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初七日と茶

初七日の法事は骨納めのあとに済ませていたので、きょうは静かな日だと思っていたら、午前、Hさんが来。お経を読んでくれ、母と我に、持参の(野だて用)茶を振舞ってくれる。思いがけない慰めが嬉しい。たしか、ちらちらと雪の降る日。

〔2月27日の記〕

2009年1月下旬のアップ

生まれるときは簡単なのに

親の家では、棺が運ばれて以来、これまでにない数の客人があり、また葬儀にあたっての決め事などのため長時間親戚たちが集っていた。それも一昨日の夜をもって、ひと段落。また、爺さんの消えた日からずっと泊まっていた姉一家も昨日の夕には自分たちの家に戻っていった。◆そして本日、静かな朝。コタツで横になった母が「もう、泣くのは止めようね」と、そっと言った。わたしは、「元気なふりをしていたら、かえって心と体のバランスが崩れてしまうよ」、そんな返事しかできなかった。◆なんにもできない。でも、今日からは、せめて炊事だけはしなくては。姉夫が仕事を休んでくれたので、役所への届出など、もろもろ公的手続きは姉夫婦にやってもらうことに。しかし、社会保険事務所には、母本人が行かないとなかなか面倒とのことで、昼間、喪に服している母が外に連れ出され、おまけに精進料理専門店で惣菜の買い物までしてくる。◆「生まれてきたときは届出ひとつと、簡単なのに、人が死ぬとは、なんと大変なことなんやろ」。種々手続きをはじめ、法要や返礼、墓作りなど、しきたりに則った様々なことの心配を、哀しみに暮れているいないおかまいなしにせねばならぬ母の言葉。この言葉を、彼女は本日以降、なんども口にするようになるのである。

【1月25日の夕方の記】        

                             2009年1月下旬のアップ

「木の葉」のお札をもってきても

爺さんが亡くなった日から、親戚、近所の人、親の友人など、多くの弔問客があり、そういった人々への応対は、わたしにとって、爺さんが亡くなったことのショックをいくらか遠ざける緊張感をもたらしてくれたと思う。ありがたい。でも、疲れたよ。ただでさえ心が呆然としているのに、また頭がもうろうとしているのに、体はしゃんとしていないといけないのだから。■今朝早く、葬儀屋さんがお金をとりに来たらしい。そのとき母は「まだみんな寝ているから」と言い、いったん帰ってもらったのだけど、はぁ、この世で対応のすばやい職業の上位に「葬儀屋さん」が入るわね。(死亡の連絡を受け、すぐに病院にとんできて、限られた時間で葬儀の詳細を決めさせ、お葬式が終わった翌朝には代金を回収にくる、という)。いえいえ、これは悪口ではなく、こういったところに「人間界のもろもろ」が濃く詰まっていると思うの。■そういえば、お葬式などの一連のことごとを通し、「人が死ぬと、あらゆることが現れるなぁ」と、ぼお~っとした頭で、わたしは感じていた。まわりの人の(遺族を含め)、性格や考え方が普段よりもくっきり現れ、あるいは普段は隠れがちな部分もわりと容易に見えてくる。こわいですな。同時に、こういう経験があって、人と人の絆が強まることもあるのだろう。■夕方、葬儀屋さんが再来し、清算は終わったようだ。母の同席のもと、お金のことは姉夫婦におまかせじゃ。たぬきが「木の葉」のお札をもってきても、今のわたしじゃ、1万円札と交換しかねない。

【3月10日の夕方の記】

2009年1月下旬のアップ



お葬式の日

火葬の待ち時間、ふわりふわりと雪が舞っていた。あっちの世界に行くのを見送るかのような、とてもうつくしい雪だった。

きのうのお通夜も、ほんじつのお葬式も、二百人の会場がほぼ満席であった。多くの方にお参りしてもらい、祭壇もとても立派で、もしもどこかから爺さんが見ていたとしても、満足してくれるだろう。

お通夜の日

おととい爺さんが帰ってきたのは「玄関から」だから、「旅立ちは別の場所から」が良いそうな。縁側に並べてあった盆栽をあわてて下ろし、みんなに担がれて爺さんは廊下から出て行った。◆三つ揃え(スーツの上下とベスト)、ワイシャツ、靴下、革靴、カジュアルなシャツ、セーター、パンツ、Tシャツ、サングラス、畑用の帽子、四季報などを、お供に。これで夏も冬も大丈夫だろう。畑仕事もできるし、株でも遊べる。そうそう、叔父が「財布」というので、中身を抜いた財布を用意してしまったが、お小遣いがなくて不自由しないだろうか、ちょっと心配。あとになり、従弟が「おじちゃん、タバコ好きだったから」と、タバコも買って入れてくれたようだ。◆黒のリムジンに乗り、爺さんは母とわたしと一緒にセレモニー会場へ。道中、「せっかくならば」と、畑に面した国道を通ってもらう。手入れの十分届かない冬の畑を見て、爺さんは「あーだ、こーだ」と棺おけのなかで文句を言っていたかも。

どこに行ったの?

あっけなく死んでしまった爺さん。どこに行ってしまったのだろう。「おとーさーん、いま、どこにいるのー」と心のなかで呼んでみても、返事はない。ほんとうに、どこに行ってしまったのだろう。◆足の裏はやわらかいの。耳たぶもやわらかい。生きているときと変わらない感触。穏やかに、やや微笑んだ、身内にこんな表現は照れるけれど、とても上品な、仏さんに近づいたみたいな顔をして。◆本日は自宅での夜とぎ(仮通夜)とした。明日には爺さんの体がここにはないのだと思うと、寂しくてたまらない。

止まった

朝を迎えた。爺さんの熱は下がったようで、うむ、安心。実は昨晩、また爺さんは熱を出し、どうやら「嘔吐したものが気管にはいって、肺炎をおこした」らしいと、個室に移されたのだ。(母とわたしは爺さんに付き添い、病院で一夜を過ごした)。◆朝8時半になり、テレビの人が日経平均株価をしゃべりはじめると、爺さん、「音、大きくして」だと。ぐふん。昨夜、こちらは「生死をあらそう」かの真剣さで心配していたというのに、この爺さんたら、株式市場が気になる模様。そして知りたい情報が終わったら、「(テレビは)もういい」だと。◆朝の回診で、「背中が、碁盤の目のように痛い」と医師に告げる爺さん。その後、母を休ませるため、爺さんは「(車で)送ってやれ」と姉に言う。◆爺さんとふたりになった部屋にて。「ひとりじゃ、足りんの。やっぱ、ふたりはおらんとのぉ」と、突然、言い出す爺さん。わたしはなんのことかわからず、顔も見ずに、「うん、そうやね」とテキトーな返事を。◆そのうちにまた爺さんは発熱をした。ちょうど見舞いに来た従姉が、「はぁ、はぁ」と熱にうなされる爺さんの手をずうっと握っていてくれる。昼をまわって姉が戻ったので、わたしは眠り薬を飲んで、簡易ベッドで横になる。◆姉がベッドの両わきを行ったり来たりする足音を聞きつつ、わたしは睡眠界をただよい、途中なんどか目を覚ます。そのうちの一度は、なにか姉の困った様子が伝わってきたので、わたしも起き上がり、「これをしていれば、息がしやすいから」と爺さんに酸素マスクの説明をし、それで爺さんも「うん、うん」と安心したようにわたしの目には見え、ふたたびわたしは眠りについたのだった。◆次にわたしが目を覚ましたとき、あきらかに爺さんの様子は違っていた。まるで表情がないのだ。それからしばらくは、担当の看護師さんがいつもの手順で栄養剤の点滴を交換するなど、爺さんの世話をしてくれるそばで、わたしはただ、ぼーっと、していた。◆実はこのとき、爺さんの意識は遠のきはじめていたらしい。そして母たちを迎えに姉は出かけた。◆きれいな落ち着いたリズムを打って、爺さんの脈拍が落ちていく。ひとつ、ひとつ、指を折り数えるようにモニターの数字が落ちていく。◆やがて、母と甥、姉が病室にかけこんでくる。「なんで起きんが。耳、ちぎってやろうか」と、ベッドわきで母が声をふりしぼる。「チューしてあげたら、おとぎ噺みたいに生き返るかもしれんよ」と姉が言うと、ためらうことなく母はマスクをはずして接吻を。◆主治医、師長、担当看護師も見守るなか、家族がどんなに叫んでも、静かに眠ったままの爺さん。わたしは、といえば、このとき、ただ呆然と、声も出ずに立ち尽くしていた。◆まるでみんながそろうのを待っていたかのように、そして家族がさいごのひとときをもったあと、午後3時40分少し前、爺さんの心臓は止まった。


【2月21日ごろの記】

桜と発熱

朝、わたしが行って間もなく、爺さんは嘔吐。(今朝はこれで3度目の嘔吐らしい)。「吐き気止めの注射を打ってもらう?」と尋ねるも、返ってきたのは「背中、痛い」であった。ガン患者が痛みに苦しむことはよく耳にするが、この爺さんの場合は、これまで、痛みよりも吐き気・倦怠感が強いようだと、わたしはみていたが・・・・。痛み止めの注射のほか、ちょうど姉も来ていたため、ふたりで「背中にアイスノンをメンディングテープで貼ってみる」という荒技もやってみる。なお、入院以来、痛み止めのシールを貼ってもらってもいるのだが。◆ピンクの花が窓辺を華やかにしている。桜とカーネーション、かすみ草。先週もらったときは蕾だった桜も、病棟のあたたかさに、じきに花びらを開いた。それを見て(過日)爺さんは「お~、この時期に珍しいのぉ」と喜んでいたっけ。主治医からも「いつも、お花ありますね」といわれるくらい、爺さんのベッドまわりには花が咲いている。見舞いに来てくれる方々のおかげでもある。ありがたや。◆12時45分頃、爺さん、急に寒いと言い出す。あるだけの寝具をかけ、湯たんぽをもらい、手持ちのカイロを貼っても、「うー、うー」とうなっている。それから1時間余のち、寒さはおさまったが、熱が出てきた模様。小玉の汗をかきながら、目をつむっている・・・・かと思いきや、見舞いに来た母がなにか喋りかけると、それに答えて「株式の電子化」の説明などを始めようとする爺さん。「(今後、畑の)種は半分にしよう」などとも話している。◆15時45分の病院バスで母が帰ったあと、わたしは遅い昼食。たしか、売店で買った「やきそば」を。食べている最中、I 看護師、血圧と酸素濃度を計りにくる。◆16時頃、わたし「熱は下がってきたみたいだね」、爺さん「うん、下がってきた」。夕方のいつものテレビで、土佐の高級魚「クエ」鍋をやっており、爺さんもほんの少しだけ見る。

〔2月13日早朝の記〕

たしか時々、小雨が降っていた日

二日ぶりの病院。わたしが行くと、爺さん、すぐに気がついて、驚いた様子。■朝の回診のあと、医師に先日のレントゲンの結果を聞くと、腹水におおきな変化はないが、胸水がたまっているとのこと。客観的にみれば、相当呼吸が苦しかろう状態らしい。ただし、わたしが休んでいるあいだ、医師が本人に「胸の水を抜くか」と打診したものの、本人は不要の返事をしたのだと。うーむ。そういえば、ときどき、爺さんは酸素チューブを手で触ることがある。ちゃんと酸素が出ているかどうか確かめているつもりなんだろう。つまりはチューブをしていても、息が苦しいのだろうなぁ。■体のなかは刻々と弱ってきているのかもしれないが、わたしの見る限り、爺さんの精神は基本的に安定している。カーテンを挟んだ隣の患者さん、ときどきおかしなことを言っているのだが、その喋りを耳にして、「(お隣さんは)パチンコ屋におるつもりながいぜ。玉が出ん、って言うとるの」とまで教えてくれる。■きのう、金沢の歯医者に電話をした。これからの介護に備え、再び歯痛が起こったら困るので、「もう歯なんて抜いてやる!!」の決意をもって。そして本日午後の診療予約をとったのである。

・・・・12時15分発の病院バス。病院最寄駅で「かけうどん」。改札で母と待ち合わせる。アパートのカギを受け取る。と同時に、立ったまま、看護師さんへのメモを書き、母に託す。12時42分発の金沢行き電車に乗る。金沢駅(たしかコンビ二でパンを買ったような)→バス→アパート。仮眠。16時頃起床。16時25分頃、市役所へ。国保の被保険者証を再発行してもらう。16時半、歯医者。2時間近くの治療(抜歯)。(たしかそのあと、ドラッグストアに寄って、カイロやハンドクリームなどを購入したと思う)。「夜には、また病院に戻ろう」のつもりでいたのだけど、結局は病院には寄らず、体を休めたのち、23時頃、親の家へ。

〔2月9日深夜の記〕

きょうもお休み(春先のような暖かさ)

子供のとき、風邪をひいて学校をお休みした日、くすぐったい嬉しさがあった。それと似て非なるものではあるが、なーんだか「そういう」感覚を思い出しそうな日。***本日も昨日に続き、家でだらだらと静養。朝、七草粥(といっても、世間で言う「七草」ではなく、自家野菜の「七草」ね)を食べ、寝巻きの上にガウンを羽織って、テレビを見たり、コタツで横になったり。午後は、ちょいと昼寝も。たまっているブログ日記を書いてしまいたいと思いつつ、ちょっとパソコンに向かっただけで疲れてしまい、なかなか進まない。***しかしまあ、体調はゆるゆる回復しているよう。熱は微熱程度に下がり、足元ふらふらも去り、歯の痛みは「舌が触れただけで痛い! 上の歯と下の歯がぶつかってしまった時には飛び上がりたくなる」ほどだった昨日に比べれば、「気のせい」程度の痛みに落ち着き(←薬が効いている)、まあ、アゴの横にコブができたみたいな顔のラインの変形が問題といえば、問題。だが、それくらい、たいしたことではない。

〔たしか1月7日の記〕

病院通いお休み(天気は晴れ)

深夜、悪寒で目が覚めた。きのう、病院にいるときから体のだるさはあったのだけど、ま、特段気に留めてはおらず、どーも、あとで思い返すと、帰り道あたりから普段に増した疲れの感じがあって、おまけに前日からの歯痛が激しくなっていて、家に帰りつくと、うどんを(噛まずに)1本ずつ飲み込むのがやっと、着替える力もなく、軽い睡眠薬を飲んで床についたのであった。生まれて初めて(!)の睡眠薬。にーも、かかわらず、目が覚めてしまったのである。寒くてね。外から帰ってきたまんまの格好、つまりダウンジャケットを着たまま、電気敷布の上で寝ていたというのに。熱を計ると、38度を超えている。うー、うー。コタツにもぐって温まっていると、トイレに起きた母様に見つかり、すりおろしリンゴを作ってもらう。体は熱っぽくても、食欲がないわけではなく、「おかわり」「おかわり」をしていたら、リンゴ1個分、ぺろっと食べてしまった。▼明けて本日。姉の車で、休日当番の歯医者に駆け込む。熱があるため、麻酔が使えないということで、痛みのある歯の冠(かぶせものの蓋)をはずしてもらい、お薬を処方してもらっただけであるが、その後、昼ごはんに蕎麦を(これまた1本ずつ飲みこむ)食べたあと薬を飲んで、夕方まで眠ったら、歯の痛みはだいぶ楽になった。

〔たしか1月7日の記〕

便意

朝、わたしが行くと、すぐに目を開ける爺さん。そして冷水を湯のみに半分くらい、一気飲み。まぶしいかと思い閉めたカーテンを、自分から「開けて!」とも言う。きのうはお風呂に入ったあと、体調が悪くなり、夕方の嘔吐に続き、夜も嘔吐したらしいが、今朝はわりと調子がいいみたい。▼「歯を磨く?」と尋ねると、すぐに自分で入れ歯をはずす。「グルタミンいうか、チューインガム作るときのみたい、(入れ歯に)つくがいぜぇぇ」と、訴えながら。その後、きれいになった歯をいれて、つるつる加減に満足のよう。▼朝の回診のとき、わたしはO医師に、「おとといあたりから、痰がでるようになった」ことや、「最近、便意があるみたい」ことなどを伝える。(医師によると、痰は長期に寝ていたら出てくる症状らしい。大便は、「あす、レントゲンをとってみましょう」の返答であった)。あのね、たとえば「手を失くした人が、なにかの拍子に手の感覚があるように感じる」のと同じことなのかな、と、わたしは思っている。入院以来、お腹の通りをよくする薬を点滴してもらっているのだけど、もう爺さんの大腸は臓器としての役目をおわったのかもしれない。入院当初、毎日のように問診されていた「ガスでましたか?」も、最近はほとんどされなくなったし。一方、爺さんのなかでは、長いあいだ排便していないことを気にし、「大便、しなくっちゃ」という思いが高まっているのだろう、加えて、先の「手の話」のように、すでにダメになった体の機能を、脳が記憶として留めている、という。まあ、素人の考えだけどね。「おんこ、出そう」と、ポータブルトイレに腰掛けてはみるものの、しばらくたってもそれは叶わず、「やっぱ、出んか」と呟く爺さんの姿を、わたしは一生忘れないだろう。▼午後、見舞いに来た母様が帰る際、「気いつけて」と声をかける爺さん。わたしが「(そんな言葉をかけるなんて)赤い雪、降るんじゃないの?」とからかうと、爺さんはニヤニヤした顔で、「赤い雪、降る」と繰り返す。▼きょう一日をとおして、午後に一度嘔吐した以外は、穏やかに寝ているか、ときどき話をしているか、(きょうはかなり話したなー。逆に、わたしが自分の用事にかまけ、十分に相手をしてあげられなかったくらい)、総じて安定した日であったと思う。せん妄も、ほぼ、(きょうなんて100%)、治ってきたみたい。


〔2月5日深夜の記 なお、レントゲンの結果を聞くと、「腸閉塞は起こしてません」との回答であった。どうなっているのだ、爺さんの体は。〕

「赤い雪降る」の日に追加する日記

初めて母がひとりで病院に来た。「初めて」というのは、ま、正確ではないのだけれど、途中、姉たちと合流して、などというのではなく、実質、初めて母がひとりで爺さんの様子を見にきた日。■爺さんの入院からほどなく母も風邪をひき、体調を崩していた。また、たまに短い時間、見舞いに来ても、「入院すれば、元気になると思っていたのに、元気どころか、眠ってばかりいる」爺さんを見て、ひじょうに母の心も沈んでおるようだった。(病院にいるあいだは普通に振舞っていても、夜、わたしが帰宅すると、どっと疲れた様子の母がいた)。■「こんな(爺さんの)姿を(母に)見せるのは(わたし自身も)つらい」という思いがあり、わたしは彼女に病院に来ることを強く勧めることをしなかった。だけど、最近、気づいたんだよね。「風邪うつされると困るから」と口では言っている爺さんであるが、心のなかでは「どうして妻はワシの見舞いにあまり来てくれんのだ」の気持ちが募ってきているのではないか?と。このまま行けば、「恨み」のような感情が爺さんのなかに芽生えかねん、とまで、考えちゃったよ。■だから、きのうの朝だったと記憶するが、「今日はお父さんの調子がいいみたいだから、ちょっと無理してでも、お母さん、病院に来たらいいんじゃないかなぁ」と姉に電話をしておいたのだけど、この日はお風呂にはいったあと、爺さんの体調が悪くなり、せっかく足を運んだ母を、またがっかりさせた。■そして、本日。爺さんの体調もわりと良いようで、入院をして初めてゆっくりと母とお喋りをできた。ああ、よかった。と、心の底から、わたしは思った。話の内容は、自宅にいるときのような「とりとめのない」ことばかりなのだけど、それでいい。いや、それだから、いい。のだろう。この日は母もいつものような疲れ方を見せなかった。

〔2月9日深夜の記〕

まぼろしのメロンソーダ


朝のテレビニュースで、原油高騰(高値を更新)を知り、「おおー」と、小さく叫ぶ爺さん。顔をふきにきてくれた看護師さんに、「なかなかいい正月やったの」と言う爺さん。今朝はけっこう調子が良いようだ。▼「すかーっとしたもの、飲みたい」とは、たびたび言っているのだが、今朝も彼は「すかーっとしたもの」を所望。年末に爺さんのリクエストにより買ってきた、でも、結局、寝ていて飲まなかった「レモンスカッシュ」は、健康な人でも目をひんむくほど酸っぱかったから、止したほうがいいと思うよ。代わりにメロンソーダーがメニューにあったから、それはどう? と尋ねると、爺さん、了承。じゃあ、午後のお風呂のあとにしよう。と伝えると、「今でもいい」だと。ふふ。つまりは、「今がいい」のね。▼病院の7階にある喫茶店から、3階の病室まで、なみなみ入ったソーダを運ぶのはたいへんであります。トッピングされたアイスの下から、しゅわしゅわ、しゅわしゅわ、炭酸が上がってきます。コケないように。こぼさぬように。ストローとスプーンももって。そして無事、病室に戻ったとき、わたしが目にしたのは、「今、まさに、どこかに連れていかれそうになっている」爺さん。▼話を聞けば、午後の入浴予定が、急遽、朝風呂に変更になったのだと。なんと、まあ。それならそれで事前に一言、知らせてくれればいいのになぁ。気のせいか、爺さんの表情が不安そうにも見える。▼お風呂は共同で使うのだから、患者の希望を優先してはいられない、のは分かる。でも、健康な人間と違って、病人にとって、入浴は重労働に等しい体力を使う。下手すりゃ、命がけなのだよ。「急に連れていかれる」のは、勘弁して欲しい。楽しみにしたメロンソーダーも、お預けになっちゃったし。▼夜、冷凍庫のなかで凍ってしまったメロンソーダを取り出すと、すごい!ことになっていた。膨張してんの。ソーダがグラスのまわりにあふれたまま凍って。その様を見て、爺さんも笑う。結局は、わたしが一人でメロンソーダーを飲んだのだった(いや、「食べた」だな。カキ氷状態!)。

〔2月4日の夜の記〕

「今日で正月、終りやな」

入院してちょうど2週間経った頃、爺さんは「尿ビンを使ったほうがラクやと思う」と、わたしに言った。入院したその日から、爺さんはベッドの隣にポータブルトイレを置いて、排泄していたのだけれど、それすらもたいへんになったのだろう。上半身を起こす動力はもちろん、起こしている状態を保つのも体力的にむずかしい。またポータブルに座るには、ふらふらの身で一度立ち上がらなければならない。もちろん、用を足したあと、ベッドに戻るのも、彼にとっては一大仕事。けれど、そんな姿を見ていながらも、わたしは爺さんの「尿ビン」の話に、「自分で(ベッドの)上がり下りをしたほうが、運動になっていいと思うよ。ゆっくりゆっくりでいいから、ポータブルを使ったら?」と返した。本音を言えば、「一度、尿ビンを使い出したら、ホントウの寝たきりになってしまう」と怖かったのだ。爺さんはわたしの言葉に素直に頷いて、その後も、ポータブルを使っている。◆という状況が続いていたが、「尿ビン」話から5日ほど後だったか、ベッドにおしっこの染みを発見。てっきり、「おもらし」の跡と思った(*)わたしは、看護師さんや姉と相談した末、(通常なら、この段階、いやとうに前の段階で、「尿道に管」あるいは「おむつ」を使いましょう、となっていただろうが)、ポータブルトイレと尿ビンの併用で、ゆくことにした。そして、その併用はいまだ続いている。日中、本人がポータブルを希望すれば、介助をしつつ、ポータブルで用を足してもらい、尿ビンでいいといえば、わたしが尿ビンでおしっこを取る。ただ、夜中までは付き添いできないため、ふらふらの身で一人立ち上がっては危ないと、「夜、おしっこするときは、ナースコールを呼ばれ」と繰り返し爺さんに言ってはいるのだけれど、ほとんど爺さんは看護師を呼ぶことなく、一人でポータブルに立ったりしてるみたい。最近は、だいたい翌朝、看護師さんに前夜の様子を聞くようにしているのだが、「ナースコールは押してくれるのだけど、行ってみると、本人さん、すでに自分でポータブルに座っているんです」なんて返事が返ってきたりする。◆まったく、病人になっても、基本的な性格というのは変わらないのである。いや、変わった部分も確かにあるのだが、「自分のことはできるだけ自分で」という態度は、ほとんど入院前と変わらない。よって、誰もいないとき、頑張って一人で排泄はしたが、そのあと、パンツを定位置まであげる力もなく、下半身をあらわにしたままベッドに倒れこんでいる。なんて姿を、(病室を留守にしたあと、わたしが戻ると)、しばしば目にすることになるのだ。◆(*)さらに数日後に分かったのだけど、あれは「おもらし」ではなかった。パジャマのズボンを十分におろしきれてなくて、排尿の際、ズボンや下着に尿がかかり、その水分がお布団にしみた、ということのようだ。

朝、顔を拭きにきてくれた看護師さんの気配で目を覚ます、爺さん。誰に言うともなく、「今日で正月、終りやな」とつぶやき、また、わたしがいることに初めて気づいたらしく、「いつ、来た?」と声をかけ、またすぐに眠りの人になる。◆昼前、わたしは休憩のため30分ほど病室を離れたのだけれど、その間、爺さんは自分でナースコールを押して、「気持ちが悪い」と看護師さんに知らせたらしい。ずっと担当してもらっている医師はもちろん、複数の看護師師さんからもその性格を見抜かれている爺。折りにふれ、「□□さん(←爺の名前)、我慢強過ぎるわ」と、口々に言われている爺であるが、これまで彼を洗脳するかのように「無理する必要はない。気持ち悪くなったら、看護婦さんを呼ばれ」と娘たちから言われ続けてきた影響もあるにはあろうが、実際は「我慢すらできない」辛さだったのかもしれない。看護師は「普段、我慢されているのに、そういうことを言うのはよっぽどだろうと、吐き気止めの注射をさせてもらいました」と。これ、たぶん、麻薬である。◆先の注射のおかげであろう、寝息を立てている爺。昼をまわって、叔父と遠方に住む従兄弟(爺さんにとっては、妻の妹夫と甥)が来てくれたときも寝入っていたのだけれど、わたしが無理して起こす。見舞い客はだんぜん女性が多いなか、久々に同年代の男性とお喋りを楽しんだ爺。(先日、別の叔父が来てくれたときは、爺さんが起きなかったので、そのまま帰ってもらった)。普段はそんなに口数の多い人ではないと思っていた叔父が、積極的に爺さんに話しかけてくれるのが、ありがたい。(ちなみに。見舞いの人が来てくれると、毎回「喋り疲れ」を起こしてしまうほど、お喋りする爺。本日も、酸素チューブをしながら、長い時間、喋っておった)。◆そろそろ家に帰ろうかと思った18時半前、爺さんは「気持ち悪い」と言う。「また注射してもらう?」と尋ねるも、「(注射慣れして)効かなくなったら、困る」の返事。ちょうど担当の看護師が勤務中だったので、その旨を彼女に伝え、わたしはダッシュで病院最寄の駅へ。


〔1月31日の夜の記〕
背伸びせず、ゆるゆると日常生活などをつづります

はえともみ

Author:はえともみ
 
万の風になって、生きる。

ちちんぷいぷい~。
(HSPの自覚あり)
「うつと仲良く! ひきこもりだっていいじゃない」と
開き直って生きてたら
元気になってきました。

→ 近年は、老母の観察メモの
(&それに伴う自身の変化など)
色合いが濃くなっております。
・・・ま、長い人生の一コマですな。

徒然な日々も、留まることはない。
すべてがいとおしい。だから書く?

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