ともみ@ピクニック

春一番

「現世」といわれるところ。と、「あの世」といわれるところ。その違いはなんなの? 両者のあいだに線引きはできるの? 実は「あの世」は、「宇宙」のように、ふつーに存在しているとか?(←今はまだ科学的に確認されてないだけで)。あるいは、現世をふくめる何もかもが、ほんとうは存在などしておらず、あるのは、「現世を実感している、わたしの意識(魂)」だけ? すると、意識(魂)が消失すれば、全てがなくなるのか。うむ、納得しそう。でも、そうしたら、その消失した意識(魂)はどこに行くの?

北陸で春一番が吹いた(らしい)。
明日から3月。今年はうるう年なのだな。なんか、お徳な感じ。

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いつまでもクヨクヨしてられないじょ、の気持ちが、ようやく芽生え始めた。
自然と元気になってゆくのを待っていたら、「いつになるやら」なので、
ここはひとつ、「がんばるじょ」エキスをふりかけて、
まずは、「ほぼ日」更新に近いブログを再開しようと思います。

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おたまを立てる

料理家の辰巳芳子さんが、きのう、テレビに出ており、それはそれは“しみる”お話をたくさんされていた。ほんの一例(→)。「お鍋のなかで、おたまをかきまわすときは、垂直におたまを立てます。ななめに立てると、お鍋のへりに中身がついてしまうから」も、さすがであるが、わたしが“しみた”のはこの続き。「こういったことを普段からキチンとしていないと、たとえば介護をするときでも、耳の裏などをキチンと拭くことができないの」。うん、うん。四十直前ともなると、わたしも、こーゆーこと、わかります。世の中、「付け焼き」の行動は、「付け焼き」を超えられないのだ。また、「その場しのぎ」で上手くいったように一見みえても、それは表面上の成功に過ぎなかったり、あるいは、その真逆、実はそれはちっとも「その場しのぎ」じゃなくて、本人の自覚のない裏で、それにつながる「普段のキチンと」がちゃんと積み重ねられているんだよね。これまで、『あなたのために いのちを支えるスープ』の作者としてそのお名前を知っていたくらいだけど、わたしはどきゅん♪と辰巳さんの生への姿勢にほれてしまった。

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書くことも書かないことも

ずっと休んでいたブログを、先月の末頃から、さかのぼって少しずつ更新している。わたしにとって「1月の初めのころを書く時間はとても貴重だな」と書き始める前から思っていた。なんたって、少なからず元気な爺さんの様子をライブの文調で書ける最後の機会だから。もったいないな。◆数日前からは、「爺さんの急変」した日のことを書き始めた。あの時間を、どこかに記録しておきたくて、「ならばブログに書こう」と、記憶をかいつまんでは、日記として多めの量だと思いつつ記し始めた。◆しばらく前の眠れない夜に、お布団のなかで、爺さんが入院する以前の『ともみ@ピクニック』を読み返していて、驚いたよ。へぇ、こんなこと、あったっけ。これって、このときだっけ。って。頭の中の情報(記憶)って、実にもろいものだね。正確に覚えていることなんて、ほんの一握りもないのかも。それに比べ、書き記したものだって事実の塗り替えには違いないけれど、でも、頭のなかで日に日にかたちを変えていく記憶よりは、事実に近いかもしれない。◆うまくこのしくみを説明できないのだけれど、あの時間を書くことは、まわりまわって、わたしのなかの癒しにつながるだろう。ふふ、これは揺るぎのない期待。◆おそらく、なにを書いても、書いたことはわたしに返ってくるし、なにを書かなくとも、書かなかったことがわたしに返ってくる。文字になったものも大切だし、文字にならず、わたしの記憶のなかに埋もれていく時間、そこにも大事なものは一杯詰まっている。

〔2月15日の深夜の記〕

2009年1月下旬のアップ。
なお、急変した当時の話、上記だけでは書き足らず、その後、追加で詳細版も綴っていたのだが、2009年1月末現在、いまだそれは書きかけのまま。ほんと、こんなもの(こういう日記含め)書いて何になるのじゃ?といえば、「自分の慰めのためじゃ!」なんだなぁ。

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芽生え

また雪景色の日。こうやって冬が足踏みしながら、春になっていくのだな。◆四十九日である。実はわたしは「(この日を待たずとも)とっくに爺さんはあの世にたどり着いているのではないか」と思っているのだ。だって、死んでから、ちっとも気配を感じないもん。夜中、トイレに行くときなど、「爺さんと会うのでは?」と、ちょっとドキドキしていたけれど、結局、会わずじまいだ。たぶんね、死んだと同時に成仏してるんだと思う。◆いつまでもメソメソ、クヨクヨしているのは止そう(止したい)。やっとそんな気持ちが芽生えつつある。

〔2月27日夜の記〕 2009年1月下旬のアップ

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ゆーれいの歌

夜のテレビ番組で、久しぶりに『千の風になって』を聴いた。かつて爺さんはこの歌を聴いて、「ゆーれいの歌や」と言っていたそうな。おほほん、この歌、秋川さんのテノール声で有名になるずっと前から、わたしは新井満さんの歌うのをラジオで聴いており、とても好きだった。最近は、この歌のタイトルに触れるだけで、「ゆーれいの歌や」と、にんまり顔で言ってたんだろう爺さんが思い浮かび、しんみり聴くよりも先に、笑みがこぼれてしまう。

〔2月26日の深夜の記〕           2009年1月下旬のアップ

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大波小波

きのう、わたしもちらっと海を見たのだけど、たしかに荒い波が立っていた。今朝起きて、相当の被害が出ていたことを知る。なんでも「寄り回り波」という耳慣れぬ名前の波が湾のなかを襲ったのだとか。◆わたしはわたしの思い込みが強すぎて、「安らぎ」や「幸せ」につうじる空気を、まるでつかみ損ねて、いまだ人生を歩いているのだと、実感。

〔2月27日の深夜の記〕   2009年1月下旬のアップ

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夜中3時までの宴があけて

朝、お祖母ちゃんのベッドで目覚める。◆記憶をたどると、昨夜は雪のなかを歩いて、普段は無人にしている祖母宅に行き、平均年齢70近くの面々(叔父、叔母二人、母)を夜中の3時までつきあわせ、飲んでいたのだ。わんわん、泣いて。日本酒を手酌でたらふく飲んで。ああ、恥ずかしい。酔ったことが恥ずかしいのではない。これまでの長い年月、自分のなかに溜めていたことや、爺さんの入院以来、姉や母に抱いていた不平・不満・恨みなどを、酔った勢いに任せ、たぶん存分に喋ってしまった。(たぶん←「喋った内容を部分的にしか覚えていない」から)。ああ、みっともない。・・・・と、気づくのは、あとのことであり、実はわたし、午前のうちはまだ酔っていたみたい。◆昼になり、二日酔いの自分に気づく。何度も嘔吐。頭痛も。こんな本格的な二日酔いは何年ぶりだろ。そもそも大量にお酒を飲むのが久しぶりならば、「気持ちを緩ませる」瞬間自体が久しぶり。祖母宅に泊まるのは二十数年ぶり。ふぅ~ん。夕方になって、やっと体調が少し回復。◆「人を憎むような」感情や、グチを口にして、それで気持ちが晴れるのは一瞬のことであり、結局は、そのあと、何倍もの嫌悪感になって自分に返って来るのだと、つくづく実感。ああ、時計の針を戻せるならば戻したいが、それは無理。自分の根性を立て直すしかない。(悪口の是非をとなえる以前に、その引き金になる「自分のこころの在り方」が何百倍もの問題なのだと、思うのじゃ)。


〔2月27日の深夜の記〕    2009年1月下旬のアップ

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四十九日の法要

ひと足先に四十九日の法要をつとめる。雨と雪の日となったが、三十名余が自宅に集い、相変わらずのいい声のお経が部屋に響く。(それにしても、来客の待ち時間から会席を終えるまで、いざ、となると、いろいろパニック。「慣れないこと」とはいえ、もっと細かくシミュレーションしておくべきだったと、反省)。ふうっ。この日のために、お客の招待から、引き出物の用意、家の掃除など、ばたばたと忙しい日が続いていたが(←特に母様ね。彼女は葬式が終わってから、ずーっと、日夜、この準備に気を揉んでいた)、ひと段落だ。

〔2月27日夜の記〕     2009年1月下旬のアップ

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I さん

爺さんの訃報に際してお心遣いをいただいた方に少しずつ手紙を書き始めようと思っているのだが、まずは、爺さんの幼なじみの I さんへの手紙を仕上げた。◆大粒の涙を流し、体をふるわしていた I さん。その姿は、友を失った老人であり、友を失った少年のようでもあった。正直、それは、わたしの慰めにもなったのである。◆ I さん自身、お体の調子すぐれぬようであるのに、訃報を知って二度も自宅に来てくれたことは・・・二度目は、お通夜の日。「(セレモニー会場にお棺を移す前、自宅にいる爺さんの)もう一度、顔を見ておきたい」と・・・ほんとうに有り難かったのだけど、はて、お礼の手紙の締めくくりの言葉に、わたしは悩んだ。本来ならば、なんの遠慮もなく、「父の分も長生きして」とか「これからもお元気で」などとしたためたいのだが、I さんのお体の加減がどれほどのものかはっきりとはわからないので、それも少し躊躇われたのだ。

〔2月25日の深夜の記〕   

2009年1月下旬のアップ。今から2~3ケ月前に聞いたところでは、I さん、ベッドに横になる時間が多いそうだが、食欲はしっかりあるらしい。「体が重くて大変」と世話する妹さんが言っていた。わたしは思う。食欲のある限り、生命力は輝いているのだ。  

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ウツ病を治す

昨夕、テレビで、薬物に頼らずにウツ病を治す試みを紹介していた。頭に電気をあてて脳を刺激する(意欲激減タイプのウツには、脳のある部分を活発にさせ、また、感情過多タイプのウツには、脳の別の部分を沈める)とか、集団での心理療法のようなもの、とか。そうなんだよねぇ、わたしも薬物だけの治療には100%の賛成をしかねるの。◆ウツは「脳のモンダイ」と近年広く周知されているけれど、ほんとうに「モンダイは脳」だけなの? 「心」はどうなの? 「心」の治療はいらないの? そもそも脳と心はどんな関係にあるの? ◆風邪薬が「風邪の症状を抑える」だけで、「風邪を治すものではない」といわれるように、ウツ病対策の薬も、うまくいけば「ウツ病の症状を抑える」だけであり、決して「ウツ病を治すもの」とはいえないんじゃないかなー。◆仮に「薬物でウツの症状を抑える」その効果はたしかなものだとしても、でも、だからといって、それはウツ病の解決といえるの? ただ、ウツ状態を見えない箱に閉じ込めているのと同じでないの? まあ、箱に閉じ込めて、それが一生封じられていればイイ、そういう考えもあるんだけど。

〔2月21日の夜の記〕 2009年1月下旬のアップ

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慰めのほかにも意味はあるの?

む七日の法要。「このお勤めは、現世に生きるわたくしたちの慰めになるほかに、どんな意味があるのでしょう? できることならば、わたしはほかに意味が欲しいし、それを知りたい」と、坊さんに聞いてみたかったけれど、聞けなかった。だってさ、ほら、質問自体が仏さんの存在を否定しているようにもとられかねないから。

〔2月21日の夜の記〕            2009年1月下旬のアップ

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小豆の缶詰

昨夜、おなかが空いたので、小豆(つぶ餡)の缶詰を開け、スプーンですくって、そのまま食べた。一缶完食。そういえば、昨日、何ケ月ぶりかで体重計に乗った。針がおそろしい数字を指していたな。「やせているに違いない」は、大きな勘違いであった。■まもなく来る四十九日の法要にむけ、先日より母様と姉はいろいろ活動している。はぁ。わたしもなんとか今日の昼間(2時間半ほど)は体を起こす。彼女らの留守中、法事に向けての荷物などを受け取る。■もしも、今、わたしが誰かに「心身調子が悪いの」なんて愚痴ったら、「ああ、父親を亡くして、そのショックでしょう」と優しい言葉で労わられかねない。しかーし、たぶん、そうじゃない。この調子の悪さの源は、もっと別にある。だるい、異様な食欲、攻撃的な思考、・・・・、むむむ、自分のことを「うつ状態」と甘やかしたりせず、これらを退治すべく、這いつくばってでも行動するのがよいのかも。■「親の死の悲しみにくれているほうが、今の状態よりよっぽど楽だろう」と思う。ほら、こんなことを平気な顔して書けるなんて、なんて今のわたしは病んでいるのだ。人間として大切なものが、どんどん腐っていく。いかん。人生、甘えるな。〔2月19日の深夜の記〕

2009年1月下旬のアップ。
今(2009年1月28日未明)読み返してみると、どっぷりと負の精神の中に浸っている自分が見えるなー。

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何を切望してるのじゃ

診療内科からもらった薬(抗うつ剤)は、6日間連続服用したあと、7日目に「薬を飲む」ことすらしんどくなって勝手に中止し、それ以降はなんとなく飲まないでいた。そして結局1週間近く休んだあと、また先日より服用を開始。処方してもらった薬は「1週間ほどして効果が出る」と説明を受けているので、こんな飲み方じゃ、いけないんだろうなぁと思いながら。◆わたしはね、「なぜに、薬まで飲んで、精神の病を治さなければいけないのだろう」との思いを、自分の根っこにずっと前からもっている。ふふ、今回は毒を飲んででも「動ける体」になりたいと、服用を決めたのだけどさ。(矛盾してる!)。◆こんないい加減な服用の仕方でいうのもなんだけど、服用を始めたことで、「薬なんか飲んでホントウに状況が改善するんかい?」の気持ちがより強まってきた。速攻性のない薬とはいえ、あまりにも外的要因に押されているぜ。(今のところの臨床・・・「抗うつ剤の効果」 は「うつを招く外的要因」にかき消されている)。◆このごろは、「効かないんだ」ってことを証明するために飲んでいる、そんな面もある。もっと強い薬にしたら、効果は現れるのだろうか。まあ、効いてくれたら嬉しいけれど、効いたら効いたで、まことに「こわい」とも思うだろうなぁ。

〔2月19日の夜の記〕

2009年1月下旬のアップ。

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雪深し

一夜で積雪がいっそう深まる。明け方、うぃん、うぃんと、音がしていたのは、除雪車らしい。◆しんどい。一日中、体を横に。こんなに雪が積もっているのに外に出ないのは“もったいないなぁ”とあとで思ったけれど、仕方ない。◆けいちゃん(9歳)は、また爺ちゃんの夢をみたらしい。長い廊下のようなところに、白い着物姿の爺ちゃんがいて、「どうしたの?」と尋ねたら、「生き返ったの!」と爺ちゃんは答えたそうな。「心臓は動いているの?」と尋ねたら、「うん、動いてるよ」って答えたそうな。そして、なぜか、けいちゃんは走ってその場を離れたのだと。

〔2月19日の夜の記〕

2009年1月下旬のアップ。

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社会体験

昼前の起床。ご飯を食べて、金沢へ。雪道てくてく。いろいろ用事を済ます。(図書館に11月から借りていた大量の本を返し、来月分の家賃を払い、引き出物を注文した酒屋に顔を出し、文具を買い、お土産の本を買い、デパ地下をめぐり、アパートに戻って黒のスーツをクローゼットから出し、駅の2階で食料品を買い、など)。隠遁生活のなか、久しぶりの社会体験でもあった。夜の電車で、また親の家へ。長靴で長い時間歩いたので、足の裏がイタイ。雪景色が目のなかにいっぱい詰まる。21時過ぎのうどん、美味しかった。〔2月19日の夜の記〕

2009年1月下旬のアップ

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