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日記を書く など

そもそも日記を毎日書かなくなったのは、ネット環境の不備からであった(*)が、「ため書き」の習慣がそれなりに身につきつつある今は、“環境のせい”というよりも、“気持ちのうえ”で、毎日書くのがしんどくなってしまった、というのが妥当かも。いや、「しんどい」という表現は的確ではないなぁ。まぁ、いくぶんそっち方面の心もち、ということね。■なんかさぁ、その日にあったことを書くのは、日焼けして、赤ーくなった皮膚を、その日のうちにごしごし磨くような感じでもある。そして、数日置いてから書く日記というのは、肌の炎症も少し落ち着き、手で触ってみても、当日ほどの過敏(痛み)がなく触れられる、といおうか(よう分からん表現か。とにかく最近はそういう感が強いのだ)。。。。 「毎日の筆を折らす」ような、何か格別なことが我の身に起こっているわけではなーい。基本的には、1年前とも半年前とも変わらぬ日々だ。ただ、「毎日、日記を書く」習慣を一度でも脱すると、こういうふうな「自分×日記」感覚になるんだなー、という発見の話。■雨の日も嵐の日も、散歩の日もひきこもりの日も、美女と会った日も小腹だった日も、くる日もくる日も、休むことなくweb日記を書いておられる兄さんがいる。尊敬に価する。内容がおもしろいのは勿論のこと、こう毎日(深夜の更新)日記を綴られると、“更新”それだけでも、こちら読者としては、不思議な安心感を覚えるのだ。(毎日、ほぼ一定の時間帯に更新されることで、「ああ、地球は今日も回っていたのだな」という心理的な確認もできる)。そういう意味でも、兄さんの日記はご自身が気づいている以上に、世に貢献しているのである。■さて、話は変わる。わたしは(も)、たんたんと、しずかに、でも時々中身は熱く、今後もweb日記を続けたい。

(*)親の家でネットをするには、ダイヤル回線を利用することになるのだが(1回線しかない)、昼間はどこかから電話があるやもしれぬと、落ち着かず、夜は夜で、別室で利用しようとも、ダイヤルアップすると必ず、両親の寝室にある黒電話がリンリンなる仕組みになっており、これまた親の睡眠の妨げになると、落ち着かないのである。。。。。 うーん。親の家にネット用のケーブルを引けば済む話なのであろうが。。。。。 今後の使用頻度が未定のため、工事費&維持費を考えると、はて、はて、はて。。。。。


8月19日の深夜の記

夏野菜の天麩羅

昼寝の途中、トイレに起きたら、同じく昼寝をしていたかのように見えた爺さんから声をかけられる。「おい、お前、今晩、夕飯食べるのか?」「当たり前やろ、食べるわ」「天麩羅食べたくないか?」「うん、いいね」「ナス、ピーマン、カボチャ、サツマイモ……(延々続く)」の会話のあと、我、昼寝に戻る。■夕方になり、昼寝から覚めると、母様に「ともちゃん、天麩羅食べたいの?」と尋ねられる。どうも、聞くところによると、我が寝ているあいだ、母様が爺さんに「今夜はゴーヤチャンプルね」と話したら、爺さん、ふくざーつ、な顔をしていたのだと。さらには「ともみが『天麩羅食べたい』と言っとったぞ」と告げたのだと。ぐふんっ。自分が食べたいのなら、素直に食べたいと言えばいいのにねぇ。■連日の猛暑と、抗がん剤の副作用で、おそろしいほどに食の細くなっていた最近の爺さん。今晩は、珍しく、美味しそうに天麩羅をパクついていた。星のマークのBeerも飲んで。(普段、母様が爺さんのためにあれこれ工夫して食事を作っても、おかずによっては「固い」などと言って箸をつけないこともある。それが何故か、天麩羅ならば、いずれの食材も美味しく食べられるらしい)。■ゴーヤ。みょうが。ネギとエビ(かき揚)。の天麩羅が、わたしの舌には、特に美味かった。


8月19日の深夜の記

かつて「黒人より黒い!」を自慢していた

いつも朝の3時前から起きている。暗いうちからもぞもぞやっている。・・・・・爺さんの話は何度か日記にも書いたが、この爺さん、今夏は、玄関のポーチに置いたイスに座わるのがお気に入りのようで、朝昼夜を問わず、たとえば朝の3時台からも座っているのである。母様は「そーんな暗いうちから座っていたら、新聞配達のヒト、気持ち悪がるわ」(朝の3時台に新聞は配達される)というのであるが、爺さんと我は、どうもそういう常識に欠けるようで、我は「いつも座っているヒトがいないと、逆に、新聞配達のヒト、あれっ?と心配するんじゃないの」と、ちゃかし、爺さんも「うん、ワシ、いつも暗い中で、新聞配達のヒトに、お早う~、と、挨拶しとるの」と返す始末。■ふふふんっ。暗いなか、玄関の前(庭先)で、隣にサイドテーブル(実はベーベキュー用の台である)を置き、むしゃむしゃ、お目ざの食(たいていは、パンと飲み物)を食べて、まだ暗いうちから、納屋と車庫を往復し、ごそごそと、出勤準備を整える爺さん。そして日が昇るか登らぬのうちから、畑にご出勤。というのが、彼の日常。(まだ薄暗いなか、出勤することもある。。。先日も夜が明けぬうちから畑に行っていたらしく、あとで「暗くては仕事にならんでしょ」と尋ねると、「いーや。ちゃんとロープを張ってあるから大丈夫。見えなくても、ロープを伝って、○○や○○の仕事ができるの!」だと。ちなみに「ワシより早く畑に来とるヒトもおる」そうな)。■と、こんな具合であったり、健康なヒトが悲鳴をあげるような重いモノを、一人で持ち運びする爺さん。これ、ほとんど「気力」なのだろうと思う。2年前まで「黒人より、黒い!」を自慢していた彼の腕には、そこそこ肉がついているけれど、足はね、「骨に皮がついている」といっても過言ではないほど、痩せてしまって。■今夕も、「明日植える予定の土壌」のウネ作りを一人でしていた爺さん。(母様は爺さんがそこまでの作業をするとは思わず、別の畑へ移動。我は爺さんと同じ畑にいたが、彼の作業を無視して草むしりしていた)。■「少し前までは、こーんなもんくらい、さっさっさとやったのになぁ」。ときどき、爺さんは、しょんぼりと漏らす。誰よりも、その体力の衰えを知っているのは、爺さん自身である。日が暮れてしまうまでもの時間をかかって、ウネを一人で造りあげた爺さんであった。■翌日の朝、そこに、サワーキャベツ(葉が柔らかい)、寒キャベツ(雪の時期に収穫)、ブロッコリー、スティックブロッコリーを、無事、植える。(これまた、学校給食ですか、の量)。


8月19日の深夜の記

朝顔カーテン

久しぶりに、玉川図書館に行く。朝顔カーテンが完成していた。うーむ、伸びる、伸びるよ、朝顔のツル。(図書館の中庭側は一面のガラス張りになっているが、そこに、ずら~っと朝顔を植え、そのツルを天高く伝わせ、遮光の助としている)。結構、壮観! 窓辺にはソファも置かれ、活字に疲れた目の保養にも大グッド。■最新の『ユリイカ 臨時増刊号』(大友良英の特集)を読む。そのなかに、かなりの頁を割いて成ちゃん(菊地成孔)との対談があるのだが、いやぁ、あらためて、成ちゃんのナルシストぶりに触れ、脱帽。ぐふふ。一般には「ナルシストなんて、ゲヘッ」だが、成ちゃんの場合は、「うん、うん、うん。そうだよね」と納得させられる、なにか、が、あるんだよね。天才だからこそ許されるナルシストというか、成ちゃんのこの天才性とナルシストぶりは離別することができないというか。■対談のなかみは、「美食」をテーマにしているのだが、こりゃもう、成ちゃんの十八番。(彼の生家は料亭であり、食についての知識が並ハズレじゃない。自分の足で国内外の名店を発掘するだけでなく、ご自身の料理の腕もプロ級らしい)。大友さんを差し置いて(?)、しっかと、随所随所で、自分アピールをしている成ちゃんであったが、……というか、「ワタシ」アピールをしているようであって、あれれ、気がつけば、さりげなーく、大友さんを語り、大友さん自身も忘れているような、ともに過ごした時間を面白可笑しくかつ細部鮮やかに語っているのであった。やっぱ、天才! (凡人ではいくら練習してもこんな話の技は習得できんだろう。成ちゃんは天然でこれをやってのけるのである!)。■水シャワーを何度も浴びた日。夜の列車で親の家に戻る。

8月17日の深夜の記

こういう日はホットに限る!(贅沢気分)

朝方、就寝。猛暑の刑を受けつつ、眠る。途中、あまりの暑さにやけくそになり、水を浴びる。(良い子はマネしちゃいけません。ヘタしたら、命をおとしかねません)。これ、「あちー」と目覚めるたびに、ボトルに入れた水道水を、布団のうえにて、頭からかけ、またネグリジェにかけ、はぁ、と息をついてまた横になる。扇風機の風が、濡れた髪や体をなで、しばし、暑さを忘れさせてくれる、という仕組み。ぐふんっ。実はこれだけでは足りず、シーツの上に、水をばらまく、という荒行もしたんだけどね。ちなみに、ボトルの水は、じきに、ぬるま湯になってしまい、この水を浴びるだけでは「涼し~い」感は得られない。■夕方の起床。(昼間、熟睡できないのなら、とっとと起きて、涼しい場所に避難すればいいのに、どうも、そういう「当たり前」ができない!)。暑さが少し和らいでから、コーヒー屋へ。「こんな日にアイスコーヒーではつまらんな。やっぱ、ホットコーヒーを飲んでこそ、冷房の室内にいる極楽度が増すものよ」と考え、わざわざホットを注文。(まわりの客でホットを飲んでいるヒトは誰一人としておらず。そのせいか、注文してから、コーヒーが出てくるまで、たいそう時間がかかった)。■夜になり、気温はうんと下がったが、部屋にこもった暑さは健在。食器棚のなかのグラスをにぎったら、「なんじゃ~、こりゃ~!!」と、飛び上がりそうなほど、熱々グラスとなっていた。

8月17日の深夜の記

夜更けのマンゴー

半月ほど前に、2つ買ったはいいが、食べきれずに、カットして冷凍庫に眠らせていた、アップルマンゴー。本日の深夜、ちょびっと溶かしたそれを食してみた。これが、イケる! 常温でパクつくのもイイが、半冷凍のマンゴーは「またちょっと違った品」になり、官能的なおいしさがしみ出でる。昼間の味じゃあ、ないですな。そう、闇のなかに紛れるに相応しいお味。ひとつ注文するならば、お供にシャンパンがあれば、なお一層、至福の世界だろう。

夜、久しぶりに、アパートに戻る。

今夏のラジオ体操が終了したからと、昨日より親の家に泊まりにきていた甥2人。最近、我、これまで以上に心の余裕がなくて、また「先日も体調不良をぐっと堪え遊んでやったではないか」という(大人の身勝手な)思いもあり、昨日からずっと彼らを避けていた。しかし、本日起きると、そんな我の思いなど気にもせぬ彼らは「わぁ~、ともちゃ~ん」と、トイレまで覗きにくる始末。もちろん、彼らの目的は「遊び相手」の確保なのである。わたしは子供を育てることに憧れのようなものがないではないが、あらためて、自分にはムリだなぁ、と思った本日。虐待をしてしまいそうだもん。「暴力」による虐待じゃなくて、精神的な虐待ね。「子供が邪魔で、おとなしくしていてくれるなら、愛ではなく、モノやお金で解決してしまおう」という方向に走ってしまいそう。叔母バカな言い分ではあるが、甥たちは聞き分けのいい子供たちなので、(姉がいつも、どんな細かなことでも、誤魔化さず、ひとつひとつ子供が納得するように、説明している。その効でもあろう)、「今はあんたらと遊ぶ余裕がないのだ」と我がちゃんと説明すれば、彼らも我にまとわりついてくることはないのだろうと思う。しかし、それすら、億劫な我。ふうっ。しばしば我が冷徹な言動や振る舞いをしても、子供らしい奔放さで、懲りることなく、慕ってくれる彼ら。けれど、その裏で、我の言動ひとつひとつが、甥たちの心に蓄積されているのだろうとも思う。(実におそろしいことでR)。子供だからこそ、大人の心の波動を感じやすい。ともいえる。


8月15日深夜の記。(時系列の逆「深夜→夜→昼」の日記としてみました)。

お盆です

親父様の妹夫婦と一緒に、親父様実家の墓参り。(まったくもって余談だが、親父様の爺さん、つまり我の曾爺さんは、コケ取り名人で、あるとき、コケ取りに行った疲労がたたり死んだ、という話を、わりと最近聞いた)。■「ワシ、自分で自分の墓を作るゾ」とは、過日から親父様が言っていること。本日も、墓参りのあいだ、そういうことを口にしているので、「はいはい、お好きな石を選んでね。デザインも自分好みで、どうぞ~」と応える我。■このごろ、実感しているのだが、どうも我は親父様と似通った面が多々あり(親父様のイヤだなーと思うところ、振り返ると、それ、そっくり我の性格だったりする)、どちらかというと姉は母様と似通っているのだなぁ。■これまで、墓の話だけでなく、そういう「一般には縁起でもない」とされる話を、冗談半分で、親父様と我はしてきており、またその席に母様もいたりしたのだけれど、あるとき、母様はそういう「親父様が死んだあとを仮定するような話」をするのは「気持ちがひぃ~となる」というようなことをもらした。(親父様のガン発覚以来、精神的には親父様に負けず劣らず、参っている彼女)。■んー。そういった母様の気持ちをまったく分からぬでもないのに、つい、母様のイヤがる話をしてしまう、親父様と我。


8月15日の深夜の記

「花売り爺」

母様に「夕方になったら、畑に花をとりに行こう」と誘われ、そのときは「うん、うん(わかった)」と答えながら、結局はサボッてしまった、本日もグータラ村のグーのすけ。▼日も暮れようという頃、畑の水やりと花摘みを終えた、爺さんと母様、帰宅。爺さんの自転車の荷台のコンテナには、色とりどりの花があふれんばかり。かつてベトナムで自転車に切花を積んだ「花売りおばさん」をよく見かけたが、本日の爺さんは、まさに「花売り爺」の姿。▼近年、親の家の玄関などの花は、爺さんが生けている。彼曰く、「ワシ、なかなかセンスあるやろ」と。本日も、帰宅後、夕食も食べず、21時近くまで、花の手入れをしておった。室内に飾る花を生けたり、明日の墓参り用の花束を作ったり。

SN340076.jpg  花束を作った残り(←と↓) 写真では不明瞭だが結構多種
     SN340080.jpg 花屋を開けるんじゃない?ってくらいの上等な花



                               8月16日の午後の記

旅で見たものと、今日のこと

わりと頻繁に琉球旅行を繰り返していた時期、沖縄本島からバスで行ける小さな島の民宿が気に入り、何度か泊まらせてもらったことがある。どこからどこまでが商売で、どこからどこがまでがプライベートなのかが曖昧な、金儲けの線引きが低い接客姿勢は、わたしの知る限り沖縄の民宿ではちっとも珍しくないことだけど、その島のその宿も、まさにそういうところだった。▽わたしがこれまでの旅(国内&海外)で一番つらかったのは、孤独でも、貧困との直面でも、自然環境でもない。(って、旅した場所は限られていて、自然環境の厳しい所には、そもそも行ってない!)。幸せな家族の姿を見るのが、一番つらいことだった。当時はいちいちそんなことを考えなかったけれど、今にして思うと、これは間違えのない答えだ。▽子と親が笑顔で交わり、孫と祖父母が安らぎを醸し交わり、きょうだいが楽しそうに交わり、そんな光景は、普段のわたしにとって、特別に心を動かすわけではない、せいぜい「ああ、幸せそうだなぁ」と感じるくらいのものに過ぎないが、ときに、ふっと魔がさしたように、そういう光景に対峙するのがつらくなる。▽沖縄本島からバスで行けるその島のその宿の女主人は、愛情を惜しまずに出すタイプの人で、宿泊客への接客にそれはあらわれていたし、たまたま居合わせた祭り日だったか、彼女が大きな光を放って家族を愛している姿にも出くわした。そしてまた、彼女が夫や子や孫を愛するように、夫や子や孫たちもまた、縦・横・斜めの糸をくぐらせながら、それぞれ家族を愛しているのも、伝わってきた。▽ありていにいえば、「こういうところに、人間の幸せの原点があるのだな」という、苦痛をともなっためまい。を、わたしは、そのときも感じた。▽放浪を続けるわたしにも、わたしを深く愛してくれる家族がいて、でも、わたしはなぜかそれを真正面から受け入れることができなくて、むしろ家族の存在が疎ましいと思うのも、しばしばだった。そう、「自分の家族」に向き合うのではなく、こんな旅先の、赤の他人の家族の団欒に触れて「幸せそうだなぁ」の思いを抱いている、その罪悪感が、なにより、わたしはつらかったのだ。また、あちこち旅先で出会ったよその家族たちと過ごす楽しい時間は、それがホンモノであればあるほど、「わたしの無事を常に祈り、わたしと過ごしたいと思ってくれている」家族をないがしろにしている現実を、わたしに思い出させ、ふっとしたときに、それは痛い針にもなった。▽さて、以上は主に、バイトと旅を繰り返していた三十歳前~三十半ば、の頃の話。ひんぱんに旅に出なくなって久しいが、基本的に「その内情」は今も変わっていないと思う。▽そして、以下、時制は現在。▽本日は、日本各地から(←かなり大げさ)イトコ家族らが、祖母宅に集った。けれど、わたしは、歩いて5分ほどの祖母宅に、顔を出すことすら、できなかった。いくつか理由はあるけれど、そこで大きく大きく放たれるであろう「家族や親族という団欒の輪」に圧倒させられる苦痛を避けたかった、のも、確かな理由のひとつだ。


*傷となるような幼少期の家族体験があるわけでもないのに、なぜ、わたしが「こんな」なのか、不思議がるヒトもいるだろう。(わたし自身が不思議だ)。まあ、この辺の話は、ブログ日記が続く限り、ときたま書くこともあろう。(グワハハッ、自分探求!)。ともかく、わたしには「愛情の星」に生まれながら、どうも、それを上手に受け入れられない劣性な何かが生まれながら備わっているのかもしれない。そしてまた、そういった「愛情の星」の人々がごく普通に営んでいる(ように見える)こと(たとえば、結婚して、新しい家族を作るなど)を出来ていない自身への強烈な劣等感があることも、恥ずかしいけれど、認めてしまおう。ま、なかみは、ぐちゃぐちゃなんですな。(いや、実はとっても単純な仕組みかも)。ぐほっ。


                                   8月16日の夜の記

ガンと自己愛

母方の祖父が亡くなって十年経つが、相続の手続きをまったくしていないがため、「なにか」あると、その都度、祖母と母たちきょうだいの戸籍やらなんやらをもちだして、対応の手続きをせねばならん。これらに関して、誰が頼んだというわけでもなかろうが、母の実家のもっとも近くにおり、長年の役人経験ゆえ公的文章を作るのが得意じゃと公言してならん、我が親父様がこれまで指揮をとってきた。▼先ごろも、祖父が生きていた頃に売った農地の登記が間違っていたとかで、その後始末をせねばならなくなった。親父様、税務署に出向いてあれこれ質問をしたり、夜中の(といっても彼にとっては朝だな)2時半から「金庫がな~い。ワシの大切な書類が入っているのにぃ~」と大騒ぎしたあげく、金庫を見つけそのなかの相続関係の書類をにらんでなにやらやっていたり、・・・・・そして本日は、爺さんの考えた公文書(案)のワープロ打ちを、我にせいという。▼この件に限らず、母方の実家の仕事あれこれを一人でやって、あげく「疲れた、疲れた」といっている親父様に向かい、母様は「あんたが、せんでもいいの!」と、過去、何十回といってきた。しかし、そんな言葉には耳を貸さず、「ワシがやらんで、誰がやる!」「○○の家の者たちは、だーれも、こんなことできん」と、知らないヒトが聞いたら文句のように聞こえるかもしれないが、実はこれ、己の誇りのあらわれという、そんな言葉を言い続けてきた親父様。さらには「ワシがこんなにやっても、みーんな、当たり前と思って、だーれも、感謝してくれん」という愚痴つきで。▼日本語文章のワープロ打ちなんて朝飯前だし、自分以外の人間のお役に立てるなんて我の望むところである。そう、頼まれた作業なんて、我にとって「手間」でもなんでもないのだ。しかし、過年からの親父様の「・・・・(ワシ以外の人間は)こんなことも出来ん! ワシはすごい! ワシは感謝もされんのにやっているんじゃ!」という物言いに、実はわたしはうんざりもしており、まぁ、普段は「これも爺さんの性格なんだからしょうがない」と思えるのだが、どうも本日のわたしはムシの居所が悪かったようで、ついに、言ってしまいましたわい。「誰に頼まれたわけでもないんでしょ。それは、自分が好きで、やっているんでしょ。それをやることで、『ワシだって、役に立つ人間なんだ』ということを確認できる。逆に、そういう仕事をもたらしてもらっている事実こそを感謝すべき。そう、あんたは感謝すべき立場なんだよ。『ワシの自尊心を満たしてくれてアリガトウ~』とお礼を言いこそすれ、そんな愚痴を言うべきではない!」と。▼どうよ、これ、老いた父親に言うべき言葉じゃないだろ。

*後日談* 「そんなもの、あんたがやらんでも、行政書士に頼めば、ちょちょちょいとやってくれるんだよ」とまで言わなかったのが、せめてもの“救い”だな、と自分を慰めていた我。だって、あの発言には、さすがの親父様も堪えたようだから。▼と思っていた、翌日の早朝(まだ暗い)、居間に行くと、しょぼしょぼの目をしながら、税務署からもらってきた書類の束を机に広げている親父様。娘の心無い発言にある程度堪えはしたのだろうが、「ワシ道」を揺るがすほどのものではなかったようだ。(ホッ)。▼その昼、親戚が集まっている祖母宅に、「ワシの手書きした書類(案)」を意気揚々と携えていった親父様。(ワープロ打ちはしたが、そばにプリンターがないので、役に立たず)。▼「あんな発言をしてしまったけれど、これが爺さんの生きがいのひとつなら、多少体が疲れても、愚痴に聞こえる小言を吐きながらも、爺さんがやればいい」と思っていた我は、親戚と協議の結果、内容の修正もあったろう、ワープロでそれを直して、印刷もかけよう、と、後日、「あれはどうした?」と親父様に聞くと、一言「プロに頼むことになった」の返事。おそらく、みな、親父様の体のことを気遣って(そりゃそうだ、夜中の2時半から書類とにらめっこして、それを自慢する病人に、フツーの感覚を有しているヒトならば、「申し訳ない。迷惑をかけられないわ」と思うだろう(爺さんの思いとは裏腹に))、そういう展開になったのだろう。▼それからまたのち、なにかのときにその話がでて、「お金に困っているヒトたちじゃないもん、司法書士かなにかしらんけど、それにかかる費用なんて、痛くも痒くもない出費だわ」と親父様の前で平然と言ってのけた我。これまた、爺さんのなかにある「ワシは役に立つ人間」という思いを、打ち砕くに足る発言であったろう。▼ある方が、「ガンには愛、自己愛が効くんです」と仰っていた。今の爺さんを「病気と戦わせて」いる原動力は、ワシはまだまだ役に立つ人間、という自尊心からくる自己愛によるのだろうと、わたしは思っている。▼なのに、・・・・・・。

*なお、当日に戻って* 爺さんがこの仕事をいかに大切に思っていたかの証のような話であるが……。我が「すぐには印刷できんよ。あーだ、こーだ」ともったいつけていたら、「印刷するのに必要なものがあるなら、ワシが金を出してやる。何万じゃ?」と尋ねてくる爺さん。「ワシがやると、タダで書類が作成できるから」といいながら、その実、「ポケットマネーを出してでも、自分でこの仕事を仕上げたい」と思っていたのだな。▼もしも、「ワシ手書き」じゃなくて、ワープロでびしっと印刷した書類(案)を準備していたら、母のきょうだいのあいだでも、「今回はこれを使おう」ということになり、爺さんのお役目は、無事、継続されていたのではないか。の思いは残る。

わたしが今できることは、家族を大切にするとかそんなレベルじゃなく、自分のなかにもっと安定を見つけ、無用に「家族を傷つけない」ことなのだろう。

8月15日の夜の記

「ふっと宿る」その繰り返しが人生ともいえる

愛を信じるヒトのもとに愛は存在するし、憎しみを手放せないヒトのもとからは憎しみは去ってくれない。とは、そう遠くない以前に書いたと思うが、しばしばそれを心のなかで再確認してしまう。■話は変わるが、人生とは、どんなツライ状況の日々であっても、過ぎてみれば、必ず、どこかそのなかに救いが生まれるものなのだよな(いうなれば「過去の再発見」)、と、わたしは思っている。臓をえぐるような苦しみに悶え、天を仰げばヤリが降り、地を拝めばぬかるみにはまる、そんな、まったく救いのないように見える時間であっても、時、過ぎれば、「そのなかにも小さな小さな輝きがあったのではないか」という思いが、ふっと宿る瞬間は、必ずやってくるものだ。■ぐふっ。だからといって、「渦中」の苦しみが消えるわけではないし、ポジティブ主義者ではない我にとって、上記の思いが、現実の痛みを和らげる作用をもたらすわけでもない。

8月12日の深夜の記

「こずくら」と「あかずき」

残暑お見舞い申し上げる。世間様、そろそろ早めの盆休みに入ったヒトもいるようで、いやぁ、なんか我、「地球人の顔をして地球に紛れ住んでいる宇宙人」のような気持ちが、いつも以上に募る時期でごわす。◆夕の食卓には、「こずくら」の塩焼きや、(「こずくら」が大きくなって「はまち」、「はまち」が大きくなって「ぶり」となる。ま、云ってみれば、「ぶりの孫」のような魚なのだ)、「あかずき」の酢の物が並ぶ。いずれも本年お初の、初々づくし。親の家では基本的に季節もの以外の素材を使った料理は並ばない。「ナニナニ主義者」なんてやつではなく、昔からの習慣が、そのまま、なんだな。ただそれだけ。◆NHKのおなじみ番組『きょうの料理』、今夜は丼がテーマ。「丼料理は消化が悪そうで、どうも好きじゃない」という母様の隣で、爺さんは、牛丼だとかカツ丼のレシピをせっせとメモしておった。(カツ丼なんて、カツ丼の絵まで描いて!)。◆プロセスチーズに明太子をまぶすと、なかなか、いける! ことを発見。お酒のつまみにグッドであります。

                             8月8日の深夜の記

カツ丼とアイスコーヒー

5次元はある!を唱えている高名な科学者が来日しているそうな。朝7時台のNHKニュースの中でその解説をされると、まじ、『漂流教室』(←漫画を元にTVドラマにもなった)の世界はあるんだな、という気になるぜ。◆爺さん、点滴Day。昼食の時間にかかるため、(病院売店で売っているものは不味いから)駅前まで出て、お持ち帰り「カツ丼セット」を調達。なんせ、この爺さん、旅先のよろず食堂でカツ丼を注文したり、病院の食堂でカツ丼を食べたりするほどの、カツ丼好き。(というか、自宅でカツ丼を食べる機会がめったにない、外食の機会がめったにない、の理由もあろう)。◆抗がん剤の点滴ルームにて、ベッドに腰掛け、薬を管で注入しながら、カツ丼を食べる爺さん。(ちなみに、この日、早朝の草むしりの前に、一人そっと、チョコパン(中サイズ)2個、クロワッサン(中サイズ)3個、せんべいを食べ、朝ごはんも、しっかり一人前を食べている彼である)。食はすべての源。病人らしくなくて結構。カツ丼よ、バンザイ。◆なお、朝食前にアイスコーヒーを飲み、病院の待ち時間もアイスコーヒーを飲み、夜もアイスコーヒーを飲んでいる爺さん。先日我の作ったアイスコーヒーがうまかった、と言ってくれるのはいいが、最近、アイスコーヒーにハマリ過ぎの爺さん。んー、いいんだろうか。◆スイカ食べ放題の季節。実家の遠地に暮らした20年間、野菜宅急便はうんざり(!)するほど届いたが、さすが、スイカが届いたことは一度もなかった。お水の代わりのように、好きなだけスイカを食べられるなんて、子供の頃を思い出す。

                              8月8日の深夜の記

ピュア

6日付けであるが、書いたのは8日の深夜。
今(11日の深夜)読み直してみると、「意味、わからんぜ」な日記であるが、書いたときは書いたなりの思いがあったはずだから、そのままアップする。

なお、6日現在がこういう(↓)体調だったというのではなく、ここ最近の自身の観察記録のようなものである。

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どうにも号令のかからぬ肉体。「意志」が肉体に通じない、というか。▼鬱は脳内物質の伝達不具合による病とは、昨今、広く知られてきたことであるが、このごろ、それをまるまる「体感している」ような錯覚を覚える。(「体で感じる」とズバリ書いてもいいかもしれない)。▼ウツウツの闇を体験したことのないヒトのなかには、鬱病に関して依然と「気分の問題」「気力、気合が足りんのだ」といいたくなるヒトもおろうが、この類の問題はやはり自力ではどうにもならないのかもしれないなぁぁぁという思いが、これまで以上に募っている。▼だるい、極度の「覚醒したくない」感=睡眠欲、思考力の低下(テーマによっては延々、そう5時間も10時間も考え続けてしまうが)、しかるべき思考には寄り付けない、自律神経の失調、生活リズムの破壊(ま、これは自己管理能力と大いに関係するな)、だるいから右の物を左に移動することすらトテツモナイ億劫さをともなう、もちろん顔を洗ったり歯を磨いたりすることも重労働、感情超過敏、ときに不眠、不安感や哀感は慢性になりすぎているのだろうか?強烈な実感はなし、消える時間が稀有なほぼ慢性ストレス、しばしば猛烈ストレス感覚、・・・・・。▼前頭葉にどっかーん!と、「憂鬱」という名前の大きな風船を携えている、そういう感じ。風船はどこから栄養をもってくるのだろう、勤勉な「うつうつ製造所」だ。▼鬱気質はおのれの特徴だぜ。なんて暢気なことを云っていられない段階になってしまったのかもしれない。▼一般に、他人のweb上の日記だけを読んで、鬱の進行度をあれこれ診断するのは、無理がある。と、わたしは思っている。病にかかろうとも、ヒトは自分の性格とは離れることができず、「内に抱える病」の露出の仕方が、どうしてもそこに現れてしまうから。あるヒトはどんな深い病を抱えておろうと、それをストレートに表現する下品を恥じ、医師にも親友にも「さらっと、乾いた、大人の表現」をするだろうし、あるヒトは、自分に甘えるクセがついていて、鬱を自ら招いているんじゃない?という、誇大表現、周りからも嫌がられるような闇を表現してしまうだろう。で、我はどうだ? と問えば、んー、こういう愚痴系日記を書いていることからして、ぐははは、決して「大人」タイプとは云えぬであろう。▼「人間、弱っているときほど、本性が見える」というが、いくつかの鬱病患者のweb日記を読むと、たしかに、その人間性がありあり表れているなぁと思う。また病の治りに関しても、当事者の生来の在り方と深く関係するのだなぁと考えさせられる。▼思考力が低下しながらも何時間も同じことを考えてしまう・・・と先に書いたが、もうちょっとツッコンデいえば、たとえば活動している20時間、あらわれ・あらわれ・ふっと消え・あらわれ・ふっと消え・あらわれ・あらわれ・ふっと消え・あらわれ・あらわれ・あらわれ・・・・のときを過ごしたあと、寝る前の時間もまたそのことを考えてしまう(というか、オナニーしないと眠れない人間のように、そのことを考えながら眠りに入るクセが知らず知らず身についてしまったようだ)、寝ているあいだのことは明言できないが、「眠りながらもそのことを考えている時間があるのだろうなぁ」と思わなくもない、そしてまた、覚醒と同時に、というか、そのことを考えている「おのれ」の状態で目が覚める、そんなことが、すっかり馴染んでしまった。▼ピュア。これが自分を苦しめている大きな原因(もしかしたら最大の原因、もしかしたら全ての源)なのだろう。(もう何ケ月も前から、それを意識していたが、書くのが恥ずかしくて書けなかった)。ピュアなんて適応すべき環境のなかにあってこそ、好いのであって、わたしのような「頑な者のピュア」は最悪じゃ! (“環境”は一見、外的要素のように見えるが、それを受け止める主観によって、“環境”はいかようにも違う色を発する。ある意味、“環境”も、主観のひとつなのである)。天使のピュアは好いかもしれんが、ひねくれ者のピュアって、悲惨じゃろ。自己中のピュアって、目も当てられんだろ。▼近年、「自分らしく」というのが流行っているが、それを平然と唱えるヒトにあうと、わたしは苦しくなってしまう。(といいながら、わたし自身も、友人・知人が、わたしのとらえるそのヒトらしさを失ったような要素で悩んでいる場面に立ち会うと、つい、「あなたらしく」という言葉をかけてしまう。この矛盾よ! 過敏な(病的な)意見をいうならば、「自分らしく」なんて言葉を肯定して使えるのは、自身に相当自信があるか、もしくは自身に相当無頓着な人間だ)。▼ピュア。意固地。小さなことをいぢいぢ考える。人間を愛せない。動物を愛せない。etc。わたしが「自分らしく」を肯定するのはムズカシイ。▼この日記、「自分つっこみ」をするならば、1.なにを考えとるのか中身を書かんで「考えとる、苦しい」だけじゃ、読んでいる側にとっては「へきえき」だろう  2.耐える段階はもう十分じゃ、と自覚しているならば、こんな日記を書くよりも、クリニックの門を叩けヨ  が、まず上位に来るな。▼1.に関連して。「その問題自体に苦しんでいる」とこれまで思ってきたが、もしかしたら、わたしは「ヒトを憎めない自分」に苦しんでいるのかもしれない。善良なる心なんてちょっぴりしか持っていないくせに、善良なる思考クセがべったり張り付いてしまっているから、憎みたいコトがあるのに憎めない。「憎しみ」を対象に向けているのではなく、「憎しみ」という感情に自分自身が苦しめられているのである。

農のヒト

今年は全般に野菜の収穫が(味&量)いまいちらしい。一. 昨年の暖冬のため、害虫が大量発生。一. 鳥類による、畑荒し。 一. 梅雨時の例年にない日照不足と多降水 。ひょえ~。▼朝5時、親の家に帰ると、ちょうど畑に出勤する爺さまと出くわす。「おい、手伝ってくれ」と言うわけで、朝から畑に拉致される。本6月上旬に作った「苺の苗畑」をまた別所に移し変えるための、そう、今春に食べた苺の孫にあたる苺の寝床の準備。爺さんが一通り肥やしを撒いたあと、我、そこを耕す。裸足になって、クワを握って。実際の植え変えは、あと20日ほど後らしい。耕した土壌に油かすなどが発酵して馴染むのを待つ。▼ただいま8月9日の午前。ケイタイよりの日記。
背伸びせず、ゆるゆると日常生活などをつづります

はえともみ

Author:はえともみ
 
万の風になって、生きる。

ちちんぷいぷい~。
(HSPの自覚あり)
「うつと仲良く! ひきこもりだっていいじゃない」と
開き直って生きてたら
元気になってきました。

→ 近年は、老母の観察メモの
(&それに伴う自身の変化など)
色合いが濃くなっております。
・・・ま、長い人生の一コマですな。

徒然な日々も、留まることはない。
すべてがいとおしい。だから書く?

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