ともみ@ピクニック

大晦日の騒動

「本人さん、一泊の外泊希望を出されているのですが」と、朝、看護士さんに言われたときにはびっくらこいた。わたしの頭のなかは「???」。そして爺さんの様子を見れば、「やる気、満々!」という感じ。電気カミソリでヒゲ剃ってみれば?とわたしが促すと、入院する前の晩に手にした以来のそれを使ってみたり、「朝早かったみたいから、疲れとるやろ。ちょっと寝られ」と言っても、「なーん。疲れとらんっ」の返事。オレンジジュースをストローで2口くらい飲んだあとは「はぁ、はぁ。がんばらなっくっちゃー!!」と、ひとり言。そして、「10時半頃、(姉の)車、空いとるやろなぁ」とか、「革靴、(家に)持って帰ってないやろな?」とか、しきりに帰りの心配をしている。自分で外泊希望を看護士さんに告げたとき、医師の許可次第だと言われたのだろう。たまたま顔を出した看護士さんに「先生、まだ?」と催促も。▲その後、「家の準備が出来ていないし」という我の話も汲んだのだろう、医師は「どうしてもダメということはないけれど、外泊はまた後日にしましょう」と爺さんに話してくれた。そのときの爺さんの顔といったら。犬がショボンと哀しそーなときにするような目になったのであった。それからほどなく、爺さんは寝入ったのだが、「家に帰りたいのに帰れない」夢を見ているようだった。いろいろ寝言を発していると思いきや、突如、かっと目を開けて、「おかあさ~ん、助けて~」と叫ぶのである。▲のちにまた別の医師がきて、本人と我の三人で話し合った結果、「外泊ではなく、午後からの外出とする。夜にはまた戻ってくる。今日はあまりにも急だから、明日にしよう」ということになった。あわただしくも、その線で落ちつくかと思いきや・・・。▲「明日の朝、酸素をはずしてみて、それでダイジョウブなら、最終的に外出のOKがでるみたいよ」ということを、我が爺さんに告げたら、爺「ワシ、酸素はダイジョウブ。心臓、強いから! 問題は、て、ん、て、き、やのぉぉぉ」。そして、結局のところは、「自宅に取りに行きたい書類があって、それを病室に持ってきてもらえたら、外出はしなくていい」という爺さんの意向により、外泊&外出騒ぎは一件落着したのであった。ふぅ。▲午後、ちょいと外出。姉一家と電気屋を2軒はしごし、ラーメンを食べ、お年始用菓子を買い、(親の)家へ。床の間の掛け軸を正月用に変え、お風呂と女性用トイレだけを簡単に掃除し、あとの掃除は姉に任せ、夕方、姉夫に送ってもらい病院に戻る。▲「紅白歌合戦」と「K1」を少し見たりして、爺さんの大晦日はしずかに過ぎた。そしてわたしは家に戻り、蕎麦を食べていたら、新しい年がやってきた。

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初積雪の日

ゴミ箱のうえに、ちょこんとそろえたスリッパが一足、置かれている。今日と明日は退院する人が多いようだ。お正月の一時退院もあれば、通院に切り替わる人もいるみたい。なかには、「家に帰ったら食事の支度がタイヘンだから、病院にいさせてほしい」と頼んでいる、おそろく一人暮らしの人も。それぞれの年末である。■爺さんの様子、昨日よりは本日午前、本日午前よりは本日午後、だいぶ良くなった。それにしても。入っていない(架空の)入れ歯を触ったり、抜けない前歯(差し歯)を触ったり、懸命に抜こうとして、挙句、「なんでこんなに硬いが~!!」と興奮気味の爺さん。その都度、「今、ポリデントで洗浄中」などと説明しなければならないのであった。しかしねー、あとで入れ歯を入れたとき、「ガタガタや~。なんでこんなことをした!」と、まるでわたしが彼の入れ歯を壊してしまったかのように怒られたときには(←実際は「顔が痩せて、今夏に作った入れ歯が合わなくなってしまった」のだ)、わたしの頬に涙が落ちそうになったよ。■朝、病院への道を歩いている途中、目の前が雨粒から白いものに変わった。夜は、雪の積もった家路を踏みしめる。今年初めての積雪日であった。

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花火の翌日

きのうの爺さんの元気は、まるで花火があがったようだった。「(この病に関して)一瞬、快方に向かっている!」と見えるときがあるけれど、それは一時的な場合もある。というような話を、つい最近、耳にしたばかりであり、一夜明けての爺さんが、実は心配であった。■で、本日の爺さん。「きょう、帰ろうと思ってるんだよ」と、(わたしの聞いた)朝一番の寝言。また、ベッドの転落防止柵を手でつかみ、「とれんがいぜ!」と訴えながら、懸命に外そうとしている。どうやら、正月も近くなり、家に帰らなければいけない!そんな夢を見ているらしい。かと思いきや、酸素チューブを鼻から外してみたり、外すだけならまだしも、チューチューと、それを口で吸っている姿を見たときは、思わず、わたしも声をあらげてしまったよ。■この状態がほとんど一日続く。きのうの体力の使いようからいって、きょうは疲れているだろう・・・そういう心配はしていたけれど、爺さんの頭がおかしくなっているとは、想像もしなかった。痛み止めのシールは全身の麻酔になっているらしいので、「夢うつつ」が強いのは、わたしにも想像がつく。しかし、これまでの「寝言」を超えた、爺さんの頭のなかの変化を、しっかりとわたしは感じてしまった。単なる寝言じゃないんだよ。幻覚とも違い、「まるでボケた人」の言動に近い、といえばいいのか。そう、寝言の“質”がこれまでとは違うのだ。説明するのは難しいけれど、爺さんがきのうとは違う生き物になってしまったように見える。

わたしは自分がこわいですよ。なにをこんな冷静ポーズのブログを書いているのかと!!

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まつ毛はどーして黒いのだ

どーして、まつ毛は白くならんがかね。ガイジンさんも、髪は金色で、まつ毛は黒だったりするもんね。どーしてやろ、不思議~。と、言いながら、爺さんのごま塩色の眉毛をカットする我。本日の爺さんは体調よろしいようで、自分で歯磨きや、ヒゲそりもしていた。■先週、「寝たまま入れるお風呂」を初体験した爺さん。その後、「いくら請求くるかのー。あんがい、高いがいぜ」と心配したり、寝言で「風呂のぜん(銭)払わんにゃ!」と言ったり・・・・。まあ、とにかく、爺さんにとってミラクルな体験であったのだろう。そしてまた、看護士さんに「お風呂どうでした?」と聞かれれば、「油で煮られとるみたい・・・天ぷらになった気分!」と答えるのであった。(下から出てくる泡が揚げ物を想像させるらしい)。で、今日も入浴Day。洗髪をしている看護士さんが「痒いところはないですか?」と聞いてくれたタイミングで、下半身のフクロの辺りを手でボリボリ掻く爺さん。ぐふふー。そのとき体を洗っていたおばさん(看護士の助手のようなお仕事をしている女性)は、「洗ってやるよ~」と、明るい声で応じてくれたのだった。■朝から楽しみにしていた(?)来客の一群のほか、思いがけない来客もあり、・・・午後は総勢10名の見舞い客があった。おまけにお風呂も入ったし。そーとー疲れているだろうと思いきや、わたしが帰るまで、お目めはぱちくりこ。元気な爺さんであった。ところで。夕方、年の瀬の町を映すテレビを観ながら、「もう正月やの」と爺。「まだ今日は28日やよ」とやんわり返すも、「もう正月や」と爺の声。

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平常心 2

だから、すべてがどーでもええわ、でもある。すべてがどーでもええから、逆に大切なものが生まれる。(自分の頭のなかが一気に飛ぶ→)最終的には平常心の獲得の話となるのじゃないかな。

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平常心

「何もかも、実のところは同じなんだ」。しずかに心の底から、そういう感覚がわきつつあったころ、突然の爺さんの入院。・・・・・・第一週目、わたしの頭はパニック。第二週目、爺さんの状態もすこし安定したようで、わたしも現状に慣れつつある。第三週目、入院直後は「(爺さんに)正月を迎えさせて下さい」と祈る気持ちでいたが、この様子では、ちゃんと年を越してくれそうだ。・・・・・・ふっとしたときに、「何もかも、実のところは同じなんだ」の感覚が、またわたしのなかに戻りつつある。それは例えば、「悲しみも喜びも、何もかも、全ては同じところに集約される」とか、「とても重く感じていることも、実はそこらに軽そうに転がっていることごとと、変わりないのだ」など、感覚の表情としては、そのときどきで違うのだけれど。

*上の「わきつつあった」は、違うな。わき始めたのは、たぶん、もっとずっと前から。「定着しつつあった」がより現状に近いか。

*仮にしかりと定着しても、その上にまた何層もの「その場に応じた感情」が上塗りされて、定着の効果が常に発揮されるとはかぎらない。残念ながら?ね。

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夜のアイス珈琲

朝、わたしが病室に行っても、爺さんは夢のなか。「~に食事してもらう、むにゃむにゃむにゃ」の寝言ののち、心なしか幸せそうな顔をして、まるで何かを食べてるみたいに口元が動く。――入院ほどなく、爺さんが「口から食べる」ことはもうないのかと思っていたから、先日、病院食を食べたのは、わたしにとって夢のような出来事であった。入院した日の午後、CCレモンを飲んだのだけれど、それも爺さんが口から入れる最後の液体なのかと思ったこともあった。その後、数回、ほんの数口ずつだけれど、普通の飲み物を飲める機会があり、それはたぶん爺さん本人にとってよりも、それを見ている、わたしにとって幸せな出来事である。――医師からは「一日300ミリ」まで自由に水分を摂って良いといわれている。また食べたいものがあれば食べても良いともいわれている。ただ、これまでの経験上、口からものを摂れば、嘔吐をする確立がすこぶる高く、それは爺さんの肉体にとって苦しいこと。また仮に嘔吐をすれば気管が詰まる危険もある。さらには、嘔吐をすれば、それだけ体液が出てしまうことになる。つまりは、飲食をすることは色んな意味で「生」の証となるけれど、同時に、それは「生」への危険をもたらすことになる。・・・・・と、わたしは捉えている。――寝顔であろうと、爺さんの幸せそうな顔を見るのは、わたしにとって嬉しいことであるけれど、今朝の「夢のなかで食事をしているんだろう」彼の姿は、そのあと洗面所に花の水を替えに行く廊下で、わたしを「嬉しい」とは正反対の感情に襲わせた。

収穫すれど、収穫すれど、まだまだある冬野菜。わたしは、この自分たちの力量を超える(数年前まではそれでも良かったろうが、今ではとても労働力の追いつかない畑。および、配っても、配っても、なお、有り余る野菜。食べて頂ける方には感謝である!)この農耕地に、“思わず憎んでしまいそう”な戸惑いを、いつも抱いている。けれど同時に、ここまで両親が大切にしてきた畑なのだから、せめて、今植わっている野菜たちには、本来の使命(適時に収穫されて、調理され、人間の胃袋に入る)をまっとうしてもらいたいと思っている。だーが、だよ。そのためには「誰か」が収穫せなば、なりませんなー。そして、「誰か」に食べてもらわなければ、なりませんなー。なかなか容易じゃないヨ! ぐふふふんっ。――昼に親の家へ戻り、午後はちょっとだけ畑仕事を。ネギ堀り、各種野菜運搬、大根の泥かけ(←寒さに耐えられるよう)。風邪がまだ治らないだけでなく、息が苦しかったり、めまいがしたり、脈が速かったり、いろいろ体調不良を訴える母様も、一緒に。昨日と今日はこの時期には珍しい青空で、また母様の体調は精神的なものも多分に関係あるだろうから、わたしは彼女が畑に行くのを止めなかった。で、母様、ちょっとふらふらしている様子もあったけれど、久しぶりにお天道様の下で畑の空気を吸い、知り合いともお喋りし、疲れはしたようであったけれど、それでも畑へ行ってよかったのではないかなーと、わたしは思っている。そもそも彼女がいなくては、わたしは畑の勝手がわからんヨ。

夜、病院からの帰り、病院最寄り駅前でアイス珈琲を飲んだ。いつもは「待ち人おり」で珈琲など飲んでゆく時間はないが、本日は早めの夕食を食べたのちに病院へ戻ったので、母様には先に就寝しているよう言ってきたのだ。で、駅前の、であるが、あー、なんたる寂れよう。地方都市の衰退はよくいわれることだが、この寂れようったら、ありゃしませんわ。まず駅前で目につくのは、消費者金融の連立。それを見て見ぬするかのように建つ、中堅チェーン店のホテルが数軒。あと、ぽつぽつと飲み屋。ま、それくらいですな。そしてわたしが入ったのは(これまでも何度か利用している)ホテルと一体化したレストラン兼喫茶店のようなところ。先客は、忘年会から流れてきたらしい会社員の集団。マイルスデイビスの音楽がかかっていたのに、ムード、ぶちこわし! ま、彼らとて、ほかに行く場所もないのだろうから、許してやろう。その後、わたしはただ一人の客となり、追い立てられるように勘定を済ませ、最終列車で親の家に戻った。

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大便のてがら

昼間、病院を抜け出して、大型スーパーへ。買ったのは、自分のパンツ。お正月も近いしね。と、いうのもあるが、このごろ、「くたびれ」パンツを穿きまわしているので、そろそろ新品を調達したかったのだ。(アパートに戻れば、ま、「くたびれ」前の下着もあるのだが。←名誉(?)のために書いておく!)。ついでに、母様のパンツと肌着。あと、一日遅れのクリスマスプレゼントとして、形が自在になるクッションを、母様に。その他、病院で使うもの色々と、自分用の食料。たったこれだけの買い物だけど、気分転換になってよかった。■いつかこんな日がくるのではないかと思っておりました。夕方、病院のトイレで、しかも和式を選んで入り、すっきり大便をいたした直後、ちょっと腰を浮かした隙に、ぼとっ、と、ジーンズの後ろポケットからケイタイデンワが落下。見事、それをキャッチしたのは、ほやほやの大便。うー、「でかしたゾ」と、大便を誉めるべきか否か。ま、トイレの水に直接浸るよりも、持ち主の大便に受け止められるほうが、ケイタイデンワも嬉しかろう。水分抜け気味のやや硬めの便であったしな。そして、今も、わたしのお尻のポケットには、ケイタイデンワがすずしい顔して眠っております。

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シクラメンと鶏もも

青白くなりはじめた空に、あかくてまるい月が浮かぶのを見上げながら、霜のおりた道を足早に駅へ。無人の改札を通るのが面倒で、駅のほんの手前、ホームと小道を隔てる柵を軽くひとまたぎ。一日に3千人ほどしか利用しないという現在のこのローカル列車、数えるほどもない客たちが、それでも冷えたホームで、ちらほらと朝の汽車を待つ。わたしがちらほらさん達のもとに着くころ、ちょうど汽車もホームにすべりこむ。汽車のドアーは手動。一番先に乗り込む客が「開」のボタンを押すと、ぷしゅーっという音をはいて、小豆色のドアが開くのだ。親の家の最寄駅を出て数分後、日本海とぎりぎりに接近した線路のうえを汽車が走る。空はまだ青白く、烏賊釣り船の明かりがぽつぽつと遠目に映る。

病室に入って、びっくらこいた。テレビが点いているのである。(←爺さん本人が点けたらしい! 何気ないことのようであるが、爺さんの現状を見れば、これは充分驚きに値する)。夕べはラジオを聴いて寝ていたようだ。(←本人曰く「きいよし、ばっかりやった」。・・・氷川きよし、ではない。「清しこの夜」の「きよし」ね)。その他、週間天気予報を見て大掃除の日にちを考えたり、メモ用紙とペンを所望したり(←なにか「重大なこと」を記しておきたいのかと思いきや、野菜便のことについてメモしたかったらしい。ま、本人にとっては「重大」なことなんだろう)、親戚におくるカブラ寿司の日にちを考えたり、はたまた「菜っ葉亭にまた野菜を送ってやれ」と(←「菜っ葉亭」ではありませーん。「酒菜亭」だよぉ)我の友人がやっている居酒屋に送る野菜便の心配までしたり、極めつけは「アイスクリーム」を食べたいといい、実際にアイスを数口食べた。などなど、入院直後には考えられない気力の上昇である。

朝の回診で、主治医のN医師は爺さんの顔を見るや、「ヒゲ剃って、いい男になりましたねぇ」という。爺さんはこのN医師に手術を執刀してもらい、通院をしていたときも、毎回、このN医師に診てもらっていた。そして入院してからも、N医師は主治医であるのだけれど、朝夕の回診にはN医師がいないときもある。(担当の医師は主治医を含め4人)。前回、N医師が回診に来たとき、「だいぶ、ヒゲ伸びましたよー」と、爺さんに声をかけていたのだけれど、爺さんがヒゲを剃ってからは今日が初めての回診。肉体的な症状の変化だけでなく、こういった「ちょっとした」ことも気にとめる配慮に、それが治療には直結しないことかもしれないけれど、人が人をみる心構えとして、わたくしはちいさく感心したのであった。

家に帰ると、クリスマスのお花が届いていた。爺さんの入院以来、母様も精神的にしょんぼり&風邪をひいているのだが、この清楚な色づかいのシクラメンに、お留守番をしていた彼女も嬉しそうであり、それがなによりであった。さて、昨日、ケーキは姉が焼いたのを食べたので、本日は、鶏のモモ足を1本焼いたのを母様と二人で分け、静かなクリスマスの夜がおわった。

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「中国の行政!」

昨夜、爺さんは窓辺においてあるラジカセ(入院にあたり、「普通のラジカセ」と「短波ラジオ」を本人希望によりもってきてあった)を指して、「それ、電池入っとるがか?」と言う。これまでの数日間、見向きもしなかったラジオであるが、やっとそれに思いをやる状態が生まれたらしい。なんたって普段から抱えるようにしてラジオを枕元においている人であるから、早速、わたくしは、ベッドのわきにラジカセを置きましたじょい。そして、今朝、爺さんはクラックの流れるラジカセに顔をくっつけるように、すやすや眠っていた。おそらく、昨夜わたしが帰るときからずっと、ラジオをつけっぱなしなんであろう。ま、近所迷惑にならなければ、それでいいか。■見舞いにきてくれた叔母たちと昼ごはんを食べていたとき、今使っている畑の一枚を、ビワ畑にしたらいいんじゃないか、という話がでた。そもそも、畑に除草剤を撒きまくるわけにはいかないし、かといって放っておいては(草ぼうぼうで虫だらけになって)近隣の畑に迷惑がかかる・・・、というようなことをわたしがボヤいて、「では、なにを植えればいいだろう?」と、農業に疎い三人が頭を寄り合わせた案である。ビワは虫があまりつかず、冬の寒さにも強く、実をつけるのも難しくないみたいだし。前より「果樹園にすればいいのでは」と思っていたわたしは(爺さんには「果樹は虫がくる」と反対されていたが)、この案にビンゴマークをつけたいのだけれど、はて、いかがなものか。■夕方、爺さんは「むにゃむにゃむにゃ」と、やっぱり寝言。「何?」と、わたしが聞き返すと、「中国!」の返事。「中国? 中国を旅行しとる夢、みとったん? タダで旅行できて、いいね~」。「中国の行政!」。「行政? 中国の行政の夢、みとったん?」「うん。政治じゃないぞ、行政!」。そんな会話を、夢うつつの人としたのであった。

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なつかしい所

今日の爺さんは、テレビを見る元気があるようだ。肉体が病にひっぱられているのは、いつかは誰でも命を終えるのだから、もちろんそれは「神様に土下座をしたい」ほど嫌だけど、同時に「仕方ない」と思うしかない局面が、生き物にはあると思う。せめて、精神的な部分は、肉体が元気だったころにすこしでも近いポジションにいて欲しい。そんなわけで、爺さんにテレビを見る気力があることは、非常に喜ばしい。午前の早い時間、爺さんは、小豆島の番組、北海道の増毛町の番組、天皇誕生日にちなんだ皇室の番組を見て、少しお喋りをしていた。▼爺さんは、「(皇太子よりも)弟のほうが歳いって見える」という。我「皇太子さんは髪を染めているんじゃない?」。爺「染めてない!」。我「何で? 決まりでもあるの?」。爺(自信をもって)「うん」。我「決まっているの?」。爺「うん。(皇室は髪を染める)風習がないから。美智子さんだって、そうやろ」。はて、実に疑わしい、爺さんの自信である。▼午後は眠っている時間の多い爺さんであったが、夕方、ぽつりと、「今度の正月は□□に寄りたい。こっで、寄れんかもしれんから」と言う。□□は爺さんの生家であり、爺さんの弟夫婦が住んでいるところ。近隣の建築物の事情により、来年早々、その家の一部を壊すことが決まっている。昭和の初めに記録に残る町の大火を経験し、そのあとに建てた家で、その後も手直しはしているが、アーケード街のなかにあるその家の(爺さんの実家は商いをしていた)つくりは基本的に変わっていないらしい。生家を離れて四十年以上、品行宜しくなかった彼は長男なのに家を継ぐことはなく、分家の身になったのであるが、本日の爺さんによると「(□□は)一番、なつかしい所」なのだそう。

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寝言

昨日の疲れがでたのか、午前中はずっと夢見状態の爺さん。彼は相当なるイビキ男で、若い頃から地響きのような音をたてて寝るのが専門であったが、数ヶ月前にふと気づいたところ、爺さん、一向にイビキをたてなくなった。すやすや寝息が聞こえればいいほうで、なーんも音なく寝ていることが多い。それが、入院する前の日の夕方、わたしは初めて「爺さんの寝言」を聞いた。(もちろん、この人の子として生まれ育ったのだから、爺さんの寝言をこれまでも聞いたことはあったのだろうが、記憶に残るかぎりは、その日が初めてだった)。そして、昨夕あたりから、また寝言が。。。。 (昨日の話でアル→ 爺さんは四人部屋にいるのだが、夕方、カーテンで仕切られたお隣さんに、看護婦さんが「おはよー。何時かわかる?」と声をかけたら、うちの爺さんったら、眠ったまま「6時近いと思うの」と返事。ぎょー。「あんたが話かけられたんじゃない」ってことよりも、その返事が「ズバリな時間」であったことに驚いた!)。そして話は本日の午前に戻るが、爺さんは始終寝言を言っている。同時に外界の声にも反応する。たぶん「半分眠って、半分起きている」状態なんだろう。「おかあさん・・・」の寝言のあと、ちょっと目覚めた隙に「何の夢みとったん?」とたずねると、「一服しようかと思って」の返事。この返事は、夢のなかの別の話かもしれないし、あるいは、先の夢が夫婦で畑仕事をしているときの夢なのかもしれない。またしばらく後、右手を揺らしながら、「お、そ、い」と言っているので、「何が?」とわたしがたずねると、夢見のまま「試運転」という返事がかえってきた。いったい何の夢なのだろう? (ところで。夢のなかの人に話しかけちゃ、ダメ! って以前聞いたことがあるような・・・。しかーし。隣で寝言を言われると、何の夢を見ているか、気になるじょい!)。そのあとも、何か、むにゃむにゃやっているので、あとでたずねたら、「英語の問題を自分で出して自分で答えている」そんなような夢だったらしい。なんなんだか! ひとまず、寝言を言っているときの爺さんは、おだやかな顔をして、ちっとも辛そうではないので(もちろんそれはわたしの見方に過ぎないが)、ベットの上で不自由な時間をおくっているよりも、ときどき、夢の世界にお出かけして、楽しい世界を歩きまわってくれるのも、いいかもしれない。

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お風呂

朝の回診にて、主治医が「お粥、食べてみましょうか。5分粥」というので、びっくらこいた。そのあと、担当の看護婦さんとも話したのだが、彼女も、このいきなりの5分粥に驚いていたようだ。なんたって、この2週間はまったく食事をとっていない。それ以前だって、ほとんどとれてないに等しいもん。入院直前および入院直後は、水分をほんのちょっとお腹に入れただけで、即に嘔吐という反応がでていたのだ。◆なぜに医師がこんな判断をしたのか? 思い当たるフシは、昨夕、直接の担当ではないY医師と看護婦さんがやってきて、爺さんの体調および爺さんの希望を聞いていたこと。それをもとに、今後のケアの対策を立てるのだろうと・・・わたしは思っていたのだけれど、こんなに早く、実行されるとは! (爺さんは「せめて一膳、ご飯を食べられるようになれば」と話していたのだ)。◆里芋の煮もの。お麩の卵とじ。5分粥。たいみそ。驚くことに、爺さんは(いずれも小盛り)それぞれ1/3ずつくらい食べていた。そして、これまた驚くことに、食後も気持ち悪くはなかったようだ。◆午後、お風呂に入れてもらう。20日近くぶりのお風呂。現代のケアって、すごいね。寝たまま入るお風呂を初めて見たじょい。◆爺さんの体を洗いながら、担当看護婦さんが「△△さん(=爺さんのこと)は、あれして、これして、って言わないから・・・」とおっしゃっていた。看護婦としては、もうちょっと患者の要望を把握して、それを叶えてあげたいということなのだろう。わたしは「わたしたちにも、あれして、これして、って、言わないんですよ」と答えておいた。この爺、元気なときは、例えばわたしの畑での働きぶりに「動作が小さい!」など、あれこれ叱り言を言っていたけれど、そう、今になって思うと、自身のことに関しては、ほとんど「あれして」「これして」と言うことがない。(逆に、健康時と変わらず自分であれこれしている姿が、家族をはらはらさせていた!)。◆入浴後、「ドライヤー要りますか?」と看護婦さんが聞いてくれたので、わたしが借りたい旨の返事をするも、そのそばで爺は「要らん!」と返す。「だって、風邪引いたら困るでしょ」と言っても、爺は「慣れんことしたら、よけい風邪ひく!」だと。入院をして数日間は気持ちがぺしゃんこになっているようにも見えたけれど、性格の根っこは変わっていないのである。

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のり弁スペシャル

平生より、爺さんの鼻毛は、ちょくちょく鼻から飛び出しております。入院前日の朝も、右の鼻の穴から黒いふさふさした毛の群れが顔を覗かせており、わたしは自分の眉毛カットのついでに、爺さんの右鼻から飛び出ている分だけ、エイッと切ってあげたのだった。・・・・そして今朝、爺さんは(本人によると)久しぶりに鼻の穴のお手入れをした。ベッドのうえで。最初は上半身を起して、途中休憩を挟んでからは、寝っころがったまま。▼まず、爪楊枝のとがってない方を、鼻の穴に突っ込んで、グリグリ~っと、鼻クソを掻き出すの。出ること、出ること!! 大きくて、硬い鼻クソが!! 本人によると「爪楊枝じゃないとダメ」(鼻の中にこびりついた鼻クソを採掘するためには爪楊枝が必要)らしい。その後は、ティッシュで鼻孔のお掃除し、あとはチョキチョキ、ハサミでカット。そして見事、ぱんぱかぱ~ん。化石のような鼻クソを除去し、鼻毛カーテンを切ったあとの、爺さんの鼻は、めでたく、トンネル開通。すーすーと通りの好くなった鼻に、酸素の管を戻して、無事、作業は完了したのでありました。▼お弁当を食べた。お昼にね。病院の売店で買ったやつ。この数日、いつにも増して食欲が旺盛で(親がこんなときにも、動物的にお腹が空く、わたしの体よ!)、「ボリュームあるもの食べた~い」と、「のり弁スペシャル」ってやつを食べた。ちくわ天麩羅、コロッケ、魚フライ、と、揚げ物が3つも載ってるやつね。ひさびさの脂っこい食事。午後は、軽い胸焼けを覚えました。

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大根と藁

親の老いが露骨に表れるものの一つに、下の世話があげられようか。爺さんの入院している病院は完全看護なので基本的に身の回りの世話はすべて看護士さんがやってくれるのだけど、本日、体を拭きにきた看護士さんはとても若く、老人の下半身に触れるのがイヤだったのだろうか(だとすればプロとして未熟)、あるいはわたしが普段から患者のそばにいる様子を見て独自の判断をしたのかもしれないが、上半身の清拭と着替えを終えたあと、「じゃ、あとはお願いします」と、下半身を拭くタオルをわたしに渡して、部屋を出て行ってしまった。一瞬、わたしは衝撃に包まれた。だって、これまで、そーゆーことは、したことないもの。しかし、その壁を越えるのは早かった。秒としては、0.2秒くらい? 入院以来、いろいろと「未知との遭遇」があるので、わたしの覚悟も、わたし自身の知らないところで、かたまっていたのだろう。ためらうことなく、爺さんのパジャマのズボンとパンツをおろし、でも、生殖器を触るまでにはおよぶことができず、「なーんもモンダイない」フリをして、「じゃ、自分で拭いて」と、仰向けになった爺さんにタオルを渡す。爺さん、あれはフクロと俗称いうのでしょうか、あそこの裏側をゴシゴシ拭いておった。わたしはその間、パジャマを畳んだりしていたのだけど、目は爺さんの様子を盗み見。どうも、フクロの裏が痒いみたい。茶色くて粉のような細かい皮がポロポロとベッドに落ちる。そして、それは充分にとりきれないようなので、自然とわたしの手は、爺さんからタオルをとりあげ、ちょとだけ拭いてみた。(でもね、拭いても、なかなかとりきれない。どうして、ああなるのだろう)。■昼に一時、親の家に戻る。本日も、天気の合間をぬって、冬野菜の運搬をするためである。風邪引きの母様と姉が午前に収穫した野菜を、午後、母様と、軽トラを出してくれるDさん(母様は「Dの姉ちゃん」と呼んでいる)と、我の三人で運搬。その際、面白い物をみた。Dさんは、「こうすると、運びやすいから」と、3~5本分の大根の葉っぱをまとめて、くるくるっと藁で束ねるの。とても、すばやく。実際、Dさんのいうとおり、これは運びやすい! 大根を一本ずつ運ぶのは能率がよくないし、かといって、カーゴいっぱいに入れた大根は、重い! このDさんのやり方は、藁に手をかけるだけで、ひょいひょいと運べてしまう。ゆるく束ねてあるようでいて、大根の葉が藁から抜け落ちることもなく、また、家についてからは、さっと藁をはずせる。うー。ベテランは違うぜ。ところで、このDさん、母方の祖父のイトコのお嫁さん、なのであるが、このイトコは、たしかわたしが小学生のときに亡くなった。当時、まだ現役の校長先生をやっていたと思う。それからすると、このDさんは長く未亡人をやってきたのだなー。今はもう80歳を越えており、来年からは軽トラックを手放すそうだ。

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