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白い箱

昼をまわって都内へ。じゃじゃ~ん。今日は、Yさんと初めてのご対面。一緒にランチを。初めて会ったとは思えない空気の生まれる方であった。わたしがボサボサ体調であったわりにはリラックスしてしまい、(いや完全なリラックスではないのだけれど、人間さまと会っているという毎度の緊張感と、Yさんのもたらす波長が安心感を生み、そのはざまで時々自分がどこかに消えて口だけ動かしているような)、Yさんに失礼でなかったか?と、あとで反省。ま、理性とか思慮がほぼ完全に消えて口だけぺちゃくちゃと動かしてる状態も、自分自身なのだから仕方ない。ちなみに待ち合わせの場所は上野であった。夕刻、浦安へ。半年前はUさんに迎えに来てもらったけれど、今日はUさんの奥さんに駅まで来ていただく。お宅に着くと、Uさんの気配があるのかないのか、わたしにはよくわからず、ただ、Uさんのお骨がこの中にあるんだなぁという白い箱に手を合わせた。晩は、おススメというお蕎麦屋さんに連れていっていただき、杯を交わす。関東に台風が近づいているらしい。

鹿島へ go

朝早く、八重洲口に着。朝の渋谷を見てみよう!と、人生初めての発想が芽生え、山の手線で移動。おおお、スクランブル交差点の信号待ちで、びっくり。向いのコーヒー屋(スタバ)の、交差点を眺めるように配置した2階窓際席に、ずらりとコーヒーを飲んでる人びとが。まだ6時台であるヨ。こんな時間にコーヒー屋が開いているなんてこともすごいが、そこで朝の一杯を楽しんでいる人間がこんなに大勢いるとは、わたくしにとって、まったくもって新鮮な光景。あああ、都会はこういう点が素敵だ。小雨の渋谷を少し散歩したのち、別のコーヒー屋でモーニングを。ううう、いいねぇ。のんびりと朝食をとったあと、ドラッグストアで雨傘を買い、原宿へ。明治神宮の散歩である。わたしは初めて知ったのだけど、朝の5時20分から、ここは参拝できるのね。時間をつぶす、といったら失礼だけど、これまで「早朝の上京は銭湯で時間をつぶす」ことくらいしか思いつかなかったので、これは新しい楽しみができた、と喜ぶ。さて、明治神宮。しっとりと雨に濡れた神宮はなかなかよろしい。まだ早い時間だからだろう、ツアー客は、中国人の一団と、フランス人の一団しかおらず、割合静かだったし。ふーーー。新呼吸。ただ、歩くだけ。それだけで気持ちがいいなんて、ありがたい場所だ。大昔なら、このような空気を宿す場所がもっともっと沢山あったんだろうなー。ところで、竹箒をもった職員の方が、落ち葉掃除をされていたが、さっ、さっ、さっと、箒を掃う先には、落ち葉しか飛んで行かず、なぜそこに小石が混ざらぬのか?と、関心&感心。それから東京駅に戻り、11時過ぎの高速バスに乗る。懐かしの鹿島セントラルパークで下車。翌日の朝まで、Bちゃん&Bちゃん娘とラブラブラブの時間を過ごす。

おら、上京するだ。

「たまには電話をちょうだいね」(たった2日ほど家を空けるだけなのに!)とか、「もう汽車が行ったよ(その折り返しの汽車に乗る予定)」(と、わざわざ風呂場まで知らせに来るなんて! 風呂場にだって時計はあるのだ)とか、毎度の母の弁にその都度文句を言い返していたら、罰(ばち)が当たったのだろうか。出がけの玄関にて、Bちゃん宅に持って行く予定のワインが手からするりとすべり落ちる。パリ~ン。まるで血の流れたような玄関。しかし、しかし、ああ、ごめんなさい、汽車の時間、ギリギリのため、片付けを母に任し、ダッシュで駅へ。■今宵のバスで「おら、上京するだ」。交通の都合上は、わざわざ金沢へ行く必要はないのだが(逆に遠回りになる)、どうしても買いたいお菓子が金沢にあるため、いったん金沢へ。お菓子を買い、昼間予約しておいたバスチケットをコンビニで発行してもらい、アパートに戻ると、もう真っ暗な時間。ああ、どうして、いつもわたしは行動に余裕がないのだろう。と、こんなあたふたしたなかでも、犀川の向こうのスーパーに晩ご飯を買いに行って、おまけに、閉店30分前の美容院にかけこみ、カットだけお願いする。「なんなんだ、自分」と、自分突っ込みをしてみても仕方ない。■結局、買ってきたカップめん「辛ラーメン」のふたをあけ、しかし、これを食べる時間の余裕はないのでは…と、ふたをあけたあとに判断し、お湯もわいているのに、カップめんのカップごとビニル袋で密閉し、冷蔵庫に幽閉。(幽閉?)。おにぎり1個と、お惣菜1パックを鞄に詰め、ダッシュで金沢駅へ。■初めて利用する会社のバスであるが、バスは無事に見つかり、定刻より余裕をもって乗車。明日の朝は、東京の空気を吸うのダ。

月明かりの下で日記を書いてみる(たまには)

夕べ、樋口可南子のでてくるドラマを(途中から)見た。ううーん、ディロン(=主役級の犬の名前)の力はスゴイ。感動の涙!とまではいかなかったが、動物のもつ力には、人間の不完全さを思い出すとともに、感動だ。実はわたしはこれまで日記に書く機会はあまりなかったが、哺乳類の動物(人間除く)が苦手という、ウイークポイントがある。犬も、猫も、うさぎも、サルも、こわい。基本的にふさふさと毛がついている動物はこわいのだ。しっかりとした内臓をもっていそうな動物はこわいのだ。体温の伝わりやすい動物はこわいのだ。大人になった今は、子供のころほどの苦手さはなくなって、場合によれば、「触ってみよう」の勇気が生じることもあるけれど、ココロのなかの苦手意識を完全に払拭できるわけではない。だから、動物を愛し生きている人間に劣等感のようなものを抱きかねない状態で生きてきた。(わたしは、動物を愛せない自分を恥ずかしいと思っているのだ)。ディロンのような存在を知ると、動物を苦手とする自分自身をますますさみしくも思うなあ。

夕の6時前には、すでに庭の虫たちが鳴きだしている。(毎日、気がつくと、「すでに虫の合唱の聞こえる状態」で、いったい何時頃から彼らが鳴き出しているのか、不思議である)。夜の7時をまわって納屋に玉ねぎをとりに行くと、虫の音がますます濃い響きになっているので、「彼らも、出番のおしまいを感じて懸命に鳴いているのかなー。ああ晩秋も近い」と思う。ただいま、夜の10時台。仲秋の名月でなくとも、この時期のお月さんは一段ときれいだ。

お昼前のお祖母ちゃん(すでに施設に戻っている)、薄く切ったはべん(=蒲鉾)を味見して、「おいしいー。はべんを食べるの何年ぶりだろ」と云い、続けてもう1枚をぺろっと食べ、そのあと、青りんごを剥いてあげると、「ああ、おいいしいねえ。こんなふうに、食べるのがおいしいと感じるのだから、まだまだ死ねないねえ」と。その調子、その調子。

「簡単手抜きアイディア料理!」が人気を誇るのは、家庭の食文化の衰退であるかもしれんなあ。という話につながる話を。→ とても簡素な手順のか、あるいは、じっくりと手間を惜しまずにかけた料理が一番おいしいのだと、ここ数日強烈に思う。「簡素」といっても、それは手抜きではなく、いろんなことを知った上で「そこに辿りついた」のがホンモノだろう。わたしの場合、ホンモノとはほど遠いが、今日食べたなかで偶然にも特においしかったのは、昼に作った「生ゴーヤの塩もみ」だ。これは塩加減と手もみする力加減で(あと食べる時間のタイミング)、いかようにもおいしさが変化する。同じく昼に作った「ナスとコンニャクの煮付け」もおいしかったが、これは、両者を煮るお汁(先日、母がフグを煮てできた「にこごり」を利用)が最高だったので、この味わいが生まれたのだ。一方、晩に作った品のなかでも、梅チャーハンや、玉ねぎおろしの冷シャブは、中途半端な手間のかけ方があだとなり、いまいち、であった。わたしは基本、「酔っぱらいながら」キッチンに立つ、そういうようなノリの料理ばかり作ってきたので、(←つまりは「簡単手抜きアイディア料理!」の類だ)、本格的な家庭料理をほとんど作れない。もっとシンプルを極める料理とか、手間を惜しまずかける家庭料理とか、そういうのを作れる人間になりたい。(まずは魚をおろすこととか?)


下の追記    
                                 
生きてることは素晴らしい。とか、自殺はいかん。とか、そういう話では
まったくない。

生にのみ価値をおく(死の否定)とか
生産にのみ価値をおく(非生産の否定)は、
人間の傲慢ではないかと、最近のわたしは思うのだ。
         
                                 ・ ・ ・ ・ ・ ・・・・


敬老の日

自分の腕を見ながら「なんてシワシワ」と祖母が云う。「木の年輪は価値があるよ。人も同じじゃない?」と我。食べて寝るのが仕事の日々に「なーんでこんなに生きるんやろ」と祖母が呟く。「お祖母ちゃんは生きているだけでいいんだよ。生きてることがわたしたちの喜びなんだから」と我。このような会話をときどき交わすのだけど、今日は車のなかでの移動中に、こんな話をした。祖母「ボケたら大変や」、我「なーん、ボケたらね、本人は何もわからず、大変じゃないかも。楽しいかもよ」、祖母「ボケたら大変なのは家族だろうねぇ」、我「そういう巡り合わせ、ということだよ。ボケた家族をもつ、人生の配合を、神様がされたってこと」。

ときどき、「健康で心身ともに若くなくては生きている価値がない」的な意見を聞いたり読んだりする。わたしはずっと前まではこういうことに無頓着だったけれど、今でははっきり思う。たとえ体が動かず、出かけたいところにも出かけられず、欲というものが薄れ、あるいは欲ががちがちに残ったまま「思うようにならない」日々に苦しめられ、顔はしみだらけ、醜い肉体的な老いを迎えても、「生きている価値がない」というのは、本人の思いこみだ。(本人の傲慢な思い込み)。寝たきり状態でなにをするにも人の手を借りなければならない生活であろうとも、それは、本人にとって「その肉体条件のなかで生き続ける」のが仕事だし、まわりの者にも「本人とかかわる(あるいは、かかわらない)ことによりもたらされる」ものがその者の人生の確実な一部なのだ。ある年齢までは幸せな(「幸せ」と意識する)毎日を送っていたとして、あるとき、なにかがあって(殺人事件の加害者家族になるとか、加齢や事故・病気以外にも、不幸を意識させる材料は、いくらでも転がっている)不幸のドン底と思えるような、その後の人生がやってきたとしても、「これまでの人生こそが私の人生であり、この先はなにかの間違いでたまたま不幸になってしまった」というのは違う気がする。一見「不幸」と見える時間こそ、人生本番、その人がこの世に生まれてきた大きな理由かもしれないのだから。

お嬢様育ちで不自由なく育てられ、大きな不幸もなく家族をはぐくみ、伴侶がこの世からいなくなるまでは特別に大きな孤独感も悲しみも、祖母は体験したことがないのではないか?と、わたしは想像している。(今は、普段、老人マンション形式の施設に入っている祖母は、なによりさみしさがあり(環境自体をさみしいととらえる彼女の思考の前提もある)、加えて、施設のなかにある小さな社会にいくらかのストレスも感じているようだ)。言葉にすると酷に聞こえなくもないが、今、彼女がおかれている状況は、もしかしたら「彼女がこの世で体験しなくちゃいけない」学びなのかもしれない。孤独感とか、この世にはいろんな人がいるのだと身をもって知るとか、世間の風に触れるとか。(だからといって、祖母に今の環境がいいなんて、さらさら思っていない。いつ「お迎え」来てもおかしくない年齢の祖母の願いどおり、自宅で暮らさせてあげたい)。

一般論として――。なんでこんな歳になってまで生きなければいけないの? その問いの裏には「若い頃なら人の役に立つこともできたのに、今は人の世話になるばかりだ」の嘆きの気持ちも含まれているだろう。しかし、わたしは思うのだ。「青年期や中年期に自分は役立つ人間であった」と捉えることこそ、傲慢なのでは? 子供を育てたり、家を守ったり、社会的な仕事をしたりした青年期や中年期よりも、なにもできなくなったその歳で生きていることこそ、本人には気付かないところで、めぐりめぐって誰かの、何かの役になっているやもしれぬ。

今日は敬老の日。なので、普段思っていることを書いてみた。

15夜

本日も気温は真夏日だ。ぶひ~んっ。叔父夫妻が法事に出かけたので、お祖母ちゃんとお留守番。今回の法事は、母の上の妹の御舅さんの50回忌。うむ、お祝いなのである。わたしは、もう何年も前に自身の曾祖父たちの50回忌を終えているので、この後の人生で50回忌の法事に出席する機会などあるだろうか?と考えると、まあ、長生すれば、ないわけではなかろう。父の、とか。そのころには60代となった甥たちに頼むか、あるいはバケンモン扱いされながら、90歳になった姉かわたしが音頭をとるかだな。■もうちょっと年寄りに愛されるメニューを考案したほうが良さそうだ。昨夜のなかでも、「ナスの、ひき肉野菜ソースかけ」や「長イモとシメジの牛肉ロール」や「ゴーヤの天ぷら」は、大量に残ってしまった。昼の食卓に昨夜の残りものを並べ、わたしが責任もつべく、せっせと腹におさめる。うー。お腹がいっぱい。夜は、法事のご馳走攻めだった叔父夫妻の体の負担を軽くするためにも、昨晩よりは軽めのメニュー。ところで、キノコご飯を叔母が下準備していたところに、お隣さんが栗をもってきてくれたので、「キノコとクリの炊き込みご飯」に変更。珍妙な組み合わせであるが、とてもおいしかった。■15夜お月さんの日である。皆で、オレンジ色のお月さんを眺めた。(「お団子作ろう」とか「ススキを調達して」なんて言っていたが、結局、部屋のなかで、雲のあいまから姿をのぞかせたお月さんに見とれていただけなんだけど)。

ひと月ぶりの宴会

お昼から田圃の向こうのスーパーに買い出しに行き、その足で祖母宅に行って、夕方に関東から帰省する叔父夫妻と、お祖母ちゃんの受け入れ準備。変化の少ない田舎生活、お客さん(?)が来るのは楽しい緊張感がある。■「月に数日間、わたしがお祖母ちゃんと、お祖母ちゃんの自宅で暮らそうか?」と今年の5月に申し出た際、「伴侶を亡くし、しょげている姉(わたしの母)のこともあるから、それはムズカシイのではないか・・・・」との返事が叔父からあり、お祖母ちゃんと自宅で過ごすわたしの計画はそのままになった状態であるけれど、偶然にも以降、叔父たちはほぼ月一度の割合で帰省する用事があり、お祖母ちゃんも月一度は自宅に戻っている。いい感じだと思う。■今夜は、「まだ今年はサンマを食べていない」というお祖母ちゃんに食べてもらうべく、サンマの塩焼きがメニューの頭にあがる。お魚屋さんに前日から注文してあった刺身の盛り合わせや、和風の煮物、そのほか、お野菜と肉のおかずを何品か用意。とりわけ、ゴボウは母が今年初めて掘ったもので、カワハギと一緒におつゆに。味もさるこながら、香りが最高。あかずきも、今年初めての収穫で、母が前日より煮て下準備していたもの。・・・・しかし、平均年齢60代後半の宴には、量が多すぎた。■夜10時過ぎまでみんなでおしゃべりして、親の家に戻る。(お祖母ちゃんの自宅と、親の家は、とても近い。自転車ですぐ)。

天日の恵み

●あかとうがらし20080916005329



 粉末唐辛子に

●おくら20080916005327●●●●



 お茶にするのデス

●ごま20080916005443●●●●●


 今年はゴマを植えていないのだけど・・・
 去年の種がこぼれ、自然と実のった

● ● ● ● ● ● 以上、この数日、母が庭で天日干ししている野菜

08夏の旅の思い出(総論)

ここ数日は長い日記を書いてしまった。いずれも、行動メモである。つらつらと旅の情景を思い出しながら文章をつづるのは、旅をもう一度体験するような楽しさがある。一粒で二度おいしい、旅は体験と記憶を味わえる、お得な時間である。

出発前はほんとうにグズグズしておった。どんなときも旅立はめんどくさいものだけど、ひょいっと家を飛び出してみると、旅立ち前のウツウツ、グズグズが嘘のように消える。ところで、特に今回は天候のせいもあろうが、期限が迫ってもなかなか出かける気分になれず、しまいには当初考えていたような遠出する日程の余裕がなくなってしまった。■わたしの学生時代は「18切符」の常連であり、「できるだけ一日で遠い場所まで」行くのが、自分のなかの「18切符」の常識となっていた。その感覚がいまだに続き、今回の行程は「じゅうぶんに切符を使いきった」と言えない面もあるけれど、(例えば親の家からは一日で仙台まで行ける。それくらいの距離を使ってこそ、お得感があるのだ)、ま、いい、これが大人になったわたしの「18切符」の使い方のひとつだ。■母親と二人で出かけるといえば、普通は「仲のいい」関係を想像するだろう。わたしの場合、決して「仲の悪い」わけではないが、かといって、一般的に見られるような「母と娘の仲の良さ」はまったくない。どうもわたしは、母親とだらだらおしゃべりするのが苦手なのである。だから、旅の道中はほとんど、無言。■父が亡くなり、「これからお母さんは誰に遠慮なく、もっと外の世界に遊びに出ればいい」と、姉なども言っていたが、フタを開けてみれば、今もって母の日常は変わらない。40年以上専業主婦で、人から誘われれば旅行などに出かけるが、自分から外に遊びに行こうなどと思い立つ性質ではなく、また、身を飾るための高価な買い物を楽しむわけでもない。もちろん、日常がなにより大事という考え方もあり、「足や腰が痛い」と医者に通いながらも畑仕事という趣味をもつ、母の今の生活は質素ながらも充実しており、これが一番ともいえよう。■母70代半ば。母の同級生を見れば、体を動かすのが難儀でたまらないと、老婆のような心身になっている人も増えているようだ。わが母の場合も、普段からその老いを目の当たりにしているつもりでも、今回の金太郎温泉行きなど、日常生活を離れてみると、普段思っている以上に彼女は歳を重ねているのがわかる。「母親と出かける」のは、一人旅のような楽しさを味わえないけれど、また一緒に出かける機会をもとう。

他に書きたいことがあったような気もするが(なんせ、今は16日の夜)、なにがなんだかすっかり忘れてしまったので、ここらで、この夏の旅の思い出(総論)を終わる。

長野の旅

金沢駅から始発の北陸本線に乗り、東へ東へ。おお、同胞が何人も乗っているようだ。(もろに「18切符」を手にしてる人もいるし、時刻表を丹念に見つめているあたり「そうであろう」の人もいるし、これは勘としかいいようがないが「18切符」の匂いを発している人もいるのです)。▽直江津では1時間半ほどの待ち時間があったので、ちょっとだけ町をぶらぶら。駅からほど近い民家、玄関の前に洗面器を置き、ばしゃばしゃと顔を洗っているおじいさんがおった。きっと彼は毎朝、こうやって玄関の前にしゃがんで顔を洗っているのだろう。わたしのツボにはまる。(こういう光景を目にするだけで、わたしはにわかに楽しくなる)。ちょうど「0」と「5」のつく日に開催されるという、こじんまりとした市に出くわし、おにぎりとコロッケの朝ごはんを調達。なーんもない土地なんて、ない。わたしはかつて何度も「ここはなにもない」と地元の人がいう場所を訪れたけれど、なにもない土地なんてないのだ。人が生活してようが、してまいが。行った先には必ずなにかある。▽直江津からは信越線だ。ああっ。『妙高号 長野』の札をつけた電車がホームにすべりこむ、そのとたん、胸が高まる。どうも直江津までは<日常の延長>で、その先の信州は<憧れの土地>という思考の働きが、わたしのなかにあるようだ。見慣れぬモスグリーンの車両も旅情をそそるではないか。嬉しい。嬉しい。・・・・。嬉しいのは確かだが、睡魔がやってきて、その車中のほとんどを居眠りしてしまった。もったいない。▽豊野という駅で乗り換え。今度は車窓を楽しもうと、しっかり、お目めをあける。山間の風景はわたしには新鮮で、これだけでも、やってきたかいがある。山と川が一緒になり目の前に現れるのは感動。田んぼの案山子も、民家の屋根のかたちも、わたしには珍しい。そうそう、朝ごはんの残りがあったので、車中の昼食とする。(おにぎりはご飯粒が立ち、口のなかに入れたらふわっとほぐれる、最高のむすび具合だった。具はシャケとおかか。コロッケは2つ100円が信じられないほどの、ボリューム満点、おいしーい味わい)。▽本日の目的地、飯山駅に到着したのは、正午を少しまわったころ。観光案内所でパンフレットをいくつかもらい、目的地中の目的地、正受庵へ向かう。夏に戻ったような暑さだなー。ハンカチ代わりに日本手ぬぐいをもっていたので、それで頭をぐるっと包み、頭皮の日焼けを少しでも防ぐ。途中、『信玄の落し処』の看板があり、なんじゃ?と立ち止まったら、公衆トイレであった。ほほ~っ、と、携帯デンワのカメラで記念撮影。駅から20分ほど歩いたころ、正受庵に到着。▽この正受庵は、江戸時代の前期、恵端禅師という名僧が座禅三昧をおくったところだそうで、どんな環境なのだろうと興味があったのだ。また、現在でも座禅をさせてもらえるのかしらとの期待もあった。ただ今日は滞在できる時間が少なく、気持ちもぽわわんとして座禅の意欲はぼやけており、結局、場所の確認をしただけで満足し、飯山駅に引き返す。▽現地に来るまで知らなんだが、飯山駅の近くには、戸狩野沢温泉という駅があるのね。むくっ。と、温泉欲がわく。「せっかくだから、温泉に入ろうか?」「はいはい入りましょう」ひとり相談はただちに回答を得、すぐに計画立案に移る。なんせ、日帰りの予定なので、飯山を唯一の下車駅としても、その滞在時間は4時間余りしかないのだ。おまけに列車の運行は、田舎のソレで、本数が限られる。駅前からは間もなく「戸狩野沢温泉行き」バスが出発するようで、それに乗ろう・・・とも思ったが、片道30分はかかるというバス運賃が懐に痛くなかろうはずはない。では、JRで戸狩野沢温泉駅へ行く? 「18切符」があるのだし。いやいや待てよ。観光案内所でもらったパンフレットを見ると、「戸狩温泉」も「野沢温泉」も、戸狩野沢温泉駅からだいぶ離れていそう。そもそも、飯山駅からバスが出ているってことからして、JRの温泉駅に到着しても、そこからまたバスなどで移動せねばならんのでは? ビンボウ生活が長いと、こういう所に敏感なのだ。ふーむ。お金と時間、両方を節約する術はないものか。▽パンフレットをじいっ~とにらみ、ひとり相談を再開すると、ひ、ひらめいた。パンフレットの略地図によると、戸狩野沢温泉駅の隣の、上境という駅のすぐ横にも、温泉マークがあるではないか。パンフレットにはこの温泉についての説明記事はない。はたして上境という駅の近くにホントに温泉があるのかないのか、バクチである。しかし、わたしは行ってみることにしたのだ。▽正解であった。その駅は、無人駅のなかでも「こんなに小さいのは珍しいのでは」と思われるほどの舎で、降りた先は、まさに山里の雰囲気。いいねー。いいねー。駅には「湯滝温泉 150m」の看板があり、その矢印マークに従ってトコトコと人っこ一人通らぬ道をゆくと、じきに立派な建物が出現。(あとで知ったところによると、当地には江戸時代、湯治場があったが、1847年の善光寺地震で湧出は止まり、続く洪水で湯治場は流されてしまったと語り継がれていたそうな。それが1970年代より温泉調査を始め、1990年代になり、念願の温泉施設をオープンさせたという)。▽お湯は「弱アルカリ単純温泉」という泉質で、ほとんどクセのない、やさしい肌ざわり。露天風呂の植え込みの向こうを(無理やり)覗けば、千曲川が流れている。いいねー。いいねー。ここからなら、晴れた夜には満天の星空も期待できそうだ。気に入りましたゾ。ちなみに、きのうに続きほんじつも入浴予定などなく、風呂道具は持っていなかったが、日本手ぬぐいがあったので、助かった。(ついでをいうと、ここの露天風呂、湯船のまわりに点々と蛇口が設置され、体などを洗えるよう整えられていた。普通こういう設備は内風呂に限るのにね)。▽お風呂代金が4百円と安く、風呂上がりのあとに飲んだ「八ヶ岳牛乳」は1本百円。食堂のメニューも、ちっとも温泉価格ではない、良心的な設定であった。このたびは上境駅を下車してから次の乗車まで1時間しかなく、あわただしかったのが残念だ。たとえば、食堂兼休憩スペースは天然木だろうテーブルとイスが落ち着いた感じで並べられ、そこから眺める千曲川もいい。通路にも、目にしただけで「座ってみたくなる」長イスが置いてあり、おそらくそれは先のテーブルなどもそうだろうが地元の山から採ってきた木を加工したのではないかと想像され、愛着をもった。建物は思ったよりも広く、見学する時間はなかったが、休憩室が何部屋かあるそうだ。(一日ゆっくり過ごせる)。ひなびた味わいはないけれど、安らぎのある温泉施設である。▽上りの列車に乗り、長野駅へ。初めてこの駅に下車したが、このこじんまりと、しかし賑やかな駅前の雰囲気は、わたしの琴線に触れましたゾ。(JR金沢駅もJR富山駅も繁華街はまちなかにあり、駅前はあまり賑わってない。たぶん、全国的にそうなのだろうが、地方の駅前は昔に比べずいぶん寂しくなっている。昭和40年代生まれのわたしとしては、「駅前は賑わっている」という心のベースがあり、こういう長野駅前のような賑わいを見ると、安心するし、ちょっと気分も華やかになる)。▽「信州といえば蕎麦」ということで、ほんじつは蕎麦を食すのを楽しみにしていたが、あれれ、駅前を散策しているうちに、きゅーんと魅かれるラーメン屋さんがあり、「コーヒー屋にするか」(朝からホットコーヒーを飲みたかった)、「居酒屋にするか」(タイムサービスで生ビールの安い店があった)、…このとき「蕎麦を食べよう」気分はどこかに飛んでいた…、迷ったが、ラーメン屋に入店。感想としては、「ラーメン(小)は我の好みから外れたスープと麺で残念、水餃子はちっともおいしくなく、レモンチュウハイはまあ普通」であった。▽これが旅のしめくくりの出来事か!と、嘆いてみたくなるのだが、このラーメン店では災難にも遭った。注文をしたあと、トイレに入ったのさ。洋式便座に腰掛けながら、“正面の手を洗うところが市販の洗面台ではなく、実用サイズのラーメンドンブリ!であるなぁ”と驚きながら用を足した。その後、振り返って水を流そうとすると、うわっ。紙が便器内に浮かんでおる。(ジーンズの後ろポケットに入れていた、長野からの帰りの電車時間をメモしてあった紙)。どうしよう、でも、ごめんなさい、と、水を流してみたが、これ、流れないのですなー。あとで考えてみれば、割り箸をもらって拾いあげるという手もあったのだけど、そのときはそんなことも思いつかず、手を便器のなかに突っ込んだのさ。一度目、手にまいたティシュが瞬く間に溶けて、成果のないまま、手を引きあげる。二度目、さっきよりも、ぐるぐる厚くティッシュを手にまき、便器内に突入。今度も瞬く間にティッシュは溶けてしまったのだけど、あー、もう、しゃあないヨ、事態を収拾すべく、さらに手を突っ込んで、紙を拾いました。そして、そして、先のラーメンドンブリの上で手を洗い、何食わぬ顔して席にもどって、ラーメンを食べたのでした。▽あっという間の一日であった。おそらく30度を越した気温であったろうが、日差しは夏のそれとはどこか違い、これから深まる秋の旅の楽しさを予感させるものがあった。


20080913022824 JR飯山駅前の喫茶店。二階の窓から、ゴジラが出現。

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七尾のお湯

きのうは、出かけるのが面倒くさくなり、親の家でぐずぐず過ごす。うー、「18切符」もあと2枚。きょうこそは何処かに出かけなければ・・・。■目ざましをかけて寝たのに、眠さに負けて起きられず。結局、体を起こしたのは、お天道さまもだいぶ高くなったころ。「すぐに出発する」気分になれず、昼のお菜をつくったり、だらだらご飯を食べたり、洗濯したり、用をあえて自分で作り、出発の時間を引き延ばす。しかし、結局「切符を捨てるのはもったいない」の思いに押され、15時近く、親の家を出発したのだった。■電車を3本乗り継いで、能登半島の七尾というところへ。ここがきょうの旅の目的地。七尾には「瞑想の道」という名の観光名所があるのだと最近知り、興味をもったのだ。■駅に置いてある観光パンフレットを手にテクテクと出発。超簡略した市街地図を見ながら「瞑想の道」の入り口に到着したのは18時半ほどだったか。ま、こんな時間からこの道を散歩しようなんて、「モノ好き」と人さまは云いましょう。(「モノ好き」とは「変人」にお粉をつけた社交用語である)。だって、仏教寺院をめぐる山道なんだもん、「瞑想の道」は。■人並みに生きたい気持ちがゼロではないが、それはムズカシイ。ならば、自分の方法で生きるしかないのさ。昼間の散歩ができないなら、夜の散歩をすればいい。と、ほとんど暗くなった「瞑想の道」を歩きだしたのだけど、・・・・・結局はすぐに断念。ほんとに真っ暗といっていい山道で、どこに道があるのかもわからぬ状態、とほほのほ~、と、シャバの道に戻ったのさ。■駅方面に向かおうと思ったが、どうも海に近そうな川があらわれたので(磯の匂いがしたわけではない)、導かれるように、海の方向へ。テクテク。テクテク。行き着いた先は埋め立ての港湾のようだったので、それ以上は進まず、駅方面に戻るだろう道へ。テクテク。テクテク。そのうち、足も疲れてきたし、あまり楽しい道ではなかったので、テキトウな角を曲がって、テクテク。テクテク。■街灯もぽつぽつで、歩いてる人もおらず、家屋の灯りも少ない。なんか、さみしいなー。と思っていたところへ、造り酒屋と販売所が一体になったような古い建物を発見。ふーん。(店は開いておれど、誰もおらず。奥で夕食をとってるのだろう)。入り口から首だけ伸ばし、ちょこっと勝手見学し、またテクテク。■ふと目の先に明るい建物を発見。おふろ屋さん?(遠目にはそう見えたのだ)。しかし、近付いてみると、そこは畳三畳ほどの雑貨兼タバコ屋さんであった。(ここも、店は開いておれど、誰もおらず)。またテクテク。テクテク。たださっきまでのテクテク歩きと違うのは、頭のなかに「おふろ屋さん、あればいいなー」の気持ちが生まれたこと。すると、なんと、まあ、テキトウに曲がった先にはコインランドリーがあり、「これはきっと、近くに銭湯があるに違いない」の思いで左方向に進んでみると、まるで待っていてくれたかのように、「ことぶき温泉」の看板をかかげた建物があった。■これは「お湯の神様」に導かれたのかなとあとになって思うのだけれど、ここがとてもいいお湯であった。お湯だけでなく、全体の雰囲気が「古くて、清潔」という、わたしの愛する銭湯スタイル。脱衣所には普通の目盛りのついた体重計のとなりに、赤ん坊を寝かせて量る小さな体重計まであって。うまくいえないのだけれど、たとえば傘立てにある置き傘の並び方や設備の整い方などを見て、「ああ、ここは気持ちの穏やかなヒトがやっているのだな」と感じる、そういうものが伝わってくる銭湯なのだ。■番台のご婦人によると、今では七尾には銭湯が4軒しか残っていないという。そしてお湯がとても柔らかいのだが、これ、井戸水を沸かしているそうな。湯治に行ってもリュウマチの治らなかった人が、ここのお風呂に通って治したとも。遠くからのお客さんも少なくないらしい。「一番分かるのはね、髪の毛ですよ。ここのお湯で洗ったら、つるつるになるの」と言われたが、たしかに「そうかも」である。■もちろんわたしは七尾で銭湯に入る予定なんてなく、お風呂道具など持ってきていない。体を洗うタオルも、体をふくタオルも、無料で貸してもらったのだ。シャンプー、リンス、ボディシャンプーは、浴室に置いてある。ふうっ。銭湯経験の少なくないわたしが云うが、こんなサービスがあるのは珍しい。普通、貸しタオル、石鹸類があるにはあるが、すべて有料だ。せちがらい世の中で、こんな施しは、体だけでなく、心まであったまる。■ほとんど人のいない町をぶらぶら歩き、最終から1本前の電車に乗って、金沢へ戻った。

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 赤ん坊用の体重計

ニラの花

■最近、白い超小花を、あちらこちらの畑のわきなどで見かけ、「あれは何?」と思っていたが、本日、判明。ニラの花であった。とても、かわいい。ガラスのコップに挿すとちょうど良さそうな。母の畑友達に少しわけてもらい、家に持ち帰った。
■キャベツ、芽キャベツの苗を母が植えた。あと、蕎麦の種とオレンジ色のコスモスの種も。(もちろんコスモスは時季外れだが、お店の人は今からでも大丈夫と言っていた。ホントかどうかはこの先のお楽しみ)。ニンジンを、人間が収穫する前に、何者かなる動物が齧っていったと、母が驚いている横で、我はたんたんと、水ナスを収穫したり、トマトを収穫したり。夏野菜もそろそろシーズンオフだ。
■伴侶を亡くし、だいぶの年月の経つDちゃん(80代半)は、「いつも、お父さんと相談するの。あれは、ああかね? これは、こうかね?って」と、以前話しておられた。本日も、ニラの花をくれたNちゃん(70代初)が、「仏壇にはほとんど庭か畑の花を供えてる。買ってきたのより、(すでに亡くなっておられる伴侶が)喜ぶから」と。「喜ぶの? わかるの?」と、わたしが聞き返すと、「うん、うん」と真顔でうなずかれていた。これ、分かる気がする。ときどき、わたしにも爺さん(父)の言葉がやってくるのだ。

金太郎温泉

きのうの真夜中、時刻表の路線図を眺めていたら、「金太郎温泉」なる名前を北陸本線の南方に発見。さっそくネットで調べて見ると、評判のよいお湯のようである。ふーむ。ふううーむ。

「青春18きっぷ」の消化を促進するため、本日は母も誘っておでかけ。朝8時半前に地元駅を出発し、乗り換え2回ののち、最寄の魚津駅には10時過ぎの到着。バスの運行は日に数本のようで、タクシーにて金太郎温泉へ。道中、たわわに実った梨やラフランスの果樹園を眺めたり、運転手さんと話しているうちに、あっという間に目的地に。▽肝心の金太郎温泉であるが、「硫黄くさい湯の、スーパー銭湯形式」といおうか、自然の恵みである温泉と現代人の欲を合体させたような、摩訶不思議なところであった。1時間コース、3時間コース、一日入り放題コースがあったが、我らは3時間コースに。露天にはいったり、各種内風呂にはいったり、サウナにはいったり、途中、無料体験のマッサージベッドを堪能したり、なかなかみっちり楽しんだのであった。▽帰りは、ちょうど路線バスがあり、それに乗り、最寄駅まで。バスを待っている間、「毎日、ここのお湯に来る」という老女が、珍しい木がある、と教えてくれた桜の木を見上げてみると、桜の木の股のあいだから、にょっきり、あきらかに桜ではない、長細い葉っぱをつけた枝が伸びていた。これは「山の専門家でも珍しい」と言ってるそうな。ほほー。温泉帰りに土産がついた。▽帰りは富山駅に途中下車。昼をとろうと思い入ったビルに、お茶専門のカフェがあり、母が「喉が渇いたから、抹茶でも飲もう」というので入店。結局、二人して抹茶の特選パフェを食べたら、小腹が膨れてしまい(団子など腹を満たすものをトッピングしたパフェだった)、食事は止めて(たまには西洋料理でも食べたかったが、駅周辺にはそんな店が見当たらなかった。ぐすんっ。との理由もある)、駅前を散策。ちょこちょこ歩いたが、「鱒寿司ミュージアム」やら「漢方薬ミュージアム」やらのあるビルがおもしろかった。▽夕刻、駅隣ビルの地下のスーパーマーケットで買い物し(珍しいものを買ったのではなく、ごくごく日常の食品買い出し!)、平凡にドトールのサンドイッチで遅い昼食をとり、JR線を2本乗り継いで、親の家に戻った。

親子お出かけを頻繁にしている人には珍しくもない休日だろうが、考えてみれば、母と二人きりで遊びに出かけるなんて、わたしにとっては初めてのこと。たまにはこんな日もよかろう。

悩む土曜の晩

■頭を悩めている。過日、「青春18きっぷ」を買ったのだけど、あと4日分も残っているのだ。(「青春18きっぷ」とは、JRの各駅停車が一日乗り放題になる切符)。期限は今月の10日まで。ああー。あががががー。(←ホントは、「あ」に濁点打ちたい気持ち。そんな文字がないので、「あがが」でガマン)。自分よ、アホですな。なんでそんな切符を買うのや。いや、買うのはいいのだけれど、なんでこんなギリギリになるまで使わないのや。あー、あー。あー、あががががー。どうする、どうする? 夜になって悩み始める。
■久しぶりに食品の買い出しに行った。田圃の向こうのスーパーまで。秋だねぇ。稲穂が垂れてるねぇ。そろそろ早いところでは稲刈りも始っているようだ。
■さぬき饂飩(生めん)を買ってきたので、晩に温かい饂飩を食べようと、(普段は地元産の饂飩を愛食しているので、さぬき饂飩は“おなつかしゅうございます”なのだ)、まず、おつゆを作る。エノキやシメジや油揚げの具入りで。しかし、しかし、そのあと、茹であがった饂飩の、あまりにツヤツヤした表情を見たとたん、急に冷たい饂飩が食べたくなり、メニューを変更。ちなみにわたしは「ちゃんとメニューを考えてから台所に立つ」ことが、ほとんどない。たいてい、目の前にある食材で、行きあたりばったり。なので今夜も、ヘンテコな組み合わせの食事となった。→ 冷うどん(カイワレ大根、長ネギ)。白ご飯(朝に炊いた残り)、ナスとひき肉の炒めもの(雑草のように繁殖している青ジソをたっぷり入れて。味噌味)、苦ウリの煮物(米酢と饂飩用のおつゆを煮立たせて、苦ウリを炊き、鰹節で仕上げ)、鶏肉の炒め煮(鶏肉、竹の子、トマトを炒め、饂飩用のおつゆを加えて煮て、黒コショウで仕上げ)。温豆腐(具入りの饂飩用のおつゆに絹ごし豆腐を投入して温める)。うほほん、思いがけず、饂飩用のおつゆが「いい仕事」をしてくれたのであった。
背伸びせず、ゆるゆると日常生活などをつづります

はえともみ

Author:はえともみ
 
万の風になって、生きる。

ちちんぷいぷい~。
(HSPの自覚あり)
「うつと仲良く! ひきこもりだっていいじゃない」と
開き直って生きてたら
元気になってきました。

→ 近年は、老母の観察メモの
(&それに伴う自身の変化など)
色合いが濃くなっております。
・・・ま、長い人生の一コマですな。

徒然な日々も、留まることはない。
すべてがいとおしい。だから書く?

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