとりにKちゃんの車で家に戻った早々、休日の主治医から呼び出しがかかった」と。◆夕方、わたしが実家にいると、もうひとりのSちゃんから電話。「・・・、意識のあるうちに、おばあちゃんに会わせたほうがいいんじゃないかって」。もうひとりのSちゃんも相当動揺しており、詳細はわからないが、なにか非常事態になっていることだけは伝わった。すーっと、体が寒くなる。

10月30日

夜の9時半ころ、本日帰省した叔父が吐血をしたとの連絡がはいる。午後、地元駅に到着したものの、気持ちがわるくなり、わずか徒歩5分の自宅までの道のりを歩けないと、タクシーをよび(無人駅、タクシーなどおらんので)、なんとか自宅にたどりつき、休んでいたらしいのだが……。こんなことになるなんて。◆かけつけると、2階のトイレにはどす黒い吐血のあとが。救急車の手配。はなれたところにいる親戚たちは、この短い時間のあいだで、連絡をとりあい、どの病院がよいか(ちゃんとした病院で、当直の専門医がいるところ)を調べ、「隣市のK病院がよかろう」とデンワをくれる。T子さん(叔父の奥さん)とわたしが付き添い、救急車で、K病院へ向かう。(救急車はこちらの行き先希望を汲んでくれるのだナ。初めて知った)。◆肝臓の機能が下がり、食道まわりにできた静脈が破裂したことによる出血らしい。内視鏡による止血の処置をしてもらったのは、すでに翌日となっていたのだったか。

10月29日

英国人女性の遺体を隠した疑いで指名手配されていた男性が逮捕された件につき、わたしは(もちろん被害者はかわいそうであるけれど)、犯罪をおかし、逃亡生活のなかで彼があじわってきただろうものに、憐れみを感じる。こんな発言をすると、非国民のレッテルを貼られてしまうかもしれないが、犯罪者の彼に「憎しみ」や、それに似た感情をわたしは抱けないのだ。(繰り返すが、わたしの場合は、被害者に対する感情と加害者に対する感情が「表と裏」とか「白に対しての黒、黒に対しての白」とはならないのだ。両者はまったくの別次元に存在する)。犯罪者である青年を責める気持ちがわたしの中には見つからず、ただ同情のような、憐れみのようなものを、また「(どんな人にも植わっている、この彼にももちろん植わっているだろう)生きている苦しみ」を、彼の存在をはるか遠くから想像するとき、感じるだけ。

(訂正 いや、「同情」や「憐れみ」なんてウソだ。わたしにあるのは「共感のようなものの痛み」だけなのかも)。

うー。ところで、彼の犯罪は彼個体の責任か?と考えれば、そうは思えないのだ。彼という個体が狂ったのは、彼と同じ社会で生きる、数えきれないほど多数の人々の「厭世感」「無気力」「苦から逃れるための快楽(結局は快楽ではないのだが)」「絶望感」などなど、目にはみえないエネルギーに引っ張られたからではないの? 言い方を変えれば、わたしやあなた、無数の人々のコントロールしきれない負の感情が、永遠の雨を降らす雲のように彼の頭上にはりついて、彼を狂わしたのでは? 彼は、「現代社会の生け贄」として成り立ったようにも見える。
背伸びせず、ゆるゆると日常生活などをつづります

はえともみ

Author:はえともみ
 
万の風になって、生きる。

ちちんぷいぷい~。
(HSPの自覚あり)
「うつと仲良く! ひきこもりだっていいじゃない」と
開き直って生きてたら
元気になってきました。

→ 近年は、老母の観察メモの
(&それに伴う自身の変化など)
色合いが濃くなっております。
・・・ま、長い人生の一コマですな。

徒然な日々も、留まることはない。
すべてがいとおしい。だから書く?

最新記事
過去ログ

2020年 06月 【5件】
2020年 05月 【62件】
2020年 04月 【66件】
2020年 03月 【56件】
2020年 02月 【28件】
2020年 01月 【90件】
2019年 12月 【66件】
2019年 11月 【68件】
2019年 10月 【74件】
2019年 09月 【50件】
2019年 08月 【95件】
2019年 07月 【59件】
2019年 06月 【100件】
2019年 05月 【76件】
2019年 04月 【67件】
2019年 03月 【74件】
2019年 02月 【55件】
2019年 01月 【70件】
2018年 12月 【57件】
2018年 11月 【73件】
2018年 10月 【63件】
2018年 09月 【76件】
2018年 08月 【54件】
2018年 07月 【65件】
2018年 06月 【72件】
2018年 05月 【86件】
2018年 04月 【104件】
2018年 03月 【112件】
2018年 02月 【88件】
2018年 01月 【89件】
2017年 12月 【91件】
2017年 11月 【89件】
2017年 10月 【94件】
2017年 09月 【88件】
2017年 08月 【80件】
2017年 07月 【77件】
2017年 06月 【97件】
2017年 05月 【120件】
2017年 04月 【83件】
2017年 03月 【102件】
2017年 02月 【87件】
2017年 01月 【77件】
2016年 12月 【100件】
2016年 11月 【91件】
2016年 10月 【70件】
2016年 09月 【73件】
2016年 08月 【86件】
2016年 07月 【70件】
2016年 06月 【63件】
2016年 05月 【70件】
2016年 04月 【74件】
2016年 03月 【64件】
2016年 02月 【44件】
2016年 01月 【57件】
2015年 12月 【64件】
2015年 11月 【68件】
2015年 10月 【74件】
2015年 09月 【71件】
2015年 08月 【66件】
2015年 07月 【71件】
2015年 06月 【65件】
2015年 05月 【74件】
2015年 04月 【68件】
2015年 03月 【56件】
2015年 02月 【63件】
2015年 01月 【56件】
2014年 12月 【52件】
2014年 11月 【50件】
2014年 10月 【41件】
2014年 09月 【40件】
2014年 08月 【38件】
2014年 07月 【36件】
2014年 06月 【32件】
2014年 05月 【32件】
2014年 04月 【31件】
2014年 03月 【40件】
2014年 02月 【35件】
2014年 01月 【27件】
2013年 12月 【48件】
2013年 11月 【79件】
2013年 10月 【57件】
2013年 09月 【28件】
2013年 08月 【28件】
2013年 07月 【33件】
2013年 06月 【46件】
2013年 05月 【25件】
2013年 04月 【26件】
2013年 03月 【59件】
2013年 02月 【85件】
2013年 01月 【73件】
2012年 12月 【34件】
2012年 11月 【59件】
2012年 10月 【50件】
2012年 09月 【43件】
2012年 08月 【22件】
2012年 07月 【23件】
2012年 06月 【21件】
2012年 05月 【17件】
2012年 04月 【27件】
2012年 03月 【4件】
2012年 02月 【10件】
2012年 01月 【11件】
2011年 12月 【14件】
2011年 11月 【10件】
2011年 10月 【34件】
2011年 09月 【2件】
2011年 08月 【4件】
2011年 07月 【2件】
2011年 02月 【2件】
2011年 01月 【1件】
2010年 11月 【50件】
2010年 10月 【16件】
2010年 09月 【38件】
2010年 08月 【40件】
2010年 07月 【30件】
2010年 05月 【22件】
2010年 04月 【20件】
2010年 03月 【12件】
2010年 02月 【45件】
2010年 01月 【16件】
2009年 12月 【31件】
2009年 11月 【15件】
2009年 10月 【14件】
2009年 09月 【45件】
2009年 08月 【28件】
2009年 07月 【37件】
2009年 06月 【27件】
2009年 05月 【29件】
2009年 04月 【38件】
2009年 03月 【33件】
2009年 02月 【42件】
2009年 01月 【39件】
2008年 12月 【37件】
2008年 11月 【35件】
2008年 10月 【41件】
2008年 09月 【35件】
2008年 08月 【32件】
2008年 07月 【33件】
2008年 06月 【29件】
2008年 05月 【25件】
2008年 04月 【30件】
2008年 03月 【31件】
2008年 02月 【28件】
2008年 01月 【32件】
2007年 12月 【33件】
2007年 11月 【38件】
2007年 10月 【33件】
2007年 09月 【46件】
2007年 08月 【36件】
2007年 07月 【47件】
2007年 06月 【33件】
2007年 05月 【57件】
2007年 04月 【52件】
2007年 03月 【49件】
2007年 02月 【69件】
2007年 01月 【8件】

リンク