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「狂い雪」

晴れ、ときどき、曇り。時折、にわかに、雪がちらつく。こういうのを「狂い雪」と云うとか云わぬとか・・・・・。

こんなにも人と口を利かず、自分だけの世界にこもっているのは、世の中にいろんな「引きこもり」があるとして、決して軽症とはいえない域に我は達しているのだろう。ここ最近のイベント事や、老親とのやりとりで、それなりの世界が我にもあると、このブログを読んでいる方は思うだろう。が、ほんとうに、文字通り、それ、しか、今のわたしにはない。あるいは、それだけもの世界があるともいえるのだけど。

わたしは、引きこもりそのものも、ダークな精神世界も、嫌ってはいない。むしろ、孤立した暮らしが、おのれに安らぎを与え、他者からはウツの烙印を押される精神状態が、おのれに冷静な思考をもたらす限り、わたしはむしろ、それらを愛する。つい俗っぽい価値観に影響され、孤立やウツはいけないという思いに引きずられそうになることもあるけれど、わたしは、たとえば孤立やウツを力ずくで訂する生き方には賛成できず、(もちろん、力ずくで孤立やウツから脱するのが似合う人間がいることも、わたしは認めている。それはそれでよい。わたし自身はそれが似合わないということ)、今後はこれまで以上に、孤立や孤独やウツや湿っぽさを愛してゆきたい。

先日より、何年ぶりかで、川上弘美さんの本を読み始めた。思うに、手にする本は、心のバロメーターでもある。彼女の、ほっこりする文章に触れることができるのは、そうとう気持ちが良好トーンに近づいている証拠なのだろう。そうだといいな。ちなみに、タイトルは『東京日記 卵一個ぶんのお祝い。』。ちょっとずつ、ドロップをなめるように、味わっている。

わたしは「殺人を犯したい」と思ったことは、生まれてこの方、一瞬たりともない。でも、今年にはいってから、「人を殺したい。殺したら、どんなにスウッとするだろう」の考えに取り付かれた人間の頭のなかみに近いだろう、募る欲望を我慢しなければならない狂おしさを、身をもって知った。繰り返すが、わたしは誰かの生命を奪ったり、肉体を傷つけたいと思ったことは、一度たりともない。犯す欲望、それと向き合う自我の苦痛。という話だ。理性がすぐ隣に鎮座していても、「実行しない限り、自分はこの欲望にとらわれ続けるのだ」という感覚に追いかけられる苦しみ。いまだ、ぜんぜんそれらは過去形とならず、今、現在も、それと戦っている。

人生を続けていれば、こんなわたしの苦しみも、「狂い雪」のようなものだったと、「遠い日」を思い出せるときがくるのだろうか。そうだといいな。

【追記】
あ、一連を書きながら、なにかヘンだなと思っていた。あれは「狂い雪」でなく「キチガイ雪」と云うのであるらしかった。ふふふの勘違い。ま、書き直しせず、このままでいこう。

ヨーロッパ的な人情

そろそろ今シーズンのドラマも、最終回と、ほうぼう、あいなっているようである。我が母様が今シーズン、贔屓にしていたテレビドラマは、月曜の「浅草ふくまる旅館」と、水曜の「ハケンの品格」と、木曜の「渡る世間は鬼ばかり」であった。■今夜は「浅草ふくまる旅館」の最終回。このドラマは親の家にいるとき、我もちょろっと数回観ていたが、もう、西田敏行ワールド、人間味たっぷりの、まぁ、週の始まりにくつろいで観るには、いいドラマであったと思う。そうとう人気があったようで、来秋には続編が放送されるらしい。■浅草といえば、下町。下町といえば、人情。今現在は訝しくても、かつての浅草には人情があった。そんなスリコミが、日本人なら、浅草と縁のない人間にも、往々にして備わっているだろう。んだが、しばらく前にナナメ読みしたエッセイ(*)のなかに、「実のところ、浅草にはかつてもそんな人情とやらは、存在しなかった。浅草にあったのは、もっとクールな人間関係。人々が想像するような人間くさい人情というのは、大阪の下町にはあったけれど、東京の下町には存在しなかった」なんて意味の話がのっていた。■我が思うに、浅草にまったく人情がなかったわけではなかろう。が、それは泥くさい、おせっかいがましい人情ではなく、洗練された、アジア的というよりも、ヨーロッパ的な、個を重視した上で成り立つ、紳士的な人情だったのではないか。それが、現在では、いろいろ衣をつけられて、浅草そもそもの色あいを、言い様によっては歪められているというか。。。。 「いろいろの衣」とは、現代日本人の願望のことである。我らの枯渇しているもの=すなわち我らの望みの色合いに、浅草のイメージが染められているというか。ぐふんっ。■ただ、浅草から一歩遠のいた下町には、もしかしたら、アジア的な人情がたしかにかつては存在したのかもしれない。例えば、千住とか立石とか、町屋とか日暮里とか。なんとなくの、イメージだけどね。■(*)北杜夫のエッセイだと思うのだが、今、このブログを書くにあたり確認しようとしたら、該当記述がどこにもみつからない。おかしいな。ほかの人のエッセイだったのだろうか? たしか、著者自身も浅草に人情イメージをもっていたが、浅草に詳しいある作家友達から、それは違う、これこれしかじか……と、人情イメージを覆す話を聞いた、という内容であった。

日曜日の日記

目が覚めて、隣にいるコウちゃんをギュウゥッと抱きしめる。そして、一緒に天井を見上げながら、あれやこれをお喋りし、また隣を向いてギュウゥッと全身でコウちゃんを抱きしめる。そんなことをしばらく繰り返し、ともに居間に行ったら、まだ朝の7時であった。

ともちゃんは、どうして一人で寝れるの? これは、3~4年ほど前、甥のコウちゃんが独り言のようにつぶやいた言葉。祖父母宅(わたしにとっての親の家)に泊まるとき、僕はパパやママや弟と一緒に、祖父母の寝室の隣の部屋で寝る。なのに、ともちゃんだけ、どうしていつも一人、2階で眠っているのか。そのことが不思議でならず、そもそも「一人で床につく」ということが、彼にとってはあり得ない行為なのだ。■生誕と同時に、彼は、まわりの大人たちの手により、安全とか安心とか、やさしさとかやすらぎとか、ほとんど隙間なく、無条件に守られるべき好意の厚皮にくるまれ、育った。■普通、人は成長とともにそういった皮をはがされ、いつしか一人で眠ることも平気になり、いや、それどころか、むしろ一人でいるほうがくつろげるという性質までをも得てゆくのだろう。■まもなく小学5年生になるコウちゃんは、昨夕、生まれて初めて一人で汽車に乗り、祖父母宅にやってきた。そして、一人でお風呂に入った(←これは前から出来る)。でも、まだ、一人で眠ることは、難しい。幼稚園時代から、パパママおらずとも、ちょくちょく一人で祖父母の家に泊まっていたが、晩は必ず、爺ちゃんのお布団か婆ちゃんのお布団にもぐっていた彼。■そんな彼が、夕べ、珍しく、「ともちゃんも一緒に1階で寝ようよ」と誘う。「いやだよ、爺ちゃんのラジオ、うるさいもん」と断れば、「だいじょーぶ。爺ちゃんにイヤホンしてもらうから」と、「イビキもうるさいもん」と断れば、「だいじょーぶ。一回寝ちゃえば気にならないから」と食い下がる。そんなこんながあったのち、相当な疲れがたまっていた我は、先に一人で2階に上がり床についていたのだが、蛍光灯消したなか、またコウちゃんから「ともちゃん、一緒に寝ようよ」のお誘いが。面倒くさくなったわたしは「だったら、コウちゃん、一緒にここで寝よう」と答えたら、彼は喜んでわたしのお布団にはいってきた。■これまでも、コウちゃんと一緒に寝たことはあるけれど、この部屋(彼にとっての祖父母の家の2階)で、しかも、二人っきりで眠ったのは初めてだ。夕べ、寝入るとき、コウちゃんはまるで修学旅行の友人同士のようにいろいろお喋りしたがっていたが、わたしはあまりに眠くて、それに付き合わず、先に寝息を立ててしまった。

午前中、コウちゃんは、婆ちゃんにあやとりを習い、爺ちゃんは、コウちゃんの雑誌教材で、英語の勉強をしておった。「アップル」とか「キャロット」とか、教材にツバを飛ばしながら(目に見える大きなツバ)発音する合間、「ん、ニンニクも玉ねぎも、オニオンではなかったか?」と首をひねる爺ちゃん。「ニンニクはガーリックでしょ」と我が助け舟を出すと、「ああ、そうだった」と、またツバ飛ばしながら発音学習に戻るのであった。




還る道

上野千鶴子『ミッドナイト・コール』「往還」113頁より

 ふつう、人は、就職したり結婚したり、そして家族をつくったりすることで、自分をこの世につなぎとめるポジションを確保するのだろう。子どものできた人には、「生きてく理由ができてよかったわね」とポンと肩を叩いてあげたい気がする。二十年ばかりもあなたのヒマをつぶしてくれるのだもの、子どもに感謝こそすれ、あとでモトをとろうなんてセコイことは思いなさんなよ、と言いたくなる。
 子どものいる人に比べれば、わたしには、この世にしのこした仕事も、死ぬに死ねない理由も、何一つないように思える。逃げ足の速いわたしが、逃げ切ったあげく、今度は帰り道を見失ってしまったのだろうか――仏教には<往相>と<還相(ルビ・げんそう)>という言葉があるが、<還相>のあり方が見えないのだ。
 そんな思いを、酒場の片隅でひっそりと口にした時のことだ。
 ――あなたはもう還ってきてるではありませんか。あなたの中にある他人に対するやさしさ、それがあなたの<還相>でしょう?
 と、その人は言った。
                                      (以上、引用終わり)


本日、無事、披露宴は終わった。先日より、上野さんのエッセイのこの部分を思い出しながら、我はこの日に向けて心の準備をしていた面がある。相変わらず、底の浅い精神と向き合い、ひぃひぃ、ぜぃぜぃ、やっている我の往相であるが、このまま往相だけで人生を終えることは、できない。かといって、水泳選手がプールのなかで壁に手をつきターンするように、「手ごたえ」得ての人生の折り返しを迎えることは、我には無理だろうとも感じている。ならば、ひぃひぃ、ぜぃぜぃ、もがきながら、人様が還相の途上で見つけるものを、為すことを、そのおこぼれを少しずつ貰い齧りながら、生涯、我は往相を行くしかないのではないかと思う。そして、それが同時に、わたしなりの還相の道にもなればいいなと、うっすら期待している。

本日の司会は、人の歩み、伴侶をもったり、子供を育てたり、あるいは家族を作らずとも無償の愛を誰かにそそぐ、そういったもろもろの営みが欠如しているわたしなりの、世の中への恩返しのつもりでもあった。

新郎新婦は夕べ東京からやってきて、本日の昼より披露宴をし、夕方にはもう当地を離れ彼らの日常に戻るという、あわただしさ。「忙しくて」と彼らは言い、親はそれをまるきり信じている様子(信じるしかない)。しかし、本当はいくらでも、彼らだって時間の調整はできるのだ。ただ、故郷に費やす時間(今の彼らにとってそれは非現実)より、自分たちの目の前の<日々の現実>のために、より時間を使いたいということなのだろう。わたし自身が親元を離れている約20年のあいだずっとそうだったし、いや、今現在だって、その基本姿勢は変わらない。だから、彼らの気持ちはよーくわかる。これは若さの特権でもあろう。この披露宴は、「親の気が済むなら」と、ただそれだけの理由で彼らは開催を承諾したのだ。わたしが、自分が歳をとったな、と思うのは、そんな彼らの気持ちを手にとるように知りながら、自然、彼らの親の胸のうちにより重きをもって感じるようになったことである。

司会の務めとしては、最初の緊張が大きく、100点満点でいえば30点ほどと自己採点するが、まぁ、ぶっつけ本番の余興(新郎新婦へのアドリブ質問)などがかなり盛り上がり、その点でいえば、まあまあの出来であったとは思う。できるなら、「もう一回やらせてくれ」といいたいところだが、それは、さすがにタブーだわね。

32年前のワンピース

今日のわたしの衣装は、ベッチンのワンピース。

光沢ある紺碧色にブラックのラインが踊った生地。
首周りは深めのVの字
お揃い地のストールをまき
腰は緩めのベルトを添え
丈は膝下。

これは、
昭和50年、我の小学校入学式のとき
母様が自分で着るためにあつらえたものである。

ずっと以前に、このときの――
名古屋市立上野小学校の文字はいった
入学式の看板とともに
このワンピースを着た母様の隣に
ピンクのワンピースの女の子が立っている
スナップ写真を見た覚えがある。
たしか
母様は今よりふっくらし
女の子は緊張しているのか、やや気難しそうな顔をして。

ふふふ、あれから32年。

母様は洋服もおやつも
なんでも喜んで手作りしちゃう人で
もちろん
紺碧色のワンピースも、ピンクのワンピースも
彼女の手作りである。
近年はかつてのように熱心ではないが
あまり多勢の視線や流行の価値に左右されない
既成の品よりも自分の手を入れたものを愛する点や
「もの持ち」の良さは、当時も今も変わらない。

そして女の子は
ほがらかさよりも、気難しさをひきずって
中年に向かっている。


(ベッチン・・・・別称、綿ビロード) 。

とにかく眠い

*『拝啓、父上様』は、ここ最近で一番おもしろいドラマのような気がする。
 (今シーズン、ほかのドラマはなにも観ていないんだが)。
 
 女将さん(八千草薫)はボケても可愛い。ボケセリフもいい。
 個人的には、雪乃ちゃん(高島礼子)の「女の美学」に注目。
 一平くん(二宮和也)のハマリ役はいうまでもないが、
 脇役者さんたちの個性光る演技も随所に楽しめる。
 なにより全体を流れる雰囲気が我のしみどころに合致するんだな。

 来週の木曜が最終回。
 このドラマ、数回見逃しているので、まことに残念。
 ちなみに一平くんが育ったのは、わたしの生誕した土地であった。

 
*夕べ金沢に戻ったと思ったら、本日午後、また金沢を離れる。

 いよいよ明日は、披露宴。

 今夜は食事をいただいたあと、
 新郎新婦とはじめてのご対面。
 新婦の家族とはじめてのご対面。
 そして最終の打ち合わせ。

 親の家についたら、夜の10時半で、
 いろいろやろうと思ったことは明日にし、
 この日記を書いたら、もう寝よう。
 今、まぶたが半分閉じている。眠い。

ブツブツブツ

ここ最近、老人観察日記が続いていたな。
ぶひっ。

先日、披露宴の司会台本を作ったと書いたが

その後、オリジナル判断は不安だなぁ
(例えば、おしまいのことを、「お開き」としたが、お開きって、OK言葉?
開く、ひらく、ヒラク、・・・、なんか、開く→拡大→離 のイメージもあるような。
おお~、もしかして、これって忌み言葉の仲間なのか?)

考え出したらキリがなく、図書館でマニュアル本を2冊借りたのであった。

んでもって、毎日のように、台本の練り直しや、喋りの練習をしているのである。

本日は夕方の電車で金沢へ。

車中、車窓に向かってブツブツブツ。

駅を降りてから、あえて歩行を選び、歩きながらブツブツブツ。

いざとなったら、「頭、真っ白」になるかもしれんが
できるだけ
せめて祝宴に至るまでの流れは、ソラで言えるようにしたいと

暇さえあれば、ブツブツブツ、と司会の練習。

ふふふふふん。
ま、長らく凍結していた脳のほぐしにも、いいかもな。


ちなみに、「お開き」はOK言葉であった。

老人と椿

寒さは依然残っているものの、お空の荒れはひと段落。
ときおり、白いものが舞っているけれど、すぐに止み、また日が射す。

朝っぱらから、母様と親父様が双方ズレた話をしているので
「敬老会の会話は食い違って当然ですな」と仲裁(通訳ともいう?)してやると

親父様は「おまえはワシを老人と思っとんのか」と、白髪ボサボサ頭、目には目脂をつけ、腰から点滴ボトルを下げた姿で、すかさず、お返事下さる。んでもって、「ワシはおまえよりハシカイ。(ハシカイ=方言で「賢い」の意味)。おまえは、日興コデアルの件を説明できるかっ」と続くのだ。

「んっ、それをいうなら、日興コーディアルじゃありませんかの」と
我が切り返すと、話題はそのまま笑いのなかに消える。

自分は賢い、政治経済いろいろモノを知っている・・・等々は、親父様の口癖であるが、いまいっぽ、彼は肝心なところで、ずっこける(カタカナ固有名詞を自分読みしているとか。←このケースは多い)。昔は、姉もわたしも、父はとても頭のいい人であると、信じて疑わなかったし、それはたしかにそうであろうと今でも思うのだが、ただ姉とわたしの思い込みというのは、父自身の演出に負うところがずいぶん大きかったのだろうな、と、わたしは近年、彼のずっこけ具合を身近に目にするようになり、知ったのだ。

過日の日記にも書いたが、親父様は約2週に一度、抗がん剤の点滴を打ち、それから一週間近くは、ほとんど寝たきり、の人。食事もできん、下手すれば一日中なにも喉を通らない状態であるが、それでも、彼のお喋りに休日はない。本日も、テレビで湾内に迷いこんだ鯨が映し出されたら、「鯨の捕獲にはいかなる方法があるか。。。云々」を熱く語り、わたしの行った室内の花の水やりにそそうがあったらしく、その注意をした流れで、(彼は農業命、盆栽命、だけでなく、花を育てる趣味もある)、椿の接木について延々と語り出し・・・、おいおい、病人さん、あんたようそんだけお喋りする体力ありますな、と思いつつ、老人顔にうなづき返す我であった。

都合のいいときは「ワシは年寄り」「ワシもボケたな」と自ら云う親父様。(確か本日は「棺おけに胸まで浸かっている身だ」と自らを称しておった)。つい最近まで、わたしも面白半分に、親父様に向かい「老人」とか「ボケたんじゃない?」と口癖のようにからかっていたし、今もからかっているのだが、それは、実年齢よりはるかに若く、ホントはボケてはいないと思うから、安心して云えたのである。が、ここのところ、いよいよというか、やっとというか、脳内系の「老人性」が、ごくごーく、わずかながら加速しているように感じないでもない。(行動のもたつき、など)。

彼の顔はこの一年で(がんの告知以来)まるっきり別人のように変わった。日に何十回と、幼子のような、疑いのない、世の中を安心しきった人ふうの、満面の笑みを浮かべる親父様。死と直面する病気は、人相までも変えるのだ。

ふうっ。

彼の老人街道はまだまだ途上である(と思いたい)。
今後、どのような老人力を見せてくれるか、楽しみでもある。

海の拾いもの

で、一晩明けて、本日の親父様は、抗がん剤の点滴(48時間連続の注入。薬の入った携帯ボトルを腰に下げている。ボトルから伸びる管が、肩甲骨下辺りに作られた穴につながり、それを通して薬を投与)がはじまり、毎度のごとく、しんどそうにしている。

ん? いつもより、体がつらそうに見える?

母様によると、「(親父様は)一昨日も、海に行って、でっかい流木を拾ってきた」そうだ。しかも、それを、「一人で納屋の二階に上げた」んだと。

まったく、ぶひん。
点滴前に体力消耗していると、点滴中のつらさが倍増するらしいのに。

その流木、海から自宅までは自転車で運んだらしいが、おい、その流木って、驚いても驚き足りないほどのデカさらしいな。きっと、成人男性でも腰が引けるような重さのやつなんだろう。(その木は、いずれ、今使用している盆栽台がダメになったとき使うんだと。母様は「いったい、何年後の話だ!」と呆れていた)。

先ごろは、砂浜の砂を大量に盗んできたらしい。(海岸近くの駐車場から自宅までの運搬は姉の車を使ったらしいが、その量と、車まで運ぶ体力を考えると、はぁ……)。その砂は、自宅の庭のちょっと低くなった場所に撒いて、水はけをよくするのに使用。

話の流れでいっちゃうが、彼はなんだかよくわからんが(ガラクタという意味でなく、わたしがちゃんと観ていないからわからないということ)海からいろんなものを拾ってきては、庭に運びいれたりする。(定置網漁に使う「浮き」を拾ってきたときは、母様が迷惑がっていた)。

ま、親父様にいわせれば、「波によって、漂着するものも、また、打ち上げられる砂の種類(質?)も違う」んだと。だから、ただ、拾うのではなく、風を読み、計算して、海に行っている、らしい。

人間は歳をとると子供に還るというが、まさに、我が家でもそういう感じ。母様も、姉も、わたしも、もはや、高度経済成長期を生きていた(*)、あの父の姿はあたまの片隅にしかなく、今は、半分子供に還ったような「自由の人」に、日々呆れつつ、ため息すれすれ、よろこび伴い、お付き合いしているのである。

ちなみに、親父様は、漁師町のなかにある商人の家に育ち、役人として海運関係の仕事を60歳ほどまで続け、まあ、考えてみれば、生涯、海と縁の深い男なのである。


(*…かつての「もぐら日記」にも書いたと思うが、父の単身赴任、姉とわたしの学業などで、家族4人がそろって暮らした年月は短い。わたしの記憶にある家族というのは、高度経済成長時代で止まっているような)。



今夜も親の家に宿泊。天気は、曇りと晴れ。寝雪はほとんどない。

下記の追記

(*)毎度、この手の話をすると、つい、長くなる。(ほんとは、もっともっとしたいのだけど)。この手の話をすると、ある種の男は異常な怒りを表し(ねじれた怒り?)、またある種の男は急に静かになってしまう。もしも同性にこの手の話をしたら、「お相手のいる」女性のうちのいくらかの人々は、顔は笑みながら、腹の底では気分悪いだろうし、かといって、「お相手のいない」女性に話して、相槌でも打たれようなものなら、ぶひ~、ひがみ者同士の醜い会話になりそうだから、これは絶対に避けたいのだ。また、自身に経済的な自信があったり、そんなものを超越したカッコイイ女性、あるいは「腹で思っても語るべからず」の信条ある女性にとっては、耳にもしたくない、醜くさ極まる話だろうから、んー、できるだけ、こういう、暗黙の了解でありながら、一般にはブラックな秘め事である話はつつしんだほうがいいのだろうか・・・。

【追記の追記】
もー、ええかげん、わたしも、ものの陰から本音をちらつかせるのではなく、堂々と、大きなリスクを背負って、「タブー」を「タブーとせず」語るキャラクターに成長したほうがいいのだろうか。

ふふ、「いいのだろうか」連続だな。
これでいいのだろうか?

バランス

お金で買えないものはない。プロ野球の球団だって買えるし、女心だって買える。

たまたま目にした今朝の日経新聞に、「ホリエ語録」と称した上の言葉が載っていた。

この手の発言が彼の本音だったのかどうか、誰も知る手立てをもたないが、この手の発言から、彼に対する不快感や嫌悪のようなものを抱く人間は少なくなかったろう。「お金でなんでも買えるだって? そんなことはないさ」と、揺るぎのない自信をもって。わたしも、その一人だ。

が、しかし、彼にこの手の発言をさせるだけの世の中は存在する、その事実は否定できないし、そもそも、彼の発言が仮に真理に反しているとしても、彼にそう思わせる(言わせる)体験があったからこそ「ホリエ語録」が誕生したことはまぎれもない。

お金があらゆることを操る社会。それって、金の亡者ばかりで成り立っている社会のようであり、お金と節度ある関係を築いているように見える人々とばかり付き合ってきた、また自身も亡者ではない(と感じる)わたしには、拝金至上など縁のない社会のようにも思えるが、はて、貨幣社会の現代において、厳密な意味で「お金で動かない」人なんているのだろうか。

お金? お金で心は買えないよ。お金でモノや時間や地位や体は買えたとしても。
というのは、間違いだ。お金は常にお金の形をしているとは限らず、お金を介して、つまり、お金を使った別の姿をもって、他者の心にしのびこむことはできる。

お金は、人に余裕の心を生ませるし、それが人の幸福も作る。

ときにお金は所有者への影響にとどまらず、お金のある者は他者にチャンスを与えることもできるし、慈善を施すこともできる。上手く使われ続けば、社会の好循環となる。

お金は、ときに愛情を生むこともできる。

特に男女のあいだにおいて、明確な意識にはのぼらずとも「相手の経済力を値踏みする」というのは、自身に相当な財力がない場合の、たいがいの女性にある現象だろうし、それは「露出」してしまった場合、男と女の双方にとって決して気持ちのいいものではないけれど、まもなく39歳になろうというわたしにはそれも仕方のないことと思えなくもない。ましてや、人様の恋愛をほうぼうで耳かじりした経験で断言するが、お金は男に自信をつけさせる有力なツールである。先にいったとおり、女は無意識に「男の財力」を観察していても、それを表立って表すことはほとんどないから、おめでたい男たちは、「彼女は金に執着しない、いい子だよ」「彼女は僕という人間を純に好いていてくれるんだ」と、幸せな時間を味わうことができる。(*)

また、自分一人では金に執着なくいられても、家族のために、お金と本意でない関係を結ぶ人もなかにはいるだろう。むしろ、そうやって生きている人が大半なのかも。(「お金と不本意な関係」を広義にとらえれば、収入を得るために無理な労働をすることもあてはまる。それは一概にマイナス現象とはいえない。それはそれで当人に充実感をもたらし得るのだから、見方を変えれば、それも、幸福を作っているといえるのだ)。

先に、「お金で動かない」人はいない、としたが、かといって、人は「お金だけで動く」のでは、もちろんない。お金以外の価値、たとえば、信頼とか道徳とか自尊心とか、愛とか(愛情に必ずしもお金が絡みはしない。これは上記の話となんら矛盾せず)、その他の、お金でないものの魅力とか、人間本来の満足感とか、まあ、それらとのバランスなんだろうな。

お金がないことが不幸を作ることもあるが、かといって、お金のないことが必ずしも不幸に結びつくわけではない。だからこそ、どんなシビアな世の中になっても、「お金がすべてじゃない」の道理が息づき、多くの人のなかからその信念が消えることがないのだろう。

冒頭の「ホリエ語録」だが、間違っているとはわたしは思わない。
だけど、それだけが正しいとも思わない。
同時に
「ホリエ語録」は間違っていると思う。
だけど、間違っているだけではないとも思う。
そこには真実を含み、真実を反するものをも含んでいるから。



ははは。まったく、アタマいかれ人間のブログであるな。
まともな人間はこんな「当たり前のこと」など、わざわざ文章にしないだろう。
よほどの暇人間か? いや、そうじゃない。
暇なんじゃなく、いかれ、ているのである。
いや、いかれているというよりも、欲求不満なのかもしれん。

そーだ。欲求不満なのだっ!


本日の親父様

夕べは親の家に泊。

雪、青空、雪、青空、雪、青空、雪、青空、雪、青空、青空・・・・・の、またまたヘンな天気。

朝、わたしが納豆をかき回していたら、「200回ね」。真に受けて、ねばねば真剣に箸を回していたら、「そんなに回さんでいい」。

連ドラ『芋たこなんきん』に、お凛さんの店が登場したら、「この店、おでんしか置いとらん」。

番組名は忘れたが、テレビで北海道のシャケが映ると、「わし、シャケに生まれんでよかったな。シャケに生まれたら、ヒグマに食べられ、××に食べられ、××に食べられ、ああ人間に生まれてよかった」。

『3分クッキング』で、材料のマスタードが紹介されると、「こわくさい(←方言。えらそうの意)。“からし”っていえばいいのにっ」。

昼下がりのNHK総合。オホーツクの海をとらえた映像。ヤドカリが映ると、「ヤドカリって、どんな味がするんかのぉ」。ドスイカという、普段は深海に生息しているイカが映ると、「ああ、刺身にしたら、美味そうやなぁ」。

一日中、好き勝手、楽しそうにお喋りしている、我が親父様(76歳)。

今日は雪もあり、彼の畑仕事はお休み。しかし、足がなまってはいけないと、ふらりと散歩に出かけるのであった。午前の散歩。帰宅後、玄関からトイレに直行。なんでも、いつもは散歩時にトイレットペーパーを折りたたんだものを数枚、ズボンのポケットにしのばせ、大をもよおしたら、松林のなかでいたすんだと。でも、今日は、「おんこ(←方言?。うんこの意)したくなったけど、紙を忘れて。まさか松の葉で拭くわけにいかんしのぉ」と、家に帰ってきたのである。ちなみに、ポケットティッシュでは、拭いたあと、紙がお尻について、ダメなのだそう。排便用の紙にこだわりのある彼である。

午後も、一人雪のなか散歩に出かけた親父様。なかなか帰ってこないので、「近くのキャンプ場に、白い幕を張り、白い服を着ている集団が、最近いるらしいの。海に向かってお祈りしているんだって」と母様が話すのを受け、「白装束の人たちに、お父さんは誘拐されたんじゃないか?」と冗談をいう我。帰宅後の親父様によると、「白い人たち、撤去作業をしてた。△△って書かれたトラックがきてて。数えてみたらの、(白装束の人たちが作った)仮設トイレは26個あった」そうだ。新興宗教集団を覗きに行く、もの好きな彼である。そして、その様子を細かく報告する彼である。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
ちなみに、納豆は200回以上回すことにより栄養が高まる説があるらしい。『芋たこなんきん』のお凛さんの店でいつも客が注文するのが、おでんなのである。生だけでなく、死の話も、ぽつりとすることのある親父様。「“からし”だと、南蛮辛子と間違うからだ」と速攻応える母様。ドスイカというお目にかかるだけでも珍しい生物を「食べる」発想に結びつけるなんて。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

親父様の病気はさておいて、平和な時間が流れている親の家である。

あぐねている人へ

保坂和志を経由した、いまおかしんじ監督経由の、手紙

これは書くことに限らず、なにかを積み上げてゆくときの、誰もが通る道なのだろう。

宇宙の法則

青空、雪、青空、雪、青空、雪、雪、雪・・・・ ヘンな天気。

朝、近所の饅頭屋に行ったら
「言ったことはいつか必ずその人の元に返ってくる」
そんな意味あいの
(つまり、他人に「アホ」「ボケ」「おたんこなす」と言っていれば
いつか必ず「アホ」「ボケ」「おたんこなす」な出来事が自分に返ってくる)
お説教が書かれた紙が貼ってあり、
その末文には、「これが宇宙の法則」とあった。

近ごろ、この手のことを、やたら見聞きするのは
わたしだけではなかろう。
「ありがとう」と感謝の言葉をたくさん口にしましょう。そうすれば途は開けます。とか
身の周りで起こっていることは、その人の心を映す鏡です。とか

わたし自身(前にもこのブログに書いたが)、「なるほど。そうだよな」と
そういった目には見えない世の中の仕組みというか
神様の手腕の秘密のようなものを感じることはあるけれど

なんかさ、こう堂々と、あっちでもこっちでも、その手の説教の氾濫に触れると
ちょいとした気味の悪さを感じないでもない。

ひとりひとりがそっと自分の胸にもっていればいいものを
たぶん今に始まったのではなく、はるか昔から、先人たちがしずかにもっていたものを
まるで宗教の布教のごとく
(しかも昨今のこのブームは、「アガリスクはガンに効く」といった洗脳系に近いような)
絶対の自信のもと声高に叫ばれると
そういったことごと(「ありがとう」発声が幸福を導く etc)が
丈のあわない服を着せられているような気分になってしまうのだ。


ところで、本日は
来る披露宴の会場スタッフと打ち合わせ。
人間と喋るほどよい緊張というか、「行け、行け、ドンドン」な前向き思考とそれを表現する快楽というか、社会人満載の会話をする喜びというか、「忘れていた自分」と再会する、気持ちよく呼吸のできる場であった。

すり鉢

天気は雨。

もやしDay。

まずは、温野菜風。
もやしと、アスパラと、マイタケを、電子レンジでチン。
(大量の黒い汁がでて不気味であった。汁は捨てたけど。
 マイタケは油で炒めたあと、野菜とからめたほうがよかったかも)。
肉まんとカフェオレも一緒に、朝ごはんとする。

真夜中、小腹が空いたので
小麦粉ベースのたねに、生のもやしと、白胡麻をいれ、焼く。
一口サイズの「お焼き」風。
もやしの水分を考えて、カタめのたねにしたのだけど、
んー、仕上がりも、カタすぎた。はは。
ソースとマヨネーズを添える。

以前、母様より、「ゴマはすり潰してから使いなさい。
そうじゃないと、大便になってそのまま出てきてしまうから」
と言われたことがある。

事実、ゴマって、なかなか消化されないんだよね。
ウンチのなかに白いぶつぶつ(明らかにゴマ原形)を発見すること多々あり。
しかし、なかなか面倒で、普段、わたしはゴマをすり潰して使っていない。

先日、金沢市内の陶器屋さんで、花の絵柄のついたゴマすり鉢を発見した。
「当店のオリジナル」との説明で、すり鉢に描かれた花も様々である。
たぶん、ひとつひとつ手描きなのだろう。
たしか千円台だったと思う。
うー。欲しいなぁ。

なお、もやしは、あと1袋半ある。
もやしラーメンにでもするか。

背伸びせず、ゆるゆると日常生活などをつづります

はえともみ

Author:はえともみ
 
万の風になって、生きる。

ちちんぷいぷい~。
(HSPの自覚あり)
「うつと仲良く! ひきこもりだっていいじゃない」と
開き直って生きてたら
元気になってきました。

→ 近年は、老母の観察メモの
(&それに伴う自身の変化など)
色合いが濃くなっております。
・・・ま、長い人生の一コマですな。

徒然な日々も、留まることはない。
すべてがいとおしい。だから書く?

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