ともみ@ピクニック

忘れるなど×老い

昨日の話である。▼爺さんの定期検査の日。午後からの予約で、昼ごはんは食べちゃダメなのに、食べちゃったらしい、爺さん。しかも、我が指摘するまで、「食べちゃダメ」だったってことを、すっかり忘れていた本人&母様。いくら久しぶりの検査(おまけに前回と違う予約時間)だからといってもねぇ。(ちょうど迎えに来ていた姉が病院に電話をし、「検査はできる」の返事をもらい、予定通りに病院に行きました)。▼歳をとるとは、こういうことなんだろう。日常のちょ~っとしたことが、ちょ~っとずつ「ずれ」てゆく。普通にやっているつもりでも、誰も気づかない速度で、認識力が弱くなったり。いわゆる痴呆などという大事ではなく、一見昨日とはなんら変わらぬように見えるヒトの、小さな小さな「うっかり」が、実は老いと深く関係あるという。▼ふーっ。ただ、たんたんと、親が歳とってゆく様を、目の当たりにしている我である。もちろん、わたし自身の老いも日々進んでいるわけだけど、自身のことは忘れがちだね。

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「主人」という響き

朝のテレビで、松坂大輔選手の奥さん(=柴田倫世さん)のブログが紹介されていた。それによると、倫世さんは松坂選手のことを「主人」と書いているのね。うー。いいっ! さらりと人前で「主人」といえる(書ける)のは、特権階級のなせる業か? わたしくらいの年齢の女性の多くは、荒々しく「男女平等」を唱える前(前々?)世代の女性たち、およびマスメディアの産んだ、「平等」に対する脅迫意識の流れをくんでなのか、心より頭で、つまり自分の湧き出る感情というよりは、なんとなく世の中に洗脳されて、平等と同等がごっちゃになって、「女サイドの配偶者は、男サイドの配偶者と、同等なのよ」、少なくとも“そういう信念らしきものをもっている私”でなくてはいけないのよ~、という意識を、ざっぶ~んと全身で浴びているような気がする。わかりやすい例として、「ダンナ」という呼び名の氾濫。ほら、だって、「主人」じゃあ、男配偶者にぶらさがっている女のようで、かっこ悪い響きもあるじゃん。(←この発想自体が、ほら、ね)。でもでもでも、ですよ、柴田倫世さんのような、成功者の奥さんが「うちの主人が」といった日にゃあ、かっこ悪いどころか、あー、男と女のスタンダードな姿が素直にあらわれているようで、(少なくともわたしにとっては)うっとり耳に響きますわい。

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哈台族

親の家で取っている地方新聞で、今、日本好きの台湾人×台湾好きの日本人の連載がされているらしいが、本日の記事を読み、へぇ~と思った。何年か前、「哈日族(ハーリーズー)」(=ニッポン大好きの台湾人)が日本でも話題になったが、今は、その逆、台湾大好きな日本人も増えているらしい。称して、「哈台族(ハータイズー)」。日本人が台湾や台湾人を好ましく思う現象は、台湾に触れたことのあるヒトならば、なんら珍しいことではない、むしろ自然なことと受けとめるだろうし、両者の絆は昨日今日生まれたものでもないけれど、どうも、この哈台族は、「相手(台湾)」を想う温度が、これまでの「台湾好き」人間とは違うように、わたしには思えてならん。本記事には「台湾の男性と結婚するのもいいな」「台湾の大学に留学して台湾で就職するのが夢」という日本の女子高生(15歳)が登場していたが、こういう哈台族が増えているとするならば、これまでにない現象といえるのではないか。わたしのとらえる限り、これまでの、戦後生まれの台湾好き日本人は、どちらかというと「じわじわ」と台湾を想っていたように思う。また、それは、ある程度、社会生活を経験し、その上で、なにかのきっかけで台湾に触れ、台湾を好きになる、そんなパターンだったような。しかし、この哈台族は、温度が高い。じわじわ、でなく、一気にヒートアップした感じ。また、「台湾」を想うその垣根の低さは、国内のアイドル歌手に黄色い声をあげるのと同じように、台湾アイドルに熱をあげている姿からもうかがえそうだ。たとえば、台湾男性と結婚する日本女性は昔からたくさんいたが、「台湾男性とつきあったこともないのに、台湾男性との結婚に憧れる」なんて日本女性は、これまでいなかったのではないか? 先にあげた哈日族は「特に若人を指してそう呼んでいた」印象をわたしはもっているが、この哈台族も、主な構成員は低年齢層なのだろうか。(パターン化して申し訳ないが、韓流好きの主が中年女性ならば、哈台族の主は若い女子なの?)。ま、隣国との垣根が低くなることは悪いことではないし、歓迎すべき現象なのだろう。わたしは、台湾と日本の関係の変化うんぬん、というよりも、日本人の、特に若い日本人の意識の変化(「ここまで来たか!」という)に今さらながら驚いているのだ。(まだまだ台湾を差別意識で見る日本人は大勢いる。特に、わたしくらい以上の年齢層)。こういうのも、グローバル化、ちゅうのだろうな。

追記  訂正。やっぱ、台湾と日本の関係の変化にも驚いてはいるのである。
    この変化は実は今後にこそ成果があるのだろうな。
    小さなものが大きなものを変える、
    今は小さな変化の積み重ね期なんだろう。
    戦後いくど目かの、日台の大きな変化期への。

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ナンシーさん

低気圧が去り、さわやかな天気。Yちゃん(高校時代の女友達)に卯辰山ドライブに連れて行ってもらう。たまにはこういう庶民的楽しみもいいもんである。その後、お買い物(前より行きたかった大型スポーツ用品店)に付き合ってもらい、親の家まで送ってもらう。お昼ごはんをご馳走になったうえ、お土産までもらい、いたれりつくせりのデートであった。■リハビリ読書。『超弩級』(ナンシー関 トーク集)。つくづく、日本人がナンシーさんを失った痛手を思う。ところで、これはナンシーさんの王道的な面白さとは方向がズレる話なんだけど、山崎哲氏との対談で、「私は麻原の本なんか全然読んだことがないんですけど、十人並以上の美人幹部たちが、麻原になびいたっていうのは、十分わかる。他の男たちとは違うんだと見分けていったのは、何かわかるような気がします」と、ナンシーさんが語っていたのは興味深かった。■シイタケは酒をまぶしてから焼くと身が縮みにくい。アサリは家庭で冷凍保存OK。エノキと塩昆布のかきあげ。以上、深夜にやっていたTV「きょうの料理」再放送を見ての、自分メモ。(ふふ、メモしただけで、満足してしまう )。

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ホットココアが恋しい

雨のなか、1時間ほど歩いた。ときに横殴りの雨。パンプスで。重い荷物を持って。ずくずくに濡れました。足の裏に水ぶくれができました。◆夕方、金沢に着。「金箔の雪つり」をバスのなかから見かけ、寒ーい季節に体の記憶が飛んで行きました。玉川公園を自転車で横切り、「紅葉」を束の間、味わう。◆人殺しをしても、わたしはご飯を食べるんだろうな、ふと、そんなことを思った。(いや、人殺しはしませんが。人を殺すくらいなら、ほかのどんなことでも、わたしはすると思うね)。

・・・・ ・・・ ・・・ ・・

「寒くなりました、ご自愛を」。今、誰かにそんな言葉をかけてみたくなったけれど、このシーンとした部屋でそれを声に出すのはさみしい。だから、その気持ちを文字にしてみる。

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サイダーのあわ

先日の話でありますが、久しぶりにFちゃんと電話で喋った。なんでも、彼女のお嬢さん2名は、「○○君(←パパの弟、独身)と、ともみちゃん(←わたし)が、結婚すればいいのに 」と、ときどき話しているそうだ。なんと、まあ。嬉しい相談ではありませんか。○○君とわたしは会ったこともないけれど、小さな天使さんの発想が、わたしの日常にはないことで、愉快な気持ちになった。

DVD『うなぎ』を観る。「前にも見たことある?」、所々そう自問せずにはおられなかった。読んだ本、見た映画の記憶がおぼろになっていく現象は、これからの人生、ますます増えるのだろうな。ところで、独り者の床屋(男)に寂しい人間(女)が転がり込んでくるというストーリーは、王道なのか。

夜中、喉が渇いて「三ツ矢サイダー」を飲む。コップにしゅわっとあわ立つ姿が好き。サイダーのなつかしい味も好き。

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有頂天

朝ごはんのあと、30分ほど寝て、畑へ。サトイモ運搬、水やり。その後、昼ごはんも食べず、ぐうぐう、ぐうぐう。夜になって、体を起こす。


人をにくむことは
自分を蝕むこと
じっかん

これはずうっと前より蓄積していた感覚。


『The 有頂天ホテル』を観る。ラストに向かい、パズルを気持ちよく埋めていくような感じ。脚本家の頭のよさが光っている。ひとり過ごす大晦日の夜に観るのもオススメである。

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ことば

もしも「陰で抑圧」がわたしのことを指しているなら、その発想に驚く。ある意味で嬉しいし、また彼は変わってないなと思った。

追記 メール受けとりました。あまりの思い込みの激しさに、驚愕です。あらためて、「信じる」ことを止めた自分を後悔しないな、と思いました。わたしはあなたと縁を切りたいのですよ。(27日の深夜)。

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人材派遣のP社

起きたら、だーれも、おらん。コタツのうえに「点滴 9:30。もみもみ」のメモ書きが。ふぐーん、爺さんは「栄養剤の点滴を受けに9時半に出かけ」て、母様は「接骨院に行ってきま~す」の連絡事項である。◆のーんびり、朝ごはん。(はは、毎日がのーんびりなのだけど)。クリームチーズを挟んだクルミパンと、昨晩の残りのポテトサラダと、コーヒー。コーヒーは牛乳を入れてカフェオレにしたかったのだが、台所の牛乳がきれていて、車庫にある冷蔵庫までとりに行くのがメンドウなため、ブラックで。ポテトサラダは、あのね、ジャガイモの皮を剥かず、まるごと茹でたのを、皮のまま、つぶしたの。(皮をつけたまま茹でると、栄養が煮汁にしみ出にくい――ま、その煮汁も、スープにするのであるが。親の家には「もったいないオバケ」が住み着いており、あらゆる場面でそのオバケが出現からね)。ちなみに、ジャガイモは皮のまま、つぶしても、まったく違和感なく食べられます。手間も省けるし、一石二鳥)。◆昨日の午前、人材派遣のP社から留守番電話をもらっており、(社会人の常識「すぐ、折TELする」ができない)、「なんの用事? 更新してから1年以上経っているから、なにかの確認か?」(昨夏に「当分、就労はお休みしたい」の条件を伝えてあったので)と、電話をしたら、「お仕事の紹介」であった。うーん。実際は「(向こうから現在の仕事状況を尋ねられ)週5日のような仕事は無理ですね。平日も休みが欲しい」と答えたので、具体的な仕事紹介とまではいかなかったのだが。◆はて。人の財布は気にならなくはないものだ。ふふ、まどろっこしい言い方だけど、まあ、な~んもゼニになるようなことをせず、ふらふらしている人間がのうのうと生きていると、「あのヒトの生活資金はどこから出ているのだ?」と詮索したくなるのが人の常であろう。はい、小銭を貯めては、ふらふら、小銭を貯めては、ふらふら、が長かった我も、よそ様からブッたまげるような詮索をされたこともありますわ。今現在、国年不払い、国保滞納(これは近々払わねばと思っております)、地方税滞納(これも払わねば)で、出費が月10万円に満たない(アパート家賃、公共料金、通信費、交通費、たまに食費・酒代、その他はほとんど使わない!)状況であります。扶養してくれる者も、生命保険も、つまりは、自分の未来の助けになりそうなものはなにひーとつもたない我は、会社員勤め時代の株を、これだけは「なにかあったとき」のために、と、とっておいたのです。そしてそれを今、ちびちびちびちび、使っているわけ。(「宵越しの金は持たねぇ」なんて、カッコイイせりふを言ってみたい! が、基本、我はケチ人間なので、なにをするにもチビチビ)。◆しかしですよ。遅かれ早かれ、いずれはまた労働者にならねばならん。最後に労働していた職場から、今年になっても2度ほど、「いつでも歓迎するからね。たとえば月10日というカタチでも検討してみる」という、ありがたい声をかけてもらい、「東京に出稼ぎ生活か~。それもいいかも」なんてニッタリしたこともあるのだけれど、・・・・・・・・預金の残高はもう底が見えているというのに、どうも、いまだ「ゼニ稼ぎ」には頭がいかない、我。(ケチでありながら、ある種、金銭感覚に鈍感な面もあるのだろう。ただし、不安がないわけじゃないですぞ)。◆話は戻る。P社は、たしか数ケ月前のニュースによれば、「首都圏に限り、交通費を支給」するようになった(?)らしい。わたしは十年ほど前に会社員を辞めてから何社もの派遣会社にお世話になったけれど、まじこ、「日本で一番すばらしい人材派遣会社は、P社であろう」が実感。派遣会社にとって、派遣社員はいわば「商品」なわけだけど、「商品」を記号扱いせず、ひとりひとりを人間としてみてくれる(これをうたっていても、実現できている派遣会社は少ないと思う)のを、このP社で、しばしば実感。そして、これは人材採用の優秀さ&社員教育のたまものであろう、営業さん、内勤スタッフさん、P社で接する方はみな、感じがよく、社会人力もすぐれているのだろうなーと思わせるものがある。そして、先の「交通費支給」制度の導入。はい、登録する派遣会社を迷っているヒトは、P社、おススメであります。

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介護。愛と負担

久しぶりに「労働」という二文字をキーボード打ちしたら、いやぁ、長くなってしまった。なので、日記の続きを、ここに書く。◆『介護と恋愛』(遙洋子・著)を読む。ドタバタ筆致で、話もドタバタ進行していくのであるが、「介護するヒトの心のなかは、じぃ~っと時間が止まったようなものを抱えなければならないのね」が伝わる1冊であった。また、これまでテレビやラジオでしか遙さんを知らなかった我は、「(失礼な言い方だが)正体のわからん人だな」の印象を抱いていたが、この本を読んで、彼女にとても親しみを覚えた。◆印象に残っていることを、少し、メモ。◆この部分、じわっと、我の心にしみこんだ。漠然と普段思っていることとどこかでつながっているからかもしれない。引用 → 《医学的見地では脳梗塞はあくまで病気であり、治療とか原因究明とかが待ち受けている。でも当事者は、「老い」という自然と格闘しながら生きているだけにも見えた。若いうちは、「病気」という概念があるだろうが、ある時期からの病気は、病気ではなく、「自然」に思えた。》〔86ページ〕。 ◆遙さんが介護をテーマにある有名女優さんと対談した際、女優さんがきっぱりと発言された「介護を苦しいと思ったことは一度もありません」に対し、遙さんの内面がつづられた部分があるが、わたしは以前、ある小説家(ああ、名前が思い出せない。北海道にゆかりのある女性作家だったと記憶)がラジオで語られていたことを思い出した。その小説家さんも、何年にもわたり入退院を繰り返す母親を看取った体験者である(しかも、母親が倒れたあと、高齢の父親が「家庭を捨てた」という環境を乗り越え、仕事をしながらの、自宅介護だった)が、彼女の、「介護中は、その辛さのあまり、介護を呪うような言葉を散々言ってきたのに、いざ、介護の対象の親が亡くなると、『自分は介護を辛いなんて思ったことは一度もない』と平然とした顔になる人がいる。でも、私は、『介護が辛くなかった』なんて、生涯言わない」という言葉に、みょうに、わたしは納得できるのだ。そして、「介護は辛くなかった」と笑顔で言うのが女優ならば、「辛かったものは辛いとして、自分のなかの“否(ネガティブ)”なるもの」を認めざるを得ないのが物書き、なのかな、と思った。◆それにしても、遙さんの実家は壮絶であります。(例えば、こんな具合。引用 → 《以前、兄が胃潰瘍で入院したとき、父は「ステーキ食えば治るのに、入院なんかしやがって」とわめき、退院するなりギトギトの肉が出た。》〔57ページ〕とか、《私の場合、落ち込めば「そのまま死ね」。辛い顔など見せれば「うっとおしい」。泣くと「殴られたいのか」。そして、病気だと「間抜け」と、より危機的状況に陥った。》〔60ページ〕 壮絶すぎて(傍から見てるだけなら、魅力的)、この家族を映画化したら面白いだろうな)。◆壮絶でも、仮にそこに憎しみが宿っても(遙さんが家族にそういう感情を抱いているというのではない。彼女の両親の間がそうだったらしい)、家族は家族を止められないから大変だ。「家族」という負担は、誰もが一生拭えないだろう。みなし子は「家族」がないという出生を負担とし、蒸発した人間にも「家族」を捨てたという負担が残る。「どんなに幸せに見える家族だって、問題のない家族はない」とはよくいわれることだが、わたしはね、「家族」を負担にしない人間はない、とも思うのだ。そして、想像するのです。介護は、家族の負担のなかでも、もっとも重いものに属するだろうと。本書には「介護をやらないでいる自分から逃げたくなるし、介護をやってる自分からも逃げたい」という苦悩や、「介護はやってもやっても悔いが残る。いくらやっても悔いは残る」というようなことが書かれていた。ちなみに、「老いた父親のお尻の穴に指を突っ込んで、ウンコをかき出す」話が載っているが、これ、愛情に負けない重さの、「家族」という負担が、そうさせるのだろうな。そして、介護の最中には、普段以上に「愛」と「負担」が入り混じるのだろう。◆本書にある、医師である友人の言葉、「お父さんに優しくしてあげてください。それが将来あなたの心の支えにきっとなりますから」は、わたし自身のこころに刻んでおきたい。(実行はたやすくないが)。

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チャーハン

親の家の朝ごはんは、純和風なメニューが多いのだけど、今朝の主食はめずらしくチャーハンであった。「ご飯をチンして、溶き卵のなかに入れ、軽くまぜる。そしてそれを、具を炒めたフライパンに投入し、具と米をからみあわせる」、テレビで以前に見た方法を母様が試してみたいというので、それに従った作り方で。(母様が材料の下準備をし、我は炒める&味付け係)。結果、なかなか良い具合に仕上がった。(とはいっても、卵をあまり食べないようにしている彼女のこと、2合近くのご飯に卵1コの割合だったので、「卵を食べた~」という気分には欠けるものがあったけれど。わたしは、ご飯0.5合に卵1コくらいの割合が良いんじゃないかなと思う)。今度、また作ってみよう。◆1週間ぶりくらいに畑に行ったら、白菜が急に大きくなっていて、「これ、なんだっけ?」、野菜の名前がわからないくらいだった。冬野菜もそろそろ収穫が始まりそうだ。◆岸本葉子さんの『がんから始まる』を読む。ひとり暮らし、かつ、精神的パートナーを持たぬ者の、思いもかけない病にかかったときの体験記。として、あの人にも、この人にも勧めたい本であった。前半は「ガンの告知から手術、退院まで」が主な舞台。術後まもなく、たった四百グラムのフリースを肩にはおるだけでも、背中に響く重さを感じたことに対して、《仕方ない。何たって「切腹」をしたのである。江戸時代なら死んでいる》、さらりと綴るなど、岸本さんらしいユーモアをにじませながら、実に整然と、その体験を綴られている。後半は「その後の暮らしと精神の変遷」がテーマ。これは、ガン患者の体験記としてはもちろん、「思想書」としても価値があると思う。(わたしのような、プラス思考回路のあっちこっちにヒビが入り、がけ崩れが起こり、挙句、ぐちゃぐちゃと迷路のようになっている人間にとっては、あまりに尊いと感じてしまい、読むのがシンドクもあるけれど)。 ◆この本の大筋とはずれるのだけど、面白い話が書いてあったので、転記。→ 何で読んだのか「無意味の刑罰」というのを、思い出す。ある物をA地点からB地点に運ばせ、それが終わったら、B地点からA地点に戻させる労働をくり返し課すと、囚人は自殺する、と。労働の過酷さ、肉体的な負荷の重さよりも、自分のしていることに「意味を見出せない」という、精神的苦しみの方が、人間には耐え難いのだ。(180頁)。

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ネット徘徊など

下記、3つの話(19日、20日の分)を書いたあと、「本日分の日記」も書いたのであるが、その翌日の夜には読み直すこともなく、直感で、アップするのを止めることにした。ふうっ。そんなことはときどきあるので、わざわざ記し示すこともないのだけれど、わたし自身の記録的な意味合いで、そのことをここに“こういう”かたちで残しておこう。――主な内容は、「ウソのきしみ」の続きともいえる話。それを綴る時間はある種の解放(=快方)をわたしにもたらしてくれたし、これをまず最初のとっかかりとして、こういうふうに自分のなかの塊(かたまり)を日記に書いてゆくことで、これまで解けなかったものを解いてゆこうと、そのときは思った。けれど、それは、今はまだやめておこう。

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半月ほど前だったか、これまでほとんど自覚したことのなかった「ものの思い方」が、ふっと、しかしたびたびの頻度で、訪れる数日間があった。その全貌を言葉であらわせるほど明確なものではないのだけれど、しいていうなら、「都会でバリバリ仕事をしてるヒトの悲しみや幸福も、田舎で隠居暮らしをしているヒトの悲しみや幸福も、実はさほど変わらないのではないか。(表面だけみれば、おおいに違うけど)」というようなこと。なんでそんなモノがわたしの頭に忍び込んできたのかは、わからないけれども。

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早坂類さん。「この繊細さ具合が好き」で、彼女のネット以外の作品はなにも触れたことがないけれど、ブログはちょくちょくのぞいている。11月からは、新しい記事を書いたら、前のは消す。そんな形態をとられるのだとか。彼女の文章は、清んだ秋空の匂いがする。

南Q太さん。この連載が終了するそうだ。とても残念。しかし、わたしはこの連載も読んでいるからね。がんばれQ太さん。(他人様に「がんばれ」なんて声をかけるのは得意でないが、そんなわたしが、あえて、そういいたいのです)。それにしても、わたしが彼女の「私生活」(もちろん、「私生活系作品」=「その人のかかえる世界の真実」とはいえないこと承知のうえで)に触れたくなる動機はなんなのか? 歩いてきた人生も、今の環境も、どこを探しても共通点など見つからないし、「Q太さんを好きか?」と自問しても、それに答えるのは難しい。ちなみに、わたしは(独身子なし女の、ひがみであろうか)、子供がいて、夫がいて、わいわい!! 家庭が世界の中心にあるような、そのワクからはみ出しを知らない日常話など、興味がない。(こういう書き方は誤解を招きそうだけれど、ま、仕方ない)。思い当たるに、ひとつは、決して「家庭を築く」など得意ではなかった女性が、こんなにも懸命に、家庭を作っている(それは自身の人生の再構築でもある。というより、再構築そのものだな)姿が、わたしを魅了するのだろう。また、彼女の芯にある、「永遠を信じられない」シビアさも、(あ、もしかして、これはわたしとの共通点か)、そこからくる自身のこころへの負担も、わたしをひきつける。そしてこれはわたしが生涯味わうことがないかもしれないのだけれど、彼女の、今の夫への愛情のかけかたが、とてもけなげ、と感じてしまうのだ。そのけなげさは、(上に挙げたシビアさとも関係があろう)、わたしにとって甘くて苦い蜜になっている。

素樹文生さん。えー、こんなことになっていたのですか。素樹さん、そして、素樹さんのブログは。1年半ぶりくらいに(確か最後は、素樹さんの第一子が誕生してほどないころ)彼のブログを訪問したら、そう叫びたくなる展開が待っていた。たとえば、こういう話こういう話など、具体的にもやもや思うことはあるけれど、今はもやもやとしたまま、頭のなかにとどめておくのがよかろう。(ところで。最近の素樹さんは、どんな様子なのだろう。ゴルフblogやミクシィをのぞけば、触れられるのか?)。話は変わりマス。わたしはもうこの先、『上海の西、デリーの東』のような世界を求めることはないかもしれないけれど、過去の自分を振り返るに、たとえば『上海の西、デリーの東』に満たされた部分は少なくないし、そんな過去の自分と今および未来の自分を切り離すことはできないだろう。だからね、小林紀晴さんもそうだけど、彼らの、ある方面においてある時代にもたらした「功績」を認めるだけでなく、わたしは(仮に彼らの作品に今後一切触れることはなくても)、彼らに感謝し続けると思うのですよ。

ふーっ。以上、先日、ネット徘徊をして思ったことなど


10月23日の夕方の記

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「ワシ、孤児や」だと

ほんとは昨日じゅうに親の家に戻る予定であったが、とてもそんな気力がやってこず。しかし、本日は、なにがあっても、戻らねば。母様が毎年恒例の、近所のヒトたちと一泊旅行に出かけるからである。爺さんは、今週火曜に打った抗がん剤の点滴のため、伏せっているはずだ。■這うようにして、午前早く、親の家に戻る。雨が降っていたので、母様、傘をさして途中まで迎えにきてくれるものの、また、家についてからも、いろいろ話かけてくるものの、わたしは彼女に顔を向けることすら、できず。(わたしが自分の不機嫌さをもっとも出しているのは、母親の前、なのだろうな)。彼女が出かける時間、とっくに二階にあがり、布団人間となっていた。■とはいえ、いちを、「爺さんのお世話」のために、親の家に戻ってきたのであるから、(でないと、母様は、爺さん一人をおいて、出かけられない。物理的に無理ではないのだが、ぐふふん、過保護家族であるからね、「気持ちの上」で出かけられないのだ)、夜にはなんとか体を起こし、爺さんの様子をうかがう。居間で、7時のニュースをつけ、コタツにはいり(コタツの電気コードははまだ設置してないが、下に電気カーペットをひいているので、あたたかい)横になっている、爺さん。「ワシ、孤児や」(妻は旅行に行き、娘はワシを無視して寝てるし、の意味だろう)と、のたまうものの、そんな爺さんをわたしは半ば知らんぷり。(そういうイジケ冗談発言をすることで、つまりは家族に甘えることで、彼は彼なりの気分転換をはかっているのだと、十分に知りつつも)。お粥を食べられそうかと尋ねるが(母様が作っていった白粥)、「無理」の返事。代わりに、小さいヨーグルトと、クラッカー2枚をやっと食べたものの、たちまち、薬も飲めない体調に。■さすがすぐに2階に上がるのも気が引け、爺さんと一緒に、8時から、「日本の農業を考える」をテーマにしたテレビを見る。いや、一緒に見るといっても、相変わらず、爺さんは横になり、しかも、頭はテレビと反対を向いているという、実際は「聞いている」だけの状態なのだが。テレビでは「今、農業やっているのは、65歳以上のヒトが大半」といっていた。テレビや雑誌などで「脱サラから農業に転身」とか「若いヒトの農業就労( I ターンなど)」が取り上げられることがあるけれど、これ、やっぱ、珍しいから話題になる、ということであり、決して、農業に明るい兆候があるという話ではないのだな。ホント、現在農業をやっているこの世代が(ウチの両親も趣味ではあるがこれに含む)農業から離れる日がやってきたら、日本の食糧事情の憂いはもちろんだが、その土地がどんなになってしまうのか、他人事ではない。それは「精神風土」や「日本の文化」にかかわるというマクロな視点からもいえるし、実際に今、両親が農作をしている土地をどうしていくか(個人の都合ではなく、土地が喜ぶような、土地を大切にする使い方をできればベストだが)というミクロな視点からも。

10月21日の深夜の記

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10月の雨

雨の日。昼に目が覚めたときは、雨を、うれしく思った。(雨だと、精神が落ち着くことが多い)。パソコンの電源を入れ、しばし、ネット徘徊。本日は外に出て諸々用事を済ませたいと思っていたけれど、この雨のなかを外に出るのはイヤだなーと、窓の外、修学旅行なのだろう、傘をさして歩く中学生を遠くに見ながら、むくむく引きこもり気分がわきあがる。体がだるくって、「でもそんなのいけませんわ」と自身に言って、エイヤっ、気合入れのためのシャワーを浴びる。が、体のだるさに加え、最近は小康を保っていた精神のほうも、ずずずずずと、音を立てたように崩れはじめ、いや、もはや崩れ終えかかっているのを、感じる。原因は、昨日、夏以来フタをしていたパンドラの箱を開けてしまったからだろう。(昨日はかなり平気で、自分でも「強くなったなぁ」と感心したのに)。加えて、昨日、所々を拾い読みした『寿司とマヨネーズ』本から、「ぎりぎりの自尊心を賭けてヒトと接する苦しみ」を思い出してしまったことも、遠因にあろう。雨は少し止んだ時間もあったようだけど、翌日までほとんどずっと降っていた。

10月21日の深夜の記

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ウソのきしみ

前日の日記に「ウソ」観を少しつづったが、その続き 

ウソが嫌い。なんて、いい年した大人の吐く言葉としては、ひじょーに恥ずかしいものがあると思う。その言葉の向こうには、「自分中心」から抜けられない幼さ、を客観的には感じるし、第一、ウソなしにはこの世は成り立たない面があることもさすがに知っているから、「ウソが嫌い」な、わたしの気持ちは、世の常識にとうてい敵いっこない、という全面降伏的な弱々しさを認めざるを得ない。■ところで。たとえば、人にわからなければ、いくらウソをついてもかまわない、という思想(思考の方式)がある。「心のなか」とか「本音」なんて、どうでもいいのだ、と。「行動がすべて」だ、と。たぶん、リーダーを志す人に、この手の考えをもっている人は少なくないと思う。だから、目につくところでは、懸命に、おこたりなく、「能力のある姿」はもちろん、「人格の立派さ」も、人々の印象に残るよう、行動をする。■それを仮に「表の顔」と名づけるならば、その「表の顔」だけを見ていられる人は、幸せだ。リーダー(リーダーを志す人)の、その「表の顔」だけで、自分の認識を独占できるのだから。(まぼろしや理想の成立)。■この2年、ノイローゼといっても過言ではないだろう状態にわたしがなったのは、(この日記だけではそのノイローゼ具合はまずわからない。核心はなにひとつ書いていないから)、ある人の、「表の顔」と同時に、「それとはまったく違う顔」をイヤというほど見てしまったからだ。ただ見ただけではそうはならなかったかもしれないが(たぶん、ならなかっただろう)、そこには運悪くというか、他にもいろんな要素が絡んでしまい、わたしにとっては未踏の精神状態に陥ってしまったわけだ。最終的には「どうして、わたしだけが、そのことを知らなければならないのか」の渦から抜けられなくなってしまい(はい、被害妄想的な発想)、これを誰かに告げたくて告げたくて仕方ない衝動に駆られている。そしてそれは現在進行形。この衝動を抑える「良心」との戦いが、あるいは、この2年間の苦しみのすべて、といっていいかもしれない。

追記 1
正確に言えば、「ウソが嫌い」というのとは違うんだろうな。「ウソ」の存在により、本人も周りも、より望ましい状態になることが、ウソのふりかけられた世界には多いけれど、――その点だけを見れば、ウソとはなんと素晴らしい効能をもっているのか!――、そこからなんのイタズラか、一滴、ぽとんと、「苦い(にがい)」汁が落ちることもある。ウソが存在することで、本人もみんなも幸せになっているのに、ウソのきしみともいえるその汁を、ぽとん、ぽとん、ぽとん、と、落ちてくるがまま、飲み続けたゆえに、わたしは、「ウソが嫌い」なんて、ひじょーに幼い言葉を吐くようになってしまったのだ。

追記 2
そう、〝「心のなか」とか「本音」なんて、どうでもいい。「行動がすべて」だ〟という世界観の弱点(=どこかで、その相違のモレがまわってくる。それを、ヒズミ、あるいはウソのきしみ。と名づけよう)に、わたしの精神がノックアウトされたのだろう。わたしは、ウソそのものを、嫌っているわけでは決してない(と、今、これを書きながら、気づいた)。


10月21日の深夜の記

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