ともみ@ピクニック

性を売る

これを書くと「ガクッ」と思う人がもしかしたらいるかもしれないが(同性であろうと、異性であろうと、他者から「ワタシ性欲がないの」といわれるよりは、「ワタシ性欲があるんです」と打ち明けられるほうが、おもしろい。そんな無責任な宿命が世の中にはあるからね。決して、わたし個人に対する興味関心etcそんな自惚れを推測して云っているのではない)

わたしには健全な動物的性欲というものがない(のだと思う)。

前に何度か「性を売る」願望の話をしたが、その最大にして、ほとんどを占めるといっていいであろう目的は、自分を痛めつけることにあるのだ。(単純な話でいうと、蚊にさされて痒いとき、患部以外の部分をツネって、蚊の痒みを忘れようとする動作のようなもの)。

ただ、わたしも空気だけを食べて生きてきたわけではないので、好きな人と肉体的に結ばれたいという衝動も体験的に知ってはいるし、今後、万一、そういう衝動に駆られることがないとも限らない。また、性を単にお金に交換するだけのものととらえる単純さを排除するだけの現代ニッポン社会に生きてきた。

前にも書いたとおり、性を売ることは、わたしにとって「仏門に入る」ようなものであり、そこでは、第三国の外国人であろうと、身体障害者であろうと、乞食であろうと、性を売るならば、差別なく、性を提供すべしの方針でなくては(わたしにとっては)ならない、の話になるのである。

・・・・・今、性の話をする気分ではまったくないのだけれど、前々より「わたしは、わたしが性欲たんまり人間と、ほかの人に誤解を与えているのではないか? わたし自身はそういう誤解を受けるのはかまわないのだけれど、まるで人をだましているようであり、誤解をしている人に申し訳ないなぁ」と思っていたので、いつかは腰を上げねばならぬこと、月の替わる前に、えいっと、書きました。ほんと、そーゆー気分ではないので、まったくノラない文章になってしまったが、いつかまた気分がのった日にはゆっくり書こう。

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娼婦 αの1 ブスの抵抗文

俗にいう、ナンパというのは、標準、誘った側に「その日のうちにエッチする」という目標があっての行動なのだろうか? この歳で「なにをいう!」と、ずっこけられそうだけど、その辺の男(女)の一般心理、つきつめてみたことがないのだよ。先日の姫野エッセイで、「処女を捨てたいと、映画館の前でナンパされた男についていったら、そいつはひたすら映画の話をする相手を求めているだけだった」とか、「(これまた処女を捨てたいと)渋谷でナンパされた男とホテルに行ったら、“ただそいつの自慰”を見せ付けられただけ(セックスできなかった&一万円貰う)」とか、そんな話があったのだけど、いまいち、我には、男(女)が一般的に、どう(1.目的はセックスなのか 2.だとしたら、それは金銭交換のセックスなのか 3.いや、いずれセックスに行き着くにしても、まずは恋人が欲しくてという目的だってあろう、いや、「狩」その時間を楽しんでいるのだ、などなど)考えてナンパをいたしているのか、わからないのだ。■ぐすん。我だって、ナンパされることが全くないわけじゃ、ないぞ。(急にムキになってる!)。先月の上京時も、職安通りを歩いていたら、歳は30代後半くらいの、時代遅れ風情が滲む、しかし本人は「俺だってモテんだぞぉ」と思いこんでいそうな男が、しつこくあとをついてきたんだも~ん。断っても断っても、「これから飲みに行こう」とついてきたんだも~ん。(と、「(こう見えても)まるっきしモテないわけではないゾ」という、ブス女の抵抗文になってしまったなぁ。ぶひんっ。結局、その男は急に「また今度ね、いい?」と言い出し、我が「ええ、今度ね」と返事をしたら、ぴゅう~っと視界から消えた。よく見たら、前方からおまわりさん二人組みが歩いてきたのであった。おーい、根性のない男だなぁ、という相手であった)。ま、金沢でも、外で一人飲んでいたりとか、お茶を飲んでいたりとか、はたまた酔っ払って道にうずくまっていたりしたら、ごくたまに、声をかけられることはある。(道でうずくまっているのは単に心配されてるだけかもしれんが)。(ははは、しつこく「ブスの抵抗文」だな。本来的にモテないから、わざわざ、被ナンパ話を披露しているような。そもそも酒場で男に誘われる(「二人でもう一軒行こうよ」とか)のは「モテる類に該当しない」と認識すべきだろうし)。■は、た、し、て、そういう人たちについていったら、どういう展開がある(あった)のだろうなぁぁぁぁぁ。■前にも書いたように、娼婦という職業に、おおいなる関心のある我は、その辺の一般社会の動向が気になるのだ。(はっきりいって、今のわたしは、愛もないのに、お金ももらえん、セックスなど、興味はないのだ!)。

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娼婦 αの2 肉体女仏

あのね、これまで何回も、夢のなかで花の匂いをかぐのではなく、ほんとーに、この手にとって、花に触れ、花の匂いをかいでやるぞぉぉぉ! と思い詰めてきた。そしてGW中、辛抱たまらん苦しさに包まれたわたしは、今度こそ、決行だ、と、本気で思っていたのだよ。・・・・・。しかし、今回の「今度こそ、決行だ」も、また未遂に終わるだろう。何度も書いているように、「性と金銭を交換するのはいけない」という恐怖のスリコミによって、わたしは、わたしの身体と心を自由にすることを不自由にしている。

このたび、わたしが「その世界」に飛び込もうと思っていたとき、ある心構えをした。

わたしは、出家をするのだ。と。

普通、「出家」をするといえば、生涯、異性との交わりをもたぬことをも意味すると思うのであるが、わたしのそれは、特定の思いを寄せる男と交わるという、わたしのなかにある揺るぎがたい「基本的対異性」意識を捨てる、そんな意味である。そして、その分、どんな醜顔醜体の、どんなイケスカン男が相手であろうと、その一人ひとりと、恋人のごとく振舞おう。と、思ったのだ。

つまり、わたしにとっての出家とは、相手を選ばぬ、肉体「女仏」を指すのである。

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娼婦 αの3 年齢と性交チャンスとそこにある感情

2~3年ほど前の「もぐら日記」に、同様テーマの話を綴ったことがあるが、本日再び、そのころと少しは考えが変わったのかどうか、自身を検証しておこうと思う。

わたしは現在39歳だが、性的な交わりの機会が極めて少ない30代を送ってきた。そのため、「このまま男性との性的触れ合いないままに女体ますます老いてゆく」ことに対する“感情”がないわけではない。――と、書くと、これを読んだ人は一般的に、「あー、性的幸薄いまま女を終わることを不安がっているのね。機会があれば、セックスしたいと思っているのね」と、受け取るのがまっとうだろう。あははははん、期待を裏切って申し訳ないが、たしかに、わたしは「機会があれば、セックスしたい」とは思っているが、また、「女体老いる」ことに対してなにかしらの感情はあるが、しかしそれが自分のなかに浮かびあがってくるのは、実に頻度が少ない。おまけにその感情は「不安」と言い切れるほど明確なものでもなく、漠然としたものなのだ。思うに、わたしは、そもそも自分の女体に自信があったわけではなく(20代の頃からお乳は垂れ、お腹は幼少時よりずっと出ているという、そんな体型のせいもあろう)、また、同世代の人間が口にしがちな「体力的な老い」というのをほとんど感じていない(わたしにとって自身の老いを感じるのは「歯」と「髪」である)という点が、「女体の衰え」に対する深刻な不安を宙に浮かせている要因なのだろう。つまり、心の底から「不安、あるいはそれに類する感情」があふれてくる、というのではなく、なんとなーく、頭で考えて、「不安につながってはいるがまだ不安とまでは言い切れない感情」が出ずる、という感じなのだ。

しかし、しかし、しかし、だよ。「不安がない」からそれでOKとはならんのが、この分野の特徴だなぁ。今後ますます高齢者の性が盛んになると予測が立とうと、また、世の中にはいろんなフェチがいるので老女体を愛してくれる男性もいないとは限らないが、しかし、しかし、やはり、「今のわたし」の女体は一秒一秒、崩れ落ちてゆくわけで、また相手になって下さる男性人口は年々減る一方だろうという厳しい現実はあるわけで、そー考えると、「こんなにのんびりしていて良いのだろうか?」という内なる声が聞こえてこないわけではない。そう。そうなのだ。今現在のわたしがどうのこうの、というよりも、「『未来のわたし』を想像した『今のわたし』が、未来の心配をしている」といったほうが妥当かしらん。おほほほ。わたしは図々しい性格なので、自分が望めば、今のところ、わたしと性交してくれる男性がまったくいないわけではなかろう、と思っているのですよ。(図々しいのは自由である!)。だから、問題なのは、今、ではなく、未来、なのだ。

いやいやしかし、「未来」は「今」とつながっているのだから・・・と、この先を考えるには、まだしばらくの時間が要りそうだ。(そうやって、気がついたら、「女体ますます老い」となる!!!)。

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娼婦 αの4 時に女は性欲を演技する(オーガズムの演技ではなく、性欲に関しての演技)

女も性欲をもっている、というのは、男の願望であり、

事実、たいがいの女は性欲をもっていると思うけれど

それは男の思うような「野放しの性欲」ではなく

とてもとてもメンタルなものに絡んだ性質のものである。

*       *       *       *       *

昔、接吻は、遊郭の女の艶技の一つであったと、ものの本で読んだことがある。

一方で、かつてのトルコ嬢には、体はいくらでも売れど、キスだけは許さない
というプロが多かったそうだ。

男にとっては、「下の穴を自由に使わせるなら、上の穴なんていくらでもフリーパスだろ」
と考えるかもしれないが、

女にとって、性は、そんな単純なものではない。

勃起するかしないか(射精するかしないか)という、実にわかりやすい仕組みのなかにある
男の性は、

永遠に女の性欲を理解できはしないだろう。

*       *       *       *       *

娼婦は、女の性欲の体現ではなく、あくまでも男の性欲下にある女の性の体現なのである。

そして、そのことは、女のなかに存在する

被強姦願望だとか、不特定との性交願望だとか、動物的性欲などを一斉に否定する

つまり、女の清純さを過剰にアピールするための思考につながるものではない。


【タイトルに関して】ある種の女は、自分なりの理由があって「性欲の旺盛なフリ」をするし、またある種の女は、平凡な理由があって「性欲の虚弱なフリ」をする。そして、ある種の女はある種でない女にいつでも変身するし、ある種でない女もある種の女にいつでも変身をする。そういう意味をこめたタイトルなのだ。なお、この「フリ(演技)」は、たいてい無意識だ。

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処女とブス

姫野さんの『ガラスの仮面の告白』を読んで思ったのだが、セックスと縁の薄い女、というと、もしかしたら世の人々は、「=ブス」を思い浮かべるかもしれないが、実のところ、セックスに縁があるかどうか、というのは、女の容姿とほとんど関係がないのかもしれない。こんな話は女同士でもしたことがないから想像の域をでないのだけれど、ある年齢になっても「処女」である女における「容姿悪し」率は、低いのではないか。そう、ブスだから、男とエッチしてもらえない、なんて世の中ではないのだ。むしろ、ある年齢になっても「処女」でいるのは、そこそこ容姿が良くて、頭も悪くなく、かつ性格だって気さく、異性の友人も複数いる、女が、少なくないのではないか。(なんでそう思うのだ? と聞かれても、なんとなく、としか答えられないが)。これはもう、目には見えないオーラのようなもので、女性の外面ではなく、内面のなかに「セックスと縁遠く」なるナニカが存在し、それが相手に伝わるのではないかと思うのだ。わたしも、処女という響きが懐かしくなるくらい昔に、処女とはさよならしているが、人生トータルして(娼婦にならない限り)セックス謳歌ととてもいえない人生を送るであろう身を思うに、たしかに、わたし自身のなかに「縁遠く」なるナニカが存在していると、確信めいたものを感じる。そのナニカは、まだ言葉にならないけれど。

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淫行にまつわること

昨日の晩、鬱をテーマにしているブログをネットサーフィンしていたら、「未成年者の女性に性行為をしたとして、実名報道された自衛官」の妻の、悩めるブログに行き着いた。

最初、「うん、買春?」かと思ったが、どうやら、そうではないらしい。彼女の夫は、いわゆる「その場限りの体を買った」というのではなく、「不倫」として、ふた周りほど年下の女性と、いくばくかの日々をお付き合いしていたそうな。

妻は思う。相手の女性が「未成年者」でなければ、その女性は立派な「加害者」で、自分は夫を寝取られた「被害者」でいられたのに、その女性が年若かったゆえに、自分は「とんでもなくハレンチなことをした加害者の家族」として生きてゆかねばならんくなった。と。

しかり。だな。

おまけに、夫の職業が「実名報道」へとつながった。ただでさえ、夫の逮捕の連絡で初めて「夫の浮気」を知り、妻の女としての苦悩が始まるというのに、実名報道は、妻にさらなる追い討ちをかけた。犯罪者の妻として世間にさらされる身になった彼女は、「夫の裏切り」という内面の傷だけではなく、外(世間)とも闘わなくてはならなくなった。

常々、我は思うのだが、淫行なんじゃら・・と、痴漢行為をしたり、買春したりした男性が、テレビニュースなどに出たりするが、それって、男性の職業が「教員」とか「公務員」とか、あるいは「大手メディア」に属するものとか、ばかり。なんでやねん? 報じるんなら、例えば、○○商店街のパン屋の店主がテレクラで知り合った15歳の少女を裸にして写真をとった。なんてことも全国ニュースで報じろよ。と、思わなくもない。「職業人として世間に与える影響力の大きさ・・・」なんて理屈は、どうも納得に欠ける。

ま、そもそもね、わたしは性の売買に関して、「買う大人が悪い」という考え方事態、おかしいと思う。「買う大人が、仮に悪いとしたら、買われることを拒まなかった、むしろ自らの意思で売ろうとした未成年者も、ともに悪い」という方向にしか、わたしは考えられないのだ。

ついでだから書いちゃうが、政治家の不倫話もそう。政治と、政治家の女性問題は、基本的に関係ない。なんで女性に関するスキャンダルが発覚した政治家が、その職業までおびやかされねばならんのだ? 政治家は下半身で政治をしているのではない。政治と下半身は別、だ。

なんだか、話がまとまらんが……、あと、ひとつ。性犯罪(←便宜的にこの表現を使っているだけ)に限らず、その他の犯罪にもいえるのだが、仮に、実名報道が「加害者家族」に与える苦悩を正当化するならば、それは家族になってしまったゆえに付随するもの、ととらえるしかないだろう。親にとってみれば、この子の親だから。子にとってみれば、この親のもとに生まれてしまったから。配偶者にとってみれば、この相手と結婚してしまったから。それしか、加害者家族の苦悩を存在づけるものはない。それだけ、「家族になる」とは、重いことなのだ。

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援助交際-メモ

昨年末だったか、あー、なるほど、と思うことがあったので、メモしておく。(メモしなくても、忘れないだろうけれど。たぶん)。

          *     *     *

村上龍のエッセイのなかで

「なぜ、援助交際はいけないのか」

に答えた文章を、図書館で立ち読みした。

そこには

人と人がコミュニケーションするのは
本来大変な労力の要ることで

一方、援助交際は、安易に「つながる」関係だ

そこが問題。

というような話が書かれていた。
(いや、ぜんぜん違う話だったかもしれないが、わたしはそう解釈)。

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