ともみ@ピクニック

「少年時代」症候群

すっかり秋めいておる。例年は「夏→秋→夏→秋→秋・・・・」と季節が移っていくような気がするのだが、はて、10日ほど前の豪雨以来、「秋→秋→秋・・・・」一直線な北陸である。■本日で8月も終り。毎年、ラジオで「少年時代」がかかると、おお夏もおしまいね、の感に襲われるのだが、おほほん、暦よろしく、本日も2度ほど、この曲がラジオから流れましたわい。(あのイントロが流れるだけで、なんとも切ない気持ちになるのだなぁ)。この“「少年時代」症候群”ともいえる症状は、わたしだけではなかろう。。。 井上陽水よ、さすがである。■親の家、2階の洋間。かつて高校時代の3年間はわたしの個室とし、のち、結婚するまでの姉が使用して、その後は、姉の「物置」のようになっていた部屋を、がし、がし、がし、と片付けた。いや、「片付けた」というのは聞こえのいい表現だな。実際は、荷物もゴミも埃もまとめて端っこにやり、一部、スペースを確保した、というだけの話なのだが。それでもまあ、「きれいになった」感は、大いにある。■親の家の居候も、長くつづくと、もっとはっきりとした「居場所」が欲しくなる。金沢のアパートから、おいおい、もうちょっと荷物を運び、仮の「巣」づくりをしようかな、と思っている。


9月5日の夕方の記

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病人と家族

過日の朝、爺さん、母様、我、イチゴ苗の植え替え。通るヒト、通るヒト(←老人ばかり)、「みんなでやったら早いねぇ」などと声をかけていく。そう、苗を掘り起こし、余計なランナなどを切り落とし、植える、この一連の作業は3人くらいでやって、ちょうどいい。前にも書いたけれど、この土地では、老人が一人で、あるいは爺・婆コンビで農作業している姿ばかりが目について、我のように“若者”が畑に出ていることは珍しい。目だってイカンなぁ。 ■夏野菜の収穫も、順次、おしまい。このごろは、秋冬野菜の土壌を準備したり(鍬で耕すのが一番難儀)、秋冬野菜の苗を植えたり、種植えしたり・・・・・、連日、爺さん、母様、忙しい。(我は毎日手伝っているわけではない。ときどき、朝や夕に、ほーんの少しだけ手伝う)。■抗がん剤の副作用でヒィヒィいっているヒトが、体調の合間をみて、(まるでゾンビのよう。この復活ぶり)、畑に行き、労働にいそしんでいる。歩きは、よたよた。(痩せたため)ズボンはいつも(ベルトをしても)下がってしまい、パンツを見せて歩いている。食事も十分には取れない。「病人なんだか、健常者(=その働きぶりからして)なんだか」といいたくなるような行動ぶりであるが、まあ、彼は「気力で生きている」のだろうと思う。■ガン患者の家族などは、みな、体験していることであろうが、本人が一番大変。それは揺ぎ無い事実だとして、それと同時にまわりの人間も、いろいろ大変なことはある。「共倒れしないように」だわな。まじ、思う。■わたしの、現在進行形の「病人の家族として」を軽く挙げてみると~。病人の体調が悪いといっても、「ぐうぐうイビキかいて寝ている」ようなときは、比較的、安心。病人ながら、元気に労働しているときは、「過労」の心配はするけれど、まだかろうじて安心。ひとり、ぽつんと、イスに座っているときは、その表情が見えぬかぎり、特別の(過剰の)心配はしない。しかし、ごく稀にだが、(単に体調がすぐれないだけなのかもしれないが)、いたく沈んだ顔をしてイスに座っていたりすると、とても心配になる。(普段、「天はワシのためにある」ようなハツラツ態度で生きているヒトだけに・・・・・)。そう、彼の病気の進行はもちろん心配だけど、その精神的な落ち込みが、わたしにとっては、何よりもコタエル。■大病は、「肉体の病」だけでなく、「精神的な大きな負担」をも運んでくる。医師が主に「肉体の治療」の導きをしてくれると信じ、本人がそれと前向きに向き合い、まわりもそのサポートをし、しかし、それだけでは十分といえず、どうしても、本人と身近にいる者が一緒になった精神的な戦いも必要なのだと、わたしは思う。■重い病を抱えたヒトの「調子」(肉体および精神面の調子)に、まわりの親しい人間&家族の気持ちが過敏に呼応してしまう。という現象は、往々にして、一般に、見られるのだろう。(あまりにも体調が悪そうだと、こちらの身をすり減らすほど心配し、一方、ちょっと体調が良さそうだと、こちらの張り詰めた緊張感が若干ながら、一気にほぐれる。など)。いくら「病」や「生死」を客観的にとらえようとしても、病人と感情がつながっている限り、まわりの人間がこの呼応を完全に断ち切ることは、不可能であろう。(こういう話は、身近に重い病をかかえる人間のいないヒトには、ちょっと想像しにくいかもしれない。ともかく、大なり小なり、病人家族はみな、こういう精神状態に、日々、さらされているのだろう)。■ぐすすん。こんな日記を書いたからといって、わたしが特に疲労しているわけではありませぬ。これまでのことを、少し、書きとめておこうと思っただけ。■病人といえど、向こうも人間。こっちも人間。結局は「健康時の延長」なんだよね。いつもいつも優しくはできないし、互いに感情を害すこともある。基本的には「爺さんのペース」を受け入れてあげようと思っていても、こちらの心身調子がよろしくないと、「ワシのマイペースぶり」に、こんにゃろ!な気分になることも。■なお、わたしも、もちろん親父様の「調子」に呼応してしまう面はあるけれど、“どうしようもなく「自分がひっぱられる」”ような状態ではない。それだけ冷静ともいえるし、それだけ冷徹だともいえるし、それだけ我(が)が強いともいえる。あるいは、わたしが「わたし以外の人間と距離がある」証拠ともいえる。ともかく自分本位を核にすえた毎日には変わりない。

9月5日の夜の記

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トマトの話

先日より母様、せっせとトマトソースづくりに励んでいる。夏になる前、冷凍専門庫(数段にわたる引き出し状の冷凍庫)を買ったので、そこに保存するらしい。シンプルにトマトだけを煮詰めたものと、ニンニク・タマネギなどと一緒に煮込んだものの、2種類。わーい。早速、お味見を兼ねて、我、後者ソースを使ったスパゲッティを食べてみる。ちょっと酸っぱい。いや、かなり酸っぱい。(市販のウスターソースも加えたのだけど)。でも、美味しい。ホールトマトを使ったソースとは全く違った味であるが、これはこれ、日本の夏の延長の味、といえよう。(1缶百円くらいで売っているホールトマトはたいがいイタリア製だろう。イタリアのトマトと日本のトマトは全く違うらしいよね)。ちなみに、自家製のトマトジュースも、すんごく美味しい。市販のようなコクがなく、さらっと飲みやすい。(製法の違いはもちろんのこと、これもトマトの違いが大きいのかな)。ゴーヤを少し入れたり、レモンを搾ったり、・・・・・でも、塩などの調味料は一切加えない。それだけで、いや、それだけだからこそ、美味しいのかも。ちなみに、このジュース、牛乳と割っても、ぐう! (ウォッカなどと割っても、ぐう!と思うけれど、それはまだ未体験)。

9月5日の夜の記 

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情がうつる

情がうつる。という現象がある。情がうつる、とは、人と人の関係の、もっとも主流なる「根底」ではないかと思うのだが、はて、この情がうつるを作るものはなんだろうと考えると、決して、相手の性格や人となり、主体者の嗜好、おかれた立ち位置が、最たる要因とは思えず、時間、あるいは、時間×神様の作った種々要素(つまり、相手の性格、主体者の立ち位置など、および(かつ必然として)、それらをミックスさせる「偶然」とも言い換えられる種々要素)が、その答えとなるのではないか。つまり、「こうこうこういう相手だったから情がうつった」というのではなく、そこにはそれらをはるかに超えるいろんな要因がからまっていて、でも、それを一言でいってしまえば、単に「流れた時間」が「情がうつる」を作った、ともなるのではないか。乱暴にいってしまえば、時間を共有さえすれば、好む好まざるにかかわらず、情とは「うつってしまう」、そんな特性があるのではないか。最近、気がつくと、ぽよよよよ~んと、そんな考えがアタマのなかに出現している。なお、情がうつる。は、人間関係の最強だとも、思う。

9月4日の夜の記

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抗がん剤×副作用×しょぼん

先週の検査にて、親父様、また病、進行の診断をされる。(腹膜が痛いと本人の自覚が前よりあったとおり、CTを撮った結果、肝臓の腹膜にくっきりと、その影が映っていた)。担当医師からの投薬変更の言を受け、本日はその点滴を受ける。▲先までやっていた抗がん剤は、その前のものよりも、じわじわと副作用がでていたようで(つまりすぐに副作用がでないため)、「なんだ、こっちの副作用は軽いのか」と当初思っていたが、これ、副作用の症状が違っていただけらしい。(じわじわ出る分、長引くようだ)。食事はまあまあ摂れるけれど、下半身がふら付き、末端の神経がちょっとやられる感じ(の印象)。そして頻りにヨダレがでる。(最初、このヨダレを、副作用ゆえのものと思わずに、からかっていたのだが、どうやら、薬のせいであるようだった。喋っていて、だら~っ。歩きながらも、口を開けば、だら~っ。という具合に。確かめたわけではないが、本人にはヨダレの出る自覚がないような)。▲今回からの抗がん剤は、先の前までやっていた薬を、1種減らし、投与するというもの。「同じケースで投与して、効果がある患者さんもいる」と担当医。ともかく、最低4回は、この投与が続く。(隔週で4回投与する。のち、CT検査。というのが、パターン)。この1種減らす薬というのは、自宅でやる48時間の点滴で、これをしないがために、当分は、点滴を抜きに行く必要はない。つまり、いつもは火曜に入れて、木曜に抜きに行く(ついでに栄養剤の点滴をしてもらう)のだけど、この木曜の病院通いがお休みになるわけだ。

と、これを書いている、只今、9月1日の昼前、爺さん、「目が舞った」と、畑から帰ってきた。(おととい(点滴の翌々日)の午前には、畑でふらついて転んだとか)。▲そりゃ、そうである。昨日は抗がん剤の副作用のため「気持ち悪い」と一日中、眠り、やっとやっとお粥を食べられるくらいであったのに、足もとフラフラの本日(9月1日)、「仕事がある」からと、無理して畑へ出たのであるから。(母様から、「お父さん、畑に来ないよう、見張っといて」と頼まれていたが、止めて言うことを聞くようなヒトではない。(と思い、強く引き止めなかった我)。「ワシがいかんと、ダメ」と、出かけて行ったのである。▲帰ってきて、しゃぼん。倒れた折、傷のついたらしいサングラスを触り、しょぼん。お茶を飲み、しょぼん。イスに座って、しょぼん。しょぼん。しょぼん。しょぼん。。。。。 しょぼん。なにを思うぞ、爺さん。▲・・・・・・と思っていたら、わたしがこれを書いている部屋にやってきて、二、三、言葉を交わし、「ワシ、せんなんこと、いっぱいあるなぁ」と呟いたのち、どこかへ消えた。・・・・・・・てっきり別室で休憩しているかと思いきや、今、様子を見に行ったら、出かけた形跡あり。草履がなくて、自転車もない。ぐぅ。畑へ行ったのであろう。

9月1日の昼の記

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はぁ、ひぃ、ふぅ(軽症)

はぁ、はぁ、はぁ。ひぃ、ひぃ、ひぃ。ふぅ、ふぅ、ふぅ。妊婦さんのナントカ呼吸法ではない。先の土曜あたりから、ちょーい、危険な香りが漂っており、しかしなんとかもちこたえ、日曜を過ごし、月曜の朝に至っては「イチゴの苗の植え替え」を手伝ったりもしたのだが、その後、すっかりダウン。朝ごはんのあと、ずうっとダウン。はぁ、はぁ、はぁ。ひぃ、ひぃ、ひぃ。ふぅ、ふぅ、ふぅ。精神がいたずらにダーク世界に遊びに行ってしまう。耐えるため、ひたすら、寝る。

(その後、火曜あたりから、徐々に生還)。

9月1日の昼間の記

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日和見な感想

先ごろの、警官が女性を射殺し、自分も自殺した、という事件。あきらかに、誰がどー見たって、絶対に、男性に非はある。だけどなぁ、どうも、わたしゃ、殺された女性にも「そうなるべき」一因があったのではないか、と思えてならん。

これは、わたしが異性づきあいに関して「潔癖」過ぎる〔*1〕からなのかもしれないが、加害者とされる男性と、被害者とされる女性、どちらもが“加害者”であり、どちらもが“被害者”と、見えてならんのだよ。

*1 この場合、特に、「金銭のために男をたぶらかす女を嫌悪する」という、わたしのなかに存在する、卑しい「潔癖さ」をいっているのである。ほんとうは、「男をたぶらかす」才能のある女性の魅力をわずかにでも齧り取りたい願望が、わたしのなかにあるかもしれないのに。

例えば、勤務する“飲食店”(わたしの想像であるが、体を売らずとも、「女性」という性を売り物にするお店 〔*2〕のことなのだろ? 世に言う「キャバクラ」のこと?)で出会いながら、女性は両親に「(この迷惑な男性とは)飲み会で知り合った」とウソをついたあたり、自分の非や負を隠して〔*3〕、自分を100%の被害者として自分以外の人間に説明する姿勢は、ムシがよすぎる。とも思ってしまうのだよ。「行い」と「責任」のバランスが不均衡。自分への責任が希薄なのだ。とも言いたくなっちゃうのだよ。言いすぎ?

*2 そういう所に勤める限り、異性トラブルに巻き込まれる可能性は覚悟すべき。なんて発言をしてしまう、薄情なわたし。
*3 “飲食店”イコール非や負といっているのではない。彼女が両親にその仕事を話せなかった限り、彼女自身のなかに、その仕事を非や負ととらえる感覚があったということ。

例えば、ただただ「男性はストーカーだった」となっているけれど、女性が男性警官に送ったメールのなかで、女性は「~ちゃん」と相手のことを呼びかけていた〔*4〕。(←テレビによると)。実際、この二人がどこまでの関係かは知る由もないけれど、「二人の進展具合がいかほどか」なんて客観的事実は、ある意味、無意味といえる。ましてや、当事者には、まったく関係ないのである。他人から見たら、「単なる片思い。片っぽだけが騒いでる」状態であろうと、男性にとっては、正真正銘の恋だったのだろう。そして、「絵のなかの女」に惚れたわけではなく、惚れるには惚れるだけの動物同士の経緯があった。いや、惚れたのは“瞬間”かもしれないが、ともかく、女性の側も、なんらかの反応をしたこと(してきたこと)が、この警官の恋心を深め、また、歪めさせたのだ。短絡的な想像をするならば、“飲食店”に勤めていた女性が営業上の目的で、男性警官に“恋人の端くれ”のようなフリをしていた時期もあったのだろう〔*5〕。

*4 絶対とはいえないけれど、女性が男性を「ちゃん」付けしていたあたりに、親しさが見てとれる。また、友達という間柄から始まった関係でもないのに、女性が男性を度々「~ちゃん」づけしたら、その他の要因も絡まって、なかには“舞い上っちゃう”男性もいるのでは? 

*5 もちろん、これは女性にとっての「仕事」なのだから、彼女の道徳観を責めるのは、スジ違いかもしれない。また、これに“ころっとイッちゃう”男性側にもモンダイはあろう。なお。知り合いに、二十代のとき、キャバクラ嬢に入れ込んだあまり、「自己破産」に至ったヒトがいる。「え~っ、このヒトが~!!!」というような人物である。男女の世界、キャバクラは、「魔」である。

日本人は「死んだヒトを悪く言わない」習慣があるから、また、「公職人をタタクのは楽(楽というのは、ちょっとニュアンスが違うか)」だから、ひたすら問題を起こした男性警官や、その上司・警察組織にばかり、非難の声が集まってしまうのだろうか。

モンダイは、「警察組織による、個々の警官のプライベートの把握」なんてコトじゃない。また、単に「ストーカー殺人」とされるのでは、この警官が、あまりに忍びないと、わたしは思ってしまう。思いつめた恋心を、流行の言葉「ストーカー」で片付けられたのでは、この警官をはじめ〔*6〕、世の純朴な男性たちが浮かばれんよ〔*7〕。

*6 この警官が純朴であったと断言するには、材料が足りない。とは思う。
*7 「純朴な女性」というケースもあろうが、今の時代、したたかさにかけては、総じて、女のほうが勝っていよう。純朴な男性はうじゃうじゃ居そうだけど、純朴な女性は天然記念物かもな。

しかし、はて。もしも、この事件、「キャバクラなんかで働いて、男をたぶらかしていた女が悪い! そうだ、そうだ!! この男性警官に同情する~」なんて世論が持ち上がっていたなら、上記〔*1〕のようなわたしの潔癖さなんて、どこかへ吹き飛び、わたしは全然ちがった感想をもっているかもなー。日和見(天邪鬼の日和見)というのではなく、なんといおうか、ぶつぶつぶつ……。


****おまけ****
本日の日記のあたまに、“飲食店”に勤める女性に対しての冷たいともとれる見方を示したが、ここに、わたしの頑なさ、ゆうずうの効かなさ、人生への弾力のなさ、が現れているだろう。 

余談だが、過去日記にも書いたとおり、「娼婦貴族」という生き方に、わたしは憧れている。それを体験せぬ限り、一生、憧れ続けるのであろう。


8月30日の夜の記

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ゴム草履もしくは素足

最近、あちこちで紹介されているらしいゴム草履。あれれっ。一見、この夏、我も履いているサンダルのことか、と思ったが、よくよくブランド名を見たら、ちがっていた。しかし、まあ、そっくりである。■我がゴム草履、履き心地がたいへんよろしい。「デザインが可愛い」という向きもあるらしいが、我は、そうは思わんなぁ。ただ、軽くて、足にフィットして、雨にも負けない! というのが利点である。畑へ行くときも、庭の水やりにも、今や欠かせない履物だ。■クールビズとやらを推奨するのもいいかもしれんが、「足元 ゴム草履 or 裸足」 計画を、ぜひぜひ、ニッポン全国、強~く推したい気分である。裸足で外を歩くのって、気持ちイイよなぁ。(砂地の畑や、ちょっとしたコンクリートの上で、たまにわたしは裸足になる)。足裏から脳天に伝わる、たしかな快感! また、畑から帰ったあと、庭に出たあとなど、いっつも、わたしは家の外の水場で足を洗うのだけど、これがまたいいの。特に暑い日は、半分、水浴び感覚で。(…井戸水なので夏は冷たい!)。屋外で足を洗っていると、これまた至福の感覚がやってくるんだなぁ。■えーいっ、野生児の話になってしまったか。

8月30日の深夜の記

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悲しみ連峰

「悲しみをひとつ超える」というのは、たいがい、「悲しみを乗り越えた。克服した」という意味にとるのが正しかろうが、いや、「悲しみがずんずん進んで、次の悲しみの地点に到達してしまった」(悲しみが連峰のように連なっているとするならば、次の山を登り始めてしまった)という解釈もあるんだなぁ。なんてことを考える。

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誰もワシに感謝してくれん (嘆き男)

またまた朝の2時半頃から起き出して、なにやらやっている爺さん。見ると、金庫を開け、祖母名義の株券やらの整理をしておった。それから、先日の下書き文章なども出して、にらめっこ。昼間は昼間で、法律の本と、にらめっこ。「あんたさん、これはプロに任せることになったのじゃないの?」と我が声をかけるも、「任せるには任せるだけの材料を整理して渡さなきゃ、ならんだろう」の返事。(ま、分からんでもない)。しかし、母様の言い分はこう。「あんたがきれいすっきり整理して、あとは“ちょちょいのちょい”でできる段階にして渡したら、プロに頼む意味ないやろ」。(んー、ごもっとも)。株券については、「これは(土地問題と)違うから……、こんなもんまでプロに頼んだら、また金がかかる! (だからワシが担当する)」と爺さんは言うが、そばには過日のものらしい「税理士の領収書」もある。そうなんじゃ、多少お金がかかろうと(そもそもそのお金は爺さんが出すんじゃないし)、「本当にやりたくない」なら、爺さんはこれらの仕事(母様方の財産管理)および、その他もろもろ、母様方の実家に関する仕事一切から手を引けばいいのだ。そうしたからといって困る者はおらず、(いっときは混乱することもあろうが、やがては収まるところに収まるはずだ)、むしろ、爺さんの疲労を軽減できて、母様は、一安心だろう。ぶふぉ。基本的には、「疲れる、疲れる。けど、こんなにワシが頑張っても、誰~も、ワシに感謝してくれん。それどころか、みんな、ワシに文句ばっか言う」と嘆き、それでも、なお、言い足りず、「○○家(母様の実家)の人間は、み~んな、怠け者だ」とまで、平然と言ってのける(もう毎度のこと)爺さんに、わたしは微塵も同情を寄せていない。(むしろ辟易)。ただ、人間には、それなりに「生きがい」が必要だから、この仕事を爺さんから取り上げるのは酷だなぁと思う面もある。しかし、しかし、爺さんを応援するようなことを言うと、「よっしゃ!! ワシ、ますます、頑張るぞぉぉぉ~」と、増長するのが、目に見えているので、それもできない。というわけで、できるだけ普段は「見て、見ぬふり」をしている我であるが、今日は言っちゃいましたよ。「あんたがせんでもいいの!」と言う母様に対して、「ワシがやらんで誰がやる? ワシしか、どこに何があるのか、何がどうなっているのか、そもそも、何があるのかさえ、ワシ、しか、知らんのだっ!」と爺さんが言い返すので、「いい~んじゃな~い。どこに何があるか、わからんで。なにがど~うなっているか、知らないで。そのうち、代が変わって、子孫がごろごろ増えて、誰~も、な~にも、分からない。財産は自然消滅ってことで、いい~んじゃな~い」と我。(←本心でもある)。はぁ。この「ワシがやらんで誰がやる」は、爺さんの目が黒いうち、続くであろう。(なお、こんな話を書くと、スゴイ財産があるのか?と誤解されそうだけど、そうではないだろう。庶民が庶民レベルで騒いでいるだけの話である。わたしには関係のない話である)。

8月27日の夜の記

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北あかり(ジャガイモ)

ジャガイモを植える日。3人体制で出動したが、ま、思ったほどの量ではなかった。我は耕すのをちょこっと手伝っただけ、あとはそばでちょろちょろ草むしりなどをしておった。
SN340082.jpg  ←過日まで「ニンニク」と「スイカ」の植わっていたところ
SN340085.jpg ←母様と爺さんの流れ共同作業で植えていく。

ところで、「種イモ」にするジャガイモは、気候と収穫・植え時の関係で自家製が難しく、北海道産を使用。爺さん、聞くところによると、昨日の大雨のなか、わずかな晴れ間を見てホームセンターに種イモを買いに行った はいいが、帰り道で見事、雨に降られ、びしょびしょに濡れて家にたどりついたそうな。健康なヒトならいざしらず、この執念(明日はイモを植えるのじゃ! だから今日じゅうに買いに行かねば!)は命取りにもなりかねん。(ただでさえ体が弱っているのに、肺炎にでもなったら一大事である)。しかしなー、「ヒトの話に耳を傾けない」どころではなく、母様にも告げず、大雨の日にふらっと一人でお買い物に行っちゃうのだから、……しかもこれは何ら特別なことでなく、毎日が「こ-ゆーようなこと」で成り立っているのだから……、こりゃ、もう、彼の身に何が起ころうと、家族は納得するしかないのだろうなー。
SN340084.jpg ←「地層」ではない。畑を真上から見たところ。中央左が「種イモ」。無意味な写真。
品種は「北あかり」。近年、親の家では、「北あかり」の人気が高い。知っているヒトは知っているだろうが、黄色くて、ちょっとの加熱ですんごく柔らかくなる、おイモの味がしっかりとした、名高い品種なのである。 


話は変わって。どこにも行かぬまま夏が終りそう。せめて「日帰り京都旅行」くらいしようと、18切符の個人取り引きのサイトで見つけた方に申し込みのメールを出していたのだが、残念、「もう決まっちゃいました」のお返事が。もちろん、自分で「売ってください」の欄に書き込みしたり、他の「売りたがっているヒト」にメールすることも可能だが、「これが当たれば、もしも当たれば、旅行しよう」くらいの気持ちだったので、18切符の購入は止めにした。


8月27日の夜の記

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みじめの素=〇(ゼロ)

目覚めたら、夕方。はふっ。(久々に雨が降ったようで、気温もぐっと下がり、安眠。「膀胱における妨眠は依然あるが、キチガイになるかのような暑苦しさはなかった」の意味ね)。■あああああ、気持ちいいなぁと、窓を開けていたら、ごぉぉぉぉぉぉと、豪雨。インターネットをつなげるのも数日ぶりで、あちこちHPやブログを覗いたりしていたら、あっという間に時間が経つ。こういう時間って、無限にあると、「日本の水道水」のような感覚になってしまうが、たまにだと、お金を出して買う「ミネラルウォーター」みたいな貴重さが漂う。■親の家に帰る前、金沢駅でなにか食べようと思ったのだけど、げげげ、お財布を見たら、最高単位のお金は100円玉。しかも2枚のみ。あとはちょろちょろと、10円玉、5円玉、1円玉。ギャルの巣箱のようなマクドナルド店内で、200円を使って、食事。みじめではない。だって、みじめ、というのは、その前提になるべく(たとえば、「こんな若い人々のなかで、唯一人、彼女らの母親のようなワタシが混じっている。ああ、しょぼい夜」とか、「ほんとうは2万円の夕食、無理でも2千円の夕食を、食べたいワ。なのに100円バーガーと、100円の飲み物で済ます、貧乏なワタシ」などといった)「みじめの素(感情)」がなくては成立しないのだと思う。■ぐふーん。少なくとも、今のわたくしには、そういった「みじめの素」は、ひとかけらもない。ひと言でいうと「世間とズレている」となるのだろうが、ま、いいのだ。どんなヒトビトのなかにいようと、どんな安っぽいものを口にしようと、そんなことは気にならんのだ。■最終の列車で、親の家に戻る。(親の家に着いたのは23時頃。ローカル線の時刻表が、いかに早い時間で終わっているか、これで分かるだろう)。ふふふ。

8月26日の早朝の記

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B面よ

セミ、泣く夜。ただいま8月21日25時25分。金沢。セミ1000匹の大合唱のなかでも眠れるほど眠いけれど(きのう・・日付上はおととい・・の午後から起きているので)、ま、日記を書いておこう。■病院Day。昼食をとりに入った喫茶店、人生記録に残るほど、しょぼかった。爺さん、そうめん。我、アイスコーヒー。それで千円以上すんのよ。どーよ。どーよ。どこか間違っている。(しょぼいから、安い。は、分かる。しょぼくないから、高い。は、場合によって許す。でも、しょぼくて、高いって、どーよ。どーよ。)。■夕方、金沢へ。ひとりで飲む酒、最近はチューハイがマイブーム。ちょっと、今、酔っ払いの日記である。■最近の日記のなかで、「わたしらしさ」を口にすることの云々、を書いたけれど、ぐふふ、書き忘れていたかしら。わたしだって、なるだけ見ないようにしてきたけれど、「わたしらしさ(B面)」を大切にしたいという願望は、もっているのだと思う。降りて行きたい。登って行きたい。歩いて行きたい。わたしらしさに。わたしらしさの道を通って。■ときどき以上、毎日以下、読んでいる、よしもとばななさんの日記。(プロの作家でありながら、web上で、あんなに素晴らしい日記を書いていることを、ほかのプロの作家はいかように思っているのだろう?)。このごろ、えええ、口にするのは大胆すぎる(だからほとんどの人間が口にしない)こと 人生でほんとうに双方が恋愛だけのための恋愛におちるどうしようもない相手にはたった一人出会えるか、もしくは出会えない、そのくらいの確率でしかない。そういう人と結婚できる確率なんてほとんどゼロだろう。(2007年8月3日より抜粋) 私は飲んだり食べたりするのが大好き、お金も好き、快楽が好き、おしゃれが好き、高いレストランも高級なホテルも大好き、もちろんセックスも大好きさ。でも、そのために生きているんじゃない。それだけは言える。弱いしすぐ逃げるし怠けるのが大好きで寝てばかりいるし、だらだらするのが大好き。でもそのために生きてるわけじゃない。そのために生きているにどんなに限りなく近くても、絶対違う。(2007年7月30日より抜粋) を、さらっと日記に載せることが続いている、ばななさん。■今宵は、このばななさんが深夜のラジオに登場さっ。■あー、ばななさあああああ~んと、菊地成ちゃわわわわ~んの、お喋りラジヲが始まるぅぅぅ。(というわけで、尻切れトンボ日記、で、ござる)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記(8月26日の朝の記) 

睡眠不足。酔っ払い。のため、このラジオを30分ほど聴いただけで、睡眠界へ出かけてしまった。(気がついたら、番組終了の数十秒前!)   2時間番組なのに。。。  これ、今夏「最大」のお楽しみ!だったのに。。。   わざわざ、これを聴くためにアパートに戻ってきたのに。。。 

と、いうのは、実は想定内であり、その対策として、ふふふ、I Cレコーダーに、ちゃ~んと、番組を録音したのだよ   (翌日、音が録れていることも確認!)

と、いうのは、わたしとしては「デカシタぞ」な計らいであったのだが、後日、レコーダーを再生しようとすれど、すれど、ど~したことか、再生できないっ   なぜなんだ~。

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差し歯をお忘れ

本日も夜明け前から「ご出勤」の準備をしている爺さん。居間のテーブルに「歯」らしきもの(どーみても「差し歯」だ。彼は「差し歯+入れ歯」の人間)が置いてあったので、「あんたさん、歯をお忘れではありませんか?」と声をかけるも、準備に夢中でそれどころではないらしい彼は、いっとき、口内を確認したうえで、「ん、大丈夫。はいっとる!」と返事をなさる。「でも、それらしきもの置いてあるよぉ」といっても、「それは歯じゃない」と、みじんも疑いなき返事。(「入れ歯」が入っているだけで安心し、「差し歯」の存在を忘れているようだ)・・・・・・・・ときは経ち、爺さんが畑に出勤され、母様が起きてきたので、その話をしたら、「これが歯じゃなくて、なんなのだろうねぇ。そうだ、じゃあ、隠しておこうか!」と母様。「うん、うん、今日はゴミの日だよね。捨てたってことにしようか!」」と我。・・・・・・・・・ときは経ち、畑から戻った爺さん。あんぱんをほうばっているので、「どう?」とお味を尋ねるふうな質問をしてみたら、「な~んか、口のなかに引っ付くなぁ」(天然酵母をつかった長期保存可能なパンのため、生地の食感が、いつも食べているあんぱんとは違うから?)の返事のみで、まだ、歯のことには気づいてない様子。・・・・・・・・それからほどなく朝食となり、最初はいつもどおり食べているかに見えたのだけど。。。。。突然、箸を置き、黙って席をたつ爺さん。しばらくのち、食卓に戻り、「おい、ワシの歯、知らんか?」とおっしゃる。(居間のテーブル=食卓に「歯」がないので、自分が普段モノを置きそうな場所を家中探したあげく、の、お尋ねらしい)。「あんた、さっき、朋ちゃんに聞かれたとき、『あれは歯じゃない』と言ったらしいね」と母様が答えるので、我も「うん、そう言われたから、処分しといたよ」と応戦。爺さん、“半分、今にも怒りだしそうで、半分、困惑の顔”をして、「で、今はどこにあるの?」と聞く。「今日はね、ゴミの日だから、ゴミに出しといた。あっち(ゴミ集積所の方面を指差し)にあるわ。まだ集めに来ておらん時間やから、あるやろ」。母様と我、もう笑いをこらえるのに必死であった。

先日、爺さんは「秋野菜の苗、分けてあげる。苗の種類別の地図を書いておくから、好きなとき勝手に持って行っていいよぅ」と、近所の農家のヒトに言っていたらしいのだけど、どうも、その地図を読み間違えて、農家のヒトは苗を持っていったらしいことが、本日、判明。(たとえば、サワーキャベツの苗と、寒キャベツの苗、ある程度大きくならないと、見た目は「キャベツ」以上の区別がつかない。これ、農家のヒトが「地図の東西」を読み間違えとたというよりも、地図に方向のしるしがされてなかったのだから、地図そのものが「待った」なのだよな。「あんた、こっち海側、こっち山側、と書いておかんからやろ」と母様が諭すも、爺さんの言い分はこう。「そんなもん、書かんでも、わかるやろ」。(わかるわけ、なーい)。

そう、世界はワシを中心に回っている。を臆面もなく表現できる、幸せな爺さんである。

彼はやることが几帳面な割に、「抜けている」ことも多い。歳いってますますその傾向は強まっているかも。後日談。さらに別の農家のヒトに苗を分けてあげる際、爺さん、また地図を書いていたのだが、そこには「←山」「海→」のしるしが、ちゃんと記されていた。いちを反省はするのである。

8月23日の夕方の記

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膀胱が加齢してます

寝ても、寝ても、ぐっすり眠った気のすることが、ほとんどない。この原因は「膀胱のモンダイ」にもあるのでは?と、遅ればせながら、気づいた。▲もうじき40歳になる身。お愛想で「中年」という言葉を使うこともあるけれど、実のところ、わたしは、十代からの延長、二十代からの延長の体だゼ、ちっとも、ぜんぜん、中年なんかじゃないゼ、という思いが柱のように備わっている。▲しかしですよ、尿がですね、今、思い返せば、昨年あたりから「どーも、おかしい」。極端な言い方すれば「寝ているあいだのほとんどの時間が“尿意”をもよおしている」らしいのである。やっと眠りに入っても、すぐに尿感覚で目が覚める。それがあまりに頻繁のため、トイレに行くのが面倒くさく、尿意を無視してそのまま再眠入して、また、じきに目が覚める・・・・。の繰り返し。「ああ~ん、ゆっくり寝かせて欲しいんじゃ」と、膀胱に文句を言いながら、起きてトイレに行くこともあるけれど、その後、眠りに入っても、やがてまた、尿意に起こされる。この繰り返しなんである。 眠りから覚めて「尿意のない」ときは、ない、かもしれない!。▲これを、世間では「頻尿」というのであろうか。考えてみれば、起きている時間帯のトイレも、頻繁になっているような。そして、やや我慢してからトイレに行ったつもりでも、「ちょっぴし」しか、おしっこがでてこないのである。▲うーん。わが体、本人の意思とは別に、確実に老齢の途をすすんでいるのか。

真夜中、山側の空が、すんごいことになっていた。線香花火の光の放ち、そのパーツを、超拡大し、ややスローモーションで見せられるような、雷のショー。休むことなく、3時間前後は続いたろうか。その間、「ピカ、ゴロゴロ」じゃなく、遠くから低ぅく唸るような「ゴォォォ」という響きがかすかに聞こえてくるだけ。見とれていたら、その脇で、流れ星が走った。

8月22日の夕方の記

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