ともみ@ピクニック

ピーナツクリームの朝

天気は曇り。サンドウィッチ(ピーナツクリーム)、プチトマト、スギヨのひら天(魚を練って揚げたもの)、ヨーグルト(ブルガリアの「ドマッシュノ」はコクがある)、ホットコーヒー、の朝食。ぼちぼち着替えなどを済ませ、お出かけ。来月遊びに来てくれる客人への土産選びのため、駅前へ。最初は「金沢らしいもの」をいろいろ見ていたが、結局は金沢とまったく関係ないものばかりとなった。まあ、よかろう。久々にお買いものモードになったので、つい、予定外の買い物もしてしまった(下記)。たまには、よかろう。

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   カエル顔のモップ。

  PC掃除などに使おう。
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 ピーナッツ型の消しゴム。
 甥っこにあげる予定。


最近並行読みしている本のなかのひとつから、「欲を大事にする」ことが、まだまだわたしには必要なのかしら?とも思うようになった。(今日の衝動買いとは関係ない)。たまーに「な~んもいらんわ。息をしてるだけでイイ」の心境になりそうなときがあるが、まだまだ生まれてきたことの(!)修行の足りんわたしには、欲を蒸発させるのでなく、また隠すのでなく、もっと欲と対峙(おのれの中の欲を見、臨機応変に欲を消化)することが必要なのではないか、と。

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今も

小学校の運動会の予行練習で、「右手と右足、左手と左足が同時に出ている!」と、全校生徒の前で注意されたことがある。ローマ字の表記というものを長い間覚えられなかった(今でもあやしい)。成人してから普通自動車運転免許を取るのに二度も落ちたが、それは実技でなく、学科が落第点だったのである。再びさかのぼれば、小学校のとき、「自転車の運転免許」(中級とか上級とかによって乗って良い道が決まっていたんじゃなかったっけ)の試験を受けさせられ、わたしはそれに落ちた。クラスのなかで落第したのは、他に二人、いずれも自転車に乗れない女の子であった。わたしは自転車に乗れなかったわけでなく、筆記の試験が駄目だったのである。

今でも、こういう自分が続いている。

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Mなっち(6歳の女児)には、彼氏がいる。保育園で出会った彼(男の園児)から告白された日は、自宅に帰ってからも全身で転がりまわるほどの浮かれようであったらしい。いわゆる「天にも昇る」気持ちだったのだろう。Mなっちの母親の報告によると、告白以来、Mなっちも彼のことを好きになり、時に彼のことを「さま付け」して呼ぶほどのラブ感情を持続している。しかし、「やきもち」を焼くことはないという。他の女児が彼のことを好いていると知っても、彼が別の女児と仲良くしていても、「やきもち」は焼かなのだと。これは「(スティディな関係にあるという)ゆるぎない自信」がもたらすのではないと思う。人を好きになるということは、本来こういうことなのだ。「好き」は好きな気持ちのまま、なにものにも邪魔されない。やきもちは「我」が発達しすぎて生じるのだと、Mなっちの恋を見て、わたしは思った。

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自分報告

午後1時過ぎに一度目覚めたが、結局ぐずぐずと3時前の起床。落ち込みませんぞ。まだ夕方前でありませんか。日のあるうちに体を起こした自分を特に褒めるでなく、たんたんと薬缶を火にかけ、クリームパンとバナナの朝食をとり、温水が嬉しくてシャワーを浴び、「お家に篭りたい」気もしたが、最近、まともに外出してないことを思い出し、外へ出ることに。献血センターへ直行。(やっとこさ生理が始まったばかりというのに、わざわざ血をとる?と、常識人なら思うだろうが、わたしは「常識に応じようとしたら、なーんもできなくなる可能性の高い」身体的素地があるのだ。・・・頻繁に「動かない体」になるのだがら、「動ける体」があるときは、たとえ熱があろうと超寝不足であろうと、体を動かすのが良かろう。また「外に出よう」と思えること自体が珍しいのだがら、そう思えたときにゃあ、多少の体調を押してでも、出かけなければ!)。成分献血をしながら、ERのDVDを見て、そのあとホットゆず茶を飲んで、無洗米(新米シール付)をもらう。あとはちょこちょこと買い物をして帰宅。今、たぶん、「客観的に自分を見たら、ものすごーく悲惨な状況」なのだろうけれど、(40歳、無職。貯金は底をつく手前。そういった状況をぐさぐざ刺すような周囲の言葉を浴びること頻繁にあり etc)、以前ほどの底なし沼的な落ち込みは激減した。ウツウツに入っても(←軽いウツウツは慢性であるので、それを超えた症状のこと)、絶望の度合は浅く、回復も早くなったように思う。

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ホンモノ(ああ、恥ずかしい)

一昨日付の日記、気になることがあり、ちょっと目を通してみたら、「あっりゃ~」である。ホンモノに触れたい。だと? ホンモノって何よ? 顔から火が出るほど恥ずかしい。こんなこと書いた自分。まあ、全体的になにかにとりつかれて書いたような日記だなぁ。
                              

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今月も、あと二日ちょっと

夕べ、ラジオのニュースで「明日、さいごの、金沢から釜山に向かうフェリーが出航」と報じていた。え、ええ? どうやら燃料代の高騰と客数の伸び悩みのため、半年も待たずの定期便中止となったらしい。そのとき、わたしは思った。「明日、韓国に行こう!」。しかし、ちょっと時間が経ってから、「行ったはいいが、帰りの船がない、かも?」。こうなったら明日の朝、船会社に電話して、「帰りの船あり」なら、行こう。あるいはやる気満々の自分であれば、帰りの航空便を手配して。ビザはいらんのだから、現金とパスポートと出国チケットと着替えだけを持っていけば良かろう。夕方まで港へ行って、夜の出航に間に合うわい!と思ったのだけど、(参考 このフェリー)、いざ、朝方に入眠すると、眠気のほうに負けたのですな。(ときどき覚醒しては「ああ、無理して行かんでもいいかぁ」と自分に言い聞かせ、また眠りに入るという)。ぐふんっ、自分。そして、13時過ぎにはちゃんと起きたのであるが、雨模様(ときに大粒の雨)の外を眺めては、古い『地球の歩き方 韓国』をめくりながら寄せていた夕べの旅妄想が、自分のなかで小さくなっていることを反芻。結局、ただいま17時55分、こうやってパソコンの前にいる。

午後から、予定通り、ガスの開栓に来てもらう。今日から温いシャワーを浴びれるぞ。(これまで水シャワーだった)。さっそく、きのう買ってきたキリマンジェロを淹れる。(普段はブレンドが多いが、久々のガス開栓を記念して、普段飲まない種類の珈琲をチョイス)。それにしても、ほんと、寒くなった。今日は(先ほど、6歳児からのラブレターの返事を投函してきたのを除いて)どこにも出掛けんぞ。

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蜘蛛の糸

数日前、山茶花にふっくらとした蕾を発見。(「ずっと芯のような蕾だったのに」と思ったが、母に言わせれば「かなり前から大きくなっていた」と)。庭木や盆栽も種類によっては葉の色を変え、植物の冬を迎える身支度の様が、ほんの一部であろうが、こうやって人間の目にも届く。ところで、今日の午後はやっとこそさ、布団住民を脱し、電車を乗り継いで金沢へ。隣家の庭の大木をつたう蔦から、わがアパートのベランダにわたった蜘蛛の糸を、ぱちんと切ってやった。蜘蛛に恨まれぬよう、祈る。

きのうの日記、「環境に感謝する」ということを書いた。ここには色んな意味が含まれる。祖母や母がもし今いなければ、わたしは自分の欲をどこに向けていいかわからず、今頃はボランティアの名札をつけて遠い外国に助けを求めに行っているかも(それもよかろうが)。ごちゃごちゃ下級都会生活はもう十分だ、という気持ちがやっと芽生え始めている。どうせ生まれたのだから、ホンモノに触れて生活したい。(将来は、山里一人ほどほど貧乏暮らし、が理想である)。現在の年金制度により母はなんとか自分の生活をまかなえそうだ(いくら年金貰ってるか知らんが)。もしもそうでなければ、わたしは今頃、高齢の親を養うというタイヘンな重圧を背負ってるだろう。その他、まだまだ感謝することはありそうだし、かなり言葉足らずの説明であるが、ま、ここらを今のところの代表としておこう。

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布団人間(ぐすすん)

●やっと親の家の居間にホットカーペットを敷いた。(ひと月ほど前から母に依頼されていたのだが、伸ばし伸ばしにしていた)。コタツも今シーズン初のスイッチオン。室内の冬支度は徐々に整いつつある。問題は、室外だ。やることが山のようにある。・・・・・・山のようにあるのだが、お昼ご飯を食べたあと、ず~っと布団人間。日が暮れても布団人間。ぐすすん、翌日の昼まで布団人間であった。(好き放題に生きているこの環境を心の底から感謝する。仮に「欝のようなものに苦しむ」時間があるとしても、それでも、わたしは今の自分を包む環境を得難いものと思っている)。小雨が降ったり、晴れ間が見えたり、大雨が降ったりの一日だったらしい。金沢行きがまた伸びた。(別に天気のせいではないが)。
●ドラマ『篤姫』だが、先日の感想の追加を。やっぱ一番の魅力は、宮崎あおいちゃん(先日は「葵」と書いてしまった。誤字である)演じる主人公の人柄なんだろう。きのうも、和宮と語り合う主人公を見て、我の心はきもちよく膨れていった。ヒーローなんだな。女の憧れる女というか、時代こそ違え、「こうあるべし」と、人の心の大事なスジを惜しみなく見せてくれる。実際の篤姫がどんな人物であったか全く知らないが、ドラマのなかの篤姫は文句なく、女の惚れる女である。(余談だが、現実とか現代というものに意識・感情が溶け込みにくい傾向が最近のわたしにはある)。

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里芋とカレーの相性

●しばらく食品の買い出しに行っておらず、有り合わせの材料で晩ご飯。和風カレースープ、白ご飯、サンマのムニエル、大根の葉のよごし、法蓮草と青梗菜のおひたし。カレースープの具には、じゃが芋の代わりに里芋を入れてみたが、とろっとした舌ざわりで、想像以上に美味であった。サンマは塩をふって半週間も冷蔵庫(チルド)に眠っていたものだが、まあイケた。いつもサンマの塩焼きのときには「大根おろし」を添えるが、本日は、「食用菊の酢漬け」と、「蕪のみぞれ和え」(ゆでた蕪の実と茎を大根おろしで和えた)の二種をサンマのお供に。ちなみに食用菊は今が旬である。
●小さなウソをいくつかついて、夕方までずっと寝込む日であった。
●昨日あたりから急に冷え込みが進んだ感じ。今夜は、雷伴う雨が降り、「このまま冬に突入するの?」と、心細さを覚えた。寒いので、お風呂に2回入る。

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ボケない

先日、眠れぬ布団を抜け出して早朝のテレビをつけたら、現代版寺小屋風の番組をやっていた。へえっと思ったことなどメモしておく。◎人間の「最初の記憶」とは、世界的に調べてみても、だいたい2歳半~3歳頃というのが共通。まれに、前世の記憶とか、生まれてくるときの記憶をもった人もいるが、そういう人を調べてみると、超意識から違う。◎赤ん坊には「望むこと」を出来るだけ叶えてあげるのが大事。これによって、人を早く信用できるようになり、他者に“耐えられる”ようになる。◎赤ん坊にとって母親は「不思議ロボット」(=何でも望みを叶えてくれる)なのだ。しかし、だんだんと母親が「あれをしちゃダメ」「これをしちゃダメ」と、しつけを始めるようになると、赤ん坊は「不思議ロボット」の変化に驚き、第一反抗期となる(4歳くらい)。◎赤ん坊は身近な大人を社会的参照とする。なので、いつもケイタイデンワをいじっているような親では、赤ん坊は社会的参照を失ってしまう。◎10歳まで幸せな日々を送っていた者はボケない。◎ボケないために、主婦は家事を止めてはいけない。

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キムチ鍋の夜

▲鍋の恋しい季節となり、最近は鍋率のモーレツに高い食卓だが、今夜は「キムチ鍋」。煮干しや昆布でしっかり縁の下の旨味を出し、大蒜や生姜で目には見えにくいパンチをつける。具は少量ずつ沢山の種類を。調味料は基本的な品ばかりを随時適量に。おかげで「あっさりながらもコクのある」満足ゆくスープができ、鍋の後半、豆乳を投入したころには、「おいしい天使」が鍋のまわりで踊っている様が見えるほどであった。
▲先日見た「読語障害」の番組で、「これにかかっている人はモノを立体的に見る力がすこぶる高い」と言っていた。今夜見た「食べ続けずにはいられない(満腹中枢が機能しない)病」の番組でも、「これにかかっている人はジグソーパズルが得意である。モノの形をとらえる能力がすこぶる高いのだろう」と言っていた。障害や病気なんてのは便宜上の表現に過ぎず、人間はそれぞれ突出した機能をもって生まれ、その機能のデコボコの差を、時代によって「障害」とか「能力」など都合のいいように言い当てているだけなのだ。しかしなあ、「食べ続けずにはいられない」というのは、ほんと、大変そう。体よりも前に、気持ちが参ってしまいそう。

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みちこさま

午前、来月の法事の会食をお願いしている店へ。まあ、必ずしも出向く必要はないのだが、事前に「座席表」を考えねばならんし、一度足を運んでおいたほうが無難だろうと、姉と母とドライブがてらのお出かけ。道中、紅葉を楽しむ。打ち合せはさくっと終わり、帰途、ちょうどお昼になったので、漁港内の食堂に寄る。それぞれ、焼き魚メイン、刺身メイン、魚汁メインの定食を頼んだが、あ~、もう、当分は「魚を見たくない」ほどの、魚づくしであった。これが「ほんもの漁師料理」というのだろう、ボリュームたっぷり、食べている最中、体の毛穴から海の生き物エキスが染み出しそうなほど。午後からは、前々からお誘いのあったDさん宅に柿を取りに行く。直径10センチほどの枝を一本切り落し、その枝からは段ボール2箱分の収穫があった。今年はあちこちから「柿あげる」「柿取りに来て」の声がかかり、どうも、柿の当たり年!のようである。Dさん宅は、仏さま用の花がたくさん要る(月に3回~舅、姑、夫の命日~お坊さんが来る)ためもあり、広い庭に、たくさんの花を植えている。今日も帰りがけ、色とりどりの花を分けてもらったが、そのなかには「みちこさま」という新品種の菊もあった。

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ミミズ

ひぇっ。今夜のわたくしの左手首には小さなミミズがくっ付いている。 昼に「納豆チーズトースト」を作ろうとした際、納豆ペーストの塊がトースターの奥に転がり落ちて(フランスパンの形状が納豆を落下させてしまったようだ)、熱いトースターのなかに手を突っ込んだのさ。そして、ミミズ(のようなヤケドの痕)。実はヤケドの瞬間、それに気付かなかった。痛かったのだろうけど、納豆のほうに気持ちが行っていたからね。(気づいたその瞬間に忘れてしまったが正しいか?)。だから手当も遅れたのさ。ますます、ミミズ。よりはっきりと、ミミズ。くぅ~ん。ミルク仕立てのスープとパンをのんびり食べ終え、片付けしようとしたとき、やっと初めてヤケドを知った次第。これに限らず、わたしの手や腕には、しょっちゅう切り傷やヤケド、そしてときどき豆ができている。用心の足りない、にわか労働の手である。

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ホクロ

お腹のホクロが「取れ取れ(取れそう)」になって、かゆい! と、母が先日より言っており、ついに今週の月曜日、ホクロを病院で取ってきた。そして昨日、今日も、傷痕を病院に見せに行っていたのだけれど。。。 今日は病院に行く途中、制服姿の学生たちがグループになって何組か歩いていたそうで、「こんなところに学校あったかしら?」と不思議に思った母は、「どこの学校?」と訊ねてみたそうな。すると「長野から来ました」と学生さんは礼儀正しく答えてくれたらしい。中学生の修学旅行か。それにしても母の他人に対する垣根の低さには恐れ入る。お相手が同年代の女性軍団ならば、道中ずっとお喋りしながら歩いたかもしれん。ところで。母の体、ホクロのかゆさは消えたけれど、今度は患部まわりに貼ったシールにかぶれ、かゆくてたまらん!らしい。なんとも。

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お鶏様とサンショウの粉

母と二人の食卓用に小型のホットプレートを欲しいなあと思っていたけれど、いやいや二人でも、今のホットプレートで「大きすぎる」ということはないのだなあと、最近は思いなおしている。▼たとえば親の家の鉄板焼きは、お肉だけが主役ではない。お肉、魚貝類、畑の幸、山の幸、みーんな同時に主役だ。湯通しした厚揚げも、うまうまの主役ですぞ。なので、二人でする鉄板焼きだからといって、小型のホットプレートでは間に合わない!のだ。わたしは独り鍋とか、独り鉄板焼きも好きなのだけど、二人で熱源を囲む食事もいいですなぁ。(つまり人数はどうでもいい?)。▼おまけ話を書いておこう。Bちゃんから教わった、「焼肉のとき、鶏も焼いたらおいしいよ。薄めにスライスしたのを焼いて、そこに『さんしょうの粉』だけをかけて食べるの!」を実践したら、あごが外れそうになった。鶏肉の新たな世界の発見である。

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