ともみ@ピクニック

掘って、抜く

母様はせっせと今年初のゴボウの収穫。わたしはせっせと長ネギ〔=石倉一本ネギ〕の収穫。(今年は70メートルくらいの長ネギが植えてあり、やっとその1/6ほど収穫したか。これ、結構、面白いのであるよ。長ネギは白い部分を作るため、育つ過程で何度にも亘って土をかけるのです。そのため、ネギの収穫は「抜く」というよりも「まわりを掘ってから、抜く」という感じ)。そして、母様のキリがついたところで、今度は、「ゴボウとニンジン」の天然の保管庫作り。畑に穴を掘り、収穫物を入れて、また土でフタをするだけなのだけど。本格的な大雪の季節がやってくるまで、しばし、そこでゴボウとニンジンは眠っているのです。
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青森にある市場にて。お惣菜はもちろん、ご飯や、味噌汁を、各テナントで売っており、客は好きなものを好きなだけ買い、そこで食べられる――湯気のあがる地元料理とともに紹介されるテレビ番組を見て、我「うわー。これにビール持ち込んだら、最高やね」。爺さん「う~ん、焼酎もいいわ!」。我「ワンカップってのも、いいね!」。とても安上がりな家族であると思う。いつもいつも、テレビを見ながら、「その気」になったお喋りを楽しめるのだから。このひと月で5キロほども痩せた爺さん、食事はいいときで「握り飯1コ。プラスα」、食事らしい食事をとれないことも多く、栄養剤の点滴に通っている彼であるが、こうやってテレビを見ては、あれこれ楽しそうにお喋りできるのだから、肉体がどんなに辛くとも、また精神の負担も大きいだろう現在であるが、幸せなひとときを神様からいただいていると、心より思う。
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あすから師走。ということを、夜になって気づいた。あー、びっくり。誰かが「時計の針」を早回ししているのではないかと疑いたくなるほど、人間界のカレンダーは早くめくられる。

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肯定の力

朝、金沢へ。初のクリニック。「この場所に足を運ぶ、それだけでも、大きな仕事を成し遂げる心持ちで参りました」という挨拶から始め、かれこれ30分くらい話しただろうか、最終的には、「飲むかどうかわからないけれど、お守りとして、ノルアドレナリンを促す一番軽い薬」を処方してもらい、診察は終わった。■感想 → ①雰囲気のよい所であった。インターネットで見ていたよりもずっと狭いクリニックであったが、待合室は歯医者さんのような感じ。医師も、不安や不信感を誘うところのない、むしろ、安心できる印象であった。②問診の最中、「なるほどぉ、心療内科だぁ」と納得してしまうような受け答えが行われ、わたしは患者の立場でありながら、みょうに感心しながら医師を見つめておりました。(ex こちらの言ったことを、まずは丸ごと受け入れるような聞き方をしてくれる。一般に同情を誘いかねない内容になると、ちょっと泣き顔でねぎらいの言葉を返し、一般に自分を責めているともとられかねない話になると、こちらを守るような言葉を返してくれる)。基本は「患者を肯定」することなんだろう。つまり、「否定の沼」におぼれている人間がこういう場所に駆け込むのであり、その治療のための第一歩は「肯定で包む」ことなのかもしれない。③意外な自分の一面を発見。ひとりが好き、人と話をするのは得意じゃない。安易な理解や同情など大嫌い!と思っているつもりの自分でも、こうやって医師と話してみると、「聞いてもらう」それだけで、随分と救われるのだなと知りました。ホホホ、単にわたしは「さみしい人生」に疲れているだけなのかも。④これはわたしの生来のクセなのだろうが、相手に心配されると「120パーセント」の力を加算して「元気を振舞う」ようなところがあり、本日の医師の細かな問いに対しても、「ぜ~んぜん、そんなこと、ないです。ダイジョウブなんです」と、専門医の前でも健常人ぶるところが多々あったような気が・・・する。■案ずるよりも産むが易し。「行って良かった」と思った。■一晩くらいアパートに泊まろうかとも思ったが、結局、夜の列車で親の家に戻る。

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盆栽の引越し

ぐふふんっ。一昨日(11/26付)、ああいう話を書いたけれど……。いかに体調がよろしくなくても、メゲる精神状態を持続する爺さんではなかった。本日、昼ごはんが済むと、「お~い、庭の続きをやるぞ」と、お声がかかる。▼何事につけて、「テキパキと要領よく。雑はダメ。ほどよい加減の丁寧さ」でもって作業をしないと、この爺さんは、うるさい。しまいには説教が始まりかねない。という話は先日の日記でも少し触れたけれど、本日も、爺さんの指揮監督の下、母様と我は2人、女工哀史のように黙々と「庭の冬支度」に従事したのであった。とはいえ、爺さんに昔どおりの威力があるかといえば、彼も多少は妥協せざるをえないことを承知しているわけで、まあ、彼らしさ「炸裂 80%」ってとこか。▼平成になり爺さんは畑仕事に目覚めたのであるが、それ以前、彼の一番の趣味は盆栽であった。鉢数は百を下らないだろう。それらの鉢を、冬の雪風から守るため、家屋の防風位置に移動したり、あるいは盆栽専用の小屋のようなものを作って入れたり。結構、難儀な作業。(はぁ、これまで、毎年まいねん、これを繰り返してきたとは恐れ入る。もちろん、春になれば、定位置にまた戻すのだ)。▼おまけにですよ、自分たちだけですすめようとすると、なにかと支障があり、(母様や我にはわからない、爺さんなりの「あの鉢はどこに置く、この鉢はどこに置く」などの基準があるらしい)、母様と我が作業しているあいだは、爺さんも決して家のなかに入ろうとしない。ふうっ。母様と二人、この翁の視界を盗んでは「まったく、もう~ね~」と目配せしあうのが、なにかにつけての日課であるが、本日も、目配せしっぱなし!であった。▼北風がぴゅう~、というより、ぐぉぉ~という音をたてて、庭のなかを走ってゆきます。日も傾いてゆきます。庭の冬支度、全部は終わらず、続きはまた後日にもちこしとなりました。家に入り、ホットココアで体を暖めたのでありました。

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寒ブリの季節が到来

■テレビ「きょうの料理」は、爺さんと母様が毎日欠かさず、「ああだ」「こうだ」と、お喋りしながら見ている番組。本日は「白菜キムチ」の漬け方をやっていたが、キムチヤンニョム(キムチの素のようなもの?)の作り方の紹介のとき、「アクのない、しょんない人間はダメや。ふぅ~ん、キムチ作りも同じかぁ」などと、いつもどおり、爺さんは楽しそうに私見を述べていた。
■そろそろ寒ブリのシーズン。そして、母様もそろそろ「カブラ寿司」の準備をしなきゃ、ということで、先日より、友人の魚仲買さんに「良いブリが獲れたら、よろしく」と頼んでいたら、本朝の浜で寒ブリがとれたらしい。早速、取りに行った母様。(「カブラ寿司」とは、カブラに寒ブリをはさみ、糀で熟成させたもの。北陸の冬に欠かせない料理。絶品であります。家庭によってはブリでなく、サバを使うらしい)。夕飯のあと、寒ブリの胃袋を醤油で煮たものをつまんでいたら、あまりのおいしさに焼酎が過ぎてしまった。(翌日、軽い二日酔い!)。
■世の中には患者の顔色も見ない医師がいると聞くけれど、爺さんの担当医は、入室のときの患者の様子から、ちゃんと診ているのだなーと、本日、思った。お薬の数も、過剰に増えすぎないよう、調整してくれる。(←病院の方針かもしれないけれど)。そして、素人の細かい質問にもちゃんと答えてくださり、感謝である。そしてわたしはこの診察室にいる看護婦さん、とくに婦長さんには、尊敬もしている。

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『ハルコ』

済州島出身の在日一世の女性の半生をとらえたドキュメンタリー、『ハルコ』を観る。一番の感想は「ああ、普遍だなぁ」である。主人公ハルコの壮絶な人生に「打ちのめされる」ような思いがわかぬわけではないが、彼女の人生の核にあるものは決してわたしが見えないものではない。国籍にも貧困にもその他の辛苦連続の出来事にも負けず、真っしぐらに生きてきたハルコの原動力は、たぶん誰にとっても「普遍」なのだ。(もったいぶるわけでなく、あえて、それがなんなのかはここで文字にしないけれど)。だからこそ、超自分の内面にしか悩みがないようなわたしでも、魂の底で共感できるものがある。二番目に強く思ったのは、人には「役割」があるのだということ。会社のような営利組織では「社員全員が“同じ方向に出来る”人間ではないほうが好く、計算に強い者、折衝に強い者、開発に強い者・・・・それぞれ役割分担できているほうが、組織は丈夫になる」というのは広く周知されている話であるが、それ以外、営利とは反対の方向に成り立っているように見える、友達関係、家族関係にも、「似たもの同士」が集うよりも、違う「役割」を果たせるメンバーが募ったほうが、総じて愉快な人生になると思う。役割が違うから、つまり個性が違うから、揉め事も増えるかもしれないが、最終的にはそれが丈夫な繭をつくるのだ。また、お互いの役割の違いを暗黙にどれだけ認められるかも、大いに重要。これは、ハルコの家族の在り方を見て、また、わたし自身の家族関係をながめて、思ったことである。

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今日も小春日和

本日も暖かな日。前日から宣言していた通り、爺さんは「朝から庭の冬支度をする」つもりでいたようだ。8時頃にわたしが起きると、普段は寝巻きのままコタツに入っている爺さんが、しっかりと着替えを済ませていた。いかに彼が張り切っているか、わ、か、る。▼しかし、わたしは爺さんに「栄養剤の点滴に行くよう、庭の作業は午後からでいいじゃないか」と誘い水をかけてしまった。最初からすんなりというわけではないが、結局、爺さんはそれを了承。常識で考えれば「庭仕事よりもクリニックに行くのを選ぶのは当たり前じゃ」だろうが、この爺さんを知る人間にとっては、「!」マークを連続3つ付けたくなるほどの出来事。いかに彼が「体の回復」にすがるような思いを抱いているかがわかる。▼昼に点滴から帰ってきた爺さんは、ぐったり。体を起こすこともできない。そして、「庭の冬支度」に手を付けることなく、太陽は西へ西へと傾いていく。▼わたしはとてつもなく爺さんに悪いことをしたような気持ちになった。はたしてこの栄養剤の点滴が彼の延命にどれだけの貢献をしてくれるのか。一日サボって「庭の冬支度」をするほうが良かったのではないか。この作業は晴れた日しかできないし、なによりも、せっかくの爺さんの張り切った気持ち(気力)に水をさしてしまったのではないか。じわじわとした反省の思いだけが残った。

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キトキト

さりげないメールというのは嬉しい。

山の手線のなかでこんなの見たよ、と。

20071129162321.jpg (Jさん、無断転載スミマセン)

学生時代の先輩から短い便りをもらった。

どうも
今、山の手線では富山のPRをやっているらしい。

「日本海の向こうに望む立山連峰」の車体も走っているとか。

この景色は、まさに、わたしの日常のなかにあります。

こういうところでわたしは生活しております。

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「むなしい」と

小春日和。半袖Tシャツ&毛糸のチョッキで外に出ても、ぽかぽか暖かい。▼親の家、庭まわりの冬支度が始まった。まず、車庫を片付けるのに、大騒動。実際にやることはたいしたことないんだけど、“雑でなく、かつ、要領よく”やらないと、すぐに爺さんの「あーだ、こーだ」言が始まる。人を怒鳴りつけるような言い方で。でっかい声で。これ、「体が動かず、人に指示するから、もどかしいのだろう」なんて解釈を待たずとも、わたしが幼少の頃から彼はずっとこうなのである。ま、立っているのもやっとな体力の人間が、これだけガミガミできるとは!人間の力、底知れず、である。▼車庫といっても車をもっていないので、納屋のセカンドハウスのように使っているスペースなのだ。本日は、近々大量収穫する予定の白菜の寝床を作ったり、シンピジュウムなど寒さに弱い植物を運び入れたり。その後、盆栽の庭内移動などにとりかかったところで、日も翳ってきたため、明日に持ち越し。▼ところで。こーちゃん(小学5年)に、松の黄色くなった葉っぱをむしってもらっていたら、イヤイヤ風にやっている。本人曰く、この作業は「むなしい」のだと。うーむ。どうも、「むなしい」の用法が違うような。(わたし自身、ほんとのところ「むなしい」の意味をどこまで理解しているかといえば、心もとなくもあるけれど)。もしも、じゅうぶんに意味を知った上で使っているなら、詩人的だととれなくもない。▼ハッピバースデーの歌をうたってもらい、「77」の数字をかたどったローソクを消し、少量ではあるがアイスケーキを食べた爺さん。(先日、彼のお誕生日だった)。昼間、「孫たちが来るのは冬支度の作業の邪魔になるから断れ」というようなことを言っていた彼も、結局は孫の笑顔に負けるのである。

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大切にする

もっと自分の時間を上手に生み出さねばならんなぁ。と、近頃、思う。「家族と過ごす時間」ばかりで一杯にしてしまうと、どこかで、「いつまでこんなことをせねばならんのだ」とか「こういう時間が終わるのをうっすらと待つ気持ち」が、自分のなかで芽生えそう。いや、実際に、とっくのとーに、芽生えているのだろう。バランスが大事。単時間で、濃く、自分の時間をもち、あとは可能な限り家族と一緒に過ごすようにしたいものだ。自分の時間…ほんとは、家族といても誰といても、どんな時間だって「自分の時間」なのだけどね。どうもわたしには「ひとりの時間こそが自分の時間」と思ってしまうクセがある…があるからこそ、家族を大事に出来るし、家族との時間をいとしく思えるのだろう。

久~しぶりに、ワイン屋に寄ったり、食料品以外の買い物もし、最終の汽車で親の家へ。


*追記* 「親のために自分が無理をしている」という被害意識を伴った精神状態こそが、一番タチが悪いのではないか、と、思う。だからわたしは、できるだけ清らかな心の状態で、できるだけ長い時間を親と一緒に過ごす、そのために、自分の時間を大切にしようと思うのだ。

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『女ですもの』追記

下の日記に追記します

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
好きになった男の親に尽くす幸せ。
というのは、

その裏に

尽くす行為が
好きになった男とおのれの関係における、「特権」の具現化
という前提があり

さらに
その裏の奥には

男の親に尽くすことによる、男とおのれの絆の深まり
という厭らしさを(意識上あるいは意識下で)期待する
それを否定しきれない面があると思うのだ。

もちろん、
「尽くす」そのものの幸せもあると
強く信じるが。


で、尽くす、って、そもそもなによ?
だな。

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『女ですもの』

未明から、『女ですもの』(内田春菊×よしもとばななの対談集)を読み始めたら、とまらなくなり、朝になってしまった。▲わたしは、好きな男の親に尽くせるのは、大きな喜び。だと思っている。自分のためにあれこれするのと負けないくらい、好きな男の父なり母なりに孝行できるのは、幸せだろうなぁ。と夢想する。これはもちろん、「ないものねだり」な発想で、もしも現実にそういう場面に直面したら、いろんなトラブルが生じるだろうし、挙句は、お互い(男の親と自分)の箸の上げ下げまでが気に障る!そんな事態を招くかもしれん。が、それでも、この夢想はわたしのなかで確かなものであることに違いない。・・・・ほれっ。そもそも、好きな異性の親と対面できるというのは、「超ラッキー」な過程であるよ。しかも、「尽くせる」環境を手に入れるのは(←結婚するとは限らん)、人と人の縁として、「超ラッキー中のラッキー」に物事が運ばんと、ありえんわけさ。・・・・ま、そんな理屈くさいことは抜きにして、わたしにとっては、「好きな男の親」に尽くせるのは、とてもうらやましい話だ。だから、本書を読んで、春菊さん、ばななさんの、パートナーの親に対するシビアな考え方は、不思議に思えた。(はは、世間から見れば、わたしのほうがおかしいのかも。わたしは封建制度の時代に生まれたほうが良かったのか?)。▲自分の肉体を「妊娠・出産が不可能なのでは」と、わたしは思っている。詳細は省くけれど、いくつかの理由のもと、そういう直感をずっともって現在に至る。また、子育てをする女性をうらやましく感じる面があると同時に、「自分のDNAを残す」怖さのほうが何万倍も増しているので、わたしは自分の子供が欲しいとの発想には、なかなかなれない。・・・・とはいえ、本書を読んで(四人の子のいる春菊さん、高齢出産したばななさん)、子供を育てる醍醐味を活字上味わわせてもらいながら、やっぱり「子をもつことへの憧れ」がわたしのなかにはあるのだなと省みた。(「もぐら日記」時代に書いたが、わたしは、もしも大金持ちになり、体力的にも精神的にも可能ならば、血縁を問わぬ子供を育てたい。この気持ちが消えたわけではない)。▲「子供が一人だと、子供を親の世界に合わせようとしてしまうけど、二人以上、子供の人数が増えるにつれ、親が子供の世界にあわせざるをえなくなる」という意味のことを、ばななさんが話しており、みょうに納得した。

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「王将」餃子への思い崩れる夜

午後、金沢へ。北陸本線のなか、倶利伽羅駅のあたりでは、うっすらと雪が積もっていた。■玉川図書館の帰り、コーヒーでも飲もうと、ネオンの灯った街のなかをうろうろしていたら、急に「どこかで一杯やりたい!」気分が押し寄せてきた。寒いしね。歩道を渡っていたら、雪も降ってきたしね。頭のなかは、「おでん、おでんじゃ~。おでんで熱燗を!」と、ほぼ決まり。でも、どこで? 狭い街中を、ぐるぐる、ぐるぐる、自転車でまわるが、「ここに入ろう」という店が定まらない。金沢の香林坊~片町あたりは、狭い範囲に飲食屋さんがわりとあるのだけれど、なにせ「一見」の身。そして、貯金崩し生活。いざお店に入ろうとすると、どこも敷居が高く感じるのである。ああ、39歳。悲しい。■結局、1時間余り後、チェーン店「王将」のカウンターに座ったのであった。前菜三点盛り(チャーシュー、煮卵、シナチク)、ザーサイ漬け、で、まずはレモンサワー。そして、王将に来てこれを食べないわけにはいかないだろうと、餃子。麦焼酎。〆に、汁ビーフン。ちょっと飲み足りないので、オレンジサワー。いやぁ、王将には十数年ぶりに入ったが、「こーんなに安いのか」と驚愕であった。(食事も安いが、サワーがジョッキで3百円)。同時に、「あー、おいしくない」と、のけぞりもした(←のけぞりながらも、完食!)。この「安かろう、まずかろう」は、ファミレス「セイゼリア」以来の衝撃である。■ほんとうはハシゴ酒をしたいけれど、財布の紐をぎゅううっと締め、マクドナルドへ。百円コーヒーと、長居読書をしたかったため、「コーヒーだけじゃ悪いかな」と思ってポテトも注文。連休前のマック、ひっそりしてるな~。ところで、話は変わる。。。。 これはな~んとなくの印象であり、多少は思い込みが入っているかもしれないが、当地では「夜遊びしてる女の人」が少ない。日が暮れたあとの金沢の街を歩いている女の人といえば、会社の仲間らしき集団にまぎれてとか、若い学生風の女性が恋人や同性友人とつるんで、あるいはホステスさん、観光客、というのが大半。それも男性比率からして、すんごく少ない。まあ、わたしのまわりの人々を見ていても頷く要素はあるのだけれど、田舎では、ある程度の年齢がいった女性、ましてや既婚女性は、夜、特別な会合でもない限り、ほとんど外には出歩かないみたい。え~い、わたしは異星人扱いされてもいい(もう充分されてる!)、小銭を使って、静かに夜遊びを、何歳になっても続けたい! ■ロング缶のサワーと、烏賊なんこつ、を、コンビニで買い、夜中、アパートで軽~く飲みなおす。

今週、この地方でも平地の初雪がありました。わたしは拝めなかったのだけど、親の家の隣の市では車の上にうっすら積もる程度の雪をみたそうな。その後日には、親の家でも、ごく短い時間だけど、雨のなかに霰(あられ)が混じったりも。本日遭遇したのは「ほんの数秒」の雪。地面も、風も、冬の到来を知らせてくれるけれど、やはり空からの知らせが一番わかりやすい。「ああ、本格的な冬が近づいてる」と心構えになる。

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ワンタン

また雨である。起きたら、爺さんと姉がコタツに入り、母様がお昼ごはんの支度をしていた。◆午後、姉のもってきた、甥の体操ズボンの膝の穴をツギ当てしていたら、面白くって針が止まらなくなり、ちくちくと刺し子のような模様にしてしまった。はは、甥から「恥ずかしい」と苦情がくるかもな。ま、よかろう。(我に比べ、母様の美しい仕上がりよ!)。◆「夕食は、和食と、グラタンと、ワンタンと、どれがいい?」と爺さんに尋ねたら、「ワンタン」の返事。というわけで、生まれて初めてワンタン(市販の皮を使用)を作ってみたが、「こんなマズいもの、この世に存在するのか?」なマズさに仕上がった。なんといってもスープが失敗であった。他のメインおかずは、爺さんには硬すぎるだろう「エビとブロッコリーの炒め物」。うーむ。高齢者虐待をしているような気になってきた。なので、ちょちょいと台所で爺さん用のおかずを作りなおしたのだが、ぐわわ~、居間に戻ると、爺さんの食事は終わっていた。おまけに、お気に入りの「かぼすサワー」を、我にとられてしまった爺さん。(いつもは乾杯後、食事をしながら飲むのに、本日は一口、口をつけたあと、ちっとも進まないので〔*〕、てっきり飲みたくないのかと思い、我が爺さんのグラスの酒を、母様と我のグラスに移し分けていた)。食後、空になったサワーの缶を手にした爺さんに「飲まんのかと思ったわ」と告げたら、「あとで飲もうと思ってたのっ!」の返事であった。◆と、とんだ夕食になったわけだが、「今日は、次郎衛のきんつばを食べたから良かったじゃない」(次郎衛のきんつば=爺さんの好きな菓子。姉が買ってきた)と、母様になぐさめられていた爺さんであった。◆夜、孫からの電話に、「はーい、ジイちゃんですよ~」(←発言どおり、文字にしました)と言いながら、コタツで寝っころがりながら受話器を耳に当てる爺様。年寄りくさいのも、けっこう板についてきた。

*この日記を書きながら気付いたのだが、単に酒の肴が足りなかったのだな。どうも、この日、わたしのアタマのなかは「ワンタン」しかなく、普段なら当然のように目の届くことが見えなくなっていたようだ。また、当夜は珍しく我が台所を預かったのだが、「食事は母様の作ったものでなきゃだめだな」と強く思ったなり。

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親に思う

朝、「とーも、起きんかのぉ」と爺さんが言ってたらしい。本日の場合は、「この前、ともの作った玉子焼きがうまかったから、また食べたい」(*)が理由らしい。爺さん、すまん。■本日は10時に起床。前日から母様に頼まれていたとおり、「親戚に送る野菜便」を自転車の荷台に乗せて、宅急便扱い所へもっていく。(料金が安いからと、遠い扱い所まで。しかも、雨のなか。・・・・・貧乏性の母様には「100円」ほどの集荷料が惜しいというのもあろうが、なにより、これまで「集荷に来てもらう」習慣がなかったため、それがとんでもなく「不自然」なことに思えるようだ。もちろん本日、母様自身も雨に濡れながら、自転車で荷物を運んでいた。・・・・・・しかし、もう歳なのだし、いい加減、「お金を払って楽する」ことを覚えて欲しい。わたしからすると、親の日常は、「苦労や面倒を、お金で解決する」発想がほとんどゼロのように見える)。■わたし自身にも備わっている、どっぷりとした泥くささ。老いた親の泥くささは、ときにおのれのそれを感じる以上に辛い。■昼に我の淹れたココアが美味しかったらしく、「3時にまた飲む」と母様に宣言していたらしい爺さん。しかし、その3時には、我が昼寝をしていており、「とーもが3時にココアを淹れると言ってたのになぁ」と(そんなこと一言も我は言っとらん!)、爺さんの弁は変化していたそうな。ダイジョウブか?爺さん。以前に比べ、おかしな発言がこのごろ増してきたような気がする。■夜、澁澤龍彦をテーマにしたテレビ番組で、伝説上の「カマイタチ」なるものの存在が紹介されていた。すると、爺さん、「ワシも、カマイタチに会ったことある。十なん歳の頃から、ずーっと、ワシについてるの」と、のたまうではないか。時、23時近く。母様はすでに就寝し、爺さんと二人の居間で、そんなことを聞かされた我は、にわか、恐怖に包まれた。・・・・カマイタチってなによ? 妖怪? その妖怪が爺さんに憑いてるの? ・・・・よくよく爺さんの話を聞くと、<子供のとき自転車に乗っていて、なにもないところで転倒して足に怪我をした。リヤカーで医者に連れて行かれ何針か縫ったが、そのとき、大人たちが『これはカマイタチのせいだ』と言っていた。そしてその傷が今も残っている>、実に単純な話であったのだが、コワイ話が大の苦手な我は、びびったよ~。

*母様の作った料理が一番、爺さんの口にあうのだ。それは疑いようがない。ただ、母様の料理は「爺さんにとって慣れ過ぎている」というのは、あろう。上記の玉子焼きとは、溶き卵に牛乳とスライスチーズを入れ、とろっと半熟気味に仕上げた、シンプルなオムレツ。

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独身がまたこの世から一人減った

過日、「わたしは有名人の恋沙汰、結婚離婚などにあまり興味をもたないタイプ」なんて書いたけれど、いや~、あれ、撤回。はい、大いに撤回します。安部寛の結婚ニュースをネットで知って、いくぶんかのショックを受けている。「あんたさんは『結婚できない男』ではなかったのぉ~」と、彼を同志のように見ていたわたしは、裏切られた(ガクッ)、そんな思いでもある。およよ~。明日には「おめでとう、安部寛」と言える自分がいるだろうか?

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