ともみ@ピクニック

10月27日

ルクソールの本屋にて田中真知さんが見つけ、邦訳出版された『転生 古代エジプトから蘇った女考古学者』をちょっとずつ読んでいる。原作は世界各地でロングセラーとなっているらしい。わたしはエジプトだとか考古学というものにとんと疎く、特別の興味もないけれど、この本の取材力、邦訳のうまさに、そしてなんといっても主人公オンム・セティの鳥肌立つような人生にひきこまれる。

本書のテーマからはおおきくずれるのだけれど、「おやおや」と心にとまった文章を、下記に転記しておこう。

いかなる異常も、本人にとって有益ならば正常と見なすことができる。(中略)。もし、感覚過敏や強迫観念や精神異常などが、そのほかの気質と結びつくことができるならば、われわれは社会においてよりいっそう役立つ存在になりうる。そうした観点から見れば、異常があるからといって不健康と呼ぶべきではない。むしろ、その逆である。〔改行〕問題は(中略)異常に対する個人的な嫌悪感に客観的な権威を与えようとして、たんなる方便として症状に説明的な名前をつけて使っていることにある。医学用語が、人を裁くための、ただの権威ある物差しになっているのだ……。〔改行〕たとえ自分が感覚過敏だったり、激しい衝動や強迫観念をもっていたとしても歓迎すべきである。(中略)。健康という概念を狭めるのでなく、逆に拡大し、どんな弱点も致命的ではないと見るべきである。要するに、人生を恐れるべきではないのである。 ――『転生 古代エジプトから蘇った女考古学者』(ジョナサン・コット 著、田中真知 訳)228~229頁 エピローグのなかで紹介されている、ウィリアム・ジェイムズの講義より

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10月26日

先日までが「ぷかぷか」としたウツとするならば、今は「ずどーん」としたウツのなか。まったくとほほ。話は変わるけれど、山から持ち帰ってしまった愚痴愚痴した思いを、わたしはどこかに吐き出したいのだろう。先週初めの夜中、もぞもぞと古い友人に電話をかけ、(はっきりした用事もなく、自分から誰かに電話をかけるなんて、年に片手で数えるまでもない。よほど危ない状態だったのだ)、ただ一方的に断片的に愚痴ってしまった。そして、じきに虚しさがやってきて、電話を終える。(やっと仕事が終わった時間帯に、こんな電話を受けて、相手も甚だ迷惑であったろう。すまん)。先週末、わたしがKさんと会ってみようと思ったのは、少しでも自分のなかの愚痴を解決したい!との意図があったからでもある。しかし、それもうまくは行かなかった。愚痴を持ち出しかけた辺りで、わたしはすぐにその挫折を知った。はー。おのれの体験からくる“ことごと(愚痴など)”は、おのれのなかで咀嚼してゆくしかないのである。(できれば、そのものずばりを表に出すことなく、日々の生活のうち、しずかに、無意識に消化する方法が望ましい)。これまで「ウツだ、ウツだ」とつぶやきながらもweb日記を続けていた頃の自分が「ウツひよこ組」に思えるほど、この度の不調の波は厄介だ。

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10月25日

心のなかで悪態つきながら、ときどき声にも出して「ふんっ」とか「あー、もうイヤっ」とか言いながら、一日中臥せっていた。憂鬱感も募るばかり。「先日来、出口が見えなかったとはいえ、もしかしたら快方に向かっていたかもしれない」自分が、まったく体を起こせないほどの疲労感に包まれてしまった原因を、重量級の憂鬱に襲われてしまった原因を、わたしは他人様になすりつけようとしているのである。誠実で律儀で、なんでこんなにわたしに親切にしてくれるのかわからないほど親切な態度をとってくれるKさんに対し、申し訳ないのだが、わたしはこの不調を「無理してKさんと会ったからだ」と言い訳しようとしている。ふーっ。たしかに「Kさんと会った」のが原因ではあろうが、それは「Kさんが悪いの」では微塵もなく、ほかの誰と会っても、わたしは同じような道を辿っているだろう。


おまけ――。一昨日は、「せっかく遠方より会いに来てくれた方と一次会でさよならするのは失礼だ」という、これまでの人生で身についた「がんじがらめ」のとらわれから、ウツの急ピッチな上り坂にいるおのれを自覚しつつも、客人を散歩やバーに誘ってしまった。まともな応対もできんホストと一緒にいても客人は楽しめないだろうし、当然のごとく、ホストであるおのれはますます疲れ、苛立ち、発狂しそうになる一方だというのに。相手を慮る気持ちなど、ホントウはゼロなんだ。「もてなさねばならぬ」と、意味なき意思にわたしの言動はのっとられ、心のなかでは時間をやり過ごすことばかり考えていたのだ。
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 つまりは「自己満足」を演出しようとするあまり、わたしは、まわりに負のエネルギーをふりまき、自分の首をしめているのだ。今回の出来事に限らず、思えばわたしの人生はこうーゆーこと、多々あるなぁ。
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 こうやって過ぎたことを振り返り、当時の自分をほじくり返そうとするのは、病的な癖以外のなにものでもない。(これを書いているのは11月30日。日記の日付からひと月以上も経っている)。



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10月24日

しのびよるウツの波。「しのびよる?」いや「すでにしのびよった(完了系)」ウツの波。◆思えば、Kさんには毎度毎度、迷惑をかけております。昨日も、「あっ、着いちゃったわ」と、事前の電話でした約束よりもうんと早い時間に会いに行ってしまったり、今朝も自分勝手な朝の待ち合わせ(書くのがメンドウなので詳細は略)。ま、無事に会えたからよかったけれど。◆遅い朝食を一緒にとったのち、美術館や兼六園へ。昼をだいぶまわってから、市場で安い麺を食べ(はるばる海なし県から来られたのだから、お寿司でも食べればいいものを、わたしは自分に食欲がないという理由から、立ち食いに毛の生えたような麺屋を選んでしまった)、今しがた「市場を見るの好きなんです」とKさんから聞いたばかりの言葉を忘れたかのように、市場に来ていながら市場を案内することもせず、そそくさと市場の外にでる。◆あずけてあったKさんの車を取りに行ったあと、「じゃ、さいごにお茶を」というKさんに、わたしはとんでもないことを言ってしまった。「卯辰山に行きましょう」。◆わたしは当地に3年以上も住民票をおきながら、この山の場所を知らんのである。おまけに「早く家に帰って休みたい」と切に願いながら、「卯辰山に行きましょう」である。我ながら、頭おかし過ぎる。地図も、カーナビもないなか、一発で卯辰山にたどりついたのは奇跡であった。そしてそのあと、またわたしは口走ってしまった。「海を見ましょう」。◆Kさんはこれからまた何時間も運転をして自宅に帰らなければならないのである。そろそろ金沢を発ったほうがよかろう。そしてわたしは「倒れそう」なほど、しんどい。人と一緒にいるのはそろそろ限界。今すぐ、誰もいない空間で横になりたい。なのになのに、口走ってしまったのだ。自分から「海を見ましょう」と。ウツの波が高いなか、人様と接すると、つじつまの合わない自分があらわになる傾向がわたしにはある。◆結局、「なんとな~く、海はあっちかなぁ?」のわたしの一言で迷子になった挙句、Kさんは怒ることもなく、埋め立ての小さな湾まで車を走らせてくれた。◆この日は終日、わたしは自身の心身の調子の悪さにあっぷあっぷしていたが、そんなわたしと時間をともにして(わたしは表情がなく、うわっつらな言葉しか発せない、会話がちぐはぐ)、Kさんはちっとも観光を楽しめなかったと思うのであるが、終始おだやかで、その優しさがうっとおしかった。

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10月23日

気力というものはスゴイ。「誰かが遊びにくる」それだけで、ほとんど寝たきりだった日常に、パリっとした空気が入る。◆午前早めに起きて、いくつか用事を済ませ、「ほんとうはウチでご飯を食べてもらえたらいいのだけれど、とても人様を通せる部屋ではない」と、今宵の宴用に、犀川沿いの居酒屋へ予約に行く。◆午後3時過ぎ、Kさんから金沢のホテルに到着したとの連絡が入り、ママチャリで会いに行く。まだ日が高かったので、ぶらぶら散歩をすることに。せせらぎ通りの喫茶店で休憩したあたりまでは良かったのだけれど、徐々にウツの波がおもてに出てくる。はるばる遠方より来て下さったKさん、ごめんなさい。居酒屋では体調ますますあやしくなり、あまりお喋りできませんでした。その後は、くるくると夜の散歩に付き合ってもらった(兼六園のまわりを一周しただけでは足が止まらず、まだあちこちと歩いた)のち、バーに軽く寄り、Kさんの宿泊先の前で、お開きに。◆わたしはママチャリでわざと遠回りをして家路についた。

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10月22日

何日ぶりだろう、外の空気を吸うのは。特別に行くところもないので、ドーナツビルのなかのミスドでお茶をしていたら、事前のお知らせどおり、関西のKさんから電話が。「あした、金沢に行きましょうか」とのこと。あまりにも突然ではあるけれど、わざわざ出向いて下さるKさんの好意は大切にせねばと、OKの返事をする。◆山から下りたあと、Kさんからはメールやデンワをいく度かもらっていた。ねぎらいの言葉をかけ、わたしの体調の心配を(Kさんも下山後、体がむくんだり、倦怠感が抜けなかったらしい)してくれるKさんに対し、わたしはメールの返信もできなければ、デンワにも出られない、ずっとそんな状態であった。やっとこぎつけた、再会の約束である。◆人と会うことで、わたしも気持ちの突破口を見つけれたらいいのだけれど。

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10月21日

めずらしく本を最後まで読み終えた。(本を読むことで束の間、だるさが崩れ、しんどさや圧迫感も弱められる。ま、鬱がさらに重症化すると活字に目をやることすらできなくなるのだから、今はいく分も救いある状態なのだろう)。タイトルは『「臨死体験」を超える死後体験』。著者は坂本政道さん。米国モンロー研究所のヘミシンク技術を使った、「この世」を超える体験記である。

なかなか理解してもらえないだろうけれど、しかもこれはわたしの直感にすぎず理論的な説明をできないのだけれど、あまたの伝統宗教も、いまどきスピリチュアルの枠で語られる世界も、どれもこれも一緒のところに通じているんだ。大きななにかに繋がっているんだ。それがわたしの持論である。坂本さんの体験した「臨死を超える世界」も同様の位置づけをしたい。科学的な証明ができないとの理由と、近代より継がれたすりこみから、(またインチキも多いから)、三次元を超えた世界を本気で信じることをタブーとする空気が、たしかに、今、日本にはあるけれど、わたしは三次元を超えた世界を否定しない。たとえば各々の宗教は「大きななにか」を覗いている窓の大きさやその角度、覗いている人の背丈や覗く時間の長さが違うから、まったく違うように映るだけで、さらには、それを伝えゆく人々の捉え方によって、宗教は個別の特色を作ってきたのだろう。スピリチュアルの世界も、しかり。坂本さんの語る死後体験をすべて鵜呑みにする必要はないと思うが、同時に、大きななにかに繋がる体験をたしかに坂本さんはなされた、それを伝える本であることをわたしは疑っていない。

ところで、わたしが「この世」を超えた世界に興味をもったきっかけのひとつは、自分のウツに手をあましたからだ。子供のころからわたしはウツ体質で、大人になり、立派にその花は開いた。しかし鬱病という言葉が流行る近年まで、わたしはこの自分の症状に世俗的な名前(=鬱)をつけることができなかった。ひたすら生来的な性質だと思い込むしかなく、しかしそれだけでは疲れ果てるので、ごくたまに、「一族が幸せな分、わたしに集中して負の何かが注がれているのではないだろうか」と真剣に思ったことも。昨今、「ウツは心の風邪」という標語のような言い回しをあらため、「ウツは脳の伝達物質の障害」という認知が広くされているけれど、はたして、「伝達物質の障害」それだけだろうか?と、わたしは自身を省みて思う。(以下、めんどうなので中略)。何処から自身のウツ、ウツ気質が来ているのか? 「これは今生よりも前からの問題ではないの?」という考えが、わたしのなかにある。

坂本さんの本と並行して読んでいた『転生 古代エジプトから蘇った女考古学者』(ジョナサン・コット 著、田中真知 訳)という本の212頁には、ダライ・ラマの言葉として、次の一節が紹介されている。

基本的に、私たちは、子供の意識が、肉体のように両親に由来しているとは考えていません。心には形がなく、それはたんなる光と知です。このため、物事はその物質的な原因に従って起きることはありません。過去の意識のありかただけが、心のはたらきを左右する第一の要因として機能するのです。この場合、それは前世の意識を意味しています。

これを読んだとき、あー、わたしの説を後押しする考えだ、と心強かった。(心身の調子の悪さを前世に結び付けて「逃げたい」のではない。えっ、自分で気づかない部分では逃げているの?)。さらに一歩進んで思う。「前世が今生に繋がっているのなら、同様に、今生の意識のありかたが、来世の自分を作るのだ。ならば、わたしはこんな自分(=すぐ鬱状態に転がるクセをもった)のまま今生を終えるわけにはいかない。この世で生きているあいだに、必ずや何かをこえたい。それは、力んで手に入れるのではなく、力を抜いて何かを手放す・・・ことなんだろう」。

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10月20日

山から下りてから、ほとんどの時間を眠って過ごしている。眠っているあいだだけが、安らぎなのである。覚醒したとたん、言葉にならない暗い意識に包まれてしまう。覚醒がストレスの再始動で、入眠がストレスの一時停止という感じ。「夢のなかでまたストレスを体験」していることもあるけれど、それでもわたしにとって睡眠は、アヘンのような魅力なのである。

どうしちゃったのだろう?と、今の自分をおもわないわけではない。俗にいう「燃え尽き症候」のようなもの(労働は3年ぶりで、そもそも集団生活なんて生まれて初めての体験)、そして予定していたよりも「たった2日」早く山を降りたことの未消化感などなどなどがあるのだろう。

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10月19日

何を甘えているんだ!な発言をするが、山からの帰途、とにかく思ったのが「養生したい」だ。遊びたいでも、おいしいものを食べたいでも、ほかの何でもなく、「養生したい」ということだった。しか~しだな~、「だるくてだるくて、毎日、横になっている、それが精いっぱい」という日が続いていながらも、ときどき頭のネジが活動するようで、なんと、「あー、働きたいなぁ」と考えてる自分がいるのだ。まったく驚き。・・・・・。いやいや待てよ。人間、ときに「絶対」のようにも思ってしまう<自分>なんて、いかようにも環境に左右されるのだから、顔を洗うのもしんどい、生きているのを思い出すのもしんどい、そんな日々のなか、うつの垣の向こうに労働を夢想するのは、なんら不思議なことでないのかも。自分で自分をコントロールできないから、何かに引っ張ってもらいたいのだ。

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10月18日

逃げるような気持ちで、ダッシュ、金沢へ。(日曜だ。来客と顔を合わる苦痛を想うと、這ってでもアパートに行ったほうがまし)。まあ、この日は、ローカル駅にて、線路脇、何かの目印石の赤いペンキが鮮やかだったこと、金沢に着いてからは、玉川公園の樹木が「3本ならんで、赤・黄・鶯色」と紅葉していたことに目を奪われた記憶があるので、まともなポケットがすこしは心の中にあったのだと思う。

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10月17日

ただ横になるだけの一日。横になり「生きている」というだけで、ものすごい疲れにおそわれる。そして押しつぶされそうなほどのココロの圧迫感。

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10月16日

あれほど望んだ「自由な時間」なのに、それを手にいれたとたんのウツ症状。(下界に戻ってすぐの数日は“環境の変化による高揚感”に包まれて、薄い煙のように自己をとりまくウツが見えなかったのかも。今は、全身を包む濃厚なウツが、いやでも自覚させられる)。山から下りて余りにのんびりだらだら生活が長引くと、こ~なっちゃうかもっ、と心配していた症状に、早くもおかされている。

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10月15日

山から下りてから疲労感はあったものの、それは単なる疲れだろうと思っていた。けれど昨日の午後から、「やばいタイプの疲労だ」とはっきり自覚。ふーっ。本日は母に頼まれていた用事があり、夕方、ギリギリの時間までコタツで横になり、その後、用事を済ませたら、もー、アウト。(ちなみに、用事とは、田んぼの向こうの安い宅急便扱い所まで、サツマイモの入った重~い荷物を運ぶことと、その後、畑から家まで収穫したてのサツマイモの入った重~いカーゴを運ぶこと、どちらも自転車で、である)。ここから、先の見えない鬱状態にどっぷり突入したのであった。

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10月14日

ふわふわふわ。人間、「意識が、そのヒトの世界を作る」と、よく聞くけれど、おとといまでの軍隊のよう生活(←百年分のホラを吹くほど大げさに書いてます!)から一転、好きなだけ寝て、好きなだけ横になって、好きなだけぼおっとしていられる、ということが、禁断の玉手箱を開けたかのような、ふわふわ感をもたらす。と、いうか、これが現実なのか(あちら=山の世界がまぼろしなのか)、いやいや、こちらが夢なのか(おとといまでの生活が身にしみこんでいて)、いったいぜんたい、おのれの意識の置き場所を何処に定めていいのか、わからない。ともかく、バクハツ寸前の薄皮に包まれた人間関係に「もう戻らなくていいんだ」という思いが、わたしを安堵の穴に導くのである。

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10月13日

きのうは、わたしの突然の帰宅に、母が飛び跳ねんばかりの喜びようだった。

(山から下りたことを内緒にして、じかに金沢へ行こうかしらと直前まで迷い
 帰宅の連絡を母にしていなかったのだ)。

「畑仕事で疲れたから、夕飯は抜きにしようと思ってたの」という母と
(ほんとうはそれだけじゃなく、一人だと食べる気がしないのだろう)
途中駅で買ってきた鱒寿司を分けあい、あとは簡単なおかずと、味噌汁で
夕餉を済ませたきのう。

本日午後はイチゴの移植の手伝い。わたしは
「ひたすらイチゴの苗を掘りおこし、運ぶ」役で、
母は「それを植える」ヒト。

道をとおっていく人が口々にイチゴ苗の成長ぶりをほめてゆく。
わたしも「こりゃ、父が作っていたときよりも、立派なのでは?」と思うほど。
たしかに、大きく逞しい苗なのだ。

山へアルバイトに行くと告げたとき
「半年間も見捨てられる・・・・」と嘆いた母であるが、
この数ケ月、彼女は彼女で、彼女の時間を生きてきた。

 

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