ともみ@ピクニック

ファック以下

人様のネット上の言葉を、出典をあきらかにしたからといって、無断でどこまで転載していいものなのだろうか?


(前略)
常に前に進む事、一番良い時にスパっと奇麗に止める事。という美学は、この国から失われつつあります。関係のありかたは依存一色に、欲望のあり方は退行一色に、そしてその事が既得権として、胸を張って堂々とまかり通る時代になりました。センスが古いと言われようが、つまらねえと言われようが、ワタシはそういう時代はファック以下だと思います。
(中略)
解散と聴いて自分の過去だか何だかを重ね合わせ、一時期は音のデカさと複雑さに熱狂したものの、細部まで理解が及ばなかったせいで現在は飽きてしまい、来なく成っていた癖に、その日だけ記念だとばかりに、大いにしんみりする。といった、最もファンクの精神から遠いフォーク~ロック調のクラウドが一人もいないフロアで、何のイベント性がなくとも「アメリカ」を聴いて、ライブに足を運んでくれた人々だけの前で終わろうと思ったのです。
(後略)



と、菊地成孔さんはご自身のHP(4月30日付)のなかで仰っている。そう、わたしがついに“垣間見る以下”であったデートコースペンタゴンが解散したらしい。

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夏日

ゴールデンウイークといっても、親の住む土地では、普段と変わらない日々だ。

畑に行っても、爺さんか、婆さんにしか、会わないし。

畑に行く途中も、爺さんか、婆さんにしか、会わないし。

(この土地には子供もいるので、探せば同級生をはじめ、老人未満の中高年も住んではいるのであろうが、なにせ、見かけない。一家に一台ではなく、一人一台の、地方に典型的な車社会なので、みな、家から一歩でるときは車に乗っており、わたしの目には入らないのだろう)。

それにしても、今日は、暑い。午前中、畑の横の道の草むしりをしていたら、「お姉ちゃん、暑いねぇ」と知らない婆さんから声をかけられる。「ええ、夏のようですねぇ」と応じる我。どうやら、昼間のテレビの人によると、当地ではこの午前中、25度を超えていたらしい。今年初の夏日である。

ようやく静まる方向に向かってくれるかとみえた「特病」が、先週から、ゆっくりゆっくり盛り上がってきた。

そして、とうとう、昨晩あたりから、ドカン!

午前中はなんとかしのいでいたが、その後、どうしようもなくなり、夕方、老親たちが畑に行っているあいだ、黙って金沢のアパートに戻ってきてしまった。

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GW

昭和の日、なんだとか。「聞いたことないぞ」と思っていたら、今年から、そう呼ぶようになったんだと。知らなかった。ついでをいえば、今、ゴールデンウイーク中、なんだとか。これを「知らなかった」というのは、あまりに白々しいけれど、それに近い感は、ある。

余談だが、今のわたしは、日曜日やゴールデンウイークというものに、憎しみの念をもっている。理由はあまりにみっともないので、書かないけれど。

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一言いっておく

うーん。こういう反応があると、自分が書いていることは、世間の人には全部「正反対」に伝わっているのではないか?と、珍しく自省してしまいそうになる。

ココで紹介した「古い友人」からの感想を、わたしは決して負の感情でとらえてはおらんのだよ。なので「あんな意見、気にしないで下さい」とメールがくると、「は?」「へ?」と、なってしまう。

ぐふんっ。わざわざ、であるよ、再度、このことについて触れておく。

まず、彼女の言葉を紹介した背景として、わたしは彼女の人となりを知っており、彼女のことを信頼している。というのがある。

そして、その彼女の言葉を受け取ったわたしは、「うんうん、なるほどね」というか「やっぱりね」というふうに感じ、特段の怒りも悲しみもなく、納得して、心に納めた。

以前、自著の、さる人に書かれた書評が「一般的にいってケナされている」内容で、知り合いからは「あんなこと、ボクが書かれたら、謝罪を要求するな」ともいわれたほどのものであったが、わたしは、腹が立つどころか、「お、さすが、わかっておるではないか」と、さる人への信頼度が増した、という出来事もあった。

わたしは、どうも、自分に向けられた言葉を、「ケナシ」「ホメ」というカテゴリーでみるのではなく、それが正当なものと自分が感じるかどうか、その点に判断の要をおいているようなんだな。(これは、もしかして、わたしのまわりにいる人が基本的にいい人ばかりで、不必要なケナシというものをわたしが体験してこなかったという、今も続く、温室育ちのせいかもしれん)。

ともかくじゃ、再度いうが、わたしはこの程度のことではクヨクヨなんてしないのだ。もっともっとほかのことで連日、クヨクヨどころか、息をするのも難儀するほどのモンダイにおそわれているのだよ。ぐははは。

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今時の小学生は茶の淹れ方を学校で習う、お、直接的タイトルだ

日記なんだから、日記らしいことを書こう。 
        *          *
コウちゃん(小5)が、お茶をいれてくれた。
最近、家庭科の授業で
「“お手伝い”ではなく、“家族の一員として”」というお題目のもと
湯をわかし、飲み物を準備する、ことを習っているらしい。
        *          *
それをいいことに、夕飯は
姉たち一家と「テンプラ大会with筍ご飯」であったが
「コウちゃん、ご飯、お替り~。家族の一員としてのお仕事ねっ」
とコキ使う。
        *          *
ところで
ウドのおいしい季節になった。
一番慣れ親しんだウドの食べ方は「酢味噌和え」だが
今夜のウドはテンプラさんに。
うーん。最高であった。
 

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畑あっての命 など

早朝アパートを出て、親の家へ。
     *     *     *
朝ごはんのあと、親父様は姉の車で買い物へ。
買うのは、夏野菜の苗。
(すべてを種から育てているわけではなく、苗を買う野菜もある)。
「え~、お店は10時からじゃないの?」
と思ったが、
ここら田舎では、農作業に合わせましょっというわけで
朝8時台から営業している店もあるらしい。
     *     *     *
ところで
親父様は毎日3食の食事の前後、薬を飲まねばならぬのだが、
本日、彼は、苗を買うことに頭がいったぱいで、
食後の薬を飲むのを忘れ、出かけてしまった。
帰宅後、そのことを指摘すると
彼はこういうのであった。
「だって、畑あっての、命やもんっ」。
     *     *     *
先の能登沖地震からひと月余り経ったが
昭和23年にも、北陸には大きな地震(福井地震)があった。
当時、親父様は海運局に入局したばかりの一番の下っ端。
そのころ船舶宛ての手紙は
郵便局の人に頼まれて海運局があずかっていたのだと。
港に船が入港するたびに手紙を届けるのは、下っ端の仕事。
その地震のときも、
ちょうど親父様は港に手紙を届けに行っていたらしく
彼は
船の帆がゆらゆらと不自然に揺れるのを不思議に思いながら見ていたという。
     *     *     *
わたしは人一倍、記憶喪失気味なところがあると自覚しているのだが
老親や祖母と話をしていると
「どうして、こんな、こと細かに昔の話を覚えているのだろう」
不思議でならないことがしばしばだ。
歳をとったから昔の記憶があざやかになる、というのではなく
彼らは
記憶のヒダの層の深さも広さもわたしとは大きく異なると
思えてならない。 
(話は飛ぶが、今日もお祖母ちゃんは80数年前の歌をうたってくれた。
わたしがリクエストした、「チョコレート、ビスケット、ドロップス・・・」の出てくる歌)。
60年ほども前の地震の話をするとき
親父様はまさにその場にいるような口ぶりで話す。  
母様もそのとき家の白壁が揺れていた様子を昨日のことのように話す。
かなしいけれど
わたしには
そんなふうに、鮮やかに人に語れる過去の記憶など、ない。
     *     *     *
テレビのニュースで
プロ野球球団の青田買い問題や、ゼネコンの談合が報じられているたびに
親父様は、いつも、ぶつぶつ文句を云っている。
(そんなもん、当たり前や。とか)。
親父様は平成になり勤め人を辞めた男だが、「彼は働いた時代がよかった」のだろうと
いつもわたしは思う。
それは、いっぱいおいしい目にあった、とか、そういうことだけではなく
(おいしい目・・・それを裏付ける証明のような話だが、彼は若い頃、汚職容疑事件の参考人でブタ箱に入れられたことがある。彼自身は学歴(大学にいっていない)のことがあり、出世には頭ウチのところがあったようなのだけど、そんななかでも、現物支給にかけては(酒とか食べ物とか)それなりにおいしい目にあっていたようである)。
彼の生きた時代は
ガチガチの決まり事に縛りつけられない
もっと、人と人の私的信頼の上に「仕事」が進められた時代だったのだろうと
わたしはまだわたしが子供だった時代の「社会」に想い馳せるのだ。
     *     *     *
わたしは、コネとか、根回しとか、そういうものは大々大嫌いな人間であり、
父親の生き方を肯定したいというファザコン的意識はみじんも持ち合わせていないことを
念のため、ここで告げておく。
わたしが言いたいのは
現代は
みながみな、スマートに生きることを要求する時代になってしまったのだなぁ
(と、今さらながら)
の嘆きなのである。
人間が集う社会には「規則」が必要。
だけど、現代は「規則」に人間が囲われているような気がする。
おっと、語弊のある言い方だな。
どの時代も、内容こそ違え、
「規則に人間が縛られている」ことに違いはないのだろうから。
(どんな小さな社会、たとえば二人っきりの社会であろうと、そこに規則が芽生える限り必ずや問題は生じる)。
今は官も民も、金持ちも貧乏人も、規則にあがいている。
その一員として、たまにはグチをいってみたいのだ。
ははははは~っ。
     *     *     *
現在、船舶宛ての郵便物は代理店(民間)に委託されている。
親父様は初めて配属された海運局で下っ端をやっていた時代、
毎月一回、郵便局の人に飲みに連れて行ってもらったという。
こんなこと、
今の時代じゃあ、「由々しい問題」となるのだろう。

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春の所感

4月26日

パート 1

今、隣家の庭は、春の花のさかりだ。基本的には「日本庭園」なのだけど、住まわれている方の趣味なのだろう、肩肘はらず、伸びやかな感じで、花木が植えられている。よく見かけるが名前の知らない背の低い白い花、エニシダのようにも見えるがはっきりとはわからない黄色の枝花、中程の距離のところには色とりどりのチューリップと、ムスカリらしき紫が辺りを覆う。そして、日に日に目立ち始めたのが、サツキの蕾。先週アパートに戻ってきたときはわかるかわからないくらいの蕾だったのが、今週になり、確実に大きくなっている。早い花が咲くまでにあと十日ほどだろうか。そして、用水路から流れこむ水場のわきに植わっているのは、たぶん、アヤメだと思うのだけど、これはあとひと月後くらいのお楽しみか。なお、金沢は水に恵まれた都市であるが、隣家のように、一般家庭に用水路の水が流れ込んでいるというのは、昔日の名残であろう。

パート 2

つい先ほど、ラジオJ-WAVEのなかの人(YO-KING さん)が、兼六園にある、現存する日本最古の噴水の話をされていたが、(機械を使っていない、高低差のエネルギーで吹き上がる噴水のこと)、そこから思い出した、兼六園話を少し。

先ごろの兼六園散歩で、親父様は「昔はこんなに園内に桜の木はなかったなぁ。桜の木は決められた一角に植えられていただけだった」と述べておったが、そういわれてみて、うん、なるほど。と、わたしは思った。兼六園のような庭園に、桜の木は似合わないのである。これは素人のわたしでも感じることだ。もちろん、桜の満開な時期には、その薄い花びらの可憐さを楽しみこそすれど、実はそれはこの日本庭園でなくても楽しめることであり、大量の桜の花がこの地に植えられている意味はほとんどないように、わたしは感じた。ひと目をひく可憐な花の大群がまわりの庭園となじんでいるかといえば、どうも、そうとはいい難い感もある。本来、兼六園という庭は、桜を植えることを前提として作られた庭ではないのだろう。たとえば、隣家の庭のように、かつての名残を残しつつ、今住む人の好みにあわせた洋風な(というか、日本庭園の基本を崩した)造りをしていくのも、それはそれで素敵なことであり、新しいよさ、というものを生み出しているのだろうけれど、どうも、兼六園の桜は、いただけない。そんな思いが残る。わたしにとって。

間もなく、日本列島の桜前線も、北海道に上陸するのであろうか。「日本の代表的な花は桜」と思うのだけど、はたして昔から、こんなにも日本中が桜で覆われていた~日本全国どこに行っても、沿道には桜の並木、公園には桜の大群、という風景がある~のかと考えると、わたしは傾げた首をもとに戻せなくなる。ちゃんと調べたわけではないのだけれど、現代の日本桜事情は、「桜狂」を自覚する日本人(地方公共団体)が、高度経済成長時代に「道路」を作ろう「ビル」を作ろうとしたノリの延長で、戦後の数十年かの間にだっだっだっだっだ~と植えたところに負うものが大きいのではなかろうか。(そんな想像上の桜事情に、横並びの「町おこし」風なあさましさを見てしまうわたしの心は、なんと、醜いのだろう)。

もちろん、わたしは沿道の桜並木も、公園の桜の大群も、大好きだ。ただ、兼六園の例があろうように、本来は似つかわしくない場所にまで、今や日本の土地はどこもかしこも桜の木が植えられている、(だって桜のない公園なんて、春先、みんなに「そっぽ」を向かれちゃうもんね)、そのことに対する悲しさは、ある。という話だ。日本人の自慢をあげるなら、いわゆる桜の名所だけでなく、山里にぽつんと咲いた老桜の花をも、愛せる気持ちをもっている。という答え方があるだろう。そう、日本中が桜の名所になってしまう必要はなかったのだよ、本来、この国は。だって、「ぽつんと咲いた老桜」を愛する心を、日本人はもっているのだから。

もちろん、桜の木には一本一本物語があるはずで、わたしがここで呟いていることは、実に大雑把な所感に過ぎない。

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にぎって

いまおかしんじ監督の映画に、「にぎって」という作品がある。

以前、わたしがそのタイトルを口にしたとき、ある人が「いかにもね(いかにもエロね)」という言葉を投げてきた。

そう、いまおか監督は、ピンク映画の監督という肩書きがあるし、実際、彼の作品のほとんどは成人映画館で上映されているから、「“にぎって”→アダルトな直接行為を連想」されるのも、いたし方ないだろう。

ぐふふ。と、わたしはそのとき笑い返したのだけれど、実は、タイトル「にぎって」は、「この手をずっとにぎっていて」という主人公の女性の心の言葉なのである。(なにをやってもついていない主人公のOLが、腐れ縁の男と復縁し、「この手をずっとにぎっていて」と・・・なるのである)。

世の中は、たとえば、「いまおかしんじ」+「にぎって」のキーワードから、=「エロ」を導く思考に満ちているけれど、また、それが多数派社会では「正解」とされるのだろうけれど、わたしは、そこからはみ出した思考の道を歩いていかなければ、自身の人生がものたりないのではないか、と思っている。(いまおか話は、もちろん、たとえである)。どうやったら、「はみ出した」道を歩いていけるのか、まだまだ手探りである。


なお、
いまおか監督は、主義・主張をまったく掲げないところが素敵だ。
(というか、主義・主張を掲げないという主義・主張が素敵?)。
「ボクの映画、観た人が『あ~、あほらしかった』という感想だけが残るのが理想です」というようなことを、たびたび仰っているし。
今、彼はヨーロッパの映画祭に行っているらしい。
もしや、なにか賞でもとってくるのか?

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ひれかつ日和

4月25日 水曜日

起きて、夕べ買っておいた「ひれかつ」、
あれは夢のなかの買い物じゃないよな。
と確かめる。

ふふふ
ロールパンに縦半分の割れ目をいれて
ひれかつをはさんで
ソースをたっぷりかけて、
即席「ひれかつサンド」の出来上がり。

アールグレー茶に、人肌に暖めたミルクを足して
朝食とする。
パクッ。う~ん。幸せ。

ロールパンを、あえて「レーズン付」」にしたのも正解。
(レーズンの甘さがときどき舌の上に登場し、かつの美味さも増すというものである)。


ちなみに、夜ご飯は。チンした冷凍ご飯の上に、「ボンカレーに、椎茸とピーマンとカレールーを加えた」ものをかけ、ひれかつを添えた。味を調整してしまったためか、「カルダモンの香りがきわだつスパイシーなカレー」という、ボンカレーさんの主張を十分に堪能できなかった。すまん、ボンカレーさん。

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乃し梅

4月24日 火曜日

東北の地より、乃し梅が届く。わたしにとってこのお菓子は青春の味でもある。
爽やかな酸味のなかに広がるほのかな甘み。上品な肉薄感。お茶請けに最高ー ・・・誰も見ていないのに、一人CMごっこ、したくなる。

深夜、片道30分かけて自転車をこぐ。目的地は24時間営業のスーパー。行きも帰りも雨にぬれながら。詩をうたいながら。

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特盛アイス

4月23日 月曜日

トースト、コーンスープ(缶入りスープを水でのばし暖めた)、目玉焼き、あらびきソーセージ、野菜、・・・の朝食はこの日だったか、いや、その前日か。

氷砂糖を、ばりばり噛んでました。歯に悪いなぁ。と思いつつ、氷砂糖を口にいれると、なぜか舐めていられない、ばりばり噛みたい衝動に駆られてしまうのです。ばりばり。

「特盛アイス バニラ・チョコ・抹茶の3種盛 チョコソース入り」という、410ミリリットルのアイスを食べました。かなり幸せな気分。

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ふう、休憩

なぜか、先ほどから、「思い出しながら書いた日記がことごとく、アップする前に消えてしまう!」現象が続き、「うん、もうっ」ということで、下、菊地さん話をはさむことにしました。

それにしても、金曜深夜から引きこもり生活がスタートし、月曜の終わりには「3日も過ぎたのに、まだ1日しか過ごしていない」ような気がし、本日(水曜)の夜、「5日も過ぎたのに、まだ2日くらいしか過ごしていない」ような気分におちいっている。うーん。引きこもりの魔の神は、時間感覚を狂わせるのであった。

思うに、欠かすことなく「日記を書く」「書きたい」という欲望を体内に宿すのは、神経症的なのかもしれない。(実のところ、「書きたい」のか「書かなければいけない」のか、わからなくなりかけている。そのこと自体が問題だ)。

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菊地さん

前月の数日間、このブログのプロフィール欄に、下記内容を載せていた。

          
牡羊座。血液O型。目は二重。干支は3回以上まわった。顔はシーサーみたい。乳は垂れている。生きるには「色」が必要。今一番の神様は、成ちゃん(菊地成孔)。音楽はまったく詳しくありませんが。というか、成ちゃんのこと、ほとんどなにも知りませんが。マンゴーやプリンや(ちなみにマンゴープリンはそんな好きじゃない)クサヤや木の実など、好きな食べ物は数えきれず。苦手なのはタコ焼き。
***ニュース***
わたしはジャズが苦手だ。ジャズといえば、ほぼ完全セットになって「バー」の飲みを思い出すから。克服したい。(3/7記)。「なんでこれがニュースやねん」と思うだろうが、「わたしはジャズが苦手」ということに、つい夕べ気付いたのだ。これ、自分にとって衝撃の出来事だ。(3/8記)。なんたって、成ちゃんは、ジャズマンだから。こりゃ、イギリス人の男を好きになって、「あれ、あたしったら、白人が苦手だったのね」とあとになって気付くようなもんである。(3/9記)。この続きは、いずれ、ブログ本文にて(の予定)。(3/10記)。
          

読み返してみるに、まるで中学生のようなノリだ。(中学生は干支を3回も経験してないけど。バーにも行かんと思うけど)。

相変わらず、生の菊地さん体験をした点を除いて「成ちゃんのこと、ほとんどなにも知りません」のままのわたしだが、ただね、いつだったか、あっ!と気付いたことがあった。

わたしは切羽詰った必要があり「神様」をつかんだ。わけだが、(神様が欲しくて右見て左見て菊地さんを選んだのではなく、俯いていたわたしのもとにぽとんっと菊地さんが落ちてきた、まさにそういう感じ)、なぜに、わたしが菊地成孔という人物に惚れたのかといえば、それは、彼の瞬発的な思考の深さと、大いに関係があるように思う。

思うに、わたしが惚れてしまう男性というのは、瞬発的に深い思考の出来るヒトなのである。

ふふふ、わたしの記憶にある一番最初の菊地さんは、今年1月、ラジオのなかで「夜中、Kマートの水槽の魚に喋りかけているんです」話だったと思うけれど、そのわずか数十分だったかの(途中から聴いたので)番組で、わたしはすっかり菊地成孔という人に魅了され、(ははは、魚に喋りかけるのが、なぜ「瞬発的な思考」と関係あるのか・・・)、そして次に聴いた放送で、なんだかよくわからないが、すんごく豊富な知識のある人だなぁということだけはわかり(フランスにあるベトナム料理レストランの話が印象深い)、そのうちアマゾンで取り寄せた彼の著書のいくらかの頁をめくり(未だ完読していない)、「やっぱりわたしが惚れるだけのある人だ」と納得し、・・・・今に至る、という具合。

わたしは、これまでの人生で、芸能人含む著名人の熱烈ファンになったことが一度もない。ただ、この歳になり、というか歳はあまり関係ないのかもしれないが、「生きていくには花が必要」ということは身にしみてわかる。そんなわけで、「成ちゃんのことをほとんどなにも知らない」わたしだが、菊地成孔さんは、わたしにとって「神様」にも近い、心のお守りになっている。


参考 今、お茶の間で触れられる彼の音楽はコレ

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ぐすーん。(前置き)

ぐすーん。

思い出し日記を書くのにも飽きたので、菊地さんの話を。

好きな男の子の話をするのは苦手な子供であった。わたしは。
子供、というか、いまだ、それは続いていると思う。

「大切なことを口にすると、それはどんどん自分から逃げていっちゃうような気がする」、それが理由のひとつ。

だから、わたしにとって大切な、菊地さんの話を、あまりしたくない。という気持ちもあるのだけれど。。。。。 やっぱり、しよう。

菊地さんを好きなわたしはまぼろしで、今のわたしはまぼろしの自分にすがっているところがある。のかもしれない。いつか、それを越えて、真正、菊地成孔さんの大ファンになっていれば、いいな。などとも思う、昨今である。

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記憶は食べ物から蘇る

4月22日 日曜日

ぼんやり。とにかく、ぼんやり。
「ぼんやり」していた、という以外、記憶がない。

ああ、そうそう、袋入り乾麺「日清焼きそば」を、生まれて初めて食べたのであった。(鍋で作る、インスタント焼きそば、ね)。

うっっとり。乾麺の匂い。
不健康なものへの官能的な魅力。
が、そこにあると、そのときは確かに感じたと思ったのだけど

日記を書いている今(25日)、ぜんぜんそれはウマいものではなかったなー、と思ったりする。(うーん。味覚は気分次第。あのときは、ひさびさの一人アパートだ、という開放感が、味覚に魔法をかけたのだろう)。

そうそう、この日は雨が降っていたのでした。

わたしは日ごろから、部屋にはお菓子のストックがたんまりあって欲しいたちで、かつ、毎日、ちょこまかちょこまかお菓子を食べているので、つまり、お菓子の消費量がけっこうすごい&買出し補充もたいへんなのだけど、この日、雨降りの音を聞きながら、「あー、昨日のスーパーで、もっとお菓子の在庫をいっぱい買っておけばよかったな」と一人ごちていたことを思い出した。

(ちなみに、ピーナツ、せんべい、チョコ、高級洋菓子……、少なくとも、この日のおやつは左なり)。


追伸 食べもののことを考えると、記憶とはおのずと立ち上がってくるものなのだな。ぐふふ。

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