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心がすこし軽く

ちょっと元気がでてきた。根っこからの快方ではないにしても、ひとまず、意思を体を反応させることができるのは、苦しさから遠ざかる最大の方法である。(いや、苦しさからいく分遠ざかったからこそ、体が動くようになるのか。ふふ、「体が動く」といっても、わたしの場合は「体を起こせる」に等しい程度だが)。◆なんども電話をもらい、でも、受話のボタンを押す力がなく、また手紙をもらっても、それを開封することすら出来ずにいたよ。Bちゃん、ごめん。きょう、夕方、やっとBちゃんと話をすることができた。忙しい時間帯であったろうに、ひたすら、彼女はわたしの話を聞いてくれた。電話のあとに気づいたのだけれど、感情に蓋をかぶせることなく、久しぶりに人と喋ったなぁー。心がすこし軽くなった。

〔2月14日の夜の記〕

2009年1月下旬のアップ

いつ七日

一夜のうちに雪景色。箒をもって外へ。ぴょん、ぴょん、と、飛び上がって、庭木の雪をはらう。◆七日ごとの法事はいつも晴れていたが、今日は初めての雪日。坊さんは県外からいらっしゃるので、「雪道大丈夫か」と思っていたが、ちゃんと時間通りに来て、お経をあげてくれる。◆Hさんはとても教養ある方で、また最近はお寺に通ってお経の練習もされているそうなのだけど、本日は「浄土真宗がお西とお東に別れたのはいつからですか?」と坊さんに尋ねておった。うぅぅむ。歴史にからきし弱いわたしは、坊さんの話に、ついていけなかったのが残念。このひと月余、諸々のたしなみが身についていない、それ以前にお作法の心得すらも怪しい、そんな自分を「恥ずかしい」と強く思う。それに加え、わたし自身は仏教徒とはいえなくとも、少なくとも仏壇に手を合わせる身として、ちょっとは仏教的知識をかじっておかねばなぁとも思うようになった。◆せっかく雪のなか来てくれたのだしと思い、Dさん(80代)にお昼を食べていってもらう。そのとき、「昔は、ここの浜に立派な『海の家』があったの。そこからのトンネルが海に通じていて、その途中には砂糖水を飲めるようなところもあって。ステンドグラスが綺麗でね。お風呂の窓もステンドグラスだったのよ」と、教えてくれた。たしか大正の建築。今なら文化財ものだ。戦後、取り壊されたのが残念である。〔2月14日の夜の記〕

2009年1月下旬のアップ

喉元過ぎて自分を甘やかす

ひどいウツ。に、いつでも引っ張られそうなほどの、危ないライン。日曜日の深夜から本日の夜にかけ、ほとんどずっと眠る。ざっと40時間ほどの睡眠か。逃避を渇望していて、眠ること以外、できなかった。「すごい疲れる。」「なにもかもいや。」とは、しばしば陥る状態であるが、ここまでの深く広いしんどさは、実に久しぶりだ。きのうは、服用を始めたウツ対策の薬も飲まなかった。(薬を飲むことすら面倒で飲めなかった)。▲「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というが、まさに、そう。一般にこれは「苦しい時間が過ぎれば、人の恩のありがたさも忘れてしまう」という意味だと思うが、おのれ個人に引き寄せて説明すれば、「爺さんの闘病と死を通して“生命の尊さ”を身をもって体験した」はずなのに、そんなことをすっかり忘れたかのように、「ああ、生きていたってしんどいことばかり。死んだらこのしんどさから逃げられるんだろうなー」という、これまで何度もあった「死への敷居を低くとらえる意識」にまたひきよせられてしまう、となる。もちろん、「死への羨望」は「死にたい」と直結はせず、わたしの場合、そのあいだを大きく隔てるもの(例えば、死への恐怖、現世への執着)があるから、わたしは石に齧りついてでも生き続けるつもりだが。〔2月12日深夜の記〕

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定かではない夢

ほぼまる二日間眠りとおしたので、本日(2月11日)の夢だったかどうか、はっきりしないけれど、たしか、「爺さんがまだ病院に入院中」つまりはまだ闘病中、まだ生きている、そんな状況の夢を見た。状況といっても、「そういう状況である」という把握を、数秒程度、夢のなかのわたしがしただけなのだけど。オレンジ色の光のなか、目の前にベッドがあって、そこにまだ闘病中の爺さんがいる、それを把握しただけの夢で、実際に夢のなかで爺さんの姿を見たかどうかも定かではない。

2009年1月下旬のアップ


無題

わたしが二日半お休みした直後、爺さんの体調が急変し、そのまま「あっけなく」死んでしまったことを考えると、悔しくて悔しくて、仕方ない。悔し過ぎて、今も、ぼろぼろ涙がでる。そして。あの二日半、ひとりで過ごす時間の長かった彼に、なにか「生に対して積極的ではなくなる」ような感情が忍び寄ってしまい、それがその後、最期の踏ん張りどきに、彼の踏ん張る力に負の影響を与えたのではないかという思いも、消えはしない。


2009年1月下旬のアップ

秩父の婆さんをテレビで見た日

朝方の就寝、昼の起床。久しぶりの「ちりとてちん」を見ながら食事をして、14時近くまで、だらだら。お皿を洗って、仏壇の部屋の花のお世話(水を替えたり、茎を水切りしたり。なんと、葬式の日からの花がまだ元気なのである。そのほか、いろいろ頂戴ものの花がある)をしていたら、15時に。「ああ、寒い」と、コタツにもぐったら、秩父の山奥に住む婆さんのドキュメントをテレビでやっていて、見始めたら止まらなくなり、おやつを食べながら、16時半までテレビの人になる。で、終わったらおわったで、すごーく眠いような気がして、2時間ほど、コタツで寝てしまう。・・・・と、そんな感じで日が暮れた。あれからひと月も経つのだから、葬式直後のように休んでばかりはいられないと思いつつ、なんか、だらだら。・・・・今週火曜の夜から、うつ対策の薬を飲みはじめた。去年11月末に処方してもらい、まったく手をつけていなかった薬だ。爺さんが入院してからの1ケ月以上、緊張感が勝っていたのだろう、うつうつした気持ちがしのびこむ余裕はなかった。そして爺さんが亡くなってからしばらくは、新たな緊張感とともに、うつよりも疲労感がどっと出た感じで、とにかく静養しなければと思っていた。(体がだるくて仕方なかったけれど、これは「うつ」とは違う、「正当な」疲れなのだろうと思っていた)。それが次第に、「これは、うつ」と感じる体になっていて、これまでのわたしなら薬物にものすごい抵抗感があったのだけど、今では「寝込んでいる暇はない。毒であろうと薬であろうと、飲んで、動く体にしなければ」と思い、服用を始めたわけだ。まだ5日目。効果のほどは、わからない。・・・・太平洋側ではかなり雪が降っているらしい。

2009年1月下旬のアップ

ゆうちょ銀行

朝起きると、雪景色。▼今月分のアパート家賃をまだ払っておらず、早く、払わねば。いつもは不動産屋に手渡しのところ、今回は特別に銀行振込みにしてもらった。しかーし、これがなかなかな作業であった。(ネット振込みのできる新生銀行、このごろは、暗証番号とパスワードのほかにも、なにか入力せねばならぬ数字があるらしく、でも、その数字がわからずに挫折したのは、きのうの出来事)。村にはね、銀行がないの。だから「ゆうちょ銀行」(郵便局)へ。でも、郵便局ではね、銀行への振込みができないんだって。(「ゆうちょ銀行」って名前になったから、銀行振り込みできるかと思ったわい)。次に、村の国道沿いのコンビニに行ったら、ATMがありませーん。コンビニの姉さんが「郵便局、窓口なら大丈夫よ」というので、再度、郵便局に行くも、「都市銀行ならOKだけど、地方銀行への振込みはダメ。農協ならできるはず」の返事。ぐはー。お次は農協へ。ぐふふ、ここで、3万円の家賃を振り込むのに、7百円以上の手数料がかかりましたわい。(きのう、新生銀行の電話のお兄さんが、「お急ぎというなら、この電話で振込みの手続きを代行しますよ。手数料は7百円」といっていた。素直に頼めばよかったなぁ)。ふぅんだ。たかが、これしきの田舎の不便さには、くじけんぞ。▼家に戻ったら、自転車のタイヤのあとも消えかかるほど、雪がまた積もっておった。箒で、ぽんぽんと、庭木の雪を落してまわる。▼夕方、「金時豆の煮もの」と「白菜の漬物」をもって、お祖母ちゃんのところへ行く。母とわたしは、動物性のものを調味料レベルから摂らない「精進」をしているのだが、なんと、お祖母ちゃんも「お祖母ちゃんなり」の精進をしているそうな。「そんなことをしても、みな心配するだけ」と分かっているけれど、どうしても、食べられないのだと。だから、肉と野菜をあわせた惣菜がでたら、肉だけ除けて食べているとか。ここまで思われて、爺さんも幸せな人である。

2009年1月下旬のアップ

カタワだとっ

ちょっと、このストレスをどうにかせんと、危ないぜ。と、思う。爺さんがぴんぴんと元気にしているころから、これはわたしのストレスの一因であったのだけど、いまや、爺さんがこの世から姿を消し、七十代半ばの母様が残されたなかでこのプレッシャーをかけられると、ほんと、まじ、わたしは、どうにかなっちまいそうだ。■昨日の法事でも、客の一人が帰りがけ、「あんた、(結婚していないから)カタワやよ。結婚しなさい」という。これまでの十数年、親戚じゅう、親の友人たちから、さんざん、有言無言で、「結婚していないこと」をなじられ続け、それでも今日までじっと耐えてきたというのに、おほほ、挙句、「カタワ」とまで言われたら、わたしも堪忍袋の緒が切れましたわ。■みな、決まって「一人はさみしい」「若いときはいいけど、年をとったらさみしいよ」という。それに対してわたしが何を言おうと、「一人=さみしい」は崩れないのね。どうして、この考えの枠を超えたところで、生きてはいけないの? 仮に「さみしい」が確かだとして、そもそも、「さみしい」ことは、いけないことなの? ■昨日の夕方は、ある村人から、「お母さんを一人にしちゃいけない。君が家に入りなさい」と、短い時間のあいだ、繰り返し説教された。(ここまではっきり言う人は珍しいが、じっとーっとした視線で、このことをわたしに訴える人は大勢いる)。■ああ、わたしは、「結婚しなさい」と「家に入れ」の助言に、ノイローゼ手前だよ。(地球がひっくり返って、わたしが家に入り、婿をとり、子供を産んだら、この呪縛から解放されるのか?)。■バチあたりなことだけど、母が死んでくれたら、わたしは「地縁」「血縁」を切って、自由になれるのに、と思ってしまう。「そこまで思うのなら、今すぐ縁を切って好きなように生きればいいではないか」という正論があろうが、そんなことをできる人間なら、もともと、身を蝕ばむほどに苦しみません。仮に、それを強行実行したとしても、例えば、わたしのなかに深く根付いている「未婚である」ことへの強烈な劣等感が拭いさられるわけではなかろう。(わたしは相当に自意識過剰な面があるが、それだけが理由ではなく、血縁&地縁からくる精神的影響と申しましょうか、都会人からしたら「時代劇?」と不思議がられるほどの環境もこのストレスの一因になっているとは思う)。〔2月8日の深夜の記〕

2009年1月下旬のアップ

よ七日

今日は、よ七日の法要。お寺さんは、はるばる遠方からいらっしゃる。父方の先祖が石川県羽咋市というところの出身で、そこのお寺さんなのだ。いつもの通り、仏事に疎いながらも、なんとか法要をおえる。そのあとの、茶のみ話のとき、「亡くなったヒトは、七日ごとに、閻魔さんのお裁きを受けるんだって。で、四十九日目に、最終的な行き先が決まるんだってよ。だから、下界にいる者たちは、亡くなったヒトが『極楽に行けますように』って、七日ごとに法事をするんでしょ」と、わたしが俄か知識を披露すると、一同、「え~(はじめて聞いた)」という反応であった。なかには「そんなんじゃ、七日ごとに、心配で心配でたまらんわ」というヒトも。ま、たしかに。

夕方、仲立ちしてくれる人に迎えにきてもらい、来る四十九日の法要後の会席の打ち合わせに出かける。母様とわたしの二人ともが、骨となった爺さんを置いて外出するのは、はじめてのことである。うむ。「納骨するまで、家を空けるものではない」と言われているが、人間界の都合も、ね、目をつむらぬわけにはいかんでしょ。許せ、爺さん。板さんは京都で修行を積んだという、タコ入道っぽい、お方。お客には、彼の手製の竹箸を土産として贈るそうなのだが、ちょうどその箸を作っているところも見せてもらった。芸術とか職人技とかにはまったく詳しくない、わたしであるが、この板さんの箸を作る姿を見ていると、「これはいい仕事をしてくれるに間違いない」と、料理への期待がふくらむのであった。

2009年1月下旬のアップ

Mへ (転載)

(前略) とくに、父のことを「大好き」と言ってもらえ、「これからも、大好き」と言ってもらえるなんて、なによりの言葉です。■(中略)■これまで頭のなかにあった、特別に疑問すら抱かなかった、「死」というものが、不思議な存在になりました。「死ぬ」ってどういうことなのか、わたしにはわからなくなってしまったよ。■正直、わたしは自分のなかの悲しみが、よくわかりません。亡くなった当初は、ショックというか呆然とした感じが強くって、最近は「死んだんだ」ってことを、かなり受け止められるようにはなってきたと思うのだけど、同時に、いろんな気持ち(化学療法に頼り切ったことへの後悔とか、姉や母へのフクザツな気持ちとか)が悲しみに増しているような気がするの。■ふふ、わたしは「父のことを好きだったのか?」と考えると、「好き」というよりは、「おもしろいヒトだな」と、彼の晩年、認められるようになった気がする。なんとなく、人間的おかしみに(わたし自身と)共通するものがある、というか。入院はまる1ケ月だったのだけど、後半は、「一心同体」になっていた面がある、そう思えるの。(後略)

〔2月5日の深夜に書いた、Mへのメールを転載〕

2009年1月下旬のアップ


久しぶりのシャバ

あれは午前11時前だったか、来客の気配で目が覚める。うきゃー。あわてて布団を畳む。(わたしが寝ている部屋を通って、客は仏間に行くはず)。世間はとても狭く、一昨年の春、爺さんが手術入院した際に病棟で知り合った人(奥さんと娘さん)が、たまたま訃報を知って、爺さんに手をあわせに来てくれる。入院していたご主人はちょうど1年ほど前に昇天したそうだ。いろいろ話をするなか、ともにガンで主を亡くした家族という気持ちもあって、つい、わたしは母様が人に話したがらないことを喋ってしまった。ふぅ(反省)。夕方、田んぼを越えて、食料品の買出しに行く。久しぶりのシャバ。(葬式が終わってからの三週間、畑へ1回、祖母のところへ1回しか、外出していなかった)。これまでは姉が週に1~2回買ってきてくれる豆腐類とキノコ類と、家にある野菜などで食事をまかなってきたのだが、それではやっぱり厳しいものがある。(←食事を摂るのが「修行」のように思っていた日々から、ずいぶん、わたしも元気になったものだ!)。広い店でもないのに、商品をなでまわすように選んでいたため、買い物に1時間以上もかかってしまった。(しかも、買った食料品の大半が、お菓子!)。

昼 蕎麦(なめこ。とろろ。油揚げ。ブロッコリーの茎)など
夜 白いご飯。酒かす汁(朝、母様が作った残り。大根、麩、ブロッコリー、ふきのとう)。豆腐のあんかけ(昼の蕎麦のおつゆをベースに。「とろろ」を除いた具に、豆腐とマイタケを加え、味を調え、葛でとじ、大根の葉を散らした)。油揚げのぐるぐる巻き(油揚げでエリンギをぐるぐる巻いて、小麦粉をつけて、キャノール油で揚げた)。その他、昨日以前の残りもの、いろいろ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

口寂しいので、日本酒。そういえば、お腹も空いたような。やきそば。こんな深夜を過ごすのは久しぶりだ。今までひっこんでいた「うつうつ」とした心が現れはじめたのも、元の自分に戻りはじめた証拠だろう。また、ぼんやりと毎日を過ごしているのを、「いかんなぁ」と少しは思いはじめたのも、時間が動いている証拠。日本酒は小さな湯のみ一杯で、もういいや。の気分。(おいしいと思えない)。やきそばは、ぺろりと完食。ああ、世の中が昼夜逆転していれば、どんなにいいだろう。いや、世間が「昼は休息。夜は活動」リズムになってしまったら、わたしの体は180度、ひっくりかえって、もろ「昼型」になってしまうのか。ただいま、2月4日の27時半をまわったところ。

2009年1月下旬のアップ

おそろしい事実

だんだんと昼夜のリズムが崩れる日が増えてきた。今朝は久々に、徹夜明けの朝酒。「眠い眠い病」のほか、「眠れない病」もたまにやってくるのだが、このごろは、ほとんどそのどちらかで満たされていて、(「普通」がない。たとえば、前日が睡眠不足でも、おかまいなしに「眠れない病」がやってくる)、まいったじょ。別の言い方をすれば、起きているときは、軽いウツ状態か、神経が高まっていて眠りたくても眠れない、そんな時間がほとんど。■外はすごい強風。この数週間で、初めて客の来ない日曜日。(玄関先の客はあったようだが)。母様とふたり、だらだらとテレビを眺め続ける。■夜中、お布団に入りながら、「あの病棟の、あの空間に、たとえ爺さんの肉体が無くても、わたしは戻りたい」なんてことを考えていたら、胸が詰まってしまった。隣で寝ている母様に気づかれぬよう、そっと涙を流す。ひとつひとつ、ベッドまわりの様子を思い出していたら、気持ちがおちついた。結局のところ、ひと月の入院は、爺さんにとって「過酷な闘病」であり、わたしにとっては「とても幸せ」な時間だったのだな。■上の段落で書いたことは、おそろしいけれど、事実なのだ。

朝…白ご飯、焼きビーフン(いろいろ具)、おつゆ(ジャガイモ、ブロッコリー、チンゲンサイ)、キャベツの即席漬(みそ味)、大根の即席漬(梅味)。昼なし。夜…白ご飯、おつゆ(朝の残りに、しめじ、厚揚げ、水菜、を追加)、きんぴら(ゴボウ、ニンジン、こんにゃく、グリンピース)。

2009年1月下旬のアップ ほんと、今思い起こしても、あれはわたしにとって自覚のない至福の時間だったのだ。ああ、人間って、おそろしいね~(2009年1月29日)

西洋医学以外の道

朝方に入睡したからというのは言い訳で、ホントウは「姉たちがきた」ので逃げ出したく、2階に避難して、夕方まで眠り続けたのだ。どう考えたって彼らに責任はないのだけど、「会う」のが苦痛なのだから仕方ない。いや、仕方ないというのは甘えた見方であろう。それでもわたしはストレスを回避したいのだ。▼姉たちが帰宅済なのを確認してから、夕方、居間に顔を出す。母様、ひとりで、しょぼん。先日までは電話をとるのも玄関のチャイムの対応も母様にはさせぬようにしていたが(なんたって「墓作れ」「仏壇いらん?」「引き出物のご用命は」「法事はぜひ」などなどの勧誘電話&訪問が多いので。わたしでさえ、そんなセールスは憂鬱な気分になるのに、母様が対応したら、どんなことになるやら)、しかし、このところのわたしは「自分が布団にいるあいだのことは知らんぶり」するようになってきた。ちょっと前までは寝ている間も緊張感に包まれていたというのに、今では、立派な睡眠欲に支配される体に戻ってしまった。▼夜は、母様の作った混ぜご飯を黙って食べる。▼爺さんの治療。西洋医学のみに頼っていたことを、悔やむ。もしも時間がさかのぼれるなら、わたしは爺さんに土下座をしてでも、「その他」の方法も取るであろう。そんなことを布団のなかで考えながら、翌日の朝を迎える。〔2月4日の深夜というか、5日の早朝の記〕

2009年1月下旬のアップ
背伸びせず、ゆるゆると日常生活などをつづります

はえともみ

Author:はえともみ
 
万の風になって、生きる。

ちちんぷいぷい~。
(HSPの自覚あり)
「うつと仲良く! ひきこもりだっていいじゃない」と
開き直って生きてたら
元気になってきました。

→ 近年は、老母の観察メモの
(&それに伴う自身の変化など)
色合いが濃くなっております。
・・・ま、長い人生の一コマですな。

徒然な日々も、留まることはない。
すべてがいとおしい。だから書く?

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