ともみ@ピクニック

10月12日

ちょっと急であるが、本日をもって、山とサヨナラすることになった。
(夕べ、決まったのである)。

正直、実感がない。
あれだけ指を折って「アルバイト終了」を待っていた日々が
突然遠いところに行ってしまったような。

午前中はいつもどおり掃除などをして
昼ごはんのあと、すぐに山の車にのって下界へ。

ああ、深呼吸。

解放感ある放心だ。

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20091028001513.jpg  里の秋がまぶしい。

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10月11日

なんなのだ、の賑わいの山である。
ひたひたと冬季小屋じまいの足音を聞きながらも、ほぼ満室のこの連休。

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晴れ日を利用せねば!の心意気なのだろう、男性陣はおやつも食べずに、朝からずっと小屋の雪囲い。平地で木々の雪囲いをするような、板きれやむしろや縄を使っての…ではない。どーんと、大型のシャベルカー(というの?)を下界から借りてきて、それに人やドでかいパネルを乗せて、うぃぃぃ~っと持ち上げて作業する…規模のものである。午後少し待機時間ができたので、外の仕事を見学させてもらう。普段、テレビ見放題、昼寝し放題の、居候おっさんたちも総動員、総勢5~6名の仕事。ドでかいパネルでひたすら小屋を囲っていく作戦らしい。この日は、小屋全体の数分の一、仕上がった。

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このところのあわただしい環境の変化で、(台風のおかげ!でのんびりする日があったかと思えば、雪が降り、一気に気持ちが冬にシフト、そして連休の忙しさ、助っ人さんが来て普段とは違う気遣いもする)、「おやおや気がつけば山での生活もあと少しだわい」と、じんわりする暇がない。時間のなかに<自分>を預けたような日であるぞ。

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10月10日

夕べ9時過ぎ、玄関前の温度計を見たら、マイナス4℃。
今朝6時前に見たら、マイナス6℃だった。
ほんとうに冬が始まっているのだなぁ。
(玄関前は外といえど、「まったくの外」よりも数℃暖かい)。

人間関係の苦しみはあっても、それは悩みではない。
(「悩み」といえるほど高度化されておらず、もっと原始的なココロの痛み)。

・・・・・・と、ここまでを、10日の夜、ケイタイ画面に向かって書いていたようだ。(10日の22時56分付けで保存されていた。この保存のあと、すぐに眠ってしまったらしい)。たぶん「続き」を書くつもりでいたと思うのだけれど、日にちが少し経っちゃったし、リアル感を残すため、このままUP。

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10月9日

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雨がざぁざぁ降っている日も進んで足を前に出せる、そーゆー人生の軽快さをもちたい。すべての世界はおのれの心が映し出しているのだから、雨の日の憂うつさや、曇り日のぐったり感なんて、囲う必要はない。そして何より、しばしば晴れた日にこそ積もる厭世感を卒業したい。▼もちろん上記は天気をたとえにした話だ。わたしはわたしの人生のどこに不満があるのだろう?と考えると、「何もない」と答えるしかない。何もかも恵まれていると思う(←他人との比較ではなく、ひたすら自分基準)。けれど、わたしは、先日の新聞の人生相談のヒトのように、何年もしくは何十年と、「楽しい」「嬉しい」という感情が距離を掴めないほど遠くにあって、そして近くに寄せてしまうのは「人生の煩わしさ」ばかり。たぶん、ハッピー感情を上手に手繰り寄せる人たちからすると、わたしなど「大きなことから小さなことまでことごとくを煩わしい」とする病人だろう。▼なぜに今、こんな日記を書いているのかといえば、もうじきやってくる下界生活の自由が怖いのだろう。ここにいれば、起きて「労働」し、ご飯を食べ、お風呂をもらい、寝て、また起きて「労働」の繰り返し。その間、ニンゲン関係の難しさはあるけれど、進む方向は一直線に見えている。悩みといえば、健康上のことを除き、自身の心の在り方くらいだ。▼下界に帰れば、母や祖母のこと、家のこと色々、親戚などの付き合いetcと、正直、考えただけで気持ちが重くなる。またこれまでの経験上、自由な時間を手にすればするほど、鬱の傾向が深まる、おのれのやっかいさ。▼感情を追いかけなければ、それはないに等しい。と頭では思っても、どうもわたしは感情を手離すのが下手くそ。▼「下界で〈山の生活〉に憧れ」て→「山に入り〈自由〉を切望」し→「早く早くここでの仕事を終えたいよぉ」と(切実に)思い→「早く早く終えたいけれど、下界に戻ったおのれが心配」と、今はなっているわけだ。まったく、隣の芝生は青いどころじゃない。引っ越ししても引っ越ししても、隣の芝生に目がゆくのである。▼「どんなニンゲンにも長所はある」と昔からよくいわれていることをぼんやりと知っただけで、この数ケ月、わたしは精神的な歩みを足踏みしている。〈ゆるし〉も〈おおらかに気持ちを構える〉ことも、まるで覚えていない。

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10月8日

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台風は拍子抜けするほど、山で大暴れすることなく、通り抜けていった。▼テレビのニュースを見ている限り、下界の雨風のほうがよほど凄い。▼それにしても寒いぞ。腰の芯からじわじわくる寒さ。ま、ここではすべての窓ががっちり二重窓、気象環境を考えた建築だ。ストーブを数台、朝から晩までがんがん焚いているし、一般的な冬の寒さとは、どこか違う。▼あまりの寒さに、ズボンの下にスパッツ(腿ひき代わり)をはく。それでも、じわじわ、気付くとじんじんの、腰(お尻の肉の上部からウエストにかけた部分)の寒さ。寒過ぎて、痛いほどだぞっ。▼午後、初雪が降った。べちゃ雪である。この寒さは「底冷え」というやつか。ほんものの底冷え。わたしのお尻は気象予報ができるらしい。▼あすの朝、どれくらい雪が積もっているか、楽しみだ。

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10月7日

10月としては最大規模か?の台風らしい。きょう、あすは、宿泊客のキャンセルも続出。(山に詳しいヒトによれば、台風の去った直後の空なんてサイコ~なんだけどなぁ、と)。早めに夕飯を済ませ、いつもより30分以上早い消灯となった、台風18号接近中の夜である。

本日の読売新聞の人生相談コーナーに、なにをしても楽しくない。厭世感が募るばかり。こんなことではいけないわ。生きたくても生きられないヒトがいるのに。なんと私は贅沢なのでしょ。もっと前向きに人生を過ごしたいと切に思うが、どうにもこうにも気持ちが立たない。■というような内容の相談が寄せられていた。(と、これを書いたあと、新聞を確認したら、「私の心の底には、日々の生活がとても煩わしいという気持ちがあります」から始まる、上記とは幾分もの選ぶ言葉の違う相談文であった。ま、しかし選ぶ言葉は違えども、わたしはこの相談者の気持ちがまるで自分の内面から出たようにわかるし、わたしはわたしで相談者の言葉を置き換え、ここに書いた)。ちなみに相談者は40才代の女性である。■これに対し、回答者の野村さんというヒトは「大きな自然界の中での自分を自覚すること」を勧めていた。うーん、それが出来れば最初から苦悩は生まれない。自然界の中の自己を見失なったから、現代人の苦悩が始まったのだし。■まあ、野村さんはさすが精神科医。「しょせん小さな人間のやること、必死でもいい加減でも大差ない」「『生かされているから大事に生きるべし』という正論に対し、『単に生かされているだけなら、適当にやらせてよ』と言っても罰は当たらないのでは?」と、こーゆータイプ(相談者)の価値観に揺さぶりをかけている。そして野村さんは「そう考えることで根底の疲れを少し和らげられたらと思います」と最後を締めくくっている。

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10月6日

先日の日記に、自身の性質をいくつか挙げたけれど、「根性が暗い」というのを書き忘れていたなぁ。根っからの質が明るくないっ、はい、そーなのです。この事実を悲観するでなく、酔うでなく、根性の暗さを大事に受け止めてゆきたい。大事に扱ってゆきたい。それが、こんな性質に生まれたわたしのひとつの仕事であろう。


ところで。■いよいよワタクシの歯も“知覚過敏”というやつか? 知覚過敏というこの響き、「歯を綺麗にし過ぎました~」というニュアンスがあり、歯槽ノーローと違ってカッコイイ。と、前月半ばから思っていた。■相変わらず奥歯の歯槽ノーローが悪化したり軽くなったりの日々のなか、なんかね、前歯が温度や触感にみょうに敏感になったの…。歯茎も痩せたような…。■心辺り、その1。がぁぁぁっと歯磨きを乱暴にしているので、歯が削れた。心辺り、その2。ここのお水は硬いので、やっぱり歯が削れた。ふふ~ん、知覚過敏だもんねぇ~。■しかし、先日、ご飯を食べている最中に気付いたのだ。やたらと、わたしは前歯で噛んでおるのではないかっ。これまでこんなにも前歯は活躍していなかったぞっ。■右も左も奥歯は歯槽ノーローのため噛みにくいので、自然と前歯に負担がかかっていたのだ。毎日物凄い勢いで食事をしているから、前歯の負担に気付く暇がなかったらしい。■果たして、これは知覚過敏? いや、違うかも。前歯(正確にいえば「下の」前歯)の歯茎の痩せ細り感といい……。■いよいよ、わたしの前歯も歯槽ノーローの症状が出始めたのか? あー。

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10月5日

うーん。ヒトの噂話を書いちゃおぅかなぁ。書いちゃうぞ。いや、これは本人から聞いた話だから「噂」じゃないよなぁ。お喋りの内容をブログ日記に書いちゃうなんて、噂をするよりヒドいぞぉ。■「『10年前に出会っていたら、一目惚れしちゃったわぁぁ~』、って○番テーブルのお客さんに言われちゃったぁぁぁ」と、今朝、喫茶の洗いものをしているわたしに嬉しそうに報告してくれるX君。はい、はい。彼は(聞くところによると)近くの施設でも“イケメン”(←死語か?しかし当地ではこれが標準語)と評判なんだってね。ちなみに、○番テーブルはアラフォー世代の女性三人連れ。■先日は掃除の合間、「夕べ、△△△ちゃんとラブラブの夢を見ちゃったぁぁ」と、楽しそうに教えてくれるX君。(えっ、ラブラブって、どの程度の? △△△ちゃんを知っているだけに、しかも、普段X君は△△△ちゃんに冷たくされている…本人が気づいているかは不明…様子を見ているだけに、わたしはとっさに返す言葉がなかった。■X君、俳優の保坂尚輝(←漢字いい加減)に似た顔立ち。今時の、かっこいいといえばかっこいい顔立ちなのだろう。■知り合いの小学生女児が夏休みに当地に滞在したとき、「○○ちゃん(女児)の恋愛相手にはXはならんだろう(一回り歳が違うから)、わはははは~」と誰かが言って、皆で笑いとばしたその日、わたしが一人でいるとき、「僕、小学5年生に告白されたことあるんだぁぁ」と、X君はぽつりながらも嬉しそうに話しにきた。「ふ~ん」と、つれなく返事をするわたしに、X君は「2~3年前のことなのぉぉ」と反応の追い討ちをかける。しかし、わたしは「最近の小学生はスゴいらしいからねぇ」と距離を置いた、温度の低い返事を。■X君、いつもいつも、たいへん素っ気なくして、ゴメンナサイ。人生の中でトップに準ずるのでは?というくらい、冷たく、素っ気ない態度を、わたしは長期に渡りX君にとっている。彼はずいぶん傷ついていることでしょう。いやいや、あの様子では、案じる100分の1も彼は感じていないのか。■現代若者社会では生き難いだろう、今どき珍しい内面&態度の純朴さをもったX君、わたしを姉的存在として慕ってくれているのだろう。■今の世の中で彼のような純朴なヒトと出会うのは、希少な体験だ。しかし、気持ちに余裕のないわたしは、ただただX君のお喋りにストレスの感情を重ねてしまう。■正直、彼のマイペースぶりを向けられると、イライラするばかりだった。が、やっと「それはわたし自身のモンダイでもある」と、自身の欠点を思い出しつつもある。■これまでは「親しく接するとますます甘えられてしまう」と警戒心を抱いていたが、もはや彼の態度にも幾分の変化が見られるのだから(わたしの冷たい態度にようやく気づいてくれたようで、大分前より「甘え」口調が激減)、わたしはふつ~に付き合えばいい。と頭では分かっても、一度張ったストレスの膜はなかなか剥がれないのであった。■X君はこの数ケ月でとても成長したと思う。「若い」ってイイなぁではなくて、「素直」って大きな力だなぁ。

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10月4日

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一般論である。■労働と賃金は、本来、対等であるべき。けれど現実は、雇われる側があきらかに雇う側の顔色を伺っているケースが多い。労働と賃金は対等という建前、これ、いかに? お金(賃金)は、それほどまでに強いのか? いやいや、少なくとも日本人の場合、お金云々とは別の次元で、「雇用する」という立場の優位性が前提にあるのだろう。雇用とは、それだけで権力なのである。■「大きい声で云った者勝ちだよのぉ、世の中…。しょぼしょぼ…」、そーゆー発想すること自体が、いじけと言おうか、世を拗ねているのである。「ならばワレはもっと大きな声で言っちゃるわい」と、節度をわきまえた、品ある言動のもと、強いココロで人生を歩むのが、よろしかろう。

毎日、指を折り、ここでの生活が終わるのを待っている。あー。春の終わり、夏、秋と、大きく三つの季節を過ごしたわけだけど、繰り返し見えてきたのは、自分の性質。→基本が怠け者。ひとりが大好き。おべっかいが大嫌い(でもしてしまうこともある)。性格がさっぱりしていない。喰いしんぼう。接客は好き。疲れていると、ヒトに優しくできない(自分を守るという幻の殻に一所懸命になってしまう)。ぼぉおっとする時間大好き(ないと辛い)。などなど。

たいへん明るいお月さん。どんどこ歩き続けたくなる衝動を押さえ、片道一分ほどの夜の散歩をする。

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10月3日

そろそろ仲秋の月らしいよ…と聞き、夜、空を仰ぎに外へ出る。うわぁ、まるいお月さんに、整ったウロコ雲ががかってる。(整ったというのも変なんだけど、一面、見事なまでに揃ったウロコ模様)。そして上空は風が強いのか、まるでお月さんが流れているかに見える雲の動き。夏の夜はたしかJ山の上にあった金星が、今ではすっかりT山方向に姿を移し、しずかに佇んでいる。

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10月2日

台風が近づいているの? びゅぅぅぅっの暴風雨。これはこれで、なんとなく嬉しい。■夏が終わったら山は静かになるのかと思ったら、そうにはあらず。客層の変化もあり、秋は秋で賑やかに(つまりは忙しい)。■憂いる暇がない――というのは有り難くもあるのだろう。 過日よりそう思う瞬間が度々ある。たぶん下山後の身の在り方を、ココロの何処かが心配しているのだ。

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10月1日

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午後、紅葉ドライブの時間をもらう。「例年よりも早い」と聞いてはいたが、う~ん、いまいちの紅葉具合であった。もう終わりかけ~というのもあるが、山全体の色づきが今年はもともと弱かったのだろう。ともかく、外に出るのは久々で、車の窓から入る秋風が爽やか、青い空が気持ちを和ませた。

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9月30日

やっと9月が終わる。(と書いてみたが、「やっと」なのか「もう」なのか、時間感覚が麻痺して、実のところ分からないのダ)。■長期的にも短期的にも、このアルバイトを終えた先の計画はまっ白。■なにかぐぐっと精神のご馳走になる体験をしたいと、山生活に入る前は期待していたような・・・。ま、勘違いの期待だったな。■今、何をしたいか問われたら、山里でひとり、ぼ~っとしたい。あるいは、ひとりのアパートで誰にも遠慮なく、映画を見たい。と答えるだろう。

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9月29日

死にたいよぉ。なんて言葉を声にすると、何だか大変モンダイな響きがあるけれど、具体的な計画をともなった自殺願望とは違う、漠然と、日々の暮らしにまとわりつく苦しみから逃れたい、ただただこの人生を早く終えてしまいたい、死んで楽になりたいなぁ(死んだらホントに楽になれるのか?の意地悪な質問は無しである)、そんな心の動きを、何かの拍子に抱える人は、珍しくないのでは……。よほど夢中になれるものがあり(子育てなど)自らの生を忘れるほど生を謳歌している人を除いては、あっちの世界への誘惑の垣根は、案外低いのかもしれない。ふー。「日々を暮らす」ということは、わたしたちが漠然と描く像よりも、ずっとずっと大変で、何かのチャンピオンにならずとも、著名な活躍をしなくとも、暮らす、生きる、それだけで、とても重い仕事なのだろう。

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