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シイの木 剪定

最近の爺さん、朝も、ますます絶好調のようである。だいたい3時前後には目を覚まし、しばらく布団のなかにいるらしいのであるが、その後は、もぞもぞ、活動開始。

今朝は5時過ぎ、祖母宅から朝帰りした我に向かって、「おはよ~」の声が降りかかかる。が、姿は見えぬ。

やがて

070719_0520~01.jpg ← ここに爺さんを発見。(クリックすると・・・、人がいるのがわかる?)


過日より、庭木の剪定をしていたのは知っていたが、ついに、家で一番大きなシイの木にまで手を出し始めたようだ(去年は確か8月末に剪定していた木)。それにしてもねぇ、朝の5時から、「ぱちっ」「ぱちっ」と、辺りに響き渡る、剪定の音。都会なら、「ジジイ、朝っぱらから、うるさい」との苦情をもらいかねない。

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ケイタイ写真のため 070722_0647~01.jpg

画像が悪いのはあしからず 070722_0459~01.jpg


後日談 : ハシゴの届かぬ場所は、木をよじ登り・・・・、鋏では用の足せん太い枝は、ノコギリでギコギコと・・・・、細かな雨にも負けず・・・・、毎日まいにちシイの木に登り、それから数日かけて、この木の剪定を終えた爺さんであった。
   
                                           7月27日の夜の記

隠し絵のよう

上記ではわかりにくいようなので・・・
070719_0519~01.jpg ← クリックしてみて下さい。


                      7月28日の夜の記

たこ焼き

過日、姉から「木曜日、保護者会があるから、子供たちを(親の家に)預けるのに迎えに来て~」と連絡があった。姉は心配性&用心深いタチで、いまだ子供だけでお留守番はさせないし、その過保護ぶりはなにかと家族を驚かせてくれている。■「お迎え」を、姉は老両親を気遣って我に依頼してきたのだが、母様は我を気遣ってだろう、自分が行くようなことを言い出して、ついでに孫の好きなタコ焼き屋に寄ろうと思いついたらしい。そしたら、それを聞きつけた爺さんの胸内は、「タコ焼き屋? ワシの出番だ~っ!」となった模様。当初は「ワシ、行こうかなぁ」と謙虚に呟いていたのが、前日には「ワシ、迎えに行かんなんもんっ!」という張り切りムードの独り言になっていた。■昼ごはんに、お腹いっぱい、持ち帰りのタコ焼きを食べた甥に、「じーちゃんが迎えにきてくれたのと、タコ焼き食べたの、どっちが嬉しい?」と、わざと爺さんの前で聞いてやったら、「じーちゃ~ん!」の返事が。(数日前より甥たちは「タコ焼き」の自作歌をうたって楽しみにしているという情報が姉から届いており、「財布を忘れていったら、お孫さんががっかりしますぜ」と、爺さんにクギをさしていた我)。本当のところは分からぬが、ひとまず、平和な昼下がりである。■夜、NHKの「きょうの料理」で、シャーベット作りをやっていた。その昔、我は、牛乳にコーヒーシャーベットを浮かせたのを食べたくて、製氷器でコーヒー液を凍らしたことがあるのだが、どうも、これ、失敗であった。固まったコーヒーが製氷器からはがれないのだ。本番組によると、少し凍ったところで、フォークなどで固体になりかけのものをシャリシャリ破壊すればいいのだな。これを時間をおいて数回、繰り返す。そうすると、シャーベットになるのだと。なるほどー。知っているようで試したことのない技! テレビでは、コーヒー、紅茶、抹茶、トマト汁など、いろいろなシャーベットをやっていた。うーん、夏になったら、ぜひ試そう。
                         7月24日の早朝の記

すき焼き

昼過ぎの起床。数日ぶりの金沢なので、どこかをぶらぶらしようかとも思っていたが、気分がもたもたし、特になにもしないうちに夕方になる。本当は午後あかるいうち、遅くとも夕食の時間帯までには親の家に戻ろうと思っていたのだが、もたもた気分だけが適度に積もり、ぶらぶら満喫度ゼロ、なのが不満だなぁ。■ひとまずバスに乗って駅へ。頑張れば20時頃には親の家に着ける電車もあったのだけど、わずかでも「ぶらぶら渇望」気分を晴らそうと、最近オープンしたばかりの喫茶席が併設されているパン屋へ。30分ほど、エスプレッソを飲んで、ぼー。これだけである程度は満足するのだから、我も安くつく人間だ。■親の家に着いたのは21時少し前。「ちゃんと先に食べているように」と伝えておいたのに、母様は台所でなにやらし、爺さんは菜ばしをもってテーブルの上の鉄鍋にせっせと野菜をいれている。どうやらこの時間まで(冬なら20時前に床に入ることもある老人たちなのに。この季節でもだいたい21時台には床に入る老人たちなのに)食べずに待っていた老人2名。理由は「すき焼きだから」だと。あのねー、だからねー、ぶつぶつぶつ・・・。■ウイスキー(ついに角壜を開栓)とすき焼きは意外と合うことを発見。

                         7月24日の早朝の記

枯れ

夜、最終の列車で金沢へ。乗り換えの列車が少し遅れて、アパートに着いたら、25時をとおに過ぎていた。26時からの成ちゃんのラジオを楽しみにしていたのに、集中して聴けず。「気持ち」が枯れている。

                         7月24日の早朝の記

コーヒーとウイスキー

祖母宅から朝帰り。■玄関を開けると、「おかえり~」と、爺さんの元気のよい声がかかる。ちなみに、ときは4時半くらい。母様はまだ寝ているし、外は雨だし、で、退屈でたまらんだらしい。待ち受けていたように「コーヒー飲もう」とお誘いが。老人をムゲにもできんので、リクエストどおり、お砂糖をちょっといれたコーヒーをいれてやると、爺さん、もぞもぞ台所に行って、先日買ったサントリーの角壜を握っているではないか。■「はぁ?」とたずねると、「ほら、昔よく、入れて飲んだものだ」と爺さん。「ねえ、それは、紅茶の話でしょ。それよりなにより、抗がん剤の点滴を終えてまだ数日しか経っていない、しかも朝っぱらからアルコールを摂るのはいかがでありましょう」と諭すと、爺さん、おとなしく角壜はあきらめた。■だが、「コーヒーとウイスキー」話は止まらない。そのうち母様も起きてきて、「たしかに前は紅茶にブランデーを入れてよく飲んだよね、コーヒーリキュールもあるけれど、・・・・」と2人で応戦するも、爺さん、「昔、役所では、コーヒーにウイスキーいれて飲んでたんだっ。当ったん前の、常識!」だと。はい、はい。■この話の流れで、爺さんが毎日愛用しているマグカップは、20年ほど前から欠かさず使っていることを、初めて知る。「名古屋の松坂屋で買ったんだ、高かった」(といっても、8百円。8千円でありませんぞ、8百円ね)という話から、「当初、役所で使用しており、課の女の子が洗ってくれていたのだけど、あるとき、黒いから洗わなくてもわからないですね~と冗談云われた」とか、話はだんだんと昔ばなしへ。(近年の爺さんの話題は、5割が農作物、3割が昔話、といった感じ)。■縁側(ホンモノの縁側ではない。幅広の廊下に絨毯を敷き、応接セットなどを置いてある場所)にて、椅子に腰掛ける親父様と我、パジャマのまま体育座りする母様。老人2名の話は、「つい昨日のこと」のように昭和の思い出あれこれに発展するのであった。(あのときは、なにが何円だった、なんて話もすらすら出てくるのだから、老人の記憶力というものは恐ろしい)。雨はしとしと。高齢家族の梅雨の朝。

                         7月24日の早朝の記

また地震

海の日。であるが、そんなこととはまあぁぁったく関係のない日。■午前、仮眠をとっていたら、ゆるやかな、でも、はっきりと分かる、揺れが。「ん? 地震?」「長く揺れるなぁ」と思いつつ、そのまま再び眠りの世界へ。そのうち、いつか、わたしは、“地震発生→布団の上で即死”となるかもしれん。■ところで、テレビでは中越地方の(しかも同じ場所の)被害の様子ばかりが映る。今回の地震の揺れは関東地方まで体感できるものであったらしいが、石川県能登(本年3月下旬の能登沖地震で大被害のあった地方)でも、震度5弱を記録したとか。ただでさえ、復興をとげていないこの能登地方に、またもや震度5弱が襲ったことは、現実的な問題はもちろん、当地の人々の精神的な負担はいくばくかと・・・思う。■それにしても、地震のニュースとは、概して「同じことの繰り返し」ばかりだなぁと、見ていて思うのは我だけではなかろう。しかも、この手の分野の報道には、ニュース本来の宿命もあるから、視聴者としては文句を言いにくい雰囲気がある。加え、被害者になっていない側の人間は、災害報道に対しては、“注文”つけにくい思いがどこかあるような。■地震発生直後ならばいざ知らず、時間が経てば、日にちが経てば、もっとオリジナルティある報じ方もあると、素人の我は思うのだけれど・・・・。地震といったら、「一番被害の大きかった土地の繰り返し映像」、ちょっと日にちが経ったら、「道が遮断され、他局が報じていない、過疎村の被災スクープです」や「震災を通して生まれた、心あたたまるエピソード」・・・・・が主流。わたしとしては、今回の中越沖地震で、能登地方がどうだったかも、しっかり伝えて欲しいと思うのだけれど、どうも、テレビ局の地震報道スタンダードからは外れたリクエストであるようだ。

                         7月24日の早朝の記

思い出し

思い出したので。追記。阪神大震災のとき、「被災地でレイプ事件が起こった」と大手新聞が報じたらしい。のち、与那原恵さんの手によって、その記事はでっちあげだったと示されたのであるが、このレイプ事件をすっぱぬいた大手某新聞社は、最初、「やった!」という思いであったろうと、愚推される。■「時間をかけたわりに実りがないor実りが少ない」取材は大手どころでは敬遠されるのかもしれない。また上記のような「恥」をさらさぬためにも、報道はどうしても慎重な内容に傾くのだろう。お茶の間に届くのは、わかりやすい被害 or わかりやすい心温まる話になりがちだ。■わたしは某新聞社の記事も、与那原さんの該当ルポも読んではいないが、後年読んだ彼女のエッセイ集のなかには、「神戸レイプでっちあげ」に関する取材過程が登場していた。たしか、・・・与那原さんが現地で取材を始めると、「レイプはあった」と語る人たち(記者や、その記事を信じたらしい、しかるべき団体の人たち)からは事実に近づくためのなんの証拠も出てこなかった。風評が一人の記者によって「記事」とされ、それによって「被災地でレイプはあった」という、なんの根拠もない“事実”だけが一人歩きしていたのだ・・・・という話だったと記憶。■報じることは難しい。被災者はみんながみんな善人なわけではないのに、被災者はみんな「善人の、かわいそうな人」になってしまうのは、ある程度仕方ないのだろう。けれど、血肉踊るドラマとは、被災者のなかに潜む「善人と、善人ではない」人格のせめぎあいとか、被災に遭って一瞬はチャラになってしまったように思えた日常レベルの問題ごとが復興される日々のなかで再び噴出してくる過程とか、被災者とそれを助ける側の人間の精神的な逆転ゴト、等々のなかにこそ、あるのだろうと、茶の間でのんびりと、無料のニュースを見ている我は思ってしまう。

                         7月24日の早朝の記

土地貧乏

祖母のところにて。我、叔母たちと久しぶりにゆっくり会う。■親父様は母のきょうだいたちが好きなようで、なにもなしには祖母のところには行かないくせに、彼女たちが来ると、いつもひょいひょい、いそいそと、会いに行く。(ちなみに親父様側の親戚づきあいも「世間並み」かそれ以上の親しさであるけれど、母様側があまりにも頻繁に(ほぼ毎週)集っているので、親父様は自分の血がつながったきょうだい以上に母様のきょうだいたちと仲がいい。■祖母は、娘婿である親父様の健康状態を、ほんとうの息子のように気にかけてくれ、(我が祖母のところに行くたび、まずは「お父さん、どう?」とたずねられ、次に思い出したように「お母さん、なにしてる?」と聞いてくる祖母)、彼が思いっきり野菜作りを出来るのも、母様方の祖先の残した土地のおかげである。また親の家は、もともと母様方の土地だった場所に建てたものであり(つまり親父様はよそ者。彼が実質この地に生活者としてデビューしたのは勤め人を終えた60代から)、それが今ではすっかり集落の人々と仲良くなった親父様。彼に自覚のフシはまったく見られんが、彼の充実した健やかなる老人ライフは、母様の実家があってこそ、なのである。■親父様、生家は地元に就職した弟が継ぎ、戸籍上は「婿入り」ではないけれど、実際は「婿」のようなものである。口では「みんな(母のきょうだい)ワシのことを頼ってばかり・・・そのくせ、ちーいっとも感謝してくれん」とグチっているが、本当はそこに、勤め人を定年した彼の自尊心を満たしてくれる、彼の存在意義があるのだろう。■ところで。わたしがまだ子供だったころは、稼動していた田んぼもあったのだけど、そこは今では、わずかな収穫米を対価に人に貸している田んぼと、草ぼうぼうの荒地と化している。(ちなみに、それらの田んぼに対する税金やら農協から一律して課せられるお金は祖母宅で払っており、「土地貧乏だ」というのが、親父様のもっぱらの口癖)。■そろそろ、田んぼの草むしりを頼まなければいけない時期らしい。■当地は、ただでさえ「勤労な県民性」が取り上げられる県の、県内のなかでも有数な「働き者」の市であり(*)、田にしろ、畑にしろ、山間部をのぞいては眠らせている土地がほとんどないのである。草ぼうぼうにしている土地というのは、まわりにとって大いに迷惑。害虫が寄ってくるからね。近隣の田んぼの人から苦情の出ない前に、除草せねば、なのである。(せこい話だが、草むしりもプロに頼むから、やはりお金がかかる)。ちなみに、祖父がまだ生きているころ、一度、田んぼに除草剤をまいたら、隣の田んぼの人から怒られたらしい。農業はその家その家の独立した仕事であるが、自然という生態系のなかでまかなう農業は、「自分の土地」だけを考えるわかにはいかないのである。ふうっ。■(*)この地の勤労ぶりについては、いつかあらためて書きたい。なんせ、「あの市には、娘を嫁にやるな」といわれるくらいだそうだからな。これが現代のコトか?と思うような、人々の勤労ぶりなのである。ちなみに、親の家の近隣では、空き地や、草ぼうぼうの土地、というのをほぼ全く見かけない。ここは、まったくの田舎ではあるが、中途半端な都市の駅前が空洞化している様子などに比べ、はるかに人の息のかかった(老人パワー!)、稼働率100パーセントに近い、過疎とはほどとおい土地である。

                         7月24日の早朝の記

大人になれない

自分でも大人げないと思うけれど、わたしは「子供を子供として扱う」ことが常にはできない。本日も遅い昼食として母様に饂飩を作ってもらったが、「分けて~」という甥たちに、ちょびっと、ほんとーに、ちょびっとしか分けてやらなかった。理由は、わたし自身がとってもお腹がすいていたからである。しかも、パンやご飯じゃなく、このときは、どぉぉぉうしても、饂飩が食べたかったからである。(もちろん、自分は食べず、甥たちに美味いもの・彼らの好物を与えてやることも、時にはある。←叔母の名誉として書き添えておく。こんなことをわざわざ書き添える自体が子供だな。ぐふっ)。■また本日は、むしょーに、真剣勝負のオセロをしたい気分であり、「こーちゃーん、今日は徹底的に負かしてやるから、オセロをしよう」と小学5年生にもちかける。どうも、わたしはゲームであろうと、子供相手に手を抜くのが、あまり好きではないらしい。つい、本気で、ゲームをしたくなるのである。もちろん、「相手の力量に合わせた」遊びをすることもあるけれど、それをつまらんなーと、わたしは感じてしまうのだ。(母性愛の強い人ならば、そういう加減も、苦にはならないのだろうな)。■結果、思ったよりは圧勝できず。真剣勝負でここまでやれるのだから、こーちゃんも成長したものだ。技術的なことはもちろんだけど、数年前までの彼は、自分がゲームに負けそうになると、目にいっぱい涙をためて、くやしがったものである。■その後、こーちゃんは、爺さんと将棋をしておった。(爺さんは、「ギリギリまで、孫に優位なコマ運びをさせて楽しませ、最後の最後で、ワシが勝つ」術を使っているらしい)。■台風が近づいているらしいけれど、平和な土曜日であった。

                                       7月18日の夜の記

ああ、肥溜め香

■親の家。過日、盆栽に施肥した名残の香(はい、肥溜め系の臭いであります!)は、すっかり消えた。よし、よし。田舎の臭いというのはいろいろ形容できるけれど、典型的なのは「肥溜めの臭い」というやつだろう。しかし、それも昭和までの話。平成が幕をあけてから、この辺りでも「汲み取りトイレ」はすっかり絶滅してしまったと思われる。(そう、わたしが子供の頃、自宅トイレは汲み取り式だったのだ)。ただ、それ系の臭いはいまだ健在である。「うえ~っ」というほど臭うことはめったにないが、我が家の爺さんのように庭の盆栽にいっせーいに有機の肥やし(鶏糞など)をやったあとは、数日間、ぷう~んと臭いが残る。窓を開けていると、風にのって、このぷう~んが、部屋のなかまで漂うのだ。
■PC設置後、祖母宅には行っていなかったが、本日午後、始めてPCに向かってみる。なんとなく他所(よそ)のお宅の空気が漂うため(?)、隣の部屋の仏壇の明かりを灯しながら。・・・・・・しかしだよ、ちょくちょく、遊びにくる、両親よ。(爺さんは「ごめんくださ~い」などと使い慣れぬ言葉を言って、勝手口を開き、母様も、なんだかんだとやってくる。これはこの日(13日)に限らず、その後も続く。ある日は、爺さん、台風近づく雨のなか合羽を着て様子を見にきたり、母様、トイレを借りにとやってきたり。・・・・・・・「親の家じゃ落ち着かん」から、無人の祖母宅にPCを運んだというのに、これじゃあねぇ。さりげなく、ちょこちょこ、嫌味を言っておく。・・・・・・・ちなみに、親の家と、祖母宅(母様の実家)は、歩いて5分くらいの距離である。親の家にも使用していない部屋はいくつもあるのだが、なにかといっては「おやつ」を誘いに来たりなど、なんだかんだあるから、落ち着かんのだ。

                                    7月18日の夜の記

サントリー角壜

昨日(11日)のうちに親の家に戻るつもりであったが、なんとなく戻る気力が剥げ落ちて、昨夜はアパートで大貫妙子のラジオを聴きながらぼーっと過ごす。■朝、親の家に移動。爺さん、今朝未明には抗がん剤の点滴が体に入りきっているはずだから、どんな体調か、と思っていたが、元気モードであった。朝から庭木の剪定もしていたようだ。■病院最寄駅に向かう汽車のなかで、途中停車駅の車窓に映る「日本通運のコンテナ」を見ながら、NITTSUというローマ字のつづりはおかしいのではなか? なぜあそこでTが重なるのだ? ぶつぶつ質問攻め(←おならをぷっぷとしながら、マジメな顔で質問する)、「~(母の名前)さんは、きょうだいのなかでも一人だけ大学に行っておらん。ありゃ、頭が悪かったからだ」と毎度のごとく母様をこきおろして一人お喋りを楽しんだり(←おーい、爺さん、自分だって大学出とらんだろうよ)、おまけに汽車の音がガタゴトうるさいものだから、それに負けじと、超デカ声で話す爺さん。■体調も悪くなさそうなので、いつもは病院が終わったあと姉の車で家に直帰するのだが、本日はスーパーマーケットに寄ることに。いろいろ買い物かごに入れたあと、レジの近くにあった洋酒コーナーに足をとめた爺さんは、「これ、買おう」と、サントリーの角壜を手にする。(ウイスキーは安くなったなぁと、しみじみ感心しながらも、昔はこの商品は○○○○円で、この商品は○○○○円だったと、洋酒の棚の前で熱~く語る爺さんであった)。「どうせなら、もうちょっといい(=高い)のにしたら?」と我がいうと、「これでいい。ここから、少しずつランクアップするの」と、爺さん。なんでも昔(勤め人時代)は、役職によって飲ませてもらえる酒が違ったんだと。角壜はいわば、下っ端時代の思い出酒か。それにしてもなぁ、病院からの帰りに(本日の病院は「抗がん剤」の点滴の管を抜き、食事ができんでは困るから栄養剤の点滴を2時間ほどやってもらう)、お酒を買うことになろうとは、誰が想像しようか。■ところによっては、蝉の鳴き声が、聞こえ始めた。夏はそこまで来ている。

                                       7月18日の昼の記

回覧版など

そんなこんなで(10日の日記を3つも書いてしまったが)、昨日(10日)の夕方、金沢のアパートに戻る。ほんの数日間留守にしただけで、毎度ながら玄関にはチラシの類がいっぱい。郵便物も一応チェックするが、ネット時代になり、私的な手紙が届くことはほとんどなくなった。公共料金の請求書や、国年の督促・・・・といったお金関係ばかり。うーん、つまらん。■話は変わって、回覧板の話をする。お隣(ドアを閉める音などがうるさい女)さんと、そのまたお隣(中国人の女)さんのあいだに、かれこれずいぶん長いあいだ置きっぱになっている「回覧版」がある。しかも、2つも溜まって。「もしかして、中国人女性が回覧版の扱いがわからず、ほったらかしにしてあるのかなぁ?」とも思い、機会あれば教えてあげようと考えていたが、普段めったに顔を見ることもなく、わざわざ訪問して教えてあげるのも気が引け、わたしはそのままにしていた。しかし、いくらなんでも、置きっぱになって久しすぎる。■あの回覧はわたしのところに来た時点で「とうに過ぎた情報」ばかりであり、今さら読むのもナンだろうと思い、かといっていつまでもそのままにしておくのもいかんだろうと、わざわざ班長さんのお宅にもっていったら、あららら、ま、怒られ&嫌味を言われちゃいましたわい。「(回覧版が戻ってこないから)回覧用のバインダーがなくて困った」とか「もうアパートのヒトには回さないことにした」とか、なんとかかんとかとね。本来なら「わざわざ、もってきてくれて、ありがとう」の一言くらいあってもよさそうなのだけど、こういう婦人にはそういう感覚が欠如している(<班長という自分の仕事>しか見えていない)との悟りがわたしにはあり、特別、気を害すこともない、39歳であった。(回覧版をまわさないのには賛成である。特にアパートを不在がちな我にとっては。しかし、住民の賛同も得ず、勝手に「まわさない」と決めるのはいかがなものか・・・)。■ところで、金沢のアパートに住むようになって、いまだ根付く「地域」の決まりごとに、わたしゃ、驚いたね。年度ごとに、超「個人情報」を書かなければならんし(地域の住民台帳にするのだろう。基本的に「不審者」は住めない仕組み)、町内会費なるものもある。月700円×12ケ月を一括払い(一軒家住まいの人はこの倍額)。年度初に納入するのだが(途中から引っ越してきた者は月割り計算)、決して安くない額である。このお金は地域の行事などに使うというけれど。。。。もしや役員の人々の飲み食い代なども入っているのではないだろうか?との推測もされる。まあ、都会なら、台帳にしろ、町内会費にしろ、文句をいう御仁は大勢いようが、ここ地方では「わざわざもめるようなことを言わない。しきたりに巻かれる」が主流だ。そして、我もまた、目くじら立てるほどのモンダイではなかろうと(いや、本当は、メンドクサイだけ)、慣行のなかに身を沈めている。

                                      7月18日の昼の記

子供の成長・育児・母親ポジション

姉の家。地域の七夕祭りが来月にあり、それ用の短冊を学校から持ち帰った、甥2匹。小学2年は《家族がみんな健康でありますように》をすぐに決め、「もう一つ書いていいなら、自分のことにしようかな~」といって考えたのが、《野球が上手くなりますように》であった。んで、小学5年は《お小遣いが増えますように》と《コロコロコミックの漫画がもっと面白くなりますように》を即決。これ、どっちもどっち、彼らの個性が出ているわい。■話は変わる。子供が素晴らしい!と、わたしが思うのは、それは子供が「放っておいても育つ」面があるからだ。むろん、愛情はかけないよりもかけたほうがいいのであろうが、愛情が「徳大」でなくても子供は立派に成長するし、手間はかけたほうがいいとは一概にいえず、親との縁が薄くともしっかりとした大人になっている人はいっぱいいる。つまり、「親の愛」は絶対のように世間では言われおり、「愛」の大切さは我も同感であるが、同時に、「親の子に対する、愛情信仰」を、唯一無二の最上級のものとする考には、どこか偽りがあるのではないだろうか? という疑問も我にはある。「愛」の分量と「好成長」は必ずしも正比例するとは限らないし。(ある程度は比例するとは思うが。かといって愛情過多に問題がないわけではない。また適量適切なる愛のなかで育っても「突然変異」のような成長を遂げる子だっているだろう。あるいは、問題ありの親から生まれても、人格者に成長するヒトもいるし)。■わたしが「子供は素晴らしい」というのは、花や植物など、自然に対する賞賛に通じるのかもしれない。「産んだだけでは母親になれない」とよくいうけれど、産んで、最初の数年こそ、24時間じゅう、目の離せないほどの世話を要するが、次第に、ご飯&身の回りの世話、そしてその人なりの愛情をかけていれば、たいがい子供というのはすくすく育ってくれるのだ。もちろん、日常の世話をしている人間(たいがい母親)の功績が一番大きいのではあろうが、子供の成長は、それ以外の要因によっても、もたらされる。発芽した植物が雨とお天とう様の力によって自然と大きくなるように、人間もまた、人間社会のなかに生まれ落ちれば(たとえ親がいなくとも)ちゃんと成長するように、神様は設計されているのだろう。■甥たちを見ていると、彼らの成長は、日々家族からの愛情をこんもり受けているという点のみならず、神様による人間界への様々な計らいによるところも大きいのだろうなぁ、と、いつもわたしは感じている。(脱線するようであるが、彼ら兄弟は同じ親から生まれ同じように育てられても、まったく性格が違う。ここからも、子供の成長は「親の愛」だけではないことが証明されよう)。■わたしは生涯、母親になることはないと思っているし、自分の血のつながった子供を欲しいと思ったことは一度もない。ただ、まわりを見ていると、「母親」というポジションを薄ぼんやりうらやましく感じることはある。それは、「守る者」のできた女性たちはそれだけで人生の穴を相当部分埋め(穴とは、誰しもに忍びよる「漠然とした生きる不安感」のこと)、自分の身を削っても本望と思えるほどの「宝物」だと子を実感し、また母親というポジション「産んで、愛情をかけ、世話をした」それだけで人生の相当の充実感を手にいれることが可能のように、わたしの目には見えるからである。■一般に、仕事というものは、手間をかけたから、愛情をかけたから、時間をかけたから、等の理由だけでは、なかなか満足した結果を得られない。しかし、育児という仕事は、「やった」ことの幾倍にもなって、子供の成長という形で成果がでる。辛辣な言い方をすれば、デキソコナイの親であっても、子供は成長し、デキソコナイな育て方であろうとも、子供の成長という確実な成果は返ってくる。その辺にたゆたう豊かさが、わたしはうらやましいのだろう。■はい、はい。こんなことをわたしが言えるのは、友人・従姉妹・姉など、現役母親業をやっている身近な女性たちが、こぞって、「専業主婦」「育児」という自分の仕事に誇りをもち、楽しんでいる人種だからだ。世間には育児ノイローゼだとか、子供殺しだとか・・・いろいろありますからな、母親のみんながみんな幸せなわけではない、というくらいの想像はつく。■以上は前々から感じていたことでアル。かなり「やぼったい」文章になっていると思うので、いつかもうちょっと「クリアー」に書いてみたいナリ。(ところで、3段落前に書いた――母親というポジション「産んで、愛情をかけ、世話をした」それだけ――という箇所など、母親業を経験したことのない外部者だからこその表現だな。母親業の大変さは我にだって(たぶん)想像できないことはない。ま、ここでは母親業の大変さでなく、母親業の大変さとは関係なしに子供の成長が有り得る、その素晴らしさ! を書きたかったのだ)。

                                   7月18日の朝の記

高齢家族

西の人に「ほにゃらら(仮名)」という野菜の苗が出回ったと聞けば買い求め、東の店で「ほにゃらこっこ(仮名)」という野菜の種を見つければ買い求め、いっこうに衰えぬ好奇心を満たしている爺さんであるが、今シーズンの彼の初体験野菜は(過日の日記にも書いた)スティックブロッコリーという野菜。

「“スプレー”ブロッコリーを糠漬にしたらどうやろうね」と母様。「スプレー? スプレーじゃないやろ。わはははは」と我。そこで、いつも「言い間違え」を笑われっぱなしの爺さんが、「“スナック”ブロッコリーや!」と満面の得意顔になって訂正する。おい、おい、おい。そりゃ、スナップエンドウと混同しとらんか? ・・・というのは夕べの話。今朝の食卓にて、我が「昨日の残りの、アスパラ炒め、あれ食べよう」というと、30秒くらい経ってから、母様、一人で爆笑している。(ん、何を笑っているのだ)と尋ねたら、「アスパラだって~。ブロッコリーのことでしょう」と。確かに。(しかし、笑う反応が遅いよ~)。どうも、ステックブロッコリーは、扱い方(茎の下部分の皮を剥くなど)から、調理方法(茹でたり、炒めたり)、食べているときの感じまでも、アスパラと通じる印象があり、我の頭のなかでは「あれはアスパラもどき」との回路がおのずと出来ていたようだ。

老両親と我。三人合わせて、平均60歳ちょい超え。ビバ、高齢家族。未来は明るい。


                                         7月18日の朝の記


                                  
背伸びせず、ゆるゆると日常生活などをつづります

はえともみ

Author:はえともみ
 
万の風になって、生きる。

ちちんぷいぷい~。
(HSPの自覚あり)
「うつと仲良く! ひきこもりだっていいじゃない」と
開き直って生きてたら
元気になってきました。

→ 近年は、老母の観察メモの
(&それに伴う自身の変化など)
色合いが濃くなっております。
・・・ま、長い人生の一コマですな。

徒然な日々も、留まることはない。
すべてがいとおしい。だから書く?

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2018年 11月 【73件】
2018年 10月 【63件】
2018年 09月 【76件】
2018年 08月 【54件】
2018年 07月 【65件】
2018年 06月 【72件】
2018年 05月 【86件】
2018年 04月 【104件】
2018年 03月 【112件】
2018年 02月 【88件】
2018年 01月 【89件】
2017年 12月 【91件】
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2016年 12月 【100件】
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2016年 05月 【70件】
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