ともみ@ピクニック

ねぇ、Qちゃん(9月最後の日)

雨。思いがけず、雨。雨のせいにして、ぐうぐう。不動産屋に家賃を払うという大仕事を成し終えたので、もう金沢を離れてもいいのだけれど、雨だからということで、ぐうぐう。(夏以来、日帰りもしくは1泊だけのつもりでアパートに戻っても、毎回ついつい予定オーバーしてしまう。意志よわよわ星人)。■寒いです。薄手のセーター着ました。お腹空きました。なにを食べればいいかわからず、1時間くらい、自転車で街のなかを放浪。22時ころ、やっと、喫茶店というかレストラントいうか、まあ何でも屋のような店を発見し入る。20年前の女子高生が喜びそうなメニューが主流。でも、わたしは、手堅く、オープンサンドを注文。もちろんアイスコーヒーつきで。■あすから10月。上を向いて歩こう。ねぇ、Qちゃん。

*本日の行動をメモ*
14時半頃、起床。
歩いて銀行へ。
8万円お金を下ろす。
そのまま不動産屋。
家に帰る。
お腹空いて、悶える。
1週間のなかで一番好きなラジオ音楽番組が始まるころ、あまりの空腹に、眠ってしまう。
いろいろ忙しく夢を見て、20時過ぎに起床。
お腹が空いて、部屋のなかをうろつく。
雨も止んだよう。
街に出るが、なにを食べればいいかわからず。
やっと、オープンサンドにありつく。
コンビニでおやつ購入。
23時頃、家に帰る。
久しぶりに、インターネット。
・・・・・・こんなことをしている場合じゃな~い 

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性を売る

これを書くと「ガクッ」と思う人がもしかしたらいるかもしれないが(同性であろうと、異性であろうと、他者から「ワタシ性欲がないの」といわれるよりは、「ワタシ性欲があるんです」と打ち明けられるほうが、おもしろい。そんな無責任な宿命が世の中にはあるからね。決して、わたし個人に対する興味関心etcそんな自惚れを推測して云っているのではない)

わたしには健全な動物的性欲というものがない(のだと思う)。

前に何度か「性を売る」願望の話をしたが、その最大にして、ほとんどを占めるといっていいであろう目的は、自分を痛めつけることにあるのだ。(単純な話でいうと、蚊にさされて痒いとき、患部以外の部分をツネって、蚊の痒みを忘れようとする動作のようなもの)。

ただ、わたしも空気だけを食べて生きてきたわけではないので、好きな人と肉体的に結ばれたいという衝動も体験的に知ってはいるし、今後、万一、そういう衝動に駆られることがないとも限らない。また、性を単にお金に交換するだけのものととらえる単純さを排除するだけの現代ニッポン社会に生きてきた。

前にも書いたとおり、性を売ることは、わたしにとって「仏門に入る」ようなものであり、そこでは、第三国の外国人であろうと、身体障害者であろうと、乞食であろうと、性を売るならば、差別なく、性を提供すべしの方針でなくては(わたしにとっては)ならない、の話になるのである。

・・・・・今、性の話をする気分ではまったくないのだけれど、前々より「わたしは、わたしが性欲たんまり人間と、ほかの人に誤解を与えているのではないか? わたし自身はそういう誤解を受けるのはかまわないのだけれど、まるで人をだましているようであり、誤解をしている人に申し訳ないなぁ」と思っていたので、いつかは腰を上げねばならぬこと、月の替わる前に、えいっと、書きました。ほんと、そーゆー気分ではないので、まったくノラない文章になってしまったが、いつかまた気分がのった日にはゆっくり書こう。

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「悪い癖」のつづき

こういう星に生まれてしまった人間は
いぢいぢと同じ場所を泳ぎ続けるか
スコンとあっちの世界に行っちゃうか(なんまんだぶつ)
なんでも受け止める人間に大化けしちゃうか
大きく分けて3つなのだと思うのデス。

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悪い癖

ちっちゃいことを思いつめすぎ、おおきいことを見れない、それがわたしの悪い癖。

たとえば生命にかかわることを慎重にってのなら、話はわかるのだけど、そーじゃなく、石段を歩くのに、見えるか見えないかくらいのホコリが気になって、またあるときは、修理のしようのない石段の傷が気になって、ずっとその前に、かがみこんでしまう、そういうこと。(*)

大またで歩く人生がホントにうらやましい。(いや、先日の日記に書いたように、「うらやましい」というのは・・・・。いや、やっぱ、これはうらやましい)。

おおらかな精神、というものを、手にいれたいじょ。(現世の望み!)

(*なお、これが具体的にどういうことを指すか、というのはこれまでもほとんど日記に書いてこなかったし、そしてこれからもほとんど書かないと思う。普段日記に書いているような、人間界でのささいな衝突は、わたしのなかではさしたることではない。わたしがつまずいてしまうのは、「対・自分」のことばかりなのだよ)。
(*かがみこんだ自分を、落ち込んだ視線で見てしまう。「落ち込んだんだから、次は元気になろう」の力が弱く、「落ち込んだ」という事実に、ぐいぐい足をひっぱられる。そう、ぐいぐい、ぐいぐいっっと、暗い方向へね)。

まったく、いや~ん 

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ぷんぷん

約3週間ぶりのアパート。虫の音が隣家の庭から届く。親の家では8月の半ばからすでに虫の合唱が賑やかであったが、ここ金沢のアパートでは前回滞在時にはまだセミが鳴いていたというのに・・・。こうやって秋の本格的訪れを感じているうちに、やがては虫の音も聞こえなくなり、気がつけば冬到来となるのですな。いいぞ、いいぞ。▲隣の女の話をする。玄関のドアーをアパートじゅうに響き渡るような勢いで閉め、早朝からあちこちに電話をしている女。挨拶を一度もしたことない女。そう、この女が、なんと、引っ越しておった。その置き土産かなんか知らんが、ぷんぷんぷん(←前置きの音声。怒っておるのだ)、わたしの部屋の前に、レディースコミックが捨てられていた。▲証拠がないのに彼女の仕業と決め付けるのも~ という思いもあるけれど、アパートの立地上(通りから奥まったところにあり、外部の人がわざわざ捨てにくるとは思えない。2階だし)、タイミングからみて、どうしても「犯人は隣の女」と思ってしまうのよ。また貧乏長屋のような集合住宅においては、隣人が「だらしない人かそうじゃないか」その暮らしぶりは、おのず、薄すうす、伝わってくるものだ。彼女の場合、間違いなく、だらしない派であろう。(ま、我も他人のことをいえぬ「だらしない」人間なんだが)。▲廃品回収のときに捨てようと、超オカタイ雑誌(=前に内職していた雑誌)の束を1年も部屋の前に放置していた我もいけないのだけれど、それをね、その束のヒモをね、わざわざ切って、その間にレディースコミックを挟んでいくって、どういう行いよ? (人の趣味をあれこれいうのもなんだが、レディースコミックを読む女というのも、どうも・・・・)。▲ふんっ。以下に続く。(今日の日記は3本立て の予定)。

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巨漢女 

わたしは「男女問わず、声と体格はおおいに関連がある!」と思っているのだが、(前に「隣の女」という日記を書いたあと)一度だけ彼女の姿を見て、その確信を深めたね。思ったとおりのデブ。いや、想像していた以上のデブ女であった。巨漢といってよかろう。わたしは常々、薄い壁を通して聞こえてくる声から、こういう声の女は「デブ」系に違いないと思っていたのだが、見事裏切らぬ結果というか、想像以上の結果におののき、喜び(自分の推測が当たったという喜び)ましたよ。▲彼女の部屋にいりびたっていたらしき男の姿も、そのとき見たのだけれど、これが絵に描いたような「痩せチビ男(お)」であり、これまた、わたしの小さな喜びになった。(以下に述べる、自分の説が当たったという喜び)。▲巨漢女&中肉中背の男というコンビはめったに見かけん。いや、まったく見かけんかもな。神様はどうしてか知らんが、巨漢女には、痩せノビ男(お)、もしくは痩せチビ男、もしくはデブチビ男(お)、というコンビを遣わせるのだよ。▲まあ、体格なんて、慣れ、である。「痩せがいい」「デブがいい」好みはいろいろあれど、3日はウソだとしても、3ケ月も付き合えば、慣れちゃうもんだろ。(「美人も3日で飽きる」説はウソである。3日じゃ、飽きんじゃろ。飽きるまで3ケ月は要すな)。男女の仲は、要するに「相性」なのだ。体と心の相性ね。(体というのはセックスに限らん。体臭だとか、ホルモンのバランスだとか、もっと幅広い話)。▲では、なぜ、巨漢女と痩せノビ男、もしくは痩せチビ男、もしくはデブチビ男がくっつきやすいかといえば、お互いのコンプレックスがおおいに絡んでいるような気がする。もちろん全てとはいわん。そういうケースが多いのじゃない? という話。▲本人が幸せなら、それでOKってのが、世の中さ。「チビ男、デブ女、云々」なんていわれ放題であっても、きっと、元隣のあの女は「自分なりのラブラブ」を掴んでいるのさ。そして彼女の体ほど肥大化はしてないものの、準デブ村に暮らす我は、他人から「男」の噂話をされることもなく、隣に住んでいた女の推測噂話を日記に書くような、さみしい女さっ! ぶひっ。

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アパートの最近事情

このアパートは人の入れ替わりが激しい。この春先に入居者があり、しかしじきに再び空き状態となった1階の部屋に(ちなみにわたしは2階)、また新しい入居者があったらしい。でも、なんかヘンなんだ。玄関のドアーの前に「御用の方は、090-××××ー△△△△へお電話ください」なんて張り紙があったりして。洗濯機が外に置かれているのだけれど、それ以外の生活臭がゼロ。外から見る限り、キッチンなどの窓際には、な~んも置かれていない。人の気配がまったくないのだな。なにする人ぞ。

まあ、ひと月に3~4日しか、アパートに滞在しない我も、まわりの住人からすれば、十分に「へんな人」なんだろうけれど。

「ネコに餌をやっている人がいる」と、近所のおばちゃんが、アパートの管理をしている不動産屋に前々から言いつけをしていたのだけれど、前回アパートに戻ってきたとき、驚いた、アパートの壁、しかも、エサをあげている張本人さんの部屋の前に、《ネコに餌をやらないで下さい。その他、ゴミの出し方、云々》の張り紙が、デカデカと貼られていたの。なんだか、なんだか、という感じである。(わたしは苦情タレのおばちゃんも知っているし、エサをあげているヒトも知っているし、また、何度か不動産屋の奥さんから「ネコの様子」を尋ねられたことがある)。繰り返すが、なんだか、なんだか、である。

ここは生活するには不便な場所。「街」の要素はあるが、暮らしとしての便利さは弱い。だから、たいがいの方は、郊外に家を求めるのである。人口のドーナツ化ね。(民家が消え、その代わりにできるのは、駐車場ばかりのようだ)。よって、ここは、お家賃も、安いのさ。そのせいもあるのだろう、知る限り、今、このアパートに暮らすのは、高齢者、足の悪い人、中国人、そして無職者(わたし)。みなさん、その暮らしぶりに個性が満ちあふれている。「アパート版、ゴミ屋敷?」だったり。小窓にカレンダーをぴっちり貼って光がもれないよう(?)していたり。下着をわざわざ玄関の前に干していたり。などなど。今度、お隣に越してくるのは、穏やかな生活態度というか、感性が合うヒトがいいなぁ。


ふと、「アパート代がもったいない(居なくとも、電気ガス水道その他もろもろ、お金はかかる)」と思うことがある。……生活に不便であることは<自分の心がまえ>ひとつでなんとでも解決できる。かねてから日記に書いているとおり、ここはなんといっても、借景が捨てがたい。……ふうっ。「ホテルに泊まったほうが出費は抑えられるのに」という思いをときどき横ぎらせながらも、まだ当分は、この部屋を借り続けることになるのだろう。

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宛て先

哲学者である鷲田清一さんの言葉。

恋愛がわたしが編む幻想の総体にすぎぬものではありえないのは、恋愛の糧が、じぶんがある他者の意識の「宛て先」になっているという事態だからである。わたしが「他者の他者」でありえているということが「わたし」がたしかな存在として存在するための条件になっているからである。――web文章「可逆的?」より

この言葉をかみ締めると、“恋愛はまぼろしで、ひとりよがりな精神状態”という俗説がかすんでみえる。そしてまた、恋愛にかぎらず、人と人とのかかわり合いって、つきつめればこういうことなんだな。とも、思う。

* ここで「恋愛の糧」自体がまぼろしだろ、な論理をもってくると
  脳をもった人間の行いや感情はすべてがまぼろしになってしまう
  と、わたしは考える。


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幸せ

ただいま北陸本線のなか。ケイタイより昨日分の日記を。

幸せ、そのものではないのだけれど、幸せの遠心力の端にあるようなことを、アタマのどーこか浅いところで考えがちな、このごろ。

例えば、わたしが「いいな」と思う、他人がもってて、わたしのもっていないもの。そうね人生環境だとか性格だとか種々能力だとか色々あるけれど、それらを、わたしは実は羨ましいとは思っていない(のかも)。自分の中でも前からはっきりしている話でいうと(人生環境の分野のひとつですな)、わたしは子供を産み育てる人生を120%評価しているし、母親業、父親業に従事している人を「いいな」とは思うのだけど、それが自分にとっての「羨ましい」にはならない。普通、「いいな」は「羨ましい」と同義語のように捉えられがちであり、わたし自身、他人の人生を見て、あれこれ、「いいな」→「羨ましい」→「自分が不足していることの苦しさ」に悶えてしまうことがあるけれど、(つまり自分で自分の価値観を把握しきれていない→)、ほんとうは、それらのなかでも「(単に)いいな」で済ませられる(美しい景色を見たとき「美しいな」とは思ってもそれを羨むことがないように。おいしそうなものを目の前にしたとき「おいしそうだな」とは思ってもそれを羨むことがないように)ことがいくつもあるのでは?と思い始めたのだ。無理してるとか、強がっているとか、じゃなしに。自然にね。

ま、機会あれば、おいおい、また続きを書こう。

お~、まもなく金沢駅。バタバタ書きだけど、ま、覚え書き、ということで。29日の朝8時。

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こずくらDay

朝、隣家から、こずくら(2尾)をもらい(*1)、夕、別の隣家から、こずくら(2尾。かなりデカイ)をもらう。大漁だったようですな。ちなみに、昨日の夕飯も、こずくらの刺身が並んでいた。最近はサンマを食べることが多かったが、しばらくは、こずくら続きになりそうだ。(今日いただいた4尾のうち、一部を刺身にし、一部を煮物にし、一部を味噌漬けにした) ・・・・・参考 コレ

物々交換が盛んというか、都会の殺伐とはほど遠い、「もし何かあったら1個のお握りを皆で分け合って食べましょ」みたいな村。今朝も早朝、ヤクルト配達のヒトが、ヤクルトを置いていってくれてたし。(時々、お野菜をあげるので、時々、黙って早朝、ヤクルトを置いていってくれる)。今日のこずくらのように、自分の家で多めのいただきものなどがあったときは、近所におすそわけ。おめでたコトがあると、饅頭やカマボコ(*2)など引き出物のおすそわけをするのは、マナー。その他、畑のヒト同士、互いに実りのいいものをあげっこしたり。また我が母様には、大型経営をしている肉屋に嫁いだ友人と、魚の仲買人に嫁いだ友人がいるので、どちらも近所ではないのだけれど、ときどき、庶民の財布では買えない品などを頂戴する。そんなわけで、親の家では、牛乳、卵、などは買うけれど、その他の日常食品は、なにかと貰いものをすることも多い。

(*1)これがねー、朝の7時半ころ、もってきて下さるのですよ。はい。この時間帯、当地では、とっくに社交タイムなのですな。
(*2)結婚式の引き出物には必ず全長3~40センチほどの鯛型カマボコがつく。冠婚葬祭全体的にそうなのだけど、都会人には考えられないであろう、質と量の引き出物なのである。……


さてさてさて、本日、アスパラのメシベ(?)というのをはじめて見ました。赤いタマのようなものでした。ただいま、24時23分。今夜は満月です。空はうっすら曇っているかと思いきや、ああ、お月さま、くっきり見えます。ちなみに明日は雨だとか。

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元気です

元気であります。元気ってのは、忙しいとか、かなしいとかというのと一緒で、いつでも“自分のなかにおける”比較に過ぎないのだけれど、わたしはわたし以外の人になれないのだから、この「(わたしなりの)元気」という状態に感謝したいし、できるならば、元気のレベルを少しずつ底から上げていきたいと思う。■昨日は中秋の名月であったが、わたしもね、お月見しました。部屋のなかで、寝っころがって。空がね、大きいから、寝転がって星も見れるし、月も見れるのですよ。お月様はとても近くにあって、なにかを語りかけるようでありました。■ふふふ、メルヘン語りになるのを止めて、溜まってしまった日記を書こうと思う、26日の25時すぎ。

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秋です

すっかり秋の空気。夏の名残の強さある日差しが射すこともあるけれど、湿度のせいか、暑くても「さわやか」感がある。そして、夜は窓を開けていたら寒いほど。

イカの刺身、フクラギの刺身、イカと野菜の炒め物、湯豆腐、もずく酢、カブの浅漬け、牛肉の時雨煮(残りもの)の夕飯。デザートは、白イチジク。食卓も秋であります。

母様から晩酌の誘いがあり(爺さんは食事がとれず、寝室で寝ている)、本来ならお受けしたいところだが、ずっとずっと根をつめてやってきたコトが、あと少しで、やっと「最初の」ひと段落がつきそうなところまでたどり着いたさなかであり、申し訳ないがお断り。(残念ながら我はアル中ではないのだよ。朝から飲むときもあるが、それはわたしにとっての「一日の終り」だから飲むのであり、また、どうしてもの事情のない限り、仕事の前には飲まないのだよ。昔からね)。(ま、自分のなかでは随分と端折った話だが、そーゆーこと)。

夜、「ためしてガッテン」で、目からウロコの暗算法を教えていた。わたしは10分くらいしか見なかったのだけど、これを得とくしたら、「人生が変わるのでは?」と思わされる術であった。(ちょうど爺さんも起きてきていたのだが、テレビの説明に理解が追いつかない彼は、「こんなもん……ぶつぶつ。電卓があればいいのっ!」と、悔し紛れに、テレビを見ながら電卓を弾いておった)。

9月26日の25時38分の記

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成ちゃん、また会う日まで

病院Day。連休明けのせいか、いつも以上に混んでいる。血液検査、医師の診察を終え、やっと点滴の部屋に行くも、「ベッドが空くまで1時間ほど時間をつぶしてきて欲しい」と、申し訳なさそうな看護婦さん。思わず、ズッコける。(どうも、わたしは普段からボディーランゲージが旺盛のようであり、このときも、本当に、体がズッコケの動きをしてしまった)。▼ほぼ隔週、お世話になっている看護士さんたちであるが、わたしの顔もすっかり覚えられてしまったようで、過日もロビー付近(総合病院なのでデカイ)を歩いているときも声をかけられたり、本日も毎度のごとく爺さんはトイレに寄っており、わたしが先に点滴の部屋に入ったのだけれど、看護婦さんがわたしの顔を見つけて、ズッコけの源の話をしたという次第。病院に慣れるというのは本来喜ばしいことではないのかもしれないけれど、こういう所にも、人と人のつながりは生まれるんだよなと最近あらためて思う。親しみの気持ちがベースになければ、人前で「思わず、ズッコける」なんてこと、わたしにはない。▼梅干のおにぎりを、美味い美味いと、爺さん、食べておった。(売店で買ったおにぎりであるが、それを見た爺さん「あー、むずかしいやつや」と。慣れている人には簡単な作業なのであろうが、市販のおにぎりを食べ慣れぬ者には、あのフィルムをはがすのは、なにか高等作業に感じるのだ)。昆布のおにぎりも半分、自分から食べており、思ったより食欲があって、ホッ。

菊地成孔のJ-WAVE番組が今夜最終回であった。きわどい話満載だから、レギューラーをハズされてしまったのかと思っていたが(ま、それもあるのかもしれないけれど)、どうもそれとは別の、局側の大人の事情があって、のことらしい。(映像でいうならば、映倫を通っていない映画を劇場でばんばん映すのはマズいでしょ、らしい。その音楽版のモンダイらしい。ラジオ電波だけなら見逃すけれど、今後この番組はインターネット配信もするから、なんかの約束事にひっかかてしまい、これまでの菊地法ではいかんのよ、らしい)。▼成ちゃんは「何物にも“依存”というものは生まれる。そう、チロルチョコにもね。チロルチョコ依存症、わはは~」とおっしゃるが、“菊地成孔の喋り”依存症”のヒトはいっぱいいるだろうな。(J-WAVEのお喋りマシーンであるピストン西沢よりも饒舌で、かつ、話の内容は人類規模でいっても上位に属するだろうほどおもしろく、かつ、するどい。音楽も、ほかで聴けないものが流れるし! ……ふふふ。わたしの依存症ぶりが軽く推察されるようなコトを書きました)。▼依存症の者がその対象を失うのはとても悲しく辛いことだけれど、人生は転がってゆくのが、ミソ! 同じところにとどまっていてはイカンのよ。とも思う。「ラジオ番組ひとつに、なにを大げさな」とは冷静なヒトの意見であろうが、わたしはね、成ちゃんのこのたびの降板につき、自らの人生にあわせ、そう思うのよ。ん、成ちゃんの降板をきっかけに、わたし自身に向かって云っているのかな。

9月26日の26時すぎの記

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ゆで卵

朝の、ゆで卵。親の家では「ひとつだけ、ゆで卵が、白身と黄身とに分けっこ」される。卵一個&黄身一個分を爺さんが食べ、白身一個分を母様が食べる。もしくは、ゆで卵をつくっても、母様は食べない――これは日常の風景。彼女は納豆に生卵を入れないし、玉子焼きも食べない。卵のおつゆも作らなくなったし、茶碗蒸しも作らなくなった。▲ここまで母様が「卵を食べない」ことを徹底しているとは、年数回の帰省をしていた頃は知らなかった。彼女は数年前から「コレストロールが高い」といわれ、非常に気をつけているのである。お薬を毎日飲んでいるおかげか、今では正常値を保っているらしいのに、この徹底ぶり。ホットケーキなどの生地として、また衣などとして使う卵までをも避けているわけではないのだが、「卵料理」と称されるものには、まず箸をつけず、(そもそも、ほとんど作らなくなってしまった)、ごくごくたまに家族に促されて食べる程度。▲わたしが子供の頃、すき焼きのとき、母様が“脂肉”を食べている姿が強烈な印象として残っている。先日、「あれは我々に肉を食べさせるために、ひとり、脂肉を食べていたの?」と尋ねたら、「いーや。ほんとうに美味しくて食べていたの」だと。ぶひ~っ。そういえば、母様が昔「バターをご飯にのっけて食べていた」ような記憶もあるな~。ううむ、昔と今の、あまりもの差異。▲ところで、母様によれば、「昔、脂肉を食べていた」ことは、「時効だから、いいの」だと。(こういうことに時効って使う?普通)。まあ、後悔してもしょうがないことは、後悔しないに越したことはないのよね。

9月26日の26時半の記

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今日はオレ主語

「オレに近づくな。近づいたら、キズつくぜ」と、片腕ぐるんぐるん、たまに両腕ぐるんぐるん、ふりまわし、ときどき地団駄踏んだポーズで書いているブログ(旧もぐら日記)であるが、うわっと暖かい涙が流れるような言葉をかけてもらえるときが、ごくたまにある。有り難い。わたしはこれまで随分と(文字通り受け取れば、読んだヒトが傷ついてしまう)鼻息あらいことも書いてきたので…そしてこれからも書いてゆくという注をあえて加えるが…、最初は親しげな感想メールをくれていたヒトもやがてはこの素行の悪さに(たぶん傷つき&)おののき、去っていく・・・ということがこれまで何度かあり、実はそのことに、わたしはみじんも後悔していない。中はちっとも甘くないのに、砂糖でコーティングしたような言葉をこしらえて、それを交換しあうということを、どうしても好きになれないのだ。(だから、わたしが「いいな」というときは真っ直ぐにそれを「いい」と思っているときであり、「ありがとう」は心からの感謝なのである)。媚びず、甘えず、人との輪を大切に、かつ自分の直感を大切にする、というのは、たぶん、簡単なことじゃない。それでも、その道をオレは歩いていくしかない。

・・・・・・なんで急にオレ主語なの?  不明

9月26日の深夜と28日の夕方の記

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