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 「脳みそ、なくなる」

入院以来、爺さん、一番元気な朝のような気がする。夕べから母様が風邪気味のことを伝えると、爺さん「疲れとるのやろ」。彼も、自分がこれまでやっていた労働の多くを、母様が担っていることを、口には出さずとも、よーく知っているのである。「あんたがおらんだら、フミちゃん、精神的にも、ふぅ~となっとるわ」と冗談めかして話すと、爺さんは穏やかに笑って聞いていた。■母様をかかりつけの病院に連れて行くため、姉が親の家へ行くというので、わたしも一緒に車に乗って、昼間、家に戻る。親の用事のPC作業をするためだが、二人が留守のあいだ、ほんのちょこっとコタツで横になったら、体がずいぶん楽になった。先週から寝不足が続いていたけれど、緊張が勝るあまり、体の疲れを相応に感じる余裕もなかった。まあ、しかし、今朝方の爺さんの安定を見て、わたしのなかにホッとしたものが少し生まれてきたのだろう。■午後、姉と一緒に病院に戻って。三人でおにぎりの話。「この人は、フミちゃんの手垢のついたおにぎりが一番好きやもんね」と、わたしが姉に爺さんのことをからかい話していると、爺さんが口を挟む。「おにぎりは手垢がつくから美味いんや。京都の料亭でも、板前の手垢がついてるから、美味いの!」。■その後も爺さんの体調は安定しているようで、奉天(お菓子の名前)をボリボリ齧っているわたしが「うるさくてすみませんね」と、断りをいれると、爺さんは「音楽やと思って聞いている」だと。うーん。■体のマッサージのついでに、頭もポンポンたたいてマッサージしていた折、ふと「お腹に響いてイヤかしら?」と思い、爺さんに「頭のマッサージしてもいいの?」と尋ねたら、その返事として「頭はまだダイジョウブ」(体は病に冒されているが、頭はまだしっかり働いとります)が返ってきた・・・・というのは、つい先日のこと。そして本日、また頭をポンポンしていたら、爺さんはこう言った。「もう、せんでいい。あんまりやると、脳みそ、なくなる」。

今は

朝、病室に行くと、爺さんの鼻に酸素チューブがはいっている。昨晩からずっと「腹がさわがしく」、先ほど嘔吐したのだと。看護婦さんによると、呼吸が苦しいというので酸素濃度を計ったら、あまり数値がよくなく、チューブをしたとのこと。(その後は落ち着いたようで、テレビを見ながら、冬の信州の川魚の話などをする)。■爺さんの体調がじわじわと芳しくない方向に向かっているのはわかっていたし、秋ごろからよりぐっとそれは加速しているのも、手にとるように感じていたけれど、まだまだある程度の余裕をもってじわじわ時間があると、わたしは思い込んでいた。ひとつは、入院の前日まで、これまで通りに爺さんは自分のことは自分でやっていた、というのが大きいだろう。ところで。床ずれというものを、知識としては知っていたが、この爺さんにすでにそれができているとは知らなかった。右腰の下には、かさぶたまで被っているところを見ると、自宅にいるときから、それはあったらしい。それだけの時間が、自宅療養のなかで流れていたのだな。■酸素チューブの知らせに驚いて飛んできた母様と姉が帰るとき、爺さんは「サワーキャベツ、全部、とったぁ?」と、畑のことを母様に尋ねていた。よしっ、よしっ。まるで<シャバ感覚と、どっぷり病人>の綱引きをするように、爺さんの関心が「入院前」の状態に一歩でも近づくと、それがどんな小さな歩幅であろうと、わたしは嬉しい。■昼の数時間、金沢へ戻る。デューク(古民家を改装した店)でオリジナルカレーとコーヒー。不動産屋にて家賃の支払い(いろいろ噂話を聞く)。美容院に行く(「肩より上に。手入れをしやすく。あとはお任せ」のリクエストのもと、ばっさり短くカットしてもらった。入店から仕上がりまで30分もかからなかったのでは)。など、いくつかの用事を済ませる。■いつ、どんな事態になるかわからないから、できる限り冷静に、できる限りやるべきことをやる。それしか今はないと思う。

日曜の病院

土日の病院は静かだ。外来がお休みというだけでなく、入院病棟の看護士さんも平日より人数が少ないらしい。家族そろっての見舞い客が目立つといえば目立つけれど、それでも、やっぱり、シーンとした印象が日曜の病院にはある。■「今年の冬はあったかいがけ?」と母様に尋ねる爺さん。「ずっと病院におったら、わからんわ」とも。おーい、入院をしてまだ一週間にも満たないのですけど。すっかり、爺さん、病院に気持ちが染まりそうになっている。イカン、イカン。■ところで、母様が爺さんをからかって言う。(我が付き添いしていることに関してだろう)。「退院したら、ともちゃんにお礼せんにゃ」。それに答える爺さん。「お礼は精神で」。そのやりとりを聞いていた我は、「へっ、精神? それをいうなら、『お礼は気持ちで』やろ? あんたの真心? そんなんもん、重過ぎるわ」と添えておいた。(お礼は現金にしてくれ!とは言えなんだ。あまりにも渇望のリアリティがありすぎるので。ぐはっ)。■大河ドラマ『風林火山』の最終回を病室で見る。(爺さん、毎週見ていた番組なので)。そのあと、来年の番組の予告をやっていたのだが、大河ドラマは年々、爺さんの好む「家康」とか「秀吉」とかとは違う方向に行くようだ。来年は『篤姫』らしい。それを知った爺さんは、「家族ドラマやのぉ」と。おーい、それをいうなら「ホームドラマ」じゃありませんこと? 

おまけ
数日前、ベッドのうえで、「だんだんとものの名前を忘れていくなぁ」と呟いていたが、この爺、言葉の用法が怪しいのは今に始まったことではないのだよ。普段の会話の途中にとつぜん英単語を挟んだり、テレビで覚えた新しい用語をすぐに使いたがったり、独創の(思い込み)言葉をぽろっと披露するのも、彼にとっては別段珍しいことではないしね。入院する少し前だったと思うが、爺さん、「××が××で、ぴーえむ、に、×××や」と話しておった。よくよく聞くと、「ぴーえむ」とは「午後」のことらしい。爺さんはたぶん、この世の中に「アフタヌーン」という単語があるのを知らないし、「チーズとは牛の乳から作るもの」に通じる思い込みを、さまざまな言葉に抱いている。知ってる単語はなんでも使いたがって、しかもその用法がビミョウにあるいは大いに間違っていることを、微塵も気にしない。これは言葉の問題だけじゃなく、彼の生き方そのものの傾向であるようなのだけど、自身の自信を疑うことのない「ワシ道」への邁進、わたしも、ある意味で見習いたいものだ。

願う

新しいインスタントコーヒーの小瓶のふたを開けたら、隣でベッドに寝ている爺さんが「いい匂いやのぉ」と言う。こんな、シャバの感覚を、この爺さんが口にするのは久しぶりで、わたしは嬉しかった。◆自分の力で、やっとやっとでもいい、トイレに立ち(ベッドの隣のポータブルトイレを使用)、ゆっくりゆっくりでもいい、寝返りをうてる、こんな時間がいつまで続いてくれるだろうと、願うような気持ちで思っている。そして、「シャバの感覚と、闘病オンリーとの境目」が仮にはじまったとするのならば、そのゾーンが1ミリでも太いものであって欲しいと、強く強く願うばかり。◆このところずっと、雨か曇りの天気。その隙をぬうように、たまぁに陽の差す間がある。今日の午前中も、急に雲が割れて空が明るくなる時間があり、トイレに腰掛けながらの爺は「晴れてきたなぁ」。(←こんな一言でさえ、わたしは嬉しい)。我が「降水確率90%って言っとったんに」と答えると、爺は「弘法も筆のあやまり」と。ねえ、その言い回し、びにょーに違和感ない? ◆午前に姉一家がやってきたので、母様と一緒に我も姉の家で昼ごはん。ついでに、ノートパソコンの調子が悪かったのを、姉夫にメンテナンスしてもらい、起動がサクサクっと早くなった。わたしは生活のエトセトラを、なんでも自分でやってしまうほうで、自分で出来ないことは放って置く、親きょうだいであろうと、自分以外の人間に頼むくらいなら、狭~いっ不便~なっ世界に耐えるぅぅ、という、実に後ろ向きな人生をおくっているが、ぐぉ~ん、おのれの人生を少しでも豊かにしたいならば、「人様に頼む」「人様を頼る」ことを学ぶのも、今後は必要かもしれない。(ほほ、「四十の手習い」か?)

氷をなめる

爺さんは飲み物さえ、摂取するのがムズカシイ状況で、でも、口から全く水分をとらないのは喉が渇くのだろう。氷片をもらい、舐めていた。そして言う。「あー、美味かった」。あとで看護婦さんがみえたとき、そのことをわたしが伝えると、爺さん再び言う。「あんな美味いもん、ないわ~」。▼栄養剤。お腹の薬。のほかに、爺さんは「脂肪」の点滴もしてもらっている。こんなことに興味を寄せている場合ではないのだけれど、白い液体の袋が点滴装置にぶらさがっている様を見て、わたしは「へぇ~」っと感心してしまった。美容整形の分野では脂肪吸引など珍しくないのだろうが、世の中には、あえて「脂肪を注入」する行為も存在するのであるねぇ。(後日、看護士さんに「わたしの脂肪をとって欲しいくらいデス」と話したら、声を出して笑われてしまったわい)。▼病院最寄駅と病院のあいだは、病院バス、コミュニティバス、徒歩 のいずれかで往復しているが、本日は帰りのコミュニティバスで、珍しく女子高生数名と乗り合わせた。その賑やかなこと。ひとつの花が咲いたようだ。たしかに近年、「目のやり場に困る」「騒音のような喋り方」の若者グループも多いけれど、今夕一緒になった制服姿の彼女たちは、それとはどこか違い、ころころと笑う、まるで小花が咲いて、ひとつのきれいな花となったような、育ちのよさを感じさせる集団だった。そしてわたしのなかに、「あななたち、箸が転がっても笑うわねぇ」と言われた自身の高校時代の感覚が、ふっと、蘇ってきた。

白湯

朝一番、爺さんは「ふみちゃん、元気やった?」と。昨夕も、ふみちゃん(母様のこと)と電話で話したというのに。子供の頃からずっと、近年にいたるまで、わたしは両親の仲に、「愛情もないのに、夫婦になってしまったゆえ、夫婦を続けていかなければいけない」不条理のようなものを見ていたつもりでいたが、はて、ともに老い、結果をみれば、そこに愛しみの感情が芽生えずにはおられない関係がゆるぎなく存在するようだ。あるいは、若きころから二人のなかにそれはあり、やっと表出しやすい季節がめぐってきたということか。◆本日は、「カブラ寿司を漬ける」日。(過日から魚をしこみ、カブラを塩漬けし、昨夜はご飯と糀をあわせ準備をしておった)。母様がひとりで出来るというので、おまかせ。それにしても、先日から大樽一杯の「たくあん」、大樽一杯の「白菜漬け」、本日は大樽と中樽が各一杯の「カブラ寿司」、と、漬物だらけなのである。この他、普段から「糠漬け」などなども作り、一体全体、何百、何千人分の漬物じゃ!! という感じ。◆夕方のテレビで、自転車行商する高松のおばちゃんたちを紹介していたが、その積載重量に対抗するかのように、爺さんは「ワシだって、90キロの荷物、積んどったわ(30キロの肥料を三つ重ね積み)」と。なんたって、彼が近年まで愛用していた自転車のタイヤは特注で、1~2年に一度は知り合いの自転車屋さんにメンテナンスしてもらっていたそうな。それにしても、会話のなかにどこか「自分自慢」の匂いを滲ませずにはいられないのは、昭和ヒト桁男のお約束か?◆夜、親の家にて。「あー、しばらく水やっとらんだなぁ。どっしよっかな。こんな時間に水をやるのはよくないよなぁ」と、室内の植物の水やりに悩んでいたら、母様、「白湯をやればいいんじゃない?」だと。げげげ~。<冷たい水じゃ、根っこが驚くだろう>との発想はわからぬでもないが、白湯ってさ、酸素が抜けているのでないの! 爺さんがおらんと、なにかと不便である。

元気でピチピチ

朝7時、母様が電話している。こんな時間に!?と思っては、田舎生活はむずかしい。本日から当分ずっと天気が悪く、「きょう、白菜の収穫&運搬を終えなければ」と判断した母様は、前々より手伝いを頼んでいた方に電話をしているのであった。そう、田舎の朝7時は、冬といえど、始動時間なのである。■朝、姉と一緒に病院へ行くと、昨日はほとんど寝ていた爺さんも、少々、お喋りする力を得ていた。途中、電話で母様に、「開口一番、おかあさんは?と言ってたよ」と伝えたら、母様「どーせ、畑が心配なんでしょ」だって。はははの、は~。昨日でゴボウの全収穫が終了したことなど、爺さんに母様からの伝言を伝えると、安心そうに彼はうなずいていた。■昼にわたしがいったん家に帰る前、母様への伝言を尋ねると、爺さんは「元気でピチピチ(していたと伝えてくれ)」との返事。(まさか「元気でピチピチ(していて下さい)」ではなかろうな!)。■ただでさえ1時間に1本も走っていない時間帯のあるローカル列車、本日は線路の定期点検日で、昼の運行はストップ。親の家に帰るため、たぶん20年以上ぶりに当地のバスに乗った。■軽トラックいっぱいの白菜運搬を手伝ったのち、買い物をして病院へ戻る。爺さんに、「フミちゃんがテキパキと午前中に下準備してあったから、白菜運搬はすぐ終わったぞい」と報告すると、にこっと嬉しそうな顔をしておった。いつもは母様のすることに文句(いちゃもんつけ)の止まらぬ爺さんも、たまには丸くなるのである。それを指摘すると、「仏に近づいておるんやの」だと。自分で言うのが、いかにも彼らしい。

牛乳と豆腐

毎日のように、いろんな人に野菜をとりにきてもらっていて、それでもなお、たんとある野菜。小さな学校の給食を、ひと冬はまかなえそうな作物量である。本日も友達が野菜をとりに来てくれる予定で、でも病院に行かねばならんので、朝のうちに収穫。と、思って起きたら、母様に先を越されたよう。自転車がない。あわててあとを追いかけるも、畑Aには姿が見えず、次に畑Bに寄るがそこにもおらず。うむ、すでに引き上げた模様。▼ゆうべの「すき焼きふう」汁のなかに生蕎麦をいれたものを、朝ごはんとして、あわてて食べ、ばたばたばたと、姉の車で病院へ。爺さん、なにを思ったか、「正月まで行って来るわ」だと。▼前回ははじめて遅刻してしまったが、本日は予約時間前について、ほっ。婦長さん、爺さんを見るや、「休すんどられ」と処置室のベッドを貸してくれる。毎度の気遣いがありがたい。入院はすんなり決まり、検査などののち、しばらくの待ち時間のあと、病室へ。4人部屋の窓側で、窓からは山景色も見え、いい按配。「自宅がいい」の意味は大きいと思うが、同時に、「病院ならではのケア」は自宅に勝る部分があることも否めない。今回、爺さんが「体力をつけなければならない」という意志をもち、自ら希望した入院であるが、今まで自宅療養で肉体的に我慢していた部分を、この入院で少しでもケアしてもらい、できるかぎり体が楽になればいいと思う。▼夕方、姉の家に寄ったのち、あずかった牛乳と豆腐(←「母様から頼まれた買い物」らしい。親の家の近くにはちゃんとした総合食品店がないのだよ)の重さを感じつつ、また駅のパン屋でクルミパンとイチジクパンを買い、家路につく。たとえどんなときでも、「ごはんをたべる」は、明日も生きる限りはやらなきゃいかんのだなーと、夜道、思う。(なんたって爺さんの入院した日に「牛乳と豆腐」の心配だぜ。生物とは、やっかいな使命をおびた存在だ!)。

今日も栄養剤

いつまでも暗い気持ちでいるわけにはいかない。「意志→体に届く」ことができないのがウツの波とするならば、ひとまず、このたびの大波は、たった一日半で去ってくれたようだ。朝、8時に起きる。■きのうの夜中、階下が騒がしいような気がしたのだが、無視しておった。今朝、聞いたところによると、爺さん、ゆうべ、嘔吐したらしい。今日は栄養剤の点滴に行くの「お休みか」と思っていたが、爺さん、「行く」という。ラジオ体操ならば、皆勤賞をあげたいところだ。クリニックの送迎の車があるので、普段は爺さん一人で行くのだが、先の土曜日にはクリニックのなにもない通路で転んだこともあり、念のため、付き添う。(本人は「ついて来んでいい」と言っていたが)。■あのね。ほんとうに、わたしはこの爺さんを見ていて不思議である。精気のない顔をして、パジャマから外出着に着替えるのも一大仕事になっているヒトが、いったん車に乗ると、お喋りする元気が出てくるのである。「この車に乗って、腹に振動が堪えんか?」とか(運転手に失礼や~)、「あー、マスクせんなんよな。風邪うつされるかもしれんから」とか(これまた聞きようによっては、他の客や運転手に失礼や~。しかも、自分はマスク不所持のくせに)、また道中、バスガイドよろしくの、車窓を説明してくれたり。(あっ、そうそう、今朝、車が来たとき、この爺さん、納屋の2階にいたのです。庭仕事の指示をするために。しつこいですが、トイレに行くのもふらふらの身なんであるよ)。■爺さんの自主希望により、あすから数日、入院するかもしれん。(あす、医師のOKが出れば、そのまま入院の予定)。母様と二人、しゅっしゅっと、持ち物準備。ま、軽装だけど。ちょうど株配当の時期であり、税金申告に使用する表を、しゅっしゅっと、PCで作る。(爺さん、着替えをして、パンツははいたが、股引(ももひき)をはく元気がないのである。しばらくのち、やっと、猿股に足をとおしても、太ももの位置で止まり、腰まで上げる気合がなかなか出せないのである。そんな中途半端な姿のまま、横になったり、正座したりしながら)配当の表を見ている爺さん。彼は23時半になって、やっと床にはいった。

でも、思う。

そんなわけで、本日も、フェスティバル休止状態(具体的にいえば、寝込む)が続いたのであった。

と、これだけで日記を終わるわけにいかんから、(いや、終わってもいいのだが。愛想がないので)、土曜日の未明に見ていたDVDの感想を。 ・ ・ ・ 『レイン』は、悲しみに満ちた世界だった。でも、思う。悲しみが存在することが当たり前だととらえれば、逆に、人生は生きやすいのではないか。

午前はネギ堀り(がんばるフェスティバル2週目の週末)

お昼にね、30年ぶりくらいのお人に会った。話がこんがらがっちゃうから、今、その内容は書かないが、(もったいぶっているのじゃなく。この弱点は今後も我にとって「まいっちゃう話」上位にランクされることは容易に予想がつくので、まあ、いずれ書く機会があろう)、もう、それを境目に、精神危険の波にさらわれましたわい。

先週から「がんばるフェスティバル」を実施中で、まあ、平たくいえば、生活習慣の改善を図っているのであるが、先週は自分でも驚くくらい、それは上手くいき、(「意志が体に届く」という普通のことが可能になる!!素晴らしさよ!!!)、今週にはいって、なかなか苦しくなりつつも、フェスティバルは継続中であった。で、それに並行して、今週後半あたりから、これまで薄ら薄ら積もってきた感情(*注)がふっと意識のおもてに現れそうになっている、いや、ところどころ現れているのを感じていたのよ。しかーし、それを抱えつつも、フェスティバルは犯されることなく続行されていたわけだ。あー、それが、こんなアクシデントによって、もろくも崩れるとは・・・。

(*注) 一例をあげると、「爺さんが健康だったときを基本とした“これまで通り”に、できるだけ近い生活をする」ことを目指すよりも、「この先に残された時間」を意識して(優先して)やっていくほうがいいのではないだろうか、それに対して、本人とわたし含む家族の今の現状(行動面、精神面)はいかがなものよ?という、漠然とした不安をともなう苛立ち、など。

「いいちこ」牛乳

ハイサイ、こんにちは。《連日、雨と曇り、ときどき晴れ間あり。爺さんが栄養剤の点滴にでかけたあと、畑仕事などを手伝って、昼ごはんのあとは、少し午睡したり、だらだらと親とテレビを見たり、ちょこっとプライベート時間を作ったり、状況にまかせたまま、日が暮れる》。そんな生活が続いている、今日この頃です。■どうだ。とても平和な毎日だろう。最近は「幸せ」なんて単語も恥ずかしげもなくちりばめる、この日記、読むほうは退屈を極めていると思う。(赤の他人の平和な話ほど「つまらんものはない」ともいえる。個人の一喜一憂を綴った育児日記がたいがい他人にとって「興味ゼロ」なのと同様、個人の徹底していない病人観察日記(?)なんて、他人には読むだけ時間のムダである)。そもそも40手前のいい年こいた女が「老親」の話ばかりっていうのも、どうよ。だな。でも、「それでいいのだ」(バカボンのパパ)と思って、わたしは書いているのさ)。爺さんの病状はゆるやかな一進一退という感じだが、ひとまず、今、一番思うのは、この状態(自分の足でやっとやっとでも歩き、毎食は無理でも、米粒を自分の口から摂れる力がある)が一日でも長く続いて欲しいということ。■話はふつうの日記にGo *** 本日は畑はお休み。その代わり、今年1回目の「カブラ寿司」の下準備として、200個のカブラの皮を剥いた。ちっこいのはちっこいが、おおきいのは直径10センチは超えるサイズだす。ナイフで皮剥きするのって、基本的に好き。ラジオをつけながら、がんがん剥いた。*** 『日々の考え』(よしもとばななのエッセー&インタビュー集)を読み終える。ところで。「ばななさんのような人間が同じ時代に生きているんだ」という事実自体に励まされている人間はいっぱいいることだろう。わたしもその一人さ。ばなな小説のファンのなかには、「ピュア」じゃない面が包み隠さずあらわれる、ばななエッセイを嫌っているお人もいるらしいが(作家に対する「聖女」願望?)、わたしはね、ばななさんのようなお方がエロを失っていないからこそイイんだと思う。どっぷりと「俗」を知り、エロをもってるばななさんだから、なおいっそう魅力も増すのだ。*** 焼酎「いいちこ」に牛乳をくわえて温めた(なんとも、牛乳の腐ったような味? 生乾きの雑巾にどこか通じる味?)新しい飲み物を発見した夜である。

こわい

夜、末期癌患者の在宅医療を扱うテレビ番組をやっていて、いつもは勝手にチャンネルを変えることなんてしない母様が「おもしろくない」の一言のもと、ピッと別番組にしてしまった。そして、そこに映る、アホづら下げて笑っている芸人に混じって、母様も声を出して笑っている。はぁ。先日も、うんこがずっとでない親父様に対して、母様「どうしてだろうねぇ」、爺さん「大腸が働いておらんからやろ」、母様「まぁ! 困ったわ。どうすればいいのかしら、困ったわ」という会話があったらしい。はぁぁ。今朝も、おそらく爺さんの食欲不振に関してだろうが、「お薬のせいかしら・・・」と、わたしに問うような、独り事のようなことを言っていた。はぁぁぁ。爺さんの病の進行に関して、「現実を見るのがこわい」という心理が母様のなかにあるのは確かだろう。加えて、わたしも詳しい知識があるわけではないが、少なくとも「腹水がたまる」ことの意味を、彼女は知らないと思う。ふぅぅぅぅ。正直に言ってしまえば、爺さんのくるときがくるよりも、その後の、母様のことが、わたしは怖い。いくら、「やがて、みんな、一人になる」との道理があろうと、それを彼女自身が噛み締め、受け入れるまでの、道のりを想像すると、そこには同時にわたしの自由を束縛する(と、わたしが感じてしまう)要素も見え隠れし、とてもわたしは怖いのだ。

永久の酒盟友

酒を飲むのに相性のいい友、というのがあるとして、わたしの場合、同性の酒盟友と呼べるおヒトがごく少人数だがいる。お互い自分のペースで飲んでいて、しかし、気がつくと似たり寄ったりの量を飲んでおり、同じように酔っ払いの波にのっている。ここで肝心なのが、「あすのために酒の量をセーブする」とか「酔っ払ってしまってはタイヘン」とか「体のために飲みすぎてはいけない」なんて常識を持ち出さないことである。また、都心の飲み屋にいようと、最終電車の時間を忘れる(正確にいえば「忘れたふり」をする)くらいの腹の据わった飲み方をしなければ、飲んでいても楽しくない。ま、これは、わたしの思う、最低限の酒飲みのマナーだね。ところで。酒を飲むのに「男も女もない」と云いたいところだが、傾向として、やっぱ、男の飲み方と女の飲み方は違うと思う。女はね、だらだらとツマミを食べながら飲みたいの。飲んでるテーブルにツマミがないなんて、天国のなかの地獄である。他方、男は最初にがぁ~とボリュームあるものを欲しがり、ある程度、お腹が満足したら、あとは酒だけでも平気というヒトが多いような気がする。「ちょっとずつ、おいしいものを肴に」×長時間=飲酒 が好きなわたしは、同性の酒盟友はとても大切な存在だ。■ああ、Mっち。貴女がお酒を飲まなくなったなんて、「人間に不可能はないんだわ」と、とても感心いたしました。寂しいのはもちろんだけど、それ以上に、わたしはMっちの意志の強さを尊敬するのだよ。・・・・・夕べ、久しぶりに酒盟友のMっちと電話で話したのだが、なんと彼女は長年の飲酒がたたり、今年にはいって、生死の淵をさまよう体験をし、その後、酒断ちに成功しているそうだ。彼女の酒断ちは常人の何倍も重みがある。わたしはね、普段から「あすのために・・・」と当たり前のように言ってる人間(←酒飲みの風上にも置けぬ奴)が禁酒しようがなにしようが「勝手にどうぞ」の感想しかもたないが、Mっちのように、晩酌を欠かさない、ボトル一本を平気で飲んじゃう、酒とともに生きてきた人間が、(えへっ、アル中だって、ばらしてるみたいだね。わたしも同類だからいいだろう)、このたびの道を歩んでいることを、ほんとにすごいと思うの。(と、話は禁酒がメインになっているが、なによりも、彼女が無事に生還してくれたことが嬉しいのは、ここに書くまでもない)。今後、そ~っと北陸の地より見守っておりますぞ。そして、酒盟友の称号は永久です。がんばれよ、Mっち。

弱者という「君臨者」

爺さん、本日の午後はひたすら黙って横になっている。んー、(体調良さそうだとの)糠喜びも、モンダイだな。と反省していたら、夜になり、なにがきっかだったか忘れたが、爺さん急に、体は横になったまま、口角からツバとばす勢いで話始めた。まるで、それは、棺おけの中にいた人が、突如、鉢巻しめて立ち上がったかのようだ。なんなのだろう、彼の気力の源は。■昔から、この爺さんが特に熱心に話すのは、「母様を馬鹿にしたような(男にありがちですな)」話と、経済ゴトや社会で生き残るための心構え、そして自分自慢、と、だいたいテーマは決まっている。今夜の場合は、「母様を馬鹿にしたような」話に火がついてしまって、こりゃ、酔っぱらっているときの停止を知らぬお喋りと見分けができぬほどであった。■重篤な病人がワガママを云い、家族がそれに耳を傾ける時間があるのは、家族にとって恵まれたことだと思う。そして、家族は病人の云い分をすべて受け入れるのではなく、いくらホンモノ棺おけに足をつっこんでいる相手であろうと、あまりに腹が立てば文句だって云い返す。これは重要だ。(ま、我が両親の場合、母様は長年の知恵で、爺さんの言葉にはあまり言い返さないが。「火に油をそそぐ」事態になるのを知っているから)。■病人にかぎらず、赤ん坊、障害者など、弱者は家族のなかで一番の「君臨者」になりがちだ。弱者の意思を家族は真っ先に尊重し、弱者を中心に家族の時間がまわる。これは家族の絆を強める利点もある一方で、それが過ぎると、家族の形態が歪(いびつ)になる、とも思う。病人であろうと、弱者を相手に「云い返す」ことができる関係は大切だ。
背伸びせず、ゆるゆると日常生活などをつづります

はえともみ

Author:はえともみ
 
万の風になって、生きる。

ちちんぷいぷい~。
(HSPの自覚あり)
「うつと仲良く! ひきこもりだっていいじゃない」と
開き直って生きてたら
元気になってきました。

→ 近年は、老母の観察メモの
(&それに伴う自身の変化など)
色合いが濃くなっております。
・・・ま、長い人生の一コマですな。

徒然な日々も、留まることはない。
すべてがいとおしい。だから書く?

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2013年 12月 【48件】
2013年 11月 【79件】
2013年 10月 【57件】
2013年 09月 【28件】
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2013年 03月 【59件】
2013年 02月 【85件】
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2011年 01月 【1件】
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