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さよならなのだNTTよ

●お昼の電車で金沢へ。アパートに戻ると、近所の“ガチャピン”みたいだったフキノトウは、立派なフキに生長しておった。隣家の水場にはカモらしき野鳥が2羽遊びにきていた。うほっ。北陸電力に電話して、電気の供給を復帰してもらう。これで部屋の明かりは灯り、ラジオを聞ける。ガスと水道も電気同様に何ケ月も使っていなかったので、「こちらも停止されている」かと思っていたが、さすが役所の管轄、そう簡単には停止されていないのであった。
●あのね、NTTの料金は過日すっきり払っておいたが、(NTTは料金未納のため、名義ごと剥奪されてしまった)、あららん、またあらたに「利息分」として、200円だか300円だかの請求書が届いていた。人間界のお約束であるからして、この利息を払うのは当然だし、今後一切NTTの回線を使用できなくなるのは仕方ないと思うけれど、あのね、この停止になったのが3月1日なのだよ。そーなのら、「2月末までお金を払わなんだら、3月1日をもって、利用停止。そしてお金は3月分をまるまる請求しますヨ」という仕組みであった。これは大いに憤慨だ。許せん。1日だけ(利用可能の)頭数にいれて、その実は1ヶ月分まるまる請求する仕組み。なぜ、日割りにせんの? ぐおおお、こうなったら、もう二度とコチラからNTTのサービスは利用せぬぞ。これまで「光フレッツ代」として、毎月6千円近くのお金を(利用もせぬのに)せっせと払ってやっていたが、今後はNTTとは手を切るもんね。
●心のなかで眠っていたことを、思わず語ってしまうことがあるのだなあ。「年金でわたしを養ってもいいから、母はわたしと暮らしたいみたい。彼女は誰かそばにいてくれないとダメなのだ。それがわたしにとって重荷になっている」「今、母とわたしは、共依存の関係であるとも言える」「今後は自分が心身ともに落ち着きをもち、母との距離を、いい按配にもっていけるようにしたい」。胸の底にあることを、すらすらと語っていた自分に驚くぜ。

「婚活」時代に思うこと

『「婚活」時代』(山田昌弘・白河桃子 著)という本のなかにこんな一節があるらしい。「女性が狩り場に出て行って、めぼしい男性をどんどん狩っていく。男性は、女性に狩っていただけるように外見を含めて自分を磨く。それが、『「婚活」時代』の基本戦略」。ぐふんっ。「婚活」とは、就職活動を就活と呼ぶように、結婚するための活動を略して呼ぶそうな。今や、「婚活」しなければ、結婚ができない時代と、いわれているらしい。▼へー、へー、へー。恋愛の水面下において、女性は昔から狩人の一面をもっていたんじゃないの? なんちゅうかな、女性は恋愛において、自分でワナをしかけておいて、それをあたかも男性がしかけたワナという体裁をつくり、自分から進んでワナのなかに入っていく、そんなテクニックを多かれ少なかれ誰でももっているような気がするんだけど。全女性の得意事項とはいえないが、そういう「水面下の狩人」は女性の特性のひとつではないのか。▼あっ、そうか、「婚活」時代における「女性が狩る、男性が狩られる」は、もっと違う話なの? 水面下の狩人ではなく、水上に顔を出した女性狩人の話だとか? 女が男に「あたいについて来い!」って告白しちゃうの? かっこイイ。(いや、本音を言えば、「かっこイイのは確かだけれど、自分がそうなりたいかといえば、決してなりたくはない」のだな)。▼仮に「婚活」時代の発想が、「一昔前までは男性が狩る側、女性が狩られる側だった」なんてところから生まれているとしたら、ぶひひのひっ、である。「昔は今みたいに凶悪犯罪がなかった」と同様のたわごとに感じるなぁ。昔から、男は女を狩り、同時に、女は男を狩っていたのである。▼ところで、「男性は・・・外見を含めて自分を磨く」と上記にあるな。今さら、なにを言う。「婚活」時代になる前から、男の外見は大事だし、ハートも大事なのである。もしも「昔の女性は異性の中味だけを大事にし、外見を気にしなかった」なんていい分があるとしたら、それは大嘘だし、また、今の時代だって、男性の外見は大事といっても、それが女性に好かれる絶対の理由にはなりえないのだ。▼余談だが、外見に気を使う男性が増えてきたのは、「女性の気を引く為」だけが理由ではないと思う。もっと別の、性とは離れたところに大きな理由があるのでは。例えば、昼ごはんのあとに歯磨きをする男性がいるように、一度着た服は洗濯しなければ着ない男性がいるように、それは個人の清潔感・価値観に根付いた話なのじゃないかなぁ。起因を恋愛に限定するのではなく、それは対「自分」や、対「世間」のためのもの。ああ、そうそう、あと、昔から比べれば「外見を気にする」「おしゃれをする」余裕が男性にも生まれてきたという面もあろう。▼まあ、結婚したい人は、「婚活」を懸命にすればいいのだろうけれど、もう、そろそろ、今のような時代、「結婚する」だけが健全な生き方ではない、と、もっともっと広く認知されるべきではないのか。「結婚」願望をもつ人の、その願望の種は、自身のなかから自然発生したとは限らず、「婚活」のような言葉が流行る社会(集合体)の発する無意識のエネルギーから生まれた可能性は少なくない。

「春だ、春だ」

●田舎の春は黄色く染まる。といったら、大げさだけど、ひと冬を越した野菜たちが、あちらこちらの畑で黄色い花をさかせている。白菜、ブロッコリー、水菜、その他えとせとら、遠くからみたら菜の花と区別のつかない、冬野菜の生長。(収穫しそびれ放っておくと、あるいは、食用とするためにあえて残しておくと、白菜もブロッコリーもその他野菜たちも、茎を伸ばし、小さくて黄色い花をつけ始めるのだ)。自転車をこぎながら、あちらこちらの黄色い畑を目にすると、大地が「春だ、春だ」と歌っているような気持ちになるなぁ。
●本日のご飯は筍飯。今年に入って筍飯は3度目だけれど、掘りたての筍を使ったのは、今日が初めて。おお、そうそう、夕飯には鮎の塩焼きを食べたのだった。うーん、山だけでなく、川も春だねぇ。いやいや、鮎の解禁はまだではないか? うん、まだだ。(冷凍の鮎だったのかもな。お土産にいただいたのでわからない)。
●まるで隠居老人日記である。ぐふっ。「1週間遅れ」で日記を書こうとすると、記憶をたぐるのが大変なのである。ま、椿事も起きず、平和な日であったということだ。

あんぱんマン姉弟がやってきた

●朝9時、「こんなものが届いたけど」と、寝てるわたしのもとに母がやってきた。へっ、ぇ? ええ? それは昨日の夕方、わたしが出した宅急便。<送り先>と<送り元>を反対に書いていたのであった。。。 お目め、ぱっちり。目が覚めた。こんなマンガみたいなこと、あるんだねぇ。
●午後、庭の木の芽をつんでいると、珍しいお客さんが。遠方にいる従妹一家が「49日に来れなかったから」と、爺さんの線香を上げにきてくれた。従妹とは今年に入ってから会っていたけれど、従妹の子供たちに会うのは、約1年ぶりか? それにしても、顔がまん丸で、まるで「あんぱんマン」みたいな、従妹の子供たち。かわいいんだけれど、ホント、穴が開くほど見つめたくなるまん丸さであった。
●お芋やお菓子はパクパク食べるんだけど、お茶を飲まない、従妹の長男(小3)。「いらないの?」とわたしが聞くと、パパ(従妹の夫)になにか耳打ち。なになになに?と周りが気にすると、今度はママ(従妹)に耳打ち。そのなかみは「自分の家ではこんな(濃い)お茶飲んだことないから、苦い!」という、たわいのない内容だったのだけれど、小さな子供特有の “みんなの前では言えないけれど、こっそりと特別安心できる人にだけ打ち明けたい” という空気がみなぎっていて、なんだか懐かしかった。それと同時に、「みんなに聞こえるように言いなさい」とママ(従妹)が教えても、やっぱり、こっそり打ち明けたいと、ママの耳がこそばゆくなるくらいママに接近する、そのときの「子供とママの姿」を眺めていたら、「ああ、○○ちゃん(従妹)はお母さんになったんだなぁ」と、ふわっと感動し、また「わたしはお母さんになることはないんだなぁ」と、あわせ鏡のような感情がわいた。

肥える春

この1週間近くでグンと暖かくなったようだな。親の家の庭では、昨冬からの寒椿や山茶花がすっかり花を落とし、ボケの花がきれいに咲き誇っている。■デブかデブでないかといったら、明らかにわたしはデブ体質なのだけど、これはもう昔からなので、さほど気にはしていないんだよね。「この歳になるとお腹の肉が・・」という周囲の嘆きも、ほっ、ほっ、ほっ、昔から腹回りの贅肉を囲っている身としては、「今さらなにを」という感じで聞いていた。そんなわけで、ダイエットだとか健康という巷の人々の関心ごとに、わたしは無関係に過ごしていたのだけれど・・・・。先日の銭湯で体重を量ったら、今世紀最大は確実で、ワタクシ至上歴代1位か2位を争うほどの数字を示しておった。ひぃぇ~。(歴代1位は二十歳の頃ね)。たしかに、去年買ったジャケットはボタンがはちきれそうで、ジーンズのファスナーもとっても上がりにくい、などなど、おのれの身に寄せている危機をなんとなく感じてはいたものの、じかに数字になって現れると、自分のことながら、飛び上がりたくなるわい。たぶん、この1年、いや、この半年で5キロ以上は太っただろう。(親の家にも体重計はあるが、日常的に量っていない)。母親の作るご飯を食べていると、栄養が良すぎるのだな。■と、これだけが理由ではもちろんないけれど、いつまでも親の家に居候していては「体も精神も、養豚になる」という思いを、わたしは抱いている。爺さんが亡くなってから、「これからは住所不定で生きていこう。住民票は何処かに定めるけれど、わたしは、どの土地にも縛られず、生きていこう」と胸のなかで誓った。そのためには、心の羽、精神の足が、必要だ。とらわれを失くせば何処からか心の羽は生えてくるのだろうか。おだやかに目を瞑っていればおのずと精神の足は伸びてくるのだろうか。

車窓お花見の朝

●北陸に戻ってくると、ちょうど桜が見頃となっていた。親の家に戻る汽車のなか、車窓お花見。「あ、ここは満開」。「あ、木蓮も」。体がぐんぐん春を吸収するのを感じる。
●さて、本日は爺さんの命日、お坊さんがやってくる。本日は、爺さんの昇天のときにもらった戒名をあらためて本山でなんとかかんとか(←よくわからん)してもらったものをもってきて下さり、その分、いつもよりも長いお経であった。
●この坊さんは遠いところにあるお寺さん。(爺さんの実家がそこの出身らしい)。本日はなぜか奥さんと小さな息子さんをお坊さんは連れていらした。車のなかで待っていてもらうのは忍びないので、一緒に家のなかに入ってもらうと、この小さな息子(たしか2歳)は最初、わー、わー、はしゃいでいたのに、仏壇の前に連れて行くと、ピタッと静かになるのである。一同、「さすが、寺の息子だ」と感心。そしてすぐに慣れ、母や姉やわたしが代わる代わる抱っこしても、「生まれたときからこの家にいます」みたいな顔をして、おとなしくしているのであった。
●「おお、もしかしたら、あと何十年後には、この息子が住職となり、この家に来てお経をあげるようになるのか」と、この小さな生命体(6ケ月くらいで生まれた未熟児だったらしい。なので今も実年齢よりずっと小さい)を不思議な思いで見つめる、わたしであった。
●最近、わたしは「輪廻転生」を自然のことととらえるようになってきており、本日もつい、「この小さな○○ちゃんも、実はこのあいだまでは老人として“この世”にいたかもしれないんですよねー。わたしよりもずっと年寄り(の肉体)だったかもしれないんですよねー」と言ってしまった。普通なら「ヘンな人」と怪しげな顔を向けられかねないこの発言を、住職夫婦は黙ってうなずきながら聞いてくれた(ように見えた)。

やけに長い日記だが、あるのはいつもと同じ24時間

〔行動メモ〕今日は晴れ。朝からまた永田町。いろいろ規則があって苦手という人もいるだろうけれど、わたしはこの図書館が好き。いると、時間軸が消えたような、しずかな気持ちになれる。いろんな人がそれぞれの興味関心ごとに向き合っているのも、なんか気持ちいい。建物の外や、中庭の、緑の多さ。これもいい。ただ毎回、困ってしまうのは、この図書館にいると、お金をけっこう使っちゃうこと。コピー代金がね、お高いの。「なかなか手に入らない資料だ」と思うと、つい、コピーをしちゃう。二度と目にしないかもしれない資料に何千円とお金をかけてしまうのだ。▼昨日は図書館の食堂でラーメンを食べたのだけど、あまり美味しくなかったので、本昼は売店でパンを買って食べることにした。ほのぼのとした気持ちで菓子パンをかじる。食堂は、食堂でオーダーしたもののほか、持ち込み食もOKなので、まわりにはカップめんを食べている人もちらほらと。ほぉ、食堂でカップめんとは不思議な光景。▼さてさて、行動メモだな。午後1時半頃、あわてて図書館をあとにし、南千住の宿に戻る。預けていた荷物をひきとって、池袋に直行。目指すは、平和湯。お疲れさんの体を癒し、荷物のパッキングをするためである。しか~し、ぐふ~ん、迷子になった。地図をプリントしたものを持っていたのだけれど、方向音痴人間に地図など、あまり役に立たない。(というよりも、地図をちゃんと見ずに歩いているのがアカンのか)。駅から5分ほどのハズが、気がつけば、すでに10分以上は歩いている。で、よくよく周りを観察すると、立教大学の近くまで来ている模様。あきらに、へん。これはいかんと駅のほうまで引き返し、今度は穴が開くほど地図を見て、だいたいの方向をつかみ、きょろきょろ歩いていると、世の中にはこういう人がおるから助かるわ、「どこ行くの?」と、見知らぬおっちゃんが声をかけてくれる。「平和湯って、銭湯です」と答えると、おっちゃんは丁寧に道順を教えてくれたのだった。▼平和湯に到着。ほお~っ、古臭く、雑多な雰囲気が、池袋っぽい。浴室のタイルに“お色気女性”が描かれているのも、場所柄を反映しているような。それにしても、今までにわたしが行った銭湯のなかで、一番、お湯がまったりしているのではなかろうか。このまったりというのは、お湯の感触(やわらかさ)だけでなく、温度の低さも関係あると思う。過日の燕湯のような、すぐに茹蛸になってしまう熱い湯と違い、ちょっとぬるめの、長い時間つかっていたくなるお湯だ。(「ボイラーで沸かした湯ではなく、なんとかかんとか式に暖めている湯」との説明書きがあった)。夕方4時台、お婆ちゃんたちの社交場となった銭湯で、まったり湯につかり、旅の疲れを癒す、わたくしであった。▼と、と、と、のーんびりばかりはしておれん。お風呂は早々に切り上げ、脱衣所で、お婆ちゃんたちの社交のはじっこに入れてもらいながら、荷物のパッキング。そしてまた重い荷物を引きずって、池袋駅へ。うわうわ、もうこんな時間。あわてて新宿に出て、乗りなれない小田急線に乗る。▼生まれて初めて鶴川という駅に下車。そして初めてKさんとご対面。このKさん、自分のお手てで「家」を作っているだけでも驚きだが、そこから垣間見えるKさんの世界は、わたしの目にはとても魅力的に映った。▼急な訪問にもかかわらず、Kさんは「野武士鍋」(←ある人、命名)を用意して下さり、お茶室で食しながら、いろんなことを話した。(あとで思ったのだが、Kさんとは会うべくして、会ったのだな。なぜなら、わたしが今、学びたいこと、語り合いたいこと、その知識と経験を、Kさんは持っているから)。▼それにしても、下戸なのに酒飲みの気持ちがわかる(?)というのは、すばらしい。前菜というか、箸休めというか、「葱のぬた和え」のお菜を用意されるあたり、Kさん、恐れ入りましたなのだ。甲州ワインも食事に合う上質なワインであった。▼ただひとつ、残念、そして、Kさんに申し訳なかったのは、わたしの帰りの時間が迫っており、あわててお茶の席についてしまったこと。きっと前世でも茶人であったろうKさんのお茶席を、もったいないことした。(あの幻想的な空間を異空間とはとらえずに、でも、というか、かつ、あの独特の味わいを全身で深く堪能できたら、どんなに素晴らしいだろう。そんな感想をもちました)。▼ほどよく繁盛されますよう、黒庵さん、お祈りしておりますぞ。(おまけ。Kさんは漆職人でもある。お茶室の床柱には漆の木を使っておられ、その漆の木には漆をとった跡が残っており、そういうひとつひとつが、見学者であるわたしにとって感激であった)。▼うわっ、Kさんとの会話にくつろぎすぎて、明日の朝までに親の家に戻らねばならんことを忘れそうになってしまったよ。ははは、予約していた池袋発の高速バスに乗り遅れそうである。と、そんな状況にもかかわらず、わたしはK宅最寄駅から乗った各駅停車の電車のなかで眠ってしまったのである。・・・はい、本来ならば、これで「バス乗り遅れ」は決定であるな。(泣く泣く、バスの切符を捨てて、JRの切符(夜行列車)を買うハメになる)。▼ところが、なんと幸運なのでしょう、ギリギリセーフで間に合ったのだ。1.本来ならば、新百合で急行などに乗り換えて、早く新宿に出たいところだが、わたしはそんなこと気にも止めず、ぐーすか眠っておりました。そんなとき、ケイタイにメールが入ったのだな。いつもなら、ピヨ~ンとやわらかい着信音のため、気づきもしないのだが、このときは、バイブレーターにしていたので、目が覚めた。で、「ええっ? ここはどこ?」となり、次の向ヶ丘遊園で乗り換えできた。2.銭湯のあと、池袋駅に荷物を預けておくつもりだったのだが、Kさんとの約束の時間が迫り、そのままK宅まで荷物を持っていってしまった。これが良かった。もしも池袋駅のロッカーに預けていたら、これをとりに行くのに時間を要した。3.池袋駅に着いた時点で、「もー、99.9パーセント、乗り遅れだ」と思ったが、ダメ元でバス乗り場に行ってみた。そうしたら、なんとバスが待っていてくれたのだ。他の乗客のみなさん、ごめんなさい。▼あー、田舎には帰りたくない、と思ってしまうほど、今回は楽しい上京であった。

図書館Day

〔行動メモ〕また雨である。午前中から永田町の図書館へ。久しぶりのため、使い勝手を忘れて、うろうろ。ま、すぐに慣れるというか、思い出したのだが。今回の上京は図書館で調べものをするのが目的のひとつであったが、はて、ふむ、うむむ、なんの準備もしてこなかったし、いざ、文献の眠る大きな建物のなかに身を置いてみると、何をどこから調べればいいのやら、途方にくれる。そーんなわけで、本日は、本来の目的とはややズレつつも、まる一日、図書館で楽しく遊んだのであった。(例えば、戦前の雑誌などの見出しを眺めているだけで、あっという間に時間が経ってしまう)。まあ、腹のふくれんことばかりに興味をもってしまう自分に、今さら、あきれもしないし、なげきもしないぜ。閉館少し前、帰途につく。寄り道しないで、まっすぐ南千住へ。駅前のスーパーで、うなぎ寿司と、牛乳と、お茶を買って、宿に戻る。そして畳1.5畳ほどの独房のような部屋で、テレビを見ながら、夕食。わびしさは感じない。細々と平和を感じるのみ。お風呂に入って、26時頃、就寝。

 今回お世話になった宿は、元・ドヤ(日雇い労働者の宿)という感じであった。部屋は全部個室で、一泊3千円前後。(広さによって値段が変わるらしい)。わたしは和式であったが、ベッドの部屋もあるらしい。ま、いずれも、独房のような狭さなのだろうな。それにしても、この独房にテレビ・おもちゃのような卓袱台・おもちゃのようなコップ・ドライヤーなどがついているのには驚いた。寝巻きやタオルやバスタオルもある。なかなか営業努力が感じられる宿。共有品として給茶器やネットのできるパソコンや冷蔵庫が提供されているのも、質は別として、便利ではある。そして、オーナーなのか雇われ管理人なのかはわからないが、世話役の兄さんがやたらと親切であった(宿泊費に見合わぬ親切さ)。毎回、客(わたし)の脱いだ靴を、さっとお兄さんが取り上げて、靴袋(ビニール袋)に入れてくれるのには、「やだっ、もしも靴が蒸れて臭っていたら恥ずかしいわ」と思わされたわい。まるで旅館のような接客は面食らうぜ。全体的に、居心地悪いというのではないのだが、なんか、几帳面な匂いのする宿であった。

ハワイ産ワイン

〔行動メモ〕朝から雨。昨日から軽いうつうつの入り口にいる感じで、「昼間に予定していたこと」は延期するつもりでいたが、かといって安宿で一日過ごすのは、ますます気持ちが不安定になりそう。とりあえず「都会に出て映画でも見るか」と南千住駅に出向くも、切符の自販機で何気にボタンを押してしまったのは、隣駅までの分。あてもなく北千住に移動し、あとは「足の向くまま」としていたら、あらららん、何かにとりつかれたように、丸井→商店街→ルミネ→丸井と歩きまわり、わしわしわしと買い物をしてしまった。普段、欲望を伏せたように暮らしているので、その反動だろうか、財布事情も考えず、手当たり次第の買い物。(この二日間で買ったのは、文庫本3冊、洗濯物を干す円型ハンガー(←洗濯バサミが全部、ウサギの顔になっている)、珈琲用具、シャツ2枚、靴、顔をマッサージするもの、基礎化粧品、などなど。上京するときのキャリーバックには「一升瓶」が入っており、かなり重かった。帰りは軽くなる予定であったが、い~や、とんでもない、それどころか、買ったものがキャリーバックに入りきらず、予備で持っていた布カバンまで動員せねばならなくなった)。途中、お昼休憩したり、お金を下ろしにATMに走ったりもしつつ、あっという間に夕方近くなる。あわてて宿に戻り、荷物を置いて、新浦安のU夫妻を訪ねる。なによりもわたしはUさんのお体の具合を心配していたので、改札を出たところに、“野菜の葉っぱをのぞかせるリュック”を背負ったUさんの姿を発見したときは、安堵の限りであった。U家につくと、本格的な中華料理が用意されており、びっくり。U夫人曰く、「あなたのお母さんも料理が上手だと想像するけれど、こういうのは作らないんじゃないかなっと思って。中華かフランス料理にしようかと迷ったけれど、今日は中華ね」。しかも、器は木曽漆器を用い、「中華と和の組み合わせ」が見事に調和していた。感激の宴である。いろいろお話したけれど、Uさんは以前と変わらず、ひょうひょうとした爺様で、U夫人もそれに応えるようにいいペースで自分をもっている、すてきな夫婦であった。それにしても、いつもわたしはU夫妻に「与えてもらう」ばかりで、おこがましいけれど、なにか恩返しのようなことを出来ないものか、と思う。できるならば早いうちに。もちろんそれは金銭では買えないものだ。ふうっ、宴にはハワイ産ワインも用意されていて、わたしにとっては生まれて初めての飲み物であった。そうそう、〆にはUさん特製のチャーハンをいただき、これまた感激であった。21時頃、U夫人に駅まで送ってもらい、おまけに切符まで買ってもらい、お別れ。いつしか雨は上がり、昨日からのうつうつも姿を消していた。

染井吉野えとせとら

〔行動メモ〕ぐっすり眠った。あっという間に朝。7時頃にJさんが出かけたあと、Sは朝風呂に入り、わたしは床でゴロゴロと寛ぎの時間。J奥さんの用意してくれた朝ごはんをゆっくり食べてから、近所の染井霊園を散歩。わたしは知らなんだが、染井吉野はここら辺で誕生したのだね。霊園にはピンクの花びらが舞い、ピンクの花びらが敷詰められていた。いったんJ家に戻り、荷物をとって、駒込駅へ。途中、Jさんがフランクフルトを売っているお祭りに寄ってみる。賑わっているなぁ。ぎゅうぎゅうに人がおり、小池百合子がマイクの前で挨拶してるぞ、と思えば、その後は女性ばかりの和太鼓の実演が始まって。太鼓ってスゴイね、振動がこちらの体にも響いたよ。で、肝心のJさんといえば、露天商がとっても似合っておった。フランクフルトも旨旨でした。その後、Sと一緒に南千住へ。今宵の宿に荷物を置きに行く。それから日暮里に戻って、先月開通したばかりの舎人(とねり)ライナーに乗ろうと思っていたのだけど、およよん、時間がなくなり、そのまま東京駅へ。「これから山形に出張する」という、もう一人のSと待ち合わせ、和田倉噴水公園を散歩、八重洲地下で遅い昼食。うーむ、懐かしい面々と会って思うのは、「みな、大人になったな」ってこと。昔の友達と会ったとき「ちっとも変わってない」という表現が一般によく使われるし、わたし自身もそう言いたくなることしばしばだけれど、やっぱり、月日は人を変えるよ。もちろん誰だって「変わってない」部分ももってるんだけど、同時に「変わってる」部分は絶対にある。思うに、「昔の像をより大切にしたい」とき、人は「変わってないね~」と表現したくなるのではないか。今日一緒にお昼を食べた二人のSは、わたしから見たら「すごく変わった」よ。20年前、いっつもつるんでいた頃に比べて、人生が軽やかになったように見える。仕事や妻子をもち、学生時代とは比べ物にならないほどの責任を負った生活なのだろうけれど、それこそが彼らの自信につながっているのだと思う。学生時代のような鬱蒼とした森のなかに精神がこもっておらず、今は森を切り開き、生きる道の足元に灯を得た!といおうか。特に、現在、塾の先生をしているSが「勉強がこんなに楽しいものだったとは、昔の自分に教えてあげたい」と言ったとき、わたしは感激のあまり泣きたくなったよ。泣かなかったけど。たぶん、彼らに上のことを伝えても、「そーんなこと、ない」と答えるだろうけど、わたしは二人がまぶしかった。おっと、話は戻り、行動メモの続きを。山形新幹線に乗るSと別れたあと、塾先生のSと、なにをするでなく、ただ歩く。なんかね、頭がぼーっとするの。これは二日酔いでなく、実はまだ二日酔いにもならぬ、酔っ払い状態なのではないか? 一昨日はバスのなかで一睡もせず、昨日は4時間ほどの睡眠、しかも3日連続の宴会で、昨日は昼から夜中2時頃まで飲んでたし。ああー。Sも体調よろしくはないようで、ともに無言で、ぼー。たまにボソボソ喋っては、ぼー。まあ、黙ったまま一緒にいられるのも、考えてみれば、得がたい存在だ。親しくない相手ならば「何か話をしなきゃ」と緊張するからね。ぼーっとしたまま、有楽町に出て、本屋のトイレに寄って、新橋方面に向かい、途中から日比谷へ。そして日比谷公園の前の横断歩道で、どちらともなく、「じゃあね」と別れる。さて、このあと、わたしは珈琲屋を探す旅に。内幸町のビルの下の珈琲屋に行こうとしたら、お休みじゃ。しょうがないのぉ、と思い、新橋方面の珈琲屋に行ってみるも、やはり休み。日曜だからか? 仕方ないので、新橋を抜け、銀座に戻り、珈琲屋を探すが、どうもピンとくる店がない。頭は依然ぼーっとしているも、こうなったら、足がね、止まらないの。えいえいえいと歩き続け、夕方遅くなって、やっと八重洲の珈琲屋で休息できたのであった。その後は、八重洲地下でショッピングをし、上野に出てまた買い物(この場合、ショッピングというより「買い物」と書きたい)をし、ラーメンを食べて、南千住の宿へ。今回は山谷でなく、駅から歩いて3分の所にした。山谷界隈に比べややお高いけれど、ま、いろんな宿を体験したいから、いいのである。

行き当たりばったりDay

〔行動メモ〕朝5時半、池袋に到着。満員電車のような山の手線。なんで早朝からこんな混んでいるのだ。おまけにその混んだ車内でタバコを吸ってる若者がいる。どーなってるんだ、若者は。どーなってるんだ、都会は。御徒町駅にて下車。上野の燕湯(朝6時から営業)へ。いい湯だね。気持ちいいね。「この銭湯に通い50年になる」という99歳のご婦人も、朝湯に来ていた。燕湯近くのベローチェで朝ごはん。場所柄か、客層が「ブルーカラー系のおっさん」中心だった。行き当たりばったりの美容院で髪を切る。5センチくらい短くなった。昼ごろ、懐かしい仲間4人で集まる。東京大学の学食でお昼ごはん。ふーむ、美味しかったぞ、ハヤシライス。通称三四郎池のほとりで、一升瓶の立山(日本酒)を開け、グビグビ飲む。その後、キャンパスを散策(観光客がけっこういる。我らも観光客だが)。後楽園へ移動して、ジェットコースター。あー、怖かった。(叫び過ぎて、今これを書いている4月10日もまだ少し声が枯れている)。降りたら、膝がガクガク。人生観が変わるほどの怖さであった。正気に戻るためには「アルコールを注入せねば」ということで、近くの店でスタウト(黒ビール)を飲む。その後、駒込の居酒屋で三次会。Jさんの新居におしかけ4次会。今宵はJ家のお世話になろう。お風呂をいただき、ビールをいただき、そのあとは気を失ったように寝る。

*燕湯は先月、「国の有形文化財」に指定された。「木造で、これだけ銭湯のかたちを保っているのは珍しい。復元しようと思っても、無理だ」という理由らしい。
*「誰かに話したくて、しょうがない!」ので、書いちゃうぞ。この銭湯、女性用の湯船は2つあるのだが、そのうちの1つは、ごろごろとした岩で囲まれている。で、よーく見ると、いや、よーく見なくとも、湯船に浸かってちょうど目の高さのところに「男性のシンボル(突起した状態)形体の岩があり、その両端には小さくて丸い岩がついている」のがわかる。こんな遊び心を発揮した職人さん&これを許した銭湯のヒトに、感服である。バンザイ銭湯、バンザイ上野。

カブラの菜

●夜は、叔母の退官祝いのパーティー。昨日に引き続き、宴会である。ワイン飲んで、ビール飲んで、日本酒飲んで、そして、わたし一人、先においとま。ぐふんっ、今夜のバスで東京に遊びに行くのだ。バスの出るT 駅までは汽車を使うのだが、汽車の本数が少ないため、相当早めにT 駅に到着。1時間待ちだよ。ま、それくらい、なんともないぞ。へっちゃらさ。ぼーっとカフェオレを飲みながら時間をつぶす。(ただカフェオレが400円という値段の割りにおいしくなかったのが残念なり)。
●春休み、しかも週末のためか、バスは3号車まで出ていた。(客の少ないときは1号車しか出ない)。先月乗ったときは高齢者が多かったが、本日は家族連れが目立つ。みなさん、財布事情が切実なのだろう。(バスだとJRの半分近くの価格)。「時間をお金で買う」人もいれば、「お金を時間で買う」人もいる。人生いろいろ、暮らしもいろいろ。
●おとといの日記で、「ホタルイカの美味しい季節」と書いたが、今は「バイ貝」も美味しい。煮たり、刺身にしたり。本日の宴会ではお寿司やオードブルなどが並んだが、一番美味しかったのは、カブラの菜(見かけは菜の花)のおひたし。ほんのり、カブラの味がするの。

ゆるりゆるりと

■あのですな、わたしが居候として使っている2階の話です。昨年秋ごろから、ずっと掃除をしてなかったの。お布団も敷きっぱなしだったの。爺さん亡くなった日からごく最近まで別室で寝ていたとはいえ、ぐふっ、去年からの万年蒲団だよ。また、コタツの上に置いた、爺さんのお金や病院の診察券など(病院をあとにするとき、わたしは爺さんの財布を自分のジーンズのポケットに入れ、その後、お棺に財布を入れるため、中味を抜き出した)も、そのまんまだったの。爺さんが死んだ日にわたしが着ていた服を、ふたたび身につけるのはもちろん、洗濯もできないでいたの。毎日病院に通うとき手にしていたカバンや、爺さんの着替えなどを入れ運んでいた布バックも、そのまんま。「爺さんの気配」や「あの時間」を、そのまんま、とっておきたかったから。・・・・と、いうわけで、親の家の2階はたいへん散らかっていたのだけれど、昨日は洗濯を、本日は掃除をした。「病院に通うとき手にしていたカバン」の中味はまだそのままだけど。2階の別室においてある、入院中の備品が入った箱も、まだそのままだけど。ゆるりゆるりと時間が溶けて、いつか、爺さんを思い出す品々も日常のひとつに過ぎないと思える日がくるだろう。
■ただ今、叔父夫婦が春休を利用して帰省中。「年寄りが一人で家にいるのは」と心配されて、普段は自分の家に暮らしていない祖母も、この期間は自分の家に戻っている。「いつもは夜中よく目が覚めるのに、ここ(自分の家)だと、ぐっすり眠れる」と、祖母。また、家族の手作りだと、食欲が旺盛になるようだ。
■焼酎好きの叔父にお付き合いして、今夜は、焼酎を飲んだ。ご馳走をたっぷり食べて、ほどほど酔っ払って、いつもよりうんと早い時間に就寝。

釜揚げホタルイカ

午後、姉と甥っ子(まもなく小学3年)の作ったケーキを食べた。まもなく小学6年になる甥っ子とわたしの合同誕生日祝いである。▼このごろ、毎日のようにホタルイカを食べている。なんたって、ホタルイカは桜の咲くころが一番美味しいのだ。生のを買ってきて、さっとゆでて食べるのは、最高!

魂の淋しさ。というのは、生きてる限り、誰でももっているのだろうけど、感受の度合いは、人それぞれだ。▼「二人でいるのに淋しい」は「一人の淋しさ」よりもうんとツライのよ。なんて、しばしば言われるけれど、わたしはそれを理解できない。いや、頭では解るのだけど、体験がないからね、実感できないの。▼魂の触れ合うレベルで誰かと一緒にいる嬉しさも味わったことのないわたしは、ただただ一人でいる淋しさをなめまわすばかりだ。

繭と蝶

爺さんの死に関して思い出すことはすべて後悔につながるといっても過言ではないけれど、総体的には「あれで良かったんだ」という気持ちにわたしはたどり着く。これはとてもとても幸せなことだと思う。■話は変わる。『 「死の瞬間」と死後の生 』(エリザベス・キューブラー・ロス著)を読んで、世の中でしばしば語られる「死にまつわること」はデタラメじゃないんだな、と、考え新たにした。例えば、死ぬときはほんとうに「お迎え」がくるんだね。三途の川のようなものはほんとうにあるんだね。ときに宗教的に語られる死生観(例えば輪廻)も、現実に沿ったものなんだね。・・・ええいっ、わたしの頭が狂ったとは思わんで下さい。この本の著者は「終末期医療に携わる者で彼女の名前を知らない人はいない」と言われるくらい、世界的に著名な医師なのだ。ま、著名だから信用できるということではもちろんなく、長年、終末期の患者を看て、臨死体験者のインタビューを数多く行い、おまけに自身も臨死体験をした人の話は、あまりに説得力がありすぎるのだよ。■昏睡状態は、体が繭になるようなもの。そして死とは、繭から蝶が生まれることなのです。エリザベスさんは「繭」と「蝶」という象徴言語を使って、そのような説明をする。これ、すごく、わかる。人間含め生き物を看取ったことのある人ならば、誰でも、「そうそう」と同感するだろう。実に、白い着物を着せられた爺さんの体は、爺さんの抜け殻のようだった。■わたしはね、昇天と同時に爺さんは成仏したと思っている。だって、爺さんの死後、ちっとも爺さんの気配を感じないもん。だから、あまりクヨクヨと後悔の念を募らせていては、成仏したはずの爺さんが心配をするだろう。
背伸びせず、ゆるゆると日常生活などをつづります

はえともみ

Author:はえともみ
 
万の風になって、生きる。

ちちんぷいぷい~。
(HSPの自覚あり)
「うつと仲良く! ひきこもりだっていいじゃない」と
開き直って生きてたら
元気になってきました。

→ 近年は、老母の観察メモの
(&それに伴う自身の変化など)
色合いが濃くなっております。
・・・ま、長い人生の一コマですな。

徒然な日々も、留まることはない。
すべてがいとおしい。だから書く?

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