ともみ@ピクニック

ケイタイより

雪の北陸をぬけ
只今、浜松に向かう途中。

暫く日記はお休みです。

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生命の小なる便り、大なる便り

寒い日である。雨が止んだかと思えば、氷が降ったり。近所の無人庭のふきのとうも、いっせいに縮こまったように見える。
                       *
さて、夕べは、「うう~。大便詰まってる~」感情に押され、過日試みてよかった肛門マッサージ(人差し指を肛門の穴に入れ、ぐりぐりマッサージしてると、たまに、ガスが出てくれることがある)を、寝る前に試みた。シャワー浴びながらね。そしたら、指の第一関節余りが肛門に侵入したあたりで、大便の固い蓋を触感。ううう~。蓋の脇からさらに肛門侵入を進めると、まるで粘土のような固い大便が詰まっているのがわかる。ぐりぐりぐり、粘土大便のまわり、肛門内円に、指を沿わす。何周も、何周も。そしてトイレに移動して、親指ほどの大便を、やっと排出。

<小便も、大便も、生命の小さな便り、大きな便りなのです>というような文章を、瀧村修さんという方が御著書のなかで書かれていたが、まさにそれを感じる今日このごろ。糞詰まって体が苦しくとも、体に不平不満を言うまい!という気持がおのれの中からわきあがってくる。
                       *
お布団のなかで、山形在住の精神科医、桑山紀彦さんの話を聞いた。からだじゅうに痣のある女の子、彼女は、無意識のうちに自分のからだを抓り、からだを痣だらけにしているのである。空爆のイライラが募った兄に暴力をふるわれても、「それで兄さんがすっきりするなら、それでいい」と耐える男の子。いずれも桑山さんの接してきたパレスチナの子どもである。彼は、心の傷を癒す大切さを訴える。仕舞い込んだから、それでいいということは決してない。奥に闇を仕舞ったら、それはじくじく膿んでしまう。だから早いうちに引き出しておかねばと。パレスチナの空爆によるトラウマ、それはたとえあの地に平和がやってきても、あと60年は見守らなくてはならないとも。彼の見たパレスチナは、壮絶で悲劇ながらも、愛にあふれ、人間への信頼がみなぎっていた。併せてイスラエルの人々の心を溶かすような話もあった。おおぅ。彼の語りは単なる報告でなく、つるっと皮をむいた熱い生身の感情を伝えている。だからちっとも説教臭くない。途中、「日本国内の医師不足が叫ばれるなか、海外への医療ボランティアはいかがなものか?な声もありますが」の質問にも、ちゃんと答えておられた。ところで。桑山さんは、小さい頃、味噌っかすな少年だったという。皆の飛ぶ跳び箱が飛べない。皆と同じような絵が描けない。そんな彼を、「頭のなかの歯車が足りないんだ」と兄はからかったらしい。桑山少年はそれをまともに受け、「そうか、ボクの頭のなかの歯車は足りないんだ。だったら、頭のなかの歯車を足すために、お医者さんになろう」と、幼き頃から考えていたとか。今、精神科医となった彼は言う。「だけど、決して足りない歯車を足すことはできないんだと知りました。その上で予防を張れるようになったし、昔ほど、落ち込まなくなりました」。

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便秘とモクレンの花

十日ほど前に「超便秘→日に二度も座薬」の話を書いたが、その後、お腸様はすくすくと快方に向かったかと思いきや、先週の水曜、急に下痢気味になり、(もしやキムチ豚を食べたせい?と思った)、その翌日、久々に叔父と酒を酌み交わして親の家に帰った晩、またまたモウレツなる大便の詰まり感に襲われる。呼吸するのもツラく、またまた便秘用の座薬をさす。うーん。その後、日によって体調(症状)はまちまちなのだけれど、総じて芳しいとはいえない。なんなんだ。なんだんだよー。「最初は抗ウツ薬の副作用で便秘になって、(超便秘になる前日から抗ウツ薬は一切やめている)、その後は、お腸様のひだひだに残存したそやつが悪戯しているのだろう、あるいは自律神経の具合によるものだろう、と、自分では睨んでいるのであるが。

医者嫌いのわたしが本日は医者に行ってみた。

医師、「そうやって、便秘になったら、薬で出して、ってやつが、一番ダメなんです」を繰り返し、「どうしても原因を知りたいなら、お望みどおりにしますよ。あのね、泊まりがけの検査。腸のなかを空っぽにして、泊まりがけの検査ね。したいなら、しますよ」。ふーっ。わたしが「きっかけは抗ウツ薬の副作用だと思うんですけど~」と話したとたん、医師の態度が投げやりになったのである。「その薬を出した心療内科に相談するのが一番いい」とも。ふううー。精神科医に相談したって、「ごめんなさい」と謝られ(事実、謝られた)、「その薬止めましょう」(事実、止めた)以上の策がないから、この胃腸科に来てるのに。

わたしはそもそも、病院に来たからといって、それで腸の調子が良くなるなんて、実のところ思ってはいない。「内服薬を出されても、当面、飲むのは見合わせよう」と、事前に自分自身と打ち合わせもしていた。(病院というのは、なんでもかんでも、すぐに薬を処方する所である。で、その薬というのは、治癒の助の顔をして、中味は人体への毒である場合が少なくないと、わたしは睨んでいるのだ)。短い診察で、明確な原因がわかるとも、思っていない。

ならば、なぜ、貧乏財布を握って、わざわざ病院に出向いたのか。答えは簡単である。自分の抱えているものを、ちょっとほどいてみたかったんである。仕事に疲れたおっさんが赤ちょうちんに入って、割烹着を着たママさんに、「ちょっと、愚痴ってみたい」、それと同じなのである。

うーん、医師にそんな甘えをもとうとしたわたしが間違っていたのである。抗ウツ薬と口に出したとたん、けんもほろろな態度になった胃腸科の医師には、「そういうものよのぉ」と思うのみ。

一週間前にはまだ咲いていなかったモクレンの花が、白いのも、赤紫のも、満開だ。アパートの部屋に戻り、薄切り生姜を煮たホットミルクを飲む。平常心あるのみ。





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ほとんど病気の話

ほんと、どうにかならんか、この性格。「気がきくね」とは親戚などからことあるごとに言われるが、わたしにとって、それは決してほめ言葉ではない。先日の法事でも、畳敷のしんどそうな人には坐蒲をお尻にあててともっていき(すでに座布団は敷いている)、などなど、などなど、などなど。つい、あれも、これも、それも、ほおっておけなくなるのである。(もちろん自分では見えていない場面もいっぱいあろう)。本来、「気がきく」というのは、その場の人に気づかれぬよう、まるで空気のごとくふるまうことだと、わたしは思っている。また、こちらが色々気を配ってしまうと、周りもリラックスしきれないのでは?とも思う。毎度のことだが、集いのようなもののあとには、(先日の法事のあとも)、「出しゃばった」ふるまいをしてしまったのでは・・・と、くよくよ病が始まる。ごほんっ。話はつながっているようでいて、実は別方向にも舵をとるのだが、人間、見て見ぬふりをする術というのも、学ぶ必要があるのだなぁ。本日は最終の汽車に乗り、金沢に戻る。

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小雨の日曜

◆小雨のなか、庭の草むしり。たいした時間じゃないし、おのれの身体の波に比べたら、小雨なんてなんともない。身体が少しでも動く時、仕事をしなきゃ、コトは進まんのだよ。ところで。冬のあいだに育った草は、根っこが長い。葉っぱの背丈よりも長い根っこが抜けたとき、それはそれで、快感である。
◆わたしが憂鬱感を重症化させちゃうのは、大きく分けて2つのパターンがあって、ひとつは自分のダメダメさを思い患いやられちゃうとき、もうひとつは他者のぼんのうを感じ取り、ものすごく生き苦しくなるとき。ぼんのう、誰にでもあるのにな。自分のだけでも喰いつくせぬほどあるというのに、他者の分まで味見しちゃおうというのだから、まったく喰いしん坊なのである。
◆去年の5月以来、お酒を飲みたい欲がぐううんと減っていたのだが、(楽しい会食時は別)、ここ数ヶ月、また一人酒の機会が増えた。昔ほど、お酒そのものをおいしいとは思わぬのだけれど、つい、「何か」をまぎらわせたくて飲んでしまう。今日はこっそりと、赤ワイン1本と泡盛を何杯か飲みながら、数日分の日記を書く。

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本日も夕日がきれい

午前、都会に帰る前の従妹家族が、父の焼香に来てくれるというので、わたしにしては早起きをする。御一行様、到着。母は抹茶をたてたあと、普通の緑茶、そのあと、自家製のブレンド茶を、従妹の子たちに飲ませていたが、「うん、飲めるよ」の一言を得て、「じゃ、持って行く?」と、喜んでペットボトルに自家茶をつめていた。(母は平気で飲み口が茶色くなったペットボトルでも使用するので、ちゃんと綺麗なボトルにつめて渡したか、心配である。ま、しかし、その手の心配はきりがないので、母の顔見知りならば、わたしもたいがい目をつぶり、細かくチェックはしない)。◆午後、草むしりに畑へ行ったら、Tさんが耕運機をもってきてくれたところであった。父が元気なころから、広い範囲の耕しは、Tさんにお願いしているのである。汗だくになって(←もちろん汗なんて見えやしない。あとで聞いたのダ)耕運機を操るTさんをときどき遠目で見ながら、わたしは隅っこの草むしりを。◆夕方、母と、墓参りに行く。たしか昨日はお彼岸の中日であったが、「お彼岸とはインドにも中国にもない、平安時代にできた日本独自の風習。お彼岸だからといって、どうってことないのである」と、自分のふるまいに向かって言ってみたくなる。(そもそも頂きものの花が沢山あったから、本日墓参りに行くことにしたのは、わたしなのだけど)。墓地から見た夕日がきれいであった。

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あっという間の一日

お祭り好きな性格ではない。集いというものも基本的にはめんどくさい。しかし本日は小さな花火がずっと打ち上がり続けているような心身の賑やかさがあった。まるで妻の実家の世話を喜々と引き受けていた生前の父が乗り移ったかのようである。◆午前から祖母宅に行き、当日届いた引き出物のセットなどを手伝い、叔母たち夫妻も交えて昼食をとったあと、お皿を洗っていたら、早々の客人到着。(早すぎる!)。いったん、親の家へ。着替えを済まし、また祖母宅に戻ると、続々と客人が集まってくる。遠方にいる従妹弟家族もやってきて。◆法要は午後3時半頃から始まり、去年分の報恩講のお経を読んでもらったあと、十三回忌の営みを。我は後ろの席に座っていたのだけれど、当然途中で足を崩す人が出てくる。それは構わないのだが、横並びで胡坐をかいていた男子たち、途中で小学生が正坐しなおすと、それを見た真横の幼稚園児が真似して正坐しなおし、さらには幼稚園児が正坐しなおしたのを見て、今度は同じ列の大人が正坐しなおすのは、なんか、おかしかった。◆夕の5時をまわり、会場を移して、会席料理をいただく。生のホタル烏賊が、特にうまうまであった。

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坊主よ

小さな悪口大会をココに開催いたします。▲かつて祖父の葬式のとき、「二次会に行こう!」と、酔っ払った坊主は、喪主である叔父に言ったとか。なので本日の法事も、当初は「仕出し屋から料理をとって、自宅で会席を」の案があったのだけれど、「あの坊主…」の心配があり、外で会席となったのだ。▲思えば、わたしが坊主というものに「こんにゃろ!」的な気持ちを抱くようになったのも、こういった生臭坊主の姿を見聞きしてきたことも大いに関係があろう。▲ドライな人間関係ならば、とっくのとうに、こんな寺とはお付き合いしたくないのだけれど、なんせ、村社会なもので、そういうわけにはいかん。(との、明らかな思い込みが蔓延している)。村の坊主は、ほおっておいても、懐にお金がはいる。何かあるごとに、何千、何万、何十万と、個々の村人宅からお金が届く。わたしは鎌倉時代の念仏仏教の布教は意味があったと思っているが、この21世紀も、世襲制で寝ててもお金の入る、村の寺は、大いに害があると考えるのだ。▲それだけじゃなく、坊主という職業には、その人の在りよう関係なしに村人が頭を下げるからな。(本日も、わざわざ歩いて1分の寺に、お迎えに上がり、帰りは荷物も増えて、4人がかりで二軒の寺に荷物を届けたのである)。▲まったく余談だが、寺には、さらに「下寺(したでら)」というのがあり、法事には、この下寺の坊主もやってくる。セックスして、動物食べて、髪の毛を生やしている僧侶のことを「毛坊主」というらしいけれど、この下寺の坊主は髪の毛を真っ黒々とお染になっていた。▲本日、お経のあとの坊主の話は、何を言いたいのか、ちっともわからんかった。「自分は腰を痛めたので、お経の最中も、こうやって話している最中も行儀が悪いが、それは仕方ない」というのと、「自分は話し慣れていないので、話が下手である」と、おっしゃった部分だけはよく理解できたけれど。びっくりしたのは、故人を偲ぶ話に、「寺への貢献度・・・。貢献度は、寺に野菜をもってきてくれることなのでわかるのですが、ほにゃららら」とおっしゃったこと。普通さ、「故人の信心深さ」を語るようなところを、「寺への貢献度」しかも「寺への供物」で語ろうとするなんて! 凄すぎる。祖父は寺の門徒総代をしていた時代もあり、まあ、供物に限らず、目には見えない貢献をたくさんしていると思うけれどさぁ。(確かにその後、「目には見えない寺への貢献」の話も少し出た)。▲まだまだ悪口大会の題材はあるのだけれど、あまり過ぎるのもよろしくなかろう、(もうすでによろしくない?)、ここらで閉会するといたします。▲元気だった頃の祖父は、朝と夕、食事の前に、仏壇におぼくさんを供え、お経を読んでいた。ああ、お祖父ちゃん。お祖父ちゃんの書いた「正信偈」の掛け軸を眺めているほうが、わたしのなかでずっと供養になった気がする。

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あすは法事

「疲れるからいやだ」とだだをこねていたお祖母ちゃんといっしょにお風呂に入る。わたしは畑の草むしりのあとシャワーをすでに浴びていたのだけれど、見守りの意味で。前から見たら、しわしわの、たれたれなんだけど、背中は十代の娘のようにきれいなお祖母ちゃんの体を、ある意味幸せに、ある意味不思議な思いで見つめつつ、シャボンでこすったり、白い湯船のなかで向かいあったり。何年ぶりだろうなぁ。

あすの法事に備え、お祖母ちゃんが、「・・・あったはずなのに。どこに行ったの? 蔵の二階にあるのかなあ」と、なんべんもなんべんも言い続けた、仏具。お正月のときのお餅をそなえるのとはまた別に、法事などで使う、仏具らしい。家を建て替えるときに仏壇を親戚にあずけたので、「その際、蔵にしまったのだろう・・・。山のような荷物のなか、見つかりっこないさ」とわたしは最初から諦めていたのだけれど、跡取りである(はい、田舎ではこの言葉が顕在)長男のお嫁さんが、見事、探しだしてくれた。年代ものの、六角形だかの足高の器のセット。(ついでに、明治か大正時代の、先々代の名前を書いたオカモチのなかにはいった、同セットも見つかった)。お祖母ちゃんはにこにこし、その六角形の器に、ひらひらの緑の葉っぱのような飾り(これもセットのなかに入っている)をあしらえていた。東京のお嬢様育ちのお嫁さんは、「覚えておかなくっちゃ」と、お祖母ちゃんの手もとをならっていた。

来月のはじめ、あっちに行って13年目になる、母方の祖父。晴耕雨読という言葉があるけれど、晩年は文字どうり、そんな生活であった。また、字を書く趣味もあった彼は、お経の掛け軸をつくっており、「そりゃ、般若心経でしょ。」と勝手にわたしは思いこんでいたのだけれど、確かに般若心経の掛け軸もあったらしいが、それは他家に嫁ぎ、今、彼の自宅の床の間には彼の書いた正信偈の掛け軸がかかっている。んで、そこまでは、わたしにとって「ふーん」な話なのだけれど、そのお経の末には、法名とともに、法名の朱印まで押されていたのには、やや驚いた。決して自分の行いを自慢することもなく、ひたすら、たんたんと生きた人であったと、わたしは祖父のことを思っているのだけれど、この正信偈の墨字を見て、一段と、彼の生き方を垣間見た気がした。

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ホケキョー

めっちゃ、久しぶりの気がするなぁ。朝の参禅。(といっても、遅刻をしてしまい、初めて外の単で坐る)。帰り道、ホォー、ホケキョ、ホケキョーの鳴き声が。◆時計の針はぐるっとまわるけれど、午前、アパートで親の家に戻る荷物をまとめているときも、どこからかホケキョーがたびたび聞こえた。我がどうあろうとも、季節は進むのである。すばらしいし、しんどくもある。しんどいけれど、やっぱり、すばらしい。◆またまた時計の針は進み~。金沢駅では「乗ろう」と思っていた電車に乗り遅れ、親の家までの乗り換えなどを考えると、「次の次の電車でもいいやあ」と思いなおし、これまた久しぶりに駅構内のお気に入りの喫茶店へ。すっかり春のよそおいになった人々の行き交う様子映す窓際の席に座り、昼食代わりのシュウクリームを食べながら、中沢新一の念願の鳥の本を読む。ちいさい、ちいさいけれど、・・・いいや、ウソだ、わたしにとってはとてもとても幸せな時間。◆あとで知ったが、この日は、気象観測上の夏日であったらしい。

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よろよろばんざい

久々に、ミスドでのんびりした午後を過ごす。随分と珈琲の味が変わったような。(←と思ったら、トイレに「珈琲が新しくなりました」のPOPが貼ってあった)。ドーナツも見たことないのが何種もショーウインドに並んでいた。わたしが冬眠しているあいだ、世の中は動いているのであーる。近所の、歩道兼小さな公園になっている所でも、いよいよ、雪吊りの解体作業がはじまって。はいはい、万物は動いちょるのよ。帰り道、背広姿の老紳士がよろよろと歩きながら、犬を散歩させていた。気のせいか、犬の足取りも、よろよろだ。わたしは哺乳類がこわくて触るのが苦手なのだけれど、犬の表情を見るのはとても好き。今日の犬も、わたしが後ろからそっと視線をおくっていると、ひょいっと振り向いてくれて、その瞳ったら、愛らしさにあふれ、ずうっと前からの知りあいのような気持ちに、瞬間なった。

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鼻ガムテープ

去年と一昨年、「あれ、症状軽くなった?」と思った花粉症であるが、今年はまた、鼻水たれたれ、(ほおっておくと、文字通り「ぽたっ。ぽたっ」と、鼻水が滴になって落ちる)、目からは粘着質のねばねば液が放出され、(朝起きても、目がちゃんと開かないことも。プラス、腫れている)、そして近所迷惑なほどの、大きなクシャミ。昔は病院に行ったり、市販の薬を飲んだりしていたのだけれど、今年は「自然に耐える」道を突き進もうかと思っている。しかーし、なぁ、今日のように花粉が飛びまくる日がまだ続くと思うと、「ええいっ。薬でも飲んでやる!」の気分に侵されてくる。いやいや、あと、数週間の辛抱・・・・・・。

今日は、鼻ガムテープというのをした。そのものずばり、ガムテープで鼻をぺっしゃんこっに覆うよう貼るのである。即効性、有り。効果抜群。と、喜んでいたのだが、あまりに長い時間していると、だんだんとガムテープで蓋をされた鼻の中に水がたまってくるのがわかる。ぐふーん。おまけに、効果のほどを喜ぶあまり、ガムテープを交換するごとに長めに貼ってしまい、しまいにはガムテープをとてもとても頑丈に貼ってしまい、はがすとき、両頬っぺたが痛いのなんの。

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おだやかな日

この冬のアパートでの楽しみは、シャワーを浴びることであった。やや熱めの湯を、ひたすら修行のように浴び続けるのである。冷えた体が助けられるし、マッサージ的な効果もあって気持ちいい。白い胸が、だんだんとローストビーフ色になるのも、面白い。ああ、あと3ヶ月余もすれば、水シャワーを楽しむ季節になるのだなぁ、と、思うと、冬のシャワーがいとおしくもある。

午後、心療内科。「睡眠薬が効かず、3粒飲んでました」と話したら、「あの薬は2粒までしか認められていない」と医師に注意された。どうやら、わたしの飲んでいたのは、アルコールと似たような作用があるそうで、長年のアルコール摂取のために「同薬に対する抗体」ができていたのかもしれない。(ちなみに、違う種類の睡眠薬を本日、処方してもらったが、やはり定量では効き目がなかった。なんなんだ、わたしの体。ふふふ、単に普段の「眠り過ぎ」病がたたっているだけ?)

いったん帰宅。抹茶味の葛湯をのんで、ほっ。道中買った「花かんざし」という花を眺めながら、休んでいると、じきに歯医者の時間。あわてて出かける。

ぐうぃぃぃん。麻酔をかけて、口内右下の歯周ポケットの掃除をしてもらう。ぐうぃぃぃんにとりかかる前、何本も麻酔注射をされ、おまけに、ぐうぃぃぃん中に何度も「痛いですか? 痛かったら手をあげて下さい」と言われたが、そんなもん、あげるかい。「痛い」といったら、即、追加の麻酔注射をされるだろう。実際、やや痛くはあったのだけど、女の意地にかけてでも、「ま~ったく痛くない」のポーズをとった。施治後はまっすぐアパートに戻る気分になれず、21世紀美術館で休んでから、家路についた。

晩はアルコール抜きの食事。鶏と昆布でダシをとり、ありあわせの具で、けんちん風のお蕎麦に。ラジオから流れるオペラを聞きながら、ひっそりと食す。

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春は名のみじゃなく

朝早く、親の家を出発。立山連邦のうえにのぼったばかりの太陽がオレンジ色の道すじを海面に作っている。そんな風景を映しながら、始発の汽車はことこと進む。

アパートに戻ると、階下の部屋がさわがしい。普段はコトリとも物音せぬ、不気味なほど静かな部屋だったのに・・・・。聞こえもれる男女の声は、一度だけ挨拶をしたことあるご婦人のお子さんだろうか。やがて2 t ロングのトラックも来て・・・・。若い人の引っ越しは「新しい土地に行くのかぁ」くらいしか感じないけれど、高齢一人暮らしの人が引っ越すとなると、「(ご本人が)入院されたのだろうか」とか、「一人でいるのが難しくなり施設に入るのだろうか」など、余計な想像がわく。ほうっ。思えば、このアパート、わたしが二番目の古株になってしまった。

午後、サイクリングを兼ねて、食料の買い出しへ。親の家あたりでは見かけない沈丁花を、いくつかの街路で見かけ、嬉しい。(東京ではよくこの花の香に足を止めたものだけど。今の日常では庭木にも街路樹にもあまり見かけない印象)。スーパーでは、文旦が売られており、西から春が届いたようで、これまた嬉しい。もちろん迷うことなく購入。

「春は名のみの風の寒さや~」という歌があるけれど、日差しはあたたかくも、まだまだ風の冷たい日であった。

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「月をさす指は月ではない」

わたしがあれこれ心を煩わせているのは、ちゃんと生きていないからなんだと

ちゃんと生きていないくせに知っている。

こういうのを、精神的なおませ、というのか、それとも

「知っている」というプレゼントを神様のような存在があたえてくれているのか。
( ↑ これまた傲慢な発想でもあるけれど)。


話は飛ぶけれど、すすめて下さる方がおり、先月初めにエックハルトトールの『ニュー・アース』という本を読み始めた。一日余りで、ぐわっと読みすすめ、あと数頁を残すところなのだけど、書くのも情けないトホホの理由で、今手元に本がなく、続きが読めないでいる。正直、この本は言い回しがスピリチュアルの生臭い面をもっており、読むのがしんどくもあった。すすめて下さる人の顔が想い浮かばねば、途中で投げ出したに違いない。けれど、けれど。読んでる途中で「なぜこの本をすすめてくれたのか」をわかったような気がしたし、まだ読み残しある身で感想を述べるのもなんであるが、これはとても分かりやすく皮をむいた良質の「魂の本」だと思う。

                        ♪

絶対的真理はあるはずのない場所に探しても見つからないだろう。あるはずのない場所とは、教義、イデオロギー、規則、物語などだ。これらに共通しているのは何か? 思考からできあがっているということである。思考はうまくいけば真理を指し示すが、決して真理そのものではない。だから仏教では「月をさす指は月ではない」と言う。すべての宗教はどれも誤りでありどれも真実で、どちらになるかはどう活用するかで決まる。(『ニュー・アース』82頁)

ふむふむ、わたしは宗教の入口で、思考と心中しようとしたから、息詰まるのだな。

まったく別の本の話になるが、ブライアン・L・ワイスの著書のなかには、中世ヨーロッパに退行した男がこんな言葉をいう場面がある。「(前略)人々に、教会へ行く必要はない、神を見つけるために神父の話を聞く必要もない、と扇動しています。『神はあなた方の中にある。あなた方一人ひとりの中にいる。神への道をあなた方に示す偽善者はいらない。誰もが神の知恵を手にいれる道をもっている。私がその道を非常にやさしく教えよう。そうすれば、あなた方は教会と尊大な神父から独立できるからだ。そうなれば、教会は支配権を失い、あなた方は自分の手に力を取り戻すのだ』と言っています」(『未来世療法』132頁)

宗教とは矛盾をはさまざるを得ない宿命らしい。

そして手のひらにのせて示してみれば、必ずこぼれ落ちてしまう真実の存在を
覚えている人がいる。

またエックハルトトールの本に戻るが、彼はこうも語っている。

『神』を信じることも、人生のすべての瞬間に立ち現れている『神』の現実を生きることに比べれば、実にお粗末な代用品でしかないんですよ。(『ニュー・アース』288頁)

ふーむ。仏教の国では、神を仏とおきかえているわい。


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