ともみ@ピクニック

8月の参禅日記

長い一日であったような気もするし、あっという間の一日だったような気もする。

夕べ、「あっ、御誕生寺に行こう」と思いつき、(数ケ月も前から、その願いはあったのだけど、つい先延ばしにしていた。明日で8月も終わりだし、どこにも出かけないまま夏が終わるのも寂しいなぁと、かけこみ出発!と相成った)、ほんとは朝2番目の電車(始発じゃ早すぎるかと思い)に乗ろうと、目ざましをかけていたのだが、ああんっ、寝過ごして、起きたら朝の9時だった。あわてて、水シャワーを浴び、白のお気に入りのTシャツに、黒のスパッツ、黒に白水玉の前掛けがついた「それどこに売ってんの?」というキュロットを重ね穿き、化粧もせず、そのまま出発。発車10分前を切って、金沢駅到着。緑の窓口には数人の客が並び、わたしのただならぬ血相を見てとったのか、女性駅員が自動券売機に案内してくれる。10時03分、ぎりぎりセーフで乗車。11時21分、福井駅に到着。福井の駅前はちょっとだけ知っており、「ここでお昼にしよう」とねらっていた、安くて美味い饂飩屋は、とほっ、日曜のため休業だった。さて、どうする。福井と言えば「ソースかつ丼」が有名で、駅付近にはそれを食べさせるお店が何軒かあるのだけれど、どーも、「かつ丼」という気分ではない。ドトールにしようかともちょっと思ったけれど、福井に来てまでドトールに入るのもなぁ、と、しばし、悩み、結局、客入りの良さそうな駅前のラーメン専門店に入って、「あっさりラーメン」というのを食べた。駅に戻ると、ちょうど次の乗継電車がやってくる時間であった。11時54分、福井駅、出発。12時21分、武生駅、到着。うー、実のところ、御誕生寺に行くにはどうすればいいか?知らぬまま、ここまで来てしまった。インターネットで、御誕生寺の住所「越前市・・・」と検索した結果の地図を見ると、この武生駅が載っていたので、「ひとまずココに来た」という。うー。我ながら・・・。幸いなことに、駅から歩いて1分もかからぬところに観光案内所があり、そこのご婦人におそるおそる「御誕生寺に行きたい」と申し出たところ、地図を見ながら行き方を探してくれて、(この行為により「最寄駅はココ」と睨んだのは間違いでなかったと判明)、しかし、次のバスまで1時間以上あるとのことで、結局、タクシーに乗り、一路、御誕生寺へ。

まだ新しいだけあり、ちっともお寺の雰囲気がせず、拍子ぬけ。参道の入り口にもまっさら新しいお地蔵さんたちが並んでいたが、こんなに新しいお地蔵さんを目にするのも珍しい!とおかしなところで驚いてしまった。(寺の土地を寄進されて十年ほどだそうだ。家屋が建って4年だったかな? 現在は本堂を建設中)。わたしが御誕生寺にやってきたのは、ここの主、板橋興宗さんに惹かれて、ただこれひとつである。しかし、いきなりお訪ねするわけにもいかず、同寺では「日曜の座禅会」を開催されていることを知り、それに参加しようとやってきたのだ。■座禅会の開始よりはだいぶ早く到着したようで、先に坐らせていただくことに。・・・・・民家のような家屋の、小さな玄関に入ると、一歩でまたげるほどの狭い廊下を通り、座禅の部屋へ。「席はどこでもいいですよ」とのことだったので、部屋のなかで真っ先に吸い込まれるように目についた坐布に座ると、「そこ、禅師様のお席です」と、注意されてしまった。しょぼ、しょぼ。そうであったか。あとで見ると、確かに「興宗」とのお名前がその坐布に書かれていた。・・・・それより3つほど離れた坐布に座っていると、少しずつ、参禅の方も集まり始めたようである。そのまま座り続け、いつしか座禅会も開始。■・・・・・時計の針は急ピッチで進む。はい、数時間後である。座禅会というかたちで禅師と一緒に座わる機会を得ただけでも一生の宝になる体験、さらには、他の参禅者たちも交えた席で禅師と言葉を交わしただけでも感無量であったのに(ホントのことをいえば、生のお姿を拝見しただけで感無量だった)、夕暮れも深くなりつつあるころ、一人残って座っていたら、「お茶を飲みませんか?」と、禅師がお部屋に招いて下さった。(直々に対面させていただけるなんて! これ、ローマ人(庶民)がローマ法王と直にお目にかかるようなものである――とは、喩えが大きすぎるかもしれないが、あながち間違いではない)。1時間か1時間余りはおしゃべりしただろうか。■「変わった人もいるもんだねぇ」と、何度も、禅師は口にされた。最初はよくわからなかったのだが、この変わった人とは、わたしのことらしい。しかし、だよ。わたしは、まだ血にも肉にもならぬ知識を頭のなかで発酵している、その途中のものと、心からの言葉を、いくつか喋ったに過ぎない。だから、こんなわたしを「変わった人」と禅師がおっしゃるならば、これまで禅師のまわりには、つまり仏道の道におられる立場の方たちは、あまりにもマトモ過ぎる、ということではないか?と(帰り道で)思った。■これまで参禅したところ(G舎)で「どうしてもなじめなかったこと」「劣等生であったこと」などを話して、わたしは少し気持ちが救われたかもしれない。またその(G舎の)老師の存在を、「まだ(この世の中に)そんな方がおったのか」と板橋禅師が驚かれていたことを、あらためて考えてみると、G舎というのは、いかに素晴らしく、希少な禅堂であるか、身にしみて分かるのである。■「あんたが男なら、この寺にスカウトしたい」とのお言葉まで頂いて、(ほんの軽く発せられたのだと分かっていても)、ちょっとイイ気になっている今夜のわたしであるが、わたしが欲するのは、尼になるとか、仏道に入るとか、もちろん他者を導くとか、などではなく、ただただ自分が楽になりたいだけなのである。ただただ呼吸することが楽になりたいだけなのである。

鈍行列車を乗り継いで(待ち時間が長かった)金沢へ。アパートに着いたのが24時前。そして、日記を書いている今は、ちょうど26時。ゆうべ、ぽつんと思ったのだけど、「今は虫の音も深まって・・・、しかし、そのうち、ある日気がつくと、虫の音も聞こえなくなるのだよなぁ。そしたらもう冬だなぁ」。

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8月も終わりだ!つれづれ日記

昼ごろ、チーズケーキ風のパンを食べて、夕に、ベーコンとチーズの入ったフランスパンを食べて、夜は、サンドイッチと、胡桃とレーズンのパンを食べた。昼はコンビニ、夕は尾山神社の近くのパン屋、夜は家の近所のパン屋で買ったもの。特別「パンを食べたい」日だったわけじゃない。気がつくと、パン三昧の一日であった。オレンジも3つ食べたが、さらにあと3つ、今日中に食べる予定。近江町市場で買った「6つ、200円」のオレンジだ。

雨が降ったり止んだりの、まるで梅雨のような一日であった。あきらかに「地球はおかしい」と、誰もが思っているだろう。なのに、「おかしい」という認識をぼぉっと受け止めているだけの(もちろんわたしを含めた)現代人。とっくに、あたふた、すべき時期に突入しているかもしれないのに。自分が生きてるあいだはなんとかなるさ、と思ってしまうのだな。この愚鈍が地球を滅ぼすのだろう。

おかしな夢を見た。語るにまだ複雑な心境なので、心の奥に閉じ込めていたのだが、5月と6月に座禅させていただいた禅堂や老師のことを、ときどき、苦い気持ちで思いだす。そして今朝はその禅堂に行った夢を見た。夢のなかのわたしは、「どうして、もう二度と行かないと思ったココに来ているのか?」と、いぶかりながら、どんどんどんどん夢のなかに入っていくのである。そして夢のなかでは、現実と負けず劣らずの鮮やかさで、さまざまな感情を味わう。特に衝撃的だったのは、老師がわたしに「あなたは記憶がすっぱと抜けるときがある」と諭そうとするのである。夢のなかのわたしは「そんなことあるはずない」と思うのだけれど、老師から「わたしの記憶が欠落した」その証拠を見せられて、不安な気持ちとともに、それを認めざるをえない心境になっていくのである。

ほんの数日前の晩、お布団のなかで考え事をしていたら、突然、時間のチャックが開いた。(おかしな表現だけど、そういう感じなのだ。「チャックを開いたら、別の時空間にいる」のだ)。開いた先には、爺さんの亡くなるほんの数時間前、わたしが動く爺さんを見た最期の時間があった。そして、そのときのことを思い(←便宜上記したが、ほんとうは「チャックの向こうの世界が、今、ここにある」のである)、とてつもない心境になった。(「後悔」でも「反省」でも言い表せない、黒い闇を泳いで行くような気持ち)。そのあと、お布団を抜け出し、庭に出て気持ちを落ち着かせようとしても、チャックの向こうで覚えた余韻は残り、なんともいえない心身をもてあます。ちょうどトイレに起きたらしい母のもとへ、氷を入れたグラス2つと缶チューハイをもって行き、黙って余韻をにじませた。

上の話と、さらにもう一つ上の話は、つながっているのか、いないのか、自分でもわからない。ただわかるのは、「この世とあの世がつながっている」と、体で感じたのは、あの禅堂が初めての場所であり、(ホントは、「つながっている」と、体で感じる基本の一歩に近づいた、程度である)、いずれ、わたしは(苦い気持ちを克服して)あそこへ帰っていかなければならないということ。

余談だが、本日、不動産屋に家賃を払いに行く折、「つい最近、家賃用のお金を用意した」ような気がするなぁ・・・と財布の中を確かめたが、それに該当するお金が入っていない。しかしATMの前まで行っても、う~ん、「家賃は用意した」気持ちがぬぐいきれんなぁ・・・と鞄のなかを探ったら、不動産屋と交わす帳面のなかに、家賃分のお札が挟まっていた。いつ、お金をおろしたのだ? 記憶がすっぱと抜けている!

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白州さんの語りなど

昨日はアパートに帰ってから、バタンと倒れるように寝てしまい、(人に会うだけで疲労してしまう)、夜も深まってから目を覚まし、朝方になってまた眠り、昼に目ざましの音で目覚めたり、なんどか覚醒したのだが、「なにもかも いやいや」病が発症したらしく、(今、特別に嘆くような原因もないのに)、ずっとずっと睡眠界にいる。寝ているあいだ、幸せな雨が降っていたような気もするし、どこか懐かしい夕暮れを、短い覚醒のあいま、窓越しに見たような気もする。

白州正子と河合隼雄の対談集『縁は異なもの』のなかで印象に残るひとつは、「弱法師」という能から広がる白州さんの語り。――<前略>日想観(じつそうかん)の信仰というものが行き渡っていたわけですね。つまり、昔から四天王寺の西門は、極楽の東門に向かっていると信じられており、彼岸の夕べに、くるめきながら海に入る落日を拝むと、成仏できるという風習があった。そしてほんとうに海の中へ入っていって自殺した人もたくさんあったにちがいない。同じような信仰が熊野にもあります。それは観音浄土を目指す補陀落渡海(ふだらくとかい)の風習です。こういう信仰はとっても残酷なものだと思われているようで、そういう小説をお書きになっている方もあるけれども、私、当時の人はほんとうに信じて喜んで行ったと思うんです。残酷だと思うのは甘っちょろいヒューマニズムですね。〔『縁は異なもの』46~47頁〕■わたしは能に関してまったく無知で、このたび初めて知ったのだけれど、能の舞台では、女の面は真ん中に穴が一つ開いている程度で視界が限られているのに対して、この目の見えない役の弱法師の面は、目の所が全部開いているらしい。つまり、ほかの目の見える登場人物よりも、目の見えない弱法師がほんとうは一番見えている、という意味をもつ仕組み。うむ、深い。■ところで、白州さんと河合さんのお二人が「明恵さん」はスゴイスゴイ魅力的な方であると随所で言い合っているので、わたしも明恵上人に関する本を読んでみたくなった。■以下、白州さんの語り。――でね、明恵上人の一番偉い所はなんだろうってあらためて考えたんですよ。それはやっぱり明恵上人が死にそうになったとき、弟子たちが大変嘆くので、明恵上人がそれにこう答えるんですね。自分がこの世から去るってことは「今日を明日に継ぐにほかならず」って。私、この言葉がやっぱり一番だと思うんですよ。今の仏教の人たちは、生と死のことばっかりしか言わないじゃないですか。そうじゃなくて、永遠の時間というか、生と死が繋がっているというか……。〔同書 206頁〕

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天にツバ吐く

ふむ、ふむ、うぐぐぐ。昼から金沢へ。「なんと腹の据わらない奴なんだろう」「言い分ばっかり、いっぱいあって、実行力の乏しい」などなどなどと、頭のなかで思いつつ、引きつり笑顔で、「社会性まだ幾分も残ってますよ」「働きたくないわけじゃないのですよ」と、いちをアピール。▲派遣の更新期日が今月末であり、かけこみ!で、某派遣会社にやってきたのである。「なんと腹の据わらない」「言い分ばっかり」とは、わたし自身のことである。これまで派遣の仕事をいくつもやって食いつないできたけれど、もう、派遣仕事はイヤ!と心のなかでは思っている。派遣はアルバイトよりも時給が高いし、労働環境も概して良いのであるが、しかし、その内容というのが、事務仕事であったり、コールセンター業務であったり、わたしの場合はそーゆー仕事の紹介が多いのだけど、わたしはそーゆーのは「もう、イヤ!」なのだ。▲なのに、けれど、でも、派遣の登録をすぱっと切ってしまうまでの勇気がないのである。もしかしたら、この先、また派遣で働こうと思うときがくるかもしれない・・・と。ああ、意気地なし。▲ニュースなんかを見ていると、「臨時雇い」よりも「正社員」がいいんだと多くの人が思っているらしい。不思議だ。なぜ「この先もずーっと同じ会社で働き続けなければならない」正社員が良いのだろう? 将来を思い息が詰まらないのだろうか? 息を詰まらせてもいいから、経済上の安心を得たいのだろうか? わたしが真面目過ぎるのか? 普通の人はもっと気楽に長期雇用というものをとらえているのだろうか? ▲20代の頃は当たり前にやっていた「一日7時間以上の、週に5日の労働」というものが、はてしなくシンドイ行いに思えてならない。毎日ぐずぐず過ごすか寝てばかりいるわたしがこんなことを言うのは天にツバ吐くようなものかもしれないが、「起きているあいだのほとんどの時間を労働に費やす」生き方に“それしかないんだ”と思い込む人生に、わたしは疑問を挟まずにはおられない。それとも、わたしの労働体験の質が乏しいだけであり、世の人々は「もっともっと労働したい」と思うほど、楽しい労働に従事しているのだろうか?

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唾液はぴゅっぴゅっ

▼今夜のテレビ『ためしてガッテン』は、虫歯をテーマにやっていた。で、つい見てしまったのだが、わたしが一番衝撃を受けたのは、「放っておいても治る虫歯がある」というとこでも、「歯の表面は半透明のエナメル質である」ということでもなく、唾液の出る、その瞬間であった。ぴゅっ、ぴゅっ、と出るのね。わたしはてっきり、じわっ、じわっと、唾液はでるのかと思っていたが、そうではないのである。繰り返すが、まるで水鉄砲を打つように、ぴゅっ、ぴゅっと、唾液は生じるのである。番組の最後では、今や虫歯治療よりも、定期的な歯の検診を重要視する時代である、というようなことを言っており、(いや、そうはいっていないかもしれないが、わたしにはそう聞こえた)、はぁ、秋になったら「また歯石取りにいらっしゃい」と歯医者から言われていることを思い出してしまった。
▼イチゴの苗を植える手伝いを午前中にした。ホントに手伝いだけであり、土壌の準備も、畝(うね)を作ることも、苗を先に半分植えることも、先日より母が一人でやっていたのだが。今年は150苗植えた。去年の半分である。
▼朝はパンやヨーグルト、フルーツなどの軽食。昼は、姉と下の甥が来るというので、ゴボウチャーハン(ゴボウ他、竹の子やザーサイ、目につく野菜と、十種類以上の具を入れて)、ササミの揚げ物、キュウリとホタテの煮物などを、作る。母がはりきって5合もお米を炊いたのだけど、それって、はりきり過ぎではあるまいか。夜は、北あかりというジャガイモをふかしたのと、お中元でもらったソーセージとピーマンを炒めたもの。ゴボウの残りとトウモロコシで、チヂミ風の焼き物。キュウリとトマトしか具のない冷やし中華(ゴマだれ)など。最近のぬか床の登場野菜は、ニンジン、ゴボウ、黒ウリ、ナスであり、それも毎食のように食べている。

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ゴボウハンバーグ

■今年は秋への傾斜が大きくない? 例年なら、8月下旬といえば「夏の終わりと秋の始まり」が行ったり来たりの印象だけれど、今年は夏の後姿さえみせず、秋に突入という感じ。はたして来月あたりにまた暑~い日はやってくるのであろうか。
■一昨日の晩、北京オリンピックの閉会式というのを、30秒ほど見た。ちょうど、花火がぱん!ぱん!打ち上げられているときね。華やかな映像をぼおっとを眺めつつ、中島義道の「切り捨てゲーム」という言葉を思い出した。結局、この世の中は「見て見ぬふり」「切り捨て」ているから、人間関係の糸車がまわっていくようなものダ、なんて意味に近いことを、彼は『たまたま地上に僕は生まれた』のなかで書いている。そうね。そうだね。これも中島の話を元にするが、お葬式に行ったらケラケラ笑ってはいけないし、人が昇進したら喜ばなきゃいけない。そしてその裏ではたくさんのことを切り捨てている。切り捨てた場所で、人々は励まし合いながら生きている。今回のオリンピックでいえば、もちろん切り捨てられたものの代表は、人権問題だろう。「こんな野蛮な国でオリンピックが開催されている」ことを切り捨てて、競技は開催され、選手は戦い、マスコミは報道し、人々は歓喜する。切り捨てなければ、物事はまわっていかない。わたしが今日の日記にこのことを書いたのは、頭に熱が上ってオリンピックに文句を言いたいからではない。わたし自身はもともとオリンピックに関心が薄いし、オリンピックが開催されようがされまいが、毎日ご飯を食べ、おやつを食べ、ウンチをし、布団の上で眠り、たとえチベット問題に心を痛めようが、具体的な行動をまだなにもせず、日常をまわし続けているのだから。(これも「切り捨て」でしょう)。ただ、「北京オリンピックは成功!万歳!」なんてことだけは口が裂けても言いたくないなの思いはある。
■夕飯に作ったもの、以下の三品。夏野菜のスープ(キュウリ、オクラ、玉ねぎ、ホタテ。昆布&かつお%コンソメ出汁)。ピリ辛炒め(ナス、厚揚げ、ピーマン)、ハンバーグ(ゴボウ入り)。ハンバーグのソースはトマト味(ハンバーグを焼いた肉汁に、ざく切りトマトと、シメジを投入し、塩とオリーブオイルで味付け)にしたが、これ、失敗であった。ゴボウ入りのハンバーグはトマトソースと相性がいまいち。甘辛の照り焼きソースのほうが良かったな。

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結局、瑛太は素敵という話

「友はそのヒトを語る」という言葉がある。どのような人物と仲良くしているかによって、そのヒトが見えてくる、という。仮に、人格者Aさんの親友と聞けば、そのヒトも「Aさんが認める」ほどの立派なヒトなんだろうと勝手にとらえてしまう、という。しかし、よく考えたら、「それって、なんかヘン」だよな。わたし自身、そういう色眼鏡をはずしたいと思ってはいるけれど、いやはや、わたしにも「友はそのヒトを語る」思想がしっかりしみこんでいるなぁと思った本日。■夜のテレビに俳優の瑛太さんが出ていたのさ。ドラマ『篤姫』のなかで演じる小松さま役と、カツラをとった現実のお姿の印象があまりにもかけ離れていて、「現実の彼を見たくなかった」とさえ、思ってしまった。けれど番組の後半で、彼がリリー・フランキーととても仲が良いということを明かされてからは、「ん、んん?」「リリーさんが認めているヒト!」という魔法にかかり、にわかに瑛太さんの魅力がわたしのなかでアップした。そして番組の終わるころには(リリーさんとは関係ないしに)「瑛太って、素敵」と思うまでになった。(つまりは、リリーさんとの関係を知ることによって彼の魅力がわたしのなかで開花したのは事実だが、しまいにはリリーさん抜きでも彼の魅力を感じられるようになった)。■余談だが、何年か前に鈴木宗男が世の血祭りに挙げられているとき、松山千春が鈴木宗男を見捨てなかったのは、エライ!と思う。(こういうとき、「自分の評判が落ちるから」と交友関係を絶ってしまう人もいるだろうに)。■司会者が最後の質問として「今後、どのような俳優になりたいですか?」と尋ねたら、瑛太さんはこう答えたのさ。(わたし要約→)「現場に行く途中に困っている人と遭遇したら、どんなに時間が迫っていても、助ける。遅刻を恐れて、困っている人を見捨てるような俳優にはなりたくない」。うーん、今どきの若者で、こんなことを言えるのは珍しいのでは。しかも、質問の意図におさまらない、広い海のような答え。まじ、イイ男だ。(メモ→目の表情が、金城武に似ている。「目が」じゃなく、「目の表情が」)。

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黒ウリの塩漬け

●きっとこの先もずっと「独身友の会」会員だと思っていたヒト(一学年上の男性)から「入籍しました!」の連絡が来たのは、つい先日のこと。そして、いやだいやだ見合なんかしたくないと憂鬱な表情を浮かべていたヒト(同級生の女性)が次に会ったとき、思いがけずイイお相手だったと、この縁談に乗り乗りになっている旨を明かしたのも、この夏のこと。はぁ。この歳になると、みんな、これまでの生き方をたんたんと重ね続けるのだろうと、どこか連帯感ともなった静かな安堵があったのだけど、いやいや、まだまだ花盛りのヒトもいるのだねぇ。
●黒ウリがおいしい時期だ。浅い塩漬けにしたのを、毎食のように食べている。(半分漬物で半分果物のような感じ)。ちょっと東南アジアっぽい(青いパパイアとか、青いグァバを連想)なぁと、悦に入る食卓だ。
●どうして心がこんなに弱いのか。もう、生きてるのがイヤ!という波が、しばしば訪れる。いったんその波に入っちゃうと、理性の頭とは別に、心と体が暴走しちゃう。ブレーキをかけられない。たぶん、どんな人でも自意識をもっている限り、「すべてイヤ」になることは人生のなかで何度かあるのだろうけれど、わたしの場合、頻度が多すぎではないか? しかも、ブレーキは故障しっぱなしで。ハンドルのかわし方も、いまひとつ、つかめない。

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手だけ「花笠音頭」

お祖母ちゃんの入居してるところの、夏まつり、ってやつに参加した。「まつり」といっても、入居者と家族はみんなイスに座って食事をしながら、その合間に出し物を披露したり、見学したり・・・・・というもの。座ったまま、手だけ「花笠音頭」を踊ったり(紙で作った花笠を手に装着!)、職員の踊るヨサコイに合わせてリズムをとったり(竹の棒を叩き合わせて音を出す!)、入居者の老人たち、そして半ば強制的に家族も、出し物に参加させられたのであった。▲前から薄々感じていたことだけど、本日、この目で見て、はっきりしましたわい。老人施設は、まるで「幼稚園の年寄り」版みたいだ。この日に向けて、入居者の老人たち(*)は、“手だけ「花笠音頭」を踊る”練習をしてきたのだという。今日はその成果を披露する日でもある。なんだかなぁ。老人たちの時間をどう消化するか、ボケないため&体のためになにをするか、日々、こういう施設の人たちは考え、案を練っているのだろう。そして「老人のために」と、いろいろ工夫をこらしているのだろう。▲しかし、どうなんだろう。年寄りたちはこれを楽しいと思っているのかな。上記の出し物のほかには、自由参加のカラオケもあったのだけど、今日のまつり全体で、ほんとうに楽しそうな表情をしている老人は、ほんの一握りのように、わたしの目には映った。あとの老人たちは(うちの祖母を含め)「仕方ないから、やっている」という感じだった。(一番楽しそうなのは、職員?)。▲父が入院しているとき、思ったのだけど、看護師さんのなかには、入院中の老人に対し、終始「子供扱い」口調で話しかける人もいた。それに対し、老人たちはうんうんと普通に応じていたけれど、なんか、わたしの目には、そういう看護師は、言葉の上だけじゃなく、患者を見つめる視線そのものが「子供」扱いしているように思えてならなかった。(実際、入院中の老人は、子供と同様の世話が必要なわけだけど)。そこには「老人の尊厳」が奪われているように、わたしは感じた。▲年を重ねることは子供に還っていくことでもあると思う。けれど、年をとり、出来ないことが増えても、人間の尊厳とは増えることあっても、減ることは決してないはずだ。本来は。なんか、「老人たちがいて、それを世話する青年~中高年がいる世界」では、しばしば「老人の尊厳を奪う」親切が、繰り広げられているような気がする。

*現代人は生きにくい社会に生きていると言われるけれど、その波は、老人たちもかぶっている。寿命が延びた分、昔はしなくてもいい苦労を、今の老人たちはしている。
*上記「入居者の老人たち(*)」とあるが、うちのお祖母ちゃんは、こういうのに極めて消極的なので、一回も練習に参加しなかったそうだ。それが、今日、いきなり、「見よう見真似」で、手の踊りなどに参加させられていた。まるでテレビ「おかあさんといっしょ」で、幼児が先生やほかの幼児の真似をしながら、その場で踊りや体操する、あの世界のようであった。
*余談だが、会場は、家族の人が「来る席」と「来ない席」、入居者の老人が二分されていて、なんかヘンな感じでもあった。「来ない席」の老人たちは、運動会で家族の誰も来ない小学生がぽつんとお弁当を食べる席のようにも映った。
*「人生は加齢により、解き放たれることが増える」とわたしは思い込んできたが、現実を見ると、必ずしもそうとはいえないな。今の老人たちは多々、「加齢によって、ぎゅうぎゅうの箱に入れられる」ケースに遭遇しているのではないか? そうすれば、家族が安心だし、社会全体も「福祉」の顔をできるし。
*「姥捨て山」の世界と、「今の福祉」の世界、どっちが幸せなのかわからんな。わたしなら、姥捨て山のなかに桃源郷を作って余生をおくりたい。理想は、森茉莉である。

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ウドの大木

●おしっこをしても、しても、まだ排尿したい。という夢を見ることがある。(←ときどきね)。で、目を覚ましてみると、現実の体も、ひじょ~うに尿意をもよおしているのだ。ごほん。今朝は、うんちをしても、しても、まだ排便したい。という夢を見た。(←こんなの初めてだ)。夢のなかの便器には小っちゃいうんちが次々と落とされるんだけど、なかなかすっきりしないんだな。うっほおん、目覚めてみると、実際に便意をもよおしていた、なんてことはなかったけれど、そういえば、現実のわたしはただ今、便秘中なのではないか!(夢を見たことで初めて気づいた)。家出中、摂取する食べ物が極めて少なかったということもあろうが、今週から「ダメもと」でまた抗ウツ薬を飲み始めたというのが、便秘の理由だろう。(抗ウツ薬は便秘する)。しかしなー。便秘をする以外、薬が効いているのかどうか、さっぱり分らないのだけど。
●午後、母が帰ってきた。いまだ気まずさは残るが、ま、しょうがない。
●「ウドの大木」というけれど、ウドって、ほんと、短い期間でどーんと成長するのね。わたしの腕ほどもなかったウドが、わずか3ケ月足らずで、わたしの身長を超すほどに伸びている。おまけに、この数日に吹いた大風で、大木の一部が折れてしまったらしい。小さい刀を持って、伐採にいく。ま、本格的な伐採というか大幅剪定は、冬前にするのだけれど。(それまで、来年食べるウド用に根っこを太らせるのだ)。
●晩御飯に、みょうがと豆腐のお味噌汁を食べた。今年初めてのみょうがである。

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家出の終了

母から電話があったのは、火曜日だったか。「Mさんから郵便が来てるよ」と、携帯の留守電にメッセージがはいっていた。今週は母が女学校時代の友達と泊まりがけの遠出をする予定があり、その際に持たせようと思っていたもの<使い捨てカメラ><顔をパックするシート><お菓子>、もうそれどころじゃないハズだったけど、一時の感情で後悔するよりはと、遠出に間に合うように、火曜の夜、速達で送った。水曜、その荷物が届いたらしく、「嬉しかったです」と、また留守電にメッセージが入っていた。そして今日、木曜日、母から封書の手紙が届いた。そこには「紫蘇ジュースを作ったこと、オクラが実り過ぎていること、食べモノがあり過ぎて困っていること、白菜用の土を買ったこと、盆栽に虫がついていたこと」などなどなど、たった1週間しか離れていないのに、細かな近況が書かれていた。

はぁ。ずっと怒りがおさまらなかった。今も、おさまってはいない。そして、おさまらないながらも、「母から折れてくれる」ことを、心の底で願っていたような気もする。(「あの夜、一言でも謝ってくれれば、お盆の最中に家を出ることもなかったのに」と、甘えたことも思っていた)。

母の遠出は、今日から一泊。この日には家を留守番することを、あらかじめ頼まれていた。そして今週土曜日には、お祖母ちゃんとの前からの約束がある。ちゃぶ台をひっくり返すように、人生のなにもかもをひっくり返したくなるほど、ヤケになっていたのは事実だが、約束を破ると、わたし自身の心がもっとメゲると思った。そして今日を逃したら、ますます親の家には帰りづらくなる。そんなわけで、夜の電車で、親の家に戻った。

この1週間で、ずいぶん涼しくなったな。親の家の夜は、半袖でいると、やや肌寒さを感じるほど。虫の音も深まった感じ。気づいたら、8月も終わりかけだ。

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ただ、あるがまま

禅は宗教ではないという人がいる。わたしもそう思う。ところで、座禅であるが、「足が痛そう」とか「棒で肩を叩かれるんでしょ」とか、まず第一にそういうイメージをもつ人が非常に多い。本当に座禅を極めた人は「足は必ずしも組まなくていいんだヨ」とも言うのだけれど。(実際、「座禅用のイス」が開発され、市場に出ている)。「カ~ツ」と肩を叩かれるのを思い浮かべるなんて、写真や映像によるイメージ先行ゆえだろう。わたしはまだ全然わかっていないけれど、座禅で一番大切なのは呼吸といわれる。つまり、呼吸が整えば、それによって自分と宇宙が一体になれば、どんな格好だっていい(らしい)のである。座禅は微動も許されんというのもイメージ先行。また、座禅は無心にならなければいけないというのも、正しくはない。座禅中、いろんな想念がわいてくるが、それを邪魔にせず、相手にせず、つまりは対象を追いかけることなくただ眺めていることが大事らしい。(そうすると、いつしか念は消え、新しい念がやってくるわけだ)。んで、ここからが本題だが、禅において、座禅とは修行のひとつに過ぎない。禅においては生活のすべて、つまり食事をしたり、仕事をしたり、家事をしたり、それらの全部が修行なのだという。はい、今日の日記で何を書きたかったかといえば・・・。クソ~ッと腹が立ち、鬼の親分になったおのれがやってきても、あるいは、シクシクと泣きじゃくる、デリケートの塊になったおのれがやってきても、それを「ただ、あるがまま」にしておけばいい、必要以上に追いかけることは止そう。ということを、自身の胆に一滴でも多く刻みつけるために、言葉にしてみたのダ。

お盆中の一件は、他人にとっては「へっ」というような出来事であり、でもそれはわたしにとって心身を切り刻まれるような出来事で、これが自分以外の人に理解されないってことで、ますますわたしの被害者意識が高ぶって、あまりに高ぶり過ぎたあまり、今度はこちらが加害者になるほどの興奮をともなった怒りに変化したのだな。で、家出。そして、いつものウツとはちょっと違うのだけど、ほとんどウツのような状態になり、なにもかも、生きていることすら、嫌になったのだな。んでもって、最近は「週に4日ほど、時給750円のアルバイトをして、残りの2日は畑仕事や庭仕事などをして、残りの1日を自由日としよう」なんて(←頭のなかの計画)、やっとこれからの展望を抱き始めていたのに、もうそれどころじゃなく、(もちろん「それどころじゃない」というのは、自分が自分の頭のなかで生み出した状況)、普段は意識下に隠れているのかもしれない感情までわいてきて、(例えば、「血縁も地縁も捨ててしまいたい」とか、「あと20年、わたしに元気な体があるとして、それをず~っとこんな田園生活で終わるのか?」とか、「祖母や母の世話をするのがわたしの折り返し人生の仕事だなんて気持ちに半ばなっていたけれど、そんなもん、捨ててしまいたい」とか etc)、もうどこにも自分の生きる道がないような(←思いつめすぎ)、いやいや、これを機に、前からの夢である「森の中で暮らす」を実行に移そうか、うーん、うーん、うーん、その資金はどこから? などなど、ここ数日はビョーキの頭で考え出してもいた。そしてそして今日に至る。

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*お知らせ*

前にブログ横につけていた「メールフォーム」(メールはこちら)について。→宛先のアドレスが使えなくなり、ならば別のアドレスに変更しようと思っていたが、どうも、それはできないようだ。(あたらしいアドレスのブログをつくり、そこに引っ越さなければいけない)。

鍵つきのコメントは読ませてもらってます。ただ、送り主のアドレスがない場合、返信のしようがないため、あしからず。

7月下旬から8月上旬までのあいだ、メールフォームからメールを下さった方、あるいは「もぐら日記」時代のアドレスにメール下さった方、当方の事情によりメールを読めておりません。(今後も読めない)。

新しいアドレスをひとまず取得はしたが、使い勝手がよくわからず、(AOLの専用フォームになれると、他のソフトが使いにくい)、どうしたものか、AOLのアドレスを再度とろうか、と思案中。よって、新しいアドレスのお知らせをできずにいます。(ますます世の中離れしてしまう)。

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ほんとうは何もこわれていない(のか?)

生まれて初めての家出の原因は、「わたしが大切に思っているものを壊された」こと。「もの」といっても、それは単に物理的なものではなく、わたしの精神的な拠り所の象徴としてたまたま物体として存在しているもの。いくら元どおりに復元されたとしても(←不可能だが)、決してそれをとらえる心まで元に帰るわけではない。▼最初はわんわん、子供みたいに大声で泣き、そのうち泣き疲れて眠ってしまい、気がつくと夜になっていた。もちろんそのときも涙は出たが、だんだんとより怒りが大きくなって、最後には自分でも抑えつけられない怒りのなかにいた。(ニュースなんかで見る殺人事件も他人事と思えぬほど)。そして親の家を出た。▼それから数日間、ど黒い魔術のなかにいた。書くのはまことに恥ずかしいが、首をつって死んでやろうかとまで思った。(想像しただけで、死ぬ気はないが)。もちろん今も魔術は完全に解けてはいないけれど、「ずっと横になり、なにも食べずに、ひたすら黒いことしか考えられない」状態は少し緩んできたように思う。▼こんな理由でここまで狂うなんて、結局、わたしのなかがどこか異常なのだろう。たとえば、大事にしている人形を壊されたら、持ち主の子供は怒るだろう。しかし、大人が持ち主の場合、「たかが人形を壊された」くらいで怒り狂っていたら、それがどんなに大事な人形であろうと、それにより他者を傷つけたり自己を傷つけたりするほどの怒りを招くならば、そこには異常の芽があるといえよう。▼今回のことは「たまたまそれがきっかけで、実はこれまでの積もり積もった母との関係が爆発しているだけなのではないか?」との見方もできようが、いや、そうではない。今回は、99%今回限りの原因がある。わたしの大切にしているものが目の前で壊されて(実際は見たわけでなく、耳で聞いていたのだが)、悔しくて、悲しくて、終いには母への憎しみに昇華して、しかし、その憎しみをあらわにしても、「なぜわたしが感情を爆発させているのか」まったく想像できない母をますます恨めしく思い、わたしはわたしのなかの怒りを扱いきれなくなった。▼こんな状況におちいることに、わたし自身が驚いているが、「それだけ、わたしはそれを大切にし、頼っていた。癒されていた。生きる力になっていた」という事実に、逆に初めて気付かされてもいる。

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苦い夏の終わり

携帯の電源をいれると、下の叔母から
Cメールが入っていた。
<家に寄って行きませんか>と。

昨日の<満月です>メールに続き
<次回の帰省用においしい焼酎を探しておきます>と
叔父からもメール。

お盆なのに突然、親の家を出てしまった我を
みな、心配しているのだろう。

でも、だからといって、どうすればいいのだ。

心のなかの状態は、「喧嘩して家を出た」という事実の域を出てしまった。

せっせと小粒の葡萄を口に運びながら、苦い夏の終わりをかみしめる。

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