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8月と同じ日の長さのころ

4月21日 土曜日
昼の起床。牛乳&シリアルを、ぼーっとした頭で食べる。(ちなみに、わたしは「シリアルに牛乳をかける」派ではない。「牛乳にシリアルをかける」派である。そうすると、シリアルがびちゃっとなりにくいのだ)。5杯くらいお替りしたあと、「ああ、今日はフリーDayだ」と思ったら、もっと寝なくちゃ損な気がして、また睡眠をとる。■16時頃、再起床。それにしても、鼻ぐずぐず、である。喉まで痛い。3月は軽症だったのに、4月になってから、特にここ最近、花粉症の症状がいちだんと悪化。「スギ花粉」ではなく、どうも、別の花粉にやられている?と思えてならん。■うどんを食べる。とうに賞味期限の切れたカマボコを入れて。うまうま。■と、食べ始めて早々、開けっぱなしにしてある玄関から「こんにちは~」の声が。はあーん。ご近所の人が「住民台帳」と「町会費」を集めに来たのである(*)。にこやかに対応した流れで、しばし、世間話など。(うーん、うどんが、のびてしまったではないかっ)。■土曜にアパートにいるのは久々で、開放感のなか、ラジオを聴いていたら、あっという間に時間が経つ。それにしても、日が長くなったな。今どきの日の長さは、8月のそれと同じなんだよな。そういえば、今どきから梅雨前にかけてが、一番、自然の厳しさが緩み、のびのびとした気候がみられるんだよな。それに呼応するように、人の気持ちものびのびと~。■そうだよ、そう。「春の始まり」の時期を「うきうき」と表現する人がいるけれど、それって、実はわたしには幾分の違和感がある。いや、語弊のある言い方だな。春になる喜びは、わたしにだって、ある。だから、たとえば友達に送るメールには「春ですね、桜マーク、うきうき」くらいのタイトルを気軽につけることもある。(ふふふ、他人には「違和感がある」といいつつ、自らは「違和感なく」それをやっているのだから、わたしも調子のいい人間だ)。言いたいのは、その時期の良さを、すりこみでなく、心の底から感じとれるのは、とても澄んだ感性の持ち主の特権であり、とても難しいことなのではないか。あるいは本当に辛い冬を越した人の特権なのではないか。ということ。少なくとも、わたしは「冬から春になる素晴らしさ」をまだ本当の意味でわかっていない(と思う)。だから、耳垢つまり春を告げる鳥の鳴き声を聞こえない人までも、目脂がくっついて春の新芽を見つけられない人までも、鼻糞つまり春の花の香りを楽しめない人までも、(もちろん、花鳥風月を愛でる話は比喩に過ぎん。本当の春の喜びというのは、そんなわかりやすい花鳥風月話では足りんだろう)、みながみな、「春だから、うきうき」となる姿には、ちょっと立ち止まってしまうことがある・・・というか。■一般的に日本人の気持ちが一番のびやかになるのは、春先ではなく、春が本格的になり、そして夏に向かう過程(梅雨前)なのじゃないか、と、わたしは思っている。(但し、これは本能レベルの話。個々慢性的に問題を抱える現代日本人にとって、季節のなかに本能的な喜びを見出すのは容易なことではない。と付け加えておこう)。■食料買出しのため、スーパーへ。帰宅後、半額で買った「百万石大名巻き」という巻き寿司を食べたら、すごいボリュームであった。卵、きゅうり、のほかに、海鮮類がこれでもか、これでもか、と、巻かれている。もしも(売っておらんが)「殿様巻き」というのを食べたら、感激のあまり、失神するかもなっ。

(*)「住民台帳」と「町会費」の話は、また近日中に。

引きこもり中継

ただいま、25日水曜日、夜の8時をまわったところ。

「おもいっきり引きこもるぞ~」と

両手を万歳し、ほくほくほくそ笑んでいたのは、

思い返すこと、先週の金曜の夜。

       *          *          *

文字通り、誰にも邪魔されることなく

おもいっきり引きこもりを堪能した数日だったのだけど、

(その間、なにをしていたかといえば、たっぷり過ぎる睡眠をとり、
不健康食品などを好んで食べ、シャワーを浴び、下着を洗濯し、
隣家の庭を眺め、ラジオを聴き、ときどきパソコンの前に向かう・・・)

そろそろ引きこもるのにも疲れてきたナ。

       *          *          *

この数日間の「日記」を書いていなかったので
今から記憶をたどりながら日記を書きます(ふふふ、ネット依存症)。

なお、この数日間、内容はともあれ、量的にはものすごい量のブログ記事を書いていたので(アップする日付は過去だったり)、正直、今、パソコンに向かうのは勘弁、って体調である。下欄に「その指摘を受けた」と書いてあると思うが、近頃の日記は単なる写生で(写生であることをわたしは卑下していない)、「写生」は「射精」にも似ており(って男になったことないから想像上であるが)、たくさんそれを「やる」と、も~、疲れちゃうのよね。飽きるというか、疲れるというか、体の活力を吸い上げられるというか。ほどほどの量なら、いいんだけど。過度な「しゃせい」は、ほんと、体に堪える。

この数日間、引きこもってよかったのは、「これで、気がすんだ」(一人でお篭りしたい願望が募っていたので)ということと、写生した文章を書いているだけではツマラナイという静かな自覚があったこと(「初めてしんきろうを見た日の日記」一連は、はっきりいって、病的であるとも思う。あの長さ。でも、あえて、病的であることを試みたことに、自分なりの意義があったと思う)、など。


“思想”がない

ブログ、読んでるよ。近頃のは、しゃせいだな。

しゃ、射精?

うん、スケッチだよ。

ああ、日々の心象の写生ですね。

近頃のは、“思想”がない。

ふふふ。そうよ。思想なんて、ない、わ。

もぐら時代は、良し悪しは別として思想があった。もちろん、・・・。

云わなくていいよ、もうナン万回と、「あの日記は好きじゃない」と聞かされたんだから。

・・うん。とにかく、・・・。


そんな会話を昨夕、久しぶりの人と電話でした。

ひらきなおり宣言

かつて、「もぐら日記」について、というよりも、わたしが本名で書いている文章と、もぐら日記の、あまりに隔たりある人格を、大いに問題視し、指摘してくれる方がいた。(そのことの影響は、やや捻くれた感じで、もぐら日記にもあらわれていたと思う)。

だから、このブログを始めるにあたり、その点は意識した。

つまり、キャラクター(人格)というものを、創作すべきか? 

わたしは、わたしが書く文章を、媒体問わず、ひとつのキャラクターに統一すべきなのだと、もしも自己規制したら、そこには、誰にも後ろ指のさされない、まっとうな、読む人が安心できる、少なくとも読む人が不快にならない、そういう文章を生み出すキャラクターを選ぼうとする可能性が、ないでもない。

世の中には、ネット上で複数の人格をもっている人がいるらしい。いや、ネットに限らず、現実の世界で、Aさんには「これは青」といい、Aさんのいない席のBさんの前では「これは赤」という、まったく別の人格を見せる人もいる。(もちろん、人は目の前の相手により、人格を覆う表情がいく分か変わってくるのが当たり前だが、「人格」を変えるのと「人格の表情」を変えるのではまったく話は違う)。

ただ、わたしは、そういう器用なことができない、と、最近になって、よりいっそう自覚してきた。つまり、「ひとつのキャラクターで文章を書き続ける」こともできないし、場所により、人格を使い分けることも、できない(*)。

あんた、それ、ひらきなおりだよ。と、他人からいわれても、わたしは、わたしの顔をしてやっていくしかないのだ。

先に挙げた、web文章と、紙文章の違いだが、(というより、ペンネームと、本名の違い、というべきか)、関係でいえば、web文章の人格は紙文章の人格を包みこむのだ。ん、意味不明かな。web文章も、紙文章も、ついでをいえば、文章を書いていないときのわたしも、全部わたしであり、んー、どういったらいいのでしょ、文章を書いていないときのわたしは全てをもっていて、web文章を書いているときのわたしはその時々はその時々書いていること以外の全てを捨てているからその時々の瞬間はとても偏っているのだけど総じてみればまあ全てに近いものをもっていて、紙文章を書いているときのわたしは紙文章以外のことをほとんど全て捨てているからそこにある人格だけが際立ってしまうのも仕方がない・・・という話なんだな。(ますます意味不明?)

(*)だから、web文章に比べ、紙文章に特別な人格が出ているというわけではないのだ。(その逆も然り)。

ともかく、アホ顔も、クヨクヨ顔も、発情顔も、まじめ顔も、精神恥部をなめる顔も、あらゆるものがわたしであり、しつこいが、わたしはわたしをやってゆくしかないのだよ。

これを「ひらきなおり」というならば、わたしはひらきなおった姿を自信にして生きていきたい。

菊地さんの言葉を無断引用

せっかくの機会なので、日ごろ、わたしがネット・ブログに関して思っていることを。

菊地成孔さんは、ときおり、こういうことを仰っている。

今更ネット依存やブログ文化論もありませんが、「菊地さん。更新が無くなりましたが、大丈夫ですか?ご自愛ください」とか「著作の準備中でお忙しいのでしょうが」といったメールが届く。という状況は未だ健在でありまして、「余計なお世話じゃ」とは申しませんが、「誰かに見守っていてもらわないと正常で居られない」という事こそナルシシズムの病理でありまして、ワタクシ昔日は「あいつはナルシストだ。ナルヨシだし」と誹謗/賞賛される事が多かったのですが、よしんば鏡を見て、心の中でニンマリしている者がいるとして、そんなものは今やナルシシズムとしては可愛いものであって、相互的に、まるで見張ってでもいるかの如く、常にネット空間の中で存在を確認し合っていないと不安に成ってしまう。という事の方が遥かに重傷のナルシストなのでありますぞ~。ワタシも過去はそうだったので、よおく分かるのですぞ~。

わたしが、ネット依存から脱しているかといえば、残念ながら、まったく脱してはいないだろう。(その証拠として、web日記を書くことで、かりに読み手の顔が見えなくとも、ある種の安心感を得ている、という点があげられる)。ただ、菊地さんのような姿勢はおおいにもっていたい! と思うのだ。

答えのひとつは「欲求不満」

さて、「もぐら日記」や当ブログを覗いたことのある方は、さぞかし、わたしのことをクヨクヨ人間と思っていることでしょう。ぐふふ。あたっております。しかし、わたしは一般に「もしやクヨクヨ」するかもしれないことを「ほぉーっ」と受け流してしまう面もある。

このブログにはカウンターをつけていないので、はたして何人のお人が読んでいるのか、まったく想像もつかない。ただ、旧日記の終了に関してメールを下さった方にはブログの開始をお知らせし、また「恋するアジア」にリンクを貼っていただいているので、まあ、「自分で書いて、自分でアップし、自分一人だけが読んでいる」状況では、たぶん、ない、と思っている。(ふふふ。わたしは、基本的に、旧日記もこのブログも、老両親と祖母以外なら、誰に読まれてもかまわないと思っているのだけれど・・・ここに書くことは彼らの理解の範疇を超えることであり、理解がなければ悲しみを誘うこととなり、また、理解をしてもらうには多大な時間と労力がいる・・・、なかなか人様にブログの存在をお知らせするきっかけがありません)。そんななか、過日、ふとしたことで、古い友人(ひとつ歳下の同性)に、このブログの存在を教えることになった。そして、1週間ほど前だったか、その古い友人から、こんなメール(前後省略)が届いた。  

    *    *    *    *    *    *
ブログ、少しだけ覗きました。トモミさんの心の淵は深くて、いびつで、入り組んでいてとても居心地が悪いです、私には。でも、誰しも同じようないびつさを持っているのだなー。そして回復力とつまづきと失速、そしてまた、、、。そんなことを認識させてくれるような感じです。トモミさんのブログへの思いって何かな~?とか思うこともありました。
    *    *    *    *    *    *

はっきりいって、わたしはこういうメールで「クヨクヨ」はしない。ただ、「心に留まる」程度のことは、ある。心に留まるというのは「心の淵は深くて、いびつで、入り組んでいてとても居心地が悪いです」という箇所で、せっかく感想を書いてもらっているのに失礼かもしれないが「でも、誰しも同じようないびつさを持っているのだなー。そして回復力とつまづきと失速、そしてまた、、、」という箇所はほとんど心からスルーしてしまう(なぜスルーするかは、これまたいつか書く機会もあろう)。

さて、ずいぶんと前置きが長くなったけれど、ここでは、「トモミさんのブログへの思いって何かな~?」の返事を、簡単に触れておきたいと思う。

ひとつ、記録的意義(自己満足)。ひとつ、日々の精神安定。

それに加え、最近、自分で感じているのは、(これも一種の精神安定だが、方向性が上記とはまったく違う。もっと長期的な意味があるんだな)

書いても、書いても、物足りない、いわば、書くことへの欲求不満から書いている、

ということ。

これは、もしかしたら、質の高い文章を書いていれば、ブログあるいはブログのようなものは、わたしには必要がない、ということなのかもしれない。


お知らせ

               
今月上旬の旅の日記の続きをアップしました。
               

初めてしんきろうを見た日の日記 七 ・・・浦島太郎の目

ときどき手紙を下さる、台湾の田舎に住む女性(もう八十近いのかな)から便りが届いていた。自分のことや、身近な人の近況に加え、近頃の台湾情勢なども記されていた。わたしは台湾に好感をもっていないわけではないが、細かくかの地の様子をチェックするほどの好奇心までは持ち合わせていないので、この便りで「へーっ」と思うこともあり。例えば、台中~埔里の高速道路が完成したら(本年完成予定)、この区間は30分で着いてしまうのだと。これまでは2時間の道のりだったのに。先ごろ完成したらしい台湾新幹線を利用すれば、台北から埔里の移動なんて、おちおちと居眠りする間もないだろう。乗り物好きのわたしにとって、それは便利というよりも、さみしさが先にたつ。また、いよいよ(といっていいのか)台湾全島の蒋介石の銅像を壊す決定がされたそうだが、うううむ、久しく台湾に行っていないわたしにとって、今度、台湾の土を踏むとき、「そこは、浦島太郎の世界」かもしれんなぁ。その便りのなかには、「恩師の息子さんが台湾にいらしたので、一緒に正月を過ごした」話も書かれていた。“日本時代”を知る人は、年々少なくなっているけれど、それでも、今も、その絆を強く結んでいる人々がいる。台湾と日本の両方で。なかには、二世の絆も育まれているようだ。以前、別の台湾の方から聞いた話だけれど、「日本に行ったとき、恩師の子供さん夫婦がホテルに訪ねてくれたの。でも、私たちは買い物に出てて、居なかった。それを、子供さん夫婦はずっと一日、ホテルで待っていてくれて。ようやく私たちと会えたとき、お小遣いをくれて・・・」。たしか、その金額は一万円と聞いたような記憶も(いい加減な記憶なのであてにならず。ただ「かなりの金額だな」と思った記憶ははっきりある。その日本行きの旅行自体がずいぶん前だったようで、当時の仮に一万円としても、やはり、小さくはない額だ)。その話をしてくれたオジサンは、お金のことじゃなく、いつ戻るかわからない自分たちを待っていてくれた、恩師の子供さんの、そういう「日本人らしさ」(台湾の人の想いに残る「日本人らしさ」と表現したほうがいいのか)に感激していたのを、わたしははっきりと覚えている。ところで。唐突な発言であるが、わたしは浦島太郎になりたい。いや、今の台湾を知ることはもちろん面白いのだろうけれど、仮にふたつの目をもつことが難しいならば、わたしは浦島太郎の目をもちたい。

初めてしんきろうを見た日の日記 六 ・・・暮らす

22時頃、親の家を辞す。コンビニで牛乳を買って、24時過ぎ、アパートに帰宅。冷蔵庫を開けると、飲みかけの牛乳が入っており(こういう二重買いをしてしまうことは、珍しい)、うー。と唸る。

当地に暮らして驚いたのは、家庭ポストに配られるチラシやフリー冊子の多さ。この4日、家を空けているだけでも、冊子が4冊、チラシ類(数える気もせん)ふた桁あるかもな、が投函されていた。内容は、レストランやショップの紹介、住宅斡旋、仕事斡旋、などなどなど。たぶん、都会の駅前や繁華街で配っているようなものも、当地では家庭ポストに配られるから、この数になるのだろう。現アパートでは、ポスト口に投函されたものは、そのまま直に玄関に落ちることになっているので、こうやって数日間家を空けたあと、玄関のドアーをひらくと、あがががが~、文字通り「足の踏み場がないっ!」。

おまけにですよ、(と、急に愚痴モード)、社会のなかで暮らすとは、それだけでいろいろありますわなぁ~。ついこの前、支払ったばかりと思うのに、電気代、水道代、ガス代、電話代、携帯電話代、国保代、国年代、カード代 etc(上記、一部、ウソをついております。というか、ウソじゃなく、それに加えて、「督促用紙」も来ているのだな。ぐふふー)、どうしてこう、いつもいつも届くのでしょう。えええいっ。かといって、電気の通わない部屋に暮らしたくなければ、毎月毎月、死ぬまで払っていくしかないのですなぁ。これが現代に生きるということなんですなぁ。ぶひんっ。

と、そんななか、一般のお手紙が届くことは珍しいので、玄関のチラシマットのなかに、そういうお手紙が混じっていると、とても嬉しい。

(続く)

初めてしんきろうを見た日の日記 五 ・・・ 老化と食い意地

ふうっ。

ご苦労さんな一日であったが、無事に夜はやってきた。

寝込んでいる親父様のわきで、母様と我は、(珍しく母様が「新発売だった」といって買ってきた)缶ビールで乾杯し、夕食を。

豚のしょうが焼き、甘エビの刺身、スティックサラダ(大根・ニンジン・セロリ)、ホタルイカの沖漬け、(姉のもってきた)ホタルイカの出来損ない(らしい)料理、大根の即席漬け、おひたし、麦入りご飯。

が、今夜のメニュー。寝込んでいるヒトがいるからと、家族が遠慮していては、こっちの身がもたない。こっちはこっちで楽しまなければ。ふふふ、まず、スティックサラダなんて、親父様だったら、「硬い!」と文句を云って食べないだろう。今日は、生野菜を、二人でバリバリ食べる。麦入りご飯も、親父様のつく食卓では、まず食べられない。彼は白米主義者だから。(昨日は今年初のカツオを母様と堪能。「お父さんも元気になったら、食べさせてあげるから」と母様は親父様に声をかけていた)。

ところでですよ、

わたしは、親父様を見て、「生きるとは、食い意地の張っていることなのだろうか」と思うことがある。彼はほんとーに、食べることへの関心が衰えない。というか、昔はそんな食い意地が張っている人間と思ったことがなかったのだから、彼の場合、「歳をとる=食べ物への関心が高まっている」ともいえそうだ。

親父様の食い意地ぶり。食事が喉を通らず寝込んでいるときでも、テレビの料理番組を見て、あれこれ喋っている・・・や、母とわたしが食べているものには必ず「それなんや?」と聞いてくる(今夜もしかり)・・・、話は以前の日記に書いたと思うが、

例えば、今日の夕方、母とわたしが食べていたおやつ(鳴門市の芋きんつば)にも、案の定、彼は興味をもってきた。ただでさえ、他人が食べているものは気になるタチ。それを、わたしが「うまい、うまい」と云い、おまけに、その材料が彼の関心度大大大なサツマイモなのだから、どうにも味見をせずにはいられなかったらしい。(しつこいが、昼飯も食べていない人である)。一口、味見をし、「なーん、うまくない」と感想を述べ、また寝込み体制に。そして寝込みながら云うのである。「こんなもん、材料費は△円くらいやわ」「××のきんつばのほうが、よっぽど、うまい」。

なんだか、上の発言は、親父様の「悔しまぎれ」な気もするなー。(と、今、書きながら思ったので、その流れで思い出した話を書く)。***昨日だったと思うが、母様と親父様は二人で「あまおう」(苺の品種。近年市場に流通している苺は「あまおう」が主流らしい)談義をしておった。以下、そのなかのひと会話。親父様「あまおう、食べたいな」。母様「そんなもん、△△ちゃんが買ってきて、前に食べたじゃない。美味しくなかったじゃない」。親父様「ふんっ、そんなこと云って。お母さんは、あまおうにヤキモチを焼いているんだな(親の家では、あまおうは育てていない)」。***おーーーーい。あまおうにヤキモチって、なによ? まったく途中から子供の喧嘩を聞いているようであった。(ま、子供の喧嘩のような会話は日常茶飯事だ)。

そうそう、話は、食い意地が張っている、であった。食後、先月の法事の引き出物でいただいた、一粒ずつ、上等な紙で包んである、紀州の梅干を、コタツの上に出していたら、これまた案の定、親父様が「なんだ?これ」。「梅だよ」と答えると、彼はうずうず「味見」モードになったらしい。いったん、わたしはその場を離れ、戻ってきてから、普通の梅干(自家製梅干)を食べようと、ビンを開けたら、げ~えええええ、齧りかけの、紀州の梅干が混じっている!! 犯人は、わかっておる。わたしが苦情をたれると、犯人は平然とした顔で、「な~ん、うまくなかった。続きは、明日、お粥と一緒に食べるわ」だと。うううううー。母様によると、彼は「梅のお菓子のつもりで口にいれた」らしい。「地球はワシのためにまわっておる、でありますね」と、わたしは、色の薄い梅干に触らぬように取り出した、色の濃い自家製梅干を舐めながら、云ってやるのであった。

先日、ある方に出した手紙に、「人は年を取ると子供に還るといいますが、まさに、わたくしは父と接し、目の前でそれを見ているような日々です」と綴った。うん。今度、そういう手紙を書くときは、「老化と食い意地」を考察した話も織り込もう。

初めてしんきろうを見た日の日記 四 ・・・治らない趣味

そんなわけで、午後、わたしは祖母のところ、母様は畑仕事と接骨院(肩が痛いと毎日通っている)、親父様は「午前の労働がたたり、倒れこんでいる~」かと思いきや、ふらつきながら、畑に肥料を届けるなどという、めいめいの時間を過ごす。

夕方、わたしが家に帰ると、一人お留守番していた親父様は「待ってました!」というように、玄関に出てきて、「靴は脱ぐな」とおっしゃる。

うっ。来たな。
なにかまだ労働させる気だな。

案の定、ピカリ正解であった。

まず、椎茸の木。

先日から、母とわたしの食べている椎茸を見ては、「こんなに傘が開いてしまっては、胞子が飛んでしまって、美味くない」とたびたび文句を云っておったこともあり、まだ中ぶりの、傘の開ききる直前の椎茸を、収穫。

それから、椎茸の菌のつけてある木は、現在、「赤ちゃん椎茸の出てくる以前の木」、「椎茸の出始めた木」(なめくじの少ない場所に)、「もうすっかり菌の出きった木」の、3ケ所に分けて置かれているのだが、それを親父様の指示により、木を選び、めいめいの場所にえっちらおっちら移動。

その後、「赤ちゃん椎茸の出てくる前の木」と、「椎茸の出始めた木」に、ホースで水を掛ける。しかも、わたしが最初に出していた水力では弱いそうで、「これはな、パチンコを打つように、強~い水でやらなきゃならん。そうせんと、木に水がしみん」という説明つきの、お手本つき。

それらがひと段落したら、「おい、大根、洗えや」。

冬の大根を、収穫したあと、また畑に埋めて、春にも美味しく食べる。そんな方法を親の家ではとっているのだが、午前中、掘り出してきた大根が数本、玄関前に転がったままになっていたのである。そして、泥のついた大根を洗い、今日明日食べる分を家のなかに運び、すぐには食べない分を納屋のなかに一時保管。

そのほか、いろいろな野菜が親の家では保管されているのだが、今日は、これまた納屋に保管されている牛蒡が水分不足でカラカラになりかけていると、牛蒡の水分補給もする。

んー。まだまだ、親父様のご指示は続きますぞ。

種から育てている、夏野菜の苗。日があたりすぎないよう、一日のうち、なんども置き場を変えているのだが、そろそろ日が翳り出す時間なので、それらを納屋にしまうとか。きゅうりの苗は、まだ芽が出始めたばかりの赤ちゃんで、保温のために硝子板でフタをしているのだが、それも一緒にしまう。

(ここに書いていることは、老親が日々、当たり前にやっていることのごくごく一部に過ぎない。たとえば、数年前から都会でさわいでいる「ロハス」な生活の信奉者には、まず、日本の田舎の爺さん婆さんに弟子入りしてもらいたいと、わたしは思ったりするのである)。

ひととおりの「ご指示」が終わり、わたしが庭の椅子に腰掛けて休んでいると、親父様は庭木の手入れ(というほどのことでもないが、余計な葉っぱをむしっている)を続けている。「なにか食べたの?」と聞くと、「ヤクルトを一本飲んだだけ」と親父様は答える。ここで気の利いた親子なら、「あら、ダメじゃない。体力ないんだから、もう中に入って休んだら」、「おお、そうだな。お母さんとお前にいろいろやってもらって助かるよ」の一言くらいありそうなもんだが、そんなこと、彼の口から出てくることは、地球がひっくり返ってもないだろう。

話は、彼のお得意話というか、大好きな話に、自然流れる。

「ヤクルトは1本40円もするやつで、お母さん、高い、高いって云うんや。わし、だから、遠慮して飲んどるんや」「ふ~ん。別にそれくらい高くないじゃない。だって、この前なんか、お母さん、温泉土産に、すんごい高いおかきを買ってきたよ」「お母さんはな、普段、ケチなの。でも、温泉とか行くと、値段を見ずに、あれもこれも買ってくるんだ」「いいじゃない。たまの楽しみなんだから」「しかもな、次の店に行って、また買い物して、前の店で買ったものを置いてくるんや。今までになーんべんでもある」

そういう話を、でっかい声で、するのである。妻が居ないと寂しいくせに、居ないとなると(いや、居るときにでも)、喜んで、時場所かまわず(家のなかはもちろん、畑でも、庭でも、病院でも)、母の話(一般的にいえば悪口だな)をするのである。これは、もう、生涯かけての、彼の趣味であろう。

もう、彼の「自分自慢好き」なところとか、妻の話を好んでするところとか、治してくれとは、わたしは思わない。だって、治しようがないもん。彼の、治らない趣味、なんだもん。

初めてしんきろうを見た日の日記 三 ・・・穀雨

朝の話。8時前、「もうパン焼いていい?」という母様に起こされ、起床。いつもなら「もっと寝かせてくれ」と布団にしがみつくところなのだが、前日「明日の朝は洋食にしてね」とリクエストした手前(*)、また、今日の母様は畑の水やりに行かなければいけないことを知っていたので、眠い目をこすり、起床。■親父様はすでに白粥を食べている最中で、しかも、「ワシ、畑、行かんなんもん。力、つけんなんもん。無理して食べる」と、お替わりを母様に要求している。えええ! 点滴の薬が全部入り終わって、まだ一日しか経っておらず、いつもなら、この時期、「つらい、つらい」と、お粥など、とても喉を通らんというのに。どうしたのだ?■なんでも、来週、夏野菜を植える予定なのだが、天気予報を見ていると、「今日、その準備」をせねばならん日らしく、「お母さん一人には任せられない」と自分も畑に出ることにしたのだと。■あー。まったく、もう。ほんとうは午前中に祖母のところへ行き、昼には金沢に戻る予定であったのだが、そんなことを知り、おちおちと金沢に帰れるわけないじゃないかっ。しかたなく、「手伝うよ」と申し出る。(母様は「用事があるんでしょ。無理しないでね」という感じなのだが、親父様は「これで人足が増えた」と喜んだに違いない)。

(*)40歳手前になった娘が、70代の母親に、ご飯を作ってもらう、なんてのは、世間的には「なんじゃ、情けない」となろう。あんた、その年齢なら、普通、自分のご飯、プラス家族のご飯、場合によっては、舅や姑の介護食、まで作らにゃならんのだよ。。。。 なんて考えは、わたしは持ち合わせていない。「普通」を意識していたら、わたしは生きていけんよ。

話は農業話に移る。

今は穀雨である。(穀雨=24節気のひとつ。春の暖かい雨が降り、穀物の芽が伸びる頃。と、モノの本にはある)。 まさにその雨が「明日あたりから降る」ようで、その前に、夏野菜を植える土壌の最終準備をしたかったらしい。親父様は。■土壌をこしらえるといっても、一時の作業では終わらない。すでに何度か耕してあるところを、本日は、さらに軽く耕し、均し、また植える作物によって、いろいろ方法は変わってくるのだが、穴をあけて顆粒の肥料を撒いたり、あるいは植えるところの両脇にタテの溝をつくり、藁から作った堆肥を敷き、油カスや鶏糞を撒いたり、など。なんでも、植える直前にそれ(土壌に肥料をやる)をしたら、根が腐ってしまうので、しばしの時間を待って、土壌を慣らさねばならんらしい。■体力がなく、現場監督役となった親父様は、あれこれ母様に注文を出している。いつものことだが、大雑把にコトを進めようとする母様と、几帳面な親父様(ほんのちょっとの量しか植えないものでも、彼は、ロープをはって、直線を図り、さらには等間隔に植わるよう、メジャーで距離を測るのだ)が、仲良く穏便に作業を進められるわけがない。長年培った配偶者操縦知識により、母様は、表では「はい、はい」と親父様をたて、しかし、手の抜けるところでは、こっそりと手を抜いているようである。(ちなみに、これもいつものことだが、わたしのクワの扱い方がなっとらん、と、親父様は何度も注意を下さる。たしかに。わたしだって、上手に扱えたらいいなとは思うけれど、どうしても、「手伝ってやっている感」が先にたち、農作業に対する積極的な思いというか、情熱が高まらん。←これ、本音。情熱がなければ、なかなか上手くはならんのだよ)。■この土壌作りは、数箇所で行われ、お昼のサイレンがなっても、作業は全部終わらず。残った、カボチャの畑は、午後から、母様に任せることに。(追記。この作業で相当応えたらしい親父様は、家に帰ったあと、もう一動作もできません、とばかりに、昼ごはんも食べず、寝込んでしまった。そりゃ、そうだ。お医者さんから「入院しますか?」といわれるくらい、抗がん剤の点滴はツライらしいのだから。現場監督だけでは気がすまない彼は、結局、あれこれ、自分でも手を出し作業したのだが、途中、救急車で運ばれなかっただけでも、良かったといわなければならん。・・・・・なーのであるが、あとで母様に聞いたところによると、「午後、私が畑にもっていくのを忘れた肥料を、お父さんたら、わざわざ畑に届けに来たのよ」。まったく。「あの人は、はたして、仮病をつかっているのではないか?」としばしば母様と我が言い合わねばならぬほど、ツライと嘆きながら寝ているときと活動するときの波がはげしい)。

午前の畑仕事が終わり、家に帰る前、お昼のお菜を調達。青物は、菜の花。菜の花は、なんとか(←名前忘れた)の花と、コマツナの花と、通称「菜花(ナバナ)」と呼ばれるものの花を、摘んだ。この「菜花」の花は、ふわっと、軽く甘い香りがした。お昼の食卓には、そんな3種類の菜の花とブロッコリーのおひたしが並んだ。

初めてしんきろうを見た日の日記 二 ・・・車椅子

散歩のときの話。車椅子に乗ったお祖母ちゃんは、わたしが海岸で貝殻を拾っているあいだ、日向ぼっこをして待っていた。そして、わたしが彼女のもとに戻ると、浜辺の植物の話や、貝殻の話をしてくれた。いずれも、わたしの知らない話ばかり。ところで、わたしが両手いっぱいに拾った、お祖母ちゃんの部屋に飾るための貝殻を、お祖母ちゃんは「邪魔やわ。これはお友達にあげられ。海のない所の人は喜ぶわ」と云った。ふふふん、祖母らしい。人からの贈り物を「邪魔」なんて決して云わない祖母が、あえて、そういう言葉を使うなんて。たっぷりと潮風を楽しんだあと、別の場所に移動しようというとき、お祖母ちゃんは、わたしの誰にもあげるアテのない貝殻を、両手でつつみ、膝の上に乗せ、部屋に帰るまで大事に持っていてくれた。

時間は戻る。散歩する前の話だ。お祖母ちゃんの部屋には、かつてお祖母ちゃんのお世話をしてくれていたヘルパーのSさんが遊びにきていた。一年近く前まで、自宅で一人暮らしをしていた祖母は、朝と昼と夜、数名のヘルパーさんが交代で食事の支度をしてくれていたのだ。Sさんは一年以上前、旦那さんの健康問題でヘルパー業を休んでいると聞いていたけれど、職を離れてからも、ときどき、祖母の顔を見にきてくれるのだ。(身内誉めのようで恥ずかしいが、祖母のもとを訪ねてきてくれる元担当ヘルパーさんはほかにもおり、これは祖母の人柄のせいであろう)。本来、ヘルパーさんは、契約者以外の世話をしてはならない決まりがあるのだが、それはそれ、わたしは、祖母が自宅に暮らしていたとき、ヘルパーさんが特別に用意してくれた二人分の料理を、いくどか、こっそり食べていた。特に、元・給食センターで働いていた経歴のあるSさんの料理は、とても美味しかった思い出がある。なんとはなしに、わたしは今日、Sさんと祖母の三人でお茶を飲みながら、「幸福」というものを身近に感じていた。

現在、お祖母ちゃんの居るところは食事つきなので、週一回掃除のヘルパーさんだけを頼んでいる。Sさんの帰り際、しかもSさんが廊下に出たあとで、お祖母ちゃんは「Sさん」と声をかけていた。なんの用かと思ったら、「また家に帰ったら、よろしく頼みますね」と云いたかったらしい。(Sさんの旦那さんの健康状態も落ち着いたらしく、「自分が自宅に戻ったら、またヘルパーさんとして来て下さいね」とお願いしたかったのだ)。祖母の家が仕上がったのは去年の暮れで、そのときは「新しい家、暖房の扱い方も分からないのに、年寄り一人で暮らすのは大変だ。春になったら、また考えよう・・・」ということで、まわり(叔父や叔母)の意見は一致していた。

そして、春がやってきた。

お祖母ちゃんは、(わたしに遠慮して?)、あまりそのことを熱心に云いはしないが、いつもいつも、自宅に帰ることを考えている。それは、なにげない祖母の一言や、表情や、祖母がほかの人と話す言葉から、わたしには手に取るようにわかる。

普段の祖母は、足が3点に分かれた杖か、歩行器を使って、生活している。外出の機会が少ない彼女にとって、車椅子に乗る機会は、ごくごくたまにだ。「都会では、車椅子の人も、電車に乗ってるよ。目の見えない人だって、一人で街を歩いているんだよ」と、いくら祖母に言っても、「車椅子の姿」を他人に見られるのは恥ずかしい、と、祖母はいう。

それなのに、わたしは「車椅子が恥ずかしいなんて考えを止めたら、いつでもわたしが車椅子を押して、家につれていってあげる」(これまで祖母が一時帰宅するときはいつも車なので)と、祖母に向かって云ってしまうのだ。

初めてしんきろうをみた日の日記 一 ・・・竜宮城

午後、お祖母ちゃんと、散歩した。

海の向こうに立山連峰が、くっきりと、ではなく、雪をかぶった頭の部分だけ、薄ーく見え、その前方には、工場の煙突のようなものが2本、ぼやけながらも立っている。「あれっ?」。普段、こんなものは見えなかったと思うのだけれど。。。。 

「あれ、しんきろう、かな」と聞いたら、お祖母ちゃんは「違うわ。しんきろうは、もっと・・・・」と答えた。

子供の頃、小船に乗せてもらって海に出たとき、「あれが、しんきろう」と教えられた先には、まるで、竜宮城のような光景があった、と、お祖母ちゃんは云う。たしかに、海の向こうに、竜宮城のようなものが見えたのだと。

ふーん。

夜、テレビを観ていたら、「今日はしんきろうが観測されました」とニュースの人が云っていた。わたしが見たのは、やはり、しんきろう、だったようだ。生まれて初めての、しんきろうである。

そういえば、お祖母ちゃんたら、去年だったか、「お友達と一緒に部屋から眺めていた海の向こうに、建物らしきものがぼんやり見え、あれはしんきろうなのかなぁと、お友達と喋っていたの」と教えてくれたのに。。。。 わたしと今日、海を見ていたとき、彼女はそんなことをすっかり忘れ、「しんきろうは竜宮城みたいに見える」という記憶でいっぱいになってしまったのね。


*しんきろうの見え方にはいろいろあるらしい。
わたしが見たのは上位しんきろうの一種だろう。

ヒヨコとゴンゴン祭り

朝、病院に行く途中、とあるホテルの朝食(ショーウインンドーに飾られた朝食)を、じぃーと目で追いながら歩く親父様。「あんた、前日も、今朝も、(抗がん剤の副作用でキモチ悪いといい)食事をとれないでいるのに、よう、そんなもの見れるわね」とわたしがいうと、親父様は「だって、どこにどんな食事があるかを、日ごろからチェックしておくのは大事なんだ。二日酔いで朝キモチ悪くて食事をとらずに家を出ても、仕事の前には何か食べておかなくちゃと、よく外でモーニングを食べたもんだ」という。おーい。それ、昭和の時代の話だろ。しかも、単身赴任していた頃の。◆年をとると昔の話をつい昨日のことのように語る傾向の人がいる。この親父様も、ご同類。近年、「勤め人時代」や「子供の時代」の話を、つい昨日か一昨日のことのようにお喋りするので、こちらのアタマは「???」、で、「それはいつの話だ?」と確かめなければいけないこと、しばしば。◆昨夕も、ゴンゴン祭りという地元の雨乞い祭りがテレビで紹介されると、「ヒヨコをね、ゴンゴン祭りのときに毎年買うの。そう決めていたの。でも、コタツのなかにいれていたら死んでしまってね」という話をいきなり始めるので、「いつの話?」と確かめることに。――それは親父様の子供時代のこと。ゴンゴン祭りの縁日で、毎年彼は、ヒヨコを3匹ほど買うことに決めていたらしい。そして、ヒヨコが寒がってはいけないと、(祭りは毎年この時期。北陸の4月はまだ寒い)、ある年、箱にいれたヒヨコをコタツで暖めていたのだと。コタツは掘りコタツ。お布団を半分かけ、半分は外に出していたが、どうしてか、ヒヨコはあの世に逝ってしまった。ヒヨコが寒さに弱い、というのは、近所のヒヨコ屋が“暖かいタンス”でヒヨコを飼っていたことから、知っていた。しかし、掘りコタツが一酸化中毒を引き起こすということを、まだ幼い彼は知らなかったんだな。そして、また別のある年、庭に放していたヒヨコを、近所のネコが食べてしまい、それ以来、彼は、ゴンゴン祭りになっても、ヒヨコを買うのをやめてしまった。――そんな話もやがて、「ネコは恩を知らん生き物だ、それに比べ犬は・・・」と、とてもネコには軍配のあがらない語り口の、それはそれで楽しいお喋りタイム(「喋っている本人が楽しい」の意味ね)につながるのであった。◆病気療養中のヒトとはとても思えん、お口の達者度である。(抗がん剤の点滴は、隔週。つまり、月の半分は、体力衰えたといいつつも仕事をできるが、月の半分は抗がん剤の副作用で、トイレに立つのもふらつくような「ほとんど寝たきりのヒト」になる)。今は寝たきりのヒトの時期なのだけど、このようにお口は元気に動き、はたまた、朝も起き掛け、「(先日植え替えしたばかりの、わたしのもってきた観葉植物たちに対し)まだ根っ子が落ち着いていないから、あまり強い日差しにあててはいけない」と、遮光役の手ぬぐいを、鉢の前に仕立てているのであった。
背伸びせず、ゆるゆると日常生活などをつづります

はえともみ

Author:はえともみ
 
万の風になって、生きる。

ちちんぷいぷい~。
(HSPの自覚あり)
「うつと仲良く! ひきこもりだっていいじゃない」と
開き直って生きてたら
元気になってきました。

→ 近年は、老母の観察メモの
(&それに伴う自身の変化など)
色合いが濃くなっております。
・・・ま、長い人生の一コマですな。

徒然な日々も、留まることはない。
すべてがいとおしい。だから書く?

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