ともみ@ピクニック

have a 心のカルシウム

●お腹の肉を無理やりジーパンのなかに収め、拷問のような窮屈さでボタンをはめ続けていたら、ついに、お腹のボタンをしている位置が赤く腫れて、皮までめくれた、・・・と、数日前の日記に書いたけれど、そりゃあ、労働もせず、「食うか、寝るか」の生活を続けていると、こんな無残な体型になるのも、自然の法則だわなぁ。夕べは、真夜中にこっそり夕飯を食べたあと、レーズンパン一袋(6~7個は入ってた)を、まるで食後のデザートのようにぺろっと腹に納めた。そして本日も伏せてはいたが、夕刻にはなんとか体を起こす。そして夕食を7時半頃食べ、22時頃には、長崎カステラまる一本の半分を、これまた(まるかじりではないゾ。その点は下品の極みを免れて、ちゃんと1センチ幅に切っては、食べ、切っては、食べ、を繰り返し)、ぺろっと腹に納めたのであった。はー。なんかね、食べても、食べても、すぐに空腹になるの。起きている間は、常に食べていたい!!と言っても過言ではない。
●抗うつ薬の話の続きであるが、それは風邪薬と一緒で、「うまくいけば症状を押さえることはできるが、根本的な治療ではないのだろうなぁ」が、薬を飲み始めた当初のわたしの感想であり、それは今も変わりない。そして薬の増量により(あるいは薬は関係なく、たまたまそういう心身の波の時期だったのかもしれないが)寝込む機会が減り、極端に無理しなくても昼間体を起こしていられるようになった昨今は、「体はなんとか動いても、精神的には必ずしも晴れやかとはいえない状態が、慢性的になりつつあるなぁ。寝込んでしまうよりはマシであるけれど、これはこれでアンバランスな感じがするなぁ」と感じていた。そしてこのたびの、またもやの心の骨折。ぐすんっ。お医者さんは「やる気がでてくる薬です」と言い、クリニックをあとにするたび、「お薬を飲めば元気になれるんだ!」と目の前の視界が開けたように思えたけれど(自己暗示?)、やはり、人間、薬を飲んだからといって、それだけで元気になれるなんて、ありえないのである。心の骨折には、心のカルシウムになるようなものを、あるいはカルシウムのもとになるものを、自分で取り込まなければならないのである。

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ポキッ、ポキッ

●昨日より「あぶない」予兆はあったのだが、ああ、やはり、ダメ。一日中伏せる。(原因は分かっているのだが、あまりにもみみっちい過ぎて、そのみみっちいさが恥ずかしくて、ここには書けない!)。健常者ならば「まぁ~ね、こんなこともあるわねぇ」と大股で歩いていけるようなことに、つまずき、その際、ポキッ、ポキッと、心が骨折したようになり、寝込んでしまうのだ。真夜中、母親が寝静まった頃、そーっと階下に下りて、食事をとる、はい、わたくし、四十歳です。
●過月より、抗うつ剤を服用しているが、これ、ほんとうに効くのかね。とあるお薬を、最初は5g×1粒から始め、それが増量して → 10g×1粒 → 25g×1粒 → 25g×2粒 と服用しても、とんと効き目を実感できず、25g×3粒として、やっと、「はっきりとした効き目はわからんが、なんとか午前中~昼頃には体を起こせる様態になり、また副作用の一つとしてあらかじめ教えられていた便秘気味にはなってきた」のであるが、先ごろの診察で「もっとはっきりとした効果を得たい」と医師に話したところ、25g×4粒と、さらに増量した薬を飲むようになったのだが、はてはて、ちょっとしたことで、ポキッと心が折れるのは、いまだ治まらないのね。(骨粗しょう症がカルシウム不足とすると、わたくしのクヨクヨ病は何が足りんのだろう?)。

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デブ街道を行く

●過日の日記に「人生最大の体重かも」と書いたが、その後も着実と体重増加している予感の今日このごろ。(怖くて量れない)。昨晩、K叔父から、「どうしてずっと正座してるの?」と酒の席で言われた。「あのですね、やっとやっとジーンズの前ボタンをはめていて、ちょっとでも横座りして体を傾けると、このボタンがお腹の肉に食い込みそうになるのです」と答えたけれど、ぐふんっ、今朝、シャワーを浴びるとき、おヘソのやや下が赤く腫れているのを発見。こ、これは、ジーンズのボタンの跡に違いない。そして、ただいま26時22分、同患部を確認すると・・・、赤く腫れたまま、皮が剥けているではないかっ。せめて普通にジーンズをはける体になりたい。
●夜は酒宴を断り、親の家で一人の夕食。白エビの唐揚、野菜の素揚げなど、母が作っていったもののほか、カレー、焼きそば、ホウレン草おひたし、ホタルイカという本日昼以前の残り物を食べる。うーむ、昨夜はデブ街道まっしぐらの酒宴であったが、一人の食卓となった本日も、やっぱりデブ街道を前進しているのであった。

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世間様は連休にはいったのか

●午前中は夏野菜を植えるお手伝い。わたしが行ったころには、母のほか、Dさんや、帰省中の叔母(母の弟の嫁)という助っ人のおかげで、メインの作業は終わっていたのだが。ちょこまか草むしりをしたり、別の畑へ行って、耕す作業などを、少しだけやる。
●この数日、毎日のように外に出て、おまけに午前中の起床を続けているためか、眠くて眠くてたまらない。午睡をとる夕方、ケイタイ電話がなった。「ご飯を食べにこい」との叔父からの電話。ううむ、また宴会だ。総勢7名で飲み食いし、(海の幸、山の幸、平地の幸、(使い古された言い方だけど→)いずれも地元でとれた旬の食材を使った料理が満載、プラス、すき焼き)、テレビドラマ『篤姫』を見損なってしまった。

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リキュウウメ

●夕べ、叔父や母と23時過ぎまで飲む。本日は軽い二日酔い。(最近は酒の肴が「春というか、初夏」の味になってきた。ウドやコゴミやタケノコの天ぷら、トビウオの刺身などなど。お酒がいっそうススムね)。
●朝、祖母を自宅に迎えるお手伝い。半月ぶりに自宅に戻った祖母、「それだけ」で満足そうであった。普段は留守にしている祖母宅の庭では、リキュウウメが満開になっていた。
●またもや石材店。このごろ毎週土曜は墓作りの準備となってるような。うーむ。石の種類は大方決まったし、お墓の形やサイズの選定も固まりつつあるのだが、問題はお墓のまわりをどうするか。広さがタタミ8畳分あり(あるらしい。せいぜい6畳くらいかと思っていたが)、ここに一面貼石すると、どえらいお金がかかるのだ。うーむ、うーむ。・・・というのは先週の話。本日は姉夫婦とわたしで、某営業マンのプランを聞いたのだが、3人とも、「これでいいんじゃない」という形まで来た。

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ネギを出荷!

「長ネギがあるなら、売ってみたら?」とDさんに言われた母は、一昨日、生まれて初めて農作物の出荷をした。で、本日の昼、「いい値段がついたよ。まだいっぱいあるんだから、また売りに出したらいいよ」とのDさんの電話を受け、またもや出荷をすることに。▼先日に続き、本日もそれを手伝う、わたくし。収穫をし、自転車でDさん宅まで運搬、根っ子を切って、外皮をむいて、タオルで表面を拭いて、そのあとはDさんにチェックをしてもらい(太さの識別、品質の確認)、規定の重さ&長さに束ねてもらい、Dさんの名前で出荷。ふうっ。それなりの手間隙がかかるけれど、昨年からの冬を越した長ネギ、多くの人に配っても、それでも余りある量だったので(このままいけば消費しきれず・・・)、こういう形をとって、見知らぬ誰かの食卓にのぼり、食べてもらえるというのは、なかなか楽しいことだ。▼爺さんの作ったネギは評判がいい。味はもちろんだが、何度も泥かけを繰り返す手間をかけた分、白い部分の長い、非常に見栄えのいいネギなのだ。(この出荷を知ったあの世の爺さんは「ワシのおかげ」とにやにやしているだろう)。欲を出すとイカンが、小遣い程度の収入は、母にとっても励みになろう。

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徒然なる後悔の人

ぐすんっ。「上京は中止」と決めたら、落ち込みは治ったかといったら、まったくそうではないのだ。後悔の念に襲われ、その挙句、髪をぼうぼうに乱しながら、近くの小山をかけ登り、その後は、おたけびを挙げながら、山の中腹からフモトの村まで一気に転がり落ちた、そして日が暮れるまで、村のなかをブツブツ独り言いながら、歩きまわった・・・なんてのは、もちろん大ウソであるけれど、とっても素直な後悔の念に襲われ、軽く呆けたヒトになったのは事実である。ま、大人の意地をふりしぼり、寝込むまでには至らなかったけれど。

上京のときに会いたい人は何人もいるが、スケジュールを刻むように人と会うのは嫌なので(気持ちに余裕をもっていたい)、人と会うのは(1回の上京につき)1~2名と、おのずとルールのようなものが出来ている。ほとんど直前の連絡であるし、誰を優先するしないではなく、仕事をもっているか否か、家庭生活者か単身生活者かなど、想像される相手の都合と、自分のスケジュールとを掛け合わせ、声をかける相手を決めている。(決めるというか、そのときの思いつきのようなもの)。いまのところ、「会おう」と言い合いながら、まだ会っていない人が何人もいるので、重複しないよう、その時々の状況で声をかけている。なので、これは広くに向けた独り事のようなものであるが、「会おうと言いながら、口ばかりじゃないかっ」と怒らんでね。(誰も怒らんか)。

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「寝込む」の巻き

月曜辺りから、心身調子が下降ゾーンにいた。はい、寝込みました。月曜の夜はまだマシであったが、火曜日は「悩み過ぎて」体を起こすことができず、昼も夕もずっと就寝。(夜中にちょっとだけ起きた)。水曜の午前中まで(ほぼ)ずっと蒲団人間。ここまで「気持ちが落ちた」のは久しぶりだ。■原因は、実に些細なこと。今週の金曜日に いまおかしんじ監督 のデビュー作品が東中野で上映されるため、上京する予定でいたのだが、一昨昨日の夜に「今週末の酒宴の用意をしておいてね」と遠方にいる叔父から電話を受け、思わず「はいはい」と返事をしてしまったのが、ことの始まり。自分の時間を使って、自分のお金を使って、遊びに行くのだから、何の問題もないはずなのだけれど、こんな強行スケジュール(詳細省く)で行っていいのか、こんな精神的にも無理して(詳細省く)行っていいのかと悩み出したら、ものすごーく落ち込み始めたのだ。■そして本日、やはり行こう!(今夜の夜行バスで)と思い直し、決意を固めたのだが、夕方になり、いろんなタイミングが外れてしまい(詳細省く)、結局、今回の上京を断念。■Bちゃんの家に泊る約束をしていたので、これこれしかじか・・・と謝りの電話。「そ~んなことで、寝込むなんて」と笑われてしまったが、そうなのじゃ、たったこんなことで、悩み、落ち込み、果てには寝込んでしまう、わたしなのだ。ぐすんっ。「(そんなにそのピンク映画を見たいなら)DVDで見れば?」とBちゃんに言われたが、およよん、発売はしてないだろうし、今後もDVD化はないだろうなぁ。

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ズ太い人間

ハタから見たら、わたしは前々から、たいそうな怠け者であろう。ぐわはは。それは別にかまわんのだが、最近、正真正銘のそれ、つまり、身も心も、たいそうな怠け者になっている。そしてそのことを「しょうがないじゃろ」と、自分で許しているフシがあるのだ。思うに、「怠け者」状態そのものは「認知されてよろしい」範疇にあるが、それを「開き直って」とらえるおのれとは、いかがなものか。しかし、なぁ。「怠けている自分」を責めてみたって、なんらコトは先に進まず、気持ちが苦しくなるばかりだろうし。(という発想自体が・・・?)。で、結論。たいそうな怠け者を両手で歓迎するくらいのズ太い人間になればいいのである。

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輪廻転生のなか

『前世療法 米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘』(ブライアン・L・ワイス著)を読み終えた。(はじめの2日間で大半を読んでしまい、あまりにのめり込みそうな自分がこわくなって(?)、数日寝かしたあと、ちょびりちょびりと読み進めていた)。■わたしは元々、こーゆう世界には興味ないタチであったが、今となっては「前世」や「輪廻」があって当たり前のように感じている。魂は永遠で、肉体が転生している。という考え方、これを軸にすれば、この世のいろんなことの辻褄があい、納得ができる。■疑問なのは、人間は人間として生まれ変わるばかりなのか? ということや、人間の肉体を持つようになる前の魂はどこにいたのか(原始以前から今に続く魂はあったの? 猿の魂が人間に受け継がれているの? それとも人類が誕生して初めて人間の魂は誕生したの?)。■輪廻などを考えるようになる以前から、わたしが心のなかで漠然ととらえる神様は、なにもかもを超越した存在であった。キリスト教の神や神道の神や仏教の仏ではなく、もっと広く、もっと大きく、何ものにも変えられない、絶対的なもの。いわば、万物の神様といおうか。すべてを包む神様。この度の本を読んで、直接それにかかわる話はなかったが、自分の神様観は正しいのだなと思った。そして、「キリストや仏陀は、こちらの世での学びを終えたお方であって、いわば我々の先輩という立場。(ほんとうの)神様は、キリストや仏陀やいまだ輪廻を繰り返している我々を、もっと高いところから見ているお方なんだな」と一歩進んで捉えるようになった。■えへんっ。なんの宗教も入ってませんぞ。ただ、自然と、ほんとうに自然と、そう思うようになったのだ。■ところで、初期のキリスト教では輪廻転生の概念が認められており、旧約聖書、新約聖書ともに、それが書かれていたそうだ。また、魂にはグループがあるらしい(世が変わっても、一緒の時代に再生し、かかわり合いをもつ)。ほぉ。

*『前世療法・・・』は、現役の精神科医が行った催眠療法のレポートである。上記でわたしが字数を費やしたようなこと(神様観など)が本書に載っているわけではない。

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雪の大谷

      雪の大谷・ブログ用 霧の中にいるのかと思ったら、それは雲だった。
雲海よりもずっと標高高い所には 雪の大谷・ブログ用2 16mの雪の壁が。
      雪の大谷・ブログ用3 日差しがとても眩しいぞ。


*三日前に開通したばかりの「立山黒部アルペンルート」に、日帰り旅行。

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“エビ” じゃなく “えび”

●「白えび、はね、日本でとれるから、“エビ”じゃなくて、“えび”と書くの」。突然、甥っ子(小3)がそんな説明をするので、わたしは尋ねた。「じゃあ、日本でとれるトウモロコシは? カタカナ? ひらがな?」。「うーん、僕は、ひらがなで書く」。「じゃあ、日本でとれるトマトは?」。「うーん、(しばし沈黙)、ひらがな!」。しばらくやりとりしたあと、「じゃあ、スペイン人のお父さんとお母さんが仕事で日本に来て、赤ちゃんが日本で生まれたら、その子の名前は、ひらがなか漢字でつけるの?」とか、「“ドラえもん”は日本でうまれたのに、なんでカタカナが混じっているの?」とか、「“おかしカンパニー”って会社はどうなの?」などなど、もうひとりの甥(小6)と一緒にからかっていたら、「それはスペイン人のお父さんとお母さんに聞いて下さい」「藤子不二夫 F さんに聞いて下さい」「会社の人に聞いて下さい」と、かわされてしまった。
●本日は4回目の石材店まわり。(日記には書かなかったけれど、先週の土曜も石材店へ行った)。すでに母が気に入ったお墓があり、見積もりもとってもらったのだけれど、姉夫婦とわたしがどうも「納得いかん」部分があり、再度、初めから検討することにしたのである。午前中はY石材店へ行き、お昼を食べてから、遠出をして、とある霊園を見学(お墓作りの参考のため)。それから姉夫婦とわたしだけで再びY石材店へ行き、営業マンを連れて、爺さんの生前から予定していた墓地を見せて、いろいろ話す。ほんと、お墓って、家作りも同じなのだろうけれど、いろんなポイントがあって、建てるのは一大仕事である。
●墓地は、親の家の近くの、ちょっと小高い場所にある。親戚縁者のお墓がほんの数個だけ建っている、こじんまりとしたところ。本日はそこで、赤い大きな夕日が沈むのを見て、まだ明るい空にまあるい月が昇ってくるのを見た。いろんな木々がまわりをとりかこみ、春は桜が咲き、鶯やいろんな鳥の鳴き声が聞こえる。子供の頃からお墓参りに来ていたけれど、こんなにいい環境だとは、本日初めて知った。

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切干大根 と 干椎茸

■先月、駅のキオスクで「おっ、安い」と買った時刻表、よくよく見ると『中部編』とある。東海北陸地方の列車しか載っていないなんて、なんだか損をした気分。
■親の家、季節を問わず、食材の干し物をしている。最近は、雨の日以外のほぼ毎日、大根(冬越しした大根)と、椎茸(庭で収穫した椎茸)を、庭に干している。あと最近は、ちょくちょく、イワシも干しているな。新鮮野菜はもちろん、保存食材も、可能な限りの自給自足生活。ははは、自給自足がすばらしいという話ではない。そんな環境だからこそ、「家庭の手作りではない、お店の人が作った惣菜を、たまには食べたい」という欲望が、わたしにはある。
■ジョンカビラ、どこに行ったのかと思っていたら、この春からは金曜午前のJ-WAVEに出ているのね。それとは関係ないけれど、わたしは無人島に暮らすとしても、ラジオがあれば、大丈夫のような気がする。

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マックのポテトは量が多すぎ

■雨降りだから、というわけではなかろうが、なんもかんもメンドクサイと投げ出したくなるも、それじゃイカンイカンと、午後早い時間に起床。朝ごはんを食べに、ドトールに行くつもりが、交差点の信号待ちのときに見上げたマクドナルドの二階窓側席が空いており、お腹はマックという気分ではなかったのに、ついつい入店してしまう。で、ポークなんとかバーグセットというのを注文。しかーし、じきに後悔。ポークなんとかバーグはおいしくなくって、ポテトは量が多すぎ(今日に限らず、いつもそう思うのだ。学習力がない)、コーヒーは無難であったが、ドトールよりも若干安くついた分、味覚の楽しみが激減してしまった。加え、もう春休は終わっているだろうに、中学生だか高校生がうるさくて、そそくさと店をでた。わたしが外で飲食するのは、「お腹を満たす」だけが目的ではなく、たいがいは、そこでボーッとしたり、本を読んだり、その空間を買いたいからなのである。うむ、マックのような店でこの目的を達成しようというのは「ムシのいい話」なのか。ボーッとする空間を得たいならば、それなりの対価を払わなきゃいかんのだろうのぉ。(まあ、マックでも、店舗によって客層が違うから一概には言えないが、金沢某所店の午後はどうも“お子様仕様”なのだ)。
■夕方、金沢駅構内のカフェで、コーヒーを注文するつもりが、気づいたらハイネケン(Beer)を注文していた。まあ、たまにはいいな。夜、親の家に戻る。

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「正しき大人の生活」不適応日記(ぎゃふん)

■昨日、アパートのドアを開けようとしていたら、近所の方がどどどどどと階段をあがってきた。「町内会費の集金」だそうな。8400円払う。(アパート暮らしなので、700円×12ヶ月と、一軒屋の住人よりは安い。わたしにはほとんど直接還元のない出費だが、人間界のお約束だから、泣く泣く払った)。そして本日の歯医者では8870円の出費。(保険適用の治療なのに。ああ、ホント、歯医者って、行く度に大金がふっとぶ)。ふうっ。一番の問題は、まる2年近く無収入で、わずかな貯えも底をつく寸前だというのに、あまりお金に執着のない自分がいるということ。大丈夫だろうか? この先、わたしは生きていけるの?
■もうずいぶん長い間、自炊をしていない。親の家にいるときは母親の作った食事(ごくたまに我も簡単なものを作るが)、金沢では安いお店のハシゴか、スーパーのお惣菜を買ってくる、そんな状況。生活するって、ご飯づくりに限らず、やりなれないと、「ことさら億劫」になるよなぁ。昔は週1回ペースの掃除が、今では数ヶ月に一度やればいい感じ。(アパートは記憶にないくらい長く掃除していない)。アイロンかけもそう。お蒲団を干すのもそう。しまいには、家ひきこもりが続くと、寝巻きから服に着替えるのさえも、億劫になるしな。
■昨日は、夕方のおやつに、ジャーマン(=パン屋を兼ねた喫茶店の名前)でピザトーストを食べる。そして夕飯はスーパーのお惣菜と赤ワイン。本日は、歯医者の前に、母親が昨昼作ったオニギリを食べて、歯医者のあとはミスドのドーナツ。夕飯はまたオニギリとスルメイカと赤ワイン。毎日、しっかりした和食をとっていると、たまには、こういうアバウトな食事が楽しく感じる。体の基本が貧乏なのだろうか?

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